ゆうべの酒日記

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2009年04月30日(木) 今日もあったかそう

昨日は、増田さんと図書館行って、信濃町方面を流して、四谷三丁目あたりで昼ごはん食べた。
日替わり定食とランチビール。
ハムカツと唐揚のやつだった。

たった一杯なのに、増田さんは「ウィー酔っ払っちゃった〜」と言っていた。
心臓はまだバクバクしてないと言ってたけど、あくびとかしてた。

帰宅して、本読んだりネットしたり。
証券口座の余ってる小銭を使って、増田さんがハマってる低位株を買った。
東証1部で優待有の銘柄にした。

夕飯は、冷蔵庫見たら鍋っぽい野菜がわんさかしてたので
71円で買ったもつ鍋スープにそれらを投入。
牡蠣とか合いそうだなと思ったけど、買いに出るのが面倒だったので
しゅうまいとソーセージでごまかした。
あと、ずーっと前に作って冷凍庫に入れてあったタネをいい加減使わなきゃと思い、
小麦粉練ってシャオピン的なものを焼いてみた。

飲んだのはスーパーブルーショート2と焼酎お湯割り。
上記以外の肴:ミックスナッツ、ナビスコサルサチップ

テレビは何見たっけ…
ためしてガッテンか?老化と大腿骨骨折のナントカ。
増田さんが相変わらず、左ひざ内側を床につくと左太腿上側面に激痛が走るので、そういうの興味津々。

寝たのは22時くらいなのかなあ。
増田さんは薬デーだった。

夢は、またなにかカルテじゃないけどそんなような。
説得力のある根拠の提示と説明がなされてる文章みたいな。

起きたのは6時半とか?


2009年04月29日(水) 起き上がったのは6時過ぎ

昨日は、長かった。
もうGWに入ってる人とか多くて、することないのに毎月恒例の残業日だったから。
不毛すぎて思い起こしたくもない。
ジョブはわりと早く終わってくれた。
先月どデカいファイルのいらないものを一部削除したからだろう。

オーケーで酒とか鮭とか買って帰宅。
増田さんが台所で人参刻んでヤムウンセン作ってた。
生春巻きもできてて、テーブルのお皿の上に。
焼き豚と煮玉子もできてた。
それらを肴に増田さんもスーパーブルー飲んだ。
そのあとは増田さんお酒、私は焼酎お湯割り。

今日はコープの前でカメ吉さん(ラジオ局かテレビ局の人)に会ったよ〜
なんて話とか、豚インフルエンザの話とかして、テレビはロンハー見た。
増田さんが好きな春日が出てたから。
ほんと普通の人で増田さん喜んでた。
アイコをギャルっぽくしたような元カノとか出て来てた。

増田さんはお酒強くないのに、「もうちょっとちょうだ〜い」とか言ってた。
心拍数早い(子供の頃からそうだったらしい)人は早死にするらしいので、私が制限したため。
しょうがないから私の焼酎お湯割りをちょっと提供。

増田さんはロンハー終わったら寝た。
私はメールチェックしてから寝た。23時半とかかな?(帰宅が20時半とか)

夢は見た。
これまで受けたサービスみたいなのがまとめられて項目ごとに打ち出されてるような用紙。
和風の飾り罫がついてたりしてわりかし立派。
医療関係だった気がする。
ああこういうのも必要だよな、今までの経緯もわかるし重複も防げるし、みたいなことを思った。

それで気がついたのが5時ちょっと前。
いつもの平日ペース。

生理が始まった。
2日前から職場の朝の体操で前屈しても床に手がつかない。
そういえば同じ頃から脚全体の裏側が微妙に痛い。
今も全身と股関節付近に違和感があり、合セキのポーズで椅子に座ってみたりと工夫中。


2009年04月28日(火) 明日からお休み!

昨日は、月曜日だし連休前だしで、やる気が起きない日だった。
とりあえず週末にリブートしたサーバーが週末ちゃんと稼動してたので良かった。
Tさんは今日から休みだという。
私が来たばかりの2年前は、そんなことができる状況じゃなかったので、
相変わらず毎日22時くらいまで働いてる(家でも)とはいえ、休みが取れるようになったんだなと。
なるべく残業するなって風潮は当初からあって(→サビ残)、今は不況で更にそうなって(有休消化促進)るって可能性もあるけど。

退屈で、増田さんにメールばっかりしてたなあ。
午後は増田さんが病院に行く日だったので、2ちゃんねるの株板用語スレを串刺して見てた。

定時に退社して、自宅最寄り駅で増田さんがなんかシュンとして見えた。
血液検査の結果尿酸値とか中性脂肪値とかが高かったのと、待ち時間疲れ。
また待ち時間にずっと株価ヲチしてたみたいで、下がる日だったのでいちいちガッカリしてしまったみたい。
そういうふうにいちいちダメージ受けるようなら体に悪影響だしやめちゃったほうがいいかも、と私は言った。

既に何銘柄かちょっとづつ買ってて、昨日は総下がりだったとか。
低位株だから金額は宝くじ20枚くらいだし、今日売らなきゃならないわけでもないし、なんで落ちるとガッカリがでかいのかしら。

よっぽど自分の予想が当たると思い込んでいた、という、いつものアレかしら。
めざまし占い始まるとき、いつも自分の星座が一位だと思って見てるって言ってたし。
(結果的に下位だとアチャ〜って叫んでアイタタタって顔してる)
ほんとそういうので目の下緑色になるほどヘコむのってどうなのよ?と。

飲んだのは、黒ホッピーと合成清酒。
肴:増田さん作かれいの煮付け、レンチン白菜挽肉重ねにポン酢、残っていた切干大根のなんか、増田さんがドンキで買って来たナッツ

テレビは、日テレの生放送のアンケート番組とか。
あとノッチがまた嫁と出ている深イイ話。
さらっと見て寝た。21時半くらいだろうか。

夢は、雪国の田舎だった。
薬局だか雑貨店だか、曖昧な店の中にいた。
お客さんがあまり来ないせいか、店の人が奥の住居に引っ込んじゃってて(テレビの音や、家族が会話してるのが店内に聞こえる)
営業してるんだかしてないんだかも曖昧な店だった。
私?は何を買うわけじゃなく、そこのショーウィンドウ?越しに外を見てた。
車が通る広い道の向こう側で、父の田中邦衛が作業をしているのが見えた。
お父さん、と駆け寄って、作業を手伝った。
邦衛はゲームに勝とうとする子供のように、私?がたたもうとしている布団を奪うようにしてたたむ。
布団は若干溶けかけた雪の上にあって、なんだか次々に現れ?るので、どんどんたたんで横方面に放る邦衛。
雪はまだ降り続いており、辺りは薄暗くなっていた。
車のヘッドライトがときおり邦衛の夢中な表情を照らした。

時計(増田さんがどこかから貰ってきたデジタル)見たら4時55分。


2009年04月27日(月) 今日明日の辛抱(サーバーが気になる)

昨日は、お昼に散歩がてら抜弁天の「やぶ音」っていうお蕎麦屋さんで蕎麦酒した。
店内に愛田観光の社長夫妻とスタッフらしき人々がいた。
スタッフって言ってもホストとかではなく、普通の女の人二人と運転手さんらしき初老の男性(増田さん判定)。

