空は明るいけど、ほんのわずかな雪が目の前にちらついている。休日の窓の外の灰色の雲から抜け出た光の空を眺めている。
弟は2日間だるさでダウンしてしまい仕事へいけなかったらしいので、昨日の夜は母に電話したら、ついでに向こうへも電話する勇気が出た。
複雑な姉弟ではある。一緒に育つことは現実が許さなかった。父が母に一方的に別れを押し付けて出て行く。残された二人の子供の上に幼い乳飲み子までを母が一人で抱えるのは無理な話でもあった。
一歳半のかわいかった弟は向こうの新しい母が自分の胸に抱きとった。初めてその人に会う機会を設けたとき、その人は連れ戻しに来た母があきらめて帰ったような言い方をした。
確かに育て上げてくれて私自身の中には感謝がないとはいえない。 怒りだの嫉妬だの抱く次元ではない。きれいで上品なおばあさん。母にはないものに父が心底惹かれたことを二人に会った時感じた。
過去は忘れて皆で仲良くできるならというほどの出来事ならばいいのに、それは複雑だ。
父がしたことのいくつかのことで単純に対処できなくさせるから。単にうまくいかず別れたのならまた違うのに。
ずっと心の中に住んでいた私たち家族である弟。会えなくても幸せな家庭を持って暮らしてくれていればとずっと思っていた。 ある程度年齢をきたらいつかまた会うこと、親たちの時代が過ぎたら必ず近づけることだけは信じていた。
年齢の節目を迎えたのと、体の不調にも揺さぶりをかけられたのと、偶然のような、必然のような流れの出来事とが一つに重なってからはもうずっと 家族の再開のことで頭は一色の一年半が過ぎたところだ。
朝に目を覚ますと 白く積もった雪のきれいさが目に入ってきた。 うわっ〜、そういう景色を見ると寒さよりもうれしくなるのが先。
外は頬を刺すような冷たさ、でもすぐにそれも消えるのはわかっている。
橋の上は湿っていてブーツで歩くとつるっと行きそうでまともに歩けなかった。赤ちゃん歩きでいつもの3倍の時間を要したと思う。
旅の写真を眺めてのんびりとYouTubeのサイトで音楽を聴きながらいい気分で過ごした休日。次の日はシフトをちょっと見間違え。大したことではないけれど気の緩みの証拠。
それはスタッフへの気遣いをサボらせたりもする。わがままが出ている。 仕事も人手があるからと気が入っていない。それでも紛れて仕事したように見えるところがいいのか、悪いのか。
良心がチェックしないといけない。体力的には全く楽だといえる毎日の仕事の流れ。給食で頑張っている人たちには今になると頭が下がる思いだ。
始めは重労働から開放された実感で心が浮き立ったりしたかもしれない。 まるで上の段へでもいったかのように。
比較できるものではないけれど、仕事の質の違い。思考回路というか神経というか それが歪められた問題行動を起こす人間との接触ということ。
きのうになって初めてその異常な危険さに肝を冷やした。 普段は皆愛すべき人たちばかりですむのだけど、急変する危険な男性が一人いたのだ。
おとなしい小柄な叔父さんなんだけどね。一緒に同伴買い物に何度も付き合っているというのに 奇異な暴言を浴びせられて面食らってしまった。
こういうことは ここでは日常茶飯事なんだな・・。この病棟はもっとも少ないことらしいけど。 どううまく対処できるのかが一人前の助手の腕の見せ所?
妄想を直すことなどできないのか。話せばわかることなのか。素人の自分がその闇へ入ることをしてはいけないのか・・。
祖父の命日のプレゼントはこの体験だな。
とりあえずはなるべく遠いところまで乗ってみること。ちょうど国東半島の端まで2時間あまりで終点のバスターミナルへいく時刻のバスに乗れた。
窓へ降り注ぐ太陽は暑いくらいで青空と青い海(別府湾か)を横に眺めながら一番前の一人掛けの席に揺られていた。
ターミナルを降りて少しだけ歩くと海岸べりの砂浜へ出られて、しばらく波音と共に押しては引く白い波を見ていた。
振り返ったらひとちぼっちの足跡が、私についてきていた。 なんだか淋しいね。
| 2012年02月05日(日) |
旅日記 北部九州バス三昧 1 |
今年初の旅は 急遽取れていた3日間の休日に合わせての思いつき旅。 出かけるのを間際まで決めかねて思案していた。前日の眠りの中では 家事に専念すべきだともう一人の自分が諭していたし。 お昼すぎになってバスのフリーパスで遠出することにやっと心は決まった。
夏にいった別府の安宿が以外と良くてそこへ行って100円温泉を味わうことにしよう。もう一度行きたかったので今がチャンス。別府駅のあたりにはそんな温泉施設があることをそのゲストハウスに行ってから知った。誰か友達なんかと行きたいと思うところだ。そんな友達もいないのに。 母とか兄弟たちとなんて勝手に夢を描いたりもする。
手軽に駅でチケットを買ってあとはどのバスにでも好きなだけ乗れる。まずは高速の乗り継ぎ停車パス停まで行って大分高速道路へはいる。湯布院あたりの雄大な景色に感動。真近に迫った由布岳が荘厳な感じで圧倒する。
