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2009年09月29日(火)
八ッ場ダムが揉めているね。 八ッ場と書いて「やんば」と読むとは今まで知らなかった。 さて、八ッ場ダムは必要か?と考えると、どうも要らない気がする。 だって50年だよ。 50年前って、どんな時代かと言うと、テレビ放送が始まり 金持ちの家に白黒テレビがお目見えした時代。 そして固定電話が金持ち専用から漸く庶民の家にも普及しはじめた時代だ。 今はカラー放送どころか「アナログ放送はもう受信できなくなります。 地デジに切り替えましょう」と言い、小学生までが携帯電話を所有している。 本当に必要な物だったら、とっくに造られていなければおかしいと思う。
建設中止反対を訴える住民も「必要なダムだから造れ」というのではなく 「ここまで来て中止されたら、もう生きてはいけないから造ってくれ」と 訴えているようだが、そもそも計画当初は地元は猛反対だった。 どうしても造りたい国が、あの手この手で住民を籠絡するために 様々な生活保障を約束して、なんとか建設同意に漕ぎ着けた。 ところが今になって建設中止になれば、生活保障まで白紙に返されてしまうから 困るってことなんじゃないのかと疑ってしまう。
結局は、ずーっと自民党政権が続いてしまったことが、 こうした問題の元凶なんだろう。 ほんのわずかに細川連立政権などがあったが、その時は触れられることはなかった。 もっと早くに政権交代可能な政治が行われていれば、 同じ計画が半世紀にも渡って続けられるなんて無駄は起きなかっただろう。
八ッ場ダム建設続行か中止かの判断基準はひとつしかない。 要るか要らないか。 要るなら造るべきだし、要らないなら造らないべきだ。 50年もの間、造らなくても大丈夫だったので、どうも要らないように思うから 造らない決定は正しいのかな…? 残された問題は、国に乗せられたまま途中で梯子を外される地域住民の生活だけだ。 確かに嫌々移転させられた挙句、補償される筈だった移転後の生活も 知らんぷりされる住民たちは気の毒でしかない。 「お前たちは勝手に死ねば」みたいな物だ。 解決法は、中止後の生活保障しかないだろう。 幸い民主党は後のことは考えずにバラマキが得意そうなので、 これはなんとか解決できるんじゃないかな。 ばら撒いた後、日本という国の未来がどうなろうが、 自分達はすでにこの世からいなくなっているから関係ないみたいだしね。 後に残される今の子供たちが不憫でならないよ。
民主党は結局のところ、今まで「反対の為の反対」しかしてこなかった。 それをそのまま政策にして実行しようとしてるから問題が起きる。 政権交代の準備をしてきて、次の内閣とか決めていたりしていたくせに、 いざ政権を握ってみると何も準備してきていない。 なんせ、ダム建設中止をマニフェストに掲げながら、 選挙前に1度も民主党の議員は視察にさえ来たことが無いどころか、 衆院選でも民主党は八ッ場ダムを擁する群馬5区には候補者を立てなかった。 地域住民の声なんて最初から聞く気がなかったってことだ。
おまけに政権を取っても 「未知との遭遇で失敗するかもしれないけど、そこは寛容に」なんて 早々と逃げ口述までして政権を何だと思っているんだ。 今の日本の内閣に失敗は許されないんだけどな。 失敗したら内閣全員、腹を切って国民に詫びるくらいのことはして貰わないと。 それくらいの覚悟で臨んでもらいたいよ。 まぁ、八ッ場ダムに関しては言い方が悪いが自分にとっては 「対岸の火事」なので、どっちでもいいんだけどね。
最後に住民が恨むべき相手は中止する民主党ではない。 そもそも、こんな計画・政策を実行した自民党の方だろうね。 要は自民党も民主党もアテにはならないってこと。 日本の民主政治は終わっているってことだけははっきりしている。
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