Web Masterの日記



土日

2019年09月09日(月)

土曜は朝からトヨタへ車の点検。
その後、谷中に行って炎天下の中で墓参り。
さらに池袋に戻ってサンシャイン60に車を停めて某所へ。
終わってから久しぶりにサンシャイン60の中を散策。
昔、短い間だったけど、ここで働いていたんだっけな。
しかし土曜のサンシャイン60はものすごい人混み。
普通に歩けない状態なので見て回りたくても疲れてしまう。
なので早々に池袋を後にした。
それにしてもサンシャイン60の地下駐車場、相変わらず迷路のようだ。
自分の停めた場所を覚えておかないと大変なことになる。

朝からいろいろ出歩いたのでかなり疲れてしまった。
特にサンシャイン60でやられた感じ。
翌日の試合のため、早めに就寝した。

最強クラスの台風接近で心配したが日曜の試合は無事決行。
3打席とも出塁し、そのうち1度は三塁まで達し、2度はホームイン。
盗塁も決めたし、二塁から一気にホームまで駆け抜けたので
案の定、今朝は腰が最悪状態だった。
四球、打撃妨害、死球だったのでバットを振った回数は少なかったが
いつもより確実に多く走ったので、かなりヤバイ。
土曜に出歩いた疲れ、三週連戦の疲れも蓄積していたので
マジでヤバい状態だ。
ちょっとセカンドオピニオンとして他の整形外科に行ってみようと
真剣に考えているが、忙しくてなかなか時間が取れない。


ファースト・デイト

2019年09月06日(金)

今日、コンビニで懐かしい歌が流れていた。
しかし、その曲のタイトルと誰が歌っていたかが思い出せなかった。
竹内まりや40周年記念アルバム発売の宣伝だったので
ネットでアルバム収録曲一覧を見てすぐに思い出した。
その曲は岡田有希子に提供された「ファースト・デイト」
そういえば岡田有希子の最初の頃の曲って竹内まりやの曲が多かった。

岡田有希子は昭和59年にデビューし、昭和61年に自殺。
わずか2年ほどしかアイドルとして活動していなかったが
いまもなお伝説として人々の胸に残っているアイドルだ。
当時、自分は同じ年にデビューした菊池桃子派だったので
岡田有希子にはほとんど興味がなかった。
しかし改めてYou Tubeで当時の岡田有希子の歌を聴くと
質の高いアイドルだと実感する。
難しい竹内まりやの楽曲を自分のものにしている。
特に「ファースト・デイト」聴けば聴くほど良い曲だ。
岡田有希子の切なさ、儚さとものすごくマッチしている。

竹内まりやは35年間、この曲を1度も歌わず封印してきた。
しかし昨年の4月、弔い上げとなる33回忌(没後32周年)には
墓のある地元愛知県の成満寺や自殺した四谷の現場にも
全国からファンが集まり献花と黙祷が行われ、
未だに忘れられず慕われていることに感銘し封印を解いたという。

岡田有希子の自殺は衝撃的だった。
今では絶対に考えられないことであるが、写真週刊誌「FOCUS」には
飛び降りた直後の生々しい遺体写真が掲載された。
それを目にしてショックを受けた若者の後追い自殺も社会問題となった。
後に「ユッコ・シンドローム」とも呼ばれ、あまりにも多い若者の自殺は
国会でも取り上げられ衆議院文教委員会と参議院特別委員会で
「青少年問題」として議題となり最善策を本格的に審議することになったが、
岡田有希子が自殺した昭和61年の日本国内における若者の自殺は800件を越えていた。

昭和42年生まれなので生きていれば今年で52歳。
しかし永遠に亡くなった当時の18歳。
岡田有希子のデビュー時のキャッチフレーズは
「いつまでも、一緒にいてね。」
なんか今考えると意味深な感じだ…。
とりあえずAmazonで岡田有希子のベストアルバム
「ゴールデン☆アイドル 岡田有希子」を買ってみようかな。
2年間の活動で8枚のレコードしか出していないが
8枚すべてのAB面が収録されているようだ。
「ファースト・デイト」だけでなく、松田聖子作詞、坂本龍一作曲で
オリコン初登場1位ながら最後のシングルとなった
「くちびるNetwork」も聴いてみたいし。


日韓関係

2019年09月04日(水)

ホワイト国まで外された韓国では日本製品の不買運動が一層の高まりを見せている。
それにしても韓国人って、日本人と違ってすぐに感情を爆発させる。
不買運動も過去何度もあったな。
ところが日韓関係が悪化しても、日本人が韓国製品の不買運動を起こすことはない。
日本人は韓国人と違って声高に不買運動を起こすことなく、ただ買わないだけ。
サムスンのギャラクシーや現代自動車がそうだ。
ちなみに昨年度、現代自動車の日本への年間輸出台数は僅か23台。
日本人は黙って買わないだけ、と言うより最初から粗悪な韓国製の物など眼中にないだけ。

