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2003年06月30日(月)
澱
起きたら床で寝ていた。 夕べ、あまりに寝られなくて床の上で涼んでいたのは覚えている。生理中で腰も腹も痛いので、冷やさないように自分のタオルケットを巻きつけて。 枕、そしてタオルケットが2枚もあるところをみると、途中で夫が起きて自分のタオルケットを掛け、枕を頭の下に置いてくれたのだろう。ベッドの上を見てみると、夫はなにも掛けずに眠っていた。 タオルケットをそっと掛けて、起床。お弁当の作成。 そしてお弁当は微妙に失敗。
土日は掃除をしないので月曜は掃除の日。加えて日曜は洗濯をせずに散歩がてら近所の図書館まで二人で行ってきたので今日は洗濯の日。他にも家賃支払日とか通帳記入日とかテーマは様々に。 とにかくまずは洗濯物を干す干す。洗濯機の回転は2回。回れ回れ。
シェイプアップは地道。金曜はそれなりに。土曜は夫に言われて目の前で見える努力を。日曜は生理痛でそれどころでもなく、散歩から帰ってきて倒れてみたり。 本日はまだ家事の途中。根性を残しておかないと地道な努力が。 ていうか先に家事を済ませろよと脳内でツッコミ。セルフサービス。
心のどこかにそれなりに疑問やら思うところが渦巻いているのだけれど、どうしてか、以前よりそれが言葉にならなくなってきている。感情の起伏も激しくはない。多分、強く感じることがそれほどないのかもしれない。 報道されるニュースや、その他の媒体から伝えられる様々な事柄からなにも感じていない訳でもないし、テレビの前で怒り狂ったりしていることもあるのだけれど、特に言葉にして書き記しておこうということがない。毎日の生活の中で何もないはずはないのだけれど、言葉にまでならない。 自分のコト以外でワタシが怒り狂ったりしていることは、ワタシの内部の柔らかくて脆い部分にピンポイントだから書くことはないだろう。それ以外のささやかな感情はいったん内部に沈んだ後、言葉になる位置まで浮上してこない。 些細なこと、と判断された様々なコトは沈んだまま。
人の内部にはどれくらいのコトが形にならずにたまっているのだろう。それはまるで澱のよう。 いつかあふれ出ることがあるのだろうか。
2003年06月26日(木)
弛緩
微妙に晴れているようなでもやっぱり曇りのような日。 洗濯をしないとどうしようもないので洗濯機に衣服を放り込み電源を入れる。その間にお弁当の残りで朝ご飯。片づけをしていると洗濯機が仕事を終えたので干していく ところでどうしてだか睡魔に捕まる。起きたら2時。何故? おそらく正午頃にはかすかに晴れていたであろう空は少しずつ曇る。慌てて干すけれど、これは乾くはずもなく。
どうしてどうして。 夫が汗水たらして(はいないけれど比喩として)働いているそのときに、家事もせずに睡魔に襲われているのでしょう。 お弁当や朝ご飯作成のために夫よりかなり早く起きているからか? 寝る時間が遅いからか?(でも夫と一緒)
このような恵まれた生活をしていると、当然弛緩してくる。 どこが? 体が。
細かった腰に何故か肉が。体重は殆ど変化していないのに、どこからか肉が。 夫曰く。 「筋肉が脂肪に変わったね」 ざっくり。 大学時代に武道でつけたわずかなわずかな筋肉が、こんなにたくさんの脂肪に変わろうとは。腹は最後まで六つに割れなかったのに。 背中に無駄肉がついたのはこの人生で初めて。あまりのボディラインの崩れに言葉を失いますですよ奥様。
ということで。 根暗日記なので基本的に暗いことがない日にはなかなか更新されてこなかった当日記ですけれど、微妙に密かにこっそりとダイエット日記するかもしれませんことですよ。ダイエットっつうよりかシェイプアップ。 ちなみに本日はなにもしていません。お菓子は食ってないか。 …努力しよう。
2003年06月18日(水)
若奥様の一日は
