8月3日(金) 全くの私的な話題だとこの日記を使う。なんせ、6つも作って取ってあるブログの数々。 ここはパソコンを始めてすぐに出会ったところ。広告も入らずに無料で使わせてもらって、もう10年以上が経過している。キーの不具合がすぐ起きるようになって、わずらわしかったりで、新しいパソコンに変えるまで、もうほとんど忘れていた。 今はこんなレンタル日記は貴重だ。
仕事は丸一周年を向かえたばかりだな。もっと喜んでいいのに、なかなか上手に人とやっていけないことの波が上下して繰り返すばかりで少しへこんでしまいそう。スケープゴート役をもらう自分にどこまで耐えて向上できるのかが課題。言葉で押さえつけてマイナスのエネルギーを送りたい人が今のところ3人存在していて、漏電するところかな。 組織の中の意識を代弁してやっているという正当感で武装でもしているようで、姑息だと思う。
そんな仕事ぶりの相変わらずダメな私からは抜け出す事はできそうにない。 これでこのまま、だらだらと生きていく気がする。
久しぶりにステージの音楽を聞きに行って少し華やいだ日の翌日のこと。 看護士が絡むようにして噛み付いた。呼びつけては、テーブルに座って2対1でのつる仕上げのような非難をされた。一方的に私の非を責めるばかりという図式は単なる指導という名のいじめであり、ストレスの発散だろう。腹が全然たたなくて、なんとも無い私なのは、その人への憐れみ。
上司へからの私へのマイナス評価も作っただろうけど、精一杯に仕事をしていくだけ。それ以外に何が・・。そうね、足りないのが下手にでてゴマすることね。まともにきちんと仕事ができなくて、ミスの多い私なりの示す態度があるだろうということの自覚が足りないと言いたいのだった。
一人前の顔して偉そうにするなと、ここが嫌いで我慢できないんだと言っているのだろう。わかっていて、なおさら開き直るからねぇ。 むずかしいのはここだろう。子供みたいにのびのびと清廉潔白さを気取っていようなんて虫がいい。
そんな風にかんがえたりする。 その日は、不思議な出来事もあった。市民へのサービスの一環での2日間のコンサートだったから、すばらしくて、もう一度味わおうかと迷った。 でも外食だけして帰ることにした。 満腹になって気を良くして、急に引き返して券が残っていれば入ろうと思って、そこへ向かった。階段を上り詰めると、そこに人が立っていて、出会いがしらに顔が視野へ入ってくる。
なんと前の職場を嫌になった原因の人物だった。辞めた理由はいろいろあっても、常にその人への嫌悪感と怒りを何年も何年も抱いては傷つき、ひたすらに接しないようにしたかった人だった。職場にいられなくなったことの原因の一つ、しかも大きなもの。
引き金すらあの人との関わりで、生まれたこと。辞めるとき今となっては後押ししてくれて、感謝していると伝えてくれと私は言ったけれど。 そういう人が、シンクロして、あのちょっと異常だった日に変な偶然で現れた事がおもしろい。 役者なところが大嫌いだったけど、この期に及んで、またそれが目の前にくるとはねぇ。笑う。
人脈を築けない私のしたたかさをもてない度がまた、露になる。 職場のことは全く気にしていないからというのもあるし、何も感じないので、ただ会釈くらいはしてあげただけ。 ほんとに嫌なものは嫌だな・・。自分の本質に目を向けないといけなさそうだ。
ああ、セミが休憩してたのか、今になって声を出し始めた。暑さを肌にぺたっと貼り付けてくるかのように鳴く。
朝方どんな風に過ごそうかと頭を巡らせたけれど、巡りきれずにギブアップ。で、こんなせっかくの2連休の一日目が過ぎていく。真夏の昼下がり。
夏の朝だ。雨の匂いも遠ざかって、この真東に向いた窓のカーテンは開けられない。セミの声が暑さを呼ぶようにして光と重なる。うだるような暑さはお昼すぎにやってくるだろう。断シャリタイムを作るべきでその気にもなりつつあるけど、夏色を見るという口実で図書館の緑に会いにもいきたい。
