xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2003年10月30日(木)

ふざけて、という理由でやるのは更に最悪だと思うんだけど

 朝から憂鬱になる事件が多すぎる。
 ただでさえ、寝起きから夫に謝らなければならない事態になって(私が悪いが)しくしくと泣いて夫に慰められるという状況で、気を取り直して二人でコーヒーを飲みつつテレビをつけたら、そうきたもんだ。教師が女子児童に猥褻行為?どこにでもある話なんだけど、どこにでもあっちゃいけないんだけど。ていうかそのメール内容は何?そしてその言い訳は何?
 勿論、こういう話だけでなく憂鬱になるニュースは多い。何にしても、うんざりだ。私はそういう意味でとても世間知らずで子供だと思うのだけれど、それでも真面目に情報を仕入れていると気が滅入ってしまう。酷いときには涙がだらだら流れている。日常生活を送る上でこういう人間はどうかと思うけれど、それでも身近な人間に毎日まいにちユウーツな表情を見せないためにも悲しいニュースはある程度でシャットアウトしてしまう。
 もしくはこうやって吐き出すか。
 今朝は夫にぶちまけそうになってしまって、言葉をとにかく飲み込んでいた。

 とにかく、その「ふざけて」ていう理由だけはやめてくれ。
 相手にとって全然、冗談にも何にもなってないから。全くもってダメだから。
 触りたいんでしょ?イロイロしたいんでしょ?あわよくば、なんでしょ?
 それを覆い隠して「ふざけて」と言えば許される、罪が軽くなるなんてあざとくてみっともないことよしてくれない?最悪。だってしてること犯罪でしょ。女の子の人生を生きづらくしてること、知ってるのかしら。知らないよね。だってその子の人生なんて関係ないもんね。自分が可愛いんだもんね。
 最悪。
 最悪最悪最悪。

 未成年も成年も、男も女もどこかおかしいよ。おかしい人が多すぎる。


2003年10月23日(木)

日々の記録

 ふと気づいた。
 この日記は、日々の記録といってもその日の出来事を書いているわけではなく、どちらかというとその時々の感情や考えを書いているに過ぎない(日が多い)。別にそれも日記だとは思うのだけれど、「日々をきちんと大切に」を目標としている身としてはもう少し出来事を書いてみてもいいのではないだろうかと思い立ったのだ。
 といっても、あまりに詳細に正直に出来事を書いていると、いくらヒッキー主婦だからといってそのうちに個人が特定されてしまう恐れもあるので、そこがとても微妙なのだが。

 今日の日記も明らかに考えを(考えしか)書いていない状況なのだが、他愛もないコトでも何でもいいから少しずつ書いてみようかと思った次第。
 どうなることか。それは分からないが。


2003年10月21日(火)

やっと取り戻した実感に縋らずにいられるようになるまで

 よしもとばなな『ハゴロモ』を読んで、どことなくほっとする。
 別に私は長年付き合った愛人に別れを告げられたわけでもなく誰か近しい人を亡くしまくっているわけでもなく田舎に帰ってきているわけでもないのだけれど、何かを一心に思い詰めるようにのめり込んでいた、生活の全てだったモノから離れた、という感覚が近いように感じたのだ。
 ある意味、研究していく・働くというコトは毎日の支えになっていたモノで、それから離れるというのはとても心細かった。私は退職と能力の限界という判断からソレから離れ、結婚生活に移行したワケなのだけれど、結婚後、本来なら毎日がハッピーもうどうしましょう!なはずなのに、どちらかというと私は連日の微熱と蓄積した疲れ、何より「自分にはできることが何もない」という不安と焦燥で一杯一杯だったように思う。どこか「逃げ出した」という感覚がとれなかった。
 自分自身には懸命に「休むことだ、これは必要なことだ、ゆったりとしたきちんとした生活をできるようにするんだ」と言い聞かせていた。多分、毎日どこか疲れた顔をしていたのではないだろうか。夫が心配するはずだ。働いていた頃からずっと心配していた夫に悪いことしたな、と思う。
 今は素直に、これは望んだ結果だということが分かっているし、今はだらだらすぎだろうけれど少なくとも当時は私にとって無理だらけの日々だった、ということも自覚している。勿論、当時の私にとってはそれが必要だったと思っている。無理をしないと「無理しすぎるとどこか壊れる」ということも実感として分からないのだから、トータルでみると必要だったとも思う。
 現在の状況に対して、以前のような焦燥感や不安感はない。これで今はいいのだろう。



