Web Masterの日記



広島…あれから80年

2025年08月06日(水)

今日は8月6日、広島に原子爆弾が投下されてから今年で80年目を迎えた。
昭和20年8月6日午前8時15分、戦争を知らない世代でも、日本人である以上は
この日に何が起きたかは歴史の授業などで学んでいる。
自分も以前、広島を訪れた時、原爆ドームや平和記念公園、
そして原爆資料館は広島へ来たからには避けて通れない場所だ。

平和祈念式典も例年通り行われた。
ここ数年の猛暑、被爆者の平均年齢の増加もあって式典も様変わりしていた。
しかし、8時15分に1分間鳴らされる鐘の音を聞くと、
テレビ越しでも時間が止まったかのような感覚に見舞われた。
広島市長、広島県知事の話は長かったが、昨今の世界情勢などにも
触れていたりして、タメになる話をしていた。
広島市内の小学校に住む児童の話も広島市に住んでいる子ならではの話で、
本番に向けてスピーチの練習を重ねてきていることが分かった。
一方で石破首相、挨拶で原稿を読みながら話していたが、
ずっと原稿を見ているだけで顔を上げようとせず。
最後に自分の名前を言う時ですら原稿を見たまま。
最後くらい顔を上げればいいのに。
そして、他の人が話している最中では、式典中なのに
居眠りでもしているかのような様子をテレビカメラに抜かれていた。
先月の参院選惨敗がなかった事にされているのが何だか腹が立つ。
まだ広島出身の岸田前首相に挨拶させた方が良かったと思ったよ。

3日後には長崎に原爆が投下されてから80年、
そして15日には終戦して80年目を迎える。
戦争の悲惨な歴史を今後も語り継いでいかないといけないし、
決して原爆投下を風化させてはならない。
もう世界では今もどこかで戦争や紛争が行われている。
終末時計の針は止められないかもしれないが、世界唯一の被爆国として
核兵器の恐ろしさを伝えていかなければならない。


所沢昼飲み会

2025年08月05日(火)

先日の土曜は高校時代の同期とひとつ下の後輩達と所沢で飲み会。
カドワキの目がもうほとんど見えなくなったため13時からカドワキの地元の
所沢で昼飲みという異例の飲み会となった。
同期が集まるのは50歳になった時に集まったので、それ以来12年ぶり。
ひとつ下のマーやウメと会うのは、以前カドワキが新秋津の駅前で
串揚げ屋をやった時の開店祝い以来、それが調べたら2010年8月なので
15年ぶりの再会となった。
ちなみにヒデオやキクチとは覚楽以来。
ササキ行きつけの所沢東口にある居酒屋が本来17時オープンだったが、
特別に13時から貸し切りで開けてもらえたのでラッキーだった。
さすがに所沢で13時から開いている居酒屋なんて見つけられないし。

ヒデオと一緒に東西線から西武新宿線に乗って所沢まで来たが
西武線の駅ってほとんど変わっていない。
実家のあった上石神井も高校のあった花小金井も、ヒデオの住んでいた小平も
あまり変わり映えしない感じだった。
しかし所沢の駅はターミナルだけあり大変貌を遂げていた。
立派な駅ビルもあり、都会を思わせる感じだった。

集合時間より30分ほど早く着いたので駅ビル2階にある喫煙所へ。
その後、本屋で涼んでいたら、輩風の男が俺たちに手を振っていて
一瞬、怯んだが、それがササキだと気づくまで数秒かかってしまった。
続々と着いたとグループLineに入ってきたので下に降りると
キクチがいたので合流すると、ナガシマはすぐに分かった。
そしてマーもなんとなくわかったが、ウメに関しては風貌が変わっていて
理解するまでやはり数秒かかってしまった。
ヒデアキも合流し、あとはカドだけと思っていたら後ろから視線を感じ
振り向くとカドが立っていた。
集合時間を1時間間違えていて11時くらいから改札で待っていたそうだ。

店での3時間は思い出話であっという間。
急遽、1人1000円追加で1時間延長。
それもホントあっという間だった。
それだけ楽しい時間だった。
やっぱり高校時代の友人は一生の友人だというが、その通りだと思う。
もうみんな還暦を超え、ウメに至っては孫までいるのに
みんなが揃うと、あの17歳、18歳の頃と同じ感じに戻ってしまう。
話題も話し方もまさしく当時のまま。
この場には奥さんも子供もいないし、仕事などのしがらみのない。
なので素直な感覚のまま、当時に戻れるんだろう。

