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2011年03月28日(月)
2001年の5月から日記を書き始め、こんなに書かなかったのは初めてかも。 この1週間、まず何から書こうか…。 とりあえず東日本大震災やガソリン不足の影響から「静寂の3連休」と呼ばれた 3月19日、歌舞伎町に行ってた。 銀座と違って歌舞伎町は賑やかだった。 しかし大きな看板照明は全て消えていたし、あえて3連休の間、休業する店も多く、 いつも使う焼肉屋も3連休中は臨時休業していた。 違う焼肉屋で食べている最中も震度3の揺れがあり、 急いで店員が火を消しに各テーブルを回っていた。 まだまだ落ち着いて遊ぶには時間がかかりそうだ。
そして20日、昼前に妹から電話があった。 親父の具合が悪いので休日診療してもらえる病院をネットで探してほしいと…。 すぐに実家の練馬区にある休日診療している病院や 区庁舎内の緊急診療所を調べたが、どうも母親が見ても 親父の様子がおかしいようなので、西東京市に住んでいる妹は実家に向かい、 すぐに救急車を呼んだ。 親父はたとえ家族でも人に迷惑をかけることを極端に嫌う性格なので かなり救急車を拒んでいたが、なかば強制的に呼んでもらった。 近くの総合病院に着いて急患で診察してもらうと、かなり危険な状態のために緊急手術。 心筋梗塞と心不全と動脈硬化のトリプルで心臓が今にも止まる寸前だった。
救急車がどこの病院に行くのか分からないために、 自分はすぐにでかけられる用意をして自宅待機。 この時間はとても長く感じた。 そして妹から電話が入り、実家から近い病院で手術中との連絡を受け、 すぐに車を走らせた。 医者は最悪の事態を想定して話すので母も妹も「覚悟もしておいてください」と 言われショックだったようだ。 久しぶりに木場ICから首都高に乗り、高井戸ICで降りる。 連休の中日だったし、震災やガソリン不足の影響で首都高はガラガラ。 いつもよりスピードを出していたとはいえ、予想以上の速さで病院に着くことができた。 まだ手術中だったが30分くらいしてストレッチャーで親父が運ばれてきた。 手術は成功だったが、心臓に近い血管が詰まっていたので予断は許されない状態。 なのでICUよりは少し軽いHCUに入院。 執刀した医者の話を聞くと心臓が普通の状態を10としたら、 親父の心臓は3も動いていない状態だったという。 手術には成功したが、何ぶん高齢のため、まだ7くらいしか動いていないので 今後、しばらく様子を見なければならない。
とりあえず最悪の事態は避けることができホッとした。 術後に面会した時も意外と元気だった。 当時は震災の影響から節電のために電車が思うように動かず、 西武新宿線は西武新宿〜鷺ノ宮というフザケタ区間での運行しかなく、 実家の上石神井から鷺ノ宮まで無理して自転車で行ったり、 様々なストレスや心労が重なり、発症してしまったのかもしれない。 翌日の日曜日も見舞いに行ったが、かなり落ち着いた様子だった。 早く身体に様々な機械が付いているHCUから一般病棟に移れるといいのだが 今月いっぱいくらいまではHCUかもしれない。
幸運だったのは休みで自宅にいる時に発症したこと。 これが通勤中とかだったら…考えると怖くなってしまう。 そして救急車も5分かからずに到着したという。 静寂の3連休中だったので道路も空いていた。 さらに心臓のエキスパートが揃い、365日24時間体制の病院が近くにあったこと。 なので、搬送直後に緊急手術してもらえることができた。 「心臓血管センター」を備えた救急病院に連れてきてもらえたので本当に良かった。 自宅で心筋梗塞を起こした場合、7割の人がそのまま亡くなっているという。 本当に幸運続きで3割の方に入ることができた。
翌日からも母と妹は見舞いに行っているが、 自分には店があるので土曜まで見舞いには行けず。 震災の影響で銀座の夜は寂しいくらいに暗い。 デパートは18時に終わり、ネオンも全て消え、銀座通りなんて本当に暗くて寂しい。 こんな時に外食とか飲みに行くなんて、ほとんどないだろう。 暗いと早く家に帰りたくなるだろうし、電車だって通常運行していないので 帰宅を急ぐサラリーマンで夕方の地下鉄は猛ラッシュだとか。 今じゃ残業もないだろうし、自宅待機の人もいるだろうし、ほんと銀座は寂しい。 なので節電のためもあるが閉店時間は少し早くにしてるが開店時間は通常通り。 仕入れも仕込みもしなけれぱならないし、今まで親父がやっていた ビル関係のテナントのことも全部やらなければならないので何気に忙しい。 火曜から木曜まで3日間、かなりの早出で様々な資料を見直したりした。