夕方ごろには薬をもらいに行く予約がある。定期の検診だ。もう副作用なしで丸3年が過ぎたから、頻繁に刷る必要ないんだけどな。 あのリューマチの激痛が薬でウソのように治った。 不良医師がドクハラで2年後には寝たきりになるといういい加減なことを言って高い薬を買わせようとして一時は不安を煽られたこともあったので大きな病院に変えた。最初からここへきていたらどうだったろうか・・。 先生もきれいな女性の優しい人だったのでギャップに舞い上がる感じ。勇気付けられて、有り難かったものだ。 大学へ戻るとのことで新しい先生に代わってからも一年以上たつかな。元気で親身ないい先生だ。見てくれる人の存在感、人間性が治療そのもののようにも思える。
夜勤の仕事はやっと慣れて来た。しっかりやらなければという緊張感で、こんなに少ない仕事量でいいのかという気ばかり先立って、どこに大事なポイントを見たら良いのかがわからなかった。そんな理解力のなさでずっと相手が腹を立ててきた。いやいや、今現在もだけど。
ささいな間違いも相変わらず起こしている。箸やスプーンを配るという単純作業で間違ったり、変なことしたりで(箸を手に持っているうちに片方を人の車椅子の後ろへ落としていて、ないから探すと言う無駄な事が生じる。すぐに自分で気づいたから良かったものの、そうでなかったら結構大変な事だった)こんなおかしなことがいつも私の仕事ぶりには付きまとうのだ。
あわてる癖、面倒を省こうとする癖、それを効率と称して、誤魔化す。治らない限りは、仕事は続けていけないかもしれない。 もうすぐ8月にはいれば、丸一年を迎える。本当に早いものだ。 でも本質は簡単には変わらない。変えなければと本気で思っているのか・・。
先日も攻撃的な言動をぶつけてくる2年目の看護士の挑発に乗って、言いたいことをいってしまった。関係は悪くならないだろうと楽観しているけど、まあ、挨拶の言葉が素直に出てくる自分であるうちは大丈夫だと。 ほんのちょっと感情的な言葉、あとは至って冷静で、客観的な思考で話すことしかしていない。 一年前と同じだなあ・・。 相手が違うから、大丈夫なはず・・?
問題も前の職場の人のような、単なる甘えと自己顕示のみというものでもないと思えばいいし。 いつもと同じことがまたおきていくのかな。自分なりにやっているつもりでも、それを否定していくことを使命として、そぐわなかったことをしたと決め付けて、裁断していく人がでてくる。
前のところもナンバー3に甘んじるしかない立場に隠された不満を募らせている人がいて、相手に落ち度を見ると徹底した攻撃をするのを思い出した。そうすることで自分のストレスを吐き出しているようだった。しかも反動なのか気に入った人や、利害関係上有利であれば徹底して上機嫌を見せるような人だった。 なぜかその人には少しも腹が立たなかった。この上ないようないやらしい威嚇のトーンをぶつけてくるのに。どうしてだろう・・。もののあわわれしか感じなかった。私を嫌悪しているようだったけれど、普段は至って、真摯な態度をとるので、甘えられる人だった。逆手にとった私のそんなところも嫌だったのかもしれない。 その人のことを思い出すことは、これからもほとんどないだろうな。
正論ではあっても、いかにも怠慢だと決め付けて怒りをぶつけてきたあの時、汗を流してやって疲労しているスキをあえて付くようにして噛み付くなんて、フェアだろうか。あきらかに足をすくおうとする行為だろう。
圧力を加えられたストレスは神経を鈍らせる。そして絵に描いたような暗くて見難い位置の目視点検の時にそのひと手間を惜しんだばかりに、見落としたとして、危険の可能性を作った作業ミスであるとして重大に取り上げられた。 事なきを得たけれども、一瞬の間に発見が遅れて喉につめたとして、死亡の可能性もあると言えるわけだ。
