今日もよくダレてます
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遠出

2008年01月30日(水)
息子の受験会場が一泊するかどうか微妙なところだったので
話し合った結果私が車で送ることになった。
朝五時起きして三時間のドライブ。

車の中で二人きり。行きは息子は問題集を読んでいた。
私は薬が効いて来て注意散漫になるので運転が怖かった。
息子がタバコを嫌いなので我慢していたら、眠気が。
一瞬意識が遠のいて、ヤバイと思って休憩して行った。

はい、がんばってと息子を送り出し、駐車場でそのまま爆睡。
ホントは街中をフラフラしようと思ってたのに息子の試験終了までの時間が中途半端で近くのネカフェに行った。

ツラツラネットを見てると落ち着くのは、毎日こんな生活をしているからかとなんだかしょんぼりしてしまう。三時間の運転もつらい、結局はネットでくつろいでるなんて。自分の生活がわかる。

時間になって息子が戻ってきた。
どうだったと聞くといろいろ話して来る。
まるで小学校の頃に戻ったみたいに。

二人で歩きながら私の好きな牛タン屋に行くか?と誘ってみた。
断られるかもなと思ったら行くというので連れて行った。
息子の舌は正直で合わなかったら何も言わないで残すのに、ヒトクチ食べてウマイ!と言うのでうれしかった。

帰り道、やはり運転が怖かったけれど、息子がいろいろと話してくれるので助かった。こんなに長く話したのはいつぶりだろう。
今日はサッカーの試合があるよって話をするのでナビでテレビを見ようとしたけれど電波が悪いので私のケータイを出して見せた。

選手の話とかこないだの試合の話とかして。

試験に受かっても落ちてもめげません的な息子の気持ちが伝わってきてそばにいてあげてよかったと思った。私がノホホンとしているからそれでいいのかなと思ってるに違いない。

それが息子にとってとても大切なことなので本当にホッとした。
元旦那がいないことがこんなにいい影響をもたらすなんて。
本当に私はもっと早く私自身もこんな体になる前に離婚してればよかった。

帰ってきて風呂に入ったけれど疲れてるようで興奮していて寝たいような眠れないような。緊張してるので頓服を飲んだけれど。今はまだ落ち着かない。

うるさい

2008年01月28日(月)
音がとても気になるようになってしまった。
少しの音でも耳にささってしまって目覚めて。
何度も目を覚まして朝もダルダル。

一日、寝直したいのと音で起こされるを繰り返してイライラしてきてダメだった。夕方頓服を飲んで動いた。

何かしたいような眠いような、妙な気分だ。

昨日の反動かとおとなしくしていたけれど、それがまたつらい。

縫い物をして気持ちを落ち着けた。

ぐっすり寝たい。

眠くない

2008年01月27日(日)
昨日の夜早めに寝た。
hiroにメール送ったりして一人ではしゃいでた。

今日の朝少し睡眠が足りないような・・・気がした。
が、歯磨きして顔洗ったら眠気が飛んで。

ただじっと座ってるのにソワソワと何か動きたくなる気持ちになる。
おかしいなあと思いつつ、少し片付けをする。
しすぎると絶対疲れて反動が来るから、少しずつ、様子見て。

昼過ぎに昼寝。そんなに長い時間でなかった。

それからやっぱり何か動きたい。そわそわ。
気分は悪くない。

躁転したのかな。慎重にしなきゃ。変なことやりかねないから。

でもこの薬いいな。
もう少し多くしてもらいたい。
頭は回らないけれど体を動かしたくなる気持ちが心地いい。

寝る前になぜか縫い物。ケータイのケースを作ってる。
母と叔母にあげるつもり。

頭がまわらない

2008年01月26日(土)
薬がトレドミンからアナフラニールになった。
何がどうしてこんな処方になったのか検討がつかないけれど。
とにかく底上げして希死念慮を払おうということなんだろう。

見事だよ、センセ。

頭が働かないから、ぼんやりしてるだけ。
眠い。

気分は落ち着いてる。

でもやっぱ気持ちは変わらない。

三歩ぐらい手前で思考をストップさせてる感じ。

薬って、すごいなあ。

トレドミンより効果感じる。もっともまだ効果は出てなくて
センセと話したから、かも、しれないけれど。

この薬、もう少し増やしてほしいな。

わるい夢

2008年01月25日(金)
昨日から頭がモヤモヤしてなにもかもが億劫で
いつ終わりを迎えてもいいが、今は我慢だと自分に言い聞かせてた。
息子の進む道の先の明かりを灯してから、だ。