別府について駅のほうまで歩くと竹瓦温泉入り口の表示が目に入ってちょうど良かった。探さずにすむ。宿へ行く途中の道でもあるし先に入って体を休めよう。100円のお湯。
結構な熱い温度でこれが刺激的だ。ふつうのところだと味わえない熱さがこの安さで逆にもらえるとはね。建物は古い歴史を感じさせる情緒がたっぷりでこざっぱりしてきれいだ。入り口をあがるとかなり広い土間にテーブルといすが置いてある。
ちょっと怒りっぽいこの頃でまた、世渡りできない自分というか 頭悪い幼稚さで優劣を突きつける相手に切り返してしまう。切れ者ならば 絵にもなろうが、おばかに他人は見えると思う。
でも・・、お利口になりたくもない。それともわがままで自分本位な証拠なのか、いい格好したいのか。その程度の軽さでやはり恥かしら。そう、知恵が普段から足りないからね。
そんなところを直して正そうとしないことに問題があるのよ。一体何回そうやって劣っていることで排除されていったら気がすむんだよ。全く進歩ないね。まずもって人とうまい関係というものを作った試しがない。友達と呼べる人もとうとう一人もいなくなったな、
そういえば。その分を肉親再会の行動に求めていたりする。 危うい自分がいる。現実の中でどう行動するのか 学生時代からのズレをいつまでもなくせないのか。じわ〜っとそのことを今理解し始めたかもしれない。自分で想像し、かつ、創造した心の壁。
人と同じではない、同じでいられない、いてはいけない、交われない、交わる資格がない。そういっている自分がいた。その自分の奥に姿を消した父の存在が見え隠れする。
苦しかった10代。
そして今はもう中年層の仲間入りを果たしたというのに 心の奥に嫌でも居座る父がまた 愛のない顔をして言葉を投げかけてきた出来事に鈍い怒りの炎が燃えたりした。
でもそれはもう大丈夫 そこは成長なのか、悟りなのか、それとも、幼稚な怒りで口を滑らせてすっとしたからか・・。職場の嫌味な人の言葉に対して。
今日は雪しかふるまいと空は決めているようだ。 雲の色は暗いかと思えばすぐに明るくなるし、青空と 太陽まで見せたりしながらも雪だけは変わらずに 楽しげに舞い踊る。 新年の三が日が過ぎて空気は少しだけ 落ち着きを取り戻すとき。お正月のプレゼントの雪の演出。
病院の表舞台 病棟の中ではお正月は淋しくならざるを得ない のもわかる。家族と一番過ごしたいと思うのは同じだから。 正月の祝いどころではない病気の身に。そんな空気に仕事として 関わることにこれからはなっていくんだな。少しだけぞっとする。 こんな気持ちは初めての経験だった。
いつになくすっきりした目覚めの休日だった。それもそのはず、 一生の夢があっけなく叶ったのだから。 もう明らかに目に見えない 力の後押しを感じるばかりの不思議な有難い出来事の連続はまだ 続いていたのだ。母のもとで手料理を口にする弟をそばで見る私がいた。
今年最後の日を迎えている。大晦日だ。厳しい寒さも感じずにそれほどの 感慨もなく、これでいいのかと思うくらいだ。
いろいろと書けることが あるはずだが、なんせこの頭の回転の鈍さ。幼児性の抜け切れなさ。もう どうにもならないんじゃないかな・・。
何かを始めるのに遅すぎるという ことはないというのは、本当だろうかね。 新しい年を迎えるにはふさわしい変化もたくさんある。 無いのは体力、気力、想像力。あまり不安や 淋しさもないけれど 考えるだけのエネルギーを失っているだけ のようでもある。
書いて残しておべきことを きちんと書けたらいいけれど 同じようなことを繰り返してしまうのは なんでかな・・。
昨日夕方には父と弟から10分違わない時間でそれぞれにメールが 送られていた。
父と私との最初の繫がりはインターネット上の父の書き込み。そして あの80歳過ぎた人とのメールのやり取りから。 東京にいる弟ともメールで話し始めたから 赤ちゃんのときに引き離された兄弟だけどほんの少しずつでも 空白を埋め始めたのはメールで言葉のやりとりをしたから。 メールは家族をつないでいる。
東京へ転勤したと父はメールで書いた。皮肉なことに決して 会わせようというつもりなどなかっただろうと思う。これが 父の誤算であった。逆に大きな前進への扉を開いてくれている。
山の頂から太陽が顔を出してきた そう思って窓から覗くともう とっくに上に浮かんでいる。カーテンで遮られていただけだった。
前の職場での自分のこと、言動や物の見方、心の奥にあったものやなんかがこうして一歩離れてみてよく見えてきたりするものだ。
慣れの中で出てくる甘えとか他人への批判とかの垢をためていたこと。批判する前に自分のいい加減さで周りの人はうんざりしていることを見てみぬふりもした。
そんな風にして何年かが過ぎていたわけだ。結論を出さずには要られない状況は自然に自分の止まらないミスの連続の中で積み重ねられて行く。