 大学。就職活動の話がちらほら囁かれるようになった時期、周囲の話に背中を押されるようにしてやっと私は「ああそうだ、私は院に進んで研究をしたいと昔から考えていたんだった」ということを思い出した。それまでも頭の中に文字としてはあったのだけれど、その頃ようやく、それが自分の中で感触を取り戻した。
 何とも言葉にし難いのだけれど、当時の私は空っぽだったのだ。将来がある、ということが実感としてなかった。毎日、ぼろを出さないように、この空洞を誰にも…特に家族に見せないようにすることで精一杯だった。それなりに楽しく人と関われるサークルと、頭を使うが何も考え込まずにいられるバイトを熱心にこなしていた。それで毎日が過ぎた。
 恋愛をしていたこともあったけれど、その相手は空洞化を促進する結果を残した。その恋愛にのめり込むことで忘れようとしていた、そんな私が悪かったのだろう。けれど、当時はそんなに深く考えていられなかった。
 当時、どうでもいい人間に空洞を少し見せられる、というのも我ながら不思議で面白かった。それはお互いにどうでもいいからだということ、けれどもしかしたらこの空洞を埋めてくれる人がいるかもしれないとほんの少しだけ期待していたことも、うすうす分かっていた。
 どうでもよかった。いや、どうでもいいという投げやりな感覚ではなく、単に何もなかったのだ。

 そんな中で思い出した将来への感触。周囲の変化に押されて・ぼろを出さないためという理由でも、やっと思い出したのだ。
 これに縋った。自分の将来が存在する、ということに感触が持てた。自分で実感できた唯一のこと。遅まきながら受験勉強を始め、就職活動は一切しなかった。他大学を受験したが、もし落ちてもそのときの大学の院には進学できるだろうという見込みがあった。とにかく研究の方面へ。やっと取り戻した実感へ私は一直線だった。
 実際には、以前より集中力が低下していたりしてなかなかよい成果を上げられたわけではなかったのだけれど、それでもどうにか希望大学院には合格した。その結果が更に自分を視野狭窄にした。私は、希望した方向以外の方向性を全く考えなくなっていた。
 能力がない、ということが分かっていても離れられなかったのは、多分この、これまでの経緯だと思う。やっと取り戻した感触を手放せなかったのだと思う。

 空っぽな状態でなくなったわけではないだろう。多分、それはどこかに必ずあって、一生ついてまわるものだと思っている。けれど、時間と経験が焦って逃げ出そうとする私を落ち着かせたし、何より、夫が認めてくれている。夫の存在が大きいことはとても確かで、頼ったままではいけないのだけれどそれでも今はまだ頼っている状態だ。
 今は少なくとも無理しないでいられるようになった。焦燥感はまだあるにしても、それにくらくらと惑うことは少なくなった。少しずつではあるのだろうが、そうやって確かな生活をできるようになればと思う。


2003年10月16日(木)

あの時間は彼の中で今はどんな形になっているのだろうか

 帰国したらしい。某所より情報入手。
 連絡がこないことなんて分かり切っているのでいいんだけど、それでも体の奥が騒がしい。情けない。
 夫を見ていると思うけれど、過去の女についてはもう自分の内側にしっかりとしまい込んでしまう男の人って多いのだろうか。夫は少なくとも語らない。勿論、現在の相手である私に多くを語るのもどうかとは思うけれど、多分、他の人にも語っていないよう。素振りにも空気にも出さない。それは完全に断ち切れているのか。大事な思い出になっているのか。