韓国メディアが不買運動に同調したら報道もできなくなるはず。
なぜならデジタル一眼レフカメラはニコンやキャノン製。
ビデオカメラなどの放送機材はソニーかパナソニック製。
韓国メディアは高価で大事な機材を叩き壊すことは絶対にしないだろうね。

日本人は韓国製品の不買運動しても生活に困らないが、
長期戦になって困るのは韓国の方だ。
韓国側にとって今回の戦いは日韓併合のリベンジのでもあるとのこと。
だから文大統領は「二度と負けるわけにはいかない」と国民を鼓舞する。
それが自分の支持率を上げることになるからね。
朝鮮人は歴史的に日本人を自分たちより下に見ていた。
漢字などは中国から朝鮮半島経由で伝来したからだ。
しかし文明的には大和民族の方がはるかに優秀だったはず。
南蛮から鉄砲が持ち込まれると、大和民族は刀鍛冶の技術を応用して鉄砲を作った。
その結果、小さな島国が日清、日露戦争で大国に完全勝利してしまう。
中国の属国扱いの歴史がある朝鮮人には日本の文明には太刀打ちできなかった。
それが日韓併合によって朝鮮人のプライドが傷ついた。
中国には頭は上がらないが、下に見ていた日本に併合されたことで
その恨みは1000年経っても忘れることはない。
日韓併合のリベンジとなれば根が深いはず。
なので韓国では日増しに高まる反日運動だが日本はどうか?

東京のコリアンタウンである新大久保は相変わらず多くの若者で賑わっている。
そんな新大久保で在日の20歳の女性がある雑誌のインタビューで話していた。
「韓国は冷静さを欠いている。日本は韓国へ何の協力もしなくなる。
日本の技術供与で今があることを忘れている。韓国はすぐにゴールを移す。
アジアで反日は韓国、北朝鮮、中国だけで他の東南アジア諸国はみんな親日国。
日本人はアメリカに原爆を2度も落とされているが
8月15日に反米運動をすることもなく未来の子供たちや地球のことを考えて
敵国だったアメリカと手を組み、被爆国として世界に向けて核廃絶を呼び掛けている。
韓国の不買運動は短絡過ぎる。日本に生まれてよかった」と祖父から教えられたと。
ちなみに在日であることを隠して暮らしているので日本の学校に行っているらしい。

自国のことしか考えていない韓国に未来はないだろうな。


激痛

2019年09月02日(月)

やっぱり試合翌日の朝は腰が激しく痛い。
昨日の試合は2タコなので走ったりしたわけではないが
1打席目の1スイング目、すでに腰に痛みが走った。
バットを振った時にどうしても腰に負担がかかる。
それが翌日に激しい痛みとして出てしまう。
おまけに腰だけでなく膝の裏、足の裏、そしてなぜか首まで痛い。
ほんと何とかならないものかね。
まともにバットも振れなくなりそうだ。
このままではマジで引退も考えなくてはならないかも…。
まぁ、30年も続けてこれただけでもスゴイことだし
いろいろ考えれば、そろそろ潮時なのかもね。


2019沖縄旅行記その5

2019年08月31日(土)

腰をかばって歩いているせいか、左足の膝の裏にイヤな痛みが出てきた。
しゃがんだりして膝に負荷がかかると相当痛い。
ほんと年齢を重ねると、体のあちこちが痛くなって困るよ。
というわけで沖縄旅行記もいよいよラスト。

●8月17日
長いようで本当にあっと言う間だった4泊5日の沖縄旅行。
13年連続(北谷は10年連続)で沖縄を訪れているが
早くもまた来年を楽しみにしている。
何度来てもやっぱり沖縄は楽しい。

ラストの朝食を食べてチェックアウトの11時少し前まで部屋でゆっくり。
部屋食は全然OKなんだけど、運んできてもらう時、
やっぱり荷物とかちゃんと整理しておかないと、
部屋の中もキレイにしておかないとって思う。
今まではスーツケース開けっ放しとかだったが、部屋食になり
運んできてもらうのでそれができなくなった。

フロントで「また来年」と言ってチェックアウト。
この日は朝からかなり雨が降っていた。
それも南国特有のスコール的な雨ではなく雨雲から降る本物の雨。
雨の中、まず向かったのは米軍普天間基地の横にある琉球八社のひとつ普天間宮。
ここも昨年を含め何度も来ているが、参拝後に令和初の御朱印をもらう。
波上宮は中国人だらけだったが、初めて普天間宮で外国人に遭遇。
それも欧米系とアフリカ系。
どちらも御朱印帳を持っていた。
波上宮の中国人観光客は御朱印をもらうことはない。
なので御朱印自体は時間がかからずに貰える。
今回、普天間宮では御朱印をもらうのに欧米人、アフリカ人の次だったらしい。
不思議なことに普天間宮に着いた時、雨は止んでいた。