病院はいつも通り混んでいて
センセに言う要点をまとめようとノートに書き記した。

診察で見てもらったら、入院しないかと言われた。
心のどこかでは希望もしていたときちんと話した。
でも今はダメです、息子を守らなきゃならないから。
元旦那から壊された三年前と同じことにしてはいけない。
今守れるのは私だけだ。彼が伸び伸びしていられるように。

それでは一週間ずつ様子見の診察となった。

頭が寝てないんだよと看護師さんと雑談してて言われた。
だから痩せたんだって。

薬を変えるからね、と、センセ。
多少ぼんやりするけれど、今の気分よりはいいでしょうって。

昼、夜と飲んだ。確かに。頭がよりいっそう回らなくなった。
考えようとするとそこで停止する脳。
眠気がすごいな。

私はこの7年間無意味でみんなに迷惑をかけ続けてきて
今もこれからもそれは果てしなく続くわけで
存在自体がよくないのだとセンセに話した。

それからhiroにメールした。
きっと私がいなくても、hiroにはhiroの生活があって継続してくんだ。
何もなかったように。

私の存在なんてそんなモンだから
全てが無意味なんだよ。生きてることがわるい夢だよ。




12時すぎてひとりで ムリヤリ見る話題作
場面がだらだら流れて これ以上飲みこめません

おまえはどこに

ワルイユメでも見てるようで 思わずクスリ箱あさる
戻ってくると思ってたんだ 冗談だよって赤いベロ見せて

悪いことしてなくても それは起きてしまう なぜ?

好きなものなんかない方が 楽な道を歩ける
なくしたって笑っていられる マガイモノに囲まれたい

カーテンを閉めよう

平和な関係を築いても 誰かにとっちゃ退屈らしい
スリルの消えたこの部屋は どんな居心地だったの教えて

忘れかけたころ 悲しみは空から 降る

イナバのこの曲をリピートして聴く。

わけわかんない

2008年01月23日(水)
わけわかんないけれど
いろいろ考えようとしたり
年金のこと調べようとしたら
頭がフリーズしてしまって
それからなんともいえない、あの、落ち込みの苦しさが来た。

頭抱えて。何も考えられない。

今まで楽しく見ていた動画やテレビもつまらない。

腹の中が腐ってて、脳が萎縮して、気持ち悪くてつらい。

何度も頓服を飲んだけれど効かない。

どうしちゃったんだろか。

眠くて眠くて

2008年01月22日(火)
とにかく一日眠かったので寝ていた。
昨日の夜に、いやだったのだけれど、正月にいっぱい食べたし、パキシルが増えたから太ったよなと思ってて、その確認のために体重計に乗ってみた。

痩せていた。
hiroと会ってだんだん痩せていって一番痩せてた頃まであと3キロ。

びっくり。確かに首筋や鎖骨のあたりが薄くなってるなと思ったけれど。
なんでだろう。なんで痩せたのかわからない。
自分で追加して飲んでるトレドミンが効いてるのかな。

前だったらすぐ気づいただろうに。
hiroにクイズを出したのにわかんなくて最後にやっと出てきた答え。

見ていてくれてないんだな。

倦怠期の夫婦みたいぢゃん。

もうひとつ黙ってることがある。いつ気づくんだろ。

海は落ち着く

2008年01月21日(月)
hiroからメールが来ていて
できたら今日会おうって。

寝てしまいそうで自信がなかった。

昼過ぎに母親が部屋にきて
自立支援の書類を出してきたことと、市役所の担当の方から障害年金を進められたと言われてどうしたらいいかわからなくなった。

障害年金はありがたい。
でもいつだったかセンセはムリって言ってた。
もっと重症でないとって。

息子の進学のこともあるから焦ってはいる。
センセは春になったらと言うけれど
私はこれ以上の見込みはないと思う。

申請しても通る場合と通らない場合があるらしい。
私はどうしたらいいのかわからなくなって
興奮してきて、頭をかちわりたくなった。

頓服を通常の三倍飲んで落ち着いた。

頓服のせいか少し気が楽になって
久しぶりの待ち合わせ場所へ。
hiroと最初の頃、よくここで釣りしたんだ。

流れる川の水を見ていたら和んだ。

しょっぱなhiroがスケートに行ったというので
家族団らんを想像して悲しくなった。
私は猫の話をしておやつ食べてコーヒー飲んで。
タバコを吸おうとしたら、吸いすぎと言われた。