 さすがに夫も、付き合い始めには時々ぽろりと口にした。人は過去の経験を現在と比較して物事を考える。彼はそれを口にしてしまっていたのだろう。無邪気に。
 特に聞きたくないなどはなかったのだけれど、それなりに興味を持ってしまっていた私を見ていて、話すことは少しずつなくなった。それを見て私も訊くことをしなくなった。大事な思い出かどうかは私には分からないが、私が引きずり出していいものでもないだろうからだ。少なくとも私は話せない。

 奴にとって私との時間は、今はどういう形になっているのだろうか。それを知ることはないのだろうけれど、この先、知りたいままでいそうな自分が鬱陶しい。
 この感情は奴への未練ではないと思う。そう感じる。多分、過去の自分へのモノだ。
 もし、奴にとって大事と思えるような過去になっているのなら、私自身の過去への思いが軽くなるような気がする。それだけの浅ましさも漂う感情だ。だいたい、大事な過去云々と言っている時点で女々しい。だからとてもとても情けないんだけど、そう考えてしまうことはまだ止められない。
 奴があの時間を大事に考えていて、それで奴自身もシアワセになっていたらとてもいい結果なんだろうなと、思う。それを知るのはいつだろう。


2003年10月15日(水)

わかりやすい結果

 折角、空は晴れてきたのに暖かい光が差し込んできたのに部屋が明るくなってきたのに、何か泣きたい気分になって自分に戸惑う。

 でも動かないと。動けないなんて言ってはいけない。だってホントに動けるんだから。ただ動かないだけなのだから。泣きたくなってだなんて言葉が通用するのは子供の間だ。その気分を払拭する為にも動かないとだめなんだ。
 目に見える形の結果が大事な時期なんだと思う。自分の行動による結果を。わかりやすい動機付けをしないと動けない。そんな自分を嫌悪しても始まらない。

 ホルモンバランスのせいで不安定になっているんだろう。分かっている。厄介だけれど仕方ない。そういうものなんだ。
 私は物体だ。化学物質に支配されている。そうでしょう?


2003年10月10日(金)

まぼろし

 奴はもうすぐ帰国する。本当にもうすぐ、だ。
 2年。たったそれだけ。けれどその、たったそれだけの間にワタシは住む場所も職も名字も全てが変わった。変わるモノだ。そうなんだ。
 過去の幻は時々、ゆらゆらと目の前に現れる。そういうものだとも思う。



 昨夜、夫の帰りが遅かった。今日も、そして来週はずっと忙しいらしい。
 のんびりと過ごさせてもらっていて申し訳なく感じてしまうけれど、二人とも忙しかったら夫は家でのんびりできなくなってしまうのだから、と考えることにしている。
 私達は、のんびりとした暮らしをしたいのだから、それでいいのだと思う。思えるように少しずつなってきた。


2003年10月09日(木)

傍にいたら何も言えない

 月曜に少し浮上し火曜に撃沈。水曜はどうにか午後から歯車が動き出し---ものすごい錆び付いた音をたてているとしても---今日もどうにか一応動いている。寝坊したけれど。ええしたけれど。
 思うんだけどやっばり夜はちゃんと寝た方がいいよ。夫も「お弁当がない」ということに悲しまずに夜は寝ようよ。もしくはせめてワタシを先に寝かせよう。以前、先に寝ていたら寂しがったので付き合うようにしているけれど、起きられないです。無理です。ええヘタレなもので。ああちきしょう。

