Web Masterの日記



出血

2023年09月13日(水)

今日、久し振りに包丁で指を切って出血した。
キャベツを切っている時に一瞬、気が緩んだ。
切ったのは親指の先端。
包丁が触れた瞬間、すぐ包丁を持つ右手を止めたので切ったというか皮を削いだ感じ。
これがかなり痛い。
水もしみてズキズキ激痛。
しばらく左手の親指が使えず不自由になりそう。

どうも最近というか夏休みくらいからの疲れが抜けきっていない。
休養に充てようと思っていた夏休みが母の葬儀やらで全然、休養できず
その後は体力、免疫力が落ちたところにコロナ感染。
自粛期間明けで試合があったり。
そして、コロナで奪われた体力が戻り切らないうちに仕事が再開。
同時に母の年金、後期高齢者保健、介護保険、相続関連などの手続き。
猛暑だというのに店は8月後半から今月も毎日、千客万来で忙しい。
まだまだやること沢山あるし…。
そんなこんなで集中力が途切れてしまい気が緩んで切ってしまったのかも。
刃物を扱う仕事なので気をつけなければと思ってはいるのだが
ほんと最近、疲れが溜まる一方だ。
年齢が60になってから、体力の衰えと回復力の低下が顕著だ。
週末に館山に1泊で行くので、そこでゆっくりできたらいいな。


大衣裳展

2023年09月12日(火)

まだ夏休みに入る前の話だが、8月5日に東京駅の大丸で開催された
「AKB48大衣裳展」を見に行ってきた。
その頃の日記に書くことを忘れていたので今さらながら感想を。
昨年の秋にも大丸で7着だけだがAKB48の代表的な衣装展示があり見に行った。
今年は「大衣裳展」と言うくらいなので合計250着が催事場に展示。
もちろん有料だったが、カネを払ってでも見る価値はあった。
とにかく、どの衣装も細かいところまで手が込んでいて素晴らしい。
絶対にテレビでは分からないような部分にまで様々な装飾があり
AKB48の衣装担当をしている「おされカンパニー」は本当にスゴイと感心した。
前田敦子や大島優子、指原莉乃、峯岸みなみ、宮脇咲良、山本彩など
卒業コンサートで着た卒業ドレスも展示されていたが、
沢山のドレスが飾られているのは圧巻だった。
250着が展示というが、劇場公演などを含めると、ほんの10%にも満たない。
まだまだ展示しきれない衣装はあるので、また来年も開催してほしい。


アキレス腱

2023年09月11日(月)

昨日の試合の2打席目、ボテボテのサードゴロを打って、
結局はアウトになったが一塁まで左アキレス腱痛を堪えて全力疾走。
その後は信じられないくらい痛みが増してしまい3打席目をキャンセル。
閉会式の時も立っているだけでも痛みで苦痛だった。
ここ数試合は必ず朝、テーピングでガチガチに固定しているし
昨日は試合中、緩んできたと感じたら、すぐに上からテーピングをして固定した。
しかし、箇所がアキレス腱ということもあり、完全に固定はできないものだ。
歩く時にアキレス腱が延びるだけで痛みが出る。
それなのに全力疾走なんて絶対にダメな行為だ。
案の定、今日は生活や仕事にも支障が出るくらい歩くのがツラかった。
9/24の試合がなくなり、次は10/1、それまでには痛みが治まるかな…。
解散まで最大あと5試合、なんとか最後くらいは普通に走れる状態に戻ってほしい。


疲れた1日

2023年09月09日(土)

休みだったが朝からいろいろ忙しかった。
まず朝10時から理事会に出席。
今回の理事の人達、みんな真面目で今日も全員出席だった。
なんだかんだと議題が多くて約3時間の会議。
理事会が終わってから昼飯を食べて谷中霊園へ。
亡母の納骨の依頼を石材屋にしてから霊園事務所で埋葬許可証を提出。
その足で合羽橋に行って仕入れ。
休みの日だったが頭も体も疲れた1日だった。

昨日の台風の影響でグランドが冠水することはなかったようだ。
なんとか明日の試合はできそうかな。
かなり疲労が溜まっているが、最後のリーグ戦、最後の試合なのでガンバロウ。


