Web Masterの日記



安倍改造内閣

2007年08月28日(火)

昨日、「安倍改造内閣」の顔ぶれが発表になった。
「第2次内閣」ではなく「改造内閣」というところに、
未だに安倍首相の立場の悪さを感じてしまった。
首相本人は「強力な布陣」と強調しているようだが、
肝心なブレーン(脳)が変わらないことには、
強力も何もあったもんじゃないと思うのだが…。

しかし、参院選で敗北した際に安倍首相をさんざん批判していた
舛添要一氏を起用したのは驚いた。
だが、この起用には何だか腹黒さを感じてしまう。
よりによって厚生労働相のポストに就かせるのが何ともはや。
もし何も出来なかったら辞めさせて恥をかかせようなんて魂胆では?
ちょっと変な目で見過ぎかなヾ(^-^;)

法務大臣に鳩山邦夫氏か…。
どうも今ひとつ信用ならない人物なんだよね。
まぁ、いるだけで周りを暗くしてしまう兄貴よりはマシかもしれないけど。
そして財務大臣が額賀福志朗氏。こいつもかなり胡散臭い人物だ。
引責辞任を2回もやってるのに、また大臣かよ?
しかも今度は財務大臣って…大丈夫なのか?
あと防衛大臣が高村正彦氏なんだが、小泉内閣で防衛庁長官を務めていた
根っからの軍事オタクの石破が良かったな。
だいたい高村は郵政民営化法案の採決の時に、
卑怯な事していたから信用ならんしね。

さて、全体的に見ると、どこを改造したのか判らない内閣。
新鮮味もなければ斬新さもない。また適材適所と思えない布陣で、
これで変われるのかと思うと甚だ疑問である。
与党の議員達も「昔に戻った」とか「旧態依然」とか
安倍改造内閣に異論を唱える人が多数いるようだ。
まぁ、でもこの人達は批判することが仕事みたいなもんだからなぁ。

内閣より少し早く発表された自民党の三役の新しい顔ぶれだが、
幹事長は、やはり麻生太郎氏が就任したか。
これでポスト安倍最右翼となり、次期自民党総裁にリーチが掛かったんだろうな。
だけど総理大臣の器かどうかは微妙だ。
しかしマンガ好きでアキバ系の麻生氏は若者の心をつかんでいるので、
次の衆院選で投票率アップを目論んだ登用ではないだろうか。
選挙戦の陣頭指揮を執る幹事長就任、これがうまくいけば
衆院選では自民単独過半数獲得の可能性もあるかも。
政調会長に石原伸晃氏、総務会長には二階俊博氏が就任。
まぁ、ここらは無難なとこかな。
だけど中国寄りの二階氏はイマイチ好きじゃないけどね。

参院選では民主党が勝ったのだからサプライズで民主党の議員を
何人か内閣に入れたりしたら国会も少しは面白くなったと思うんだけどな。
まぁ、連立しなければ絶対に無理な話だけど。
いずれにしても背水の陣で臨む安倍改造内閣。
もう、以前のようなゴタゴタは許されないだけに
厳しい状況であることには変わらないね。
お手並み拝見させていただこう。

それはそうと突然、僅かの期間で防衛大臣を辞任した小池百合子氏は
やっぱりしたたかな女だった。
沈没する船には乗りたくないのがミエミエ。
もともと新進党や自由党、小泉政権など力のあるところを渡り歩いていただけに
危機回避能力は誰よりも高いし、力のある人に取り入るのも上手だ。
こうゆうタイプの政治家のほうが順調に出世していくんだろうな。


あいのり

2007年08月27日(月)

「あいのり」で番組の最初に出演者の名前と愛称(役名)が流れていたが、
いつの間にか出演者の名前が消えたらしい。
本名を明かすことで実はタレントだったなど、いろいろなことがバレていたが、
それを少しでも抑える狙いなのかな?

「あいのり」出演者のほとんどは劇団に所属するタレントの卵や
イベントコンパニオンやレースクィーン、
三流モデルなどだということは周知の事実。
そして綿密に演出された台本があるということもバレバレである。
全てが製作者側の演出なのに視聴率が高いのは本当に不思議な番組だ。

この番組の上手いところは決して「ドキュメント」とは言っていないとこ。
それどころかタイトル「あいのり」の前に
「恋愛観察バラエティ」と付けているのが上手い。

そもそも「ドキュメント」ならヤラセは一切ない内容でなければならないが、
「バラエティ」なら台本に基づき、ヤラセやお約束も当然なのである。
なので出演者が演技をしていようが、ヤラセをしていようが
非難を受ける必要はない。
別にタレントがバラエティー番組に出て演技をして何が悪いのか、ということ。
以前、「ワンナイ」でガレッジセールのゴリが
ゴリエになって「ペコリ」と言っていたのと同じ図式だ。
重要なのはドキュメンタリーかバラエティーかどうかということだけ。
もっと極端に言えば「ドキュメンタリー」が
制作側が用意した演出をやったらヤラセとして世間から非難されるが、
すべてが演出として用意されたものであるバラエティーには
元々ヤラセというものは存在しないことになる。
なので出演者がタレントで告白もすべて台本通りだからといって
「あいのり」はヤラセだ!と非難を受けることはないのかもしれない。

そう、最初から「バラエティ」と言っている時点で「あいのり」に関しては
全てが台本通りの演出と考えて何も考えずに観ればいいだけ。
まぁ、過去の出演者の何人かは台本通りに演技していたとか、
ラブワゴンの座る位置までディレクターに指示されていたとか、
旅の途中に何度も帰国して打ち合わせをしたとか、
好きでもない人とカップルになるように指示されたとか、
台本通り日記を書いておけと指示されたとか、
様々なことを暴露していたので今さらという気もするけどね。
多くの視聴者も出演者がコロコロ変わるバラエティドラマとして
開き直って観ている人も多いのだろう。
この番組をステップに何とかメジャーになりたいという
出演者の鬼気迫るハングリーな演技が
高視聴率の要因になっているのかもしれない。

しかしながら、売名を狙ってきた三流タレントでもある参加者には、
今回の名前が消えたことは、たまったものではないことも事実だろうけど。
ちなみに自分は安っぽい台本のドラマと思っているので
「あいのり」はまったく観る気がしないけどね。


仮面ライダー電王

2007年08月26日(日)

