Web Masterの日記



禁煙1週間&役員会議

2010年10月17日(日)

禁煙を開始して1週間が経った。
幸い、心が折れることはなく1本も吸っていない。
ニコチンパットやニコチンガムの世話にならずに、このまま本当に禁煙できそうだ。
ただ、やっぱり時々、口が寂しくなる。
それにもそのうち慣れてくるとは思うけど、27年も続けていた習慣だから
そうすぐには慣れないのかもね。
そうそう、もうタスポも不要になるので廃棄しようかね。
あと1週間、出ていないバルコニーに残されている灰皿も廃棄しなくちゃね。

今日はSリーグの役員会議で久々に池袋へ。
無事に自分の首位打者タイトルも承認された(^-^)v
改めて思うけど、首位打者ってやっぱスゴイことだ。
特に打率は打点や盗塁のように加算していくだけではなく、
打てなければ減ってしまう。
まして自分のような打席数が少ない場合だと1度の凡退で一気に沈む。
後半戦5試合で凡退は最終戦の1打席しかなかったのが良かった。
もう1打席、凡退数が増えていたら首位打者ではなかったからね。
残念なのはチームが優勝できなかったこと。
もし優勝していたら、打率だけでなく出塁率もリーグ1位だったので
MVP最有力候補に挙がっていた。
まぁ、残念だけど仕方ないね。

本音を言えば個人タイトルよりチームの優勝、3連覇したかった。
だけど今年は昨年、一昨年に比べて本当に毎試合厳しかったので
準優勝でもスゴイと思っている。
年間を通じてマサと前半戦のテッチャンの離脱は大きかったね。
いわばクリーンアップトリオの2人がいないうえに、
残った昨年三冠王の1人は極度の大不振。
前半戦を終えてチーム打率が2割に満たない状態で、よく2位の位置にいたな。
今年も結局、助っ人を頼むような試合はなかったが、メンバー集めは
3年間で一番苦労したと思う。
これもテッチャンとマサ不在が響いた。
一方で岡村がフル参戦し、ジミーサトシも計算できるメンバーとなったが、
いつも計算できる仁上や長谷川の欠場が多くなり、余裕が持てなかった。
特に仁上や長谷川はピッチャーなので欠場されると厳しい試合が続いた。

まだ今季は全部終わったわけではないので、総括するには早いが
Sリーグに関しては本当に毎試合が綱渡り状態で、その日のグランドに行くまで
不安なことが多かった。
そんな中で首位打者が獲れたのは奇跡としか言いようがない。
試合以外の場所で頑張った自分へ野球の神様がプレゼントしてくれたんだろう。
ありがたくプレゼントは貰うが、やっぱり3連覇の方が嬉しいけどね。
とりあえず来年の大会、また最初からやり直しだけど狙うつもりだよ。
個人タイトルもチームの優勝もね。

なんだか最近の駄文と変わらないなヾ(^-^;)


続・駄文

2010年10月15日(金)

先日やってしまった「ぎっくり腰」だが、やっと違和感なくなってきた。
完治に10日以上もかかってしまったか…。
やっぱり歳をとると治るのも遅いのか?!
だけど昨日の歯痛、なぜか今日はまったく痛くない。
歯の痛みって出る時も急だけど消える時も急だ。
だから歯医者ってなかなか行かない。
どうせなら死にそうなくらいの痛みが続けば観念して歯医者に行くのにな。

さて、クライマックスシリーズで西武が2戦連続して情けなかった件やら
ザックジャパンがアルゼンチンに歴史的勝利した件やら、
韓国とはスコアレスドローだった件やら、
F1日本GPで小林可夢偉が7位入賞した件やら、
かみつきザルが三島で捕獲された件やら、広末涼子が怪しい男と再婚した件やら、
日本人2人がノーベル化学賞を受賞した件やら、
そして何よりもチリでの33人奇跡の生還劇やら、
10月は日記のネタになりそうな様々な事があったけど、
な〜んか、どれも掘り下げて取り上げる気になれず華麗にスルー。

リーグ戦首位打者獲得、禁煙、ぎっくり腰、携帯機種変更、そして昨日の歯痛と
自分にいろんなことありすぎて、日々のニュースに関して
興味を持つ余裕がなかったな。
ひとつ気付いたことは、禁煙してから当然だがタバコを買わなくなったので
もう今月も半月経つのに全然カネを使っていない。
財布見て驚いたね。
まだ、こんなに残ってるんだって。
しばらく試合もないし、カネ使うことがないなぁ。
じゃあ歌舞伎町でも行ってパーッと使っちゃうかヾ(^-^;)

そういえばガンダム00の映画ってまだやってるかな?


