Web Masterの日記



3連休

2024年07月15日(月)

アッと言う間に3連休が終わってしまった。
VOXYにリコールが出たのでディーラーに行ったくらいで
特にやることもなかったが、とりあえず疲れた体を休めるには良い3連休だった。
次の連休は夏休みまでないのか…。
それまで頑張りすぎないくらいにガンバロウ。


都知事選

2024年07月10日(水)

7月7日の七夕の日に行われた東京都知事選。
都内の有権者数は1100万人以上で前回2020年の都知事選の時より
約65000人も増え過去最多であり、ひとつの地域の首長を決める選挙としては
世界一の規模だという。
また東京都の年間予算規模はスウェーデンやオーストリア、チェコなど
中規模国家並の16兆円とも言われている。
そのメガシティ東京のトップを決める選挙は、現職の小池百合子が
20時の開票と同時に当選確実が出て2位以下に大差をつけ圧勝。
3度目の当選が決まった。

今回の都知事選、前回の22人を大幅に超える56人もの立候補者。
しかし、その大多数は泡沫候補ばかりなので小池百合子の3選は順当な結果だ。
まぁ、都民が小池百合子を選んだというよりは、正直言って他に選ぶべき人が
いなかったというのが本音でもある。
今までも必ず現職が当選してきた都知事選だが、ライバルが小物ばかり。
立憲民主党と共産党が推した蓮舫は絶対にないと確信していた。
だいたい立憲と共産党が組むこと自体、根本的におかしい。
社民党と共産党が組むなら分かるが、ただ選挙のためだけの同盟っていうのも
有権者をバカにしている。
国会で野党第一党の立憲民主党の支持が上がらないのは
そんなことを簡単にしてしまう薄っぺらさだろうね。
党としての信念がなければ支持率なんて上がらない。
広島県安芸高田市の市長を途中で投げ出した石丸なんとかも器じゃない。
とりあえずネットを駆使して2位には入ったが惜しくも2位ではない。
あれだけトップと差が付けられれば惨敗の2位だ。
安芸高田市すらまとめられない人間が東京のトップなんて勤まるわけない。
そう考えれば現職の小池百合子一択になる。
まぁ、今まで都知事として大きな失策もなかったし、数年はコロナ対応で
大変だったし、それらのことを加味しての圧勝だったと感じた。
しかし、今後に取り組むべき課題は多いのは確かだ。
東京も少子高齢化が進んでいて、遠くない将来には人口減少も始まる見通し。
それをどう食い止められるか注目したい。

今回の都知事選投票率は60.62%と平成以降で2番目の高さだった。
選挙は我々、一般市民が政治に参加できる唯一の機会なので、積極的に投票すべき。
投票しなかった人に政治批判する資格はないと思うのでね。

一方で候補者が乱立した影響か、選挙とは無関係のポスターの掲示が相次ぎ
大きな問題となった。
掲示板には候補者と無関係のポスターが大量に貼られ、品位を欠く政見放送も。
有権者を愚弄するような活動をどう防ぐのか。
公職選挙法の見直しは絶対にする必要があると思う。


多国籍軍状態

2024年07月08日(月)

今日もすげー暑かった。
何もやる気が起きないほどの暑さだったな。
こんな暑い日、わざわざ目の前で鉄板に火を着けて食事なんて…
普通の人なら当然そう考えてうちのような店は避けられる。
だいたい7月から9月のクソ暑い時期はヒマなのだ。
しかし今は円安インバウンド景気の真っ最中。
予想通り日本人客はゼロだったが、外国人観光客が早い時間から来店。
アッと言う間に店内は多国籍軍状態になった。
素直な感想を言わせてもらえば「よくもまぁ、こんなに暑いのに来るな(^^;)」
まぁ、みなさん満足して帰って行ったのでいいんだけど。
梅雨だというのに真夏のような暑さは明日も続くようだ。
明日も多国籍軍状態になるのかな?

