Web Masterの日記



沖縄旅行記 1

2007年08月18日(土)

8月14日から17日まで3泊4日で沖縄旅行に行ってきた。
沖縄に初めて訪れたのは1975年、沖縄海洋博のとき。
当時は小学6年生、もう30年以上も前であり、
アメリカから返還された直後だったために道路もまだ右側通行だった。
次に訪れたのはバブル全盛の1985年、大学4年の時。
それから社会人1年目の1986年、翌1987年と3年連続で沖縄には旅行した。
その後、何度か沖縄旅行の機会はあったが、なかなか実現せず
ついに20年ぶりにその地を踏むことができた。

昔から沖縄はすごく好きな場所であった。
だからこそ若いときは3年も連続して訪れていたし、
もし東京以外ならどこに住みたいかと聞かれたら、真っ先に沖縄と答える。
自分でも、なぜそこまで好きな場所なのか分からないが、
なぜか沖縄は昔から好きで何度行っても再び行きたいと思う場所である。

最後に訪れてから20年の歳月が経ってしまったが
やっぱり沖縄は最高の場所だった。
当然、20年前とは全てのものが、かなり変わっていた。
モノレールは走っているし、高速道路も開通している。
道路も整備され、新しい店も沢山増えていたし、
昔、観光した場所も見違えるほどキレイになっていた。
だけど空と海の色は20年前と同じ色で迎えてくれた。
それだけはいつまで経っても変わらないと思う。

●8月14日
早朝5時に予約していた羽田近くの民間駐車場に車を預ける。
すでに早朝便に乗る人が大勢、預けに来ていた。
マイクロバスで羽田空港まで送ってもらい搭乗手続き。
6時25分羽田発那覇行き全日空991便に乗り込み、いざ沖縄へ。
昔、那覇までのフライトには機内食が出た記憶があったが、
飛行時間が短くなったので機内食はなくなったようだ。
今は僅か2時間半で着いてしまう。
しかし機内では当然爆睡した。

那覇空港に到着後、指定された場所にレンタカー会社のマイクロバスが停まっており、
それに乗って近くのレンタカー屋に連れて行かれて、そこでレンタカーを借りる。
車種や色が気になっていたが、真っ赤な新型デミオだった。
車検シールを見たら納車されて1ヶ月の車であり、走行距離も3000キロ。
鮮やかな赤が目立っていて、かなり満足。
そして付いていたナビも自分の車のナビと同じメーカーのために
使い方ガイドを見なくても操作できたのでラッキーかも。

最初の目的地「美ら海水族館」をナビに設定して、颯爽と真っ赤なデミオを走らせた。
沖縄自動車道の一番南のICである豊見城ICから高速に乗り、
途中、海の見える伊芸SAに寄って軽く食事をし、
一番北にある最後のICである許田ICまで約64キロの高速ドライブ。
しかし許田ICから「美ら海水族館」までは、まだまだ距離がある。
許田の道の駅で「美ら海水族館」の入園チケットを買って
赤デミオを北へ走らせる。
ICを降りて約30分後にようやく目的地に到着。
夏休み中ということもあってか、かなり混雑していた。
しかし数年前に大阪の「海遊館」に行った時ほどの混雑ではなかった。
水族館は大好きなので、ついつい時間を忘れてゆっくり見てしまう。
やはり圧巻だったのはジンベイザメやマンタの泳ぐ黒潮の海の水槽。
3匹のジンベイザメ、4匹のマンタ、カツオの群れが悠々と泳ぐ大水槽。
ギネスにも認定されている世界一の大きい水槽は幅22.5m、水深8.2mで
その前に立つと本当に時間を忘れてしまう。
ジンベイザメは大阪の「海遊館」で見たことがあるが
マンタ(オニイトマキエイ)がまるで羽ばたいて
宙を飛んでいるように泳ぐ姿は感動モノだった。

館内を一通り見て外に出るとイルカショーのタイミングにピッタリ。
ショーを見てからウミガメ館、マナティー館を見て
さらにイルカラグーンショーも堪能。
人工尾びれを付けた奇跡のイルカ「フジ」も元気に泳いでいた。
食事も忘れて、かなり長い時間「美ら海水族館」を楽しんでしまった。
一応、再入場のスタンプを手に押してもらって水族館を後にし、
名護まで戻り沖縄が日本に返還される前から営業している
ステーキレストランに行って沖縄で最初のメシを食べた。
200グラムのサーロインステーキにライス、スープ、サラダが付いて1575円。
沖縄はステーキがリーズナブルに食べられる。
そして、この店は手作りのパイやクッキーも自慢でテイクアウトもしているので
おもわず買ってしまった。