飲んだのは一番絞り中瓶を二人で二本。
肴:冷やしきのこおろし蕎麦、増田さんがくれた茄子天としめじ天

愛の社長はお金払って先に出てた。
奥さんを含む他の4人は愛田観光の車で後から帰ってた。

増田さんはすっかり酔っ払って心臓バクバクになって帰宅。
そして昼寝。
私も本読んでたら眠くなって、「老いの超え方」を枕に一瞬寝た。

15時くらいに増田さんも起きたんだったかな。
牛乳買いに出かけてた。(たばこ吸いに行った気がする)

晩酌は17時50分くらいから。笑点まだやってた。
飲んだのは黒ホッピー2。増田さんはごはん。
肴:煎りこんにゃく?、切干大根と蒸しにんじんのすしこのマヨ和え、はんぺんサラダ菜チーズ卵にケチャップとソース、いわし蒲焼缶にレモンと青葱

冷蔵庫の中身が枯渇してて、保存食とか缶詰とかでごまかしまくった食卓。

テレビはバンキシャとか色々見た。からくりとか、世界おもしろナントカみたいなのとか。
皿洗ったりメールチェックしたりウロウロしながら。
増田さんは布団にINしてた。

22時くらいまで株の話をしてたら、私の本来の理屈っぽいというか反論精神みたいなのがムクムク出てきて
まずいまずいと思いながら22時に強制就寝。

夢では、車のなにかで権利を止めに(もう使わない身内の免許を廃止とか?)行かなきゃならなかった。
42番と44番の枠?を埋めるかなんかすればいいのだけど
44番はただ剥がすだけとかで簡単だった。42番はおまもりみたいなもの(タテにグルっと細切り昆布だか皮ひもだかが回されてる)を持ち帰らなきゃならなかった。
部分的にピンクのサテンだけど基本茶色い皮でできてるものだったと思う。
そして車の背面部分にずらりと二段十列くらいに貼られたステッカーの
あいてるところ(右上端?と下真ん中へん左よりの2箇所)に貼らなきゃいけなかった。
もともと貼られているステッカーたちはそれぞれ違うもので、草なぎくんの名前ステッカー(黄色と黒と水色)が目を引いた。二段目真ん中から左に二つ寄ったくらいのポジション。

外が明るくなりかけてるなと気付いて、時計見たら4時半近かった。


2009年04月26日(日) 今日はいい天気(サザエさん)

昨日は、雨降りだし家から出ないで過ごそうかな〜と思ってたけど
図書館の予約本の準備ができましたメールが2通たまってたので
傘さして取りに行ったら案の定靴下までグッショリ。

でも基本的に休めた一日だったと思う。
そういえばワンダフルに行ったらイチゴ二倍パックが210円とかオレンジ5個で150円とかだったけど
なんか買い物テンション上がらず、一銭も支出なしデーだった。

飲んだのはザストレートと合成清酒(なんか桃割れ?頭の女の子がパッケージのやつ)。
肴:わけぎと牛肉と韓国はるさめ炒め焼肉のたれ味、鮭中骨缶とマカロニと新たまねぎにレモンこしょうマヨ、残り物整理の卯の花、微妙に残ってた蕎麦

3品並べたら寂しい感じだったので、蕎麦は帳尻合わせ。
つけ汁に天かすと青ネギ(増田さんの好物的なもの)を入れて誤魔化した感じか。

18時半くらいに始めたんだったかなあ。
テレビは、黒柳徹子と爆笑問題が出てるやつを見た。
あと石塚と辻ちゃんが出てた。
この組み合わせはお昼にも見たけど、
辻ちゃんの化粧と服が逆に怖いのは私だけなんだろうか。

増田さんは勢いづいて飲みすぎたみたいで、真っ赤になって20時前に寝た。
私も、22時前に寝た。
そんなに飲み続けたい感じでもなく、サクっと作れる肴も思いつかず。
(よく考えたらはんぺんが半分あったんだけど)

夢は色々見た。
最初は、ムラカミシンイチ(もしくはシンヤ?)が出てきた。
誰だっけと思ったけど、なんか遥か昔の同僚だった気がする。
テレビとかの撮影する会社に私より後に入った、テクノカットの人じゃなかったかな。
それを思い出すのに必死になりすぎて内容忘れた。

1回起きてトイレに行った。

次の夢では、会社で何かプリント操作して、プリンターのところに行ったら
なんかエラーが出てたのでリセットしようとしてなかなかできなかった。
適当にボタン押してたらなんどか動き出した。
でもテストプリントなのか、なにか岩波文庫的な挿絵の入ったマニュアルみたいなものがA3でバンバン出てきて止まらない。
紙の無駄遣いは結構白い目で見られるこの頃。
残念なことにフジイ課長に目撃され、イヤそうな表情確認。
あわててストップし、プリント物をまとめて一端置いといて
何か別のことをして、ちょっと気になるからプリント物の内容を見てみようとしたら
なぜかどこにも見当たらない。
自分の席に戻ったら、時間はお昼休みに入ってた。
何かでまだ使うかもしれないと思って保留置きしていたIBMノートを
よその会社から出向してきてるナントカさんが「それもういいですか?」って。
私:あ、いいですいいです。
私:そういえば、Tさんに言われてこないだ私やっといたんですけど、あのオペレーション大丈夫でした?
ナントカさん(40代メガネ男性パチンコ好き):あ大丈夫、オレやりなおしといたから。あれ半年前にコード変わってるからさ。
私:(なんだまた無駄作業?Tさんあんなに慌てて私にやらせたのになあ)

もう明るくなってからも夢見た。

増田さんと飯田橋あたりを歩いてた。
大曲らへんで、「こっちに行かないとちゃんと抜けられないからさあ」と増田さんが言って
広い通りの細めの横断歩道(途中で分離帯あり)を渡ろうとする。
信号が赤に変わる気配で、増田さんがダッシュ。
いつものように信号しか見えてないから私の存在は忘却してる。
私は追いつかず、分離帯で信号は赤に。交通量はわりと多い。
なんか頭に来て踵を返して違う道を行く私。
押してた自転車に乗って漕ぎ始めた。
増田さんは思い違いをしてるけど、そっちの道からでも実は行けるということは知っていた。

ムカっとした気分をひきずりながら6時半起床。
メガネ装着して仕事部屋に夢記録に行ったら、前夜メールしておいた依頼を増田さんが夜中にこなしておいてくれた。

気分回復して布団に戻ると、増田さんが眼を開けて「おはよー」と言った。


2009年04月25日(土) お母さんが私のことを「パニックになりやすい子だった」と言ってたことを思い出した

昨日は朝から前日のやり残しをやるんだと思って出勤したんだけども
よく考えたら前日はCさんのIDでログインしてコマンドとか打ってて
その環境に私のIDはまだない。
できないじゃないの。まだ稼動してないサーバーだからいいんだけど。

というわけで、それよりなにより今週講習会でずっと他社に行きっぱなしのTさんから朝7時に送信された
あわてふためいてるメールの件を片付ける。
朝イチで入ってたメールはもう一個あって、若手さんからの帳票フォーマット修正の追加依頼。

同時にいつもの朝の一連の作業もあるので、午前中は結構忙しい気分だった。
実際のところそうでもなかったのかもしれないけど。

午後は、WEB公開作業しようとしたら「そのファイルは別のプロセスが使用中です」とかって出る。
でも誰もそのファイル使ってないよって関係者は言う。
私のIDはアドミニ権限がないのでセッションとかオープンファイルとか確認できない。

