読書日記

2002年01月31日(木) 都築道夫の連載エッセイはいの一番に読む。

「ミステリマガジン」三月号の目玉は2001年翻訳ミステリ回顧とアンケートによる「私のベスト3」さらに2001年のベストミステリ短編3編。都築道夫の連載エッセイはいの一番に読む。
「SFマガジン」三月号の方は、新刊「ダイヤモンド・エイジ」のニール・スティーヴンスン特集。
新潮社の「波」2月号では、乃南アサの新連載「二十四時間」第一回が巻頭掲載。
「ちくま」二月号は、保昌正夫と種村季弘の対談「物語作家としての牧野信一」が目につく。
講談社の「本」二月号は、佐高信の「泣くより怒れ」が目立つ。
今日は楽しみにしていた雑誌が届いた。
おいしい飲茶をひとかみひとかみするようにじっくり味わいたい。
他に、後藤正治「スカウト」(講談社文庫)と青井夏海「スタジアム虹の事件簿」(創元推理文庫)を購入。買う時には意識しなかった。二冊とも「野球」の本だった。



2002年01月30日(水) 吉田司「誰も書かないから、僕が書くしかない」

吉田司「誰も書かないから、僕が書くしかない」と鈴木英治「飢狼の剣」のつづき。
前者は「編集者の学校」の第30講である。わずか6ページほどの文章の中に胸をうつものが詰まっている。「差別と対決するには、涙の悲劇だけでは決定的に足りない。どす黒いファルス、つまり最高の喜劇を書く以外、他に手だてはないのではないでしょうか。」(329ページ)という結びの言葉まで見事な日本批評になっている。
どんな立場になっても自分の権利を守るためには戦い・行動が不可欠であることも改めて指摘されたような気がする。
吉田司という作家は人に勇気を与える文章を書く、あるいは述べる。
この「編集者の学校」は一人一人の割り当てが少ない。だから小説で言うところのショート・ショートを読むように退屈せずにどんどん読破することができる。短い中に核心をついた文章や言葉が誠実に込められ、実に面白い一種のエッセイ集になっている。
「飢狼の剣」は50ページまで進んだ。三人称の文章の中に主人公の独白や心情が融け込む形の文章が自然で読みやすい。



2002年01月29日(火) 鈴木英治「飢狼の剣」(ハルキ文庫)を気分転換に読み始める。

鈴木英治「飢狼の剣」(ハルキ文庫)を気分転換に読み始める。最近時代小説といえば、佐伯泰英、鳥羽亮、宇江佐真理にとどめをさすというふうで、その他の作家に手を伸ばす勇気がなかった。それでも、裏表紙の「いやはや、対決シーンは燃える!」に始まる細谷正充氏の絶賛の言葉を無視できず読みはじめた。
冒頭は清水角兵衛という同心が見ず知らずの浪人に、人が倒れているから来てくれ、と声をかけられる場面である。清水というさわやかさと角兵衛という頑固で強さを相反するイメージを連想させる名前からおそらく主人公だろうと見当をつけて読み始めると、とんでもないことになってしまった。
期待をすかす面白さがある。最後まで読んでいないのは無責任極まるので、こうする。まず33ページまでは絶対に面白い。この後も十分期待できる。
まだちょっとしか読んでいないのに大げさである。
ところで、今日はスウエーデンのリンドグレーンの死亡記事を見た。冥福を祈る。

ついさっきテレビで大橋巨泉氏が議員を辞職したのを知った。昨日の予算委員会の模様も含めて日本がますます「読めない」国に変貌を遂げつつあることを感じる。「食えない」国になるまでもう一歩なのだろうか。



2002年01月28日(月) 上野瞭さんの訃報を見た。

上野瞭さんの訃報を見た。最近はエッセイ集ないし意見集のような本をときたま読むだけだった。具体的には憶えていないが大病をして体力が落ちて肉体的には生活がつらくなったというような文章を読んだ印象がある。
児童文学の評論にせよ、日本社会への批評的文章にせよ、骨のある生きかたと筋の通った主張が好きだった。3年か4年おきに出る随筆集を読むのをひそかに楽しみにしていた。今、手元にあるのは、1978年の「われらの時代のピーター・パン」(晶文社)と1985年の「日本のプー横丁」(光村図書)の2冊。潜在意識のレベルで、は大げさであるにしてもだいたいいつも気になって手近に置いてある本だ。筆者が亡くなってからでは遅いが、少しずつ読みなおしたい気分になっている。
学生時代に、佐藤暁やいぬいとみこ、神沢利子、さらにイギリスの伝統あるファンタジイに出会っていなければ、上野瞭さんの作品とはかすりもしなかっただろう。
先日の、いぬいとみこさんにつづいての同時期の上野瞭さんの死去は衝撃が強かった。
改めてお二人のご冥福を祈る。