腹を満たしてから、ちょうどサンセットが近づいてきたので
観光スポットである古宇利大橋に行く。
サンゴの海に架かる全長約2キロの長い橋で景色が美しい。
当然、20年前には架かっていなかった橋だ。
古宇利大橋を渡った古宇利島で暫く時間をつぶしたために
水族館への再入場は時間的に無理になってしまったため、
再び許田ICから高速に乗って西原ICで降りて那覇のホテルに向かう。
ホテルにチェックインしたのは21時頃になってしまった。
初日の走行距離はいきなり200キロオーバーの223キロメートルだった。

ホテルにチェックインして荷物の整理をして徒歩で国際通りへ。
ホテルのすぐ近くにはマックスバリューがあり、明日の飲み物を購入。
国際通りはほとんどの店が22時まで営業しているため、
まだ活気があふれていたが、この日は下見だけでホテルへ戻る。
泊まったホテルは最上階に大浴場がある。
大浴場のあるホテルだからこそ、このホテルに決めたのだ。
長距離ドライブや暑い太陽の下を歩き回ることを考え、
足を伸ばしてゆっくりと風呂に入れば少しは疲れも取れると思い、
大浴場付きのホテルしか考えていなかった。
22時半頃に大浴場に行ったが、ラッキーなことに最初から最後まで
他の客とは会わずに貸しきり独り占め状態で満喫できた。
しかし、やはり風呂から上がったらすぐに寝てしまった。

翌日以降はまた明日。


慌しい

2007年08月13日(月)

一睡もしないで11日から1泊2日の夏合宿。
12日に帰ってきて中一日あけて明日14日から
3泊4日でプライベートの沖縄旅行に行ってくる。
本当は今日、夏合宿中の試合の更新なんかをしようと思ったけど、
明日の用意で何もできなかった。
今年の夏休みは合宿が1週遅くなったので、なんか慌しいな。

明日は早朝の飛行機なのでほとんど睡眠時間がない…( ̄◇ ̄;)
飛行機の中で爆睡しよう。


眠い

2007年08月10日(金)

眠いけどもうすぐ則ぞーが迎えにくる。
悪いけど車の中で寝かせてもらおう。
今年の合宿は今までで一番厳しい合宿かも。


朝青龍問題

2007年08月09日(木)

角界を大きく揺るがしている朝青龍の仮病問題。
廃業させず2場所出場停止の上、謹慎とした
財団法人日本相撲協会の生殺し的裁定には驚いている。
朝青龍自ら辞めることを期待しているのだろうか?
事実上の引退勧告か?なんか大人気ないなぁという印象が強い。
辞めさせるならきっぱりと辞めさせるか、
態度で示させるなら具体的に態度で示させるか、
そのどちらでもないような曖昧な裁定だ。

古い考え方なのかもしれないが、下働きをさせるとか、
奉仕活動をさせるとかの対応で良かったのではないだろうか?
現場復帰を期待するなら、横綱としては屈辱的でも
序の口以下の仕事をさせるとか。
ファンを裏切ったのだから、それも仕方ないだろう。
ケガのため巡業を休んでいながら勝手に帰国し、
サッカー遊びをしていたのだから、あの行為はプロスポーツ選手として
最低であり、関取として給料をもらう価値はゼロなのだ。

そう考えると減俸なんて甘い。
給料ゼロ…それでも続けるか?朝青龍。
最速で横綱に登りつめた実績があるのに関取衆の背中を流す…
それでも続けるか?朝青龍。
自宅ではなく高砂部屋で生活…それでも続けるか?朝青龍。
番付を後援会に届ける…それでも続けるか?朝青龍。

それでも続けるか?朝青龍。そんな状況に追い込むべきだったのだ。
しかし、それでもやる、それでも続ける意思があればこそ、
もう一度、土俵に立ちファンの前に姿を見せる資格があるのだと思う。
逃げ道のない罰は辞めろと一緒だ。
この状況を続けるなら辞めさせたほうがいい。