そのことがあったのが12月の25日。しかも夜中に目が醒めてから、弟へどうしても今メールを送っておきたいという自分の欲で朝までそのまま起きていた。そんな自分の願望を優先していた罰でもあろうか・・。ちゃんとやる自信はあったし、やれていたのだ。 でもイージーミスは多く、そのために仕事の歯車はいつか、道を逸れるようにと待ち構えていたんだと言える出来事なんだろう。自分の心の奥も、そして何よりも職場の人間たちも。 あの日を境にして、私は仕事の流れの中で、最後の点検からはずされる事になった。
かなりショックで辛い思いを味わったけれど、しばらくすると自分特有の思考の誤魔化しに逃げるしかなかった。なんでもないことだと。平然とする態度を示したがった。そしてまた、そのことでの非難が始まった。なんどか面と向かって責めて、挑発してくる上司の態度には明らかな意思が感じられた。じりじりと土俵際へと追い詰めていかなければならないのだと。
そんな中で、父との対面の3月に向けて、気持ちは緊張している頃と重なっている。 この頃は体重もぐんと減っていたと思う。 気が張っていたから、元気でいられた。なんとしても明るく兄たち一家とも会わなければならない。
そして無事にというか、そっけなくというか、兄と父は改装してきれいに大きくなったばかりの駅の待合室で、対面をする。兄は話す気などなかったようだし、なにも感じることはないんだという最初からの姿勢のまま、父が一人で特有の口八丁で喋り続けた。
その姿が切ない。私は父の真後ろに立って、その気持ちを送っていた。 兄は生まれつきの穏やかな笑顔の地顔であきれたように口元をほころばせた。握手を求める父。そして兄は座る事も無く、時間だからと、ホームへと去って行った。
見送りのために父の分の入場券を買ったからと告げに行くと、嫌がるのでそれもできず、私は父の横へ戻って、兄がわざと?なのか弟と会った事を”宗二はしっかりしているから心配はいらない”という言葉で知らせてしまったことを説明しなければと話し始める。 あんなことを言う必要があったのか、何のつもりだったんだろうかと今になって思う。
10日の夜だのこと、いつものひらめきに似た、決心がフット湧いた。来月に東京行きを決めようと。すっかり忘れかけていた手配のことを思い出す。そして、希望どおりのリーズナブルなパックがとれた。 うわー・・朝の天気ではこのまま晴れるように錯覚しそうだった。昨日も雨とは無縁のいいお天気だったからだ。 また土砂降りが始まっている。県南では被害で困る人たちが苦しんでおられるだろう。煙るように雨が垂直に落ちてくる。 この街はいつも自然の脅威を免れる場所。
出かけなくてよかったんだな。水をかぶったように濡れるだろうこの雨なら。大量の雨くらいいつもの景色なのにニュースで被害の映像がしっかり映っているのを昨日目にしてしまうと心苦しい雨に変わる。
一昨日の11日は早出。久しぶりに母の元へいくのにこの時を逃せないと思った。面倒なので外食でもしたかったけれど、大雨を控えている天気のためにあきらめる。いつこのように寿司と、大きな切り分けのスイカの甘そうなものがあったので、祖父に供えるため買い込んで行く。スイカが祖父の好物だったから。
弟に祖父の写真を見せようと思いついて、電話で話していた。あれからもう何週間かたつだろう。 スナップ写真をだしてもらい昭和30年代の白黒の世界を眺めた。なつかしい牛小屋がある。若き日の叔父のと小さな兄のポカンとした顔がある。まっすぐ立ってカメラを眩しそうに見つめて映る祖父。
そんな時にちょうど叔父が電話してきて、野菜を今から届けにくるという。元気な姿の母と叔父のツーショットが計らずも残せる事になった。仏壇から赤いスイカがちらりと覗いている。