あ、昨日の都知事選に関してはまた明日にでも書こう。
それにしても蓮舫、3位って赤っ恥だな。
自分も大嫌いだが、やっぱ同じく嫌いな人が多いんだろうね。
正直、薄っぺらいんだよね、何言っても。
まったく響かないし器じゃないので惨敗すると思っていたが、その通りだった。
良識ある都民が多くて良かったよ。


皮膚炎

2024年07月04日(木)

慰安旅行の前々日くらいから気になりだしていた
左瞼とその周辺の赤みだが、皮膚科に行って塗り薬と飲み薬を
処方してもらったが、いまだ回復していない。
回復どころか痒みも出てきたため、寝ている時に掻いてしまったようで
少し腫れてしまい逆に悪化していて、とても人様に見せられるような顔ではない。
完全に炎症を起こしているので俗に言う皮膚炎だ。
ただでさえ重い瞼なのに、さらに重くなって朝なんか目を開けるのも大変。
車の運転もほぼ片目状態なので相当、気を使いながらの運転。
頬の腫れを隠すためにマスクは必須だが左瞼は眼帯をしようと思い
買って付けたはいいけど、かなり違和感がありすぐに外してしまった。

早く良くなってもらわないと、左アキレス腱のリハビリにも行けないし、
床屋にも行きたいのに行けない。
なので診察から1週間以上経ち、飲み薬もなくなったので
明日また皮膚科に行って診てもらうことにした。
最初は疲れからくる免疫力、抵抗力が落ちてきているだけと言われたが、
痒くなって掻いたことによりばい菌が入ってしまったのかもしれない。
左瞼と左頬だけだったが、今は右側や額も痒い感じがする。
まぁ、この季節は汗をかいて背中とかも痒くなる。
極力、掻かないように我慢しているが、寝ている時は分からない。
とにかく1日も早く人前に出られるような状態に戻らないと…。


新紙幣

2024年07月03日(水)

20年振りに紙幣のデザインが変わり今日から流通が始まった。
残念ながら今日の会計で新紙幣はお目にかかれなかった。
と言っても、今日の会計で現金だったのは1組のみ。
あとは全部、クレジットカード払い。
4月くらいから現金をクレジットカードが逆転。
今は約7割近くがカード払いになっている。
日本もこのままキャッシュレス社会になっていくのかね?
そんなこともあり新紙幣の現物を見るのは随分と先になりそうだ。


半分終了

2024年07月01日(月)

今日から7月突入。
と言うことは今年も半分が終わってしまったということだ。
思えば6月だけでなく、今年半年メチャクチャ忙しかったな。
特に今まで経験したことのないくらいインバウンドの来店が相次いだ。
それも開店直後から怒涛のように来店し、18時30分には満席になる日が
数えられないくらいあった。
日本人の大勢の宴会は激減したが、それを上回るインバウンド攻勢。
なので1月から6月までの半年間、すべてコロナ前を上回る売り上げ。
今日からの残り半年も同じような状況が続きそうだな。
あまりにも忙しすぎて、ずーっと立ちっぱなしだから左足アキレス腱の痛みが
全然、良くならないどころか悪化している感じもする。
また、疲労で抵抗力や免疫力が落ちているせいで、左瞼や左頬の赤みも
薬を塗っているんだが、全然治らない。
何度もここで書くが、昨年いっぱいでのチームの解散、ベストなタイミングだった。
こんな状態じゃ、日曜に早起きして試合なんて絶対に無理だ。
とりあえず、身体に鞭打って残り半年もガンバロウ。


那須覚楽慰安旅行その2

2024年06月27日(木)