ただひとつ腑に落ちないというか、注意したいことがある。
現在伝えられている朝青龍の病状が事実かどうか分からないということだ。
もしかしたら意外とピンピンしている可能性だってある。
なぜそう思ったか?
それは、朝青龍を診察した医師がマスコミ相手に病状を語っているから。
ここに守秘義務はないのだろうか?と疑問に思った。
だって普通言わないだろ。「うつの手前」とか「憔悴しきっている」とかさ。
本当のことじゃないから語れるんじゃないのかなぁ…。
なんて、深読みしすぎかな。


あと1年

2007年08月08日(水)

来年に開催される北京五輪まで残り1年となった。
アテネ五輪がまだ記憶に新しい気がすることを考えると、
本当に時の流れは早いものだ。

さて、その北京五輪だが未だに大きな問題が山積み。
開発ラッシュの陰で強制的に立ち退きさせられる人が多いという。
それに中国って国は平気でニセモノばかり作ったり売ったり、
また中国産の食料品や薬品で死者が出たりと
国際社会において目の敵にされている。
そんなニュースを何度も目にする度に
「そんな国で五輪をやらせて大丈夫なのか?」と思うこともしばしば。

何よりも問題視されているのが「大気汚染」
各TV局では北京五輪まであと1年に迫ったこともあって、
ニュースなどで現地レポートなどをやっていたが、空はどんよりとしていた。
単なる曇り空というよりは、何だか排気ガスなどが充満して
あんな空の色になっているように感じてしまった。
事実、北京の大気汚染は「世界最悪」との評判で、
各国も開幕間際まで現地入りは控えるとか、選手村の入村を断るとか、
そんな動きすら出てきているという。
実際に、ここ数年で北京では青空が見られないようだし( ̄◇ ̄;)
そこまで大気汚染が酷いと屋外競技にも影響しそう。
特にマラソンなんかは…。
代表に選ばれた選手は高地トレーニングの他に大気汚染対策もしないとヾ(^-^;)

それにしても過去の五輪で大気汚染がこれほど懸念されたことは
未だかつてなかっただろう。
それも経済建設ばかりに目がいき、環境を考慮して来なかった
「中国式経済成長」の弊害によるツケによるもの。
それでも北京五輪では「緑色五輪」(エコ五輪)をPRしている。
開幕まで残り1年切っていて、あの惨状では「エコ五輪」なんて夢物語。
いざとなったら緑色のペンキを使って緑豊かに見せかける
「北京」ならぬ「ペンキ五輪」に路線変更するのではないだろうか。

しかしながら、五輪における主役は選手達だ。
五輪キップをかけた戦いは、これから本格的になっていくが、
4年に1度しかないオリンピック、1年後の北京が
どのように変化するかは分からないが、代表となった選手達にとって
競技しやすい環境を作ってもらいたいものだ。

だけど…「北京」より「東京」でやった方がいいのでは?


昨日は日記を書こうと思ったが、下書きをした後、
アップするパワーが残っておらず寝てしまったために
公開できなかったので、8月7日の日記も今日、アップした。


開幕直前

2007年08月07日(火)

明日から開幕される第89回全国高校野球選手権大会の組み合わせが
決まってあとは本番を待つのみとなった。
昨年まで初戦の組み合わせは隣県同士の対決を避けるべく、
東西に分けて行われていたが、今大会は2代表制の東京と北海道を除いて
隣県同士の対決もアリの新方式。
その新方式の組み合わせで早速、隣県同士の組み合わせが実現した。

中でも関東同士の対決が2カードもあるとは…。
初日に栃木の文星芸大付と千葉の市立船橋が激突し、
7日目には埼玉の浦和学院と群馬の前橋商が激突することになってしまったか。
埼玉VS群馬なんて、まさに隣県対決である。
「高崎線ダービー」とでも呼んでいいのやら?

センバツ優勝の静岡の常葉菊川は昨夏ベスト8の日大山形との対戦。
静岡県大会では接戦の連続だった常葉菊川だが、
甲子園ではどのような試合をするのか、春夏連覇なるのか注目したい。

その他の注目の組み合わせは、
智弁和歌山VS仙台育英
駒大苫小牧VS広陵
常総学院VS京都外大西あたりだろうか。

選手宣誓は前橋商の樺澤健主将に決定。
なんでも自分から立候補して当たりクジを引き当てての選手宣誓だという。
なので印象に残るような選手宣誓をしてくれるのではないかと、これも注目だ。

今夏、最大の注目株だった中田翔選手の大阪桐蔭が予選で敗退してしまったが、
新たなヒーローが出てくるのが甲子園である。
昨夏の優勝投手だった早実の斉藤佑樹だって、大会前の注目度は高くなかった。
なので、今夏もアッと驚くようなヒーローが出現することも期待したい。