自分は仮面ライダーのリアルタイム世代である。
技の1号、力の2号、そしてV3に異色のライダーマン、Xにアマゾンと
すべて再放送ではなくリアルタイムで観てきた。
さすがにストロンガーの頃には観なくなっていたが、
それなりの知識はいまだに持っていると自負している。
今、思い起こすと仮面ライダーって1971年〜1973年までやっていたんだね。
自分が8歳〜10歳の頃なのでモロにリアルタイムだったな。
1973年からV3で、ストロンガーが終わったのが1975年の末、
その頃には自分も中学生になるので観なくなったような気がする。

その後、数年のブランクを経て1979年にスカイライダーの放映が始まった。
その後もスーパー1だのZXだの、自分の知らない世界となり、
1987年にはBLACK、1988年にはBLACK RXが放映されているが
ほとんど観たことがない。
時代が平成に入ってからはクウガ、アギト、龍騎、555、剣(ブレイド)、響鬼、
カブトなどの仮面ライダーシリーズは毎年日曜の朝に放映されていたが、
これも、ほとんど観たことがなかった。
仮面ライダーシリーズの前に放映されている戦隊シリーズは
野球に行く前に何気に観ていたというか、テレビから流れていた。
特に好きだったのはデカレンジャーかな。
戦隊シリーズの次に仮面ライダーシリーズが放映されるが、
戦隊シリーズが終わってからグランドに向け家を出ることが多かったので、
平成仮面ライダーシリーズの知識は、ほとんどないに等しい。
まぁ、いつの間にか仮面ライダーシリーズはイケメン俳優が演じ、
子供相手というよりも、そのお母さん相手の番組になっていたようだし、
なんか好きになれなかった。

しかし、自宅近くの夢の島で試合があった日曜だったと思ったが、
家から数分で行ける場所なので、今の戦隊シリーズ「ゲキレンジャー」を観た後、
そのまま「仮面ライダー電王」を観る時間があった。
観た感想はただ一言、面白い!
それから、すっかり仮面ライダー電王にはまってしまい、
毎週録画予約して観ている。
今までの平成仮面ライダーシリーズとは違い、
大人も子供も単純に楽しめるストーリーなのが良い。
しかし、途中から観たため、謎の部分も多かった。
偶然にも4歳の男の子の母である実妹が一話からDVDに録画してあると言うので
恥ずかしながら最初から借りて、ようやく全部観ることができ、
謎の全ても解明できた。
これからも週に一度の楽しみな番組である。
だけど、最近はチョットお笑いに走っている内容になってきた気もするな。

現在公開中の映画「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」も
ものすごく気になっている。
今までにないテレビ版とリンクした映画なので、
観たいと思いつつも、一緒に観に行ってくれる人がいない…。
夏合宿のときに実は則ぞーも1話からDVDに録画していることを知った。
チャーミンも少し興味があるようだ。
テッチャンとこの拓と一緒に子供1人に対して大人4人で
電王の映画を観に行ったら少し変かな(・ω・;)
まぁ、DVD化したら借りるしかないな。

余談だが、電王のヒロイン・ハナ役の白鳥百合子は、かなり良いね。
彼女のブログは、まだ素人時代から続いているもので、
女優を目指しながら上京し、芽が出ない時期から、
大きなオーディションに優勝して大手の芸能プロに所属、
グラビアから少しずつステップアップ、そしてついに仮面ライダーの
ヒロイン役を掴む。というシンデレラストーリーが
このプログを最初から読むとよく分かる。
そして、ブログでは彼女の人柄にとても癒される。
ものすごく生真面目で心優しい人柄が文面から伝わってくる。
ハナとは全く違う、このギャップにやられてしまったかも。
この宝物ようなブログは今後、どんなに出世しても続けてもらいたいと思った。
しかし、現在は体調を壊して電王を含むすべての仕事を休んでいるようだ。
テレビを観ても彼女が演じるハナの出番が少なくなってきているように思える。
早く元気になって再び我々の前に元気なハナを演じてもらいたいものだ。


食品の値上げ

2007年08月25日(土)

食品の値上げのニュースをよく目にする。
まぁ、食品だけでなくガソリンやトイレットペーパーなどの日用品も
軒並み値上げしているけど。
とりあえず今日は食品だけに限って書いてみる。
というのも、うちの店で使っている焼きそばの生麺や鰹節の業者から
価格改定のお願いが郵送されてきた。
両社とも9月から値上げされるという。

食品の値上げの原因を考えると様々な要因が考えられる。
まずはバイオエタノール燃料の普及だ。
原料となるトウモロコシの急騰→家畜の餌が高騰→肉や乳製品が値上げ。
バイオエタノールを作り出すだけで、このような構図ができてしまう。
また、トウモロコシが儲かるからと、大豆やオレンジを作っていた農家が
トウモロコシ畑に転作してしまうことで
大豆やオレンジも高騰してしまうケースもあるという。
ふたつめにBRICsの影響も大きい。
典型例は日本人の大好きなマグロである。
中国の中産階級が増加→健康食への注目で寿司や刺身が人気に。
また狂牛病や鶏インフルエンザによって肉類が避けられ、魚類の人気が上がり、
その影響で日本に入ってくる量が極端に減った。
そして原油エネルギーの高騰の影響も。
海上輸送費がアップすれば当然、コストアップで製品の価格に上乗せされる。
最後は密輸や乱獲問題。カニやウナギはこれに当たる。

しかし、実は食品の値上げ問題は最近に始まった話ではない。
もう何年も前から「また値上げ」というニュースは流れていた。
それもそのはず。そもそも世界の食糧は、かなり逼迫している状況なのだ。
国連食糧農業機関(FAO)は、穀物在庫率の最低安全水準を
17%〜18%としているが、世界の穀物需給は消費量が生産量を上回り、
最低レベルの16.4%になってしまった。
これは世界的な食糧危機と言われた1970年代の水準である。

日本では少子化で年々、人口が減少しているが、世界の人口は今、急増している。
現在、地球人口は約62億人。
これは1970年代の倍の数字でもある。
そして2050年には今の1.5倍の89億人に膨れ上がることが予測されている。
ところが、地球上の穀物の作付け面積は、ここ30年間ほとんど変わっていない。
要するに人口は増えても取れる穀物は増えていないのだ。
これを計算すると2030年には、中国だけで6億人から10億人分の
穀物が足りなくなるという予測も出ている。
しかし、これは何もないままでの計算であるが、
ここに環境問題が追い打ちをかける。
砂漠化により作付け面積の縮小、温度上昇、豪雨、干ばつ、大気汚染等々。
これらの影響を受ければ計算よりも早く食糧は足りなくなっていくのだ。
よって値上がりは当然、必至なのである。