それでも口だけは生意気に そして自分かわいいさでの甘えた話。 誰もが嫌っていながらも私の前では思いやりを示してくれて、そして肝心のところでは繫がりをしっかりと遮断する。賢い冷静な人たちだった。
言葉の大事さ その使い方の大事さが今 身にしみて感じられてきた。簡単なようで難しく その影響力の強さというものも。やっと気がつくのかこの年で。
盛り場でお酒の席で酔って男性をもてなし憂さを晴らしてあげることでお金をもらっていた時期が20歳代の大半だった私と 高校生時代の家庭の陰りを人に隠していた心の偏りとが私の人格の中に成熟しない部分を残している。
それともそれは建前であってもっと何か単純に自分の器量の悪さとか頭の悪さとかの問題なのかなとも思えるけど、 それが私の人生を動かす一つの鍵かもしれない。けっきょのところはね・・。
風邪は2,3日もすれば治るものだと思っていたが なんと半月以上をその症状のままに過ごしている。
さすがに薬はもらった。しかしかんじんの頭痛は一向に 治らない。 今朝はやっとまともな思考力がありそうで こうして日記をつけようと思った。ノートの日記帳が 紙が終わったので ちょっとしかたなく・・・。
気分はだいぶんいい朝だけど起きた時の立ちくらみは 初めてだったので気になるな・・。
お盆参りをした次の日からおかしくなっているので なにかあるのは間違いないだろうけど 深く気にしても 切りはないし どうにもならないだろうから 普通にして いようっと。先祖への感謝と愛情だけを忘れずにいいのだ。
目は心の鏡というけど 本当に体調と気持ちは顔に映って いるわね。
新しい職業は精神科の看護助手。 7月まで精神科で病院調理員を していた。9年と9ヶ月ちょうど。そして翌月の8月1日からは 希望していたこの職へ横滑りのごとくして入る。前職の退職を 決意したのは5月9日 頭の中にふっと考えがまさに飛び込んでくる ようにして そのまま私は決心も変わらず流れを進めた。月末に 東京へ行くつもりで連休をとっていたが、この状態で無理と思った。
心を落ち着けて仕事を調べてみるのには最適の時間だった。 その日すぐに 通勤も近いし希望に適うものが見つかり 6月にはいり 面接を受ける。内定の連絡がついたのが6月9日であった。
9日という日は祖父の月命日。 新しい職場は 父親の住んでいる家のすぐそばである・・。
このブログを始めたのがちょうど10年前のことになる。 私は次の月から前職についている。このころに父は70歳にして 法政大の通信部に入り9年間も在籍していることをしったのが 去年の5月のこと。
まともに会って話しをして以来20年近く別れている父へコンタクトを 取ろうと決心をし、気まぐれにネットで名前を検索してみた。 実際は9歳の時に両親の別居が始まっている。 ここまでの話には”9”という数字がつきまとう・・。
ネットの中から現れた父に、私は驚愕した。 いきなりくるとは・・まさかの驚き。しかもそれは 法政大の通信部の宮城県支部の掲示板への投稿文。 ついでに書けばその日付が3月11日。今年に起きた震災になんでかぶるんだろう・・。 父がその年齢で大学での勉強をしていたことにも驚くし そのことを知った日は東京から帰った夜のこと。その日午前中に私は たまたま市ヶ谷の駅側からいく道を選んで靖国神社をめざしていたから 途中の道でビルの壁に大きく"法政大学”の文字を見て ん?なにこれ ここに大学があったのね・・。と思って見ていた。
その日の夜の出来事は涙に咽ぶ経験となった。心の中に隠れていた涙が 開放されたようでもあった。 新しい流れがここから始まった。
去年の今頃は奈良にいた。夏の猛暑も少しも苦にならずに満喫できた。 夢が叶うことの喜びに浸りきる時間。こんなに連休を頻繁にとって許される 職場がそうあるはずないこと、わかっていたかもしれない。職をゆずることへの序曲なのだ。 この年春から数えて6回の遠出の旅をしている。当然 その分 信頼関係を壊そうともしていたことも分かっているし あえてそんな風に持っていったのは自分のほうからでもあった。
恩に対しての感謝の気持ちも充分には示していないまま 最後の勤務の日から4日後に新しい職場へ入る。 その有給休暇の間にはまた いつかしてみたかった阿蘇から別府へ抜ける旅に 調子付いて広島までも足を延ばし 有難い時間を作ることができている。 人のことよりも自分のことばかりだ。
今の仕事は望んでいたとおりのもの。すべてが私にとって調度あうのでは・・。 同じように 馬鹿でまぬけでお粗末な自分をこれからはちゃんと 自分で料理しなければいけないと思う。その時間と体力の余裕はしっかりと もらえていると思う。まるで用意してもらっていたかのような出会いが身近な場所にあったことが 不思議でしかたないとずっと思っていくといい。
感謝も継続しなければ 意味がないのだろうきっと。すべてのことにも 言えそうだ。
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