2002年01月27日(日) 最近、立花隆全否定という感じの本や言葉を目にする。

最近、立花隆全否定という感じの本や言葉を目にする。これは何かの理由で立花隆への風当たりが強くなったことを意味するのだろうか。東大生からの反撃と単純に割り切れないものが底にあるのではないだろうか。というのは考えすぎで尻軽なマスコミの体質がその時の都合によって吹かせている風にすぎないというべきか。
立花隆否定で本が売れると判断すればその線を狙うし、そうでないと見れば逆に礼賛に回る商業主義の典型的な現象の一つ。
集英社の「青春と読書」増刊号の特集「私が選んだノンフィクションベスト3」の中では、「臨死体験」2「21世紀知の挑戦」1「田中角栄研究」2「サル学の現在」1の四冊が選ばれていた。
再び、まとまった読書ができなくなってきた。なんとかせねば。



2002年01月26日(土) 「アカシックファイル 閻魔総理の正体」で明石散人が復活。

「アカシックファイル 閻魔総理の正体」で明石散人が復活。講談社の月刊文庫情報誌「IN☆POCKET」1月号で明石散人の「アカシックファイル」の連載が再開された。その第1回が現・首相批判・批評である。溜飲の下がる思いはするがこういう本の中で吼えても仕方がないかという思いもある。それに刊行しているのが一応大手の出版社なのだからこれでも巨視的に見たら当たり障りのない文章にしかすぎないのではないか、あるいはこれも現政権の維持に結びつく方便なのではないか、などとも考える。世の中のバランスを取るための一つの手段となっているとも思える。
この中で予測している「高卒者契約志願兵制度」は確かに最近の日本の動向から考えると決してもうくだらない夢物語とも言えない。
「編集者の学校」「向田邦子・映画の手帖」「黄色い目をした猫の幸せ」「ボトムズ」などを並行して読んでいる。
最近の新聞には毎日「警告」が載っている。ニューヨークのテロ事件に端を発して、日本が徐々にきな臭くなっているせいか。戦前と同じ状況になるまであと一歩といろいろな形をとった「警告」が存在するようになった。



2002年01月25日(金) 栗田昌裕「3D写真で目がどんどん良くなる本」(三笠書房王様文庫2001.12.20)を衝動買いする。

栗田昌裕「3D写真で目がどんどん良くなる本」(三笠書房王様文庫2001.12.20)を衝動買いする。買おうと思っていた本がなくがっかりしていたところに見つけた本。最近、右目の飛蚊症がひどい上に目の疲れが気になっていたのでこの手の本に敏感になっている。こんな実用的な本に700円もだすくらいならと思わないわけでもなかったが、「一日5分、たった2週間で効果がみるみるあらわれる!」につい引き込まれてしまう。「パラレル法」はできるても「クロス法」ができない。たとえできるようになっても「飛蚊症」には関係なさそうなのが残念である。
「編集者の学校」を148ページまで読んだ。
集英社の「青春と読書」通巻300号突破記念ノンフィクション増刊号を拾い読み。76人に及ぶ「各界の本読みの名人たちが選んだノンフィクションのベスト3とその理由」特集が面白い。なにしろ76人もの著名人の選んだというのがすごい。これも一種の広範な読書リストで暫くの間楽しむことができる。ありがちな企画にしてもこれだけのメンバーが揃うと力がある。
遅ればせながら、いぬいとみこさんの冥福を祈る。



2002年01月24日(木) 「編集者の学校」(講談社Web現代・編)を毎日少しずつ読んでいる。石田衣良「赤と黒」(徳間書店)を少し。

「編集者の学校」(講談社Web現代・編)を毎日少しずつ読んでいる。錚々たる出演者の共演で著名な作家・ライターであるにもかかわらず、こらがまったく読んだことのない方が多く、これからの読書案内にもなりそうだ。あらすじをまとめるのがうまい安原氏が例によって現代日本そのものの粗筋を辛口調で檄白。日本の政治や出版界のダメさ加減が見事に浮き彫りになっていた。
一人一人のページ数が多くないので、目先がすぐに変わる面白さがある。
石田衣良「赤と黒(池袋ウエストゲートパーク外伝)」(徳間書店)を少し読んだ。池袋のカジノの売上金の強奪場面から物語は開幕する。
5,6ページ読んでおしまいにする予定だった。気がつくと42ページまで来ていた。この辺から主人公が一念発起して裏切りの真相を解明するために能動的に頑張っていくという積極性が物語を引っ張っていくような感じでさらに面白くなる。



