古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2009年04月30日(木) 根性が生む奇跡☆

いろんな体験をしまして、『根性が生む奇跡』があるんだなと思いました。


どう過ごしても必ず終わる一日。
頑張らなくてもすぐに命とられるわけじゃないけど、根性だしたいな、あわよくば奇跡を呼びたいなと(笑)思いました。


もしももっと頑張ってみたらどうなるんだろうっ?てゆう好奇心。



2009年04月28日(火) 自分が悪いなら謝りますの巻き

自分には原因があるのかないのか、考えもせず、……自分が何も悪くないのかどうか、きちんと検証しないで言い切れる図太さと確信が、羨ましい(笑)


ふみにじり行為の歴史があって、怒るんだと思います。怒りの源は踏まれた悲しみだと思うんだなあ。こちらにはわかんなくても踏んじゃってることがあると思うし、
歴史は一秒でできあがるものではないからね。


確かに相手がとんちんかんな理由や誤解でおこってて、瞬間湯沸し器的な怒りをせきずい反射レベルなまんまぶつけてきたとか、多角的にみて(笑)、自分があまり実は悪くない場合ももちろんあるだろうから、何でもかんでもやたらと謝らなくていいと思いますが。
でも何か踏んだんだな?くらいは、
……もいっかい検証しとかなくて、ほんとに大丈夫なんでしょうか(笑)。


自分の何かが相手を、傷つけたかもしれないことを考えない人は、やたら強気に
『悪いなら謝るけど』
などと言います。
傷つけた要因を
『自分で探すつもりがない。だってわかんないから〜』なのが怖いな。
あやまるにしても便宜上の捨て台詞だったりなど。


そんなんだから、怒らせるんだよ……、傷ついてるんだよと思う件が先月他人事ながらありまして、人前で形式的に『見せつけるように謝られている』人が、むしろ気の毒でした。
謝り方のひどさでさらに傷つけられてるのにまるで理不尽なのに『謝ってやったんだからでてっていいですか』的な終止で、
謝ったんだから落ち度はないだろ、怒る権利はもうないよ〜さよなら的な、態度(笑)。

個人的にはひどいなあと感じまして、その人は怒ってたわりに最近はあっさりしてましたが、私は、今さら思い出してなぜだか、泣きたくなりましたが(T_T)うぅ……


自分が絶対悪くないことにしてる、そういうときの顔、みんな同じ顔だと思うし自分がもしそう言っているときは、やはり同じ顔をしているのだろう(笑)。
醜いね。
やめたいし、そうなるのは極力避けたいな(笑)


でも避けるためにお互いの協力が必要なんですよね。
悪いなら謝る。一見正論ですが自分の視点いいワルイはおいといて、
知らないうちに踏みつけていなかったかどうか、
自分でいろいろ考えかたにバリエーションをもたせてみたら、一番最初に救われるのは……私の場合は自分自身だろうと思うのです(笑)


悪いなら謝るじゃなくて、相手が傷ついたことに気づけなかったり気づこうとしなかった歴史を、反省するゆとりはもちたいな。
いつもそうゆうゆとりたっぷりじゃないので醜い過去もあるけど(笑)



簡単には、人の痛みについて、自分の主観のみで妥当不当と決めるわけにはいかないなと思います。

勝手に怒ってると決めつけるのも感情的ですし十分勝手なんじゃないかな。
よいわるい、謝る謝らないの白黒の二分割をはっきりさせたら終わりますではなくて、


よい関係でいたい、
『軋轢を解消したい』
という自主性を相手に伝わる形に工夫することが大事なんじゃないかと思いました。


あまり、いくらゆとりがなくて必死に生きてるからと言って自分の主観による正当性だけを守ろうとすると、

一見自分を守れているようでもかえって信用を削ることもあるなって。
守ることで失うものもあるから、かまえないでいたいです。


かまえてるときってなんか脅かされてるものがあったりもしますよね(笑)北風あたるとコート脱げないから……(*^^*)



まあ、なんだか、自分が悪いなら謝るってゆうのは、仲良くありたいときには言わないでおきたい言葉と感じたことから、だらだら書いてみました。



2009年04月22日(水) フラメンコ、コンクールの選抜

フラメンコについて勉強続行中。

覚えたことを日記に書きたいのです(笑)が、芋づる式に気になることを追いかけているためなんか文にまとまりません。


今年はA編成ででていた某校がB編成でコンクール出場することになり、その学内オーディションを担当(笑)することにもなりました。
私が希望したのは、課題曲だけではなくエチュードもオーディション曲にいれることです。
ご理解いただけて嬉しい。