これで終わりにするのは寂しいので、また定期的にみんなと会う場を設けたい。
みんなが元気なうちは何度でも会いたい連中だ。
だけど所沢はやっぱり遠いな…。
カドワキがいる以上、所沢一択になってしまうのは仕方ないけど。


8月

2025年08月01日(金)

早いもので今日から8月。
今月は待望の夏休みがある。
楽しみな8月が始まったが、いきなり初日から大忙し。
5時台に2名の韓国人カップルが入店したと思ったら、
その30分後くらいに韓国人8名の団体が入店。
さらに4名の韓国人、18時には8名の日本人団体客、さらに2名…。
30分くらいの間に来客が集中し、18時過ぎにはあっという間に満席状態。
怒涛の8月初日となった。
一気に料理が集中したので、めちゃくちゃ疲れたが明日は
高校時代の友人たちと所沢で昼呑み。
約12年ぶりに会う同期や、それ以上振りの後輩もいる。
所沢に行くなんて何十年ぶりだろうか。
それにしても台風が逸れてくれて良かったけど暑そうだな。


津波警報

2025年07月30日(水)

カムチャッカ沖でM8.8の地震の影響で、ほぼ日本列島すべてに
津波警報及び津波注意報が発出された。
まさか東京湾にも20センチの津波が到達するとは。
房総半島と三浦半島に囲まれた東京湾は、よほどのことがない限りは
津波は来ないと言われていただけに、東京湾内・晴海0.2メートルには驚いた。
そして、ハワイのマウイ島では1.7メートルの津波だったとか。

テレビをつければ各局とも津波関連のニュースばかりで
画面には「津波にげて」の文字まで。
東海道線や横須賀線、新宿湘南ライナー、内房線に外房線、京浜急行など
運航中止になったため、早い時間から帰宅した人も多かったはず。
なので月末なのに夜の銀座の街は人もまばらで店もヒマだった。
不思議と外国人すらあまり歩いていないように思えた。

津波警報はすべて注意報に変わったが、まだ予断を許さない。
もしかして先月から一部の間で騒がれていた日本に大津波がやってくる
と言われていた7月の災害って、これのことだったのか?
まさかね。


暑い

2025年07月28日(月)

梅雨明けしてから毎日毎日、暑い日が続いている。
日中なんて殺人的な陽射しなので長時間の外出は自殺行為。
しかし昨日の日曜は灼熱の三郷で自由練習。
多少、風が吹いていたのでまだ耐えられたが、やはり8月は止めておこう。
まだ7月、これから8月、9月と暑い日は続くだろう。
ここ数年は10月まで残暑厳しい。
とにかく暑い日はまだまだこれからが本番だ。
健康管理に気をつけながら過ごさなければ。


ジャングリア

2025年07月25日(金)

ついに今日、沖縄今帰仁村にジャングリアがオープンした。
テレビでいくつかのアトラクションを紹介していたが面白そうだ。
10月に沖縄に行くけど、前売りチケット買って行ってみようかな。
チケットは全て前売りだけみたいなので、激混みはないかも。
まだ10月まで日があるので、いろいろ下調べしてみよう。


地味

2025年07月22日(火)

なんだか今月は地味に忙しい感じだ。
6月のような派手な忙しさではないが、なんかじわじわとした忙しさ。
このまま夏休みまでこんな感じなのかな。


参院選

2025年07月21日(月)

昨日行われた参院選は予想通り与党の自民、公明両党の獲得議席が
野党を下回る惨敗に終わった。
これで石破首相の責任問題は避けられない状況だろう。
自分は先週、期日前投票を済ませていたが、今回の投票率は58%前後。
前回の参院選を上回ってはいるが、42%は投票していないということ。
まぁ、投票しなかった人は、今後の政治に口を挟む資格はないね。

石破政権が誕生してからまもなく10ヶ月。
その間に就任早々、自らけしかけてきた解散総選挙、今年に入ってからの
都議会選に今回の参院選と全て敗北。
その間の場当たり的な対応を振り返れば、こうなる結果は必然だった。
本来なら進退伺を出すべきところが、出てきた回答が「続投宣言」
本当に、どこまで厚顔無恥なんだろうか?
総理になる前は、こんな人じゃなかったと思うのだが。
だけど、おそらく早いうちに自民党内から解任決議が下されると思うけどね。