駄文

2010年10月14日(木)

なんだか歯が痛い。
それも以前、治療した箇所(-o-;)
以前って言っても10年くらい前だからな…。
歯が痛いので考えながら書くことができない。
なので今日の日記はダラダラとした駄文御免。

それにしても新しい携帯に慣れない。
やっぱり機種変更は同じメーカーじゃないと細かいところだけど
微妙にボタンの位置が違ったりするので何気にストレスになる。
やっぱ第二希望の高い方にしとけば良かったかな?
せっかくのリーグ首位打者タイトル獲得記念携帯なんだから
ケチらず高い方にすれば良かった…と今更ながら後悔。
とは言っても、しばらくは使い続けるけど。
結局は慣れなんだろうから。

今朝、20周年記念グランドコートが完成し早くも到着した。
でかい段ボール2箱に分けられて宅急便で届いた。
家にいる時間に届いて良かったよ。
あんな大きな段ボール2箱も宅配ボックスには入らないだろうから。
せっかく予定より早く届いたが、31日まで配れない。
それより10月半ばだというのに、こうも気温が高いと着る機会がない(-ω-)ノ
早く涼しくなってもらわないとね。

ところで31日の試合、またしても人数ギリギリ。
そしてピッチャー不在(+。+)
なんか今季はうまくいかないこと多いな。
こんな状態では3連覇できなかったのも納得か…(-o-;)
岡村が来れるなら岡村先発でいくが、もし来れない場合は?
潤太、殿、ハセ3人ともいないし、さぁどうするかな〜。


宇宙戦艦ヤマト実写版

2010年10月13日(水)

12月1日に公開される「宇宙戦艦ヤマト実写版」
宣伝ムービーを見て最初に思ったこと「なんじゃこりゃ?」
ヤマトの設定をある程度は引き継いでいるものの、物語としてはかなり別物らしい。
まぁ、その方が新たなヤマトファンを開拓できると踏んだからなんだろうか。
しかしオールドファンからすれば違和感しか生まない。

人類滅亡の危機を救うため残り1年をかけてイスカンダルへ
放射能除去装置を取りに行くはずのヤマトが本来の物語なのだが、
実写版の方では人類滅亡まで73日?しかないという設定(-o-;)
おまけに、どうやら「宇宙戦艦ヤマト」と
「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」の
設定がごちゃ混ぜになっているようで「さらば」のコスモタイガーは出てくるわ、
空間騎兵隊は出るわで、ごちゃ混ぜ設定になっている。
キャスティングについてはキムタクが古代進を演じることが、
決まった当初から物議を醸していたが、ネットで予告編を見て
「あぁ〜、やっぱりな」という最悪の古代進になってしまっていた。
戦う気迫の表現が求められる場面でキムタクの声と演技では、
命のやり取りをして戦っているという緊迫感が伝わってこないね。
あと、沖田艦長役の山崎努だが、これがまた似合わない。
下手に沖田艦長のどっしりとした存在感を意識しすぎていて演技が不自然にうつる。
ただ、原作のキャラクターとは異なっているが、森雪役の黒木メイサについては
思ったよりいい感じかも。
おそらくは原作を、そしてあのヤマトが流行した時代を知らない黒木メイサが、
いい意味で原作にとらわれずメイサ流の森雪を演じていることが
かえって自然でいい演技になっていると思う。
森雪の設定も生活班班長ではなくコスモタイガー隊員だし。
原作の森雪とは全く別物だから、かえって割り切って見れば良い感じだ。
これが当初の予定通り、沢尻エリカが演じていたらどうなっていたのか?
それはそれで興味深いけど。

実写の役者に比べ、メカなどのコンピュータグラフィックのデザイン関連は
思ったより原作の雰囲気を崩していないように見えた。
オールドファンから見ても充分に合格点だと思う。
あと、何のジョークなのか分からんが、宇宙戦艦ヤマト実写版の公式ホームページに
文部科学省のリンクがあるのは笑ったね。
戦争映画の部類に入るヤマトに、文部科学省が推奨のお墨付きでも与えてくれるの?
どこかの政治家から、戦争映画に文科省がお墨付きを与えるなどけしからん、
青少年の健全な発育に悪影響を与えるとかクレームがつきそうだけどね。

http://yamato-movie.net/

なにやら、この実写版映画は英語バージョンまで制作され、
日本以外にも配信されるそうだ。
以前、アニメ版本家本元の宇宙戦艦ヤマトがアメリカに配信された時、
話題にもならずに惨敗した悪夢を繰り返すことにならなきゃいいんだけど。
まぁ、実写版ヤマトが制作側の思惑通りの興行成績を上げられるか注目したい。
アニメの復活編は大惨敗だったけどね。
ちなみに自分は復活編に続いてこの実写版も映画館に観に行く予定。
ただ映画館のポイントが貯まっているのでポイント鑑賞だけどね。
わざわざ高い金を払って観るつもりは毛頭ない。

