Web Masterの日記



池袋

2007年09月08日(土)

久しぶりに池袋に行ってきた。
先日、ビックカメラの2軒隣にオープンした巨大なヤマダ電機を全館見てきた。
品揃えは確かに多いし、ちょうどヤマダ電機の決算期だったので
決算大セール中ということもあり、ビックカメラよりも安い設定になっていた。
ただ、店頭で大声で叫ぶ店員が多すぎて正直、すごくうるさい。
負けじとビックカメラも、正面にあるビックパソコン館の店員も大声で叫ぶ。
なんか大声選手権の開場に迷い込んだようで興ざめ。
こんな街だったっけ?
まぁ、もともと池袋自体はそんなオシャレな街ではないから、それもアリなのかな。

ひとつ嬉しかったのは、大学時代によく通った
ハンバーグの店がまだ健在だったこと。
思わず20年ぶりくらいに入って食事してしまった。
20年の間に何度も池袋には来ていたものの、
この店の近くはなかなか通らなかった。
ここは池袋という街に慣れていない人は、表通りから奥に入った
ちょっと怖そうで通れないような裏にある店。
しかしボリュームもあり、安くて美味いハンバーグやステーキを
提供してくれる店で、自分のお気に入りの店のひとつなので、
あまり人には教えたくない店だ。
池袋の開発に飲み込まれず、まさかまだあったとは驚きだ。
いや、この裏通りは開発されるような地域ではないか。
店内は改装されて小奇麗になっていた。
だけどメニューも味も値段も変わっていない。嬉しい限りだった。

また定期的に池袋には通いたいね。

明日は野球が早々に中止になったので、何をしようか…。
夏合宿の写真でもアルバムサイトにアップしようかな。


ベテラン

2007年09月07日(金)

近年のプロ野球では、40歳前後のベテラン選手の活躍が目に付く。
金本にしても山崎、工藤、山本昌にしても若い頃と変わらぬ活躍で
チームの主力として頑張っている。
この背景には治療技術や体調をサポートする環境の充実、
そしてトレーニング方法の進化と多様化があるのだろう。

80年代にウェイトトレーニングが球界に浸透。
以降は体の内側に存在する筋肉「インナーマッスル」や
股関節、肩甲骨の運動性を高めるトレーニングなど、
パワー伝達の安定化、効率化をはかれる体を作りあげるための
トレーニング方法も普及した。
プレーの向上と故障の予防の両面で恩恵にあずかれる選手は確実に増え、
他にもメンタルトレーニングや体力よりも先に衰えやすいと言われている
動体視力を鍛えるトレーニングを積極的に取り入れることも普通になった。

長年、根性論が蔓延っていた日本球界のトレーニング方式に革命を起こしたのは
千葉ロッテのコンディショニングコーチである立花龍司だろう。
立花コーチ曰く「筋肉の曲がり角は20代後半で、トレーニングをしていないと
この時期を境に筋力がどんどん落ちていく」という。
しかし工藤のように若い頃から高い意識でトレーニングを続けてきた選手は
年齢を重ねても若い頃の筋力を保ったまま、
経験に応じてテクニックも上がっていく。
だからこそプレースタイルを変えずして活躍できる現在の姿がある。

若い頃に合理的なトレーニングに出会うことができた世代のメリットを生かし、
先を見据え、鍛錬を重ねてきたベテランたち。
40歳を超えてから自己最高スピードを更新した44歳の工藤公康。
連続フルイニング試合出場数は1000を突破した39歳の金本知憲。
11年前に達成したシーズン自己最多本塁打記録の更新間近の39歳、山崎武司。
20年前から変わらぬ球速で200勝目前の42歳、山本昌。
そして、戦力外通告を受けて退団したものの、39歳70日で
日本人選手としては最年長、メジャーリーグでも史上3番目となる
高年齢登板でメジャーデビューを果たした桑田真澄。

来年で自分は落合博満や野村克也が引退した年齢に達するが、
彼らの頑張りは同じ世代の自分にとっても大きな励みになるね。
球界のおじさん達には今後も頑張ってもらいたいものだ。