ラブレターなんで書いてくれないの。
私への気持ちはどれくらいなの。

言いたい言葉はつまる。

ぽんぽんと頭を叩いてhiroが抱き寄せてくれたのでしばらくじっとしてたら泣けてきた。

障害年金の話をした。

精神障害になってもhiroはキライにならないかなあとぼんやり思った。
hiroはどうして自分の気持ちを言ってくれないのかな。

でもhiroの懐にいてほっとした。
なあんもしてくれないくせに(笑)
薬も効いてこのまま寝たいと思った。

ひきこもり

2008年01月20日(日)
ひきこもりに加速がついた。
困った。

hiroのそっけないメールにキレたら
逆ギレされて、もうメールしないと言われた。

もうどうでもいい。
やらなければならないことはあれど
それは責任感か。

なにもしたくない。
hiroは完全に冷めたんだろう。
それか、自分が好かれることの快感がほしいのだろう。
なぜなら奥さんからは得られないから。

できれば何もかも投げ出して貝になりたい。
信用も愛情もなにもかもわからない。
hiroはせせら笑うんだろう。
うまく利用したって。

自分には帰る家庭があり
外には自分だけを愛するというオンナがいて
男冥利につきるだろう。

プライドの高い人。

ほしいのは優しい心。
笑いあった何気ない日々。
もうあんなんには戻れない。

私も後退し続けて頭が悪くなり
何をする気力もなく、楽しみもない。
ただ寝て薬を飲んで寝て猫の世話をして夕食を食べ風呂に入る。
一日これだけ。
外に出たくもない。
暗い、ウザイオンナになってく。
それだからいっそうhiroは離れる。

でもこれも私であるのだから偽れない。

知らなかった

2008年01月16日(水)
眠剤を飲んでも起きていられる。
すぐには眠らない。なんとなくだけれど。
ホントはすぐベッドに入りなさいって言われるんだけれど。

精神科の先生がやってる掲示板に質問があって
眠剤を飲んでから過食したりフラフラでかけてしまうというのがあった。
先生の答えは、眠剤を飲むと眠気もあるけれど
少しハイになるんだって。

私、ウトウトしながら夜中にhiroにメールしてて
見直して恥ずかしくなるぐらい大好きだよーとか言ってるのはそれか。
でも酔っ払うかなんかしないと恥ずかしいから言えないからな。

でも知らなかったわー。

今日はがんばって起きていようと必死に。
そして早く寝ようと思ったのに、寝る時間は遅くなっちゃった。
ダメだなあ。

明日はどうしても用事があるから外出しなきゃ。
それでまた起きていられるように練習しなきゃ。
少しずつ、外にも出なきゃ。

回復するために努力しなきゃ。
諦めもあるけれど、このままでもいけないと思う。
いつ心臓が止まってもかまわないけれど
それまではと思考を意識してかえている。

こないだセンセからアナタが死んだら
葬式や後処理は誰がするんですかと言われた。
しなくていいと思った。けれど家族でしょうと答えたら迷惑をかけるでしょうと言われた。明日事故で死んでも同じだよ。
と言いたかったけれど、喧嘩になりそだからやめた。

ふと葬式を想像した。
葬式なんていらなくて。
お骨は焼くんだろうけれど。
hiroが勇気を出してキテクレタラれしいなと思った。
焼かれる前に最後のほっぺをしてもらいたいなと思った。
あとはなんもいらない。葬式もなんもしなくていい。

でもhiroは来るかなあ。
イトコたちが誘導してくれればいいかなあとか。
変なことをずっと考えちゃったけれど
教えは教えとして、このままじゃいけないから
動けるように慣らしていかなくちゃ。



2008年01月14日(月)
今日から少しずつなんでもいいから外に出て買い物でもなんでいい、一度は出るようにと思ってた。

hiroからメールが来ていて
いつでも会いたいと思うよって書いてあった。
でも会うとうれしそうじゃないよ。疲れてるから?面倒だから?
hiroからももっとアプローチがほしいんだな。
言葉で知りたい。すると納得する?一時の迷いは消える。
心があるとして、絆はそれだけだからナイーブだ。
私もhiroに恥ずかしくて言葉にしていえないけれど。
その代わりいっぱいスリスリする。