2002年01月23日(水) 恩田陸「ドミノ」(角川書店)はドタバタコメディの傑作。

恩田陸「ドミノ」(角川書店2001.7.25)はドタバタコメディの傑作。疾走感あふれる痛快な読みもである。角川書店はすぐに映画化ならびに文庫化を急ぐべきである。恩田陸の別の魅力を世に知らしめるべし。理屈抜きに楽しめる娯楽大作。
「郵便は世界を結ぶ」である。
ところで「三月は深き紅の淵を」(講談社文庫)は依然として第2章まで読んで読書中断中。

最近、気になるコミックは、高橋しん「最終兵器彼女」(小学館)。7巻で完結した模様。テレビドラマはフジテレビの「ロング・ラブレター 漂流教室」とTBSの「木更津キャッツ・アイ」。両方とも文字通り浮世離れした怪作といってよい。



2002年01月22日(火) 樋口裕一「ホンモノの文章力ー自分を売り込む技術」(集英社新書2000.10.22)をやっと読了。山田風太郎「開化の忍者」を読んだ。

樋口裕一「ホンモノの文章力ー自分を売り込む技術」(集英社新書2000.10.22)をやっと読了。題名の通り文章を書く力をつけるための本である。小論文の神様と呼ばれる筆者が懇切丁寧に文章の書き方を教える。小論文やレポートだけでなく自己推薦書や志望理由書の書き方、果てはエッセイやEメールの書き方まで具体的かつ実践的な指導書である。筆者の言う「型」を使うと知性も論理的に磨かれ良い文章が書けそうな気がしてくる。

山田風太郎「開化の忍者」を読んだ。文藝別冊「追悼特集 山田風太郎(キ想の歴史ロマン作家)」(河出書房新社2001.10.30)所収の単行本未収録の短編である。明治4年横浜に外国人に門番として仕える三人の伊賀者が主人公の奇妙な話である。大筋は憧れの女性の貞操を忍術を尽くして守るという話で、読み終わってみれば茫然自失するしかないブラックなコメディであった。



2002年01月21日(月) 鳥羽亮「隠猿の剣」(講談社文庫)は傑作時代活劇。「編集者の学校」(講談社Web現代・編)の始めの方の数ページを.

鳥羽亮「隠猿の剣」(講談社文庫1998.10.15)は傑作時代活劇。単行本は1995年刊行とあるから7年前の作品。今更力を込めて褒めても、「遅すぎる」とは思うものの何作か読んだ鳥羽作品の中でこの作品は抜きんでている。今までのものも面白さは確かにしてもどこか今ひとつという印象だった。
しかし、この「隠猿の剣」は全編に渡って、いわば気力が充実かつ漲っているのである。本格ミステリーの持つ謎の味わい。陰謀の大きさと深さ。敵側の剣豪や忍者の圧倒的強さ。悪役の残忍さ、不気味さ。剣戟場面の見事さ、迫力。主人公たちの強さと魅力。
文句なく面白い時代活劇がすでにあったことに驚いた。
最近読んでいない佐伯泰英と比較して「保留」扱いしていたが、若い剣術使いを主人公にした清新で斬新な物語を創造し達者な書き手だった。
読んでみるつもりで開いたら、「1章 カリスマ編集者にきく」の「第1講 見城徹(幻冬舎社長)」は途中でやめられなかった。風貌はテレビの本を扱ったバラエテイ番組「ほんパラ」で知っていたせいもあってか第1講は最後まで読んでしまった。
感動した相手に「踏み込め」という発言が印象深かった。
「本の雑誌2月号」「イン・ポケット1月号」が届いた。