そんなこんなで講習中のTさんに電話してサーバーリブート依頼。
でもTさんのいる場所ってVPNブロックしてる場所だったらしい。
ということで私がIDとかパスワードとか教わっておそるおそるリブート。
Tさんの指示通りに他のサーバーとの連携とか繋ぎなおしたんだけど、何せTさんだ。
指示漏れとかで「週末システムが動いてませんでした」とかっていうのが有り得るので、今そのことは思い出すまいとしている。

一応、Tさんにはサーバーのリブート後の状況と連携の確認は再度お願いしますとメールはしといた。
(私はそれらサーバーの構成とか教えられてない、てか管理者権限持ってない、てかセキュリティ的に外部人員に任せられない)
Tさんってなんかまず私に責任なすりつけようとするから。
どうせADHDとかなんだろうけど。あの忘れっぽさといいキレっぷりといい。

本格的に思い出しちゃった。忘れる忘れる。週末の間は忘れる。

30分残業になり(結局ファイルをつかんでたのは、Tさんが前夜作業したプロセスだった)
増田さんには家にいてとメールしてあったけど迎えに来てくれてた。
家にはキムチ鍋とポテトサラダの支度済み。
朝も自分のおやつの焼き芋半分てぬぐいに包んで持たせてくれたし(時々ある)
毎朝駅まで散歩がてら一緒に行ってくれるし、優しくなったよなあ。
この幸せをいまのうちに強く実感してドーパミン出しとこう。

飲んだのは、ザストレートとスーパーブルーロングと日本酒を二人で。
肴:鱈とかホタテとか豚とか入ったキムチ鍋、ササミと胡椒入りポテサラ

たしかTBSの報道番組見てた。
増田さんが、さもたいしたことではないというフリをして、以前殴ってしまって決別した状態になってた
裏モノの元編集長から連絡があったという話を。
おめでとう!と思った。

そのあと、クサナギくんの会見を見るまで起きてるつもりだったけど
布団敷いたら無性に横になりたくなってしまい、増田さんによると、増田さんがトイレ行って戻って来たらメガネのまま寝てたと。

夢はおぼえてなくて、1回トイレに起きたら増田さんが仕事部屋の中にいる気配。
戸が鶴の恩返し状態だった。
そっとしておいて私はすぐ寝た。
そして次は4時半に起きた。


2009年04月24日(金) やった金曜日!

昨日は、ちょっと香ばしかった。自分のにおいが。
新しいサーバーのバックアップテープ交換を教えてもらうとき
Cさんが何度か至近距離に来たので危険だった。
新しい作業はなんか苦痛だった。コマンドとか。
しかもイニシャライズって待ち時間が長い。
おかげで15分も出遅れたし。

急いで帰って冷蔵庫から土産取り出して、バスに乗って元我が家方面へ。
韓国料理屋行ったら「いま食堂はお休みしててキムチの販売だけです」って言われた。
しょうがないから別の焼肉屋をコドモに指定。
何度も行ってるとこ。

私が先に着いて、セット注文。
そのうちコドモと元ダンナさん登場。
コドモの友達ばなし中心。
元ダンナさんはコドモの友達のうち2人に偏見持ってるみたいで
「あいつはダメだ」と見も蓋もない言い方をする。
それはどんな親マニュアル(雑誌とか)にも書いてある気がするけど、ダメ発言だろうよ。
コドモも当然「いい子だよ!よく知らないくせに」と反発だ。
しかしダンナさんは思い込みが激しい。

なんだかなあ。
ダンナさんは自分から悪い方向(テレビで見た典型みたいな)に決め付けてしまうタイプで
せっかく仲良し親子なのに、もったいない限り。

誕生日に江ノ島行こうとダンナさんには言ってあったのに、ダンナさんはそれコドモに言ってなかったし本人も忘れてたし。
(私はすっかり行くもんだと思って増田さんにも伝えてた)

とにかく子供はもう自分の世界に夢中。(誕生日はミュージカル)
やっぱり家にいたら寂しかっただろうな。
元ダンナさんも寂しいんだろう。
私も家にいたら気持ち荒れたかもしれない。
一人で背負ってもらって申し訳ないし、メールでグチくらい付き合おう。

コドモは行きたい高校が決まったようだ。
目黒か芸高って言ってた。

そして友達に携帯で呼び出されて出かけて行った。
時間は20時くらい?みんなウロウロしてんのね。
塾とか時間遅いから、家を出やすいのかな。

元ダンナさんがバイクで送ってくれた。
ぜんそくは、先日からいい薬を出してもらえるようになって、それ使うとすぐ治るんだそうだ。
まあ良かった。

帰宅してからニラとギョニソをレンチンして
ニラはレモンと醤油と削り節と味の素で、ギョニソはそのままで
それらを肴に焼酎お湯割り2杯飲んだ。

増田さんはポストの新しい担当さんと打ち合わせから22時帰宅。
思ったほど赤くなかった。
布団敷いて寝た。

夢は、都会のビルの一階で何かの窓口で用事を足していた。
表でドカーンみたいな音とかキャーって声がしたので、振り向くと、ガラスの向こうでなにやら不穏な様子。
どうやら人が跳ねられたらしかった。
被害者はどこ?と視線を泳がせると、500メートルくらい左の方、
広い道路の真ん中へんにエンジと白のチェックの長袖ポロシャツ半ズボンで右側面を下にして膝を曲げた状態で倒れてる人。
寄ってみたら、校帽被ってて、ヒョロっと大きいけど小学生っぽい男の子。
顔の上半分が青く見える。
たぶんどこかどうにかなってるのに、その子は起きて自分で帰ろうとする。
救急車が来るまで辛抱させるため、
お父さんかお母さん呼んで迎えに来てもらおうか、それがいいね。
と話しかけると納得したので道路じゃないとこまで引っ込めた。
どこが痛いか確認してみたら、右下腹あたりだった。
動転してるので、お姫様だっこ的に膝と背中を抱えてみた。
ちょっと揺らしたりとかもしてたけど、動かしちゃいけないよな。

時計見たら3時45分くらいだったのかな。起き上がり。


2009年04月23日(木) 今日はコドモとごはん

昨日は午前中、所属会社所有の共同使用ノートPCでVPNにつないで勤怠入力しようと思ったら
期限が過ぎてたので再設定。
が、なんだか「設定ファイルが足りません、インストールに失敗しました、もう一度ソフトをダウンロードして下さい」とかって出てしまう。
ダウンロードしなおしたけど、何度やっても同じ。

私のIDがまずいのか?家でも同じIDで使ってるから?
いやそんなことないよねえ。と隣の席のYさんにも同意が得られた。

調べたら、もともと入ってるのをアンインストールして再施行しろと書いてあった。
でも結果は同じ。
私から何らか電波がゆんゆん出てるに違いないと思えてくる。

パソコンのほうを調べてみたら、ユーザーがいっぱい作ってあった。
そして2005年とか2006年とかに変なところ(Mydocとか)に同ソフトがインストールしてあるのを4つか5つかそこら発見。
どうせ期限切れてて使えないから問答無用で消しまくり。
そしてやりなおし。でも失敗。

頭の中がボンボンしてくる。
出向先から付与されてる方の個人PCでやってうまくいくのは何故だろうということで
違いはこれか?と思って解凍ソフトをWinRARにしてやってみた。そしたらできた。
疲れた。でも解放された。
解放された、の方を強く感じるように意識を振り向けた。(ドーパミンを出すため)

