Web Masterの日記



え?中止?

2011年10月16日(日)

10月中旬だというのに今日の東京は29℃オーバー。
メチャクチャ暑かったが、予定されていた試合は中止(順延)…。
昨夜寝る前、深夜2時過ぎだったが江東区はけっこう雨が降っていたので
もしかしてヤバイかな…と思いながら寝た。
今朝7時に起きた時には雨は降っていなかったが曇り空。
三郷にグランド状況を聞くため電話すると「中止です」の声。
信じられなかったので「えっ!?なんで?」と聞くと
「今、こちらは大雨です」

ここ数年、局地的な雨が降ることが多い。
他の地区はどうだったか分からないが、今日の7時頃の三郷地区は雨だったのか。
だけど、きっとその後は雨も止んで昼位には30℃近くまで上がったんだろうな。
決行か中止かを決める時間に雨が降っていたなんて運が悪すぎ。

昼位に外を見たが道路やコンクリート部分は乾いていて
雨が降った形跡はなくなっていたが、自宅マンション前の
東京メトロの資材置き場にある土の部分はかなり水溜りが残っていた。
昨夜、降った雨でできた水溜りだろうが、気温が上がった昼でも
あんなに水溜りが残っているってことは、かなり降っていたんだろう。
それくらい今朝7時の三郷は降っていたのかも。
なんか、日中あんなに晴天だったのに試合ができないのは悔しいが、
仕方ないのかな…と諦めるしかなかった。
まぁ、グランドコンディションが悪い中で無理矢理やって、
怪我でもしたらバカバカしいし、気持ちを切り替えるしかない。
来週こそベストコンディションに恵まれて試合ができることを祈るのみだ。


3連覇

2011年10月14日(金)

今朝は築地に仕入れに行くので早かったが、銀座のアップル、
毎度の如く長蛇の列。
昨夜、帰る時から大勢並んでいたが、今朝は京橋の方まで続いていた。
テレビカメラが何台も来ていたが、そんなに並んでまで
早く手にしたい代物なの?i Phone4Sって?
自分にはさっぱりワカラン(+。+)

そんなことより内村航平が前人未到の世界選手権3連覇!
いや〜、1人だけ別次元だったな。
どの種目も完璧。
しかも金メダルだけでなくエレガンス賞まで獲るなんて。
内村と同級生の山室も銅メダル。
ダブルエースで来年のロンドン五輪が楽しみだ。
田中兄弟もメンタルを強くして2人に続いてほしい。
明日、明後日の種目別も楽しみだ。

明日は変な天候になりそうだ。
日曜の朝も雨マーク。
試合ができるか不安だ…。


世界体操・男子団体

2011年10月13日(木)

女子の個人総合は鶴見、田中理恵とも残念な結果だったね。
それよりも残念だったのが昨日の男子団体総合決勝だ。
予選を1位で通過した日本は273.093点の2位で、
1978年ストラスブール大会以来となる優勝を逃した。
団体総合が実施された世界選手権では3回連続の銀メダルだった。
一方、予選は3位だった北京五輪金メダルの中国が275.161点と、
日本に2.068点差をつけて5連覇を達成した。

日本が苦手とする「あん馬」で主将の小林が落馬したが、
それでも何とか戦える点数差、さらに「吊り輪」も順調にいった。
そして得意の「跳馬」でついにトップに立ったので、これは行けるか?と思った。
だが、中国が「鉄棒」で得点を伸ばし再び逆転されたが、
日本も「平行棒」を無難にこなして最終種目を残してその差0.6点。
最後が中国は「床」で、日本が高得点の出やすく得意としている「鉄棒」なので
これは劇的な逆転優勝!と思っていた矢先、まさかまさかの3人中2人が落下。
個人的には、かつてのモントリオール五輪の団体で、
最後の鉄棒を5人が全て完璧な演技を決めて、最後は塚原が新月面で着地し、
見事な優勝を決めたシーンを思い出しながら、その再現を信じてたんだけど…。

