Web Masterの日記



最悪の3月

2011年03月31日(木)

激動の3月が終わった。
あの日以降は本当に最悪の3月だった。
20年以上、店で働いているが過去最悪の月になった。
まぁ、うちだけじゃなく他の飲食店どこも同じような状態だろうな。
ネオンが消えた東京の歓楽街、この寂れた状況はかなり厳しいね。

飲食店にとって3月、4月は本来なら歓送迎会で忙しい。
ところが、あの震災以降、予約の入っていた宴会はキャンセルが続出。
さらに4月も団体客の予約が埋まらない。
飲食店のツライところは、食材を仕入れなければならないこと。
これで相当なロスが出ている。
冷凍保存できない日持ちのしない生ものなどは、
その日に売り切らなければならない。
幸い、うちは生もの系はほとんどないが、
魚や刺身がメインの飲食店ってキツイだろうな。
だけどメニューの種類を減らすことはできない。
客が来た時に、あれもない、これもないでは、ますます客が来なくなる。
いつ来るか分からない客のために、今日も仕入れた高級食材が
従業員の賄いへと消えていく。
そんな状態の店は多いと思うよ。

客足が途絶えているところに計画停電地域の店はもっと大変。
冷蔵庫の中身を腐らせないために大量の氷やドライアイスで急場を凌ぐ。
被災地の人のことを考えたり、計画停電で自粛ムードが高まった結果、
夜の飲食店が直撃を受けている事実をもっと報道してほしいね。
飲食店の客が減ればタクシーにも、そのしわ寄せが来る。
「震災が忘年会シーズンでなかったことが唯一の救い」と本音もチラリ。

AC広告の中で、タレントを使った無駄遣いを止めるキャンペーンを展開しているが、
日本全国が自粛ムードになると日本経済の回復はますます遅れるよ。
停電や原発での放射能損害をすべて国が補償してくれるのならともかく、
安易な自粛ムードは国民の気持ちまで落ち込ませるだけだろう。
4月は少しは上向いてほしいなぁ。


金八ファイナル

2011年03月30日(水)

シリーズ1作目が始まった1979年のは高校生活がスタートした年だった。
同世代なので1作目と2作目はリアルタイムで観た記憶がある。
特に1作目は中学生の妊娠という重いテーマの方に興味があったのではなく、
やはり山田麗子役の三原じゅん子の鮮烈なデビューだろう。
このシリーズの配役は女子生徒役にはスター性のない、
ごく普通の子を選ぶ傾向が強い。
杉田かおる、小林聡美、つちやかおり、伊藤つかさ、川上麻衣子などなど。
その中で三原じゅん子の個性は強烈だった。
逆に1作目でたのきんトリオを輩出したことから、男子生徒役には
ジャニーズ事務所とタッグを組んでジャニーズJr出身を抜擢する傾向が強い。
そして金八先生から多くのスターを輩出した。

32年間に亘ってシリーズ8作が放送された3年B組金八先生も、
シリーズを追うごとに視聴率は下降線を辿り、ついには一ケタ台まで落ち込み、
定年退職という設定でファイナルを迎えることになった。
その特番ドラマが日曜日の夜、4時間に亘って放送された。
父親の見舞いから帰ってきてテレビを点けたら、ちょうど始まったので
何気なく観てしまった。
それが4時間の長丁場とも知らず最後まで見入ってしまったよ。

なぜ4時間も付き合ったのか?
まぁ、震災報道が長らく続いたタイミングで、卒業をテーマとした
「感動」と「懐かしさ」を求めていたのかもしれない。
定年を迎える金八先生は、体力も衰える中、問題の生徒と対峙するが
それを助けるのが、かつての3年B組の卒業生である。
しかし、1作目と2作目しか観ていないので、卒業生が先生を助けるにしても
知らない生徒が多くて、そんなに懐かしさもない。

金八先生の感動のシーンといえば卒業式のシーンだ。
今回はシリーズ最後ということで、歴代の卒業生が体育館に集合して
金八先生の卒業(定年退職)を祝う。
卒業年度ごとに生徒一人ずつの名前が呼び上げられ、
回想シーンが流れるのだが知らないシーンの連続。
ようやく昭和54年度卒業生のシーン。
もちろん、たのきんトリオは出ていないので、杉田かおると鶴見辰吾以外で
顔を覚えているのは、やはり山田麗子しかいなかった。