昼はちょろっと買い物。
午後はWEB公開処理して、正子さんに電話して、15時半前くらいに日本橋に出発。
16時10分くらいに着いて作業。

日本橋へ行けというのは当日朝にTさんからメールで指示されたわけだけど
昨日の私はここ数ヶ月で一番、総合的にイタい格好をしていた。
最高気温が25℃だと、めざましテレビの新しいお天気の女の子が言うので
長袖のチュニックっていうかワンピっていうか、緑と黄色の柄のやつ。
そしてハイソックス。そしていつものバレーシューズ型スニーカー(金)に斜め掛けカバン。

自分でも、ショーウインドウとかに映る姿を見てチグハグだなと思っていたけど
どうせ会社と家の往復だし会社行ったら制服着るし、まあいいかと思っていたのに日本橋に行くとは。

案の定、普通人としてもセンス悪い服は社会人としても注目を集めた。
エレベーター待ちの間、制服の女の人の視線が私の頭からつま先まで辿ったのをしっかり実感した。
そういうのはまあいいんだけど、私の担当課の人と遭遇したらやだなっていうかクレーム来そうだなって思ってたら、三人も遭遇した。
もういいよ。と諦めた。

浜町(さわやか浜町公園)から地下鉄に乗り、自宅最寄り駅にはいつもより15分早く到着。
自宅ドア前にたどり着いたら増田さんがゴミ持って出て来た。
びっくりしてたw

飲んだのは金麦とスーパーブルーと合成清酒ゆかりのナントカ。
肴:増田さん作の生春巻き、柳田のアジ刺と刺盛、とちお揚げ味噌漬けレンチンしたやつ

増田さん、私のリクエストで生春巻き作ったわけだけど
巻くのが難しかったり入れるものを忘れて巻いたり、ストレスたまったみたいだった。
「クッキングペーパーがくっついちゃってぇ」と情けない顔で言っていた。
でも食べたら美味しかったので「美味しいねえ!また作るよ!」と言った。
結構、自作料理を絶賛する人だ。実際美味しいんだけど。子供と反応似てるよねと思う。

なんかテレビ見たんだけど忘れたな。
mixiとかでいらんことして21時くらいに寝た。
(増田さんはお酒飲んだので真っ赤になって限界で20時前に寝たはず)

夢はお母さんと増田さんと、見知った一軒家で暮らしてるっぽかった。
「そういえばそろそろ着物の手入れをしないとね、これはあんたの物になるんだから」
と母が言った。増田さんも着物好きだから、うんそうだね、みたいな顔してた。
私はまあまあ納得したくせに「なんで私もやらなきゃいけないのよ」みたいなことを言った。
明らかにちょっと甘えたくて会話遊びみたいな感じで言った。
そうかそういえば昔はこういうふうなことをよくしていて、それでお母さんとよくもめてたんだ、と思った。

ちょっと意識が戻ったら、隣に増田さんがいないことに気付いた。
戻ってきた増田さんに時間を聞いたら3時と言った。
くっついたら「あったか〜い」と自動販売機の表示のようなことを言われた。

こうやってすぐ触れる人が側にいるのは当たり前じゃないんだなと思うと、これまでより有り難味を感じた。
お父さんを元気にして正子さんのところに帰してあげられるかな。

と思ってるところで、増田さんがすぐに鼾をかきはじめたので、薬飲んで来たんだなと。
起き上がり3時20分。


2009年04月22日(水) 週の真ん中か

昨日は、午前の日次作業が終わったら、病院の正子さん担当のソーシャルワーカーにメールした。
あと定額給付金申請の記入済ませて(署名偽造?)
お昼は買い物しなくていいかなと思ってたんだけど、結局ぐるっと4軒まわって800円分くらいの肉や野菜や豆腐を買い
午後は作業報告作ったり、美少女社員さんからの確認依頼をやったり
総合的に暇な感じで、ハガキ持って来てるからおばあちゃんに何か書いて出そうかなと思ったけど
もっとネタが出揃ってからのほうがいいかなと、週末にお父さん宛のハガキ書くのと同時に書くことに。
でっかい字で書かなきゃいけないから、内容はちょっとだし、たいした負荷じゃない。
視覚処理が負担になる正子さんには今日あたり電話してみよう。
(返事書かなきゃって思う可能性も強いし)

やっと定時になって退社し、地下鉄の中で北海道日記をちょっと書き足し、自宅最寄り駅で増田さんと合流。
雨が降ってて、ジャージの上にもう一枚なんか胴体だけ覆うでっかいのを着てる増田さん。

今日は忙しくて何も作ってないし買ってないよーゴメンね、って言われた。
あら珍しいどうしたの?と思って聞いてみると、ノートの本がゴールデンウイーク明けくらいに出るらしくて
あとがきと、2ページ足りないから追加と、あと質問の本の原稿も催促されたからそれと
献本(2冊)受け取った人からのお礼の電話対応で追われてたらしい。

飲んだのはスーパーブルーロングと合成清酒(ゆかりの月?)。
肴:チンジャオロースー的なもの、水菜玉子ギョニソサラダ、スティックきゅうりに青唐辛子味噌マヨ、ポン酢味の湯豆腐的なもの(えのき椎茸昆布レモン汁)

テレビは、部屋を片付けられない女の人10人が出てる大和田獏が司会のやつを。
一人暮らしの女子大生の散らかった部屋映像と、その母親が上京してきて部屋を見て「ナニコレ!」ってびっくりしてる映像。

まあびっくりだから、母さんあれこれ言いますよね。
って私は経験があるので思うんだけど、増田さんは「こわい〜」「ほらあの子へこんでる〜、わかる〜」って。
たしかにその子も泣きそうな顔してたわ。
ハイハイ、とか、うるさいな〜、とかならないところが、やっぱり発達障害か。

そのあとは、たけしの本当は怖いナントカ。
これも、恐怖をあおるような演出が本当に心にしみるみたいで、こういうの怖いんですよね、って言ってみたら
「うん、この病気は女性がなりやすい、とか言われるとやっと安心したりして」とか言ってた。
だから増田さんはからかいがいがあって面白いんだけど、あんまりそういうことしちゃいけないよね。
ストレスが免疫力を攻撃しちゃうからね。

寝たのは22時だろうな。
カクテキの汁にごはんと海苔とゴマ油ふったやつを肴に一杯二杯飲んでから。

夢では、ノートかなんかに、緑の見出しがついた項目と青の見出しがついた項目がそれぞれ何行分かあって
それを、青のあとに緑を挿入して交互になるようにするか
それとも青は青で集めて、青が終わったら緑を並べるか
てなことを決めようとしていた。
Tさんが会社主催の展示会か何かに参加しており、展示のほかにもケーキをふるまうサービスをやっていて
シェフの格好をして、バタバタ忙しそうにしている。
「好評で、もうケーキなくなっちゃったんだよ」て言いながら運んだり。
ケーキなくなっちゃったとは、当初用意した手作りケーキのことで
補充として業者から買って来たものがもう届いて使われていた。
手作りケーキのほうは、生クリームと、2種類のベリー系のジャムかなにかで飾られていた。
補充ケーキのほうは、ちょっとシンプルなもので、節約のために上下半分にカットして提供しているようだった。

増田さん静かだなあと思いつつ、窓の表が白々してるっぽいので時計見たら4時55分。


2009年04月21日(火) 高温期に入ったかな(筋肉痛)