全員が出場できるわけではないけどオーディションは全員受けますからね。
部活全体のレベル基盤をよりしっかり向上できるきっかけであってほしいので、目前の曲だけではなくエチュードも課題にしました。


今年選ばれなくても来年はスタメンかもしれないし、オーディションの準備と奏法のバランスを整える時間が一致していたら一石二鳥でよりいいかなと思うのです。


木管や打楽器も担当してくださいとのことなのでエチュードは色々リサーチしました。


あえて全員必ずできる系のものではなくややハイレベルですが、意地悪したいわけではないのです。


曲は毎年変わるし終わったらほとんど過去のテーマとして扱われやすいけど、エチュードは変わりませんから来年の今頃同じのを吹いてみたら、うまくなったことがわかりやすいんじゃないでしょうか?

選択したエチュードを吹ききれない人もいると思いますが、来年の目標にしてほしいです。
私は学生のとき、いかにもできないのをわざとやってみて、できないぶりを確認し、来年は吹けていたらいいなとワクワクしていたので(笑)、みなさんにもそのワクワク体験を共有していただけたら幸いです(^^ゞ



2009年04月14日(火) ガラナの季節☆

四月もなかば。
パタパタしていましたがお天気もよくお花も生き生きしているせいか私も元気増えてきました。


私は体操がすきなので体操読本はあれこれ読みあさって実験しています。


新しい方法に出会ってはしゃぐとゆうのもあるけど、昔教わったことの軽いアレンジで目的は一緒なんじゃないかなとそのたび思います。


ただ、それなりにある程度やらないと目的が違ったものにみえたりもする。


わりとマンネリには強いけど(笑)意図的に変化を与えないとパターン偏ることもあるので意識してます。その意識も実はよくふっとんでいて偏りがちなんだけど(笑)


教本やたらとどんどんすすまないと頑張れないタイプと、すすまなくてもわりと飽きないタイプがいるとするといまじきの私は後者かも(笑)。同じ楽譜でも一晩あけたらもう他人みたいな壁を感じるので。


どちらにも長短あると思うので私にあった課題をぶつけてみたい。もっとパラパラ、簡単そうにおちゃのこサイサイに吹いてみたーい(笑)。
しかしスキルとソウル(笑)とするとソウルがすばらしくても社会で通用する、伝わるスキルを選ばないとなんてゆうか幽玄!?みたいな感じになるし……幽玄だけが芸術とも思わないし(笑)。
スキル、選ぶの大事だとおもう。
選ばないで私のスキル発表だけだと幽玄タイムになるんでは。
幽玄もできないよりはできるほうがかなり素敵です……けど個人的にはもうちょっとダイレクトに素直に迫りたい、交流したい気持ちをもっているのです。ってか体操が楽しくてウキウキしてるせいかこの日記、意味わかんなくてハンパな幽玄はいってるかしら。幽玄という言葉も説明できずフィーリングで安易に使ってすみません(笑)←(笑)が多すぎるけどあえてこのままにしとく


鼻歌でフンフン『ガラナ』を歌って勝手に気分よしな春♪



2009年04月09日(木) めんどくさい

めんどくさいという言葉。

『心がこもっていないという心』がはっきり伝わるものなんだなあ。

自分の価値観で重要じゃないことは、
たとえ五年連続ちょう暇だらけでも
『めんどくさい』ことになるんじゃないでしょうか(笑)。
めんどくさいのをはっきりばらしちゃ相手に失礼だろと、私は思いますが変ですか。


言われた方にはものすごく心証は悪いと思うのを知らない、知っていてものびのび言っちゃえるのってどんな生き方をしてきたのかなと思う。
知らなくても他の長所とのバランスで許されてきたかもしれないし知っていても、なんらかの自負をもとに気を使わないことを勝手に毎度つらぬくんでしょうか……(笑)。
なんか偉そうな演出に騙されそうになりひょっとしたらこの人は相手より立場が上で偉いのかなーとか錯覚をおこしそうになる(またもや絆喪失症候群登場か……f(^_^))