なんで会社のパソコンからじゃないんだろうと不思議に思っていた。

夕方気力を出して外出。
猫たちを獣医さんへ連れて行かなければならなかったし
こまごまとした買い物もあった。

獣医さん、午後休診。

猫たちはかごの中でおとなしくしていたので
車の中に入れて私はドラッグストアへ行った。
それから100均に行って。毎日飲む薬のケースが小さすぎて入らない。
それだけ薬が増えたってことなんだけれど。
それで小箱を買った。

帰ってきたら、おすのピーはゆっくりしたような顔をしてのびのびしていたが、神経質なハナはかごから出てこない。
抱き上げたら、おしっこしたのかと思った。
足の毛がぬれていた。
かごを見たら濡れてはいない。

よく見たら震えていた。
かわいそうに、ごめんねと抱っこ。怖かったね。
こんなに濡れるほど肉球に汗をかいた猫って初めて。
よほど緊張したのか2匹ともその後ぐったり寝ていた。

去勢するといって出たので両親も心配してて
猫たちの顔を見るなり、抱っこしていた。

・・・・・・子供の私より孫の息子よりかわいいらしい(笑)

泣き声も出さなかった。
ただずっとかごの中でうずくまってた。
震えながら。

どれだけ怖かったんだろ。
私がいてもそれでも外の世界は怖いんだ。
大丈夫、どこにもやらないよといっぱいなでてあげた。
緊張がとけたら、大好きな息子の部屋に行こうと必死になってた。

家族の一員で
家の中を明るくして
手間はかかるし、イタズラはするし、噛むし、もうもうなんだけれど
今はこの子たちがいるおかげで家の中は穏やかだ。
ずっと一緒に暮らしていたい。

病院午後休診だったよと言ったら母から今日は祝日だからなあと言われて
はっと気づいた。hiroは仕事だと思ってた。
休みだったのかな。
家からメールを送ったんだろか。

少しだけ

2008年01月13日(日)
うっすらなのだけれど雪が積もってて
朝いたずらして猫たちを外に出してみた。
冷たいのと、何かわからない白いものに猫たちはビビリ。
ケラケラ笑ってたら、すぐに家に入りたいーって。

一匹だけなのなら・・・・

少しそう思ってしまうんだけれど
この子たちはとてもかわいくて、ずっとこの子たちの子孫を飼っていたい。
けれど数匹は必ず生まれてしまうから、去勢の手術をしなくちゃいけない。
一匹だけならなあ、なんて、人間の勝手なわがままだな。

雪が降ったらほっとした。
なぜかわからない。
さっき追加の薬を飲んだら少し吐き気がする。
パキシルは一日最大量を10mgだけ超えている。
最大で処方されるのが強迫の方で50mgらしい。半分に割れないから60mg飲んでいる。吉と出ればいいけど。
吐き気は慣れるまでの副作用かな。

昨日の夜中にスルスルと体が動いてたまってた郵便物の整理した。
チマチマとしたかたづけをした。
このまま動けそうと思ったけれど、やってたら朝になるので自粛。
昼夜逆転してる。

明日はなんとなく外らでられそうな気がする。
今体に夜ですよー寝る前ですよーと意識させている。
さっきは楽しい音楽を聴いてちょっとのっちゃって。

セッションって楽器の会話だよな。
私はこういうのがすき。
オトナのCharが子供のように喜んでいるのはそれだけ楽しいセッションだってことだ。

聴いてる私もリズムとって踊りたくなった(笑)


増量

2008年01月12日(土)
100均で薬を小分けするケースを買った。
前に飲まなくて貯まってしまった薬を種類別に分けた。
意外にトレドミンが多かった。

それでパキシルを1日20mgトレドミンを1日25mg追加して二日め。

ハイになってる感じはないけれど安定はしている。
やっぱりhiroからメールは来なくて
それを現実として受け止めて
その上で何か、この何かが何なのかわからない、モヤモヤしているんだけれど、動けそうな感じがする。

ひとつ何か悟るような気がしてる。

今日は部屋にいてヒーターをつけていてもツンと冷えてきた。
雪だ。

このぐらい冷え込んだほうが私は好きで、さっき外に出たら空気がおいしかった。

趣味というか音楽がほぼなんだけれど昔に戻ってきた。
ギターのきれいな曲が聞きたくなってCharのアルバムを買ったらhitだった。

何かわからないけれど、もうちょっと、なきがする。
わかりかけてるような、何かが開けるような。

診断書

2008年01月11日(金)
自立支援を受けている私は年末が更新時期で今回もまた診断書を書いてもらった。それが今日手渡されて中身を見た。

簡単に言えば繰り返すうつってことなんだけれど。
いろんな名前の病気があるので今この病名の真相というか現実を知りたくて検索して調べた。

やっぱりなあって想いとほんの少しの治るかなの期待は消えた。

ガス欠の車でガソリンを少量つめつつ、トロトロ走る人生ってとこか。
途中でまたガス欠。補充の時間。トロトロ走る。ガス欠。
そしてこのガス欠の間隔が患って長いほど、短くなって。