昨日はいつものように増田さんと駅まで行って、ああ日常が戻ってきたなあと。

会社では、やることやったら正子さんの心配ごととか片付けはじめた。
・二つの口座にちょっとづつ入金
・郵便物の転送手配
・生協の宅配停止
・お兄ちゃんに報告メール
そんなもんだったかなあ。
あ、あと定額給付金の手続きで、正子さんの通帳の写真しか撮ってきてないのがちょっとまずかった。
とりあえず正子さんを代理人てことにしてやればなんとかなるかも。
でも何か不都合で連絡来るとしても、郵便物はうちに来るわけだから、まあいいのか。

あと所属会社の面談があった。
来期の個人目標設定とかいうやつ。
寸前まで忘れてて、5分でシート作って向かった。
もっともらしい出任せが口からスラスラ出る。
「老獪」ってこういうことだろうか。
頼もしいと思ってもらえた気がする。
とくにそれが有利ってわけじゃないけど。
だって7月に合併(平和的なほうの)で組織が変わるから。
部長もどこのポストにつくんだか不明なんだと。
雑談とかしたけど早く終わった。

定時に退社して、自宅最寄り駅で増田さんと合流。
(改札内からあらためて姿を眺め、みんなが「お父さんに似ている」って言ってることを確認してみたり)
なんでだったか、フリー編集者の仕事についていろいろ話しながら歩いた。

帰宅して、飲んだのはスーパーブルーロングと合成清酒。
肴:柳田のアジと鯛の刺身、水菜と豚挽肉の煮びたしみたいなのに片栗粉でとろみつけてポン酢かけたやつ、小松菜すごもり玉子にしょうゆかけてチーズのせてグラタン機能で焼いたやつ、れんこん切ってレンチンしてあったやつに削り節としょうゆとマヨかけたの、増田さんが半分作ったカクテキ

増田さんは昨日はゴハン食べてた。
薬デーってことだ。
お酒飲む日は薬飲まない。
昨日は薬効いてくるのが遅かったみたい。
(普通は10分〜30分で効いてくる)

でもそのあとちゃんと寝てた。
私はさんま味噌煮缶と刻んだ大根葉でお酒飲んでメールチェックして寝た。
たぶん22時。

夢は、忘れちゃったなあ。
私は一切出てきてなくて、たくましいお父さんみたいなのがいて
謎の美女横山めぐみがいて、最後まで微妙だったんだけど
実はその家のお母さんだったんだかお姉さんだったんだかで
車の後部座席に乗り込み謎の微笑してた。

時計わしづかみで見たら4時20分過ぎくらいだったのでしょうがなく起きた。


2009年04月20日(月) 原稿用紙20枚制限ていうのが出たので続きは4/19

金曜日からか。
会社では細々としたことを片づけて、翌日の準備とか確認とか段取り的なことを。

定時に退社して増田さんと自宅最寄り駅で合流。
前日に、土曜の朝が早いから金曜は早寝(いつにも増して)すると告げてあり、夕飯の支度が全部済んでいた。

飲んだのは、スーパーブルーロングと日本酒だったかなあ。
肴:豆乳鍋、ポテトサラダ

鍋には豚と、殻から外した全部付きホタテと、私のリクエストで餃子とレタスと、あと大根人参長ネギなどが入っていた。
磯っぽい味がしみた大根がことのほかウマイと思った。
あと豆乳鍋にはラー油も合う。

片づけとかしたんだったかどうだったか。
簡単に荷造りとかはした。
んで21時就寝。

予約して以降、寝坊して飛行機に乗り遅れる夢を見てたけど
実際当日は三時に目覚めた。
メールチェックとかして支度して出かけた。
オオノさんが、「昨日の朝は雪降った」と報せてくれたので、冬装備で。
留守電入ってたので確認したら正子さんからで、「お父さんが痙攣起こして病院から呼ばれたのでこれから行く」と22時に。

午前四時半とかの新宿は、夜明け前なのに雀がチュンチュンいってた。
歩いてる人は、飲んで始発で帰る感じの。
だるそうだったり、まだ遊び足りなさそうだったり。

新宿駅には15分で着いてしまい、始発まで結構時間が空いた。
品川で京急に乗り換え、羽田行き特快みたいなのに乗る。
始発の飛行機に乗るらしき人たちは意外とたくさんだった。

カウンターに直行して手続き。
前髪切ろうと思って持ってきたハサミは預けなきゃならなくてミス。

年会費無料期間内に解約予定の楽天プレミアムを満喫するため、搭乗待ちフロアのラウンジに入った。

おひとり様2個までのクロワッサン1個とコーヒーと牛乳飲んだ。
視界のなかではすべての人がクロワッサンが入った口をもぐもぐさせていた。
時間がないので飲食済んだら即出。
でも飛行機は10分遅れ。

遅れたけど無事に新千歳に着いたので
またラウンジ。もと取るために野菜ジュース。(退屈なので長くはいられず)
飛行機に乗る寸前に正子さんに電話した6時半。

まっすぐ大麻行って包括支援センターで話を聞いた。
やっぱり何もかも安心てわけにはいかない。
期待してなかったけど、やっぱり軽く失望っていうか。
つまるところ期待してたってことだな。

まあそれはいいとして、二番通りでバスに乗って病院へ。
北海道中央バスはのんびりしてる。
おばさんが普通に長々質問しても、運転手さんが余裕で自然に応対してたから。
(東京には、ヤクザかと思うような態度の悪いバス運転手がしばしばいる)

病院着いたら、役所の福祉課の人やらお医者さんやらが「待ち構えてた」と言っても過言ではない。
(お父さんはそんなに迷惑かけてる状態なんだろうか?と不安がよぎったり)

お医者さんはランダム勤務で日頃から過酷な労働状態なんだろうと思う。
福祉課の人も公務員なのに土曜日出勤して半日つぶれたりしてる。
みんな大変というか、なんだか申し訳ない。

お医者さんの傍らには正子さんもいて、皆で面談室に入った。
痙攣を3回くらい繰り返したお父さんは、ヘルペス脳炎が疑われ
2日くらい前から「入力と出力を合わせないと」って言ってパンツ脱ごうとしたりと奇行があったのが前兆だったと考えられると。

病名言われて深くはわからなかったけど、脳細胞が傷ついたら何が起こる可能性があるかは思い当たった。
でも目の前にはショックで口半開きでまばたきもしてない廃人のような正子さんがいる。
それに結果が確定したわけじゃないから動転してもしょうがないので冷静に面談続行。

正子さんの状態のことも説明された。
依存心が強くなってるとか、本当のうつだったらこういうふうじゃないとか。
私はそうは思わなかった。

正子さんはどんなときでも言葉がよく出てくるけど、考えてることと発語が直結してるタイプなだけで
「こんなに喋れるからある程度しっかりしてる」とかでは全くない。
どうしてこう思いがすれ違うのか不思議だけど、私にはどう見てもパニック状態と映った。

あと正子さんは自分の状態について説明をよくする。
「だから誰かどうにかして」っていうアプローチだと受け止められてるみたいだけど
それもそうじゃない。
ただ自分が、とっちらかってる自分の状態を分析したくてアワアワしてる。
自分のことを哀れっぽく表現して甘えようとしてるのとは訳が違うということが微妙に理解されてない。