62年目

2007年08月06日(月)

今日は8月6日、広島に原爆が投下されてから62年目を迎えた。
広島では毎年8月6日に、長崎では毎年8月9日に平和式典を開き、
原爆投下の歴史を風化させないように後世に語り継いでいるが、
それにも関わらず世界では未だに核実験をやる国があり、
地球は核の恐怖下にあるのが現状だ。

6月に当時の久間防衛相が「原爆はしょうがない」などと発言し
物議を醸した。
自分は当然、戦争を知らない世代だが、原爆の悲劇は
テレビ等で見たり、本を読んだりしていたので、
何を根拠に「しょうがない」などと言えるのか理解できなかった。

その原爆を落としたアメリカにおいては、原爆投下を肯定する意見が多いようだ。
原爆を投下したことで戦争終結を促し、多くのアメリカ軍兵士の命をも
救ったからだとか。
確かにそれも一理あるが、しかしその一発の原爆によって
ものすごい数の人間が犠牲になっていることを考えると………。
戦勝国と敗戦国の考え方の違いなのだろうか…。
今日の新聞のテレビ欄で夜のニュース番組の内容を見ていると
「がく然・・・原爆が200万人救った米国の教育」などという見出しがあった。
残念ながら番組に気づいたのは夕方だったために録画できなかったので
どのような内容だったのか非常に気になってしまった。

来年の8月6日には広島市民球場で、プロ野球公式戦を行うという案が出た。
ここ数年、8月6日には広島では原爆関連の公式行事が多いことなどから
平和公園に道路一本はさんだ広島市民球場では
プロ野球の試合を行っていないらしいのだが、
再来年には新球場を本拠地にする関係で、広島市民球場をフランチャイズにする
最後の年になることから、8月6日に公式戦を行いたいと
日本プロ野球機構に要請するようだ。
そういう考えは良いと思う。
だけど来年は北京五輪があるから、もし野球が五輪に出場するとしたら
ペナントレースは中断してしまうのでは?
ちょうど北京五輪の時期って、その頃だったような気がする。

そういえば今年の平和記念式典には安倍首相が出席していたな。
支持率が20%台にまで下がっただけに、この夏が総理大臣として
最後の任務になるかもしれないね。


27時間テレビ

2007年08月04日(土)

先週の土日に放映されたフジテレビの27時間テレビ。
今年は土曜日に「あちりさ」と一緒にポケモンの映画を観に行き、
そのまま2人が泊まったのでほとんど観ることがなかったが、
そのタイトルからして最初から興味が失せていた。

「FNS27時間テレビみんな“なまか”だっウッキー!ハッピー!西遊記」

いかにも映画の宣伝の臭いがプンプン。
例年は8月に27時間テレビはあるのに、今年に限って7月、
完全に映画公開にあわせての番組であるのは明白である。
そして蓋を開けてみれば、メインMCの香取慎吾が完全に萩本欽一化していた。
視聴者はフジテレビの27時間テレビには日本テレビの24時間テレビのような
感動は求めていないと思うのだが…。

日曜のエンディングは観たけど、もう根本的にぬるかった。
今年もSMAP様々依存症のエンディング。
そりゃ、スマスマあるし、歌もお笑いもなんとか形になってしまうから
そうせざるを得ないんだろうけど、もう全体に既視感ありありな
小ネタのショーケースであるように感じられて
新味のある見どころらしい見どころにあまりにも乏しかった。

そして、それはいったいワザとやってるのだろうか?
系列各局で統一デザインの「黄色いTシャツ」を着てしまい、
視聴者から絵本の寄付やら新潟中越沖地震への義援金やらを募って、
ラストにSMAPが「世界に一つだけの花」を歌って…(-o-;)
完全に日本テレビのパロディを本気出して半笑いでやってるのかと、
こちらサイドとしても好意的に思わないでもないというのに、
実はそうではなくて、どうやら本気出して
「みんな“なまか”だ!ありがとうウッキー! 」とか言ってたし、
まるで牙の抜けた獣のような超つまらない電波の無駄遣い番組だった。
フジテレビっぽくもなく、別に楽しくもなんともないテレビ。
社会貢献は確かに立派。そこに反論の余地はない。
だけど、こんな年に一度のせっかくの機会に、他局と変わらない番組作って
その先にいったい何があるんだ?