問題の鉄棒、トップの田中兄がまず無難に演技を終えた。
続く田中弟がどこまでやってくれるか期待したが、
あの落下で全てが決まってしまった。
やっぱり、予選で床の演技中に頭から落ちた時の故障が響いていたのか?
だけど鉄棒の3人に彼を選んだのは大丈夫だと判断したんだろう。
本人もいける!と思って臨んだんだろうが、あとちょっと、ほんのちょっとだけ
つかみ損ねたあの鉄棒が、日本男子33年ぶりの世界体操での金メダルを
つかみ損ねたことになってしまった。
最後のエース内村も、ほぼ絶望的な中で
奇跡を目指したギリギリの演技だったんだろう。
大会前から、個人じゃなく「団体優勝だ!」と言い続けていたからね。
ギリギリの演技は失敗のリスクも高い。
勢いが付きすぎて落下してしまったようにも見えた。
逆に中国の強さは賞賛されてしかるべきだ。
最後、高得点が出やすい鉄棒を2位の日本が残す中、
わずか0.6差で床を演技しながら、3人が3人とも見事な演技を決めたのは、
本物の強さを持っていたからだ。

それでも、とにかく銀メダル。世界で2番目は素晴らしい。
一時、お家芸とまで言われた男子体操は、表彰台に上ることすら難しかった時代もある。
それが今では王者の中国をギリギリまで追い詰めることができるまでになった。
なので来年のロンドン五輪に超期待だ。
ロンドンまで、さらに演技を磨き上げ、120%の確度で成功できるまで練習を重ね、
アテネ五輪以来の団体金メダル奪取をしてもらいたい。
いや、できるはずだ。

自分は東京オリンピックの翌年に産まれたので、男子体操が優勝した
ローマや東京、メキシコは知らないが、初めてオリンピックを見た
ミュンヘン五輪の頃から実はずっと男子体操が好きな種目でもある。
何よりモントリオール五輪での奇跡の大逆転団体優勝は子供心に感動した。
当時の団体は6人が演技し、高い採点の5人の得点が有効になっていたが、
日本チームは確かエースの笠松がモントリオールで盲腸になり、演技ができず、
本来6人で演技するところを5人で演技しなくてはならなくなり、
どの種目でも誰も失敗が許されない厳しい状況だった。
最後までソ連と争い、ラストの鉄棒で決めた塚原の新月面は本当に感動した。
そして長い月日を乗り越えアテネ五輪の復活金メダルにも感動したね。
なんか男子体操の美しさの中にある厳しさが好きなんだよね。

今の団体は各種目とも3人が選ばれて演技をするが、実はあまり好きじゃない。
昔のように選手全員が得意、不得意を超えて、全種目に挑戦していくのが好きだ。
ミスした仲間をカバーしたり、本当の団体戦の良さがあった。
まぁ、時代の流れとともにルールは変わるので仕方ないんだけど。

今回の銀メダルの誇りと悔しさを胸に、来年のロンドンで
真の笑顔が爆発するよう、頑張れ日本男子体操チーム!
明日の個人総合で内村の3連覇にも期待だ。


年金

2011年10月12日(水)

厚生労働省は厚生年金の支給開始年齢を将来的に68〜70歳に引き上げることを
念頭に社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の年金部会で提案した。
厚生年金の支給は、男性は2025年度までに、女性は2030年度までに、
それぞれ60歳から段階的に65歳まで引き上げ、
基礎年金と合わせることがすでに決まっている。
だが、厚労省は少子高齢化の急速な進展など、年金財政の安定化のためには
年金支給開始年齢を一層引き上げる検討に入る必要があると判断した。
それには年金が受給できる年齢を遅らせて調整する必要があるという。

あのさ〜、本当に我々は年金を貰えるのかな?
7年前に支給開始年齢を段階的に65歳にすると決めて、今まだその途中だろ?
なのに今度は68歳からにすると言うんだから、自分の場合ですらあと20年もある。
なんか、その頃になったら今度は80歳からとか言い出すんじゃないのか?
自分より下の世代なんてヘタしたら100歳からとか言われかねないよね。
たった7年でまた引き上げなければならないって、
厚労省の見積もりが甘かったという以外の何物でもないわけで、
もっと真摯な謝罪と反省の言葉があってからの話じゃないのかね?

