**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2012年12月23日(日) 雑感と抱負

朝が普通にきてるよ。車が何事もなさそうに道路を走っている。ベットからおきだしたのは朝の8時を回ったところだった。目覚まし時計の乾電池がおかしいのか、時計がおかしいのかよくわからないが、針は動いているししばらくはまともなのに、いつの間にか時間は全く狂ってしまう。電池の新しいものを買ったほうがいいのか、何年も使わない電気をおろしたから?二つの時計がどちらもおかしいままで、目覚ましない寝起きを許している。早起きができないこのごろになっている。いつも自然と目が醒めたのに、今月荷は行ってすぐの夜勤で、ちょっと調子が乗らない始まり方をした。夜勤明けで歩き回ったりした分次の休日がだらだらと眠った前回を反省して、その日はおとなしく過ごして、疲れもあって、昼過ぎには眠りの中へ入った。夜勤になれない頃はだいたいそうだったけど、久しぶりにそのパターンへ。 しっかりぐっすり眠ったあまりに、目が醒めたら薄暗い朝を迎えていたようだった。かなりの時間で眠ってしまったんだなと思った。それにしても夜中などに目も醒めないなんて不思議な気もした。 机のまえで夜が明けるのを待った。8時になっても暗くて、天気のせいなのか、それとも終末の異変か?なんてことを一瞬考えたりする。 まだ今が朝の8時でなく、夜の8時だったことを気づくのにしばらくかかった。 頭の感覚がおかしいことがショックだった・・。 ほんとに大丈夫かな、これからの自分。 不安すら感じないほどの思考能力の低下というか・・。そんな卑下でなしに心を信じる気持ちが育っていると思うけど!

なぜか、それとも問題の流れでか、急に自分の仕事ぶりについてのことでここが変だ、自分のおかしなところだという事が腑に落ちてきた兆しがある。
有り難いものだ。 その気づきはかすかな言葉で胸の中にささやかれる。それを書き留めて捕まえておかねばと思いつつ、見送るのがまたいつもの悪い癖なのだ。 消えてしまう。その正直なささやきが。 どこかで嫌がっているのが分かる。それはなぜなんだろう。甘えを許されなくなるのがつらい。自分を律するつらさから逃げたいのだきっと。

机の向きと位置を変えたら生まれた空間。その空間が目にうれしいものだと知る。壁と自分との間の空気。それを愛するなんてことを知る。 やっと自分が殻を破れた気もする。 部屋をどうにか変えたいと思い始めたあの日から何年費やしたんだろう。 あれは、初めて韓国へ行くと決めた頃だった。2009年を迎えた年か。もうすぐ50才を目の前に意識していた頃で、更年期障害とか、リューマチの悪化とか職場での摩擦とか、いっぺんに押し寄せた時でもあったことを今思い出した。あれから3年たったのか・・。思えば本当に激変の出来事が連続するこの3年間だったわけだな。 今こんな静かな気持ちで迎える年末をひさしぶりのように思えていて、ここでまた感謝せずにもいられなくなる。 こうして、計らずして、先祖の位牌と視線が向き合う位置に今座る事になった。手書きの白木の小さな位牌と抹茶椀の線香立てがある。

年越しを迎えるまであと最後の一週間が始まろうとする。手を合わせていろんなことに感謝を捧げなければと思う。 深情けに注意というアドバイスを貰った事を思い出す。今私の心はとても静かだ。何も無い。縛りから解かれた。楽にしたい。 背伸びしたことを画策したって、見え透いている。初めからそれを隠している。母に一目でも会ってもらいたい。その願いを叶えてくれた弟に心から感謝する。私たちの歴史が変わった。毎年こんな時期に漠然と感じてきた心のもやもや。どこでどんな風にして暮らしているのか、心の奥の闇の中で揺らめいていた淋しさ、心配。今は消えていられる。これからさきどうなるのか、どうしたいのかと今は考えすぎる事を止めておかないといけない気がする。

気ままな一人暮らし。年末だからと何をするでもない。気楽さを享受したぶん自分の中に蓄積されていけない何ものかがきっとあるんだろうなと、そんなことまで損得勘定をしているような、いじましい自分なだけだ。
欠落したもの、自分以外の人との関係の築き。 これも小学生の時からのことだから、変えられないものがある。自分なりにやり過ごす事をしっかりと覚えこんできたわけだ。 ちいさな自己満足でこの年まで生きてきたものだ。それなりに感謝し楽しみ、満足し。 でも思えばそれこそ、3年前の年明けのころすぐだった。突然の激痛に驚かされた。左の手首の異常。その瞬間からその後の展開が始まった合図だったと実に鮮やかな出来事がある。