私はこないだからセンセにもうこれ以上望めないのではないかと言ってた。回復はしないでアップダウンを繰り返して尻すぼみにフェードアウトの人生ではないですかって聞いたら、まだアナタは見込みがあるから、とは、言われたけれど。

診断書の発病は平成13年。
なんと長い月日が流れたのか。
悲しい。
うまく付き合っていくしかないんだな。薬は一生ものみたい。

今日の診察でやはり自分は周囲に迷惑をかけている、悪い存在という観念はずっとベースにあっていつもはイヤイヤそんなことはないんだと言い聞かせてるが時に顔を出すのだと言った。むしろいないほうがみんな平和に暮らしているのではないかと思うと。センセがムッとして怒ってた。こゆこと言うとセンセと喧嘩になるからなあ。

パキシルが効いたのか正月はなんとかやり過ごせたんだねと言われてハイと答えて。このままで行きましょうとなった。50mg飲んでる人もいるらしいから家に残ってるものを追加で黙って飲んでる。結果はいづれ出るだろう。

病院で待ちくたびれて
それから預金の振り替えをして
息子のためにとっつきやすい英語の問題集をじっくり探して
テーブルの足をかえるために100均へ足を買いに行った。
都合5時間半うろうろしてたか。疲れた。

でも今日こそはhiroに会ってほっぺがしたかった。
家に帰って急いで猫の世話をしてまた出る準備をしていたら息子から呼ばれた。昨日とりあえずこの問題集でわかんない単語や熟語を調べて覚えて、と、言ってたんだけれど、きちんと辞書をひいてやってた。それでもわからないところがあるから教えてって。

焦ったのはhiroと会う時間が迫ってたことと
それでもちょいとここはテスト用にうまく点数をとるやり方を教えなきゃってことと。久しぶりの長文で読んでも意味がわからず焦るし(笑)
英語と日本語の違いってわかるって聞いたらわかんないっていうので、主語、述語が先に来る、そしてその後に熟語にかかる形容が何個もくっついてるんだよって。文の途中のthatは何をそしているか、whatは何をさしているか、並び方にルールがあってそれが長くなるか短いかだけの違いたよと。

つーかこゆの中学あたりで教えてなかったんかいなー。

買ってきた問題集で単語と熟語を時間も少ないから全てとは言わない、できるだけ覚えてねって言った。特に熟語になるとまったく違う意味を持つものもあるから。

久しぶりのお勉強でしかも息子が理解しやすいように説明するのが難しく、焦った。飽きたら遊びでこれやりなよって、CDROMの単語熟語集を渡した。パソコンで聞きながら発音のアクセントがわかりやすいだろうし、タイピングでスペルを覚えるというゲーム感覚のもの。

息抜きでと渡したのにこれが一番お気に入りで日本史のもないかなあだって。まったくのんきなやつだ。

時間がないので慌てて10分時間遅れるとhiroに連絡。
ずーーーーーーーーーっと会ってなかったのに、会いたかったよーと思ってたのは私だけみたい。ちとショック。
釣りもF1もなあんもあまり興味がないみたいで、もっぱらしょーちゃんと車のゲームにはまってるみたい。だんだん遠くなってく気がした。

少しショックだったのはえっちしているときに?と思ったら、hiroの元気がなくなってたこと。魅力なくなっちゃったのかな。飽きたのかな。そんな経験はhiroしかないので、でも、男性は繊細だっていうし、よくわかんないけれど、ずっとエッチしてなかったんだよ、というわりになぜ?と思っちゃった。男の人のそゆとこってよくわかんないから。

たたなくなったあの人のことがふとよぎるのを、セフレでないもん、私は彼女だもんと頭から振り切る。そういえば前もそんなことがあったっけ。うん、最近そうだ。やっぱ気持ちが離れたからかなあ。奥さんとはしていないっていうけど、結婚してる人ってみんなそういうと思う。あ、知り合いはホントに何年もしていないらしいけれど。どうなんだろう。hiroが感じてくれると私もうれしくなるから、ショック。私は今でもhiroの懐が一番いいのになあ。よその人とえっちしたなんて聞かれたけれど、好きな人以外としても気持ちがすさむだけだもの。