台風9号

2007年09月06日(木)

台風9号がスゴイ。
2年ぶりに関東へ直撃か。
それにしてもクソ遅い台風だな。
もっと速度を上げてどこかへ行きやがれ。

覚悟はしていたが、今週末の三郷は順延になった。
日曜の天気は晴れなので、どこかグランドが空いていないか
探してみたが、やはり急では無理だった。
みんなへの報告が遅れたのは、グランドを探していたため。

次の試合は3週間後。
かなり間が空いてしまうが仕方ないか。

今季は天候に恵まれて試合ができなかったのは開幕戦のみ。
その後は雨の中の試合もあったりしたが、中止なく試合消化できていた。
このままシーズンを終えたかったが直撃じゃあ…。

今週末で今年2度目の雨天中止。
ちなみに昨年の雨天中止も僅か2試合だけだった。
もう今年も中止にならず最後まで順調に試合をさせてほしいぞ。

雨と風の音がうるさい!


資本主義

2007年09月05日(水)

小泉前政権から「格差社会」という言葉が多く使われている。
現在の所得格差をめぐっての言葉である。
「ワーキング・プア」は、その象徴的な存在だろう。
汗水たらして働いても、生活保護以下の収入しか稼げない。
そんな境遇では、労働意欲も失われて当然だ。
よって「ネットカフェ難民」や「ニート」も増えて
社会の悪循環となってしまう。

かつてマルクスは、資本家から搾取されて貧困にあえぐ労働者に
「万国の労働者よ団結せよ!」と呼びかけた。
マルクスにとって資本主義とは、生産手段を独占した資本家が、
労働者(プロレタリアート)を安い賃金で働かせ、
賃金以上の商品を生み出すことで「儲け」を独占するシステムだった。
資本主義が続く限り、労働者は労働の充実、ひいては豊かな人生を得られない。
よって「資本家階級を打倒し、労働者階級を解放せよ!」というのが
いわゆるマルクス主義の階級闘争論だ。

格差が開きつつある現在、マルクス同様に資本主義に冷酷さを感じる人も多い。
しかし、ソ連が崩壊し、私有財産を認めない「共産主義」が
幻想でしかなくなった今、資本主義に変わる制度はおそらく存在しないだろう。
一国単位で考えるならば、全体のパイを増やすことで
たとえ格差があろうと豊かさは実現できるはず。
現在だって日本は最も豊かな国の一員であり、途上国のように
毎日、餓死者が続出するような社会ではない。
その程度に資本主義は成熟を遂げてきたのだと思う。

資本主義ゆえの不幸と幸福。
その収支がどちらに傾くかは個人によって違うが、
パイの増加(経済成長)と、その再分配、さらには機会の平等の保証は
これからも政治の課題でもある。
かつての日本型資本主義は、終身雇用と年功序列によって、
労働者の生活は守られていた。
昭和30年代、高度経済成長期は貧しさの中にも活気が溢れていた。
今や終身雇用も年功序列も過去となっている社会で
日本の政治はどのような資本主義で国民を幸せにしてくれるのか…。
安倍政権に期待していいものなのか…。


世界陸上

2007年09月04日(火)

最初に訂正。
昨日の日記で東京都心の8月の平均気温が過去2番目に高いと書いたが、
調べたところ、平年より2.4℃高い29.5℃で、過去最高だった平成7年の
29.4℃を僅か0.1℃上回り、観測史上過去最高の高さだった。
ちなみに25℃以上の熱帯夜が16日も連続したほか、
最高気温が35℃以上の猛暑日も7日を数えた。
猛暑日は平年1.1日しかないのに、大きく上回り、
2007年の夏は最も暑い夏だったといえる。
温暖化の恐怖は我々が考えている以上に速いスピードで迫っている。