目に見えない背後の力と流れというものの存在。わかっているようで、本当はどこまで分かって信じているのやら。 この怠惰な今の瞬間。掃除もあとまわしにしたい。片付けにとりかかるよりも感情をなぞりながら言葉を編んでいくことを楽しもうとしている。 これでいいのか、許されるのか。何も怖がっていないのも、ちょっとね。

雪が降るとか言われていたのが全くはずれだ。 冬を忘れて良いくらいに気温は下がっていないようだ。ストーブをつけなくてもやり過ごせるなんて、足先は少しも冷たさに悲鳴なんてあげていない。

異常なる暖冬ではないのか、もう慣れっこで驚きも薄いものだ。
寒くなると、ちょっとは気も引き締まるだろうな。今日はお湯にでもつかりにでかけようかなと思う。 給料は下がったというのに一年以上過ぎて財布の紐が最近は緩んできているだろう。

この12月は新しいデジカメに始まって、ネットで買い物ばかりした。画面をあれこれと開いては覗き込む時間を費やす。福岡の街でのんびりとショップをみてまわるだけの時間もたびたび。そういえば会費をはらってブログを欠いてる人の話を聞きにでかけたりしたのだった。もう記憶から薄れてる。 ネットバンクの金利に魅力を感じて、口座作りでせっせと申し込みをしてカードを受けとり、毎日のように玄関には届け物で配達人がやってきた。

こうしてパソコンの前に座っているうちにまた、今日も一日が流れ去っていくな。 ほんの少しの気合を入れさえすればいいんだ。時間の使い方も考えて生きたいと思う。来年の抱負をここに。



2012年12月17日(月) この2年間

なんて暖かな気温なんでしょう。冬とはとても思えない。暖房は何もつけていなくて、季節がわからない。 年末だと思い出すと、うれしい気分は湧いてくる。そうだ、一年が終わりを告げて、そしてまた、新しい暦が始まるのだ。悪かったところを改めて、これからまたちゃんと生きて行きたいという思いがわいてくることがうれしいのだ。 こんな気持ちはひさしぶりなのだ。  ずっと不安だった。このままでいいのかと。仕事の事、兄弟のこと。漠然とこのままではいけないと自分を縛っていた。 縛りながらも出口のドアを開ける勇気なんてなかった。 不安や苛立ちや淋しさをアルコールで紛らわしていられる若さがあった。 いつしか、寒い冬には昼間からワインを平気で飲むようになった。 こんなことして、どうなるか見て見ようと心の奥の声がしたのを覚えている。 ある朝突然に左の手首がちぎれるほど痛み出した。うなり声をあげたくなるくらいに、激痛だった。 いつものリューマチの最大級なんだというくらいで、包帯して、治まるのを待つだけ。色んなところの激痛はこれまでもなじみのもので、あとはウソのように元に戻るから、あまり気にもとめなかった。 けれど、それからの一年がリューマチ悪化の始まり。 両肩、両足首、激痛と脱力で全身も背中に背負ったような重たさに苦しんだ。初めての韓国旅行で新しいページを開いたとき、帰国してすぐは元気で調子がいつも以上に良かったのに、2,3日して、高熱をだした。インフルエンザで長引く熱も初めての経験。それからが 体調不良の始まりだった。 これを機会にお酒も控えるようになった。少しずつ意識も変化せざるを得ない時期が来た。 そんなとき、横浜の甥っ子は高校2年の文化祭を向かえ、母を連れて、交流するためには受験を来年に控え、このときを逃すことはできなかった。 いつかは、訪れなければと思っていた横浜の家、私にチャンスが与えらた。 めったにない機会。 甥の17歳の姿にふれるのは二度とないわけだし、とても貴重な時間。 新緑の5月のエネルギーとともに 家族としての親類としての傍にいられた時間。 

