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2006年05月24日(水)
兵庫県で、性同ー性障害と診断された男子児童が、 女子児童として小学校に就学しているというニュースを目にした。 これ自体は、判断や対応に非常に時間が掛かるお役所仕事としては、 とても素晴らしいことだと思う。 何より、この児童本人が女子として受け入れてもらえたことを 非常に喜んでいて、同じ障害をもつ方の殆どが経験するらしい 精神的抑圧を受けることなく、のびのびと生きていけるきっかけに なることは間違いないと思う。 (もちろん、そう単純なことではないだろうが)
ただ、差別問題を耳にするたびに必ず気になることがある。 被差別者の擁護ばかりを優先する「逆差別」だ。
例えばの話だが、 戸籍上は男児だけど、性同ー性障害により女児として 小学校に入学したAさん、 Aさんのクラスメイトで、Aさんが男児と知らない女児B子さんが いるとする。 低学年の頃は一般生活において、男女とも身体的特徴が 顕著になっていないが、高学年になるにつれ、 そういう特徴って必ず出てくるわけだ。
そうなった時、 1.B子さんがAさんと同じ部屋で着替えやらをするのに抵抗感じない? 2.たとえ抵抗を感じても、それを言ったら 「Aさんを差別することになる」から言い出せず、 我慢しなきゃならないなんてことはない? 3.勇気を振り絞って「別の部屋にしてください」って言うことで、 「B子さんは意地悪だ」と、周りから仲間はずれにされたりしない?
個人的意見だが、2を「差別」呼ばわりして 一緒の部屋で着替えるように強制するなら、 それはB子さんに対する精神的虐待だと思ってしまう。 Aさんが男性として生きることに大きな苦痛を受けるのと同じように B子さんにとって、それは相当大きな精神的苦痛になりうると思うのだが。 いくら「中身が女性」でも、視覚的なものって排除できない。 頭で分かっていても、心理的に耐えられないことって必ずあると思う。 まぁ、これこそが性同ー性障害を抱える方を苦してめる要因だと思うが。
同性の友達として仲良くするのとコレとは、 まったくもって違うものではないだろうか。
あと、幼少期に男性的特長を望まずして見てしまった女児は、 それが将来的にトラウマや心理ストレスになる場合もあるそうだ。 Aさんに全く悪気や落ち度がなくても、 B子さんを被害者にする可能性があるということは問題にならないのだろうか。
人権とか差別とか、とっても難しい問題である。 大を活かして小を殺すなんてことは論外だ。 第一、どっちが大で、どっちが小なんかも分からないことだし 区別なんかつけられない。 被差別者擁護はもちろん大切だが、それが大人の都合などで いきすぎることがないような配慮が絶対に必要だと強く思った。
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