さて、話は変わって本日の内容。
日本選手の期待はずれが相次ぎ、しまいには競歩では係員のミスのため
よりによって日本選手を失格に追い込んだりして運営面でのドタバタも露呈。
観客席も埋まらず盛り上がりに欠けた世界陸上大阪大会が日曜日に終わった。
だいたい夏の大阪の暑さはハンパない。
なんで大阪なのか?日本人が一番不思議に思っていたのではないだろうか。
結局、メダルなしのまま最終日に突入したが、
そんな窮地の日本を救ったのは女子マラソンの土佐礼子だった。
粘り強い走りで見事に銅メダルを獲得した。

土佐礼子で思い浮かぶのは、2004年の名古屋国際女子マラソン。
アテネ五輪最終選考となったこのレースで土佐が終盤で逆転優勝。
そのあおりを受けて五輪出場有力だった高橋尚子が落選したなんてことがあった。
その名古屋国際といい、今回の世界陸上といい、
土壇場で力を出せる土佐という選手はさすがだと思う。
ちなみに、この銅メダルで北京五輪内定第1号となったとか。
ところで土佐礼子ってやっぱり、KABA.ちゃんに似てるような…。
何度見ても、あの貧相な顔が好きになれない。

そんな女子マラソンだが、何か変な観客もいたようで。
まずは15キロ付近で自転車男が乱入。
アテネ五輪の男子マラソンの事件の再来か?と思ったが、
選手に接触することはなく、ひとまず安心。
そして27キロ付近では勝訴男が登場。
手に勝訴という紙を持ってカメラに写っていたのだが、
これが大阪クオリティってヤツなんだろうか?
全世界に中継されていただけに日本の恥を見せてしまったような…。
盛んに北京五輪が叩かれているが、もし大阪で開催されていても
同じような気がしてしまった一瞬である。

ということで世界陸上も終了。
織田裕二のテンションが暑苦しいとか、織田裕二のシャツが開きすぎとか、
織田裕二にはいろいろ言いたいことがあるものの、ネタ的にはOKなので
2年後の世界陸上も織田裕二と中井美穂のコンビでやってほしいね。
大阪よりはきっと盛り上がると思うしね。


今夏、そして温暖化

2007年09月03日(月)

猛暑が続いた8月も終わり早くも9月である。
8月には埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9℃を観測し、
74年ぶりに国内最高気温の記録を塗り替えた。
全国的に見ても10年以上、観測を続けている地点のうち
北海道から沖縄まで計92地点で過去最高気温の記録を更新し、
本当に暑い夏だったことを証明した。
これほど多くの地点で最高気温を更新するのは極めて異例と
気象庁が談話を出したほどである。
月平均気温についても、過去最高を更新する地点が多かった。
東京都心(大手町)も8月平均気温が過去最高を更新するか注目されていたが、
後半27日頃から曇天が多くなり、結局更新はされなかったものの
過去2番目に高い月平均気温となった。

今夏は当初から太平洋ペルー沖の海面水温が低下する
「ラニーニャ現象」の影響などから猛暑が予想されていた。
梅雨明けが遅れたため7月中こそぐずついた天気が多かったが、
8月に入ると予想通り太平洋高気圧の勢力が強まり、猛暑の8月となった。
ちょうどお盆の時期、各地で最高気温が更新されたときに自分は沖縄にいたが、
気温は30℃くらいだったが風があるため湿度が低く、
逆に日本で一番暑くない場所だったかもしれない。

そういえば今年の4月に最高気温が35℃を超えた場合、
「猛暑日」と呼ぶと気象庁が発表した。
初めて「猛暑日」を使うことになった今夏は
東京、名古屋、大阪、福岡などの大都市で
この猛暑日の合計は30年前の3倍近くになったという。

気温が年々上昇しているのは日本だけではない。
地球の体温は確実に上昇している。
それを考えると、この星はいったいどうなってしまうのか不安になる。
自分が小学生だった頃、ほんの30数年前は夏休みの間に
気温が30℃を上回る日は数えるほどだったはず。
子供ながらそんな日は異常な暑さだと思ったものだ。
それが今では35℃なんて当たり前で、気がつくと36〜37℃と
体温並みの気温の中で生活しなくてはならなくなっている。
体感的には、この30年間で東京の夏は5℃も気温が上昇したのだ。
まぁ、30年前に比べれば文明は急速に発展し、便利な世の中になった。
街には車があふれ、室内はクーラーで冷やされ、ほとんどのものが電気で動く。
二酸化炭素が増えるのは当たり前である。
こんな形で生きている先進国の人間の存在そのものが
この星にとっては有害なのかもしれない。
地球という星にとって、人間ほど害毒を垂れ流す生物はいない。
いっそ、エネルギーが全部なくなって、地球の人口も半分になれば…。
そんな悲観的な小説や映画などはよくあったりする。