当たり前のようにして普段から顔を合わせていられる親戚とは違うこと。
なじまないところと、会えて特別な感情を味わう事。時間が限られていて、切ないこと。 これまでの私の非礼が後を引いて兄嫁との付き合い方もこんなものかな、どこかはじくような、感情をぶつけてくる。 おばかな母にもいらだつものがあるのだろう。 でも父と弟のことを気にして、会うことを勧めてくれる。 私が遠い先祖の人の話を持ち出さなかったら、どう展開していただろうか。何事もなく終ったんだろうか。 仏壇の前で思わず、まあ、位牌があったから、それにかこつけたものとして、○○家はという言葉は飛び出した自分に少し驚いたこと。ちゃんとした家なんてないくせして、冗談としてしか響かないこの言葉のことが、気になった自分。 あとでネットで検索かけてみる。そして、この苗字の始祖になる人のことがわかった。

とても不思議な気持ちと驚きがあって、そこから流れが始まったきがしないでもない。 ネットから飛び出したのは、先祖だけでなく、生きている先祖もだった。横浜から帰った夜の出来事。普通にはあまりありえないようなことだったから、驚きもひとしおだった。前の日にどうにかコンタクトを取ろうと決心した矢先に、メールアドレスが書かれた投稿記事が現れたのだから。

幼い赤子の弟を黙って連れ去って、別の女性と生活を始める父。あれから45年もの月日が過ぎている。時間の長さが何だというのか、何も関係ない。母の気持ち、私の気持ち。 弟の姿を一目だけでも見たい。でもそれも叶わない願いかもしれないと、ずっと思い続けてきた。いつかは・・。そのいつかはとは、・・。父が死んだ時だろうか。ぼんやりとそんなことしかもうかんがえられなくなっていたかもしれない。 幸せに暮らしているのだろうから、それだけでもありがたいことなのだし。

つづく



2012年12月11日(火) 寒い夜

昨日の10日の早朝は出勤で空が闇から少しずつその黒い重さを消していこうとする瞬間を眺めながら橋へ続く坂道を歩いていた。 川の先には電灯の小さな光と山が朝日によって姿を現してくる。暗い空に対して朝焼けは血のような真っ赤な色になっている。 180度で広がる空を見上げる。大空の空間にはひとつの雲の形があった。 なんだか巨大な鳥のように見えてくる。おもしろいので、カメラを手に取った。一枚目を撮る。暗く写ったので、取り直したのは直後だったけど、代わり映えもしないのは当たり前だった。雲はもうみるみる分かれて形を変えていった。 2枚目の写真を後で見て見ると、右下のちょうど山の上になるけど、まるい球体がお月様か何かのようにして現れている。空気中の何かが反射でもしたのかな。みごとなオーブといっていいものか・・。寒い時に写真とると、こんなものが写ったりするかもしれない。2月の長崎でのランタン祭りの写真もそうだった。同じように連写をしたことも思い出す。・・たぶんそういう、現実的な現象だろう。

8日の日は母はたまたま ウイルスのせいだろうが胃腸炎をおこして、夜中から下痢と嘔吐で大変だったらしい。今は回復してきて大事には至っていない。

今日といえば2年前にやっとの思いで上京し、横浜で3人の兄弟姉妹がテーブルについて顔を合わせた日。 今になってやっと、自分はいかに子供じみた行動に甘んじていたかわかってきた。 非常識だと義理姉が言った言葉が正しかったんだと。 全くそのときは何を言われても、自分の気持ちだけを大事にすることしか思考回路はできていなかった。

あくまでも幼い、身勝手な思考回路で通してきたのだ。しかも自分は善だと信じて、押し付けがましい思いばかりだ。そして、わかったようなことばかりを言ってきた。 

もう一人で背伸びして背負うのはきつい。というよりも、発展していかなかった結果に疲れた。 始めは横浜の兄たちがきっと暖かく受け入れてくれると思っていたから。それだけの価値のある生き方をしてきた人なのだから。

時間が無い。余裕がない。そんな理由づけなんて、おかしいと思う。愛情がないだけのこと。 もうきつい。 そっくりそのまま、弟が私へ放った言葉を返したい。 ここで簡単に へこたれるだけでいいのか・・。 なんとかすると、見栄を切った私。 義理姉の冷たい態度。筋を通したいって、世間体か。後ろ指さされないように。 人に恥ずかしくない行動を取りたいと言う強さか。