 昨夜、珍しく中学校時代の友人が電話をくれた。その当時の友人は彼女くらいしか残っていない。当時の自分も周囲も嫌いだったので、人間関係から静かにフェードアウトしたもので。
 その友人はとてもマトモな人で、その思考の健全さをワタシは尊敬していた。唯一、好きな友人だったと言ってもいいくらいに。…勿論、少しやんちゃと呼ばれる程度の悪さをしてみたりなどは彼女の方がしていたけれど、彼女は人としてとても前向きで健全。自分の生活も崩さず、周囲の人の心配もできて、壊れない。壊れそうなことはあったのかもしれないが、少なくとも見たことはない。その強さ。
 あの頃、「あんたと喧嘩がしたいよう」と泣かれたことがあった。それでもワタシは何も言わなかった。彼女の言いたいことはなんとなく分かっていたけれど、ワタシに喧嘩をする理由はなかった。当時のワタシは何も話さなかった。話すこともなかったのだと、今は思う。

 昨夜の彼女は受話器の向こう側で、体を壊して退職すると春に話していたワタシを心配していた。体は良くなったことを言うと「よかったじゃん」と笑い声になる。そんな彼女は育児に忙しい二児の母だ。
「じゃあ働かなきゃねえ、暇でしょう、主婦は」と言う彼女。そうだね、そのうち探すつもりだよ。まだ子供がいないからね。そう答えながら深いところで思い出す。ああ本当に、変わらない。この人は本当に変わらない。それをとても尊敬しているし好きなのだけれど、傍にいたら何も言えないんだろうな。
 多分、今でも。


2003年10月06日(月)

メモ用紙

 金曜日に僅かに復活。それを取っ掛かりに重い体を引き上げる。
 自分でやるしかないということだ。マトモになりたいのなら。


 右の手の皮がぼろぼろになっている。これ以上酷くなったら皮膚科に行かなければならないだろうか。塩や果汁などは浸みて痛い。堅くなった皮が引っかかりになってしまって、時々痛い。
 どうしたんだろう。年に一、二回はなっていたような気もするけれど。


 覚え書き。


2003年10月02日(木)

空は果てしなく底が抜けていてただ堕ちていく

 レッツ無気力!
 ビバ無気力!
 …もうどうでもいいですごめんなさいごめんなさいこんなこと言いたくはないんだけどでも時々言ってみたくなるじゃんアンニョイみたいなことをいかにも怠げな感じであああん私ったらごめんなさいね世を愁えているの虚無感なのどうしたらいいのかしらなんてことも思わないのよだってどうしようもなく世界は孤独で空は果てしなく底が抜けていてただ堕ちていくだけなのよ皆そうみんな全員が墜ちていくのよ空の最果てまでソレは決して天国などでもなく勿論地獄などでもなくただの混沌でただの


 すいません。疲れてきました。
 常にこういう思考をしているわけでもなく、ちょっと意識して作りました。



 どこかで書いたことがあるような気もしますが、秋の青空を見上げていると思い出すことがあります。
 幼い頃、ワタシは川の傍に住んでいました。特に名のあるわけでもない普通の川で、土手があって、犬の散歩にはよく利用していました。それなりにヒトもいないので、リードから放したり。その犬ももういません。そのくらいの過去です。
 秋の空はとても高くて、スカートを特に履くことのなかったワタシはズボンの足の間から、よく空を見上げました。見上げる?微妙?まあいいです。些末な問題です。ちなみに足の間から空を見上げる格好は人様に見られるのは、当時ならともかくこの年齢になるとなかなかできません。
 そうなのです。だからワタシはもう、あの感覚ははたして年齢によるものだったのか、それともヒトがすべからく感じるものなのか、はたまた年齢などは関係なく常に感じうるモノなのかヒトに理解を求められるかどうかは別として、などの検証はなかなかできません。
 あの墜ちていく感覚。空に墜ちていく。ああなんて深い深い穴なのだろう。
 地面にしがみついていられなかったヒトが墜ちていくんだ。

 当時読んだ小説の一シーンに影響されているのかもしれません。
 けれど、まだ死を具体的に知らなかったワタシはそう思っていたのです。



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