部屋へ戻った私は眠いのを通り越して(冷酒が効いたのか)遅くまでメールをせっせと書いて弟へ送る。 明日は遅出のシフトだと思い込みが酔いのせいでそのまま気づけなかったようだ。朝になって時計を見て、日勤の申し送りの時間だなと思った瞬間になって、あれ?何か変よね・・。ぎりぎりその時間に気がついたのは辛うじて幸いで そうでなかったら心配をかけてしまうところだった。 15分の遅刻。こんなことで、皆勤手当が消えた。今もう一度調べてみて良かった・・。賞与にさらに上乗せしてもらえる皆勤手当ては一年間での無遅刻無欠勤だと分かった。もうすでに12月に弟のために仕事を遅らせて行ったから、がっかり度が減った。^^;
仕事に慣れてきて、その分の悩みも薄れてきたのに、ぐっすりと眠れないでいるのを分析しないといけない。 リアルな夢、明晰夢というのかな、それが続くので眠りが浅い。気持ちのよくない夢ばかり見る。普段の自分はそんなに機嫌悪いわけではないと思うけど。不満とか怒りとかを抱えているとは思っていない。 去年の今頃は弟がお盆の頃に手術することでの心配と新しい環境へ変わることへの不安と期待とで、真剣な思いをしていた。 今現在の自分はその枷が外れて、心の圧力がない。 でも開放感があるわけでもなく、夏を前にしてこれまでのような、浮いた気分に少しもなれないでいるのは、やっぱりどこかおかしいだろうな。
先週だったか父親は呑気にFBの友達リクエストなんぞを送信してくる。 私も心の片隅でこんなところで互いのやり取りができるといいのではと考えた事もあった。 私の心は硬くなって動けない。苦しんでいる弟のことを考えたら、私という存在は一体何なのだろうか。 親を素直に愛することができなくさせたのは、親自身の言動であること。そのことについて、一体どうやって救えるのだろうか。 ふとした孤独の重みにずっと耐え続けるだけで一生を終らなければならない弟だというんだろうか。 そんな事を考えると、母に甘えたい自分への後ろめたさが湧く。でもそれっていうのも、何か理不尽な気もしてくる、この宙ぶらりんな思いが苦しい。 割り切れない思いを抱え始めた事に気がつく。弱い自分に負けていくのか。
野菜を嬉々として、食べていた時期があったのに、最近そうならない。目先のコンビニのお菓子とビールを求めるようになっている。こんなところに何かが現れている気がする。
今日はまじめにもトイレをきれいにしたりも、したのだけど、料理する気になれない。何だろうこの気持ちは。 父親を嫌い排除し、孤独を抱える弟。何度か話をしてきて、何も展開はなかった。無駄なんだろうか。私がどうにかできると、考えた事。 いや、どうにか今しなければならない時がやっと、来たんだと考えたのだ。 これまでと同じく日常の生活に追われて、またあやふやなままにしておくつもりか。 私が30代のときに、どうにも動こうとしなかったこと、知恵も真心もなくて、自分の快楽にばかり目が行って、お酒を飲んだくれて、まともな男性一人捕まえる事も出来ないでいた自分を恥じて、一流会社で活躍する弟の前に出る事はできなかったこと。そんなことが思い出される。
また同じ事を繰り返すんだろうか。 自分に自信がもてないのかもしれない。 もう若くはないなと外で鏡をみるたびに思う。笑顔はあるけど、もう勢いのようなものがないのだ。張りと言うか。それはそれで、特別に不満でもなく、それもまたよくないのかもね。意欲を持つと言う意味では。 不安もないけど、期待もないというこの感情ってなんだろう。
左の手は悪化というよりもやや、回復というところだ。これまでと違って、指先の力や動きはあると思う。曲がってしまう中指の動きはもう仕方ないようだけど。デジタルピアノを弾くと良く分かる。薬指と中指の立ての動きが壊れてしまっていること。指がぼけている分だけ頭の思考もぼやけるのかな・・。 いろんなことを素直に淋しいと正直に感じることすらできなくなたんだろうか。 建前、強がり、優しさに隠された甘え、自分のこと胸を張っていられるだろかと言う気がしてきた。人にいじめられて、無視される経験。日常の仕事のなかで、見ようと出来ない事がある。それって、トイレ掃除をやったおかげで今、意識を向けて書けたことかも知れない。