いやこれ言っても理解されないかなあと思ったけど
うちのダンナさんがそうなんだけど、正子さんも発達障害系の可能性がある気がするって言ってみた。
お医者さんにそういうこと言うのは失礼にあたるかとも思ったけど
あんまり決め付けられてるから。正子さん絶望してるし。

実際は、発達障害系とは言わず、通りがいいかと思ってADHDって言ったんだな。
「ADHDにもいろいろなタイプがあるしその問題はどうのこうのだから」
ってお医者さんがスルーを望んだので、とりあえずそっち方面の話はストップ。
でも、正子さんが単なる怠け者とか甘えた性格の人ではないこと、きっかけがあるとメンタル悪化しやすい性質であることを念押し。

そのうちお父さんが検査室から戻って来たので病室へ。
薄く目が開いたりするけど意識はなく、なんかしきりに咽喉が動いてたまにむせる。
お医者さんに、これは?と聞いたら「つばを飲み込む動きです」って言う。
でもお医者さんが立ち去った後、看護婦さんが「痰が苦しそうですね」って口と鼻からチューブで吸引して行った。

しばらくそこで正子さんと話合って、請求書とかのことで判断ができなくて困ってることがわかったので
とりあえず実家に寄ってそれらを回収することに。

部屋から出ると福祉課のスズキさん(八島ナントカみたいな人)が待っててくれて、車で送ってくれた。

正子さんは食欲がなく、でも薬飲むから何か食べなきゃと思って、まあ一日に、バナナ一本と細いレーズンパン2個
くらいを食べる生活を
退院してから二週間くらい続けてる。
そのことを心配して、スズキさんがスーパーで買い物するよう促して寄ってくれた。

何を買っていいかとか、食べたい物がないからわからない正子さん。
「いままでできてたことが失敗するようになってる」ということから
とりあえず低栄養でアミンだのコリンだのが欠乏してると思われるので、タンパク質を補給したいところだけど、乳製品は得意じゃないということ。
食べられそうなのは冷たい野菜ということで、きゅうりとトマトと豆腐と、あと角食三枚と、確かコーヒー好きだったので、カフェインが効くタイプかもと、強引にカフェラテ的なものでカロリー高いやつも三本。

あと正子さんは仏花に目を付けた。
やっぱりちゃんとしたい人だ。

そういえばそれ、生けてくるの忘れた。
正子さんも忘れてて、思い出したら枯れてて、また落ち込んだりしたらやだな。

家に着いたらスズキさんは私に「帰るとき電話ください、駅まで送りがてらお話しましょう」と言っていったん役所へ。

正子さんの状態から、家はあれてるかなと思ってたけど、ものすごく綺麗だった。
そう言うと、正子さんは「物動かさないから」と。

正子さんが直近一番怯えてる件、支払い通知を拝見。
よく見ると支払い通知じゃなくて口座振替日のお知らせだった。
メンタルと片目の白内障から視覚的な処理力もどん底状態の模様。

とりあえず広く郵便物を怖がっているので、郵便物の内容切り分け。
もう一通くらい振替通知があったかな。
あとはダイレクトメール類。

通帳を見せて貰うとは引き落としが3つの口座にまたがってて、収入(お父さんの年金)がある口座はいいとして、残り2つにお金の補充に行くのが体力的に厳しく、振替できませんでした通知が来たりしたらしい。
それをお兄ちゃんが見て「こういうのが一番怖いんだ」と言ったのが正子さんの脳に焼き付いてる。

正子さんはそもそもお父さんの指示なしにお父さんのお金を動かすことが苦手だったりもするようで、心身ともに高負荷かかる。

というわけで、二つの通帳の月間引き落とし額を概算。
たいした金額でもないし、私が毎月そこに振り込みしとくことにした。
それが恐縮屋の正子さんの負荷にならないように、あと一年で正子さんの年金受給が始まるから、それまでの間、と期限を設けた。

あと郵便物は私んちに転送されるようにしますと言った。
定額給付金申請書も来てたので、それは持ち帰り。

ちょっとは落ち着いてくれたかどうか、表情からは判断厳しいところ。
また来ます!と手を振って見送りに応えた。
正子さんも緩慢ながらも大きく手を振っていた。

車内で「どうでした」「こうでした」とお話。
スズキさんはJRと中央バスの時刻表をコピーしてくれており、乗り換え電車に印をつけてもくれた。
なんかサービス向上してるよなあ、お役所。
なにせ大変恐縮した。

さて、ここからは長いから、と淡麗二本とオニギリをキヨスクで購入。
しかし、予想外にのんびりしてる間もなく砂川駅到着。
私は時間の計算がドンブリ勘定なので、時刻表を見ても気づかなかった。

駅からバス停が離れてることは過去の経験から知っており、グーグルマップであらかじめ確認しといた。
しかしやはり迷った。
開いてる店も通行人もほとんどないわけだけど、どうにか二人の人から情報を得てライドオンバス。
今度こそ長いはずなので、駅で買った黒ラベルロングと蒲鉾。

田舎のバスは乗客の会話がまる聞こえで楽しい。
(全員老人で耳が遠いため声がでかい)
病院行くときに乗った中央バスもそうだったけど、料金投入口の上がおしぼり布巾で塞いであるのは何故なんだろう。
(透明の賽銭箱みたいな物が手前の床上20センチくらいに据え付けて、というかピンクのビニール紐で吊った状態で台の上に置かれており、それが料金箱という暗黙のルール)

ともあれ宿泊先に着いた。
良かった、バスがある時間に間に合って。

食事の時間はいかがなさいますかと聞かれて、いつでもいいですすぐでもいいですと答えたら、17時半に運ばれて来た。

お酒は自販機で買うシステムなので安上がりでいい。
なんだったか忘れたけど北海道っぽい発泡酒的なものをロング二本と、予備の黒ラベルロングを。

料理は、年寄りがギリギリ食べきれるくらいの量で、程良かった。
漁業も農業も畜産もやってないエリアのわりには内容も悪くはないと思う。
なんちゃら鍋も、うまかったし。

飲食終わって下げ膳してもらったら、布団も敷かれていた。
ちょっと横になろうと思ったら寝てしまい、気づいたら23時半。
それはちょうど、浴場が閉まる時間。

しょうがないからまた寝ようとしたけど部屋の中に紛れ込んできた虫(ベランダ開けると目の前が山)がしきりにどこかに激突を繰り返してる音がする。
電気つけてまた消してまたつけたら、布団の上に小さな昆虫。
コガネムシ的なやつだ。
カメムシじゃなくて良かった。
ベランダに放した。

虫といえば、お父さんトリコマイシンの点滴されてた気がしたけど、脳に虫か真菌がいるんだろうか。

と気になりだして、ググってみた。
トリコマイシンの件はよくわからなかったけど、ヘルペス脳炎は、常に頭痛がつきまとう後遺症が残った人が、
「かなり軽いほうだと言われた」と書いていた。入院期間も長く、面会者が誰なのか思い出せなかったり。

直面したら動転する可能性はゼロじゃないけど、私は先のことしか考えないタイプだから、あるがまま受け入れて対応するだろう。
てか飛行機に乗る前くらいには覚悟が決まってた気もする。
(常に最悪ケースを想像して先手を打つ癖が)

でも正子さんはどうだろう。
お父さん治らなかったら餓死してやろうと思ってたの。
てポロっと言ってたよな。

うちのお母さんは正子さんより4つ上だけど、幸い目立って悪いところもなく(髪の毛も真っ黒)働いたり山登ったり同じ園の人と酒盛りしたりしている。
正子さんだって女の一人暮らしを楽しんだって(楽しいばかりじゃないだろうけど)いいはずなのに、あまりに寂し過ぎやしないか。