実社会では政治家になった三原じゅん子が白いジャケット姿で登場。
名前を呼ばれて立ち上がるだけだが、目には涙を浮かべ、
唇を震わせ何か言いたげに静かに着席した。
不良少女も今は立派な国会議員の1年生。
ドラマと現実がオーバーラップする。
山田麗子のシーンを見るために4時間も付き合ったという感じだった。


すげー

2011年03月29日(火)

やっぱキングだなカズは。
何かを持ってるね。

入院中の父親は今日、HCUから一般病棟に移ることができました。
とりあえず一時のやばい状態は乗り越えたと思います。
御心配おかけして申し訳ありません。


怒涛の1週間

2011年03月28日(月)

2001年の5月から日記を書き始め、こんなに書かなかったのは初めてかも。
この1週間、まず何から書こうか…。
とりあえず東日本大震災やガソリン不足の影響から「静寂の3連休」と呼ばれた
3月19日、歌舞伎町に行ってた。
銀座と違って歌舞伎町は賑やかだった。
しかし大きな看板照明は全て消えていたし、あえて3連休の間、休業する店も多く、
いつも使う焼肉屋も3連休中は臨時休業していた。
違う焼肉屋で食べている最中も震度3の揺れがあり、
急いで店員が火を消しに各テーブルを回っていた。
まだまだ落ち着いて遊ぶには時間がかかりそうだ。

そして20日、昼前に妹から電話があった。
親父の具合が悪いので休日診療してもらえる病院をネットで探してほしいと…。
すぐに実家の練馬区にある休日診療している病院や
区庁舎内の緊急診療所を調べたが、どうも母親が見ても
親父の様子がおかしいようなので、西東京市に住んでいる妹は実家に向かい、
すぐに救急車を呼んだ。
親父はたとえ家族でも人に迷惑をかけることを極端に嫌う性格なので
かなり救急車を拒んでいたが、なかば強制的に呼んでもらった。
近くの総合病院に着いて急患で診察してもらうと、かなり危険な状態のために緊急手術。
心筋梗塞と心不全と動脈硬化のトリプルで心臓が今にも止まる寸前だった。

救急車がどこの病院に行くのか分からないために、
自分はすぐにでかけられる用意をして自宅待機。
この時間はとても長く感じた。
そして妹から電話が入り、実家から近い病院で手術中との連絡を受け、
すぐに車を走らせた。
医者は最悪の事態を想定して話すので母も妹も「覚悟もしておいてください」と
言われショックだったようだ。
久しぶりに木場ICから首都高に乗り、高井戸ICで降りる。
連休の中日だったし、震災やガソリン不足の影響で首都高はガラガラ。
いつもよりスピードを出していたとはいえ、予想以上の速さで病院に着くことができた。
まだ手術中だったが30分くらいしてストレッチャーで親父が運ばれてきた。
手術は成功だったが、心臓に近い血管が詰まっていたので予断は許されない状態。
なのでICUよりは少し軽いHCUに入院。
執刀した医者の話を聞くと心臓が普通の状態を10としたら、
親父の心臓は3も動いていない状態だったという。
手術には成功したが、何ぶん高齢のため、まだ7くらいしか動いていないので
今後、しばらく様子を見なければならない。

とりあえず最悪の事態は避けることができホッとした。
術後に面会した時も意外と元気だった。
当時は震災の影響から節電のために電車が思うように動かず、
西武新宿線は西武新宿〜鷺ノ宮というフザケタ区間での運行しかなく、
実家の上石神井から鷺ノ宮まで無理して自転車で行ったり、
様々なストレスや心労が重なり、発症してしまったのかもしれない。
翌日の日曜日も見舞いに行ったが、かなり落ち着いた様子だった。
早く身体に様々な機械が付いているHCUから一般病棟に移れるといいのだが
今月いっぱいくらいまではHCUかもしれない。

幸運だったのは休みで自宅にいる時に発症したこと。
これが通勤中とかだったら…考えると怖くなってしまう。
そして救急車も5分かからずに到着したという。
静寂の3連休中だったので道路も空いていた。
さらに心臓のエキスパートが揃い、365日24時間体制の病院が近くにあったこと。
なので、搬送直後に緊急手術してもらえることができた。
「心臓血管センター」を備えた救急病院に連れてきてもらえたので本当に良かった。
自宅で心筋梗塞を起こした場合、7割の人がそのまま亡くなっているという。
本当に幸運続きで3割の方に入ることができた。