一から考え直さないといけない事柄がたくさんあって、そろそろしっかりしなとな。 机の位置をまた変えたら 何かこれまでの自分と違うものがある。思考がなんというか、開放されたというか。 忘れっぽさが強まっただけかもね。 人と関わりあいたかった。広がっていけたらいいと思った。そんなことを忘れかけてきた。 何もかも離れていく。 もう母と弟は対面したことだし、それをまた先へと進めようとした私のことを冷ややかに見ているような兄弟に悲しくなってくる。もう子供じゃないんだな。 母の前で子供として、揃う事ももう贅沢な夢か。 絡まってもつれた糸をきちんとほぐさない限りは、晴々と喜ぶようなことはないのかもしれない。 それは初めから判っていたことだけど、つい忘れていい気になっていた。一年前のあのうれしさに浮かれていた。 

これからどうしよう。考える力を失いかけている。自分がまずしっかりすることだけだ。何も落ち込んでるヒマはないのだ。



2012年12月06日(木) 感謝しかなくて

今月に入ってからはあっという間にまた、日が流れて何も言葉を残していない。そういえばネットでの口座手続き関係と買い物選びで神経がそれに集中していたことをもう忘れている。 カメラが欲しいと何となく思っているとすかさず毎日送られてくる広告メールにはまり込んでしまった。先月にデスクチェアの良いものを安く早く手に入れたことで味をしめたのがあって、財布を緩めるこのごろだった。 店頭に出すことのコスト、場所代と人件費がいらないことで価格は下がるし、こちら側も出かけて、持ち帰る手間がいらなくなるし、こんな楽なことはないのは分かっているけれど、安易に買ってしまうことを自己管理しなくてはいけないことへの恐れで、避けてきた。時間も体力も余っていたころはそれでよかった。

結局、自分にとって今一番の興味のあるものに手が出るものだ。本当に必要かどうかは別のことで・・。

仕事についてから一年と4ヶ月になるというこの年末の季節を迎えた。どうにか安定感も得られてきたところだろうか、問題はたくさんあるのは置いといてだけど。 そして、これほどのゆったりした楽な年末を社会人になってから、初めての経験だとも言えること。 何があっても心の奥では変わらない静かな安定は保っていられることを疑ってはいなかったけれど。これまでの私の生活は、不安ときつい労働と圧力のストレス、体調のストレスが常に付きまとっては いたものだった。でも若さがあったから、ストレスがバネになっての燃焼する快感も味わえたと思う。

私は、今はいい中年のおばさんなわけだ。こんなゆったりとした満足感の中で、一日を過ごすことができる。不思議でありがたいと、やっぱり思わずにもいられない気がする。 よくもここまで無事に生きてこさせてもらった。結局思うのは、神と先祖への感謝ばかりになる。 有難うございます。

こんなに単純でほんとにいいのかしら・・。



2012年11月30日(金)

昨日の満月の明るさに照らされながら、母のアパートから家路へと自転車を走らせる。雨が上がってからの割と暖かな気温の一日だった。久しぶりに顔を見せるというか、母の存在を感じておかなければと、辛うじて仕事帰りの時間を作る。休みの日に出かけていくことがおっくうだ。狭い部屋でどうしようもないだけだから。 花を買って仏壇のことを意識することがとりあえずの用事。いつもの巻きすしも買う。 弟のことは何も進展がないし、正月には帰らないというからには、帰ってきて欲しくない気分だ。心配しかさせる気はないんだろうか。 冷たいなと思うのは間違いか。何も与えられない自分のことをもう棚上げしてしまうのか・・。 甘いというか、気分屋というか、いい加減というか、私の癖はここにも顔を出してくるわけね。



2012年11月24日(土) 感謝の朝

3年前のことを思い出すと、毎日悩んでいたことがもう、少しぼやけて見える。 YouTube から穏やかな音楽を聴いているせいもあるのか、感動する心は感謝する心と同じようなものだなと感じながら、胸が切なくなって、少し涙が滲んでくるくらい。有り難くて、それは何に対してなのかはっきりしないようでもあるけれど、胸の奥から湧き上がってくるこの気持ちをここに書き留めておこうかと思う。 この気持ちがいつも 生きていく中での救いだったのだと気がつく。どんなに苦しいみじめさを味わおうともこの気持ちが心に訪れてきてくれたこと。これが全てなのかもしれない。 健康という恩寵を授けてくれて、体を自由に使わせてくれること。 感謝せずにいられようかと思う。 