普天間から一気に南下して糸満へ。
再び雨が降り出し、それもかなりの大雨。
時折、ワイパーをハイにしないと前が見えないほど。
このまま今日は1日中降っているんじゃないかと思うほどの雨だった。
今年はまだ訪れていなかった糸満の道の駅へ。
しかし、ここにも大勢の中国人観光客。
とりあえず、雨も降っていたしサーっと見て早めに道の駅から離脱。
一応、あぐー豚のソーセージやベーコンは買ったけど。

そして糸満の住宅街にある「よしもと食堂」で昼食。
最終日に初めて沖縄そばを食べた。
ジューシーも食べたかったが、残念なことにこの食堂では白米しか置いていなかった。
糸満の隠れた名店でもある「よしもと食堂」、駐車場がでこぼこなので
雨で水溜まりになり車から降りる時は注意しなくてはならない。
食券を買って席に案内される。
通常サイズでもかなりのボリューム。
なぜか水餃子も名物なので頼んでみた。
食べ終わって外に出るとあんなに降っていた雨が止んでいた。
それどころか一気に太陽が出て暑くなってきた。
雨はその後、一滴も降ることはなかった。

アグー豚のベーコンやソーセージを送るのではなく持ち帰るため
用意しておいた保冷袋に詰め、保冷剤代わりにコンビニで
カチカチに凍ったペットボトルのお茶を買い保冷袋に一緒に入れる。
沖縄からの郵送料ってけっこうバカにならない。
最終日に買って保冷袋に詰めて機内持ち込みすればかなりの節約。
カチカチに凍ったペットボトルが重いけど、まぁ仕方ない。
保冷袋は沖縄県内ならどこにでもあるダイソーで入手できるし。

糸満から豊崎に移り、アウトレットモールあしびなー横にあるブルーシールへ。
沖縄ブルーシールのアイスクリームもまだ食べていない。
ちなみに初日同様、前日も大宜見でシークワーサーソフトクリームは食べたけど。
アイスクリームを食べようと思ったが、ここにも流行りのタピオカドリンクがあった。
なのでソフトクリームの浮いたタピオカドリンク(マンゴー味)を注文。
しばらく店内で涼んだ。
朝、あんなに激しい雨が降ったのに、昼過ぎから超ピーカンでクソ暑いほど。
今年の4泊5日は台風10号の影響で3日目までは風が強かったが天候は晴れ。
4日目から風も止んで普通に晴れ。
最終日は朝から激しい雨だったが、昼過ぎからピーカン。
まぁ、天候には恵まれた旅だった。
だけど3日目までは風が強すぎて海には入れなかった。
シュノーケルやダイビング、シーウォーク、パラセーリングなど
マリンレジャーを予約していたら強風で中止になっていただろう。
今年は何も予約せずに、普通に海に行こうと思っていたが
水着やラッシュガード、マリンシューズなども持ってきていたが
結局、強風のため海には1度も入れず無駄な荷物になってしまった。

17時にレンタカー屋で約600キロを走ったミラージュを返却。
レンタカー屋の横にセルフのエネオスがあるので便利だ。
返却後、そのまま那覇空港に送ってもらう。
飛行機は18時55分発なので少し早めに空港へ行って
新しくなった国際線ターミナルの店を見ようと思っていた。
またゴールドカードの特権でもあるラウンジで時間を潰してもいいし。
しかし那覇空港に着いてビックリした。
ANAのカウンターの上にある大きなモニターに
「18時55分ANA478便 羽田行きの便は機材交換により出発予定時刻は20時」
何度見ても自分の乗る便だった。
なんと過去最長の65分遅れが発表されていた。
さらにアナウンスで搭乗者には那覇空港内のレストランで使える食事券が
1人1000円分サービスされるので受け取りに来てくださいと。
まぁ、80分も遅れたら夕食が食べられるよな。
ありがたく食事券を受け取り、さっさと荷物を預けようと思ったら長蛇の列。
全日空の荷物預かりカウンター、工事中のため3つくらいしか開いていない。
羽田のような無人の自動の機械を導入するのかな?
荷物を預けるのに30分以上も並んでしまった。
もし定刻通り離陸したらギリギリだったよ。

それでもまだ時間があったので国際線ターミナルに続く通路にできた店は見て回る。
オハコルテ、塩屋など国際通りにある有名店や
北谷アメリカンビレッジにあるハブボックスなどが並んでいた。
今年は国際通りに行かなかったが、ここで買えるのでますます行く必要がなくなった。
そんなに腹は減っていなかったので食事券を使ってパフェ&コーヒータイム。
お釣りは出ない食事券のため2人で1900円だったので、まぁ良しだろう。

デューティーフリーで買った物を受け取り搭乗口に向かう。
この辺も新しくなっていたな。
20時発に変更になったが再び遅れて20時10分発に。
さらに遅れて20時15分発、結局なんと80分遅れで沖縄を後にした。
今回の遅れの原因は台風10号の影響ではない。
他の便は遅れず普通に飛んでいた。
ではなぜ自分が乗る便だけ遅れたのか?
理由は機材交換と出ていたが飛行機自体を替えたのではないかな。
ダブルブッキングの数が多すぎて座席数が全く足りなかったのでは?
何度も他の便への変更のお願いのアナウンスが流れていた。
来た時に乗ったのはB777-200だが帰りはB777-300と大きい機体だ。
あくまでも推測だけど。