2002年01月20日(日) 芦辺拓「時の密室」はダイナミックな大阪物語である。マキューアン「夢みるピーターの七つの冒険」を6ページほど読んでみた。

芦辺拓「時の密室」(立風書房2001.3.5)はダイナミックな近代大阪物語である。明治初期、昭和、現代という三つの時代の事件がすべて密接に絡み合って大団円に向かっていくという胸のすくような構成になっているのが特色。
一つの重要な役割を果たすのが水上アクアライナー。大阪城公園から実際に乗ってみたが、作者の説明・描写の通りであった。この時期に乗っても目立つのは川岸に並ぶ青いシートばかりでかろうじて大坂城が救いの主となっていた。物語は春のことだから桜並木などでもう少しはなやかなはずだ。
前作の「時の誘拐」同様に大阪の歴史と大阪そのものが主人公である。決して良くは変貌していっていない大阪という街に対する哀惜の念を根底に秘めながら現実の大阪をリアルに描写し、しっかりとした物語を構築していく作者の手腕は敬服に値する。
もちろん、意外な解決や結末を含めてトリックと人物描写も出色の出来である。
俄然次回作が楽しみな作家となった。
イアン・マキューアン(訳=真野泰)「夢みるピーターの七つの冒険」(中央公論新社2001.11.7)を6ページほど読んでみた。7つの話の前にある「ピーターはこんな子供」の最初である。ピーターは十才の少年で大人から「むつかしい」子供と見られている。一人でいることが多く呼ばれてもなかなか返事をしないから。単に空想に耽っているだけなのだが、大人にはわからないのである。
印象に残る文章が多いのが特色。これだけしか読んでいないのにこんな文章が目についた。
「ひとりでいるということについても、大人はあまり喜びません。ほかの大人がひとりでいることさえ、喜びません。みんなといっしょになってくれれば、そのひとが何をしようとしているかわかります。みんながしようとしていることを、そのひともしようとしているのですから。」(15〜16ページ)
このこのつづきはいつよめるかわからないが、きたいしてよさそうな本である。



2002年01月19日(土) 椎名誠「本の雑誌血風録」(朝日文庫)「新宿熱風どかどか団」(朝日文庫)を読む。

椎名誠「本の雑誌血風録」(朝日文庫2000.8.1)「新宿熱風どかどか団」(朝日文庫2001.8.1)を読む。
徐々にエッセイ化していっている自伝的大河小説。週刊文春連載のエッセイとの違いが少しずつ消え、どこかで融合しそうな気配。現代日本の私小説作家の極北というべきか。
身辺の何を書いても面白い小説やエッセイになるというすばらしい作家である。
二冊読んで印象に残った人物は情報センター出版局の星山編集長である。椎名誠にとっては本の雑誌社関係の人々と同じように大切な人のようである。
「哀愁の町に霧が降るのだ」「新橋烏森口青春編」「銀座のカラス」と続けて読み、そのあと暫く間が空いて、また椎名誠に戻ってきたわけだが、この読書はややノスタルジックな読書になった。
「本の雑誌」がいつ出て、どこで買えるかわからなかったかつての時代が懐かしい。あんな風に主体的に自分が動かなければ手に入らない、あるいは動いても手に入らないスリルは最近はとんとない(なくて幸福だが)。
今回「おすすめ文庫王国」が見つからずすこしいらついたが、都市部に行けばあることは分かっていたから、本質的にスリルとは言えない。
前にも書いた通り、目黒考二の文章を「小説推理」で毎月読むことで「本の雑誌」への飢えを癒し、「哀愁の町に霧が降るのだ」の下巻を本当に出るか不安になりながらも待ち遠しく思っていた日々がシンプルで良かったような気がする。
と、こちらがいろいろな事を思う種本であった。