世界的に見ても豊かな国である日本に住んでいると実感できないが、
世界規模の食糧在庫不足は着々と進行し、それを解消する策は
今のところ何もないのが現状である。
日本は豊かな国のために多少、値上げしても大丈夫と油断してはいけない。
なぜなら日本の食糧自給率は世界最低レベルなのだ。
四方を海に囲まれているから魚貝類の自給率が高いと思われがちだが、
実は魚貝類の自給率は野菜類よりも低いのだ。
マグロは30%、カニは27%、ウナギは20%、エビなんて僅か5%しかない。
タイ、ヒラメ、アジなども50%を割っている。
100%を超えているのはサンマとホタテしかないのが現状だ。
要は肉、魚はもちろん、ほとんど他国からの輸入に頼っているのが現状である。
今は高くても世界各国から様々なものが入ってくるが、
食料不足のために、その世界各国からの輸入がストップした場合を考えると…。

これからの日本、いや地球で暮らすことは厳しい時代なのは確実だ。
未来を背負っていく子供たちにとって
厳しい現実しか待っていないのかもしれない。


夏の甲子園総括

2007年08月24日(金)

仕事が終わって帰宅する時にパラパラと降った雨。
嫌な予感がして傘を持って帰ってきて良かった。
東陽町に着いて外に出たら、まるでバケツをひっくり返したような豪雨。
家に着いてからしばらく降り続き、バルコニーから外が見えなくなるほど降った。
日曜の三郷は大丈夫か?おもわず心配してしまうほどの雨だったが、
どうやら東京23区の東部しか降っていなかったようだ。
23区東部には大雨洪水警報まで発令されたほど。
深夜0時半頃にはすっかり雨はあがり、星も見えた。
いったい、あの雨は何だったんだ?

さて、佐賀北の初優勝で幕を閉じた夏の甲子園大会だが、
自分なりに今大会を総括してみたいと思う。

大阪桐蔭の中田翔選手が予選で姿を消し「主役なき大会」などと
大会前に言われていたが、中田選手がいなくても、
やはり甲子園のヒーローは誕生した。
その一番手は、やはり仙台育英の佐藤由規投手だろう。
初戦で強打の智弁和歌山相手に17奪三振の快投劇を演じ、
敗れはしたものの2回戦の智弁学園戦では甲子園最速の155キロをマーク。
中盤の乱調が命取りになってしまったが、
できれば1試合でも多く見たかった投手だ。
だけど2回戦敗退なのにアメリカ遠征のメンバーにも選ばれたね。

前回大会では60本を記録したホームラン数も今大会は24本と激減。
低反発の飛ばないボールを使った効果もあったかもしれないが、
その分、大味な試合が目立った昨年の大会よりは今大会の方が
引き締まった好ゲームが多かった印象がある。
実際に優勝した佐賀北を筆頭に、守備が安定していたチームが多かった。
打撃を鍛えることも大事だが、やはり強いチームを作る為には
守備力を鍛えることの方が大事であるということを教えてくれた大会でもあった。

優勝した佐賀北は超高校級の選手こそいないが、安定した投手陣に
堅い守備と基本がしっかりしていたチーム。
大会最多の73イニングを戦い抜けたのも、基礎体力面においても
しっかりした土台が出来ていたからだと思う。
準優勝に終わった広陵だが、こちらも鍛え抜かれた好チームだった。
だけど8回の守りでは中井監督も納得いっていないようだね。
確かにあの1点目を献上した押し出し四球…あれはストライクだと思うけど…。
打者も手が出なくて見逃した球だったと思うのだが…。

だが、公の場で審判批判するのはどうかなぁ。
まぁ、気持ちはわかるけどね。
どこかのJリーグの監督のように
「我々を勝たせたくない何かが働いていたと思う」くらいな発言に
留めておいた方が良かったんじゃないだろうか。
決勝戦の主審を努めた球審は広島県内では今頃
「高校球界のボブ・デービットソン」のニックネームを付けられているかも。

来年は90回の記念大会ということで、参加校の多い地区からは
2代表制になるなど出場校が増える予定だが、
きっと来年の夏も、お隣の空気の汚い所でやる五輪よりも
甲子園の方に興味がいっているかもしれないな。

今大会は沖縄旅行中のレンタカー内で一日中、
数多くの試合をラジオで聞いたこともあって、
東京に戻ってきてからも、気になってかなりチェックしていたが
久しぶりに大会を通じて楽しませてくれた。

だけど…やっぱり大阪桐蔭の中田選手は見たかったなぁ。
来年のプロ野球の試合までガマンかな。


24時間テレビ

2007年08月23日(木)

先週の土日に放映された日本テレビの24時間テレビ。
沖縄から帰ってきた翌日だったが、オープニングと深夜帯、
そしてエンディングは今年も観てしまった。
だけど正直、まったく面白くなかったなヾ(^-^;)
その中でも日本中が「なんでそうなるの?」と声をあげた
欽ちゃんの24時間70キロマラソン。
年齢66歳、マラソンというよりはウォーキングだったのが影響してか
放送時間内にゴールできなかったが、無事に武道館に到着はした。
最後のあたりなんて痛々しいこと。
以前に丸山弁護士が還暦で24時間マラソンに挑戦していたが、
あの人はずっと運動していたはず。
確かに、それ以上の感動を呼ぶには、それ以上の年齢の人を走らせなければ
視聴率が取れないのだろうが、スタッフに引きづられて歩いている欽ちゃんは
どう見ても「老人虐待」にしか見えなかった。
もし昼間に熱中症で倒れ、仮装大賞ならぬ「火葬大賞」になったりしたら
誰が責任を取ったのだろうか?
頑張ることも大事だけど、いざという時にはリタイアする勇気も必要だと思う。

ということで欽ちゃんマラソンも成功してしまったので、
これ以上の感動を呼ぶには欽ちゃん以上の年齢のタレントを
走らせなければならなくなった?
いよいよ来年の24時間マラソンは森光子もしくは森繁久弥の出番だろうか…。