自分の甥っ子は今4歳、チームの子供たちで一番上は12歳の亜沙子。
ジミーの子供なんてこれから、この星に産まれてくる。
自分が地球上からすでにいなくなっている50年後の未来、
この子たちはまだ地球で暮らしているのだ。
次の世代のこの子たちがまだ生きている半世紀後は、
さらに東京の気温が5℃上がっていたら、東京の最高気温は42℃となる。
熱中症で毎日100人単位の死者が出るかもしれない。
そしてオゾン層は確実に破壊されているだろうから
直接浴びる紫外線の影響で皮膚がんが増加し、
人間の染色体異常や生態圏の崩壊も…。
まさに殺人的猛暑となる可能性は決して低いとはいえない。
おまけに地球上の氷は溶け、海面水位が上がって
世界中の都市が海の中に沈んでいるかもしれない。
海抜の低い東京や大阪は完全に海の底だと言われている。

そんな近い未来のことを考えると、自然に温室効果ガスの問題にも
真剣にならざるを得ないのだ。
冷房の設定温度を上げ、電気はこまめに消し、使わない時はPCの電源を落とす。
それでどれほど電力消費を抑えて、二酸化炭素排出を抑えられるのか
分からないし、きっとほとんど役にはたっていないのかもしれない。
だけど、それでも何もしないよりはマシだと思う。

この星の環境は大切にしなければならない。
「環境野郎Dチーム」を観ているから思ったことではない。
自分たちはほんの80年ほど地球という星の上で生きる場所を借りているだけ。
いつかはその場所を返さなければいけないし、次の世代に明け渡すことになる。
その時、汚し放題のままにするか、あるいは気持ち良く再利用できるようにするかで
やっぱり個人個人の人間性が問われることになる。
今以上に地球の体温が上がらないよう、できることから始めなければならない。
すでに止めることは不可能といわれている地球温暖化だが、
次の世代のために少しでも温暖化を遅らせられれば良いと思う。

なんだか話がえらく逸れてしまったような(・ω・;)


電王ツアー

2007年09月02日(日)

今日の試合後、三郷のIC近くにあるMOVIXで
「仮面ライダー電王 俺、誕生!」の映画を観る。
金曜の夜にテッチャンから拓と一緒に観に行くので一緒に行きませんか?と
メールをもらい、即効で「行く!」と返信。
もちろん則ぞーとチャーミンも即効で「行く!」
伊藤君と健也&達也も行くことになり、結局、大人4人と子供3人で
「電王ツアー」と題して映画館に繰り出した。
その間、女性陣と女児たちはテッチャンの家で待機。

初めて三郷MOVIXに行ったが、イトーヨーカドーやスーパービバホームもあり
3000台以上入る駐車場は大混雑していた。
こんなに大勢の人がこの辺鄙な場所に来ていることに驚いた。
まぁ、三郷辺りじゃ他に遊んだり買い物したりする場所もないんだろうな。

映画は期待以上に面白かった。
野球の後ということもあり、途中で寝てしまうかも…という心配もあったが、
最初から最後まで面白くて寝る暇なんかなかった。
あんまり好きではない「ゲキレンジャー」も意外と面白かったな。
しかし唯一、一番楽しみにしていた則ぞーは途中の記憶がないらしい(・ω・;)

映画を観終わった後にテッチャンの家に移動したら、
なんか予想外で夕食の支度が…。
そしてなぜか拓に誘われて一緒に風呂に入って水攻めに遭う。
風呂の後に大勢で手巻き寿司パーティー。
とても野球の後とは思えないほどのイベントになってしまっていた。
果たして子供たちは今日、ちゃんと小学校や幼稚園に行けたのだろうか?