2002年01月18日(金) 「おすすめ文庫王国2001年度版」(本の雑誌社)をやっと入手。

「おすすめ文庫王国2001年度版」(本の雑誌社)をやっと入手。車で30分圏内にあるどの本屋さんにもなかったので、いくらなんでもとしびれをきらして結局大阪駅前の旭屋書店まで出かけて購入するということになってしまった。
店の中央の柱棚で見当たらないので小柄な男性の店員さんに「本の雑誌社の文庫王国ありませんか。」と尋ねた。するとすぐには見当がつかないらしく彼は近くにいた小柄な女性の店員さんに相談した。その店員さんはすぐにわかって先程の柱棚のところに案内してくれた。なんとさっきは人がいて見えなかったところに本の雑誌2月号と一緒に並んでいたのだった。
彼女はもう二冊しかないのでと言って裏表紙の折れている方を見せながらきれいなもう一冊の方を差し出した。
こうして消費税込み735円の本の雑誌増刊を思い立ってから約1カ月後に手に入れることが出来た。
その日のうちに本文4ページから95ページまであらかた読んだのは言うまでもないの「い」である。
それにしてもこういう本を読むのは難しい。しっかり読みすぎると先入観を持つことになり、驚きや感動が減るような気がするからだ。何も知らないで読み、感動したり驚いたり、読んでよかったと思いたい。あらすじが書いてあったりすると記憶に残らない読み方をするかという気持ちになる。
本の紹介をする人もそのあたりが難しいのだろう。
この増刊号を読んでまず読む気になったのは各社の売れ筋コーナーの「朝日文庫」(95ページ)「新宿熱風どかどか団」(椎名誠)。「本の雑誌血風録」の続編が出ていることを初めて知ったのだ。そして、その本を関西空港の丸善でその日に購入した。



2002年01月14日(月) 宮部みゆき「ドリームバスター」(徳間書店2001.11.30)読了。

 宮部みゆき「ドリームバスター」(徳間書店2001.11.30)読了。「ジャック・イン」の次の「ファースト・コンタクト」「D.Bたちの穴」と続けて読んだ。約360ページをだいたい一日で読んだことになる。一日といってももちろん読んでいた時間は24時間ではなく、計測したわけではないが3時間くらいだろう。
漫画的で非常にページをめくりやすい。単純に面白かった。
三つ目の話は、ドリームバスターたちの世界「テーラ」が舞台になっている。二つの事件が起こり、一応の解決はみるが、新たに魅力的な謎の少年がクローズアップされたところで「続く」というエンドマークが出て、この作品が「ハリー・ポッター」シリーズのように続き物であることが判明する。
「ハリー・ポッター」ではないが、壮大なスケールのSFファンタジーの幕開けであってほしい。全11巻、次回作は「リップの宇宙」から始まるのである。(嘘。)
次回は3月ごろには出してほしいとは思うものの実際にはじっくりと構えていいものを頼みたい。
また、読む見通しのない本を買ってしまった。
庄野潤三「貝がらと海の音」(解説=江國香織、新潮文庫)
酒井美意子「加賀百万石物語」(解説=中村彰彦、角川ソフィア文庫)
椎名誠「本の雑誌血風録」(解説=目黒考二、朝日文庫)
 
明日から17日まで旅に出るので読書日記は休む。



2002年01月13日(日) 宮部みゆき「ジャック・イン」を読了す。

これは「ドリームバスター」(徳間書店)のプロローグで110ページほどの中編である。一つの事件を通して50人の凶悪犯の意識体がこの時代の地球に送り込まれたことが説明される。弱った心を持つ人の夢の中に移動してその体を乗っ取ってしまうそれは「シュリンカー」という。
時間なし。ここまで。



2002年01月12日(土) 久しぶりにブックマーケットに寄った。

久しぶりにブックマーケットに寄った。つい本を買ってしまう。
平凡社ライブラリー「日本残酷物語」の1巻から3巻まで。向山貴彦「童話物語」上下(幻冬舎文庫)。この少し厚めの5冊は棚に一緒に並んでいた。「日本残酷物語」の監修者の一人が宮本常一だからである。
他に「活字マニアのための500冊」(朝日文庫)。9番目の山崎浩一が選ぶ「ノンフィクション・ライターになれるかもしれない30冊」の中に「日本残酷物語」が入っていることに帰宅後気がつく。
他に、火坂雅志「柳生列堂 血風録」(祥伝社文庫)、木下宇陀児「奇蹟の扉」(春陽文庫)、ニーチェ全集5「人間的な、あまりに人間的」(ちくま学芸文庫)の3冊。
合計9冊。
随分と安く買えるものである。しかし、読まないで結局物置行きになるのだろうか。
今日はこれだけ。



