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2018年10月03日(水)
9月22日(土)の早朝5時半頃、妹からの電話で目を覚ます。 入院していた父の容態が厳しくなったので、すぐに病院へ来てほしいと。 着替えて荻窪病院へ直行するも間に合わなかった。 医者の話では血圧も心拍も徐々に低くなり 6時12分、眠るように息を引き取ったという。享年95歳。
8月末に自宅の13段ある階段の11段目から転落し9月1日から入院していた。 すでに通常18以上だと危険といわれる心臓のBNPという数値は5000以上だった。 本来、心臓が動いているだけでも奇跡的な状況での階段落ち、 かなり心臓に負担がかかってしまった。 さらに入院というストレスのかかる状況では良くなるものも良くならない。 いや、心臓の数値は年齢的に見て良くなることはない。 いかに今の状態を保てるかが生死のカギになっていた。 11段目から落ちたにもかかわらず、骨折をしていなかったのは幸いだったが。
亡くなる1週間前、見舞いに行った時は思った以上に元気だったので安心していた。 数値さえ落ち着けば退院できるとさえ感じていた。 しかし、自分が見舞いに行った翌日から容態が急変し苦しむようになっていた。 もしかしたら自分が見舞いに行った時も苦しかったのかもしれない。 しかし、心配をかけまいと、わざと元気に装っていたのかもしれない。
病院から葬儀屋に電話をして遺体を安置所に運んでもらう。 2011年3月、東日本大震災の後に心筋梗塞で倒れて緊急手術をした時から ある程度は覚悟をしていたが、そこから7年半も頑張った。 だけど、年齢も年齢なので今回の入院に関しては本当に覚悟を決めていた。 なので、すぐに病院に駆けつけてくれる葬儀屋も事前に調べていた。 安置所で葬儀の段取りを決めたが、父は生前から無宗教の家族葬を希望していた。 終戦を豪州の収容所で迎えた父だが、激戦地となったニューギニアでの部隊で 生還できたのは3000人中僅か15名ほど。 いまだ遺骨すら日本に戻らない戦友が多くいる中で 自分だけ豪華な葬儀をするのは申し訳ないということは生前から言っていた。 なので亡くなったことも親族にしか知らせず、完全な家族葬をお願いした。
約3年ほど前、父は自ら「葬式用の写真を撮ってくる」と言って 町の写真館に出向いて額縁まで自分で選んでいた。 その写真を実家で探すと、写真と一緒に自筆の遺書も見つかった。 正式な遺言書は数年前に作成してもらい公証役場に保管しているが 家族にあてた手書きの遺書が残っていた。 そこには改めて、葬儀は無宗教、僧侶も戒名も不要の家族葬を希望、 知人にも半年くらいは知らせなくていいとボールペンで書いてあった。 そして、やはり静かに戦友の所へ旅立たせてほしいとも。
葬儀場や火葬場の関係、また店の予約の関係で葬儀は逝去から1週間後の9月29日、 火葬場も併設されている杉並区の堀ノ内斎場にて親族のみで執り行った。 人生初の喪主だったが、7年半前に心筋梗塞で倒れてから、 今どきの言葉でいう終活をしていてくれたおかげで とりあえず葬儀に関しては問題なく滞りなく済ますことができた。
亡くなったのが店が休みの3連休の初日、さらに野球の試合も数週間なかった。 そんなことも考えて最期の日を決めたのかな?とも思ってしまった。
以前、貴乃花の父親でもある二子山親方が亡くなった時、 マスコミが貴乃花に「二子山親方はどんな存在でしたか?」と聞いた。 貴乃花は一言「誉(ほまれ)です」と答えたが、その気持ちが今、なんとなく分かる。 自分にとって父も、まさしく「誉」であった。 亡くなってからも残された者たちに苦労や負担をかけないよう 様々な終活をしておいてくれていた。 本当に95年間、お疲れさまでした、そしてありがとうございましたと 何度も頭を下げて言った。
葬儀は終えたが、やることは山ほどある。 日本はいまだ紙社会、書類社会ということを本当に実感している。 いろいろ考えただけで頭がパニックになりそうだ。 おまけに10月に入ってから店が忙しい。 今週はビルの消防点検の立ち合いやら厨房のちょっとした工事、 さらに築地市場も今週末に閉場して来週からは豊洲市場になるので 仕入れも大変になる。 なんだかんだでストレスが溜まり、7年半前に父が倒れた直後によく起きていた 脈拍が200を超える頻脈の恐怖が頭をよぎっている。 まぁ、自分で出来そうもないことはカネを払ってでも 専門家に任せるようにして少しでも負担を減らそうと思っているけどね。 とりあえず今のところ頻脈は起こっていない。 まぁそれでも、やることは多いので、この日記もしばらくは不定期になるかな。
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