翌日からも母と妹は見舞いに行っているが、
自分には店があるので土曜まで見舞いには行けず。
震災の影響で銀座の夜は寂しいくらいに暗い。
デパートは18時に終わり、ネオンも全て消え、銀座通りなんて本当に暗くて寂しい。
こんな時に外食とか飲みに行くなんて、ほとんどないだろう。
暗いと早く家に帰りたくなるだろうし、電車だって通常運行していないので
帰宅を急ぐサラリーマンで夕方の地下鉄は猛ラッシュだとか。
今じゃ残業もないだろうし、自宅待機の人もいるだろうし、ほんと銀座は寂しい。
なので節電のためもあるが閉店時間は少し早くにしてるが開店時間は通常通り。
仕入れも仕込みもしなけれぱならないし、今まで親父がやっていた
ビル関係のテナントのことも全部やらなければならないので何気に忙しい。
火曜から木曜まで3日間、かなりの早出で様々な資料を見直したりした。

木曜日はビルテナントの消防機器点検もあったので朝かなり早かった。
東陽町駅に行くと東西線が止まっていて復旧にはしばらくかかると…。
こんな時、他の路線が乗り入れしていない駅は困る。
門前仲町まで行けば大江戸線があるが、振り替え輸送をしているバス停は長蛇の列。
ならば新木場から有楽町線に乗れば銀座一丁目まで1本で行ける。
自宅で洗濯中の美穂に電話して車を出してもらい、新木場駅を目指すが、
明治通りに出ると大渋滞。
とっさに、京葉線の潮見も考えたが、有楽町線で新木場の前の辰巳駅を
ナビの目的地に入力。
裏道を通って渋滞なく辰巳駅へ、そこから有楽町線に乗って
銀座一丁目までは10分足らず。
なんとか消防機器点検に間に合うことができた。

3日間、ほとんど睡眠時間なく働いていたため、自分の身体も悲鳴をあげた。
25日の金曜日、この日は少し遅く行こうと思い、と言っても
いつもの早出くらいの時間だが。
東陽町駅に向かって歩き駅まで数メートルに近付いた時、
急に心拍数が高まり、呼吸困難、頭はくらくら、手足の痺れ…。
以前にも時々、起きていた心臓の鼓動が急に高くなる症状が久しぶりに起きてしまった。
とりあえず階段を降り、駅のホームまで来たが、とても電車に乗れる状態ではなく
しばらくホームの椅子に座って鼓動がおさまるのを待った。
顔面蒼白でうつむいていたためか、駅員が心配して「事務所で横になりますか?」と
声をかけてくれたが、しばらくこのままの状態でいればおさまると思い断り、
目を閉じて鼓動が普通になるのを待った。
携帯のアプリに心拍数を測るアプリがあるので、これで心拍数を測ると110もあった。
駅のホームの椅子に30分以上も座っていたと思う。
なんとか落ち着いてきたので電車に乗って銀座に着くも、まだ動悸がしていたので
ゆっくりとした歩きしかできなかった。
店に着くと同時にコートを脱いで椅子で横になって動悸がおさまるのを待った。

父親が心臓で入院したが、これってもしかして遺伝なのか?
自分も救急車で運ばれたら店はどうなるんだろう?
このまま心臓が止まったら夕方まで発見されないな…。

いろいろ考えてしまった。
そのうち寝不足もあって知らないうちに眠ってしまい、
セールスの電話の音で起きた。
その時は心拍数も平常に戻っていた。
寝不足やいろんなストレスが溜まってるのだろう。
仕事関連でもやらなきゃいけないことだらけだし、
チームのこと、リーグのこともある。
自分は今まで、あまりストレスというものを感じる方ではなく、
多くのことをいっぺんにできる方なのだが、さすがにいろんなことがあって
ストレスが溜まっている感じがする。
その後、金曜は1日中、また動悸が激しくなるのでは?と不安な気持ちだった。
なんとなく息苦しい感じが続いていたし。
とりあえず落ち着いたら本気で心臓を調べてもらおうとは思う。