それと、68歳からとなれば、さすがにどうかねえ?と言う気になるよ。
自分の場合、今48歳だから平均寿命で考えると残す余命は34年間くらい。
(げっ!あと34年くらいしか人生ないのか…)
受給まで20年で、それから年金が貰えるのは14年ほどか…。
これが、もっと若い人達なら本当に真面目に納付するのが嫌になるんじゃないの?
ただただ毎月、真面目に納付し続けて、やっと貰えたらもう終わりが近いってね。
こういう小手先の改革じゃなくさ、もっと根本的な改革をしない限り、
どうしようもないんじゃないのかね。

少子化がまだ進む可能性が今の政府の愚策、無策を見れば続くだろう。
となれば、果たして今の形のように、現役世代が受給世代を支えるという形って、
近い将来、限界を迎える気がするんだけど。
次の世代に負担をかけないと言うことは分かるが、
何も今の制度が万全じゃないのだから、
安易に支給年齢の引き上げを繰り返すのじゃなく、
根本的な改革をやる必要があると思うよね。
まぁ、とにかく昭和50年代から平成生まれの人達にとって年金って
絶対に払い損だろうな。かわいそうに…。


今日の試合結果

2011年10月11日(火)

巨人4−3阪神
中日3−1ヤクルト
広島7−0横浜
日本ハム3−0西武
日本8−0タジキスタン

プロ野球よりもサッカー日本代表が一番点を獲った(^^;)
しかも完封(^-^)v


復活?

2011年10月10日(月)

せっかくの3連休だが体調不良のために昨日、一昨日と一歩も家から出なかった。
丸2日間、ずっと家でおとなしくしていたので今日はかなり良くなったかな。
それでもまだ鼻水が少し出るので薬は飲んでるけど。
とりあえず店で必要なものがあったので葛西のHOME'Sと南砂のSUNAMOに行って
今回の3連休は終わってしまった。
天候も良かったし、また掛川花鳥園か、復興したアクアマリンふくしまに
行きたかったのに…残念
それにしても、体調悪いのに朝はいつもの時間に起きてしまっていたのは
なんでだろう?


あかん

2011年10月07日(金)

今週は雨の日もあって店はそれほど忙しくなかったが、
消防機器の点検やテナントとの折衝などビル関係の仕事が多くて毎日、朝早かった。
その合間に築地に仕入れに行ったりしていた結果…、

喉が痛い
関節も痛い
鼻水が出る
咳も出る

風邪ひいたっぽい (-o-;)
幸い、寒気はしないし熱もない。
(と思う…測って熱あったら心が折れそうなので怖くて測れない)
食欲はあるので明日、一日おとなしく寝ていれば治るかな。
明後日が試合じゃなくて良かった。
季節の変わり目、体調管理には気をつけましょう。


皇帝シンボリルドルフ

2011年10月06日(木)

先日、日本競馬史上初の無敗三冠馬であるシンボリルドルフが亡くなった。
史上初の無敗の三冠馬だけでなく天皇賞、ジャパンカップと
2度の有馬記念も含めると七冠馬。
シンザン・ハイセイコー・テンポイントなど歴史ある競争馬の中でも
最も知名度の高い名馬ではないかと思う。
30歳で老衰、いや新聞などでは30歳と書かれているが、
現役時代の年の数え方(2000年までの数え方)では31歳になる。
馬の1歳は人間で言うと3〜4歳なので90歳〜100歳での大往生だ。

ちょうどシンボリルドルフが全盛時、1984年〜1985年は
自分が大学生で競馬を始めた頃でもあった。
そして、初めてファンになった馬がシンボリルドルフだった。
しかし、あまりにも強すぎて競馬自体の面白味がなく、
シンボリルドルフで儲けさせてもらった記憶はない。
強すぎて倍率が付かなかったからね。