風呂上りの深夜にテレビをつけたら、一山いくらの
二流、三流のお笑い芸人だらけ。
「復活熱湯コマーシャル」のコーナーで
「そんなの関係ねぇ!オッパッピー」でブレイク中の海パン芸人
小島よしおが大失態をしてしまった。
リアルタイムで観ていたが、これはまずい、ヤバイのでは?と思ったが、
すぐにネットやYouTubeとかで動画もアップされて盛り上がっていたみたい。
やっぱりみんなめざとくて、こういうのはすぐに話題になっちゃうんだな。

ダチョウ倶楽部の上島が「オッパッピー」だの「そんなの関係ねぇ!」と
小島よしおのギャグを軽くパクってやってしまった流れで、
ひな壇にいた小島よしおが「え?俺?俺の出番?」みたいな感じで
さぐりさぐり前に出てきたのが発端。
そして小島よしおは熱湯風呂の浴槽に自ら突入してオリジナルの
「そんなの関係ねぇ!」をバシャバシャお湯をはねあげながら
独演してみるも次第に問題が浮上してくる。

小島よしおは他の芸人のようにアチチと熱がるような気配を
微塵も見せることなく、ノープランで平然とお湯をバシャバシャバシャバシャ。
それまでみんなが熱がっていた「熱湯風呂」に入っているのにだ。
そこで事態を重く見たダチョウのリーダー肥後は
機転の利いたとっさの判断で、そんな小島よしおに、やはり別に用意されていた
差し湯の熱湯をタライごとザバッとかけた。
しかし、またしても小島よしおは全然ノーリアクション。
ひな壇に座っていた他の芸人たちが「熱湯!それ熱湯!」と
大声で促していたが、小島よしおはテンパってるためか、聞く耳を持たない。
我れにかえってか慌てて熱湯風呂から出るも呆然。
即、画面はタッキーにスイッチされ、小島よしおはその後、
画面に登場することはなかった。

いきなり売れてしまった若手芸人の不運というべきか、
暗黙のルールの上に残念ながら乗っかることができなかったようだ。
視聴者だって熱湯でないことくらいは分かって観ているが、
それまで熱湯のように演技していた先輩芸人たちの努力を
一瞬でぶち壊してしまった罪は大きいのではないだろうか。
そこは番組に出るからには最低限守らなければいけない不文律がある場面だ。
はやり言葉でいえば「空気を読む・読まない」の話にもなってくる。
小島よしおは「熱湯コマーシャル」が分かっていなかった。
ダチョウ肥後も、そりゃ首を傾げるよ。寺門の顔はマジで怒っていた。
ダチョウ倶楽部は長年、この熱湯コマーシャルで地位を築いてきたからね。
本当に下手こいてしまい、そんなの関係ねぇ!では済まされない行為だ。

今回の24時間テレビのテーマは「人生が変わる瞬間」だったが、
もしかすると小島よしおの「人生が変わる瞬間」になってしまったかもしれない。
小島よしおは日本テレビの「グルナイ」や「エンタの神様」に
よく使われていたが、今後、日本テレビは小島よしおを使うのか、
ちょっと注目しておきたい。

ちなみに、そんな騒然とした展開の後、最初から予定があったのか無かったのか
知らないが、番組メインでもあるタッキー&翼の2人は
「ためしに」と熱湯風呂に近寄るや否や、やがて2人とも熱湯風呂に
半ば自発的に落下して「熱い熱い!!」と、きちんとしたリアクションを取った。
スタジオ内は悲鳴と感心と称揚に包まれ、小島よしおのチョンボを消し去った。

タキ翼は髪も衣装もびしょ濡れだが、ジャニーズのタレントなのに
自ら入った2人に男を見た。
今回の熱湯コマーシャルは結局、タキ翼というジャニーズのスター達の
説得力をもってして、なんとか力業で正当性を保った気がする。
だけど、これ来年やるのも見るのもしんどいだろうな。


佐賀北劇的優勝

2007年08月22日(水)

ハンカチ王子こと斉藤祐樹投手擁する早稲田実業と、
マー君こと田中将大投手擁する駒大苫小牧との足掛け2日にわたる死闘から
早いもので1年が経った。
今大会は注目の中田翔選手のいる大阪桐蔭が予選の決勝で敗退し興味が薄かったが
沖縄旅行中のレンタカーはCDは付いているものの、
もちろん音楽CDなど持って行っていなかったので、常に高校野球中継を聞いていた。
これほどまでラジオで高校野球中継を聞いたのは久しぶりだ。
ちょっとした営業マンになった気分だった。
そんな夏の甲子園決勝は劇的なドラマが待っていた。

今大会の決勝は開会式直後の第一試合で福井商を破り、
宇治山田商を引き分け再試合の末に撃破、優勝候補筆頭の帝京を延長で破って
ここまで勝ち上がってきた佐賀北と、
準決勝で常葉菊川の春夏連覇の夢を打ち砕いた広陵が対戦。
どちらが勝っても初優勝となる決勝戦。
試合は序盤から広陵ペースだった。
しかし、ドラマは8回裏に…。
一死から連打と四球で満塁として、際どい押し出し四球で1点を返し、
続く打者は今大会2本のホームランを打っている3番の副島選手。
その副島選手が甘く入ったスライダーを完璧に打って、
打球は超満員のレフトスタンドへ飛び込む逆転満塁ホームラン!
そのまま5対4で第89回全国高校野球選手権大会は佐賀北の初優勝で幕を閉じた。

参加4081校の頂点に立った佐賀県代表の佐賀北高校は、2度目の出場で初優勝。
佐賀県勢としては平成6年の佐賀商以来となる優勝である。
ちなみに決勝での満塁ホームランも佐賀商と佐賀北の
佐賀県の2校のみというのは面白い記録である。
一方、40年ぶり3度目の決勝進出で初優勝を狙った広陵だったが、
またも涙を飲むこととなり夏の甲子園初優勝ならず。

佐賀北は問題となった野球の特待生制度もなく普通の公立高校。
そして、そんな普通の公立校が甲子園で優勝するのも高校野球の醍醐味である。
2回目の出場とは言いながらも無名に近い公立校が東の横綱・帝京を破り、
決勝では名門の広陵を破り堂々の優勝か。
公立校の日本一は1996年の松山商(愛媛)以来だ。