私はその無神経な生き方がどんなに強くても、その無作法なやり方には憧れをもてない。個人的にかっこよくないと感じるから(笑)。趣味じゃないんです……


なんなんだ一体と、疑問に思うけど、
個人的な趣味としては興味がもてないなあ……


いろんな人がいますね。
思わぬ関わりをもつことが全て美しく輝く経験になるとは限らないけど、


めんどくさい、とは言わずに力を貸してくれた方々に今までより深い感謝の気持ちが改めて生まれました。
ありがたいことですね。


無作法と失礼から教わる作法と礼儀がある。
これも学びでありつまり、無作法さんも人生の先生なんだな!?
『無作法先生』とよんでみたら、なにか尊敬できる気も、してきました。←え
今度から無作法先生とよんで、それは地祖神(意味わからないで使ってます笑)が与えた自分への鏡なんだと思い気をつけます。


間接的ではありますが、自分のうけた嫌な気分を引き摺らず、かつ無駄にしないで今後の豊かな人間関係と音楽育成に生かしたいと思います(笑)。


めんどくさいと言ってしまったら豊かな演奏はできないですもん。ちょっとイライラしましたが言ってる方は垂れ流しなわけですから波長あわせたら、だらしなくなっちゃうよ……


モジモジ考え込んでしまうのが、めんどくさいね(笑)



2009年04月06日(月) 沈黙は駆け引きだ!?

移動中にケータイ書籍を読んでいたら

『沈黙は駆け引きしたいからだ』
とか書いてあったあ!


……知らなかった(笑)沈黙は駆け引きという言葉に若干傷つきました(爆)。

沈黙というもっともローコストな手段で自分の価値アップと優位にたつ意志伝達をはかるケーサンらしい!?

うん、音楽的な間は効果的に聞こえるように計算もしているけど。

でも、『わたしは貝になりたい』ときもありますよね(*^^*)。
なんでもケーサンと思われたらつらいものがある☆



2009年04月05日(日) トランペットフラワー

園芸市にでかけてお花を買ってきました。

黄色いビレア、紅白バイカラーのボクシャー、薄い紫のベルフラワー、ピンクのボローニャ・ピラーダ、そして白いクチナシです。
色とりどりで、鮮やかなものと優しいもの、大きなものとこぶりなものと、合わせて五点の新作☆

クチナシの花が開いて薫るのがとても楽しみ。

トランペットフラワーというのもあるんだけど何やら手入れが難しそうなので、黄色いベルを連想させるビレアにしました。


トランペットがいっぱい咲いているのがすごくうれしいです!



2009年04月04日(土) 女の子吹き(ぶきと読みます)

若い女性ならではの特徴があらわれている吹き方、があるとします。

でも同じ世代の女性全員が八割がた、そうなわけではない。
つまり世代と性の特徴であるとは言えないことを、もっともらしく特徴的かのように言いたい理由はなんでしょう。
およそ未整頓に、感情的ですよね、その理由(笑)。
だいたい、言われそうな吹き方は見当がつくんですけども。


どのパーツから魅力なり実力なりが磨かれるかは人によるのです。何かのパーツが足りていないことはありえるけれど。
それは若い人だけではないし勿論女性だけではない。


その技術パーツの全体のバランスがパーフェクトではないから。
といってうまれもった性を自分都合で持ち出すのはいかがなものでしょうか。



今の私の年齢になるころには差別用語として認知されて恥ずかしくて使えなくなるだろうと期待していましたが、健在なもよう…………一般社会よりかなり遅い。
わたくしは残念でございます(笑)。



吹けてはいるけど、とある技術パーツがない若い、自分の生徒でもない関係の男性に、
『童○吹きだね。ピュアだし☆けっこううまいんだけど、わかってないんだよね、なんか。童○独特の、あるよね。トランペットっていうのは、そうじゃない』
とか…………(爆)もっともらしくただの感想言って(笑)、
しかもろくに役立つ実際的なアドバイスできるわけでもなかったら。
しかもその、別に生徒でもないので、私にアドバイスや評論(笑)なんて元から求めてないんですけどな場合。




未熟なパーツがどこなのか、分類して伝えられないのであれば、伝えられない自分も技術パーツを整頓できていないんだから未熟なことになります。
フィーリングも音楽に大事なことだけど、それだけじゃあ、先輩や教師のプロとしてのアドバイスとしてみると、
『仮に、ピュアに感じたフィーリングを伝えたのであっても(笑)、アドバイスとしては中途半端な』子供。
なんじゃないでしょうか。


感想だけなら子供でも言えます。
若い人相手に安易なダメージテクニックに頼らざるをえないのは大人として哀しいもの。


自分も大人ですので、セクハラには気をつけようと思います(笑)。自分が恥をかくことにもなるからね。


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