事務員さんの車に乗ったとか言うから、終わりも近いのかな。
今年も宜しくなんて言われるより、さみしかった、会いたかったーって言われたかったな。必要とされているようだもん。よろしくってなんか他人行儀だよ。

また何日も会えないんだろうな。
帰り際にバイバイのチュウをしてほっぺすりすりしたら、気持ちよくてはなれられなかった。いつもより長くくっつけていたけど、hiroは黙ってそのままにしてくれてた。それはうれしかった。べちゃくちゃ話してるときもくっついておけばよかったと後悔。次はいつ会えるんだかさっぱりだもん。
hiroも距離置いてるのかもしれないな。

ぐっすりぐったり

2008年01月10日(木)
昨日息子と話し合いをして楽しかったし、分かり合える部分があって、最初からこんな親子関係だったならと思った。
歯車が狂ったのはいつからだっけ。

今日もソロソロと来て、たまたまやった問題集の英語の点数が悪いと。
どれ何が弱点なのといいながら息子の部屋で参考書とならめっこ。

そうか、と思った。
私は洋楽が好きで英語がすきでだから耳から入った単語を調べてすきな歌の単語や熟語だから覚えやすかったんだ。
息子は発音も苦いらしい。
長文読解ではおおまかな意味合いはとられることができるようだったが、中のわからない単語が多すぎた。

だよなあ。私の頃は単語集と熟語集を渡されて一冊暗記しろなんて言われてて、そゆのがない息子の授業では圧倒的に覚える単語が少ないんだ。

とにかく単語の語彙をできるだけ増やそうと話して、間違ったところの単語ひとつずつ辞書でひいてみなって言ったら、今の子たちは辞書って使わないんだろか。私の言ってる事が息子にとっては新しい勉強法だったみたい。とても古典的なのにな。

普通高と通信制の差はここでもでるものだな。

しかし残った時間はあと少しだけ、できるだけ効率的に勉強しようねって話した。こうやって二日連続話すなんて久しぶり。
あとはちょっと息子が不安がっているから、私は勇気付けることかな。

気分はなかなかよいが昨日息子と話してうれしくて興奮して朝まで眠れなかった。全然眠気が来ないので本当はよくないけれど、余ってた眠剤追加して7時過ぎにやっと眠りについた。

起きたら夜のくじだった。
トホホ。トホホ。hiroごめんなさい。
今の私は生活がめちゃくちゃです。
息子のことが落ち着くまで。
明日は会えるかな。通院日だから眠らないようにしようっと。


フラフラ

2008年01月09日(水)
一日フラフラしてて歩くとどこかにぶつかったり。
観念して横になってた。
hiroからのメールを見たのは帰るよーの後。

会いたかったな。

特に話題もないよ。
でも私がスリスリして甘えられる場所はhiroの懐だけだもの。
昨日のスッタモンダで何かしら進展があるのではとビクビクもしてた。

夜中近くに息子が来てわりと普通に会話し
大学を受けること、資格をとってそれを生かして仕事をしていくこと、うちにはあまりほどのお金はないから努力が必要だということ、息子が夢を持っているものに応援は惜しまないが、不登校になったときのように学校へ行きたくなくなるのは避けるために受験校は慎重に選んでほしいことなどゆっくり話した。試験勉強の効果的な方法やら、受験の際にかかる経費の試算も二人でした。英語で苦手なのがあるというので何かと聞いたら発音記号がわからないらしい。アクセントの位置がわからないというので、では他にはないのかと聞いたら熟語というので、テストでの配点を考えれば発音より熟語を覚えたほうがいいよと言った。残り少ないからできるだけ効率よくねと。

こうやって二人で話すときって二人とも穏やかだ。
元旦那がいたら怒られることも、私なら平気だし、まあ失敗は誰でもあるさ、次の対策みたいな感じで行くので話してると息子もポロポロと本音を出してくる。