羽田に着いたのは22時45分。
荷物が出て車で時間がかかり、家に着いた時は24時を過ぎてしまった。
本来なら21時30分に羽田に着くはずだったのに予想外の機材交換により
大幅に遅れてしまったのも令和初の沖縄旅行の思い出となった。
13年連続して沖縄に行っているので、もうほとんどの場所は行きつくした感はある。
しかし、それでもまた行きたくなるというのが沖縄の不思議な魅力だ。
来年も必ず訪れるだろう。
ところで来年は東京オリンピック開催だが影響ないだろうな…。
その頃はオリンピックとパラリンピックの間くらいなので大丈夫かな。


2019沖縄旅行記その4

2019年08月30日(金)

やっと8月も終わる。
なんか7月末にも同じようなこと書いたと思うが
本当に今年の夏は忙しかった。
結局、8月の売上も前年8月の1.5倍を超えた。
例年なら7月〜9月って暑くて商売にならないんだけど
なんだか今年の夏は毎日忙しかったなぁ。
もう身体がボロボロだ。
というわけで沖縄旅行記の続き。

●8月16日
ウークイ明けのこの日はホテル近くのJAを覗いた後、
再び沖縄南ICから高速に乗って北上。
終点の許田ICで降りて、やっと台風10号の影響だった強風も止んで
沖縄らしいエメラルドブルーを取り戻した東シナ海を横目に見ながら
名護を通り抜け、やんばる地区へ。
ここ数年、必ず訪れているヤンバルクイナ展示施設へ向かう。
初日に訪れた国頭の道の駅を通り越しさらに北上、
途中で右折し、野生のヤンバルクイナが最も出没する県道2号線へ。
過去、この山道でもある県道2号で何度か野生のヤンバルクイナと遭遇した。
再び国道とぶつかったさらに奥にヤンバルクイナの展示施設がある。
昨年秋、今まで展示されていたメスのヤンバルクイナが引退。
10月から新しく若いオスのヤンバルクイナに変わったというニュースは知っていた。
以前のヤンバルクイナは野生で保護されて展示施設に来ていたが
新しいヤンバルクイナは繁殖施設で産まれたので
想像以上に人馴れしていてビックリした。
警戒心の強かった以前のヤンバルクイナと真逆で、写真に撮られることを
喜んでいるかのように自ら人の前にやってくる。
こんなに間近でヤンバルクイナが見られるなんて信じられないくらいだ。
現在、世界中で沖縄やんばる地区に約1500羽しかいないヤンバルクイナ、
その貴重な特別天然記念物の鳥だが、サービス精神旺盛すぎて
全然有難みを感じないほどガラスの前でその姿を見せてくれた。
水浴びシーンや走っている姿、石をくわえてどかして下にいる虫を食べたり
なんだか花鳥園の鳥を見ている感じだった。
結局、このヤンバルクイナ展示施設には2時間近くいたかも。
残念なことに展示施設に併設されていた食堂がやっていなかった。
昨年はここで昼食を食べたが、山奥のため近辺に食事をする場所はない。
来た道を戻って許田から高速に乗らず一般道を読谷まで南下。
途中で読谷のJAに寄ってから58号線沿いに新しくできた鳥玉という
鳥と卵の専門店で遅い昼食、いや夕食も兼ねているな。
昨年、宜野湾や中城で見かけていて気になっていた鳥玉。
ヤンバルクイナという貴重な鳥を見た後に鳥料理っていうのも
なんだか複雑な感じだが食べるのは鳥ではなく鶏だからいいか。
鳥玉のメニューは全て鶏と卵の料理のみ。
チキンカツ、唐揚げ、チキン南蛮、オムライス、親子丼、鶏塩ソバ等々。
鶏肉のハンバーグ、ふわふわ鶏バーグも美味しそうだ。
定食には厚焼き玉子と鶏出汁スープが付いている。
チキン南蛮のタルタルソースはゆで卵がゴロゴロと入っていて気になったが
今回は親子丼の定食を注文してみた。
定食は白米か五穀米が選べて、厚焼き玉子の出汁も選べる。
通常はかつお出汁だが曜日で柚子塩とか煮干し出汁とか様々な出汁が選べるが
この日はアーサ出汁だったので迷わずアーサ出汁をチョイス。
味噌汁か鶏出汁白湯スープも選べて迷わず鶏出汁スープ。
現在、沖縄県内のみのチェーン店だが、料金も安くてボリュームもあり
なにより鶏肉がジューシーで柔らかくなかなか美味しかった。
次は唐揚げを食べたいのでまた来たいと思う店だった。

