|
2009年02月19日(木)
昨年4月に江東区潮見のマンションで女性を殺害し、 遺体をバラバラにして下水道に流したり、ゴミ捨て場に捨てた事件の判決公判が 昨日に行われ、裁判長は求刑の死刑を退けて無期懲役の判決を言い渡した。 理由は「残虐、冷酷な犯行で被害者の無念の思いと 遺族の悲嘆は察するに余りあるが、殺害の計画性や前科もなく、 死刑をもって臨むのは重きに過ぎる」 事件の内容から、いわゆる「永山基準」などをふまえて検討した結果だそうだ。 この事件は自分の家の近くの潮見で起きた事件なので 公判からずっと注目し、どのような判決が出るのか気になっていた。
人1人を殺しておいて死刑は重すぎなのか? 俗に「神隠し事件」とも言われた「江東区マンション殺人事件」 裁判員制度の施行が近いということで、公判の行い方に新たな方法が取り入れられ、 事件の残忍さなどが言葉や映像ではっきりと伝えられた。 実際、傍聴席に座らないと映像は解らないものの、 法廷ライブなどの文面化されたものを読むだけでも 事件の詳細が分かる公判だったのは確かだ。 http://sankei.jp.msn.com/etc/090114/etc0901141914001-n1.htm
そんな内容から推測したのは被告の死刑判決だった。 遺族はもちろんのこと、被告本人も死刑を望んでいた。 しかし、結果は無期懲役…。 個人的には、どんな状況でも、被告がどんな心理状態だったとしても、 「人を1人殺したら死刑」 これが自分の持論である。 だが、被害者が1人の殺人には無期懲役の先例が多い。 連続4人射殺の永山則夫事件で最高裁が示した死刑適用基準が、 その後の判決をリードしてきたから…。 なので、この事件の犯人が捕まった時、どうせまた無期懲役だろう…と思った。 まず第一に被害者は1人で、計画的な殺人ではないようだし…。 結局、今回も「永山基準」を踏襲した。
今年になって行われた公判の日に更新される法廷ライブを 必ず、その日の夜に読んでいたが、やはり死刑が妥当、いや死刑で当然だ。 身勝手で人間を人間と思わない行動。 たとえ被害者が1人でも、たとえ計画性がなかったとしても、 こんなことが出来る人間が生きていること自体がおかしい。 本人も望んでいるのだから絶対に死刑判決じゃないと遺族も納得できない。
だけど無期懲役。 被害者の数や計画性、前科などから考慮された「永山基準」 被害者の数や前科で判断するというのも、よく分からないが、 一番よく分からないのは計画性が無いから…という理由だ。 計画していなくても、とっさに簡単に人を殺してしまうのは 計画して殺すよりも性質が悪い気がする。 もちろん、計画性があろうが無かろうが、どちらでも人を殺すこと自体は大罪だ。 いったい「永山基準」って何なんだ!
【永山基準】 最高裁第2小法廷が1983年7月、永山元死刑囚に対する判決で示した。
1 事件の罪質 2 動機 3 事件の態様(特に殺害手段の執拗性、残虐性) 4 結果の重大性(特に殺害された被害者の数) 5 遺族の被害感情 6 社会的影響 7 被告の年齢 8 前科 9 事件後の情状 以上を総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、 やむを得ない場合に死刑も許される、とした。
この永山基準と言われるものを引用したが25年も前のものである。 裁判官も公務員だから前例に照らしての仕事が習慣になっていようが、 四半世紀も経てば時代も違ってくる。 そろそろ一審から裁判所が独自の見解を出してもいい頃ではないのかと思う。 ある程度の基準が欲しくなり、それが「永山基準」と言われているものなのだろう。 だた、下手に基準を作れば光市母子殺害事件のように 悪用するケースも出てきてしまうのに…。
その、ある程度決められた基準に則って機械的に判決を下すのなら簡単だが、 それでは裁判を開く必要性が無くなってしまう。 その辺をしっかり考慮して判決を!という重い役目を今年の5月からは 我々、一般市民が行わなければいけなくなる。 裁判員制度を考えても、永山基準では人によって解釈の違いも出てくるだろう。
今回の判決で裁判長は「残虐かつ冷酷で戦慄すら覚える」と 断じながら無期懲役にした。 やっぱり理解できない。 逆に考えれば「1日も早く死刑にしてほしい」という被告の願いに対して 「無期懲役」という判決を出すことによって 「簡単には殺さない、一生苦しめ」という裁判長の皮肉なのかもしれないけど。
それにしても、こんな裁判の裁判員なんかに選ばれたら大変だな…。
|
|
|