最初、息子が赤ちゃんの頃からこうやって育てていられたらなあ。

ひとまず問題は解決はしてないけれど、息子のやる気は変わらず、将来の話もして前向きだったので、ほっとした。

脱力。

その後数時間何していたかわからない。
時計を見たら真夜中だった。一瞬時計が壊れたかと思ったぐらい。

hiroに会いたいなあ。
hiroは会いたいのかなあ。

ひさしぶりにこの曲きいた。
付き合い始めの頃hiroが送ってくれた風車のあるきれいな景色をhiroと一緒にみたいとこの曲の歌詞にのせて思ってたもんだっけ。
この曲はいつも仕事でも聴いてて、社長にうるさいって怒られたっけな(笑)


やっちゃった

2008年01月08日(火)
息子の教育費問題で昨日もめた。
もめたというか、うちの家族も含めておかしい。

元旦那から全て折半という書面が来ていたので
当時歩くのもままならない本当に判断力もないうつの私が押し切られて、結婚時の貯蓄の財産分与がならず、元旦那に行った。

そのため、あの貯蓄を学資保険も含めて息子に出してもらい、その後折半ならよいという手紙を書いた。

手紙にしたというのは残るから。

なのに手紙を渡していないのにあちらから電話が来て
借金だらけだ、心臓が悪いなどと私ではなくて母親にまくしたてていた。

母親はこういったトラブルが発生するとなぜか嬉々とする。

全てのことにむかついて頓服を飲んだが効かず
過呼吸起こしてひーひー言っていた。
貯めていた薬からとにかくなんでもいい出してお菓子のようにかぶかぶと飲んだ。

なんでこの家はこうも冷静に回らないのだろうと。
私が何かするたびにそれは起こる。
結局何もせず、ただ部屋にこもって寝ていれば安泰なんだ。

元旦那のウソつきぶりに腹が立つ。
母親の慶ぶ顔に腹が立つ。

みんな、息子のことを第一に考えてくれ。

うつとはいえ、こればかりは私がマトモな気がする。
まだ薬が残っててフラフラする。
それでもどう考えても私はじぶんの考えがマトモでないと思えない。
欲だけだろ、あいつらを突き動かしているのは。

考えないよーにしてた

2008年01月07日(月)
hiroのことは考えないようにしていた。
きっとhiroも家族と一緒に私のことなぞ頭の片隅にもなく楽しんでいるんだろうと。
なのに私がウジウジしているのもなんだかなあと思った。

ホントは時々ふと私のことを思い出してはほしいもんだけど。
そんな話聞いたことない。
割り切ってるんだろな。

五年目突入しちゃったよ。
不倫だよね、妻子持ちなんだから。
五年続くってどんなんだろう。

よそでは聞いたことない。
その前に別れてるか
一緒になってるか

前のセフレさんと同じ年になる。
たたなくなったんだって。
バーサンからせまられた若者ノオレってとこだったのかな。
心がないからなのかな。
わからない。男の人の気持ちと性欲って。

会いたかったよーってさみしかったよーってたまに言ってくれたら
私もまだ必要とされていると思ってうれしくなるけれど。

こんなに長く付き合ったらなおさらそんなことないかもな。

私は心に蓋をして、できるだけ、依存を避けてきた。
だから正月も急にさみしくなったり
この世でひとりぼっちと悲しくなったりしなかった。

諦めかな。
元々私はこれから一人ぼっちになる予定なのだから。
受け入れたのか。なんなのかよくわらない。

頭もうまく回らないし、深く考えるのも疲れるし。

hiroからたまに愛されてるとゆーか必要とされているという喜びを知りたくなった。

映画三昧

2008年01月06日(日)
なんとなく何をする気にもなれず
映画ばかり見てた。

映画を見て、疲れて寝る。

食事はだいぶとれるようになってきた。
やはり食事をするとその後の体が違うもんだと実感した。
精神的にも落ち着く。

日中寝てしまうからどうしても夜遅く寝ることになってしまう。
なんとか改善したい。

パキシルが増えてから一度の眠る時間はやはり長くなった。
センセが眠気出るよねって言ってたから、しょうがないという判断なんだろな。

死んだら残された人がいつまでも苦しむのだということを肝に銘じてくれと友達から言われた。父親が自殺していたから切実だ。アル中だったと思う。何度も入退院を繰り返し、家族にとっては迷惑だったろうと思うが、それでも急に自殺されたときは悲しかったらしい。なぜ?疑問があるんだろう。死ぬ前になんでという気持ちもあるんだろうなあ。

見た映画では死んだ友達が幽霊になって帰ってくるが、歳月は流れ、いつも一緒の仲間からもうあの頃には戻れないんだ、オレたちはこれから生きていかなきゃならないんだと言われる。
それで、わかった、と、天国に帰る。