最近のこの食欲は何だろう。消化もいいので、食べすぎたという弊害を感じたりもしないし、空腹感と満腹感もそれほどないままに、入るだけ食べようとする。そして腸はすっきしている。 左手が力が入るようになってきた。手首と指の関節に失くしていた滑液が戻ってきたかのようだ。体の不思議が働いているかのようだ。 思えば4年前くらいがピークの間接の激痛だった。それまでも長い期間に、両手首、両肩関節と苦痛を抱えていた。慣れっこの毎日にもまだ、若さでどうにか乗り切ってきた。 やっぱりさすがに50才の声を聞く頃には仕事も支障がでるくらいに悪化するし、耐え切れないしで本気で病院へいった。 最初に選んだ病院では、頼りなくて大きなところへ変えたのが正解のようで、優しい女医さんに当たって、救われたと思う。優しい応対と勇気付ける言葉は薬とともに、体の激痛をウソのように止めてくれた。 あれから3年が過ぎだけれど、もうあの頃のような痛みが舞い戻ってくることはないままだ。 病気に伴うようにして、意識の変化と環境の変化もついてきた。家族の歴史の変化もだ。 それは劇的なものであることも同じく。



2012年11月12日(月) 正直な感想

それほどの寒さにはまだ遠い感じの毎日で、季節らしい感傷もやってはこない。年取ったせいもあるのか、人恋しいメランコリーは感じる気力すらないといったほうがいいのかもしれない。仕事を変わってからは、嫌というほどに毎日が人との関わりで過ごすから、寂しいといっていられない気もする。有難すぎる事だなあ。 弟との関わりは進展しないものの、後退はさせないつもりなので、会いに行くまでのあの胸のつかえた苦しさからも開放されたという、私の歴史の中での新しいページなわけだ。 胸の奥のもどかしさや、やるせなさによって傷ついている時間はなくなった。 このことをまた弟へ伝えたい思いがしてきた。 いつかまとまってメールか手紙かドキュメントファイルかを作って送りたいと思いながらも、まだ集中できないで時間が過ぎる。 ただの日常の次元だけでは力がでないのだと、少し気がつく。新たに出会ったスピ系のサイトを読みながら今そう感じている。

今で言えば、たわいないけど、あの義信さんという患者さんがはっとするほどに父の面影にそっくりだから。今月になって転棟してきた80のおじいさま。名前を見るとどきっとするし。 意味ある偶然が現れたと感じるべきか。この今の私が悩んでいることをなぜかなぞるようにして起きる出来事。

プサン旅に始まった今月は あれよという間に半ばへと向かう。有り難いなとここでも思う。 来月のことはノストラダムス的に何事も起きずに生活時間は流れていくのだろうきっと。 きのうの夢・・水が、というか洪水を眺める怖い思いをした夢だったのを覚えている・・。 何を恐れているんだろう。本当の自分の姿がやっと分かりかけてきた事なのではないかな、もしかしたら。 無反省に自我を振りかざしていい気になって生きてきた事。だから、人との関係を一切築けなかったという、とんでもないことにやっと目が開かれて来たこと。周りの人たちが必死になって、教えようといつもしてきてくれたのに、逃げてばかり。今も同じことの繰り返し。一体いつまで、子供の気でいたいのか。 反省がないことを自分言動が示していることもにも少し怯えているかもしれない。



2012年11月10日(土) まだ続くのか

顔の輪郭と耳の形があまりによく似ていることに気がついたのは、その患者さんが散髪していたからだった。 今月に入ってから2階の病棟から移ってきた人。 息子さんと喧嘩して出て行けといわれて、追い出された形で認知症もあり、入院となったという人らしいけれど、話し方も柔和で若々しい、80歳のおじいさん。ジーパンはいたり、若い格好しているし、おじいさんというにはまだ若く見えるのに、そんな年齢とは驚く。 年も似ていれば、顔かたちも斜めから見るとはっとしてしまうくらいに父に似ていた。それだけでもなんて偶然だろうと思えるのに、名前を改めて見てみると、どうしてこんなことが・・。朝義と信子の一文字ずつがあるのだ。義信さんだった。
今月は父の誕生月でもある。 どこまで、不思議がおきたら気が澄むんだよ。