木曜日はビルテナントの消防機器点検もあったので朝かなり早かった。 東陽町駅に行くと東西線が止まっていて復旧にはしばらくかかると…。 こんな時、他の路線が乗り入れしていない駅は困る。 門前仲町まで行けば大江戸線があるが、振り替え輸送をしているバス停は長蛇の列。 ならば新木場から有楽町線に乗れば銀座一丁目まで1本で行ける。 自宅で洗濯中の美穂に電話して車を出してもらい、新木場駅を目指すが、 明治通りに出ると大渋滞。 とっさに、京葉線の潮見も考えたが、有楽町線で新木場の前の辰巳駅を ナビの目的地に入力。 裏道を通って渋滞なく辰巳駅へ、そこから有楽町線に乗って 銀座一丁目までは10分足らず。 なんとか消防機器点検に間に合うことができた。
3日間、ほとんど睡眠時間なく働いていたため、自分の身体も悲鳴をあげた。 25日の金曜日、この日は少し遅く行こうと思い、と言っても いつもの早出くらいの時間だが。 東陽町駅に向かって歩き駅まで数メートルに近付いた時、 急に心拍数が高まり、呼吸困難、頭はくらくら、手足の痺れ…。 以前にも時々、起きていた心臓の鼓動が急に高くなる症状が久しぶりに起きてしまった。 とりあえず階段を降り、駅のホームまで来たが、とても電車に乗れる状態ではなく しばらくホームの椅子に座って鼓動がおさまるのを待った。 顔面蒼白でうつむいていたためか、駅員が心配して「事務所で横になりますか?」と 声をかけてくれたが、しばらくこのままの状態でいればおさまると思い断り、 目を閉じて鼓動が普通になるのを待った。 携帯のアプリに心拍数を測るアプリがあるので、これで心拍数を測ると110もあった。 駅のホームの椅子に30分以上も座っていたと思う。 なんとか落ち着いてきたので電車に乗って銀座に着くも、まだ動悸がしていたので ゆっくりとした歩きしかできなかった。 店に着くと同時にコートを脱いで椅子で横になって動悸がおさまるのを待った。
父親が心臓で入院したが、これってもしかして遺伝なのか? 自分も救急車で運ばれたら店はどうなるんだろう? このまま心臓が止まったら夕方まで発見されないな…。
いろいろ考えてしまった。 そのうち寝不足もあって知らないうちに眠ってしまい、 セールスの電話の音で起きた。 その時は心拍数も平常に戻っていた。 寝不足やいろんなストレスが溜まってるのだろう。 仕事関連でもやらなきゃいけないことだらけだし、 チームのこと、リーグのこともある。 自分は今まで、あまりストレスというものを感じる方ではなく、 多くのことをいっぺんにできる方なのだが、さすがにいろんなことがあって ストレスが溜まっている感じがする。 その後、金曜は1日中、また動悸が激しくなるのでは?と不安な気持ちだった。 なんとなく息苦しい感じが続いていたし。 とりあえず落ち着いたら本気で心臓を調べてもらおうとは思う。
土曜も父親の見舞いに病院に行き、日曜は我が家系の墓を管理している霊園から 手紙を貰っていたので墓参りも兼ねて霊園に行ってきた。 その手紙というのは、先日の地震で墓が倒れたりした所があるので確認してほしい…。 行ってみると、墓は大丈夫だったが、石燈篭が見事に倒れてバラバラになっていた。 さすがに重くてどうすることもできないので、1ヶ所にまとめておいたが、 今度、石屋を手配して何とかしてもらわなければ…。 なんだか、ほんとやらなきゃいけないことが増えるな。
そんなこんなで日記を書かなかった1週間ちょっとは大変だった。 これからもまだ同じ状態なので、日記も普通に書けないかも。 地震のこと、原発のこと、停電のこと、東電のこと、政府のこと、都知事選のこと、 秋葉原死傷事件死刑判決のこと、プロ野球開幕のこと、春の選抜のこと、 金八先生最終回のこと、いろいろ書きたいことばかりだったが、ほとんどスルーだな。 早く通常に戻りたいが、いつになったら落ち着くのやら…。 その前に自分の身体が壊れないよう注意しなくちゃね。
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