心配

2023年09月08日(金)

台風13号の影響により三郷のグランドが心配だ。
明日の土曜は早々に全面中止が発表されたが、日曜まで回復するのだろうか?
リーグ戦も残り1試合なのでスケジュール通りに終えたい。
順延になったら、今後の練習試合数も変わってくる。
チームは10月、11月の練習試合を最後に解散なので、予定は早く決めておきたい。
なので日曜の試合はなんとしてもやりたいと思っているのだが、
もしかしたら冠水被害に遭っていたら…。
けっこう降ったからヤバいかな…。


治らん

2023年09月07日(木)

相変わらず忙しくて日記も書かずというか、パソコン自体も開かず
ダウンするように寝てしまう日々が続いている。
もう毎日のように何かしら営業前に予定が入っていて休まる時がない。
おまけに左足アキレス腱炎は全く治る気配がない。
なんだか日に日に痛みが増しているような気がする。
まぁ、本来なら走ったりしちゃダメなのに、ガチガチにテーピングして
痛みをガマンしながら試合に臨んでいるから治らないんだろうね。
とりあえず草野球も今年いっぱいというか、あと数ヶ月なので
ガマンして乗り切るしかないのかな。
だけど以前もアキレス腱痛に悩まされたが、こんなに長く痛みは続いていない。
慢性化した腰の痛み同様、これから一生付き合っていかなくてはならないのか?
歩くのも困難なので、ほんと勘弁してほしいんだけどな。


100年

2023年09月01日(金)

今日9月1日は防災の日。
そして、あの忌まわしき関東大震災から100年が経った。
1923年9月1日、午前11時58分。
相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される大地震。
地震発生時が正午前で、多くの家庭が昼食の支度をしている最中に地震が発生。
昼食の支度で火を使っていたことで、一気に火が燃え広がってしまったのが
大規模火災の原因だとか。
当時はほとんど木造建築だったし。
死者の90%が焼死だったという。

50年前、自分が10歳の頃、関東大震災から50年が経ち、
50年周期で大地震が起こると言われ、子供心に怖かった記憶がある。
あの時から50年経っても未だ関東に大きな地震は起こっていない。
しかし、阪神大震災や東日本大震災など各地で度重なる大地震に見舞われてきた。
北海道や九州、北陸なども大きな地震が起きている。
ほんとあと残すは首都圏のみと言ってもいいくらいだ。
4つのプレートの上にある日本が地震国である以上、震災は避けて通れない。
昔は「地震・雷・火事・オヤジ」という言葉があったが、
今でも昔でも地震が一番怖いと思う。

「防災の日」は1960年に定められた。
今日から学校も夏休みが終わって新学期に入るところが多いが、
改めて、なぜ9月1日が防災の日なのかを認識していく必要があると思う。
迫りくる首都圏の大地震に備えるためにも。


コロナ感染療養

2023年08月31日(木)

昨日の続き。
19日に4家族で京橋のシュラスコランチ。
翌20日は平穏に過ごすも21日の午後、夏の甲子園・慶応VS仙台育英の決勝を
テレビ観戦していた頃から身体が怠くなってきた。
さらに何もしていないのに普段から痛い腰や左アキレス腱が異常に痛む。
徐々に腰やアキレス腱だけでなく、身体の節々が痛くなってくる。
夜になっても食欲もなく、身体が熱っぽい。
体温を測ると38℃!
一応、ドラッグストアで買った簡易抗原検査キットでコロナ感染を調べるも
結果は陰性だった。
墓参りやら葬儀やらシュラスコやら夏休み後半は毎日のように動いていたので
疲れがどっと出て調子を崩したのだろう…その時は思った。
なので少しベッドに横になれば大丈夫だろうとも。

翌日からは長かった夏休みも終わり仕事再開。
仕入れにも行かなくてはならないが、身体が全然動かず、
翌日の用意もできず風呂にも入れず、そのまま寝てしまった。
22日の早朝に目が覚めるも、前日以上に体がだるくて動けない。
体温は39℃を超え40℃間近だった。
仕入れに行かなくては…と頭で思っていても動くことができず。
しかし朝10時には酒屋が配達にやってくるし、厨房グリストラップの
定期清掃も来るし15時半にはビルの管理会社が電気検針にやってくる。
なので、とりあえず銀座に行かなくては…。
なんとかベッドから起きて仕事の用意をして家を出た。
電車通勤なら行くことはできなかったかもしれないが、今は車通勤のため
フラフラ状態ながら銀座まで運転することはできた。