だけど、もし今度、何かの映画とか行く場合は野球の後は避けたいね。


再開発

2007年08月31日(金)

今日、銀行へ行く途中に何かの撮影を見かけた。
まぁ、銀座では珍しいことではない。
だがミーハーの虫が騒いで、立ち止まってカメラを向けられている女性を見る。
柳通りの柳の下でポーズをしている女性、一目見て誰だかすぐ分かった。
キャンキャンもモデルの押切もえだ。
背は思ったほど高くなかったが、スタイルは抜群。
そして驚くほど顔が小さかった。
周りにはOLやらサラリーマンやら多くの人が見ていたが、
スタッフらしき人が「写メでの撮影はご遠慮ください!」と
何度も大声で言っているため、携帯を取り出せる雰囲気はなく、
みんな遠目から見る以外できなかった。
押切もえがいるならエビちゃんこと蛯原友里もいるのでは?
何気に探してしまったが、押切もえはキャンキャンからアネキャンの
専属モデルになったのでキャンキャン専属のエビちゃんはそこにはいなかった。

今日は曇りとはいえ、まだ蒸し暑いのに秋冬用の撮影なのだろうか、
冬用のコートを着ての撮影だったが、さすがトップモデルだ、
一滴も汗をかかず涼しい顔でカメラの前に立ってポーズをつけていた。
その後、柳の下に停めてあったミニクーパーと撮影したりしていた。


明日、柳通りより一本銀座よりのマロニエ通りに
「マロニエゲート」がオープンする。
マロニエ通りの入り口に位置するビルなので
「マロニエゲート」と言うらしい。
うちの店はマロニエ通りと柳通りの間にあるが、近いのはマロニエ通りだ。
今、そのマロニエ通りは再開発ラッシュで大きなビルがどんどんできているが、
12階建て「マロニエゲート」は全面ガラス張りでかなり目立つビルであり、
なんといっても、その5階〜9階部分には、あの「東急ハンズ」が入っている。
銀座に東急ハンズとは何か不似合いな感じもするが便利になるのは間違いない。
完成直後は混んでいるので行く気にならないが、
落ち着いたら何か面白い物がないか探してみたいね。

マロニエ通りと中央通りの交差点である「銀座二丁目交差点」は
世界一高い交差点として有名。
ブランドの専門店が揃っているが、今年の暮れにはそこに
ブルガリタワーも完成する。
そうなると「銀座二丁目交差点」の四隅は「ルイ・ヴィトン」「シャネル」
「カルチェ」「ブルガリ」と世界でも類のないブランド交差点となる。
自分は毎日、そこを通って通勤しているものの、
今までどこのブランドビルにも足を踏み入れたことがないけどね。

マロニエ通りを有楽町方面に行くと「有楽町駅前再開発」にぶつかる。
確か巨大な丸井が核となっている複合商業施設の
「有楽町イトシア」も10月中にオープン予定だったような。
有楽町イトシアの地下1階には新宿南口で常に行列している
「クリスピー・クリーム・ドーナツ」の日本2号店が入る。
1930年代から受け継がれたレシピによるドーナツ
「オリジナル・グレーズド」をはじめ、
口の中で溶けるような軽い食感のドーナツが人気で
常に行列の絶えないショップとして有名だ。
平日でも1時間半待ちなので自分は未だ買ったことがない。
有楽町に店舗ができれば少しは分散されて買いやすくなるのかな。
まぁ、機会があれば一度は買ってみたいね。

有楽町も銀座も丸の内もそうだが、地価が下がり、景気も回復してきたので、
どんどん再開発されて便利になっていくが、
その一方で特に有楽町駅周辺の昔からあった飲食店が
撤退してしまったのは、なんだか寂しい気もする。
自分の通っていたホットドック屋も知らないうちに店を閉めていたし…。


ラジコン

2007年08月30日(木)