選手名鑑を見ると佐賀北の選手は全員が地元中学の
軟式野球部出身というのに驚いた。
また、ベンチ入り選手のうち7人が身長160センチ台と、
本当にどこにでもある普通の高校であった。
なのでクラブ活動の毎日の練習時間は3時間足らずだし、
「スポーツ科」もない学業優先の進学校。
専用グランドや室内練習場も勿論ないので、基礎練習に時間を割くという。
選手の中には「自分たちは陸上部かと思った」と言っている人さえも。
だが、その走り込みが2度の延長戦や再試合でも疲れることなく、
今日の栄冠を生んだのだろう。
この佐賀北高校の今大会での戦いぶりは、全国の高校球児に夢を与えたことだろう。
野球エリートでなくても、設備が充実していない学校でも、
頂点を掴むことができることを教えてくれた。
応援団もバスで日帰り応援の連続だったというが、
今日のバスの旅は嬉しさ満載だっただろうね。

今大会は仙台育英の佐藤投手が155キロを投げて驚かせてもらったり、
延長や逆転なども多く、決勝も奇跡の大逆転で全体的に面白い大会だった。
それにしても開幕第一試合の佐賀北の勝利から始まった夏の甲子園大会、
最後も佐賀北が優勝と、まさに「佐賀北に始まり佐賀北に終わった」大会だったかも。
大会前の注目度は低かったにも関わらず、延長15回の死闘に再試合を勝利、
帝京には延長13回のサヨナラ勝利と一戦ごとに強くなって、
最後は優勝の栄冠を掴んでしまったのだから見事と言うしかない。

それにしても長い甲子園の歴史の中で、開幕試合を行ったチームが
優勝した例はあるのだろうか?
甲子園でオープニングゲームとラストゲームを
プレーしたことになるのだからスゴイね。

8月に入ってから連日猛暑、まだまだ暑い日が続くが、
毎年のように甲子園が終わると夏の終わりを感じてしまう。
まぁ、大阪の今年の夏はまだまだ世界陸上で盛り上がるのだろうけどね。


猛暑

2007年08月21日(火)

8月1日に梅雨が明けてから本当に暑い毎日が続く。
今年は冷夏とか言っていたのは、どこのどいつだい?(にしおかすみこ風)
しかし、こう暑いとある意味、沖縄のほうが東京よりも過ごしやすかったかも。
自分が沖縄に行っていた頃、15日に群馬の館林市で40℃を記録。
翌16日にも各地で猛暑日を記録し、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市では
なんと40.9℃まで気温が上がった。
1933年7月25日に山形市で記録した40.8℃度を上回り、
日本の観測史上最高気温が74年ぶりに更新されてしまったのだ。
沖縄で夜のニュースを観ながら驚いた。
ちなみに沖縄は連日31℃くらいだったが台風接近のためか
風が強く吹いていたので、それほど暑さを感じなかった。
しかし東京に戻ってきてから、ここ数日の暑さは常軌を逸しているね。

埼玉県の熊谷というと暑いことで有名だ。
夏の天気予報でも予想最高気温の高さは甲府と双璧である。
関東平野は盆地なので熱がこもりやすい。
その中でも熊谷や甲府は気温が上がりやすい土地である。
東京でいうと練馬と八王子だろう。
東京の中でも低い位置にあるので最高気温が出やすい。
実際、練馬に住んでいる時はテレビや新聞で東京の予想最高気温を見ても
それに+2℃くらいは覚悟しなければならなかった。

今は銀座も暑い。
汐留に高いビルが並んでいるので海風が通らなくなり、
熱がこもって気温が下がらない。
汐留が開発される前は、そんなことはなかったので
明らかに高層ビル群の影響である。

それに比べ自宅のある江東区は意外と涼しい。
やはり近くに海があるからだと思うが、南と北の部屋の窓を開けておくと
風が通ってクーラーをつけなくても済む時が多い。
寝る時も扇風機だけで十分という日が何日もあるので、かなりエコかも。

この暑さで熱中症による死者が多数出ている。
暑さで死んでしまうとは本当に「灼熱地獄」だ。
外ではなく、家の中で熱中症に罹って死亡する人も今年は多い。
他にも暑さで鉄道の踏切が変形したり、火の手も上がっていないのに
火災報知器が鳴ったりするなど各地で暑さによるトラブルも出ている。

この季節の野球は気をつけないと。
以前、大宮で審判が熱中症でやられて意識朦朧となったのを
目の当たりにしているので本当に恐ろしい。
こまめに水分補給を摂るようにしないとね。
しかし、この時期に熱戦を繰り広げている夏の甲子園大会も
よく考えると恐ろしい大会だ。

夏は暑くて当たり前なのだが、ここまで暑いのは考え物。
これも様々な原因があるだろうが、やはり一言で言えば
地球温暖化が原因なのだろうね。
今年から35℃を超えると猛暑日と呼ぶようになったが、
近い将来に最低気温が30℃という日が来てしまいそうだな。
本当に地球は悲鳴を上げている。
今の子供たちが大人になった時、地球は住みにくい星になっているんだろうな…。


沖縄旅行記 完結編

2007年08月20日(月)

長い夏休みも終わり、今日から仕事始めである。
今年の夏休みは9日間だったが、そのうち合宿と沖縄旅行で6日を使った。
なので、ほとんど休めていないような…。

日記も早く通常に戻したいが沖縄旅行記の3、今日で完結できるかな?