2002年01月11日(金) 宮部みゆき「ドリームバスター」(徳間書店)を読み始める。

宮部みゆき「ドリームバスター」(徳間書店)を読み始める。作者が稀有な語り手であることは万人が認めるところ。この作品ではさらに現代において突出した語り手であることを証明しようとしている。
本の作りそのものが前作の「模倣犯」よりも読みやすい純粋な娯楽小説であることを示し、読者の購買意欲や読書欲を刺激している。また、表紙を見て逆に敬遠する人が少なからずいるのではないかと疑うほど軽い。ここにも「ハリー・ポッター」の影響があるのだろうか。帯の「アクション・ファンタジー」という言葉にそれを感じた。宮部みゆきが本気を出したら「ハリー・ポッター」など問題にもならない。ファンタジーに専念すればファンタジーの女王になるはずである。
「模倣犯」は長大な物語だった。
この「ドリームバスター」も同じくらいの分量になってから分厚い一冊、または分厚い上下巻で出して欲しかった。まだ、最初しか読んでいないが「やめられない物語」になっている。あのスティーヴン・キングのように迫力ある本の姿で登場してほしかった。
今、何を語っても面白い物語になる作家の最新作。表紙や裏表紙を無視して読むべし。



2002年01月10日(木) 神沢利子「銀のほのおの国」(福武文庫)も新たに

神沢利子「銀のほのおの国」(福武文庫)も新たにもう一度発見されるべき作品である。もともと1972年に福音館書店が出版した壮大なスケールの神話的ファンタジーで佐藤暁が開いた道の頂点に立つ傑作。それにしても福武文庫に入った1991年からでも11年も過ぎている。読んだことのない人はもちろん過去に読んだ人も読む価値のある日本を代表するファンタジーである。



2002年01月09日(水) 佐野眞一「宮本常一が見た日本」(NHK出版)のプロローグ4ページを読んだ。「だれも知らない小さな国」。佐藤暁

佐野眞一「宮本常一が見た日本」(NHK出版)のプロローグ4ページを読んだ。この著者はまずプロローグやあとがきがすごくうまい。的確な表現と的確なまとめですっと舞台の幕を開いて導いてくれる。今回の「宮本常一が見た日本」のプロローグもすばらしい。是非とも読んでみたい、宮本常一のことを知りたい、そんな気をいざなう。先に読んだ「渋沢家三代」は教科書的なまとめで読みづらい面があった。この最新の著作ではもっとなまなましく臨場感のある表現を期待している。
日本のファンタジーの傑作といえばまず「だれも知らない小さな国」。佐藤暁が1959年に自費出版した、後にコロボックル・シリーズとしてアニメにもなった名作である。それから43年も過ぎている。今、「ハリー・ポッター」のおかげである意味ファンタジー・ブームにあるわけだから、このチャーミングかつぴりりと辛い物語も読まれてもいいのではないだろうか。
「二十年近い前のことだから、もうむかしといってもいいかもしれない。ぼくはまだ小学校の三年生だった。」
 これが冒頭の文章である。宮崎駿のトトロが出てきてもよさそうな時代の日本の話なのである。魔法は一切出て来ない。この作品の出現が魔法そのものだ、と言ったのは誰だったか。
 今は、新刊ばかりが読まれる時代(であるような気がするし、自分もそうだ)。かつての新刊や一見消えて失われてしまった本を探し出して読むこともなんぼかの割合で必要なのではあるまいか、と考える今日この頃。(終り)



2002年01月08日(火) 「ミステリマガジン」「SFマガジン」の最新号がやっと届いた。

「ミステリマガジン」「SFマガジン」の最新号がやっと届いた。年末にゆっくりとページを味わうように繰るのが楽しみの一つなのに、「今ごろ」などと愚痴りながら拾い読みした。奇しくも「ミステリマガジン」の日本人作家インタビューは今注目している芦辺拓であった。「SFマガジン」の方はなんと定価が2300円。創刊550号記念特大号である。1600円ぐらいに抑えてほしいものである。こんなに高価な雑誌を購入する人が本当にいるのだっろうか(採算とれるほど)。
「時の密室」は10ページほど読み進み、中断。
今週は厳しい。



2002年01月07日(月) 芦辺拓「時の密室」をほぼ半分。他に芦辺拓「殺人喜劇の13人」グランジェ「クリムゾン・リバー」を少し。

芦辺拓「時の密室」(立風書房)をほぼ半分。同じく芦辺拓「殺人喜劇の13人」(講談社文庫)を20ページほど。ジャン=クリストフ・グランジェ「クリムゾン・リバー」(創元推理文庫)を40ページほど。阿刀田高・編「ショート・ショートの広場11」(講談社文庫)からいくつか拾い読み。
読書傾向が「このミステリーがすごい!」の影響を知らないうちに受けているようだ。
芦辺拓の作品はさまざまな企みが巧みに満たされていて非常に興味深い。読む前から気になる作家ではあった。予想とは相当違っていて発見が多い。 