きっと男なら子供のとき、誰でも一度は抱く「ラジコンが欲しい」という想い。
特に今ほど多様かつ安価なラジコンが世に出回ってはいなかった
70〜80年代に子ども時代を過ごした自分のような世代にしてみれば、
「親に買ってもらえた」もしくは「親に買ってもらえなかった」など、
思い出のひとつやふたつはあるはずだ。

当時、まだF1はマニアしか知らない世界だったが、
1970年代、2年連続で富士スピードウェイに来た時、
ワクワクしながらテレビにかじりついて世界最高峰のレースを見ていた。
ジル・ビルヌーブのフェラーリがクラッシュして観客が巻き添えで死亡し、
それから日本にF1は来なくなってしまったが、
中学時代もずっと「AUTO SPORTS」などの雑誌を見て、
自分のF1好きは変わらなかった。
当時、ジャック・ラフィーが乗っていたリジェのラジコンが欲しくて、
なんとか親に買ってもらった記憶がある。
あの頃は今のように最初から組み立てられているタイプの
自動車のラジコンはなく、プラモデルのように組み立てるタイプばかりだった。
今は最初から組み立てられていて、コントローラーも片手で持つタイプが多く、
かっこいい本格的なラジコンを玩具売り場で目にすると、
大人になった今でも無性に欲しくなる時があったりして。

ラジコンが面白いのは、恐らく自分の意思のとおりに
自動車やヘリコプターが動くという、予め決められた動きしかしない
オモチャにはない自由度の高さだと思う。
自分が右に動かそうと思えば右に、バックさせようと思えばバック、
ただそれだけのことが、子供の頃には、やけにスゴイことに思えて、
自由自在に操縦している人を見ると目を輝かせたりした。

だが、ラジコンを動かす時に必ず付きまとっていたのは
「どこで動かすのか」ということだ。
車道は危ないのでNG、公園は人が多くてNG、デパートの屋上とかにあった
専用コースは、ちょっとプロっぽい人たちが多いのでNGと、
東京に生まれ育った自分には、ほとんど外で動かせる場所がなかったように思える。
仕方がないので家の中で親に鬱陶しいと怒られるのを覚悟で遊ぶしかなかった。
結果、ラジコンの本来の力や魅力を存分に楽しむというレベルまで、
その世界に浸ることができなかったな。

まぁ、自分もそれなりにラジコンに対する想い出があるわけだが、
当時は全く知る由もなかった法律の存在を今、初めて知ることになった。
実は、電波の混線などを防ぐために、ラジコンを遊ぶ場合には
「建物から500メートル以上離れなければならない」と、
1957年に制定された法律で規制されていたのだ。
500メートルと言えばかなりの距離だ。都市部だったら、公園でも私道でも、
絶対に遊ぶのは無理な話じゃないか…。
ちなみに屋内で遊ぶことは問題はないようというので、
自分が子供の頃、家の中で動かしていたのは法律違反ではなかったというわけだ。

電波法の施行規則(昭和25年電波監理委員会規則第14条)第6条第2号に
次のように書かれている。

○電波法施行規則(昭和25年電波監理委員会規則第14条)第6条第2号の
規定により、免許を要しない無線局の用途並びに
電波の型式及び周波数を次のとおり定める。
・模型飛行機、模型ボートその他これらに類するものの無線操縦用発振器
(以下「ラジコン用発振器」という)又は有線式マイクロホンのかわりに
使用される無線電話用送信装置(以下「ラジオマイク」という)であって、
壁で囲まれた建築物の内部において又は
建築物から500メートル以上離れた場所において使用するもの

つまり、無線の免許を持っていないなら、ラジコンは建物から
500メートル以上離れてやりなさい!という法律だ。
果たしてラジコンを持っている人の何割がこの法律を知っていて、
どれくらいの人が守っているのだろうか?