●8月16日
昨日書き忘れたけどホテルに戻る前にDFSギャラリアに寄って少し買物をした。
沖縄にはデューティーフリーがあるのでブランド物が好きな人にはいいかも。
自分はブランド物には興味がないが、ハンティングワールドのベルトを買った。

さて翌16日、この日も早起き。
7時からの朝食バイキングを朝一で食べて8時10分にホテルに迎えが来る。
沖縄に行く直前にネットで体験ダイビングを申し込んでおいた。
人生初のダイビングは恩納周辺のビーチエントリーも考えたが、
那覇から車で恩納まで行ってダイビングをして帰ってくるのも疲れると思い、
無謀にも那覇港からクルーザーに乗ってダイビングスポットまで行く
ボートエントリーに挑戦した。
定刻どおりダイビングショップのマイクロバスに乗り込み那覇港へ。
そこに待っていたのは豪華なクルーザー。30人乗りと書いてあった。
言われるままに乗り込んで渡されたウェットスーツを着る。
出航間近に説明を聞くと那覇港に戻ってくるのは15時。
ん?確か申し込みをしたのは12時までの半日コースだったが…。
船が出る直前に間違いに気づき、隣に停泊している
半日コースのクルーザーに移動。
あのまま出航していたら、どこへ連れて行かれたのだろう。
半日コースのクルーザーは少し小さめで15人乗り。
参加者は自分たち以外には7人の家族連れの計9名だけだった。

いざ出航し船は大海原を走る。
しかし調度、台風が沖縄の南海上に接近していたためにものすごい揺れ。
自分は乗り物酔いは一切大丈夫だが、一緒の家族連れはすぐにグロッキー状態。
本当に信じられないくらいの揺れで普通に座っているのもままならない。
約30分くらいでチービスという無人島近くのダイビングスポットに到着。
まったく平気な自分たちだったが、家族連れはほとんど瀕死だった。
結局、船の錨を降ろして停泊しても多少の揺れはあり、
ダイビングに挑戦したのは自分たち2人と家族連れの中の中学生の女の子だけ。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも妹たちもみんな船酔いで断念。
なんか見ていてかわいそうになった。

初めてのダイビングに少しドキドキしたが、ウェットスーツの上から
4キロの錘を付けられ、フィンを付け、ボンベを背負い、ゴーグルをしたら
なんだか海猿気分でワクワク。
普段は穏やからしいが、この日はかなり荒れた海へ。
最初は船から張られたロープをつかんで水中に潜っていくのだが、
荒れた海のために体が流されて思うように下へ潜れなかった。
さらにゴーグルのゴムがきつかったのか、水圧でさらにきつくなり
頭が痛くなるが、徐々に慣れて水深4メートルくらいの珊瑚礁(リーフ)に。
だが海中でも時々、流れで体のバランスが取れなくなる。
岩やサンゴをつかんで身体を安定させ、写真撮影。
目の前にはコバルトスズメやツノダシなどの熱帯魚。
大きなイソギンチャクの間からクマノミがオドオドと顔を出している。
まさに映像や写真などで見る世界が目の前に広がっていた。
しかし台風の影響でいつもより海中は濁っていて、魚の数も少なかったらしい。
いつもの穏やかな状態ならウミガメも泳いでいるという。

インストラクターの指示でリーフの上から、さらに下へ潜って海底へ。
船に戻った後に聞いたら水深9メートルから10メートルだったという。
体験ダイビングの場合、3〜4メートルまでしか潜ることはないようだが、
ボートエントリーだったし参加者も少なかったので海底まで連れて行ってくれたようだ。
どれくらいの時間だったか分からないが、人生初のダイビング、
なかなか楽しかったな。
できれば台風接近していない穏やかな海に潜ってみたかったが、
それは次回の楽しみとしてとっておこう。

海中からボートに戻ると家族連れの皆さん、デッキで横になってダウンしていた。
自分も海から上がった直後に一瞬、今まで感じたことのないような
立ちくらみのような感じになったが、たぶん海中の水圧と地上の気圧の違いで
クラッと来たのではないかと思う。
すぐに普通に戻ったので良かったが、圧力という目に見えないものの怖さを知った。
港へ向かう船は来たときよりも速いスピードで荒波の中を進む。
そんな揺れの中でも疲れと睡眠不足から爆睡してしまった。
途中、インストラクターのお兄さんが携帯で話していた。
「もうチービス無理!波が高すぎて危険」
13時からの午後の部もあるが、どこのダイビングスポットへ向かったのやら。

港に着いて代金を払い、迎えのマイクロバスに乗ってホテルへ帰る。
まだ大浴場の入浴時間になっていなかったので部屋のシャワーを浴び、
少し休んでからメシを食いに赤いデミオを走らせる。
目的地は嘉手納。
国道58号を北上し、普天間や嘉手納の米軍基地を横目に見ながら
嘉手納にある道の駅へ。
そこの2階のレストランには沖縄で一番大きなハンバーガーを食べさせてくれる。
すぐ目の前には嘉手納基地の飛行場。
2階のレストランの窓から米軍戦闘機を見ながら食事ができる。
出てきたハンバーガーのでかさには驚いたが、空腹だったのであっという間に食べてしまった。
つい最近、嘉手納基地に配備されたステルス戦闘機ラブターが離陸体制に入っていた。
写真は禁止されているので撮れなかったが、かなりカッコイイ戦闘機だ。

腹いっぱいになってから北谷にあるアメリカンビレッジへ向かう。
近くに多くの米軍基地があるので、名前の通りアメリカっぽい店が並ぶ。
ブラブラといろんな店に入ってアメリカの雰囲気を味わう。
土産物屋もあるが、那覇の国際通りより少し安い。
PUMAのロゴを真似たSHI-SAのTシャツやタオルは那覇の半額だったので
おもわず自分用に2着買ってしまった。
北谷を後にしてホテルへ戻る。
今日の走行距離はかなり少なめの50キロだった。

ホテルに北谷で買った荷物を置いて国際通りへ。
北谷は安いが品揃えはやはり那覇のほうが充実している。
公設市場でいろいろ買い込み、国際通りにある今、何気に流行の美ら玉を買ったり、
ホテルに帰る途中にあるマックスバリューでテッチャンとチャーミンのリクエストの
A&Wのルートビア缶を買ったりして買い物を全て済ませた。
ちなみに350mlのルートビア缶はマックスバリュー価格で70円と激安。

生まれて初めてのダイビングをしたので、この日も大浴場に入ってから
アッと言う間に寝てしまった。

●8月17日
いよいよ沖縄最後の日である。
しかし帰りの飛行機は20時発。
レンタカーは18時半までに返せばいいので時間はタップリあった。
毎朝、朝一で朝食バイキングに行っていたが、この日は少しゆっくり。
9時頃に食事を済ませ、10時過ぎにチェックアウト。
まず向かったのは世界遺産にも指定されている首里城。
20年前に訪れたときは守礼の門しかなかったが、1987年頃に復元され、
いまは琉球王朝時代の立派な城を見ることができる。
世界遺産なので多くの人が訪れるから全てバリアフリーで
周辺施設もキレイに整備され、トイレなんかもすごくキレイだった。