昨日はあまりにも眠くてパソコンも起動せずに寝てしまった。
最近、全然疲れが取れない。
やっぱ歳なのかな…。
というわけで一昨日の那須覚楽慰安旅行の続き。

覚楽に到着し、みんなのようにすぐにロビーの椅子に座って
お茶を飲むことはできず、ヒデオやミキチャンと一緒に覚楽の関係者へ挨拶回り。
そういえば1995年から2008年の14年間、覚楽に入る時はいつも練習後、
泥だらけのユニフォームで申し訳ない気持ちもあった。
今回、初めて普通の私服で覚楽の門をくぐることになった。
あ、でも1996年にヒデオとミキチャンの結婚披露宴・那須公演の
司会をやるために訪れた時、この時だけはユニフォームじゃなかったか。
覚楽への手土産は銀座三越に入っている銀座ウエストのリーフパイ。
銀座土産1位にも輝いた逸品だ。
みんなが部屋に案内された後もヒデオと一緒に宴会場を見せてもらう。
コロナの影響で覚楽は今まで何度も使っていた畳の大きな宴会場を
幾つかに仕切り、テーブルの宴会場になっていて、最大収容人数は20名ほど。
うちの店もそうだが、コロナが明けても大人数の宴会って
もうほとんど無くなっているんだろうな。
最大収容人数20名なので、オカムラのお母さんとオカムラの嫁さんと次女の3人は
別室での食事になる予定だった。
しかし使用する宴会場を見せてもらったところ、詰めれば参加者全員座れそう。
なので、せっかく用意してもらっていたが無理を言って
別室の3人も一緒の大宴会場で食事できるようにしてもらった。
もしメンバーのほとんどが参加し、30名近くの人数になっていた場合、
大宴会場は大人だけにして、子供たちは別の中規模な宴会場で
食事をしてもらう予定だった。
今回、オカムラのご両親が参加だったが父親は都合が悪くなりキャンセル、
母親は何度も試合を見に来てくれているので、メンバーもよく知っている。
なので食事も一緒の方がいいと思い、無理やり席を作ってもらったが
そんなにキツイ感じは全然しなかった。

なんだかんだ到着から30分以上経ってから、ようやく部屋に入ることができ
荷物を置いて浴衣に着替えてすぐに温泉へ。
16年ぶりの覚楽の温泉、懐かしかった。
かなりの宿泊客がいたが、温泉は常にチームメンバー貸切状態。
温泉を出たところに無料の湯上りアイスクリームまであり至れり尽くせり。
そして17時に先ほど見た大宴会場で夕食。
これがまた豪華かつものすごい量。
なんか昔よりメニューの項目が増えているような感じもした。
そして覚楽と言えば鮎、もちろんメニューの中にあった。
16年ぶりの訪問ということもあり覚楽から地酒と焼酎のボトルがサービス。
また、最初に頼んだビールや烏龍茶、ジュースなどの飲物は昔から
チームと覚楽の窓口になってくれていたスタッフからのサービスとなった。
あまり酒飲みのいないメンバーだったので日本酒と焼酎を貰っても
全部、飲み切れるか心配だったが、口当たりのいいお酒だったみたいで
結局、2本とも飲み切ってしまい、サービスされたビールもアッと言う間になくなり
追加するほどみんなで盛り上がることができた。
オカムラのお母さんも積極的にメンバーと話をしていて楽しそうだったので
やっぱり別室にしないで本当に良かった。
最後の三種のデザートまで全部食べ切ったが、ものすごく腹一杯。
昼飯の「山ぼうし」では食欲がなく全部食べることのできなかったチャーミンも
なぜか絶好調になり、ほぼ完食したようだった。
やっぱり気の合う大勢の仲間と一緒だと楽しくて食も進むんだろう。
ちなみに仕事終わりで遅れて18時30分頃に合流したニカミも一気食いして
あっという間にみんなに追いついていた。

宴会後はクーラーの室温17℃、別名「ペンギン館」のノリゾーやチャーミンの部屋で
二次会だが、みんな腹一杯だったので、お菓子やパンなど、それぞれいろいろ
買ってきていたがあまり食べることができず。
イトークンとチャーミンは早々に布団に入ってしまうし。
それでもアチ、リサ、チーの三姉妹から3日前に61歳になった自分に
誕生日ケーキとプレゼントまで…まさかのことだったのでマジでビックリした。
23時くらいに解散になり就寝。
寝る前に温泉に行こうと思っていたが、寝不足のためあまりにも眠くて断念。
朝風呂のため5時40分にスマホのアラームをかけて眠りについた。
ヤマチャンのイビキがFAXの受信音のように「ピーヒョロヒョロヒョロ」
ヒデオと深夜に大笑いしてしまった。

翌朝、アラームが鳴る前5時半頃にヒデオが風呂に行くため起きたので
ヤマチャンと3人で朝風呂へ。
風呂を出てヤマチャンと1階入口外にある喫煙所で庭を眺めながら喫煙してると
ヤマチャンが一言「アラーム消してない…」
自分は起きた時にちゃんとアラームを消したが、ヤマチャンは消さずに
風呂に来たようで部屋ではタツヤが1人で寝ていたはずだが、
きっとアラームで起こされたかも。
かわいそうに。

