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2017年01月13日(金)
先日の「生前退位」に続いて、難しくて真面目な話題第二弾として 憲法改正について少し書いてみたい。
我が国の「日本国憲法」は改正されたことが1度もない。 「不磨の大典」とか「世界最古の憲法」と各国から揶揄されていたりする。 先進国におけるこれまでの憲法改正の回数は以下の通り。 ・ドイツ 59回 ・フランス 27回 ・カナダ 19回 ・イタリア 16回 ・アメリカ 6回 ・日本 0回
その他、メキシコ 408回、スイス 140回、インド 91回、韓国 10回、中国 3回、 オーストラリア 3回、ロシア 1回。 ※2013年時点 憲法の改正要件が通常の法律より厳しく設定され、 改正のハードルが高い憲法を「硬性憲法」と言い、 逆に改正が比較的容易なものは「軟性憲法」と呼ばれている。 両議院の3分の2の賛成を発動要件とする日本は当然「硬性憲法」に部類される。 しかし、これは何も日本が特別ではなくアメリカやドイツも 両議院の3分の2が発動要件となっている。 また、その他の国も発議後に国民投票や州議会の承認が必要になるなど、 ほとんどの先進国が「硬性憲法」」であり、軟性と言われるのはイギリスくらいだ。 それにもかかわらず日本で今まで憲法改正が一度も行われなかった原因は、 憲法9条が神格化されるあまりに、すべての政党・国民が この議論に最終的にはフタをし続けてきたからではないだろうか。 だが、憲法改正は9条のためだけにあるのではないだろう。 中央集権体制の打破(道州制)、首相公選制、一院制の導入など、 時代の要請に合わせた国家体制を構築するためにも必要なプロセスだと思う。 日本人が次なるステージに進むためには、 憲法改正論議は 絶対に避けて通れないものになるはずだ。
そして憲法とは、もちろん我々国民を縛るものではなく、 国の権力と権力者たちを律するためのものでなくてはならない。 それゆえ、普段はなおさら意識されることがない。 そして長きに渡る憲法9条の神格化とイデオロギー論争により、 「憲法の話題=なんかヤバイもの」というイメージが 日本人の心に強烈に植えつけられてしまったのだろう。 しかし日本国憲法の基は戦後、アメリカGHQによって作られたもの。 敗戦国となった日本は、それに従わなければならなかった。 それを日本人の実直な性格のためか、後生大事に 今まで1度も変えることなく貫いてきた。
戦後から70年以上が経って、やっと時代と世界標準に合わせた 当たり前の議論と改正を、民主主義国家としてできるか否かを問われている。 我々は民主国家の国民として、権力者たちに どのような憲法を持って対峙していくべきなのかを。 正直、すごく難しい問題ではあるが、正面から考えないといけないと思うよ。
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