シンボリルドルフの逸話は数ある。
その中でも、あの名騎手・岡部幸雄に「競馬を教えた」馬でもある。
ダービーで岡部幸雄のゴーサインには反応もせず
「自分の仕掛け」で堂々と勝った。
その時に岡部騎手は「そろそろ行くよ、しっかりつかまってな」と
シンボリルドルフの声を聞いたという。
「大地を弾ませた」追い込みで三冠を取った1歳年上の三冠馬
ミスターシービーには1度も先着を許さず、ファンに憎まれるほどの強さだった。
強さ故に「人気者」では無かったのかもしれない。
だが、完璧なレース故に他を寄せ付けない「皇帝」だった。
岡部幸雄はその後トップジョッキーとなり、シンボリルドルフの世話してた
厩務員の藤沢和雄はリーディングトレーナーになった。
トレーニングの相棒役を唯一勤められたシリウスシンボリはダービー馬になった。
そして初年度産駒から「帝王」ことトウカイテイオーを輩出し親子二代の顕彰馬。
一頭の名馬が周りを全て変えた。強さは「孤独」ではなかった。
「人生の一部です」と岡部幸雄の言葉が涙を誘った。

岡部幸雄が騎乗して1984年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞の
クラシック三冠を無敗で制し、さらに同年の有馬記念も制した。
中央競馬での三冠馬は
セントライト
シンザン
ミスターシービー
シンボリルドルフ
ナリタブライアン
ディープインパクト
わずか6頭で無敗での制覇は長い中央競馬の歴史の中でも
シンボリルドルフとディープインパクトの2頭しかいない。

翌1985年は天皇賞(春)、前年に唯一勝てなかったジャパンカップでリベンジ、
さらに2年連続で有馬記念を制した。
主な産駒にトウカイテイオー、ツルマルツヨシなどがいて、
トウカイテイオーで父子2代での無敗2冠を成し遂げた。
結局、16戦13勝。
完璧な成績は「皇帝」の称号にふさわしい。
神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフから付けられた馬名で、
誰からも「皇帝」のあだ名で呼ばれていた。
ちなみにGI通算7勝はJRAのGIでは現在でも最多タイの記録らしい。

シンボリルドルフの競馬で一番の思い出は、
初めて負けた1984年のジャパンカップだ。
ミスターシービーとシンボリルドルフの三冠馬対決で日本中が沸いた。
なんとなくバブルの足音が聞こえてきた時代でもある。
菊花賞を完璧な強さで取って、中一週で挑んだルドルフ。
疲れが残っていると思われ3番人気だったが、
自分は当然、ルドルフが勝つもんだと思い、
他の外国場は知らないので、シンボリルドルフの単勝と
シンボリルドルフから1番人気ミスターシービー、
10番人気のカツラギエースと日本馬の入った枠連馬券を買った。
(当時は単勝、枠連、複勝の馬券しかなかった)
ところがスタートからカツラギエースが絶妙な逃げを展開し鮮やかに逃げ切った。
2着には11/2馬身差で2番人気イギリスのベッドタイムが滑り込み、
シンボリルドルフは2着とアタマ差の3位。
ちなみに1番人気だったミスターシービーは馬群に沈んで10着だった。
まさかシンボリルドルフが負けるとは思わなかったと同時に、
なんでカツラギエースの単勝馬券を買っておかなかったんだと後悔。
なぜなら、ルドルフの単勝も買ったが、カツラギエースの馬券も買おうか
窓口直前まで悩んでいたから。単勝は4000円以上ついたと思う。
当時から逃げ馬が好きだったので、買おうかかなり悩んだ。
買っておけば…と後悔したのを覚えている。

結局、シンボリルドルフが負けたのは、このジャパンカップで
カツラギエースに負けたのが最初。
しかし約1ヶ月後の有馬記念では1着でカツラギエースが2位。
翌年のジャパンカップは圧倒的強さで1着だった。
その他の2敗は、1985年の秋の天皇賞で完璧な横綱相撲と思われた瞬間、
外からギャロップダイナに捕らえられ2着だった時と、
1986年、世界を目指した第一戦で、まさかの故障をした
アメリカでのサンルイレイSのみ。(6着)
この時の故障が原因で引退を余儀なくされたが、
その引き際もスマートで潔かった。