朝はとても慌ただしい。 今月から夫にお弁当を作っているので、その作成のために一時間早く起床。慣れていないので時間がかかり、いつもなんとか持っていってもらっている状態。冷蔵庫の中身をぎりぎりまで無駄がないように少なくしているので、何を作るかというより何が出来るか、と頭を抱えている。買い物に行った次の日には、贅沢な悩みが出来るけれども。 冷凍食品を使った方が早いのは分かっているのだが、食べてみたらあまりおいしくなかった(自分の作ったお弁当がおいしいのかどうかは別問題)。作りおきしておかないといけないなあと、毎朝反省。
お風呂の残り湯が多い日は、洗濯の他にお風呂トイレなどの掃除に使われる。雑巾も普段より綺麗に洗い上げる。掃除機をかけて流しの食器等を洗って洗濯物を干してハイ一息、とするとすでに昼。 何故、午前中丸々かかる?遅いのか、手際の悪さか。…両方か。
残り物でお昼御飯を済ませ、少し休憩。その後はまだまだ終わっていない片づけをコマゴマと。この間、念願の家具を清水の舞台からダイビングする勢いで購入したので(小さいくせに高いから)、まだ細かいモノの配置が決まっていない。 片づけながら夕飯と明日のお弁当を考える。米が無いことを思いだし、雨の中を買い出しかよと憂鬱になってみたり。
夕方近くになって慌てて買い出しに。新聞をとっていないので広告チェックができないから、少なくともスーパーを2つは廻る。米5�圓髻崛蕕擦蹇質蕕擦蹇次廚伴�分の体に念を送りながら持ち帰る。 購入物を冷蔵庫等にしまい、慌てて夕御飯作成。帰りが不規則な旦那を待つ場合、炒め物などはスタンバイしてからぼんやり待ちの状態。ひたすら待ち。切った肉は冷蔵庫で待ち。
旦那帰宅。軽やかに出迎える。旦那と話をしつつ炒め物開始。旦那にはビールとつまみを。既に出来ている煮物などのおかずを。炒める音で旦那の声がよく聞こえず、旦那との会話中断。 食事開始。会話再会。食事終了。その間、15分ほど。 作成にかかった時間に対してあまりにも短い。昔、母がぼやいていた言葉を思い出す。なるほど。
満腹の夫は牛になるのも恐れずにごろごろとベッドへ移動。呼ばれるので一緒にごろごろ。疲れ切っている夫は数分で夢の中へ。まだ洗い物のある妻は腕の中からそっと抜け出し台所へ。 黙々と洗い物。生ゴミを捨ててみたり、流しを掃除してみたり。
お風呂に夫を入れるべく、お湯を張り夫を起こす。嘆かれようが「いつのまにかいなくなっていた」と寂しがられようが構わずに起こしてお風呂へ追いやる。洗い物の続き。洗い物は朝まで放置(乾くから)。 夫と交代で入浴。ほっと一息。
ふと思う。 生産性などを問わない、繰り返しの毎日。継続と安定と、多分まだ他にあるのだろうけれど、それらの為に。 時々、焦燥感もあるけれど、今はこれでいいのだと思う。先のワタシもそう考えるかもしれない。そうじゃないかもしれない。形になりにくいモノがある。目の前に形にしなくても、不安にならないでいられるようになればそれでいい。
風呂場から出てきてみると夫はパソコンと戯れている。一度寝てしまったので目が冴えている様子。しかしこちらは眠い。とてつもなく眠い。 楽しんでいる夫と会話を楽しみながらも、いつしか意識は朦朧と。
2003年06月13日(金)
何を選んだのか、それが出発点になると思うけれど
春、遊びにきてくれた友人と話していたコト。 そして夫と話していたコト。
友人は夫と同じ職種についている。いわゆるSEというもので、その中でもプログラムを組むことよりも客と交渉したり設計したりする立場らしい。らしい、というのは私がその仕事に詳しくないため、話を聞いてもよくわからないからなのだが。 よく、SEは忙しいと聞くけれど、彼女も例に漏れず忙しいらしい。「今日中に」帰れたのー早いー、と喜ぶという話を聞くとああそうなんだとしか言いようがない。彼女の恋人も同じ職種だけれど、彼は家に帰れないらしい。なんつー…。 夫は「俺は楽な部署にいるよ」と言うが、それでも残業のない日はない。土日に出勤しないだけ、会社から帰れるだけいいとのこと。 今の世の中、そういうモノなのかもしれないけれども。