いずれにしても、今回の参院選の結果を見れば、現在の政権に対する不満の声が
大きいということがはっきりした。
物価高、諸費税減税、103万円の壁、ガソリン暫定税率廃止、外国人問題など
課題は山積みなので、連立の枠組みを広げて安定を図っていってほしいものだ。

参政党が躍進した件に関しては、どうも、胡散臭さしか残らないのでノーコメント。



2025年07月19日(土)

今日は土用丑の日、なので久し振りに鰻を食べた。

うなぎと言えば関東では背中からで、関西ではお腹からさばく理由は?
実は「うなぎが開いて調理されるようになったのが江戸時代」
ということが関係しているのだ。
土用の丑の日といえば、夏の暑さに負けない精力をつけるために
うなぎを食べるのが日本の習慣になっている。
一説には、この習慣は江戸時代に知人のうなぎ屋から
「どうやったら夏にうなぎが売れるでしょうか」と相談された
本草学者の平賀源内が「今日は丑の日」と書いた張り紙を書いて宣伝しなさい
とアドバイスしたことから始まったともいわれている。
この逸話が事実なら、それ以来、日本人は平賀源内のキャッチコピーに
すっかり踊らされていることになる。
7月半ばになると街中では香ばしいタレの香りがただよい、
うなぎ屋の前に行列ができ、スーパーにはうなぎの蒲焼がずらっと並べられる。
全国どこでも同じように思えるが、実はうなぎの捌き方が関東と関西で異なる。

関東のうなぎは背中から捌かれているのだが、関西のうなぎは腹から捌かれている。
同じうなぎなのに関東と関西で捌き方が異なるのは、うなぎを開く調理が
江戸時代に始まったことに理由がある。
うなぎは江戸時代よりも前から食べられていたが、開かずにぶつ切りにして
串に刺して丸焼きにしていた。
それが江戸時代になってからは開いて調理するようになった。
この際、武家社会だった関東では「切腹」を連想させることから
腹開きは避けられ、背開きが一般的になった。
また、背中から捌いたほうが姿形が整ううえ、うなぎの脂肪は背中に多いので
落ちにくいという利点もあった。

一方、商人が集まる関西では自腹を切ってもてなす、腹を割って打ち解ける
という意味を込めて腹開きが一般的になった。
背中から捌くより包丁が入れやすいという理由もあったようだ。

開いた後の調理の仕方も関東と関西では違いがある。
関東ではあまり煮詰められていないサラッとしたタレが使われるため、
脂がタレをはじいてしまわないように一度蒸して脂を落としてから
タレに付けて蒲焼にしている。
一方の関西はとろみのあるタレを使うので、蒸さずにそのまま焼くのが特徴だ。
タレの付け方も、関東ではタレの中にうなぎをくぐらせるが、
関西ではひしゃくでタレをすくってうなぎにかけるのが一般的である。
また、関東では頭を切り落とすが、関西では頭をつけたまま焼くのが普通だ。
これは、うなぎも魚だから尾頭付きが当たり前だという考え方からだという。

関東風と関西風のうなぎの調理法の分かれ目は静岡県の浜名湖周辺にあるらしい。
浜名湖周辺では関東風が多く、それより西では関西風が多くなるようだ。
これは1510年(永正7)に大津波が起きて、浜名湖畔にあった宿場が水没して
渡船区間となったため、東西の交流が妨げられたからだと考えられている。

今月は31日にも2度目の土用丑の日がある。
その日もうなぎが食べたくなるかも。


梅雨明け

2025年07月18日(金)

今日、梅雨明けが発表された。
結局、昨年と全く同日。
あの梅雨入り直後、6月中旬の猛暑は何だったんだ?
一時は梅雨前線まで消滅していたのに。
まぁ、もう日本は昔の常識は通用しない気候になってしまったので
今後はさらに亜熱帯的な気候になっていくんだろうな。
そして夏と冬しかない国になってしまうのかも。
明日からの3連休は猛暑日が予想されている。
正式に梅雨も明け、いよいよ本格的な夏がやってくる。
暑さで体調を崩さないよう気をつけよう。

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