7時から昨夜と同じ場所でみんな一緒に朝食。
夕食もそうだったが朝食もボリューミー。
さすがにおかわりも半分だけにした。
ニカミは6杯もおかわりしたみたいだ(-o-;)

朝食後、最後にもう1度温泉に入ってチェックアウトの準備。
ほんと楽しい時間はアッと言う間だ。
外は雨が降っていたので最後に室内で集合写真を撮って
16年ぶりにお世話になった覚楽へお別れの挨拶。
大女将さんやタツヤと同い年の跡取りの息子さんまで出てきてくれた。
たった1泊だったが、思い出深い覚楽で、みんな楽しい時間を過ごせたようなので
那須覚楽での慰安旅行は大成功。
16年ぶりに幹事をしてくれたヒデオとがっちり握手をし、
また来年の覚楽訪問を約束して駐車場で解散。

その後はノリゾーやテッチャン、ヤマチャンと一緒に黒磯駅前のパン屋へ。
そしてヒデオに紹介された高林産直会という野菜が安く売っている場所へ行ったが
もう朝一で売れてしまったのか、思っていたほど品が無かったので
西那須野IC手前にある道の駅へ。
ここはかなり混んでいたが、それなりに品があったのでノリ家は
大根をたくさん買っていた。
駐車場で偶然にイトー家と遭遇したのもチームの縁を感じた。
ノリ家とはここで別れ、テッチャン家と佐野ラーメンを食べにいく。
佐野藤岡ICで降りて佐野市街とは逆方向の栃木市方面へ。
佐野にはアウトレットがあるため佐野市街は混んでいると考え、
先ほどの道の駅でみんなが買物中に検索した逆方向の佐野ラーメン屋を目指す。

目的のラーメン屋は大通り沿いで50台くらい停められる駐車場もあった。
そして店内も1階はカウンターと小さなテーブル席しかないが
8人いっぺんに座れる座敷が2階にあったため、すぐに入店することができた。
普通の佐野ラーメン屋は駐車台数も少なく、店も小さいため
8人なんて絶対に一緒に座ることなんてできないが、
偶然検索したこの店はまったく問題なかった。
それらの情報は検索では見ていなかったので自分の引きの強さに感服したね。
しかも創業45年以上で佐野ラーメンという名称が付く前から営業していて
佐野ラーメンの元祖的な店でもあった。
この店で修業した人たちが佐野市でラーメン屋を開業して佐野ラーメンが
ご当地ラーメンとして流行るようになったという。
「ケンミンショー」でも紹介された地元では有名なラーメン屋のようだ。
駐車場には続々と車が入ってきていたし。

2階の座敷で待っていると、予想よりも早く着丼。
佐野ラーメン特有の青竹で打った手打ち縮れ麺。
太さも厚さもバラバラなのが青竹で打った証拠でもある。
そして佐野ラーメンは絶対に「なると」が入っている。
チャーシュー3枚は食べ応えがあった。
麺も大盛りじゃないかと思うほど多かった。
そして、この店の売りでもある揚げ餃子も頼んだので超腹一杯になった。
ちなみにチャーミンはまたまた食欲がなくなり、ほとんど残してしまった。

テッチャン家とはここで別れて帰路へ。
途中、PA全体が鬼平の舞台の江戸屋敷になっている羽生PAに寄ってあとはノンストップ。
首都高に入っても渋滞している場所はなく、順調に走ることができた。
今回の那須までの慰安旅行で走った距離はドライブアプリの数字を見ると
1日目は212キロで2日目が202キロ。
燃費は両日とも約20キロくらいだった。さすがハイブリッド。
そして2日目の帰る途中、買ってからの走行距離が10000キロを超えた。