店に着き、酒屋の配達とグリストラップ清掃が終わった後に
仕事先近くの内科に行くが、発熱外来はやっていないというので
再び車で地元に戻って、家の近くの内科で診てもらうことに。
PCR検査の結果は見事に陽性。
まさかの新型コロナウイルス感染そして発症となり、発症日を0日とし、
26日までの5日間は外出を控えることが推奨となってしまった。
5月8日以降、コロナは5類に移行したため法律に基づく外出自粛は
求められなくなり、個人の判断に委ねられるようになったが、
他人に感染させるリスクが高いため5日間は外出を控えなければならない。
この日から仕事再開の予定が、結局26日までは外出を控えるので
11日から始まった夏休みが最終的には27日の日曜まで継続となってしまった。
まさかの17連休、こんなに長く休んだこと今までにないな。

今までコロナに罹らなかったため、もう自分はコロナには罹らないものだと
勝手に思っていたが、罹る時は一瞬なのかもしれない。
今回、たぶん19日のシュラスコかな。
シズラーがシュラスコ後に行ったコーヒーショップで寒がっていた。
ちぃはシュラスコを食べた日の夜に発熱した。
だけど2人とも簡易検査では陰性だったようだ。
しかし一緒にシュラスコに行ったチャーミンは陽性。
まぁ、簡易検査キットは正確には出ないというので、やはり医者による
PCR検査で調べてもらうのが一番だ。

結局、25日くらいまでは熱も37℃を下回ることはなかった。
幸いなのは咳は最初だけで、すぐに治まり、喉の痛みもほとんどなかった。
味覚や嗅覚の異常もまったく感じず、普通に食事もできた。
なので症状は高熱だけと言ってもいいかもしれない。
あと食べた後、下痢をしやすい時もあったか。
同時に感染した美穂は高熱よりも咳や喉の痛みがひどかった。
いまだ咳が続いている。
自分は後遺症的なものは今のところ何もない。

26日まで外出を控えることが推奨され、27日は三郷で試合だった。
5日間まったく外にも出ず家に閉じこもっていたので
正直、体力が全然戻らない状態での試合はツラかった。
おとなしくしていたのに腰もアキレス腱も痛みは全然よくならないし。
600グラムの軽いバットを使っているが、マジでバットが重く感じた。
スイングしてもバットに振り回されている感覚だったし足もフラフラ。
ほんと今までで一番、身体がシンドイ感じだったかも。

とにかく健康が一番だというのを再認識したコロナ感染だった。
どんなに注意しても罹る時はあっという間。
だけど今回、忙しくて免疫力が弱っていたのは事実だ。
もし免疫力が高ければ発症までしなかったかもしれない。
十分な睡眠と規則正しい生活は大事なんだな。
今、コロナは変異株エリスの影響で第9波と言われている。
これからまだ波はやってくるだろう。
もうコロナ感染はコリゴリなので、とにかく免疫力を高める生活を心掛けたいね。


怒涛の夏休み

2023年08月30日(水)