俳優としてのキムタクは、どんな役でもこなせるオールマイティな役者ではない。
どんな役でもキムタクはキムタクの演技しかできない。
なので予告編ですら古代進のアツさや戦争の緊迫感を出し切れていない有様。
古代進に求められるのは、若さゆえの未熟さや猪突猛進するエネルギー、
時には失敗してかっこ悪い面を見せつつも成長していくという姿。
なので極論として、古代進は成熟した男、カッコイイ男じゃダメなわけだ。
そのあたり、監督やキムタクは理解した上で、あの演技なんだろうか?
まだ本編を観ていないが、完全にミスキャストだね。

ヤマトオールドファンとして、あんな古代進を見せられる日がくるとは…。
いっそ、スマスマのコントとかでパロディとしてやってくれた方が、
どんなに良かったことかヾ(・ω・o) ォィォィ


禁煙3日目

2010年10月12日(火)

仕事中でも禁煙大丈夫だった。
このまま本当に止めてしまうとなると、なんか少し寂しい感じもしてきたな。


禁煙2日目

2010年10月11日(月)

27年間、毎日1箱くらいは吸っていたから、いきなり止めたら
かなり禁断症状が出るのでは?と心配もしていたが、
自分が思っていた以上に吸わなくても平気なことに気付いた。
どうやらニコチン中毒までにはなっていなかったようだ。
ただ、やっぱり習慣でテレビのCM中にバルコニーに行こうとしたりした。
あと、口が寂しく感じたのでガムをかむ回数も多かったかも。
まぁ、今日も休みだったが、明日から仕事になってどうなるか?
このまま禁煙ではなく断煙できそうな気がするけどね。

禁煙を宣言していた他の連中はどうしているだろうかね。
田辺とか久保田とかサトシとか。
みんな頑張りましょう!


機種変更

2010年10月10日(日)

2008年2月17日から使っていた携帯電話の機種変更をしてきた。
いい加減、電池の持ちも悪くなっていたので早く替えたかったが、
この携帯電話に替えてから、2008年、2009年とリーグで連続優勝していた。
なので今年も3連覇できるのではないかと思い、ゲンを担いで
機種変更を先延ばしにしていた。
しかし、残念ながら3連覇は成らず。
昨年、一昨年の優勝と携帯電話の関係は偶然だったということ。
しかし今年は優勝は無理だったが、自分自身がリーグ首位打者のタイトルを獲得。
今まで使っていた携帯電話のゲン担ぎは何気に正しかったのかもしれない。

しかし首位打者タイトル獲得記念のして、自分へのご褒美で
あっさりと新しい携帯電話に機種変更してきたよ。
また来年から、この携帯電話が良いゲン担ぎになってくれるといいけど。
だが、今まで使用していたパナソニック製のPから、
約13年ぶりに富士通製のFにメーカーを替えたので、かなり戸惑っている。
富士通製のFは最初に携帯電話を買った時以来になるな。
それからNEC製のNが長く続いて、今まではパナソニック製のP。
たいしてNやPと変わらないと思っていたが、予想以上に富士通製のFは扱いづらい。
もうマニュアルとにらめっこして悪戦苦闘で時間の経つのが早いこと。
まぁ、慣れだと思うのでそのうち大丈夫になると思うけど。

はやりのスマートフォンは全く考えなかった。
とりあえず通話とメールができればいいからね、携帯電話って。

ちなみに今日、禁煙生活1日目だが、特に吸いたいという
気持ちにはならなかったが、もう習慣になっていたからか
何も用事がないのにバルコニーに出ようとしていたことが何度かあった。
バルコニーに持って行くタバコもないのに。
やっぱり習慣って怖いね。
とりあえず今日は口がさびしく感じたら電子タバコとガムで乗り切った。


禁煙開始

2010年10月09日(土)

本日、23時前に歌舞伎町にて最後の1箱が終了。
最後は先月22日に1カートンくれた女の子と一緒に吸って華々しく終了。
27年間の喫煙生活に幕と同時についに禁煙生活スタート。
特に頑張るとかの気持ちはないけど、なんとかできると思うよ。
たぶん…ヾ(・ω・o) ォィォィ