私は10代の多感な時期に友達との交流をしてこなかったこと。これも家庭の負い目と関係することでもあるし、まともに振り返ったことがない。もっとも自分の中の大きな問題であったこと、ずっとそれが今現在まで生きる中での核であったことにすら気がつこうとしなかったこと。今何かはじけるようにして、心に浮かんできた。 心の中で・・In my heart of hearts まさにそれだ。。
今日は 何日でしょう・・。そう「9」日である。
やっと大降りの雨がお目見えした。雨音のざわめきを耳にして、思わず外を見たくて、ベットから起き出したのは、目覚ましのベルが鳴る前。 いつもと違う白く煙るほどの雨を眺めて、出勤の時間でないことを幸いに思ったり、もしずっとやまなかったら怖いなとわずかに緊張したりする。
この分だと何事もなさそうではある。・・かな。また大きな雨粒になった。 いやいや、一瞬で終った。
目が醒めたのは、それだけではない。またリアル夢。ちょっと切なくて、いじきたない夢。バイキング料理を母のために一生懸命取ろうとするけれど、あれもこれもと終われなくて、ずっと待たせている。席がずっと遠くで、心配しながらも帰れない。 戻ろうとしたら、なぜか外に出ていて、山道。 すぐそばは崖になっている道をどうやって歩こうかと戸惑っている私。 映画でもみるようにリアルなので、それが気味悪いのだ。
今は何があったとしても、ネットを通じて知った、伊勢ー白山 道 というサイトのおかげで人生に向かう力が得られる。生きていく中の神秘のひとつとさえ思える、大きな出来事ではないだろうかと思うくらいだ。
下書き代わりに長年使わせてもらっているこの日記に気持ちをその場で走り書きのようにしている。 ブログがいろいろあって、楽しい事も知ったのは、切っ掛けになったがそのサイトだった。 それでこの日記の他に何と5つも作って、それぞれを楽しんでいる。
最近続けて、缶ビールを飲んだせいか右手の人差し指に久々の腫れがきた。 アルコールはコンビニで手を出さないでがまんしている。でもスナック菓子は口にしてしまう。あのカリカリという歯ざわりを好んでスッキリする。
昨日は何時頃にじゅうたんの上に横たわったんだろう。そのまますぐ熟睡していた。体も脳も衰えているのか、衰えさせているのか。働きは悪いのは間違いないといえる。 常に頭が詰まった感じがする。
時間はあるものではなくて、作るものだとこの頃切に思える。自分から進んで動かない限り、時間は出来ないということ、現実の厳しい事実だな。
海外のペンパルには憧れていたものだ。すんなりとできるものでもないと勝手に決め込んで忘れてもいた。 けれど、思えば実際の生きた言葉で手紙なり、メールなりのお互いの体から出てくる言葉のやり取りこそ、本物の学習なのではないかと今 改めて感じている。 あれだけお金を使って、スクールへ通い、テキストを使い、英語に触れた気になってきたのに、そのままではプラスチックでできた料理見本でしかないのかもしれない。
何気にサイトに出ていたリンクであたらしい英語学習サイトへ行って見て、登録した。まもなく、メッセージがやってきた。たまたま、その人はアメリカ兵でカブールに駐在しているという人だった。 気軽にメールのやりとりをしてみる事にした。
おとといの日曜の夜のこと。ふとコンビニへ足が向いた。ちょっと小腹がすいたので、おやつを買いに行きたくなったのだ。 アパートの前には道路が整備された5年ほど前につくられた花壇がずっと手入れなしに放置されている。 やっと今年なって、その雑草しかない花壇に見栄えのいい植物が植えられるようになった。 その日コンビニから戻ると花壇には小雨の中、カッパを着た人が花を植えている。思わずありがとうございますと声をかけた。 出入り口の目の前なのでそこはいつも目に飛び込んでくる場所だ。
