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2009年06月15日(月)
日記を2日も書かなかったのは久しぶりかも。 土曜日は長かった歯医者へ最後の通院。 一応、これで通院は終わりだが、親知らずを抜いたほうがいいらしいので 大学病院への紹介状を書いてもらい、そのうち抜きに行かなければならない。 歯医者の後、上石神井の実家へ行った。 そして帰宅後、ショックなことが…。 ショックが大きすぎて日記を書く気力が起きなかった。 日曜日は試合後、すぐに帰宅して食事、風呂、 そして15時からマンションの理事会に出席。 なんか面倒な問題も出てきて今月の理事会は2時間くらいかかった。 いろいろ頭を使ったので、かなり疲れて早めに寝てしまったので日記をスルー。
さて、土曜日の夜に知ったショックなこととは…。 あの三沢光晴選手が亡くなった。 最初に、このニュースを知った時は「嘘だろ?」と…。 広島グリーンアリーナで開催された大会のメインイベント、GHCタッグ選手権の 王者・バイソン・スミス&齋藤彰俊VS挑戦者・三沢光晴&潮崎豪において 三沢選手が齋藤選手のバックドロップを浴びて動けなくなり 試合はレフェリーストップ。 AEDを使用して蘇生したが心肺停止のまま…。
プロレスファンなら「あの受身の上手い三沢がなぜ?」と…。 いまだに信じられない。 三沢を有名にしたのは2代目タイガーマスク。 だけど一番強烈に印象に残っているのは超世代軍から始り、全日の四天王時代だ。 三沢、川田、小橋、田上、ハンセン、ウィリアムズ、ベイダー、高山、エース、秋山。 馬場さんが唸るほどの高度な技術と受身を身に付け、 1990年代のプロレスを引っ張った功績はプロレス界の宝石箱である。 特に超世代軍(三沢、川田、小橋、菊池)の時代は空前絶後の激しい試合の連続に 深夜枠でも高視聴率を連発した。 福沢朗アナウンサーの「ジャストミート!」はこの時代に生まれた。 また四天王(三沢、川田、小橋、田上)の、完成度の高いプロレスは 職人芸の連続でファンを歓喜させた。 日本のプロレス史上、この時代を真の黄金期とするプロレス・マニアも多く、 プロレスが最高度に熟成した時代の中心人物が三沢光晴だった。 この1990年代の全日本プロレスが深夜枠であったことは残念極まる。 多くの少年達に見てほしい感動的な戦いの連続だった。 特に三冠ヘビーの時には地鳴りが響くほどの観客のストンピングと声援、 凄まじい激闘の数々。この時の全日は本当にすごかった。
ちなみに自分の一番の思い出の試合は、金沢で始めて世界タッグを奪取した 三沢&川田VSゴディ&ウィリアムスかな。 本当に感動的な試合だった。
しかし、御大ジャイアント馬場が亡くなり、ゴタゴタの中でNOAHを立ち上げる。 三沢光晴と共に行動を起こしたレスラーの人数を見て、 「この人は本当に信頼されている人なんだ」と感じた。 だからこそ、ファンもついていったんだと思う。 そして三沢の著作「理想主義者」という本が刊行された。 経営の意思決定をトップダウンではなくボトムアップで。 さらに白GHCベルトの創設や数々の面白いイベントやコスプレまで。 馬場さんの「明るく面白く激しく」を実践し、なおかつ他団体とも交流を図って、 蝶野選手との友情から生まれた対抗戦など、歴史的なイベントを成功させてきた。 セメントやらアングルやら八百長など関係ない。 プロレスの面白さは、やっぱりこの人が作ってきたと信じて疑わない。
三沢を喪い、これからNOAHは、いや日本の、世界のプロレスは どうなってしまうんだろう。 これは損失などという生易しい表現では語れないほどの歴史的なことだ。 こんなこと…この事件からプロレス界が大きく舵をとり 進路を変えざるを得なくなっていくのだろうか…。 奇しくも三沢の団体名は「NOAH」
プロレス界を次代へ担う命を負い船出したリーダーを我々は失ってしまった。 偉大なる水先案内を亡くした船は、これから誰がどこへ導いてくれるというのか…。 大いなる不安を抱き、我々ファンは、ただ今は三沢の冥福を祈ることしかできない。
よくレスラーは「リングで死ねたら本望」と言うが、 本当に死んでしまってはダメだよ。 三沢のエルボー、もう見ることはできない。 ジャンボ鶴田、冬木弘道、ジャイアント馬場、そして橋本真也、 いずれの時もショックだったが、今回はリングの上ということもあり ショックというより受け入れたくない気持ちの方が強かった。
三沢光晴を絶対に忘れない。 いや、忘れられないプロレスラーだ。 ありがとう、三沢光晴。 スパルタンXの入場テーマ曲がいつまでも頭の中でリフレインしている。
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