冷静なスタートから好位置につけ、引っ掛かることもなく
直線ですんなり抜けて勝つという「ルドルフ戦法」は
確かにドラマを欲するファンからは退屈すぎると言われたかもしれない。
最後の直線に向いて先頭に立ち、並んできた相手に対して怯む事なく、
まるで「ついて来いや!」と言わんばかりに並ばせる事を許さず引き離して行く。
まさに横綱相撲の勝ち方だった。
穏やかに眠るように息を引き取ったと記事で読んだ。
無事これ名馬とは良く言ったもので、安楽死させなくてはいけない位、
痛みを感じて死んでいく馬が多い中、シンボリルドルフは本当に名馬だった。
「皇帝」の名にふさわしく、凛とした風格のある馬、
額に輝く三日月がトレードマークの綺麗な馬、
昨年7月に25歳で死んだオグリキャップに続き、
昭和を彩ったスターホースがまた1頭、静かにこの世を去った。
日本競馬史上最強馬は?と聞かれたら、迷わず答える。
それは「シンボリルドルフ」だと。
今後もそれは変わらないだろう。
お疲れ様でした。


ネットを探していたらシンボリルドルフのレース実況がテキスト化されていた。
実際のレースはYou Tubeでも観られるが、実況のテキストは珍しい。
保存の意味も込めて全文引用。

◆1984年皐月賞(1着シンボリルドルフ)
「さあルドルフか、ビゼンか!ルドルフか!ルドルフが出た!こっからが強い!こっからが強い!無敗の皐月賞馬が誕生しました! 2着にはビゼンニシキ!いい競馬です!いい皐月賞です!」
(盛山毅アナウンサー)

◆1984年日本ダービー(1着シンボリルドルフ)
「シンボリルドルフ!初めて苦しい競馬を致しました!しかし勝ちました!しかし勝ちました!日本のサラブレッドから世界のサラブレッドへ飛躍するために、その第一関門を突破致しました!」
(盛山毅アナウンサー)

◆1984年菊花賞(1着シンボリルドルフ)
「物凄い脚だ!物凄い脚だ!来たぞ来たぞ来たぞ!シンボリ来た!シンボリ来た!しかし外からゴールドウェイだ!外からゴールドウェイ! シンボリが先頭に立った!シンボリが先頭に立った!大歓声だ!大歓声だ京都競馬場!
赤い大輪が薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!! 3冠馬8戦8勝!
わが国競馬史上、不滅の大記録が達成されました京都競馬場!」
(杉本清アナウンサー)

◆1984年有馬記念(1着シンボリルドルフ)
「先頭はカツラギ!カツラギ先頭!ルドルフ!カツラギ!シービー来る!シービー4番手!スズマッハ頑張る!ルドルフ出た!ルドルフ出た!カツラギ頑張る!カツラギ頑張る!シービー来る!シービー3番手まで!シービー3番手まで!優勝はシンボリルドルフ!シンボリルドルフ優勝です!今年の日本一!」
(盛山毅アナウンサー)

◆1985年天皇賞春(1着シンボリルドルフ)
「シンボリルドルフ先頭だ!シンザン以来20年ぶりの5冠馬!そして僅かに外、サクラか!サクラガイセンが外!そして内にいたのが赤い帽子スズカコバン!20年以来、20年ぶりのシンザン以来の5冠馬です!シンボリルドルフです!」
(杉本清アナウンサー)

◆1985年天皇賞秋(1着ギャロップダイナ)
「さあ横に広がった!横に広がった!最後の坂であります!ルドルフ先頭だ!ルドルフ先頭であります!その外からウインザーノット赤い頭巾も馬体を併せて来た!残り200Mを切りました!残り200を切ってニホンピロウイナーも来ているぞ!ルドルフそしてウインザーノット!外のほうからニホンピロウイナー!そしてギャロップダイナも来ている!しかしルドルフ出た!ルドルフ出た!ルドルフだ!外のほうからギャロップダイナ!外からギャロップ〜!あっと驚くギャロップダイナ!根本康広! 」
(堺正幸アナウンサー)