その後、久しぶり嘉手納の道の駅に寄り早めに北谷に戻って
車をホテルの駐車場に置き夜のアメリカンビレッジを散歩。
前夜はウークイのため地元の日本人が少なく感じたが
この日は金曜の夜ということもあり日本人、アメリカ人、中国人と
大勢の人で夜遅くまで賑わっていた。
アメリカンビレッジは年々、広がっているし店も増えたので見る場所多すぎだ。
毎晩、散策したが結局全部を見て回れなかったもんな。

つづく


2019沖縄旅行記その3

2019年08月29日(木)

今朝は久し振りに豊洲市場へ。
10月からは牡蠣があるので頻繁に行くことになるが
今の時期は冷凍をまとめて買うくらい。
しかし、まとめ買いすると重い。
今日も約8キロくらいになった。
腰に大きな負担がかかった。
さて沖縄旅行記の3日目。

●8月15日
終戦記念日でありお盆でもあり、今年は旧盆も重なった。
沖縄県人にとって正月より大事な旧盆3日目のウークイ。
この日はチェーン店やコンビニ以外、休みになることが多い。
特に地元の食堂なんかは正月と旧盆は定休日になっている。

部屋食の朝食を食べ終えて赤いミラージュは初めて北谷から南下。
昨年も訪れたが琉球八社の一ノ宮でもある波上宮へ。
58号線を南下し、途中から右折。
安室奈美恵がラストコンサートをした宜野湾のコンベンションセンターを通り過ぎ
さらに右に曲がる。昨年はなかった道だ。
アメリカから返還された海沿いに新しい道路と橋が架かり
空港まで一気に行ける新しい道ができていた。
その道沿いにサンエーPARCOシティという中城にあるイオンモールライカム級の
でかいショッピングモールが誕生した。
とりあえずPARCOシティはスルーし、途中で新しい道を外れて波上宮へ。
ミラージュは新車のレンタカーだったのでナビにもちゃんと新しい道が出ていた。

美穂が令和初の御朱印を波上宮でもらうため訪れたが
今年も相変わらず台湾系の中国人観光客だらけ。
たぶん日本人って自分たちだけじゃないのか?と思うくらい
周りは中国語ばかりが飛び交っていた。
同じ仏教の国だからなのか波上宮は特に中国系観光客が多い。
他の琉球神社で中国人を見かけたことがないが
那覇市内にあるからなのか一ノ宮だからなのか、とにかく波上宮は中国人が多い。
神社内の駐車場にも「駐車は30分以内にお願いします」と
日本語、英語、中国語で書かれているし、お参りの仕方や手水舎にも
英語と中国語での表記が写真入りで描かれていた。

中国人だらけの波上宮を後にし、続いて向かったのは出雲大社の沖縄分社。
ここも数年前に訪れているが、やはり令和初の御朱印をもらいに参拝。
近くの「かねひで」の駐車場に車を停めて出雲大社沖縄分社を訪れると
ちょうど工事のため境内には足場が掛かっていた。
しかし出雲大社同様に太い注連縄は健在だった。

参拝後は那覇の新都心と呼ばれるおもろまちに向かう。
DFSギャラリアの駐車場に車を停めサンエーメインプレイスを通って沖縄博物館へ。
以前、東京六本木で開催されて大混雑だった「ジブリ展」が
沖縄博物館で開催されているので行ってみた。
そういえば昨年はプラザハウスで「安室奈美恵展」がやっていたっけ。
ウークイの8月15日なら地元の人は忙しいので空いていると考え
沖縄博物館に初めて足を踏み入れてみたが、さすがジブリ、それなりに混んでいた。
てか、自分はスタジオジブリ製作の映画って1本も観たことがない。
「トトロ」も「ポニョ」も「魔女の宅急便」も「紅の豚」も「もののけ姫」も
「千と千尋の神隠し」も、もちろん「風の谷のナウシカ」すら観たことない。
だけど、なんとなくあらすじは知ってるし、主要人物もなんとなく分かる。
なので展示を見ても「つまらない」と感じず「面白いじゃん」と思った。
特にプロデューサーとコピーライター糸井重里との手紙のやり取りは面白かった。
ジブリ作品のほとんどのキャッチフレーズを糸井重里が
作っていたことは初めて知った。
沖縄博物館を出てサンエーメインプレイス内の珈琲町待夢で昼食。
さらにDFSギャラリアで買い物。
ただギャラリアの店内、かなり改装中で店がけっこう閉まっていた。
来年に来た時はどんな風に変わっているのかな?