彼女は言う。今の恋人ともし結婚するようなことになったら、仕事は辞めたくはないけれど今の部署にいるのは無理かもしれない。 年々、仕事は増えていくだろうし、忙しくなる。責任も大きくなる。彼も同様。それで二人が一緒に暮らしても、すれ違いばかりだし家のことをする人間が誰もいなくて生活が荒んでしまうと思う。 仕事はしたい。辞めないだろう。けれど、何かを諦めないと何かを得られないとも思う。
同感だ。
体力も精神力もかなりある人間なら、仕事から帰ってきて家事をして…とできるのかもしれない。けれど自分がそういう人間ではない場合、何も失わずにいろんなモノを得ることはできないだろう。 根性で続けられるとは思わない。根性は一過性だ。生活にしていこうと思うのならば、自分の力を分かっていないと、何かが壊れる。
夫は仕事が生き甲斐、という人間ではない。「好きな君と楽しく暮らしていかれれはそれでいい」とはっきりと言える。自分の大事なことを分かっている。そのために彼は働く。 けれど、いやいや働いているわけでもなく。自分で環境を変えていける、妥協もできる、そういう人だ。今の状況に満足しているという。仕事も私生活も。勿論、全てが理想通りというわけでもないけれど、それでも。 その彼には、ゆとりある生活のための家事をする時間はない。そしたらそれを誰がする?
私には体力がない。精神力も特にある方ではない。根性とか気力という言葉が好きだけれど、使いすぎたら微妙に壊れた。壊れるまで分からなかった。継続するには根性だけでは無理だということ。 ばりばりと仕事をして、生活もきちんとして。それは今の私には到底なしえない。 そして生活が破綻するのはとても荒む。 一人だったら、壊れようが倒れようが荒もうが構わないと思うけれど。
働いてお金を稼ぐことが諦められないだけ。自分でもわかっている。それが思春期に叩き込んだ考えだということも、執着しているだけだということも、人を納得させるだけの考えにまで自分で持っていけてないことも。 甘ったれな私は、形だけでも自立したいだけなのだ。 (自分の生活費を稼ぐコトが形だけの自立、と言っているわけではなく) 自立できていないどころか多くのことから逃げていこうとする自分を見ないために、せめて外堀だけでも、それだけでも。だってそこを押さえておけばとりあえず自分で生きていける。どんなに荒んでも、実はどうしようもなく不安定でも、全てがどうでもよくなっていても。やっていける。自分一人ならば。
けれど、そういう生活を選ばなかったら。
私は彼の考え方がとても好きだ。そういう風に考えられる人だから、結婚しようと思えた。荒んだ生活はしたくなかった。もう少し、ゆとりのある生活をしていきたかった。 それが選択だ。第一の選択。 働けるように(体調も精神的な方面も)なっても、仕事第一でなければこなせないような仕事には就かないだろう。金銭的には働いた方がいいと、何か環境の変化に対応できるように働いていた方がいいとは思うけれど、自分の焦燥感からは働きたいと思わない(ようにしよう)。 もちろんこれは私の選択であり、私と夫の選択であるだけ。 現在ある選択肢からの。
特にまとまらないまま、これにて。
2003年06月06日(金)
シンプル
先日、夫に叱られた。 喧嘩とは違う。鬱々と数日も過ごしてしまっていた私の、その態度とその理由について「それじゃガキじゃないか」と彼は叱ったのだ。多分、彼はとても悲しかっただろうと思う。私がとても相変わらずで、簡単なことで鬱々となりそして思慮の浅いことに。 どうしてこう、目先のことばかりに囚われるのか。表面だけしか考えないのか。そして簡単に逃げようとするのか。
シンプルな考え方はとても難しい。 深く考えなければならないから。直視したくはないこともまっすぐ見なければならないから。 それでもシンプルに。
そんな君だから、一緒にやっていこうと思えたのだけれど。 私はまだ少しだけ働くことに未練がある。一人で考えてみるけれど。
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