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2021年07月09日(金)
1年延期となった東京オリンピックまで残すところ2週間。 緊急事態宣言下での五輪となり基本、無観客で開催される。 それにしても、いわくつきとなった東京五輪だが、 この東京オリンピックを巡る言葉の変換に少し注目してみた。
当初は「コンパクト五輪」でスタートし、 東日本大震災からの「復興五輪」をアピール。 さらに新型コロナで延期となった時は 「人類がコロナに勝った証としての五輪」 そして最近では「コロナ禍で安心安全におこなわれる五輪」
なんか言葉が虚しい。 状況に応じて、くるくる変っていく。 五輪に関わる人達の理念はどこにあるのだろう?と考えてしまう。 IOCのバッハ会長は来日して広島と長崎を訪ねるというけど、 広島、長崎も大事だが、当初の理念を考えれば行くべきは福島の被災地じゃないか?
さらに観客をめぐる議論の変遷。 「無観客か?観客を入れての開催か?」→ 「観客上限5000人か?10000人か?」→ 「観客上限10000人に決定しました!」→ 「この10000人にはIOC理事の五輪貴族・大会関係者・スポンサーは含まれません! なので開会式は合計20000人になります!」→ 「1都3県の競技は無観客決定」→ 「五輪貴族・大会関係者・スポンサーは含まれないので 開会式も観るし競技も観戦します」
最初の「無観客か?観客を入れての開催か?」の議論が いつの間にかどこかに行ってしまっていた。 五輪貴族・大会関係者・スポンサーの件は完全に後出し状態。 これってナチス政権下の牧師マルティン・ニーメラーの言葉を思い出した。 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。 私は共産主義者ではなかったから。 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。 私は社会民主主義者ではなかったから。 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。 私は労働組合員ではなかったから。 そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」
人間はひとつのことが許されると、もっともっと求めるようになる。 これが権力者になると、その力は一般人よりはるか膨大だからタチが悪い。 権力者は自らのために法律をねじ曲げ、異論を封じ、敵を排除し、 権力を際限なく行使するようになる。 だから権力者にはある段階で「それはダメだ」「それ以上は許されない」と 釘を刺しておく必要があるのだ。 三権分立やメディア、選挙はそのためにあるのだと信じたい。 最近ではSNSなどでの日々の発信もそうだろう。
IOCの理事ら五輪貴族やスポンサー企業関係者が客席で優雅に 開会式や競技を観てるのって反感買うだろうな。 日本国民の税金を使って開催されている五輪を 特権階級だけが特等席で観てるんだから。 絵としてはかなり醜悪だ。 オリンピックの本質が可視化されそう。 スポンサー企業は観覧を見送った方がいいんじゃない? 不買運動に繋がるかもよ。
今回のオリンピックの開催予算は国や東京都を合わせてトータルで3兆円とか。 開催が決まった当初、予算7500億でおこなえるコンパクト五輪はどこに行ったのか? ていうか、ドンブリ勘定過ぎるだろ。 民間でこんなに予算オーバーしたら大問題だぞ。 担当者は当然、責任を問われる。 所詮、現代のオリンピックは五輪貴族のものなんだな。 そう、利権の巣窟。 「世界平和」を謳った近代オリンピックの理念は霧散してしまった。
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