それを見てやはり誰かが死んでも一時の悲しみはあるけれど、平常に戻り生きている人たちは自分の道を生きるのだと思った。いつまでも死んだ人間にかまってられるわけないじゃん。

友人の言葉と、映画の言葉と相反するが
やはり自己評価が低いのか、私はいついなくなっても周囲にたいした影響はないと思う。ずっとそう思ってる。というか、私が死んで誰かが壊れるとかまったく想像できない。肩の荷が降りたと安堵のため息をつかれる気がする。

それしか想像できない。

静かになった

2008年01月04日(金)
イトコたちを昨日飛行場まで見送りに。
夏休みと違ってなんだか短く感じるな。

今日は映画を見て過ごした。

バベル。
理解するのが難しかった。
おそらくこうだろう・・・・という想像を働かせながら見ないと展開が早くてついていけない。でも4国の政治的背景と人の心にははがゆい思いと切ない思いがした。

来易いので胸の開いたパーカーを着ていて
きがつくと自分で首や鎖骨を触ってる。

最近hiroは触れてすらくれなくなってしまったなとふと思った。
寝転んで王様みたいだ。

そう、マリーアントワネットも見た。
良心的な部分も描かれている映画だった。
浪費家の代表として有名だけれど
オーストリアで育った時代は姉妹仲良く自然に触れて生活していたらしい。
パリでも自分の子供が生まれると、子供に自然の美しさを教えてた。
出産すると散財していた賭博は一切やめたらしい。
悪評とは違う側面が描かれていた。

イトコに薦められて少しずつ木更津キャッツアイを見ている。
舞妓haaaanを見たのがきっかけ。脚本が一緒だから。
おもしろいけれど、男の子たちのすぐ暴れたり切れたりするのがちょっと怖い。イマドキあれはフツーなのかな。

細木和子の番組をイトコと見ていたら
今年は私はよい年らしい。
けれど今までの数年間何をしていたか、その大成になるって。
数年間、あがいてきた。自殺未遂からは三年だろうか。
社会復帰しか思いつかなかった。できるんだろうか。
占いを信じてるわけじゃないけれど、いいことはハイと鵜呑みにしよう。

明日は買い物に出られるかな。

怖くなかった

2008年01月01日(火)
身内が家に集まるとうれしい楽しいのはもちろんだけれど
長く無職でいるので何かと言われそうなきもして怖かった。

できるだけスルーしてとは思っていたが
別にキレることもなく、凹むこともなく
イトコたちとくだらない話をして笑い、私が一歩ひくと、イトコたちと息子が楽しくやっていたのでほっとする。

パキシルは効いてるんだろうか。
落ち着いていられた。

ただ二日続けて酔っ払った父を理不尽に責める母の声のトーンが気に入らなくて、周りも気を使っていたので、「声が大きいからやめてくれ、トーンを落とせ」と言えた。

言った後後悔も罪悪感もなく、切り替えて、普通にまたイトコたちと話せた。息子が聞こえないながらもみんなの間に入り、いじられるとテレテレしている顔を見てうれしかった。

何かの会話の後に
いや、私はいっぱい食べる人のほうが好きだといったら
息子が食べ始めたのもうれしかった。

イトコたちが小さな頃のビデオを見てみんな小学生ぐらいか、息子はまだ幼稚園の頃の宴会でおおはしゃぎするのを見た。

キャッキャッとはしゃいでその後に私に抱きついて来る息子の映像を見て泣けた。この頃は私もキチンと母としての信頼があったんだと。
イトコに息子がもう一度小さくなればいいなあと言ったら、笑われた。
映像の中に入って抱っこしてチュウしたくなった。
かわいくてかわいくて。

年の話になり、何歳離れているか、うちの母以下兄弟、そして初孫の私からイトコたちと数えたらおもしろかった。あの時私は中学だったとか、高校だったとか。みんな近くにいたからいつも一緒だったよなあ。

今はオトナになってきたイトコたちとの対等の会話も楽しいけれど。
私はもう第一線から離脱し、流行なぞもあまり敏感でないから、今度はイトコたちから教えてもらう。ギャル系の化粧してよって言ったら二人でしてくれた。あの時息子と一緒に幼稚園に行ってたイトコが私より上手に化粧をしてる。不思議な感覚。

ともあれ、息子の笑顔を見られてうれしかったな。


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