あと、ボーリングは見るものじゃなくて自分でやるものだと思ったね。
「ストライクで○、その他は全部×」みたいなルール設定は、
素人ボウラーにはかなりハードルが高く、ヘッドピン外したその時点で
玉が虚空にすぃーっと吸い込まれるようで、
スタジオの雰囲気もまったく沈鬱なものに。
まぁ、その分ストライクが取れた時の喜びは爆発的になるが、
その確率は自分の見てる限りでは二割に満たなかったような…。
あとは水を打ったような静寂が訪れるので、観ていてとても辛かった。

「西遊記」なり、その主人公の「孫悟空」がモチーフのようだったが、
せっかく全国放送で27時間の大々的なバラエティをやるというのに、
その母体みたいなものが2時間弱の映画で、なんかまるで
「27時間かけて2時間弱の映画の宣伝だけ」みたいな、
バランスの不均衡にとても困惑したし嫌悪感すら覚えた。
慎吾ママもハットリくんも登場して、さしずめフジテレビ的な
香取慎吾キャラクター大全っていうのも、なんだかな。
「SMAP×SMAP」のヒマなときに1時間半スペシャルとかで
済ませられる企画だったと思ったのは自分だけかな。


ところで深夜帯についてだが、ドランクドラゴンが「大人の事情」により
出演しなかったにも関わらず、香取慎吾は平気で「Sma Stathion」にも
出ていて驚いたな。
ジャニーズいや天下のSMAP様には「大人の事情」はないのだろうか?

2004年
「FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are!
楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」

この年に「めちゃイケ」スタッフとナイナイで伝説を作ったものの、

2005年
「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ
やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」
2006年
「FNS26時間テレビ・真夏のクイズ祭り26時間ぶっ通しスペシャル」
2年連続して残念な結果を残している。
そして今年の2007年は、SMAP効果から平均視聴率はジャニオタのおかげで
良かったみたいだけど、中身はここ数年で一番面白くも何ともなかった。

やはりフジテレビのブランドは
「楽しくなければテレビじゃないじゃん」なんだと思う。
感動は日本テレビ、ドラマはTBS、報道はテレビ朝日、アニメはテレビ東京、
バラエティこそフジテレビだとブランドを誇示する絶好の機会なのに
全然活かせていなかった。

しかし孤軍奮闘とも言えた「あやぱん」こと高島彩アナウンサーだけは
素直にグッジョブだった。西山キクちゃん妊娠休養でも
バラエティは「あやぱん」がいれば安心だ。
収穫はそれくらいだったな。


巨星堕つ

2007年08月02日(木)

70年代、80年代と歌謡曲全盛期に、よくテレビで
歌番組を観ていた自分にとって、作詞家・阿久悠氏の訃報は
また昭和の一時代が終わった気がした。

手がけた楽曲は5000曲以上。
数々の大ヒット曲を連発して「昭和の名曲」を世に生んできた
作詞家の阿久悠氏。
1970年代から80年代にかけてヒットした曲のほとんどが
阿久悠作詞と言っても過言ではないほどである。
ちょうど自分は小学校高学年から中学生にかけての時代。
今と違って歌番組は全盛で、歌手は新曲を出したら
3ヶ月はたっぷりとテレビで歌うので自然と覚えてしまえる時代だった。
自分くらいの年齢は、まさに阿久悠作品のリアルタイム世代と言っていいかも。
なので、30年前のヒット曲でも歌詞を見なくても歌えたりする曲も多い。
いや、昔の曲ほど忘れないものかもしれない。
リアルタイムに作品を聴いたことがない若い世代でも、
「聴けば知っている」レベルの曲が必ずあるはず。
それだけ昭和を代表する作詞家であった。

主な代表作をいくつかピックアップ(順不動)
・石川さゆり「津軽海峡冬景色」
・尾崎紀世彦「また逢う日まで」
・フィンガー5(小泉今日子)「学園天国」
・小林旭「熱き心に」
・西城秀樹「ブーメランストリート」
・桜田淳子「私の青い鳥」
・沢田研二「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」「時の過ぎゆくままに」
・杉田かおる「鳥の詩」
・西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」
・ピンク・レディー「ペッパー警部」「S.O.S」「カルメン'77」
 「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」
・森昌子「せんせい」
・山本リンダ「どうにもとまらない」「狙い撃ち」
・和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」
・都はるみ「北の宿から」
・八代亜紀「雨の慕情」「舟唄」
・「ピンポンパン体操」
・「デビルマンのうた」
・「宇宙戦艦ヤマト」
・「ウルトラマンタロウ」
・西武ライオンズの球団歌「地平を駆ける獅子を見た」
・福岡ダイエーホークス(当時)「ダイヤモンドの鷹」