よく見ると女性だった。近所の方かも知れない。笑顔で向こうも話しかけてこられたので、聴いてみればなんと国土交通省の係長さん。今お金をかけずにここまでやれるいうことを証明してみせたいとのこと。 葉肉植物といってそれを植えると雑草がかなり押さえられるらしい。 一部の花壇でそれを実験的に行っていますという小さな看板とともに整備されていたが、この花壇がなされないことで苦情の電話がきたとおっしゃっていた。
しかし小雨の夜にご苦労様なことで、部屋に戻ってコーヒーを持って行った。名刺と携帯電話まで教えてくれて、ここは自由に手入れをしてもらっていいし、苗がいるときは、取りにくればさしあげますとのことだった。
な〜んだ、それならそうと、早くに何らかの形で告知でもしてくれてたらよかったのにな。勝手に触るのはいけないだろうと思い込んでいたけれど一度だけ雑草を取ったことがあった。 こんな草でもあきれるくらいに根がしっかり張っていて、土仕事ってこんなに疲れるのかと思ったものだった。
胸騒ぎと題して書いていた日のことを読み返してみて、少しの驚き。 日曜に弟へ遠慮の末の約2ヶ月ぶりの電話をかける。これも何となくいつにない自分の行動パターンかな。部屋へ帰るなり、携帯へ手が伸びる。寄り道してラーメンでお腹を膨らませていたのでそんな余裕もできたし、いつもなら何か食べたりして時間がつい過ぎるところ。
なんだか動かされるようにして初めて、夕方早い時間の電話をしていると思うのだ。 元気でいたものと思っていた。友人がアップしたFBの写真で笑顔をみせていたからだ。その日は3日の夜。
なんと聞けば無理して出かけていたこともあり、次の日からまた体調不良で苦しんだらしいのだ。早退と欠勤としてしまうくらいだから半端ではないのだ。仕事を外れることが追い討ちをかけて辛いだろうに。
それから14日の木曜になってやっと回復したと言った。 私は胸騒ぎの頃からしばらく突然やってくる胃痛に本気で診察受けようかと思わされていたりした。14日は母の顔を久しぶりに見て弟のことを話しした日。
繋がっているんだという目に見えない不思議を実感する経験をまた一つ味わったことになる。 電話をかけた日が母方の祖父の命日だったと後で気がついたことも付け加えておこう。
昨日は1ヶ月ぶりの夜勤だった。慣れて落ち着いてやれたので、自分なりにうれしいけれど、客観的な評価ではとても認めてもらえないだろう。小さなミスだらけだ。
睡眠は仮眠で2時間半だというのに昨日は疲れたというほどのものはなく翌日からの2連休を有効に使いたくて、出かけることを考えていた。
陽射しの照りつけが異様な暑さに思えるような午後だった。初夏の手前の晴れ間、でもなんとなくいつもと違う気がする。
広いお風呂につかってゆっくり、というのがパターンだったけど、そこまで疲れていなくて、体が求めていない。華やかな街で新しい季節の服を眺めることにも、気が向かない。
やっぱり、山の緑に触れる場所へ行きたかった。 JRの列車に揺られて、小さな展示館のあるところを訪ねようと思った。兄たちの家族と食事をした店のそばでもある。
夏を思わせる眩しい景色も目にすることが出来た。眠りは深くなって、降りる駅はとっくに乗り越してしまう。辛うじて降りた浮羽の駅のむかしながらの素朴な駅舎と山のなだらかな風景は、小さな旅気分を飾ってくれる。
照り返す日光の熱はたまらなかったけど、案内板を眺めると、歴史資料館があるではないか。ラッキーだった。期せずして一番みたいものがそばにあった。 読みかけの「水神」という小説の題材である五家庄の土地だと気がつく。
熟睡できたからなのか今朝も普通に早起きしているなんて。 まろやかな気持ちのいい朝を迎えている。 外へ出かけたい気分といまから相談始めるつもり。