2002年01月06日(日) 高野和明「13階段」(講談社2001.8.6)を読了。向井敏さんが亡くなったとラジオで聞いた。

高野和明「13階段」(講談社2001.8.6)を読了。人間の暗部を鋭くえぐったミステリー仕立ての人間ドラマという風で死刑を目前にして恐怖におののく人間の姿だけでなく処刑する側の人間の恐怖心までも見事に描き尽くしている。最近はサイコ・サスペンスといった作品が多く「殺人」や「殺意」あるいは「死」などに対しての反応が鈍くなってきている風潮があるが、その現代的風潮に真っ正面から立ち向かったような堂々たる推理サスペンスである。
もちろん、緻密に計算され尽くした本格ミステリー小説としても立派に成立している。探偵役たちが請け負った課題の大きさと意外性。さらに、ここには読み手に謎や真相を推理させる楽しみ(題材からみると不謹慎だが)や喜びが用意されている。
題材の重さは重さとして存在するが、それにつぶされずに謎の部分が隅々まで考え尽くされ、読み手は探偵役とともに謎解きをしながら意表をつく結末まで一瞬のうちに進んでしまうのだ。
長さもちょうどよく、途中で読むのをやめられる人は余程忙しい人だけである。
江戸川乱歩賞にふさわしい作品。
向井敏さんが亡くなったとラジオで聞いた。確かな書評家であった。冥福を祈る。
明日から野暮用が暫く続くのでこの日記もあまり書けなくなるかもしれないが、一行でも可としたい。 



2002年01月05日(土) ネルソン・デミル「王者のゲーム」(講談社文庫)を数ページ読んだだけ。

 ネルソン・デミル「王者のゲーム」(講談社文庫)を数ページ読んだだけ。「ホンモノの文章力」もちょっと。
「王者のゲーム」は主人公のくだけた調子の饒舌な語りで始まる。エディ・マフィーかブルース・ウィリスかというところ。ディック・フランシスの語り口とは相当異なる。事件らしきことはまだ起きていないのでこの伝法なしゃべりがどんな効果をあげていくのかは分からない。
俳優の児玉清さんが解説を書いていて随分ほめている。



2002年01月04日(金) 樋口裕一「ホンモノの文章力」(集英社新書)を92ページまで。「おすすめ文庫王国」(「本の雑誌・増刊」)が出回っていない。

樋口裕一「ホンモノの文章力(自分を売り込む技術)」(集英社新書)を92ページまで読む。これは題名の通り文章を書く力をつける本である。受験生の小論文指導に長く携わって実績もある著者だけに、具体的な実践力の養成を意図しているようだ。
目次を見ると、意見文の書き方、自己推薦書・志望理由書の書き方、エッセイの書き方、手紙・eメールの書き方とあり、その中でエッセイの書き方まであるのはここまで読ん出理解した著者の立場からすると疑問を感じるが(文学的な文章は視野に入っていないようなので)、普段の生活の中で書くことがありそうな文章を扱っていることがわかる。
練習問題が挿入されてこちらにも受動的に読むだけでなく、能動的に考えたり書いたりすることも求められるという実際的な参考書である。
本の雑誌社から出ているはずの「おすすめ文庫王国」(「本の雑誌・増刊」)が近辺の本屋さんに全く出回っていない。「本の雑誌」を置いているところにもない。「このミステリーがすごい!」は結構出回っているのに、ない。売れ行きがよくて品切れになっているだけか。文庫本主流のこの時代だから、この本を文庫本の棚の近くに置くだけで売れ行き倍増間違いなしなのに。もったいないことをする。



2002年01月03日(木) 佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書1998.11.20)をやっと読み終わる。福永武彦「告別」(講談社文芸文庫1990.6.10)

佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書1998.11.20)をやっと読み終わる。長い間隔を置きながら読んできたので今頃になってしまった。日本の歴史のいわば王道を歩んできた渋沢家が今では忘れられた存在に近い。裏面史という趣である。
渋沢栄一の話よりも終りの方の渋沢敬三の部分が面白かったのは興味の持てるエピソードが多かったためだろうか。
全体としては期待した面白さは得られなかった。もう一度読めば印象が変わるのかもしれないが、今のところ「駆け足」で渋沢家の歴史をなぞった感が強い。
新書という枠では280ページを費やしても無理な素材だった。
福永武彦「告別」(講談社文芸文庫1990.6.10)を読んでみた。この作者から私が受けた感動は内容の面よりも語りもしくは構成の独創性である。一時期狂喜したようにその長編を読みふけったのはもっぱらその構成の見事さによる。
その構成と語りは中編の「告別」にも健在だった。「告別」という言葉に二重性を持たせてさっと終わるところに感動がある。
もう一つの作品「形見分け」も同様である。こちらはミステリーといってもいい。記憶喪失の男とその男を介護している女が主要人物の「告別」よりもさらに短い作品。構成に対する強い意識はここでも見事に発揮されていて、最後の一文でぴたっと着地が決まる。
内容はどうでもよくなってくる。文章のうまさと構成への興味で安定して読めるのである。主題や内容はもう一度読む時に深めようと思う。(実際にはそうはいかないだろうが)ビデオで映画を観た。怪獣映画。
「ゴジラ対メガギラス(ゴジラ消滅作戦)」主演の田中美里さんと今までのゴジラものよりもSF的になっている点が好感度高し。今映画館で上映中のゴジラものの最新作に続くと思われる。怪獣映画を今になっても観ているというのは気恥ずかしいが、ゴジラ映画も少しずつ進歩しているようだ。



2002年01月02日(水) 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社ノベルス2001.3.5)を読む。

 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社ノベルス2001.3.5)を読む。主人公「俺」のしゃべりや思考をそのまま文章にした文体なので最初はとまどうが直に慣れてくれば今度は随分だらだらとおしゃべりの尽きない奴だなと呆れてくる頃に本筋と思われる事件とは全然別個に「俺」の一家の恐るべきエピソードが次から次へと披露されて特に四人兄弟の次男の二郎(「俺」は四男で四郎)と超封建的父親の暴力的葛藤の物語は本筋以上に面白く事件などどうでもよくなるような賑わいと暴力の世界で目をそらすのが困難な求心力があって「俺」の過剰なしゃべりももう気にならなくなっているし、この超犯罪的一家の前にはこのサイコ的犯罪についての推理もどうでもよくなっている。事件よりもこの一家のことをもっと語ってくれという気持ちになっている。
前に読んだ「ドゥームズデイ(審判の夜)」もそうだったように講談社のメフィスト賞受賞作は無慈悲で暴力的破壊的なものが多いのだろうか。確かに独創性はあるが、刺激が過剰である。そして、過剰なわりに漫画的である。読んでからあの永井豪の「あばしり一家」を思い出した(大分違うかもしれないが)。漫画的というのが褒めているのか、けなしているのか、自分でもわからないのだが。
既に続編が出ているらしい。過剰な才能を感じる不思議な小説だった。
準・準・傑作。
今、思い出したのは、「ケイゾク」というテレビドラマ。あれと同じような仕組みの犯罪を描いた話だっのかな、と。



2002年01月01日(火) 逢坂剛「重蔵始末」(講談社2001.6.29)を読み終える。「釣りバカ日誌12(史上最大の有給休暇)」

逢坂剛「重蔵始末」(講談社2001.6.29)を読み終える。
準・佳作。(これは勝手な言い種で、客観的な評価ではない。目印のようなものである。)
全五編の連作短編集で「赤い鞭」「北方の鬼」「七化け八右衛門」「茄子と瓜」「猫首」から成る。あの鬼平と同時代の近藤重蔵という火盗改与力が主人公である。鬼平に仕えていたわけではなく別の組に属し二十一歳の若さながら鬼平と共通する凄味と智略で事件を解決していくという物語になっている。とても二十一歳とは思えない風格が感じられるので大酒飲みで色好みらしいのに加えて学者でもあるという特色を持っていても、鬼平二世のようにこちらが読んでしまう。しかし、鬼平にはない趣向の「茄子と瓜」という博識がひとつのみそになっている話もあり、運動系や人情系だけでない文系の要素が今後もっと増えてくれば独創的な時代小説になりそうだ。
「猫首」はちょっとぞっとする話で重蔵含めて関係者がみなぶるっと震えた。
ビデオで映画を見た。今日は「釣りバカ日誌12(史上最大の有給休暇)」。
準・駄作。(割と楽しんだので、「準」)
ずっと続けて見ているのでいつもそれなりに楽しんでいるが、結末がないような終わり方であった。次の13に続くなら続くとはっきり示してほしかった。ないということは続かないのか。などと今でも考えている。人騒がせな終わり方。


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