しかし、無線技術も飛躍的に進歩し、電波の混線なども
起き難い技術が出てきているため、総務省は50年の時を経て、
時代に即した内容に改正するよう動き出した。
これまであまり知られていなかった法律とはいえ、
知らず知らずのうちに法律を犯していたとなれば、
ラジコン愛好家や子供たちも良い気分ではない。
なので、こうしてようやく重い腰を上げたことは素直に喜びたいところだ。

法律の改正は来年2月頃までに方針を固めるようなので、
まだ少し時間がかかりそうだが、着実に動き出してはいるという。
自宅の庭や私道、公園などで大手を振って遊べるようになるなら
自分も何十年ぶりで、ひとつ本格的なラジコンを買ってみても良いかも。
そんな気分になる身近な法律改正のニュースだ。
一日も早く、ちゃんと改正されますように。


マンゴー

2007年08月29日(水)

今年に入って、やたらとマンゴーがブームのようだ。
お菓子もアイスもマンゴー果汁や果肉入りの商品が店頭に並んでいる。
調べてみると今年は昨年記録した輸入量、輸入額の過去最高のペースを
余裕で抜いてしまう勢いだという。
また高級品とされている国産マンゴーの消費率も過去最高となった。
まさにマンゴー天国ニッポンだ。

そもそもなんでこんなにマンゴーが流行ったのか?
特に宮崎産マンゴーは万単位の値段で庶民には手の出ない高級品だ。
しかし、今年のマンゴーブームは今の日本人の高級嗜好の表れではないかな。
景気もようやく上向きかけ、ゆとりが出てきた証拠なのかもしれない。
景気が良い時は、得てして変わった物や話題性のある物を求める傾向にある。
約20年前のバブル期、エスニックブームやアジアンデザートが流行った。
タピオカやマンゴープリンは、バブル期以前には
日本にはなかったデザートである。
そして、それらの物は日本に定着した。
このバブル時代のブームの流れの中で、パパイヤやマンゴーも日本にやってきた。
中原めい子の「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」
という曲も流行ったくらいだ。

輸入物の変わったフルーツとして日本に定着したマンゴーは
九州や沖縄の気候ともマッチして日本産も作られるようになった。
そして再び景気が良くなってきた今、消費者に注目されだしたのだろう。
しかし、一緒に入ってきたパパイヤはマンゴーほど定着していない。
マンゴーがこれほどまで日本に定着したのは
今や日本の文化には欠かせないファミレスの存在が大きいのではないだろうか。
バブル期の1980年代半ばからデニーズでは毎年、苺フェアの次は
マンゴーフェアが開催されている。
日本全国にあるデニーズでマンゴーのデザートが必ず毎年提供され、
多くの人がそれを目にしたり、注文したりしていた。
そして4年前、ついに一番人気だった苺の売り上げをマンゴーが超えたという。
今ではデニーズに追随して各ファミレスも4月くらいから
マンゴーをメニューに取り入れ、売り上げを伸ばそうとしている。
またコンビニでも当然のようにマンゴー商品を置きだした。
最初にファミレスがメニューに導入したことが
ここまでマンゴーの認知度を高めた一番の要因だろう。

定価の安い輸入物と相まって、高級品である国産物もブームになっているのは、
日本一のマンゴー生産地である宮崎県の東国原知事がを先頭となって
アピールしているからだろう。まさに宮崎産マンゴーの火付け役である。
それにしても東国原知事になって宮崎県の経済効果は
計り知れないほど上がっているようだ。

マンゴーは加工されても味が損なわれにくいため、
バリエーションが多くつけやすい。そのため商品開発がしやすいフルーツである。
甘さの中にある程よい酸味がクセになる。
今後もしばらくはマンゴーブームは続きそうだ。

先日、沖縄に行った時に実家やお世話になっている親戚の家に
沖縄産マンゴーをチルド宅急便で送ったが、かなり好評だったようだ。
沖縄でも道の駅など様々な所でマンゴーは売っているが、
自分が買ったのは名護にあるJA(農協)の農産物直売センター。
直売なので価格が他の所よりも断然安くて良い品ばかりだった。
東京に戻ってきて銀座にある沖縄物産の店「わしたショップ」にも
沖縄マンゴーは売っていたが、名護のJAの倍以上の値段でビックリした。
東京では沖縄マンゴーも高価な品なんだな。
そりゃあ、実家や親戚から喜ばれるわけだ。

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