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2009年04月08日(水)
以前、「池」と「沼」の違いについて書いたが、 今日は少し哲学チックな話になってしまうが…(^^;) 「夢」と「目標」の違いは何か?
「夢」が実現可能不可能を問わず一番の望みなのに対して 「目標」は実現可能な範囲の望みと聞いたことがある。 成人式の時にニュースで新成人に「成人になっての夢」 みたいなことを聞いていたが、 「夢」というよりは「目標」が多かったような印象を受けた。 「○○に就職したい」とか「早く結婚したい」みたいな。 大量の派遣切りや年越し村のニュースが大々的に報じられていた頃だから、 そういう世相が反映されているのかな? あるいは「就職したい」が「目標」ではなく「夢」という 恐ろしい世の中になってきているのか…。
ほとんどの人間が「望み」を持っている。 金持ちになりたいとか、彼女が欲しいとか、たくさんの友人が欲しいとか、 家族に愛されたいとか、病気を治したいとか……。 「望み」というのは自分をより良い状態に導きたいというエネルギーだろう。 平凡な言葉を使えば「幸福になりたい」ということなのかもしれない。 もちろん、この「望み」は「夢」である場合もあるし「目標」である場合もある。 どちらにしても、このエネルギーは正のベクトルのエネルギーと言えるだろう。
一方で多発している「誰でもいいから人を殺したかった」というような犯罪。 ここからは憎悪に満ちた負のエネルギーが感じられてならない。 秋葉原通り魔事件の容疑者は「恋人が欲しい」「友人が欲しい」 「仕事が欲しい」と前述の正のエネルギーの望みを書き連ねていた。 しかし、そいつが「誰でもいいから人を殺したかった」と 負のエネルギーに転化してしまうのは、これらの望みが叶えられなかったため、 つまりは「絶望」だろう。
「望み」が叶えられないのは、ほとんどの場合に「自己責任」とされる。 「仕事がない」ようなことは「社会にも問題はある」と 一部に擁護の声もあるが、これが「恋人ができない」とか 「友人ができない」という次元になれば「それは本人に問題がある」と、 完全に自己責任とする見方が大半である。当然だ。 もちろん恋人ができない原因を他人に求められても困るのだが、 こうした簡単に「自己責任」と突き放す結果が「望み」を「絶望」に変え、 向上の正のエネルギーを憎悪の負のエネルギーに転化させてしまう。 突き放すだけで本当に良いのか?それは彼らを甘やかすためではなく 「誰でもよかった」という理不尽な犯行から自分自身を守るためでもある。 かと言って、では有効な解決法を教えろと言われても答えに窮してしまう…。 本当に悩ましい問題だと痛感するだけだ。
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