タバコ

2010年10月08日(金)

10月も1週間以上過ぎたが、まだ禁煙してないよ(^^;)
かなり本数は減っているけど。
とりあえず手元に先日、頂いたタバコがまだあるので、
これが無くなったら禁煙スタート。

思えば、生まれて初めてタバコを吸ったのは
人生で一番荒れていた14歳、中2の夏だった。
子供の頃から「傷だらけの天使」のショーケンや
「太陽にほえろ」のボスこと石原裕次郎や松田優作が
カッコ良くタバコを吸う姿に憧れていた。
タバコを吸う=カッコいい大人になれる気がしていた。
荒れていたこともあり、ちょっと背伸びして家に誰もいなかった時、
父親が吸っていたKOOLを1本拝借してマッチを擦って火を着けた。
その時の感想…「2度とこんな不味いモノ吸うもんか!」
たった一吸いだったのに、その日は気分が悪くなってしまった苦い思い出。

それから3年が経った17歳、高2の夏。
友達が泊まりに来た時、自分の家のバルコニーで
友達が持ってきたSomeTimeを吸った。
よく考えると、最初も2度目もメンソールタバコだったな。
3年ぶりに手にした時、あの中2の苦い思い出が甦ったが、
友達にカッコ悪い姿を見せたくなかったので、さも慣れているかのように
ライターで火を着けた。
その時の感想…「あれ?意外と大丈夫じゃん」
深く肺に入れなかったので普通に吸うことができた。

人生2度目の喫煙から数日後、自転車で隣町まで行き、
当時発売されたばかりのCABINを自動販売機にて購入。
自分の住んでいる町で買うのには抵抗があったので、あえて隣町まで行った。
人生で初めてタバコを買った。
確か値段は200円しなかったと思う。
なぜCABINだったのか?
そのパッケージの色がLARKに似ていたから。
本当はLARKが買いたかったが、まだその頃はタバコは
国営の日本専売公社が販売していた。
今では普通に自動販売機で外国産タバコが買えるが、
当時は外国産タバコは自動販売機では買うことができない時代だった。
まさかタバコ屋で買うわけにもいかず、仕方なくパッケージの色が似ている
CABINを選択した。
なぜLARKが欲しかったのか?
今では思い出せないが、外国産タバコがカッコよく思えたのかもしれない。
そんな単純な理由。

その後、しばらくしてCABIN MILDが発売されたので銘柄を変更。
しかし、当時、つきあっていた女の子から「止めて」と言われ、あっさりと禁煙。
まぁ、あの頃は高校の生徒会長に就任したてだったので、
さすがに生徒会長がタバコで停学とかマズイと思い、あっさりと禁煙できたね。
実際に吸っていたのは17歳の夏から18歳の初冬くらいまでだったかな。

大学に入学すると、部室や学生ホールはタバコの煙だらけ。
今のように受動喫煙だの健康増進法だの全くない時代。
駅のホームに普通に灰皿あったし、地下街だって喫煙OKだった。
そんな喫煙者にとっては天国だった時代はバブルの波が来る直前でもあった。
毎晩、歌舞伎町のXENONという当時、最大級のフロアを誇るディスコに行ったり、
北の家族ペンギンズバーで女の子たちとコンパをして遊び歩いていた時でも
友達はほとんど喫煙していたが、自分は一切、喫煙しなかった。
しかし20歳になった頃、大学のコンパで大酔っ払いした時、
つい友達のタバコ(MILD SEVEN)に手を出して吸ってしまった。

大学時代、周りはみんな吸っていたので、そのまま今に至る喫煙人生が始まった。
まぁ、もう20歳になっていたので法律でも認められているし堂々と吸っていい。
20歳の禁煙ではなく、20歳からの復活だった。
あの当時、買えなかった外国産タバコは普通に自動販売機でも
買えるようになっていた。
なので憧れだったLARKではなく、少し健康を気にしてLARK MILDを愛用した。

それからLARK MILDが長く続いたが、1993年くらいに
LARKのエンジ色の部分が青いLARK LIGHTS(通称・青ラーク)に替えた。
タールが9ミリのLARK MILDから7ミリのLARK LIGHTSに減らした。
しかし、このLARK LIGHTSは不人気だったらしく、
僅か数年で販売終了となってしまった。
販売終了をきっかけに味が似ていたKENTの6ミリを吸うようになった。
その後、何かのきっかけでKENTの3ミリに替えて、
それを長く吸っていたような気がする。