土曜も父親の見舞いに病院に行き、日曜は我が家系の墓を管理している霊園から
手紙を貰っていたので墓参りも兼ねて霊園に行ってきた。
その手紙というのは、先日の地震で墓が倒れたりした所があるので確認してほしい…。
行ってみると、墓は大丈夫だったが、石燈篭が見事に倒れてバラバラになっていた。
さすがに重くてどうすることもできないので、1ヶ所にまとめておいたが、
今度、石屋を手配して何とかしてもらわなければ…。
なんだか、ほんとやらなきゃいけないことが増えるな。

そんなこんなで日記を書かなかった1週間ちょっとは大変だった。
これからもまだ同じ状態なので、日記も普通に書けないかも。
地震のこと、原発のこと、停電のこと、東電のこと、政府のこと、都知事選のこと、
秋葉原死傷事件死刑判決のこと、プロ野球開幕のこと、春の選抜のこと、
金八先生最終回のこと、いろいろ書きたいことばかりだったが、ほとんどスルーだな。
早く通常に戻りたいが、いつになったら落ち着くのやら…。
その前に自分の身体が壊れないよう注意しなくちゃね。


休み

2011年03月20日(日)

一身上の都合により、しばらく日記を休みます。


1週間

2011年03月18日(金)

あの未曾有の震災から1週間が経った。
現地のことはニュースでやっているので、あえて書かない。
それと原発に関しても様々な憶測が乱れ飛んでいて
何が本当なのか知識がなく判断できないので書かない。

とにかく地震の日から今日まで店は開店休業状態だ。
まぁ、こんな状況では仕方ないと開き直っているけど。
どこの飲食店も同じように悲惨な状態だし。
ネオンが消え、デパートが18時で閉店した銀座の夜は、
人通りも少なく本当に寂しい。
あんな寂しい街を歩いたら、どこかに寄って行こうなんて
とてもじゃないけど思えないよな。
こんな状態が長く続けば、体力のない店が次々と潰れていくだろうね。

電車も空いている。
震災前は帰宅する頃の銀座線なんて超満員電車だったのに、
今じゃ座れるんじゃないかってくらい空いてる。
たぶん今のピークは夕方頃なんだろうな。
会社じゃ残業もなく定時で仕事が終わり、どこも寄らずに帰宅、
そんな日常なんだろう。
店を開ける頃、足早に駅に向かうサラリーマンの多いこと。

営業が仕事の人なんて、いまだ自宅待機の人もいるらしいね。
今の状態で営業なんてしても売れないよね。
ほんとこの状態が長く続けば日本経済にとっても大打撃だね。
無能な政府の時に震災が起きるなんて運が悪すぎる。
日本が立ち直るにはかなりの時間がかかりそうだな。
とりあえず連休明けは少しくらい好転してほしいよ。


千春

2011年03月17日(木)

松山千春がラジオで今回の地震に関して
「知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
金がある奴は金を出そう。
『自分は何にも出せないよ…』っていう奴は
元気出せ」と言っていた。
やっぱ千春、すげーよ。


ガソリン不足&パンダ公開延期

2011年03月16日(水)

なぜガソリン不足なのか?
多数の精油所が被災したことと、緊急車両や被災地優先に輸送してること、
そして何よりも不安になった人が必要以上に給油していることが原因だろう。
それに加えてガソリン価格が中東情勢の緊迫から150円に迫る勢い。
これらがさらに不安を増幅してオイルショックみたいになってるんだろう。
我が家の近くにあるスタンドも毎晩、長蛇の列がバルコニーから見える。
ガソリンなんて絶対どこかにあるのは間違いないんだけど、
流通がうまく機能していないんだろうな。
この状態はいつまで続くのだろうか。

そして、もうひとつ残念なニュース。
上野動物園のパンダの公開が延期になった。
一般公開だけじゃなくマスコミ向けの事前公開も中止どころか、
なんと明日から上野動物園が休園するらしい。
上野だけでなく、他にも多摩動物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園も
当分の間、休園するらしい。
こんな時、パンダや動物たちが見れなくなるというのは、なんとも寂しいね。


おかしい

2011年03月15日(火)

明日、明後日に予約の入っていたお客さん、みんなキャンセルになった。
今月は商売にならないな。
今日も早終いで帰宅してテレビを点けたらドラマやっていた。
東日本大震災の死者・不明者が1万人を超して、原発が深刻な時に…、
でも、なんだかちょっとだけ癒された気がした。
だけどACのCMは見飽きたよ。

ドラマの途中、緊急地震速報。
すぐに大きな揺れ。
23区は震度3だったが、相変わらず14階はよく揺れた。
またエレベーターが止まってなければいいが…。
静岡県東部で震度6。
東海地区は東北とは違うフィリピン海プレート上。
画面はドラマから報道に切り替わった。
幸い、大きな被害はなかったようだが、明らかに日本がおかしい。
もしかして、人類滅亡は来年2012年の予定なのに、
日本が世界に先立って人類滅亡への序章担当なのか?


