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2008年07月24日(木)
秋葉原の通り魔殺人から1ヶ月以上経ったが、先日またもや 八王子で通り魔殺人事件が発生してしまった。 また身勝手な理由で尊い命が犠牲となってしまった。 また「誰でもよかった」かよ(怒) 誰でもいいんだったら自分を殺せよ!と言いたくもなる。 自分が誰でもいいの1人だったらなどと言う想像力など かけらも持ち合わせていないようだ( ̄◇ ̄;) 犯行の動機も「仕事がうまくいかず親に相談したが、のってくれなかった。 むしゃくしゃして誰でもいいから殺そうと思った」などと 33歳にもなって言っている事は、まるで子供、いや子供以下のレベル。 むしゃくしゃしたにしても、何で誰でもいいから人を殺したいという考えに 結びついてしまうのだろうか? その短絡的な発想が理解出来ん!
本当に最近は通り魔殺人が増えてきている。 その犯行の理由のほとんどが短絡的な発想…。 もっとも、殺人にまともな動機などないけど…。 殺人は大罪である。 被害者が1人だろうと10人だろうと殺人犯は死刑に処すべきである。 自らの死をもって償ってもらいたい。
ここ最近、何かがおかしい。 これも人類終焉の予兆なのかもしれないと感じてしまう。 何かがおかしいと言えば、秋葉原通り魔事件の献花台に供えてある飲料が 最近、よく何者かに飲まれ、俗に言う献花台泥棒がいるそうだ。 「こんなことをする人は心が貧しい」とコメントがあったが、そうか?と思う。 心が貧しいのではなく、経済的に貧しいのではないかい?(-ω-)ノ
「誰も見ていなかったら、献花台に供えられたジュースを飲むか?」と 質問されれば「絶対に飲まない」と、ほとんどの人が答えるだろう。 それは、万が一の異物混入等の心配もあるし、亡くなった人へのお供え物という 神聖な物に手をつけてはいけないという「倫理観」もあるが、 極論すれば人としての「プライド」が大きいだろう。 決して「倫理観」のブレーキが一番では無い気がする。 「たかだか120円のジュースを献花台から盗んで飲むほど落ちぶれちゃいない」 という人としてのプライドが行為を抑止していると思う。 だが、これがもしも100万円の札束が置かれていて、 本当に誰も見ていないなら自重する自信はないという人は多いはず。 だから「倫理観のブレーキ」が一番ではないと言い切れるのかも。
日本が戦後の焼野原から復興し、やがて高度経済成長期に入る頃、 よく墓に供えられた饅頭を食う、高度経済成長に乗り遅れた乞食がいたという。 しかし、彼らの行為は大して問題にならなかった。 供えた人も寺も黙認していた感じだったという。 どうせ腐ってしまう物ならば、それが生きている人間の糧になるほうが役立つ。 そんな懐の深い仏教の考え方があったように思う。
現実に話を戻すと、アキバの献花台に置かれた食物や飲料、 あれを後で食べたり飲んだりすることはないだろう。 前述のような安全性の疑問もあるし、正式に処理するなら 所有権とかそういう面倒くさい問題が生じる。 ならば今、喉の渇きをそれで潤す人間のことなど放っておいて良いと感じる。 「献花台に供えた人の気持ち」なんてことを大袈裟に騒ぐ問題ではない。 「心が貧しいですね」なんてコメントの前に、 「そんな行為をする人間を生んでいる社会状況」の方を斬るべきだ。
願うのは、異物混入した飲料を故意に供えたりする新たな馬鹿者が現れないことだ。 そういう狂った輩が次から次へと出てくるほど現代は病んでいるから…。
1980年代頃ならば、こうした行為をする人間はほとんどいなかったように思う。 それは、ほとんどの人間が、こうした浅ましい行動を抑止できる 「プライドのブレーキ」を持てていたからだろう。 「格差社会」と、あっさり分析するのは陳腐だけど、 確かに人間は二分されてきているのかもしれない。 今の時代は戦後のあの時期に似てきているのかも…。
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