2008年の5月に2泊の入院生活をした時、入院中は1本も喫煙しなかった。
病院内は全て禁煙だったし、わざわざ外に出て吸う気にもならなかった。
思えば、あの時に止めてしまえばよかったのかもしれない。
しかし退院後、一服してしまった…。
だが、当時吸っていたKENT3ミリはきつく感じたので、
その日からKENT1ミリに替えた。
そして今もKENT1ミリが続いている。

最初のCABINは15ミリ。
次のCABIN MILDは8ミリ。
LARK MILDで9ミリと1ミリアップ。
LARK LIGHTSは7ミリ。
そしてKENT6ミリから3ミリ、最後は1ミリと
とりあえず少しは体のことを考えてニコチン・タールの少ない銘柄に替えてきた。


さて、ここからが本題。
自分が今までタバコを吸っていた理由は「習慣」と「依存」だと思う。
まぁ、最初の若い頃は大人への憧れやカッコよさを求めてという
単純な理由だったけど。
しかし正直、ここ10年くらい前から、ずっと止めたいとは思っていた。
しかし、精神的にイラついた時にタバコを吸えば落ち着くという「思い込み」
疲れた時にタバコを吸えば落ち着くという「思い込み」
満腹になった時にタバコを吸えば落ち着くという「思い込み」
タバコが自分にとって必要なものだという「思い込み」が原因で、
止めることができなかったわけ。
これって、ある種の「依存」だね。
依存という言葉がイコール「甘え」に思えて仕方がない自分は、
自分の中の「甘え」と戦うことになる。

自分に勝ちたい。
これが禁煙を支える一番大切な思いになる。
人のために止めるとか、誰かに言われたから止めるとかは絶対に無理。
そんな簡単だったら、もっと前から止めているはず。

あとはバラマキマニフェストを実行するため
安易にタバコ税を大幅増税した民主党政権。
民主党のマニフェスト自体に断固反対なので、
これ以上タバコ税を納税して増収に協力したくないという気持ちは強い。
自分の吸うタバコの半分以上が民主党のバカげた政策実行の
資金になると考えたら自然に禁煙して抵抗してやろうと思えたね。

怖いのは「習慣」がタバコを欲しがることかな。
目覚めの一服。
食後の一服。
仕事の合間、ヒマになった時の一服。
仕事が終わった後の一服。
帰宅後の一服。
風呂上がりの一服。
等々…。

この「習慣」をどう克服するかがカギになるだろう。
だけど、昨日は1日6本しか吸わなかった。
特にイライラすることもなく、普通に過ごせた。
今、手元にあるタバコは大切な人から貰ったタバコなので大切に吸っている。
「なくなったら止める」という区切り的なものも自分には良かったと思う。
これが自分で買っていたら、値上げ前に新たに買い足していたかもね。

今度の連休中には完全に手元のタバコはなくなるだろう。
そしたら、いよいよ禁煙スタートだ。
タバコを止めたら太るようなので、それだけは気をつけよう。

ということで、長々と駄文失礼。


親分

2010年10月07日(木)

親分の愛称で親しまれた元日本ハムファイターズ監督の大沢親分が
お亡くなりになった。
謹んでご冥福をお祈りします。
ネットのニュースで訃報を見た時は、さすがに驚いた。
しかし「サンデーモーニング」を2週連続で休んでいたらしい。
もう、あの「喝!」は聞けないのか…寂しいね。

大沢親分の現役時代は、もちろん全然知らず。
やはり、日本ハムファイターズの監督時代が記憶にある。
ファイターズを優勝に導いた経験もあるし、黄金時代のライオンズと
優勝争いを演じたり、監督としては優秀だったと思う。
監督として7回の退場経験の武勇伝もあるけどヾ(^-^;)

最近では、やはり「サンデーモーニング」の御意見番がインパクトあったね。
もう1人の御意見番は、僻み根性丸出しの意見ばかりで
時折イライラさせられるけど、大沢親分の「喝!」や「あっぱれ!」は
自分の気持ちをストレートに伝えていたと思う。
それに野球以外のスポーツにも積極的に目を向けていたし。
大沢親分が亡くなった事で「御意見番」のコーナーも
打ち止めにした方がいいのかもしれないと思う。
仮に存続するとしても後任がいないだろうし。

本当に今年はプロ野球界に訃報が相次ぐ。
こういうニュースを知るのは、やはり寂しい限りだ。

 < 過去  INDEX  未来 >


Web Master