ギャラリアから海沿いへ向かい途中で朝走った新しい道へ。
そしてサンエーPARCOシティをのぞいてみた。
駐車場が大きすぎて訳が分からん感じ。
まぁ、イオンモールライカムも最初は訳分からなかったからな。
ただ名前にPARCOと付いているだけあり若い女性向けの店が多くて
おじさんには興味のない場所かも。
レストラン街やフードコートは沖縄初上陸の店も多くて楽しそうだが
全体的にイオンモールライカムよりオシャレな感じなので
あまり心惹かれることはなく、早々にPARCOから出てしまった。
もう次は行かなくてもいいかな。

夕食はアメリカンビレッジに戻り、ヒルトンホテル近くのブラジル料理の店へ。
ブラジル料理と言っても食べ放題のシュラスコ。
ウークイでも絶対にやっていると確信して開店直後に訪れた。
10種類くらいの肉が食べ放題。
チキン、ソーセージ、サーロイン、いちぼ、ハラミ、ポークステーキ、
ガーリックステーキ、スペアリブ、あと何が来たっけな。
とにかく間髪入れずに肉、肉、肉が押し寄せてくる。
サラダも食べ放題だが野菜を食べるヒマなし。
ビーフシチューやらパエリヤも食べ放題だが、そんなの食べたら
肉が食べられなくなると思い、手を出すことはなかった。
ただブラジルの豆料理は美味しかったな。
あと肉と肉の合間に食べたスイカが美味しかった。
もう食べられないと思ったらストップ。
ラストに焼いたパイナップルが出てきて終了。
この焼きパインが甘さが増してジューシーなので腹一杯でも美味い。
しかし、しばらく肉は見たくないと思うくらい肉を食べた。
シュラスコは各部位とも薄くスライスされるので少しずつだと思ったが、
総重量だと相当食べているんだろうな。
前日のピザ&パスタ食べ放題でも腹一杯だったが、この日の方がさらに腹一杯。
消化を手助けするため店の駐車場に車を置いたまま、
海沿いや北谷の街をしばらく散歩した。
その後、車で24時間営業のユニオンという沖縄で一番安いと言われているスーパーへ。
前日にユニオンの前を通った時は大きな駐車場が満車だったが
ウークイの夜なので駐車場もまばら、店内も客は少なかった。
沖縄のスーパーといえば「サンエー」「かねひで」そして「イオン」が多い。
その他にも「丸大」や「Jimmy」などもあるが中でも「ユニオン」は一番安い。
そして24時間営業だというからスゴイね。

なんだかんだでいい時間になったので、アメリカンビレッジを散歩して
ホテルに戻ってジャグジーに入り就寝。
二日前に訪れた沖縄居酒屋もウークイの日は休業していたな。

つづく


2019沖縄旅行記その2

2019年08月28日(水)

今月も毎日忙しくて長く感じる。
まだあと2日もあるのか。
さすがに食材がなくなってきたので月曜日、腰が痛くて断念した
豊洲市場に明日の朝早く行かなくては。
さて、沖縄旅行記の2日目。

●8月14日
旧盆2日目(ナカビ)である。
明日の旧盆最終日のウークイに向け、沖縄の人達は準備に忙しい日。
準備のため早じまいする店も多くなるのが旧盆2日目だ。

少しゆっくり目の朝食をお願いした。
全館フルリニューアルしたホテルは今まで朝食を食べるレストランを室内に改装。
そのため朝食は全室とも部屋食となった。
1部屋100平米の広さがあるので部屋食でも問題はない。
前日に朝食を運んでもらう時間を紙に書いておく。
数分前に「これからお持ちします」と電話がかかってくる。
ホテルのルームサービスのワゴンみたいなのに乗って朝食が来る。
テレビを見ながら食べてもテラスで食べてもいい。
部屋食となったことにより以前より朝食の量は減ったが
元々が多かったので丁度いい量になったのかも。
ただ、あぐー豚、チキン、県産魚からメイン料理を選べて
さらに調理法も焼く、蒸すなどから選べる。
また卵料理もオムレツやスクランブル、厚焼き玉子、目玉焼き、ゆで卵と
選べるので飽きることはない。
自家製のデザートも毎日変わるし。
しかし2階にあったレストランをなくして客室にしたが
厨房はどこに行ったんだろうか?
以前はレストランの客席から見えるオープンキッチンだった。
水回りやガス栓の関係で大きくは動かせないと思うんだけど…。

朝食後に再び北部に向かってGO!
以前はフロントで鍵を預けていたが、鍵がカードキーになったので
そのめんどくささもなくなった。
食べ終わった朝食は10時過ぎに各部屋の掃除の時、ワゴンごと片づけてくれる。
フルリニューアルして随分と効率が良くなったかも。

赤いミラージュが向かったのは8年ぶりとなるネオパーク・オキナワ。
昨年は10年ぶりに美ら海水族館に行ったので今年はネオパークの番だ。
13年前の2007年から2011年まで5年連続で訪れていたが8年ぶりの訪問となった。
そして、あの頃と同じように数多くの鳥たちが迎えてくれた。
久し振りだったので園内を2周もしてしまった。
8年前とあまり変わっていなかったが、当時はなかったネオパークの歌が
園内にしつこいくらいに流れていて「♪ネオネオネオネオパーク♪」が
しばらく耳から離れなくなってしまった。
あと以前は有料だった施設が無料になっていたが、
当時いたヤンバルクイナはいなかった。
だけど全体的に鳥の数も種類も増えていたと思う。
8年ぶりのネオパーク、超楽しかった。
そういえばここは以前、ユニバーサルスタジオが沖縄進出した時の最初の候補地だった。
その後、本部の海洋博記念公園に決まったものの、ユニバーサルスタジオの進出自体が
採算が取れないという理由で流れてしまったっけ。
やっぱ南国の沖縄にはUSJよりネオパークの方が似合っている。