8月11日から21日までの夏休み期間中、そして22日〜26日までの
コロナ療養期間中のことを書こうと思うが、その前に8月9日の日記で
「長い1日」と書いたが、実はその日、母が亡くなった日である。
8月6日の日曜日の早朝5時台に妹からの電話で起こされた。
母の入っている特養施設から母の具合が悪いとの一報が妹に入って
それを知らせる電話だった。
どうやら嘔吐し、吐いたものが肺に入ってしまったようで
血圧や血中酸素濃度の低下がみられるという。
施設に常駐している看護師が診てくれて急を要するまでではないと判断し、
午後には医者も施設に来るので、そこで最終判断した方がいいということになり
その日は潮見で練習試合があったので、とりあえずグランドへ。
試合後、そのまま実家のあった上石神井の施設へ行くと
血圧は低いままだったが、血中酸素濃度は落ち着き、母は普通に寝ていた。
とりあえず一番ヤバイ状態は超えたと安心していた。
翌日も次の日も施設に電話で状態を聞いたりしていたが、
血圧は低いままで、自分の口で水分も取れない状態だという。
点滴で水分は補えるが、いつ心臓が止まってもおかしくないとまで言われ
ある程度の覚悟だけはしていた。
そして8月9日の早朝4時台に再び妹から急変したとの電話で起こされ
かなりヤバい状態だというので急いで施設へ向かった。
しかし、自分も妹も間に合わず、施設の人達に看取られて母は還らぬ人になった。
90歳、認知症も進行し、最近は妹も認識されなくなっていた。
自分が面会に行くと、具合が悪いのか常に寝ていたので、
はたして自分も認識されていたかは不明だ。
しかし飾っている写真に写っている5年前に亡くなった父のことだけは
忘れていなかったようだ。
医者からもらった死亡診断書の死因には誤嚥性肺炎と記載されているが
特に苦しんだわけでもなく、眠るように息を引き取ったという。
たぶん5年前に亡くなった父が自分のことを忘れてしまう前に
迎えに来たのではないかな…5年経ったし、そろそろいいだろ…みたいな…。
そんな風に思えて仕方なかった。

母が亡くなった8月9日だが、その5日前の8月4日に父の妹、
自分にとって叔母にあたる人が亡くなり、その葬儀の日だった。
本来なら葬儀に参列する予定だったが、母が亡くなったため
欠席を喪主である従兄弟に電話で伝えるとものすごく驚いていた。
もしかしたら父だけでなく義妹にも迎えに来られたのかもしれない。
叔母の葬儀に参列するため、前日に喪服をクロゼットから出しておいたが
結局、母の葬儀まで出しっぱなしになるとは…。

葬儀社に連絡したり、その日のうちに葬儀の打ち合わせをしたり、
親戚に連絡したりで悲しむ暇もなく長い1日だった。
もちろん、その日の仕事は臨時休業。
父の時も生前から父が形式ばった葬儀を嫌っていて親族だけの
1日のみの家族葬だったので、母の時も母方の親戚12名のみの1日葬というか、
お別れ会的なものにした。
しかし火葬場が混みあっていたため希望の火葬場だと最短でも9日後の18日。
父と同じ火葬場を希望していたので9日後でも仕方ない。
葬儀まで時間があったので、母方の親戚全員、参列してくれた。

母が亡くなった8月9日は臨時休業し、そのまま夏休みに入っても良かったが
翌日10日は予約があったために仕方なく営業。
そして11日から21日まで夏休みに入る。
さすがに11日は疲れのため完全休養に充て、夏休み期間中に母の葬儀もあるので
12日は伸びた髪を切りに床屋に行ってきた。
さらに16日〜17日は義母や義姉夫婦と一緒に美穂の父方と母方の墓参り。
16日に駒込にある義父方の墓参り後、水天宮のロイヤルパークホテルに1泊し
17日に東中野にある義母方の墓参り。
翌18日が母の葬儀があり、19日は自分の還暦を祝ってくれたチャーミン家、
ノリゾー家、テッチャン家を京橋のシュラスコに招いて会食。
もう怒涛の夏休みで身体が疲れていて免疫力も落ちていたのかもしれない。
この19日のシュラスコがその後、襲ってくるコロナ発症の原因だったかも。

というわけでコロナ発症から療養期間についてはまた明日にでも。


ひさびさ

2023年08月28日(月)

随分と久しぶりの日記だ。
怒涛の夏休みだったので、日記もかなりスルーしてしまった。
というか夏休みは21日までだったが、夏休み最終日に「まさか」の発熱、
そして翌22日には医療機関にてコロナ陽性が発覚。
なので、22日から26日までは隔離期間のため臨時休業。
結局、8月11日から27日まで実に異例の17連休になってしまった。
やっと今日から仕事も再開。
休みすぎたせいもあるし、コロナで体力が完全に奪われたせいもあり
身体が思うように動かず、かなり疲れてしまった。
それでも明日は豊洲市場に仕入れに行かなくてはならないため超早起き。
なので夏休み後半からコロナ休みまでの実録は後日にまとめて書こうと思う。

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