◆1985年ジャパンC(1着シンボリルドルフ)
「ルドルフ先頭!ルドルフが先頭で坂を上がった!ルドルフ先頭!ロッキータイガー来る!公営の星が追い込んでくる! ルドルフ頑張った!ルドルフ頑張った! 1馬身、2馬身!開いた開いた!ロッキーが来る!ルドルフ先頭!ルドルフが圧勝!2着にもロッキータイガー!日本の中央競馬、公営競馬のナンバーワン同士が1着2着を分け合いました!シンボリルドルフ!皇帝の強さを世界の前に見せつけました!」
(盛山毅アナウンサー)

◆1985年有馬記念(1着シンボリルドルフ)
「皇帝と若武者の対決になった! 第4コーナー回った!ルドルフ出た!ルドルフ先頭だ!ギャロップも来ている!ミホシンザン来た!さあ2強の対決が見られるか!直線です!シンザン!そしてルドルフ!ルドルフ出た!ルドルフ出た!ルドルフ出た!世界のルドルフやはり強い!3馬身4馬身!日本のミホシンザンを離す!日本最後の競馬!最後のゴールイン!ルドルフ圧勝致しました!」
(盛山毅アナウンサー)


東京電力

2011年10月05日(水)

何と言うか、どうしようもない会社だね。
これまで、よくこんないい加減な料金体系を国が許していたもんだ。
各電力会社は自分たちが算出した経費に原価を載せて、
さらに定められた利益を載せて、それを電気料金として使用者から聴取する
「総括原価方式」なるものでやってるから、絶対に損することのない仕組み。
まぁ、電力の安定供給のためと言う大義名分でやっていたようだが、
それが許されるのなら、企業は経営努力など何にもしなくていいことになる。
まったく羨ましい限りだよ。
しかも、完全なる独占企業で競争相手もいないんだから楽なもんだよね。

だが、どうやらその経費の中には、従業員のレクレーションの費用まで
入っていたというから呆れてしまう。
さらに給与体系にしても、企業年金にしても、一般企業以上のものだったし、
何の努力もしない奴らの給料や遊びの金、年金に至るまで、
一所懸命に節約している国民や企業が負担していたという事実。
まったく冗談じゃないよ。
もしかしたら、交際接待費まで含まれていた可能性があると思うと、
今まで真面目に電気料金を払っていたのがバカみたいに思えてくる。
今の世の中、みんなコストカットを一所懸命やっているのに、
それもやらずに好きなだけ経費を使って、その料金は使用者に求める
「総括原価方式」という悪方式は、やはり見直す必要があるだろう。

東京電力が払う賠償金はさらに膨らむ可能性がある。
なので更なる電気料金の値上げを考えていると言っているが、
その前に売るべきものは売って、やるべきコスト削減を自分たちの都合じゃなく、
誰か第三者に依頼して算出してもらってやってからの値上げだろうよ。
まじめに「発・送電分離」を含め、国民にとって一番良い方式は何か?を
真剣に検討すべき時が来ているのだろう。
まぁ無論、民主党の一部の頭の悪いバカな議員が言ったような、
中国や韓国から電力を買うと言うのは全く論外の話だけどね。

そうそう、バカと言えば前総理のバ菅が
四国霊場八十八カ所を巡る「お遍路」を再開した。
バカが今更どこに行こうが、何をしようがどうでもいいんだけど、
お遍路よりも前に、自分が滅茶苦茶にした震災復興がどうなっているのかを、
その目で確認しに、まず被災地に行け!と言いたい。
相変わらず脳天気に
「大変な被害だったが、それでも国が終わるほどじゃなかったことに感謝した」
などと、被災者の心を傷つけるようなことを平然と言ったりしたし、
何より「同行2人」が原則のお遍路旅にSPを連れて行くって、どうかと思うぞ。
もうこのまま2度と帰ってきてほしくないね。


パス

2011年10月02日(日)

メチャクチャ疲れて眠いので今日の日記もパス。

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