う〜ん、ほとんど歌えてしまうかもしれない。
こうして改めて見ると、いずれ劣らぬ名曲ばかり。
そして歌詞のインパクトが強い作品が多い。
特にピンク・レディーの代表曲と言われる作品は、ほぼすべてが
阿久悠氏の作品であり、ピンク・レディーのスター伝説を語る上では、
作曲家の都倉俊一氏とともに、欠かすことのできない存在だった。
さらには歌謡曲だけではなく「デビルマンのうた」「宇宙戦艦ヤマト」
「ウルトラマンタロウ」など、アニメや特撮モノのテーマ曲も手がけていたとは
その才能は本当に素晴らしい限りだ。

ちなみに歴代作詞家のシングル総売り上げ枚数記録でダントツトップの6818万枚。
2位が松本隆氏の4946.3万枚だから、いかに多くの詞を書いてきたかが分かる。
昭和45年3月9日付オリコンで、森山加代子「白い蝶のサンバ」が
初めて1位を獲得して以来、昭和59年6月4日付の田原俊彦「騎士道」まで
全22作品でオリコン1位を獲得した。

また、作詞家としての顔以外に、作家としての顔もあった。
多数の著作を残しているが、最も有名なのは映画化もされた「瀬戸内少年野球団」
敗戦直後の淡路島を舞台に、野球も通じて女性教師と子供たちの
心の交流を描いた作品で、直木賞の候補作にもなったことがある。
映画には夏目雅子や郷ひろみが出演していたっけ。
作詞家としても作家としても成功した「稀代の才能」
そんな昭和の「巨星」がまた一人亡くなってしまった。
謹んでご冥福をお祈りします。


出場校決定

2007年08月01日(水)

本日、ようやく関東地方も梅雨明けをした。
昨年も遅かったが、今年は8月に入っての梅雨明け。
当初はラニーニャ現象の発生により、空梅雨で梅雨明けも早いと
気象庁は発表していたのに、結局すぐに訂正したっけ。
気象庁の長期予報ほどあてにならないものはないな。

さて、季節は8月。8月といえば8日から開幕する
第89回全国高校野球選手権大会の代表校49校が全て出揃った。
内訳を見ると初出場校が4校、連続出場が14校、春夏連続出場が8校。
各地で波乱が相次いだが、意外と2年以上連続して夏の甲子園に
出場している高校や、春夏連続出場が結構出ているね。

今日は残り3地区で決勝戦があり、東東京は帝京VS修徳が対戦し、
帝京が4−2で勝利。
静岡ではセンバツ優勝校の常葉菊川が逆転で甲子園キップを掴むとともに、
春夏連覇の挑戦権を得たわけだ。
潤太の高校も岡村の高校も常葉菊川に予選で敗れたが、
やはり春の優勝校、実力は確かのようだ。
静岡県大会でノーシードだったのが信じられない。
わざとノーシードになるように選抜以降の成績を悪くして
仕組んだのか?とさえ疑ってしまうヾ(^-^;)
中越沖地震による影響で日程が大幅に遅れた新潟では
新潟明訓がセンバツ出場校の日本文理を破って甲子園出場。

この夏、最大の注目株だった中田翔選手率いる大阪桐蔭が
地区予選で姿を消してしまったのは残念だったが、
新たなヒーローが生まれるのも高校野球の楽しみ。
この夏を沸かせる球児あるいはチームの出現を期待したいものだ。

組み合わせ抽選会は5日。
これまで初戦は隣県同士の対決を避けるために、
東西のブロックに分けて行われていたが、
なぜか今大会では東西に分けずに組み合わせを行わうらしい。
なので場合によっては関東勢同士とか関西同士の対決が
初戦から見られる可能性も高いわけだ。
奈良県代表の智弁学園VS和歌山県代表の智弁和歌山の
智弁対決も初戦からあるかもしれない。
ただ、2代表制の東京と北海道では初戦で当たらないようにするそうだ。

昨夏は早実VS駒苫の死闘で盛り上がった甲子園、
今年はどのような大会になるのか楽しみである。

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