そんなこんなで自分にできそうなことを考えたりメモったりして
また侵入してきた虫と一緒に朝方ちょっとウトウトしてから、6時半に浴場へ。
時刻表見たりしてから7時半にゴハン。食べ終わったら少し休んでチェックアウト。
宿の並びにあるお婆ちゃんが住む老人ホームっていうかケアハウスへ。

土曜日なので、広めの事務所に続く受付の中には一人しか人がいなかった。
部屋の位置を教えてもらい、おばあちゃんの部屋のブザーを押してみたけど
聞こえないみたいだったからガラっと開けてみた。

ちゃんと身づくろいしたおばあちゃんがベッドに横になってニッコリしてた。
最初わからなかったみたいだけど、大きい声で「おばあちゃん、ケイコ」って言ったら
「あらまあ!」と体を起こした。

ここに座んなさい、と低い籐椅子を示されて座った。
いきなり
「おばあちゃんは長生きしすぎたの。もう死ぬから、いらないものどんどん捨ててるの。ケイコちゃんそこの箪笥開けてごらん、着られるのあったら持ってって」
と言われた。

何歳だったか忘れたけど、九十代なことは確かだ。
こないだお兄ちゃんが来たときには通帳託したと聞いた。
事情を聞いて、お父さんとはもう会えないと覚悟したらしい。
でもそれも、お父さんももう老人だから仕方のないことと受け止めてる。
私にも、持ってる現金とか寄越そうとした。

服を何着か風呂敷に包んでもらった。
素材も悪くなくレトロな味があり、案外着るかもしれない。できれば着たい。

株を買った話をした。
おばあちゃんは昔、株で儲けてた当時、膨大な量のノートをつけていたそうで
でもそれも捨てちゃった、見せてやればよかったねえ、と残念そうだった。

一時期白内障で目がかなり見えづらく、手紙が読めない時期があって
それ以来すっかり便りもしてなかったんだけど、今は手術で見えるようになってるので、またハガキを書いてと言われた。

1時間もいなかったかな。
おばあちゃんは「これで最後だね」って終始ニコニコで清々しく言っていたけど
おばあちゃんが思うほどには早く死なない気がするので、また会いに来る。
ちょっと遠くてあれだけど。
元ダンナさんから貰った巣鴨のお守りを二つ渡して「一つは友達にあげて」と言ったら、喜んでいた。
もう死ぬから物はいらないというので、今度も持ってくるならこれ系だなと思った。

立ち去り際、「あ、ちょっと待ってケイコちゃん」と呼び止められた。
「お世話になってる園の人に挨拶してってほしいの」とのことだった。
私の前に立ってスタスタ(正子さんよりは)歩くおばあちゃん。
おばあちゃんはそういうことをキッチリする人だとわかっていたので
羽田で買って来た東京バナナ的なやつのコンパクトで個数が多いやつを手提げ紙袋に入れなおした。

該当の人は日曜日で不在だった。
おばあちゃんに紙袋を託した。
こういうのも次回はもっと高級品とかのほうが、おばあちゃん鼻が高いだろうな。

バス停に行ったら、1時間以上バスが来ないことが判ったので、グーグルマップで辿った道を歩くことにした。
駅までは10キロ以上あるはずだから、行けるとこまで。バスのルートをはずさないように。

考えたり涙したり写真撮ったり奇跡的にセイコーマートを発見して増田さんにお土産買ったり(やきそば弁当とカツゲン)
おにぎりウォーマーの写真撮ったりした。

ふきのとうがやたら生えてて、これ全くふきに似てないけど、どうやってふきになるのかなと気になった。
これだけ道々生えてるから、ひとつくらい中間みたいなのが発見できるかなと思ったけど、そういうのは全くなかった。
ググったらすぐわかるんだけど、こういうのはインターネットとかで知りたくないなと思った。
根っこがつながってて、ふきのとうが栄養源になって違う場所からニョキっと出てくるのかなあ。

途中、お母さんの実家付近を経由した。
昔は私もおじいちゃんのチビトラックの荷台に乗って山道を走ったり
ヤギの乳しぼってもらったり、温めて飲ませてもらったり、
物置裏の小川というにも細すぎる水の流れで、ドジョウつかまえて喜んだりしてた。

おばあちゃん一家は既にそこは売っちゃって、(持ってた山とかも)ずっと前に札幌の娘の家の近くに家建てて引っ越してる。
もう昔の家の位置を見上げても正確に検討つかなかったけど、付近に見たことのない国道?みたいなのができていて、車がそこそこ通ってた。

希望学園前、だったかでバスに乗った。
男の池沼の人が、バス待ちの間にずっと私の前を行ったり来たりしながら時々何か言うのがどうしても怖かったので、乗って後ろの席に座ったとき安心した。

バス代も三百円浮いたし、翌朝の味噌汁の具(ふき)もゲットしたし、歩いた甲斐があった。

駅に着いたけど次のスーパーカムイの到着まで30分あったので、コンビニか酒屋かスーパーのような店を探した。
昔来たことがある気がするスーパーがあった。
よく見たら、去年亡くなったおじいちゃんが働いてた前田ふとん店が側にあった。
とりあえずスーパーは閉まってた。

大通りで酒屋発見。しかし由緒正しい店で、第三のビールとかビール的なリキュールとかは無かった。
コンビニは当然なく、結局キヨスクが最大のお買い物スポットだった。

淡麗ショート缶二本とロバパンのチキンなんとかパン購入。

やっぱりあっという間に岩見沢、そして江別。
グーグルマップの記憶を辿って病院へ。

三日くらいは昏睡かと思ってたお父さんが、目覚めてた。
痰がからんで辛そうだったけど、喋れた。
「へえ、ずいぶん景気よさそうだね」とか
「今は100株でも買えるもんな」とか。
昔は1000単位だったの?ってきいたら「そうさ」とか。

手首ひねったりするのもやっとだったから、からんだ痰をティッシュで受けるのを手伝った。
眠かったら寝て、って言ったらそのうち眠り始めた。


2009年04月19日(日) ※4/20の続き

お父さんが眠り出したところからか。

最初は眠りづらそうにしていた。
部屋の表が結構ワイワイしてたので、ドアを閉めた。
日光は鬱病患者には必要なんだけど、カーテンも半分ひいてみた。

そのうち軽くイビキみたいなのが聞こえてきた。
でも看護婦さんとかに声かけられるとすぐ覚醒するレベル。

こうやって寝ている間に体の中でアレやコレやが作られる。
乳酸やら疲労物質がナントカになってアンモニアになるんだったかなんだか。
痛んだ血管やら細胞やら臓器(は夜寝ないとだめなんだっけか)の修復とかも行われる。

とか考えながら、13時半から17時まで、納得して見てた。

その間にお母さんにメールしたら、すぐ札幌まで出て来れるというので
私も病院出てまっすぐ札幌駅へ。
汽車(北海道ではJRをそう呼ぶ)がほんとに前より高速になってる気がした。あっという間についた。

地下街で蕎麦居酒屋に入って夕飯。
ご隠居さんみたいな人たちが宴会しててやかましかった。
でもお父さんの様態やら話した。

時間を気にして空港までのキップをとりあえず買って、時刻表を見上げたら
あと30分以上あったので、プロントだったかドトールだったかでお茶。

お母さんが住んでるケアホームの友達(81歳、週3回妹の介護に通ってる。お酒が好きで、お母さんはたまに酒盛りに誘われる)が
大腸がんになって、もうすぐ手術だって話を聞いた。