無計画な計画停電

2011年03月14日(月)

大地震による電力不足で日曜の夜に告知された計画停電。
概要を発表したのが夜の10時くらいだったし、
東京電力のサイトは重くて閲覧できないし、
いったい、どれだけの人が把握できていたのか…。
実際、節電しろと言いながらも計画停電の内容を知る道具は
新聞以外に全部、電気で動くものなんだし。
都内はパニックになるのではと懸念していた。

まず、各電車が始発から最低限の運行スタート。
中央線が東京〜立川間のみとか、西武線が池袋〜練馬高野台間と
西武新宿〜鷺ノ宮間のみとか、都内でも少し郊外に行くと電車が走ってない状態。
郊外に住む人は仕事や学校を休んでいいのか?
そんなこんなで電力を節約したおかげ?で、早朝からの計画停電は実施を見送り。
大パニックはひとまず避けられた。
夕方に一部の地域のみの停電で済んだが明日は早朝から実施とか。
どんな状況になるのか予想ができない。
原発の問題にしても東京電力と政府や各自治体などとの連携が不十分に感じる。
情報だけが錯綜していて国民は何を信じていいのか分からないぞ。
計画停電と言いながら、全然計画的じゃない。

そんなに節電したいなら2008年3月7日の「温暖化対策」の日記に書いたが、
自動販売機とパチンコ屋の電力を全て止めれば、かなり節電できるのでは?
まぁ、当時も暴論だと書いたが、緊急時に娯楽産業は必要ではない。
それとコンビニの深夜営業の停止とか、東京電力じゃなく政府が主導となって
計画停電を実施すれば混乱もしないと思うのに。
なんか政府は東京電力に丸投げしている感じがする。

今日も朝、携帯から緊急地震速報のイヤな音が流れた。
この地震により再びマンションのエレベーターはストップ。
さらに地下鉄全線もストップしたが、すぐに動き出した。
銀座の中央通りは人もまばら。
多くの店が閉まっていたし、デパートも18時で閉店。
いつもは眩しいくらいのネオンも点いていない。
しかし、どの道路も車は大混雑。
郊外から仕事に来る人は電車が通っていないんだから
車で来るしかないんだろうが、ガソリンも不足しているんだから、
何か考えてほしいよね。

国会は国会法に基づく議決による休会は見送り、臨機応変に対応となった。
当面1週間の参院本会議と委員会はすべて中止、参院予算委員会中央公聴会も中止。
当然、被災地で予定されている統一地方選挙も延期だ。
まぁ、これは当然の話だ。
統一地方選挙延期のみならず、未曾有の大災害に対して
当然、組まなければならない補正予算もあるはずであり、
とにかく日本が法治国家である以上、法の整備が必要なものに対しては
急いで立法しなければならない。
政局などでやっている場合じゃないのは与野党共に分かっているだろうけど。

今、この瞬間にも被災地では被災民も自衛隊、警察、消防などが
命懸けの戦いを続けている。
この国の国権の最高機関たる国会では、彼らを最大限に支援できる体制を作るために、
国会議員も死ぬ気で戦ってもらいたい。
どうしたら被災地を救うのに最も良い対策を取れるのか?
何が法的に必要なのか?などを全ての国会議員が脳みそから
血の汗が流れ出るまで知恵を絞って戦ってほしい。
国民から選ばれた国会議員には国会議員しかできないことがある。
それを自覚して後世、最高の国会審議が行われたと評価される、
そんな国会であってほしいものだ。

東日本ではあまりニュースにならないが、新燃岳が再び噴火したらしい。
地震、津波、原発、放射線漏れ、そして噴火…。
日本がマジで、さいとうたかおの「サバイバル」みたいになってきた。

今回の震災でホワイトデー完全に吹っ飛んだな。

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