震度3とか4くらいの地震は日本の上も真ん中も下もそれぞれに頻発はしているようだ。毎日どこかのニュースが出ている。小出しにして大難が消散するのかもしれない。
昨日の朝の照りつける暑さは前の日の午後から続いていたものだ。異様に暑いと感じた。金星が太陽面を通過する日。眩しい朝だった。 その分今朝の雲に覆われた空の優しさとこの空気の柔らかさが無性にありがたいものだ。
休日の数は同じだと思うけど、なぜか妙に休みが多くていつも休んでる様に感じられるのはなんでだ。少し前までは義務感のようにして図書館ですごしていたりしてたからか。最近の心の中は何も思い煩うものを握り締めていない。
先月湯布院に泊まったときに教えてもらったおもしろい鶴の折り方を ある日思い出して、練習してみた。無心になって、指先を動かしているのが以外にも単純に脳トレ効果が大きい事に驚く。 それをきっかけに針仕事へまたやる気を出す。 パッチワークはまた途中でほおっておきがちだったのが最近は毎日楽しみになる。何も考えずに目の前のことだけに集中するというもっとも簡単なことが、実はもっとも大切な健全なことなのか。こそから文字通り一歩足を踏み出して前へ進むことなのか。 真実はこうして目の前に横たわっていたのに、いつの間にか前や後ろや脇ばかりを見てしまう自分だったのではないだろうか・・。
何かいつになく、少し頭が詰まった感じと吐き気。そして異常な眠気。体がおかしい。それでふっと窓の外に目が行くと、その先に丸い満月が私を見ていた。その光をを眺めるとまたなにやら頭がぼや〜っとしてくる。あー、そんな事を思っているうちに雲はその眩しい光を遮っていく。今完全に隠してしまった。そして、この感じだとしばらくは、出てこられないみたい。なんだか少し気味悪いくらいのタイミングで満月が目に飛び込んできたなと思う。憂鬱な気分はどこからきてるんだ。 また大きな地震じゃないよね!
| 2012年05月29日(火) |
10年を振り返ろうか |
もうあと2日を残してこの5月も終わり。この月は季節の変化を実感することもあいまって、割と変化の大きな出来事などを経験する時。新年度や新学期のスタートからのひと月でもあり、流れが自然と身の回りに生じている時でもある。 この10年を思い出してみると、仕事を変わっての2年目の春を迎えて社会人の趣味サークルへ参加して、これまでやってみたかった社会参加を体験することで張り切っていた頃。2003年。 久留米人生活にもなじんできた。仕事ではすったもんだしていた。嫌われてはずされ、辞めてもらうレールの上に置かれた。 まじめに頑張ったので、許されはしたが。 結局それがずっと付きまといながらの職場で終ったわけだった。環をかけて私のほうが心底から相手のことがとても嫌いだった人がいた。その人と空気さえも交える事が嫌だったことも、私の我を張ったいけなさとして、評価されていたのも分かる。
この頃シャーリーマクレーンの著書に惹かれていた。その訳者の講演会というのが北九州であるので、出かけていって、近場の旅行気分を初めて満喫する経験をした。まだその頃は福岡より先の町へ何気に列車で出向くのはとても新鮮なお出かけに思えた。日頃がいかに行動がせまかったかを感じていた。 この経験からが小さなひとり旅の楽しみの始まりになったと思える。 そのあと年末には長崎のマジック喫茶へいける私になっていた。バックパッカーの安宿とかユースホステルとかもまだ知らないで、泊まった素泊まり旅館の部屋で一人寝る夜はテレビにかじりついて灯りは消せず、ビビッていたのを思い出す。 まだしっかり若者気分でいられた頃だなあ。
次の年の夏に 8年ぶりの京都への旅も思い立つ。 40代のうちに気ままな一人旅も最後だと言い聞かせたかもしれない。2004年。
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