首里城の次に向かったのは沖縄県南部。
南部は第二次世界大戦で唯一の地上戦の部隊となった場所である。
沖縄に訪れるたびに、なぜか必ず南部には行ってしまう。
戦争の悲惨さ、平和の大切さを教えてくれる場所でもある。
まずは、ひめゆりの塔へ。
その前に今回の沖縄2度目のA&Wで腹ごしらえ。
さすがにこの日はルートビアは飲まなかった。
A&Wからひめゆりの塔へ、さらに平和祈念公園へ。
いずれも20年前とは見違えるほど整備されてキレイになっていた。
先日の終戦記念日には平和祈念公園で記念式典が行われていた。
10万人以上の日本軍、1万2000人のアメリカ軍、
そして10万〜16万人の一般市民が犠牲になった沖縄での地上戦。
万単位で犠牲者の数が分からないこと自体で地獄のような戦争だったことが分かる。

軍人や兵士よりも非戦闘員の戦死者が多かったのは
本土決戦準備のために時間を稼ぐ持久戦と位置づけられたからであり、
沖縄県民は何らかの形で無理矢理、直接戦闘に参加させられた。
アメリカ軍による猛烈な爆撃と艦砲射撃に対し、日本軍は無謀な肉弾戦で対応、
戦局が悪くなると日本軍による住民虐殺もあり数多くの尊い命が失われた場所である。
今、平和に過ごすことができるのは、多くの犠牲のおかげかもしれない。
二度と悲惨な戦争を起こさないためにも、沖縄を訪れた時は必ず立ち寄って
手をあわせることにしている。
沖縄県の南部は日本人なら決して忘れてはいけない場所でもある。

平和祈念公園を後にし、琉球ガラス村に立ち寄り、そのままさらに南下して
沖縄県最南端の喜屋武岬へ初めて行ってみた。
2日目には最北端の辺戸岬へ、そして最南端の喜屋武岬も制覇。
断崖絶壁の下は台風接近のためにものすごい波が岩へ打ち寄せていた。
この場所も悲劇の地であり、一度は訪れたいと思っていた場所である。
米兵に追われた住民たちが身を投げたという悲しい歴史を持つ岬であり、
恒久平和への祈りを表わす平和の塔が立っていた。
こんな断崖絶壁から飛び降りたら確実に死んでしまう…。

南部の戦跡を巡った真っ赤なデミオは、一転して最近できたばかりの
沖縄アウトレットモールあしびなーへ。
時間的に最後の場所だが、ブランド物に興味はないので
その近くのショッピングモール内にある沖縄で一番有名なアイスクリーム、
ブルーシールのショップでアイスクリームを食べて時間をつぶす。
18時くらいになったのでガソリンを満タンにして空港近くのレンタカー屋へ。
この日の走行距離は64キロ。
結局、沖縄3泊4日での総走行距離は630キロほどだった。
新型デミオは2度給油したが、燃費は18キロくらい。
常にエアコンを付けっぱなしだったが、まずまずの燃費じゃないかな。

レンタカー屋のマイクロバスで空港まで送ってもらい、搭乗手続きをして
軽くメシを食って飛行機へ乗り込む。
その前にデューティーフリーで買った商品を受け取ったか。
行きはボーイング767だったが、帰りは747のジャンボだった。
すぐに爆睡してしまい、気づいたら羽田に着陸。
民間駐車場のマイクロバスが待っていて、それに乗り込みWISHを停めた駐車場へ。
WISHに重い荷物を積んで高速に乗って自宅へ戻ってきたのが23時半頃。
楽しかった20年ぶりの沖縄旅行は終わってしまった。

結局、行きたいと思っていた場所へはほとんど行けた。
やりたいと思っていたダイビングもできたし、満足度は100%近いかな。
残念だったのはヤンバルクイナに会えなかったことと、
沖縄ぜんざいが食べられなかったことくらい。
満足度は高いが、もう来年も沖縄に行きたい気持ちになっている。
何気に物件も少しチェックしたりして。
ハワイは敷居が高いので老後は沖縄ってなんかいいかもね。

それにしても沖縄ってイオン系のジャスコやマックスバリューは多いが、
同じイオン系のコンビニ、ミニストップがなかったな。
セブンイレブンもampmもサンクスも見なかった。
とにかくファミリーマートとローソンが多い。あとホットスパーくらい。
スーパーもイトーヨーカドーも西友もダイエーもなかった。
そして、ほとんどどの店でもEdyが使える。
A&WにはEdyのチャージ機が置かれていた。
まだまだ沖縄の秘密や楽しさはあると思うので全部知ってみたいね。

近日中に撮った写真、約200枚をどこかのホームページにアップしよう。


沖縄旅行記 2

2007年08月19日(日)

●8月15日
沖縄2日目は終戦記念日でもある。
南部では記念式典が行われていたようだ。
この日は6時半に起床し、7時からホテルの朝食(バイキング)を食べて
8時にホテルを出発。
西原ICから再び沖縄自動車道を北上し、昨日同様に最終ICである許田ICで降り、
西海岸線である国道58号を北上。
途中まで、まったく昨日と同じルートであるが、
昨日は本部地区へ行くためR58からR449に入って海岸線を走り続けたが、
今日は名護で右折し、そのままR58を走り続ける。
最初の目的地はR58沿いにある「ネオパークオキナワ(名護自然動植物公園)」
ここには沖縄の豊かな気候と風土を生かして、中南米やオセアニア、
アフリカといった熱帯地方の動植物を保温なしに、そのまま飼育している。
しかも、その展示方法は広大なフライングケージに放し飼いであり、
自然さながらの方法をとっている珍しい場所だ。
数多くの鳥や動物たちと垣根のない触れ合いを楽しみに
オープン時間の9時に合わせて入場した。
入場料は630円と安いが、前日に国際通りのローソンで格安入場券を500円で入手、
鳥の餌200円を2つ購入して、いざ最初のフライングゲージに突入。
しかし、ガラス戸の前にはすでに多くの鳥たちが待ち構えていて
少しひるんでしまった。
餌を持った人間が来るのを待っている。
その中に背丈1メートル以上のホワジロカンムリヅルが2羽いるが
それがかなりの迫力で正直、怖かった。
通常、動物園では折の中にいる鳥がすぐ目の前にいる。
勇気を出してガラス戸を開けて中へ入る。
アッと言う間に無数のアフリカクロトキやホロホロチョウ、クジャクに囲まれる。
餌を投げるとわらわらと寄ってくる。
餌をあげる手を止めて順路を前に進むと後ろからついてくる。
カンムリヅルは常に横の位置にいて、ジーッとこちらを見ている。
これは子供は怖くて入れない場所かも。
第一フライングゲージが終わり、第二フライングゲージに進む。
アマゾンのジャングルをイメージしている第二ゲージには
水中トンネルがあり、トンネルの向こうには世界最大淡水魚のピラルクや
大きなナマズの一種のレッドテールキャットなどが泳いでいる。
水中トンネルを抜けると再び鳥たちが待ち構えていた。
真っ赤なショウジョウトキやサケビドリ、そしてフラミンゴが近づいてくる。
フラミンゴも背が高いので近くに寄ってくると恐怖。
だが手のひらから器用に餌を食べる。
そのままオセアニアをイメージした第三フライングゲージへ。
ワラビーが木陰で寝ていたり、木の上を見上げると
大きなコウモリがぶら下がっていたり、ちょっとしたジュラシックパークだ。
生えている植物も日本では見たことのないようなシダ類やコーヒーの木、
マカダミアナッツの木など、不思議な植物だらけ。
あちらこちらで鳥たちの叫び声も聞こえ、不思議な空間に迷い込んだ気にさせる。