この慰安旅行、実はあまり体調が良くなかった。
6月も毎日のように多くのインバウンドが来店し、常に満席状態。
なので朝、豊洲市場や築地場外に仕入れに行く回数も増えていた。
そして前日も遅くまで来客があったため、帰宅したのは23時過ぎで
すぐに風呂に入って寝たが、翌朝は5時起き。
本来はチャーミンの車で行くはずが、自分で200キロ以上を運転することになった。
ただでさえ左足のアキレス腱の痛み、左太ももの肉離れの痛みに加え、
疲れと寝不足のために免疫力だの抵抗力が極端に落ちているようで
左瞼やその周辺が痛みも痒みもないが少し赤くなって腫れていた。
発熱とかだるさはないが、身体が完全に疲れ切った状態だった。
だけど納会以来、みんなに会うと、やっぱ疲れや寝不足なんて吹き飛ぶね。
相変わらず左足は不自由だし、左瞼の腫れは引いていないが
本当に楽しい旅行だった。
この1回だけでは寂しいので、必ずまた来年、みんなと訪れたい。
それにしてもハイシーズンでもないのに那須はやっぱり観光地なんだな。
どの店も多くの人が訪れていた。
首都圏から日帰りでも宿泊でも来れる場所だしね。
思っていたより外国人観光客はいなかったけど。
外国人は手前の日光に行くんだろうな。

ちなみに左瞼の腫れや周辺の赤みは今日、皮膚科で診てもらったが
やはり予想通り、疲れや寝不足による免疫力の低下が引き起こした症状で
汗で悪化している状態なので塗り薬と飲み薬を処方してもらった。
人に感染したりするものではないのでご安心を。
いや〜、最近ほんと疲れているのが自分でよく分かる。
いっぺんに10日くらい休んで、何もせずに身体を安静にしていたら
悪い箇所なんてすべて治るような気がするんだけどな…。
あんまり儲けても仕方ないんで、いっそ本当に休んじゃおうか計画中(^^;)


那須覚楽慰安旅行その1

2024年06月25日(火)

先日の土日は昨年で解散したチームの慰安旅行で久しぶりの那須覚楽へ。
チームが誕生した1990年の翌年の1991年、当時旅行会社に勤めていた
ヒデオの入団により1992年から夏合宿が毎年計画、実行された。
記念すべき最初の夏合宿は1992年、那須のペンション「チロル」へ。
1993年は白樺湖ファミリーランド、1994年は棚倉へ行った。
そして1995年から夏合宿を止めた2008年まで実に14年連続で
那須黒磯の覚楽にお世話になり、今回の慰安旅行も夏合宿の聖地・覚楽一択。
2008年の夏以来なので16年ぶりに訪れることになった。

本来ならチャーミンの新車に乗せて行ってもらう予定だったが、
チャーミンがまさかの事態になったため、自分のVOXYで行くことに。
6月22日、6時15分にチャーミンとシズラーが来て曇り空の中、那須に向けて出発。
退院明けのチャーミンはまだ本調子ではないようだった。
木場ICから首都高に乗り、東北自動車道へ入り佐野SAまでノンストップ。
ピーカンな天候になった佐野SAで少し休憩し、次の上河内SAでも休憩。
9時すぎに那須ICで降りて那須街道を覚楽とは逆方向に走り
最初に寄ったのは「チーズガーデン」
ここでチーズケーキソフトクリームを食べる。
次の目的地に向かおうとした時、ミキチャンから「バターのいとこ」に
行くとのLINEが入る。
偶然にも自分たちが行こうとしていたのも「バターのいとこ」
「チーズガーデン」のすぐ近くだったが、駐車場の入り口を間違え
一度スルーしてしまい少し時間がかかって「バターのいとこ」に到着すると、
すでにヒデオやミキチャンが並んでいたのでシズラーと美穂も列に加わる。
横入りじゃなく、ヒデオとタツヤの代わりにシズラーと美穂が並んだ。
女性陣が買っている間、チャーミンとヒデオは納会以来の再会に
興奮して楽しそうだった。この興奮が次の場所で酷い目にあうのだが…。

ヒデオたちと別れて那須街道を北上し「道の駅・友愛の森」へ行くが、
車を降りた途端にチャーミンの具合が悪くなる。
救急車を呼んだ方がいいのか迷うほど具合が悪そうで焦った。
さっき「バターのいとこ」でヒデオと会って興奮して騒いだからか
いきなり目の前が真っ白になったらしい。
しばらくベンチに座って休んでいたら、なぜか急に復活。
やっぱり1週間以上も入院していたので体力も落ちていたが
とりあえず復活してくれてホッとした。