2012年11月09日(金) 岩国のおじいさまにお別れ

前回の日記を書いた日の夜に義理姉の父は逝去された。その日は夜勤だったので、連絡は翌朝、コーヒーを飲みに立ち寄ったスーパーの中のカフェ。  急いで母の元へ行き、打ち合わせする。次の日はちょうど休みになっていて、一緒に葬儀へ出る事になる。 朝早くから列車に乗り込み新幹線へまた乗る。まるで、涙雨のようにして、停車中の窓ガラスには行く筋も雨が流れ落ちていた。気持ちに沿うような天気なのは、見舞いに行った時もそうだった。 出棺の時だけには、土砂降りになった。 残されたお母さん。腰を悪くしていて、葬儀へでるのを嫌がり、家に一人残っているので、兄たち夫婦と、母との4人でそっちへ立ち寄って、話相手をする。 ずっと一緒に生きてきた人が、逝ってしまうには時間が早すぎただろう。まだまだ気丈なお父さんだったから。悪いと聞かされてから、2ヶ月も満たないうちの出来事だ。  山の峡谷を身近に眺める景色の自然に囲まれた土地で暮らしていきた義理姉の両親。 そんな中で、あの毅然とした気品のあるお父さんがとそれは仲良く暮らしておられたのだ。 まだ亡くなられたから、25日しか、経っていない。 思い出しては、悲しい気持ちになったりして、やるせないものがある。それに平行して、弟のことが、急に気持ちが引けている。 どうにかすると言った私の言葉は何だったんだろう。 どうしたかったんだろう。少し忘れている。 

旅に出て少しゆっくり、じっくり考えるはずだった。ところが、全然、目の前のどこへ行くか、何をたべるか、それだけで精一杯だったではないか。
逃げているのではないかと思わないでもなかった。実際そうだったという気がしている。帰ってきてから、夢見の悪さもとれた。 旅先でも一日目に妙にリアルで気味の悪い夢をみていた記憶がまだ残る。

韓国旅は自然の食べ物への食欲を思い出させてくれた。野菜で料理する意欲が出た。 まじめに食材を買い込む事からちゃんと始めた。

すごく空腹感を覚えるようになったのは、キムチとかの香辛料効果なのかな。どうも韓国料理効果のような気もしてきた。

昨日の夜はまた左の脇腹の痛さに閉口した。ネットで見てみても実際には何もならないことだけがわかる。自分の体のことは自分しかわからない。

早めに診てもらうというめずらしい選択をした私。 胃の撮影とまた高い血液検査、そして一週間分だという薬 これで7千円は安心料で消えた。腫瘍らしいものは認められないという事をしるための出費と思えば、高くもないだろう。



2012年10月15日(月) 夜中の出来事

夜勤なしで一週間過ごしたからか、頭の奥の眠気が一掃された感じがしているのは。 この状態を欲しくて夜勤を嫌がっているのかな、他の人たちは。

湯布院まで貧乏な乗り方のバスでたどり着いて、念願の秋晴れの青空は独り占めしてくることが出来た。あの気持ちよさに惹かれて、2時間の滞在ではとても物足りないものだった。 黒川温泉のときはどんよりの天気だったからあきらめもつく。 熱いお湯はほんとに気持ちがいいものだ。風が少し吹いて冷たさもあったけど、陽射しは熱いくらいの揺れる気温だった。 秋の変化の心の揺れを誘うようだ。 熟れたあとに枯れていく自然の巡りの時を止められない悲しさを本能的に感じてしまうのだろうか。 まさに愛すべき人がその生を全うしようとする最中の時期に関わっている今だった。

あと一週間くらいだろうなんて、それはあまりに急なことだと思えた。義理姉の心の中の寂しさを思い計る術を持たない私がいる。 父親への深い思慕や尊敬を知らない自分だとは決して言わないけど、現実の日常生活では経験していないことは確かなことで、そのズレを感じる自分のこと。

一昨日の夜中の金縛りは久しぶりだっただけに、恐怖感に負けそうだった。あまり怖がらなくなったはずだったのに。どうしたことかと思った。義理姉のお父さんのことで心が弱くなっていたことも関係あるのかもしれない。

霊が怖かった。声にならないかすれた喉で必死に叫んだのはおかあさんという言葉。子供帰りでもしてきたんだろうか、私。 母に甘える気持ちを素直に感じられるようになったのは、この50才を超えて初めてだろう。弟と母のことを考えたり、思いやって行動したりすることで、変化した何かはとても大きい。初めからそんなつもりではなかった。ほんの2年前までは、全く意識に上らないことだった。 突然にして、悟った瞬間はあの公園を自転車で横切っていた何気ない一瞬のこと。 突然にして気がついては、胸がこみ上げてきた思い。 不思議な経験をした。

 奇異が怖いのはなぜだろうと思う。何かから切り離される孤独な思いだろうか。人を信じ始めた私が 人を信じなかった頃より、弱くなるなんておかしい。


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