途中、レイドもやったりしたのでネオパークに思いのほか長時間滞在してしまった。
ネオパークを出てから名護市内を散策した後、北谷に戻る。
少し早い夕食は北谷の米軍御用達の「Pizza in 沖縄」へ。
ここなら旧盆中も絶対に開いているはず。
まだ早かったので客は2組のみ。いずれもアメリカ人だった。
ちなみに店員も日本語ペラペラのアメリカ人だった。
「Pizza in 沖縄」は日本円1242円でピザやパスタ、サラダ、スープ、カレー、
デザート、ドリンクなどすべて時間無制限の食べ放題&飲み放題。
外観、店内ともアメリカンな雰囲気たっぷりで大型のモニターには
アメリカのアニメ「トムとジェリー」が流れていた。
ピザは常に3種類、パスタも2種類あり、なくなりそうになると
新しい別の種類のピザが運ばれてくるので飽きることがない。
そしてサラダバーの種類が驚くほど豊富。
ドリンクもルートビアを含め沢山あって迷うほど。
何度か前は通ったことがあったが勇気を出して初めて訪れてみた。
結局、何枚ピザを食べただろうか。
もうしばらくピザは食べたくないと思うほど食べてしまった。
超腹一杯になりアメリカンビレッジをしばらく散策。
それからハンビーのサンエーに行ってホテルに戻ってこの日も早めに就寝した。

つづく


2019沖縄旅行記その1

2019年08月27日(火)

長い夏休みが終わってからも何気に毎日、忙しくて
なかなか書けなかったが、13年連続で訪れた今年の沖縄旅行記を
今回もダラダラと書いてみたい。
まず、東京に戻ってきて必ず聞かれたのが「台風は大丈夫だった?」
沖縄に旅立つ頃、超大型でノロノロの台風10号が西日本に接近&上陸していた。
結果から言うと羽田から飛行機は何事もないように普通に飛んだし
沖縄に着いても、台風10号の影響はほとんどなかった。
ただ、やはり風は強く太平洋、東シナ海とも荒れていた。
普段は穏やかな北谷の海も白波が立っていたし、海の色は澱んでいた。
だが3日目から風もおさまりエメラルドブルーの海は戻ってきたけど。
沖縄特有のスコール的な雨はあったが、最終日を除いて概ね晴れて暑かった。

●8月13日
いつものように6時台の飛行機のため4時には起きて
途中、東雲にある「ゆで太郎」で朝食を食べて羽田空港へ。
飛行機は全日空のB777-200。
もちろん離陸と同時に爆睡し着陸の振動で目覚めるのは例年のこと。
1年ぶりに訪れた那覇空港、国際線ターミナルが完成しキレイになっていた。
様々な店も入っていたので帰りは早めに空港に着いても時間を潰せそうだ。
今年で10年連続でお世話になる北谷のホテルは宿泊代金の中に
滞在中のレンタカー費用も含まれてる。
トヨタや日産、オリックスやニッポンなど大手レンタカー会社と違い
ホテル宿泊者専用の小さなレンタカー屋なので待ち時間ほぼなし。
空港まで迎えに来てくれた車に乗り込みレンタカー屋に向かうと
見慣れない赤い車がスタンバイしていた。
今年の沖縄での相棒は赤い三菱ミラージュだった。
まだ走行距離3000キロにも満たないピカピカの新車。
少しブレーキの甘さが気になったが、赤いミラージュに乗り込み
とりあえずいつものように道の駅・豊崎へ。

瀬長島との分岐する交差点、毎年渋滞していたのに
今年はまったく渋滞していなかったのはなぜだ?
空港まで新しい道路ができた影響なのかな。
それとも旧盆中だからかな。

今年の沖縄は台風直撃の被害がほとんどなかったためマンゴーは7月中が最盛期。
南部の豊崎にはキーツマンゴーしか残っていなかった。
糸満の道の駅に行っても同じだと思い、今年は糸満には寄らず
那覇の首里にある「ななほし食堂」で朝食。
いや朝食は4時台に「ゆで太郎」で食べたので昼食か。
ゆし豆腐定食を頼んだら、なぜかチキンカツまで付いてきてビックリ。
さすが沖縄。これで650円。