続いて昼飯のため「山ぼうし」へ。
ここは昔、合宿の時に2度ほど訪れたレストランだが、今はうどん屋になっていた。
開店が11時、その7分くらい前に着いたが、店内真っ暗で人の気配もない。
もしかして今日、休みなのか?と不安になっていると、
ここで合流するテッチャン達が到着。
開店1分前になっても店内に動きはなく不安が募り、女性陣は車内で
他の食べる場所をスマホで探していたら11時ちょうどに営業中の看板を持った人が
店から出てきて店内も一気に電気が点り普通に開店となった。
鶏天うどんにミニ豚丼のセット、さらにライスコロッケも注文して食べたが
ん〜、昔のレストラン時代に食べたトンカツ定食の方が美味しかった。
というか、うどんの汁がしょっぱかったな。
あれが北関東のデフォルトなのかな…?
だけど美穂の食べたカレーうどんやエリの食べたサラダうどんは
美味しかったみたい。当たりはずれがあるのかな?

ここでテッチャンたちとは別れ「山ぼうし」の前にある「フィンランドの森」へ。
昔、1度だけ来たことがあるみたいだが、まったく記憶になかった。
いろいろ見て回ったが記憶は甦らなかった。
さらに那須街道を北上してアジアンオールドバザール」へ。
広大な敷地にシズラーの好きそうなアジアングッズや洋服が沢山ある。
インド・ネパール市場、タイ・ベトナム市場、インドネシア市場と
3つの市場があり全部観て回るだけでもかなり時間がかかった。
ちなみにチャーミンは「山ぼうし」でもほとんど食べることができなかったので
体調を考え「フィンランドの森」も「アジアンオールドバザール」も
車から降りず車内待機だった。

「アジアンオールドバザール」から再び「フィンランドの森」に戻る。
13時30分にサンタクロースがやってくるので、せっかくだから会いに行ってみた。
14時にミキチャンの実家に寄る約束をしていたので
早々に「フィンランドの森」を出発。
しかし時間より早く着いてしまったのでミキチャンの実家を素通りし、
覚楽の近くにある昔、よく買い出しに行った「ラ・パーク長崎屋」が
「MEGAドンキホーテ」になっているので寄ってみた。
「ラ・パーク長崎屋」時代、入口を入って正面にあったクレープ屋が
まだ健在だったのは、なんとなく嬉しかった。
ここでノリゾーやアサコとクレープを買って食べた思い出がある。

「MEGAドンキホーテ」で時間つぶししてミキチャンの実家へ。
夏合宿の時、那珂川河畔公園や寺子小学校、くろいそ球場、東原小学校など
毎年グランドを確保してくれたミキチャンのご両親に今までのお礼と
チーム解散の報告のためご挨拶させてもらった。
ちなみに手土産は銀座松屋デパート屋上の養蜂で集めた蜂蜜を使った
銀座の蜂蜜カステラ&銀座の蜂蜜バームクーヘン。
銀座松屋でしか買えない有名な東京土産でもある。
30分弱、ミキチャンのご両親と昔話をしてヒデオたちと覚楽へ。

ミキチャンの実家から覚楽まではヒデオのヴェルファイア先導だが
さすが通い慣れているのか、ナビでは案内されない抜け道を走りながら
アッと言う間に覚楽の駐車場に到着。
すでにノリゾー家、イトー家、オカムラ家、ヤマチャンも着いていてロビーで寛いでいた。

長くなってきたので続く。


梅雨入り

2024年06月21日(金)

近畿、東海、関東甲信と一気に梅雨入りした。
昨年の梅雨入りは6月8日だったので昨年より2週間ほど遅く
関東では観測史上3番目の遅さだとか。
ちなみに一昨年の2022年の梅雨入りは6月5日で、
梅雨明けが史上最速の6月27日だった。
しかし後に7月23日に訂正されるという初の事態も。
さて、今年の梅雨はどれくらいの長さなんだろうか?
明日から慰安旅行だが、とりあえず明日の天気は大丈夫みたい。
梅雨の期間も梅雨明け後の夏もしばらく暑い季節が続く。
健康管理に気をつけて過ごそう。


梅雨

2024年06月20日(木)

東京はまだ梅雨入りしていないどころか連日、暑い日が続いている。
そんな中、昨年より5日早く沖縄が梅雨明けした。
東京は週末にも梅雨入りしそうな気配だが、今年の梅雨は短いようだ。
水不足や野菜の高騰が問題にならないといいが。

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