そして、このネオパークオキナワには失われていく野生動物の保護と繁殖を行う
国際種保存研究センターがあり、そこでは絶滅危惧種に指定されている
珍しい動物や鳥たちも見ることができる。
沖縄に来て楽しみにしていたひとつに、世界で沖縄の北部にしか生息しない
ヤンバルクイナをひと目見たいと思っていた。
ここには保護されたヤンバルクイナが飼育されているという情報を
得ていたので、かなり楽しみにしていた。
しかし、残念ながら見学不可のコースがあって、
どうやらヤンバルクイナはそこにいるようだが見ることはできなかった。

オープンと同時の朝9時に入場したが、結局、順路をゆっくり歩いたにもかかわらず
他の客とは一切、出会うことはなかった。
退場する時も500台以上も停められる駐車場には片手で数えられるほどの車、
昨日の美ら海水族館とは逆に、かなりマイナーなテーマパークである。
完全貸しきり状態のネオパークオキナワはカンムリヅルが怖かったが、
マイナーゆえに、相当満喫できる場所である。
次に訪れた際は是非ともヤンバルクイナを見たいと思う。

約1時間半弱のジュラシックパーク体験のできるネオパークオキナワを後にし、
昼食に日本では沖縄にしかないハンバーガーショップの「A&W」に入る。
沖縄を訪れるたびに必ず寄るハンバーガーショップだ。
「A&W」は85年の歴史があり、沖縄に出店したのも、
まだアメリカだった40年以上も前である。
そして、ここの名物といえば、何倍でもおかわり自由のルートビア。
はっきり言って薬臭くて不味い飲み物だが、なぜか1度は注文してしまう。
14種類の薬草が入っているので身体には良い飲み物なのだが、
20年ぶりのルートビアは、やはりクソ不味かった。
だけど、このクソ不味さを味わうのも沖縄旅行の楽しみのひとつでもある。
店内にはハードロックカフェのように各オリジナルグッズも売っている。
ネオパークオキナワで汗びっしょりになってしまったので、
A&WのTシャツを初めて購入してしまった。
色はA&Wのメインカラーでもあるオレンジ、派手だ。

A&Wで腹をいっぱいにし、オレンジのTシャツに着替えて
真っ赤なデミオはそのまま国道58号線を北上。
次の目的地は沖縄の最北端にある辺戸岬。
今まで一度も訪れたことのない場所である。
というか20年前は道が整備されていないために行くことができなかった地だ。
途中、道の駅や比地大滝、茅打ちバンタに寄りながら順調に北上。
そしてついに沖縄最北端の辺戸岬へ。
水平線に与論島が見える景色最高の岬だった。

帰り道は西側の国道58号線を南下したほうが早いし距離も短いが、
あえて島の東側の県道を通るルートを選んだ。
次の目的地はマングローブ林の慶佐次湾近くのヒルギ公園。
国の天然記念物に指定されている慶佐次川沿いは
マングローブと生息する小動物たちの宝庫であり、
シオマネキやトビハゼが大量に生息している。
というか、マングローブ林自体が日本では珍しいので是非とも見てみたかった。
国道58号を使うルートよりも東側の県道を走るルートでは20キロ以上の差がある。
しかし来た道を戻るよりも新しい道を走りたかった。
そして、その県道には野生の「ヤンバルクイナ」が出没するという。
車道にヤンバルクイナが飛び出して車の犠牲になることも多く、
道のあちらこちらに「ヤンバルクイナ飛び出し注意」の看板があった。
運良ければ野生のヤンバルクイナに会えるかもしれないという
淡い期待を持って20キロ以上も多いルートを選んで南下を開始。
しかし、これがアップダウンの連続。いくつ山を登って降りたのか…。
もたろん店も民家もないジャングルに囲まれた道をひたすら南下した。
すれ違う車もほとんどなく、1時間ほどの単独走行後に慶佐次へ到着。
野性のヤンバルクイナには出会えなかったが、運良く干潮時だったので
マングローブ林の中を通る遊歩道から数え切れないくらいのシオマネキや
他のカニ、トビハゼ、小さな魚の群れを観察することができた。
無数のシオマネキが、こちらに向かって片方の大きなハサミを振っている姿は
ユーモラスでもあり、感動的でもあった。

この日の予定は全て完璧に消化。
再び許田ICから高速に乗って那覇へ戻る前に
名護の農協の農産物直売所に寄って実家や親戚へ沖縄マンゴーを送る。
国際通りの店や道の駅よりも農協直営の方が明らかに安かった。
1500円〜2000円くらい値段が違っていたので果物を買うなら農協が一番だ。
その後に名護でソーキそばを食べて、右側に海に沈むサンセットを眺める。
昨日よりも遅い時間にホテルへ戻ってきて大浴場で1日の疲れをとって早めに就寝。
この日の走行距離は290キロ…かなり疲れた。
翌日は、この旅初めて海に入る。

かなり長くなってしまったので続きはまた明日。

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