チキンカツ付きのゆし豆腐定食を完食し腹一杯になって
車は那覇ICから高速に入って向かったのは名護のJA。
やっぱり毎年、ここは間違いがない。
北部・今帰仁産のマンゴーをお世話になった人たちへ送ることができた。
だけど北部産のマンゴーの数も例年より少なかった。
さらに今年は沖縄最大のイベントでもある旧盆(うーくい)と
完全に旅の日程が重なってしまっていたため、地元の人たちが旧盆用に
多くのマンゴーを買い漁っていた。

旧盆とは旧暦の7月13日から15日までの三日間をお盆として行うことで、
沖縄県ではお盆を旧暦の暦で行うのが昔から習慣化していて
旧盆は一年の中でも最も大きな御願行事となっている。
通常、新暦のお盆時期とずれてしまうことが多いが、
今年は珍しく旧暦と新暦が重なり、8月13日〜15日までとなっていた。
8月13日が「ウンケー」、8月14日が「ナカビ」、8月15日が「ウークイ」
沖縄に到着した日は初日のウンケーだった。
3年前の2016年も旅行日と旧盆が重なったことがあったが、
旧盆中は店が休みだったり、早じまいすることが多い。
特に3日目のウークイは、沖縄県内のほとんどの店が休んでしまう。
ヘタしたら正月よりも開いている店が少ないくらい。
数年前もあやうく食事難民になりかけたことがあった。
その経験で今回、旧盆中でも絶対に開いていると思われる
米軍基地にいるアメリカ人御用達の店をいくつかチェックしておいた。
3年前も唯一、日本人が入れる嘉手納基地内のレストランに行ったし。

ウークイの日は沖縄県内の全JAも休業になると貼り紙があった。
赤いミラージュは58号線を北上し国頭の道の駅へ。
ここ数年、許田の道の駅には寄らなくなったが、国頭の道の駅へは必ず訪れる。
沖縄県最北端にある道の駅だが、他の道の駅にはないものが多い。
そして何より訪れる人も少なくて落ち着くので一番好きだ。
メチャクチャ遠いのが難だけど。
国頭からの帰り道で大宜見の道の駅に寄り昨年は機械故障のため食べられなかった
シークワーサーソフトクリームを2年ぶりに食す。
沖縄県内でもシークワーサーのソフトクリームが食べられるのはここだけだ。

許田から高速に乗って沖縄南ICで降り、国体道路を下って
途中で左折して裏道から東シナ海に向かっていくと
アメリカンビレッジのシンボルでもある観覧車が見えてくる。
観覧車を見ると今年も帰ってきたと実感する。
2010年から10年連続でお世話になっている北谷アメリカンビレッジの
入口にあるホテルは今年4月から7月いっぱいまで約4ヶ月間かけて
全館をフルリニューアル。
稼ぎ時であるゴールデンウィーク10連休中も休館し工事をしたので
外観も館内もすべてキレイに変わっていた。
もちろん室内も床や壁紙含め完全リニューアル。
独立した寝室もできて100平米の広い部屋を効率良く過ごせるようになっていた。
今回、10年連続で泊まるからか、最上階の部屋を用意しておいてくれた。
また「10年連続おかえりなさい」のメッセージの入った
記念ケーキも特別にサービスしてくれた。
予想もしていなかったサービスに大感激。
全15室しかない小さなホテルだからこそできる「おもてなし」だ。

少しホテルでゆっくりしてからホテルの2件隣にある
「おきなわ畑 でーじな豚」という沖縄料理居酒屋へ。
ここは昔「うおうお亭」という居酒屋だったが、いつの間にか変わっていた。
13年も沖縄に来ていて沖縄居酒屋には行ったことがなかった。
ホテルの近くなので車を使わないで済むので初めて訪れてみた。
19時くらいに入店したが、ほぼ満席状態。
カウンターしか開いていなかったが全然問題なし。
沖縄らしい料理を片っ端すら頼んで狭いカウンターが
一気にパーティー状態になってしまった。
平成から令和になる4月30日〜5月1日、仙台に行った時も
牛タン居酒屋に入ったが、居酒屋って様々な料理があるので
いろいろ頼めるし、それでいて安いのでかなり良かった。
今回も約2時間ほど飲み食いしたが大満足だった。
そのままアメリカンビレッジを散策し、フローズンヨーグルト量り売りの
パーティーランドに3年ぶりに入って冷たいもの食べてからホテルに戻る。
ジャグジーに入ってあっと言う間に寝てしまった。

つづく


憂鬱

2019年08月26日(月)

昨日、試合の時に腰ベルト装着を忘れたせいで
今朝、起きた時、ものすごい腰痛。
本来なら今朝は豊洲の市場に仕入れに行く予定だったが
仕入れする品の総重量が10キロほどになるので
とてもこの腰では持つことができないと判断し、豊洲行きを断念。
とりあえず食材は何とかまだ大丈夫だと思うので腰を優先した。
やっぱり腰ベルトがないとダメだな。
昨日、バットを振った時もかなり痛みがあった。
今後、一生この痛みと付き合っていかなくちゃならないのかな?
そう考えると、とても憂鬱。

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