おばあちゃんもそうだけど、そういうところに住んでる人は
ものすごく何度も死に遭遇する。お母さんも8年?で4回?くらい見たと。
それについてホームの人たちと意見を交わしたりする。
だから死に際について非常に意識が高い。
案外いいかもしれないと思った。
一人になったら私もできればそういうとこに入ろう。

花畑牧場直営ショップ前を通ったら、行列がなくなってた。
キャラメル購入。
お母さんも、コドモちゃんにあげてと、新製品を買ってくれた。(誕生日のお祝い金も預かった)

手を振って見送ってもらって改札でお別れ。
(またしょっちゅう来ることになりそうで、次回は泊めてもらうことに内定)

空港に着いたら私が乗る21時の最終便が15分遅れだった。
もうラウンジもショップも閉まる時間で、あわててビールを買いに走る。
でも手荷物検査して中に入るとそっちの売店は開いてた。そのうち片付け始めたけど。

機内でアサヒの北海道限定のショート缶を1本飲んで、少し眠った。
羽田に着いたら歩いてる人がみんな疲れてた。
京急で品川行って山手線に乗り換えて新宿で降りて、徒歩で帰宅したのが24時半くらい。
増田さんが起きてきて、おかえりって言った。

焼山付近の道路沿いでもいできたフキを板擦りして茹でて水にさらして
カバンの中のもの片付けて寝た。
夢は見てなくて、20日の朝は5時くらいに起きたんだったと思う。


2009年04月17日(金) 私も土曜は快眠してやる

15日の朝にメールしたばかりなのに、昨日16日の午前中、福祉課の人が病院に状況検分?に行ったらしい。
素早い。あと父の奥さんがまだ64歳だということが判明。
父は介護支援になるっぽいけど正子さんは障害支援になるかな?

午後から日本橋。

プロジェクトルームの人口密度が高すぎて、部屋が暑かった。
窓全開だったけど。
(あの高さであんなに大きく窓が開いてると飛び降りたりできるから、古いビルって怖い)

とりあえず作業して時間通りに出た。
晴れ晴れとしたくて、さくら水産浜町店?に入った。
(笹新て店にそそられたけど脳内ソロバンが許さなかった)

飲んだのは酎ハイ(280円)
肴:お通し(里芋と茎わかめと人参の煮物200円)、馬刺(380円)

ごく薄い馬刺は5切れだったけど充分だった。
オニオンスライスと一緒に食べると口の中で馬の味が迷子になるので楽しく探した。

ならびに座った中高年リーマンズが「この鯛刺身はどのくらいあるの?」と色の白い店員さんに聞いたら
和風じゃないイントネーションで「ゴキレです」と。
5切れしばりなんだな。

勘定して歩き出すと、確かに晴れ晴れとしていた。
一杯くらいでいいんだな。(家に辿り着くまでに切れちゃってたけど)

増田さんもデパス飲んでこういう感じになってるんだろうか。
共著の人の上手な原稿とか読むと、普通は不安に襲われるんだけど、薬が効いてると前向きに楽しめるそうな。

家では、増田さんが原稿打ってた。
大根と手羽先も煮てくれてて、柳田で鯛と鰹の刺身を買ってくれていた。
いじらしい。
とは思うんだけど、以下のようなことが起きた。

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夫がADHD、私が推定アスペです。

関わり出した当初、相手をADHDと思っていなかったので
定型の人の反応と比べて「人(私)に関心がない」「どっちかっていうと薄情」と思うことがありました。

出身地どこ?とか、血液型何型?とか、7回くらい質問されて答えてるのに
一切憶えてないみたいで8回目の質問をされたりするからです。
(出身地とか血液型なんて、どうでもいいっちゃいいんですが)

このところ、私は仕事や実家のことでごたごたしています。
週末に決戦に挑むので緊張状態という感じです。
基本、夫に相談とかしません。

でもおととい、考え事したいのに夫の自分話に割り込まれてイラっとして
自分の状況を淡々と説明してしまいました。
(ごちゃごちゃした話なので理解できてない気がします)

案の定「大変だね」って一言返ってきました。

「ほら出た!"大変だね”"だいじょうぶぅ?”(←モノマネ)心底解ってないくせに、イラっとするわー」
「んなことないよ、でもどうすることもできないからさぁ」
本当にどうすることもできないのは明白なので、不毛な話は終了。

それを(私だけが)引きずった(というか日中に会社でいろいろあり増幅させた)昨晩
私の実家の状況を知ってる元夫(これまた発達障害的な人だけど)が
心配してくれて神社でお守り買ってバイクで家まで届けてくれました。

それを見せて、(※イライラの種火はくすぶり状態)
「手助けにならなくても、こうやって行動してくれるっていうのは、それだけで有難いですよね」
と現夫に言いました。

そしたらめずらしく、ニュアンス的なものを感じ取ったっぽくて
というか曲解したようで
「どうせ僕はダメ人間だから」
と言い出しました。
(何度か経験したパターンです)

「ほら出た!また"僕はダメ人間だから”(←モノマネ)で何でも済ませようと思ってる」
「だって本当にどうしていいかわからないから」
「私はむしろ、薄情なんでは?ってことを言いたかったんですけど。そういうことでは何度も寂しい思いをしてますし」
「…ごめんね」

夫も怒られるのが苦手なタイプです。
とりあえず過去の経験則から「ごめんねって言って盲従する術」を身につけてる感じです。

今回は、いろいろ知っていながら個人的イライラをぶつけてしまいましたが
薄情と言ってしまったのは鬼過ぎるでしょうか?
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mixiのコミュニティに書こうと思ったけど
最後まで書いて、謝ればいいことかと気付いたので送信しなかったのを
長文でもったいないからコピペ。

なんか最近、自分の中にサディストがいる気がする。
やっぱりとりあえず謝ろう。
私なりに緊張状態だから当分見逃してくれと理解を求めよう。

それはいいとして、飲んだのはスーパーブルーロングとモンフレール白。
肴:増田さん作大根と手羽先煮、柳田の鯛と鰹の刺身、ニンニクの芽と牛肉炒め

TBSの報道番組見て、「デパスが2時間くらいしないと効かない」と言っている増田さんに
いつもやってるようにエビオスと同時に飲むと、なんとなく食物繊維にくるまれた状態になりそう(エビオスは1回10粒くらい飲む)だから
同時に飲まないほうが効くんじゃないかとアドバイス。
単体で飲んで10分後、「効いてきた」と言っていた。

血行不良とかじゃなくて良かったね。と思った。
本当は舌下で溶かすともっと早いらしいけど、そんなに早くても意味ないよね。

私がパソコン前で飲酒し始めたら、即イビキが聞こえてきた。
でも私も21時半に寝た。
とにかく目先に課題がある間は、時を駆け抜けたい。

増田さんの変化球イビキと格闘しながら夢は見た。

女二人。
私はピストル向けられて撃たれそうになる。
そうだ、どうせ死ぬなら暴発させて相手を巻き込もう、と思い、銃口に指を突っ込む。
相手は浅野ゆう子で、途中から私は別の人になってた。
浅野ゆう子はバレエかなんかの道を諦めると告白を始めた。
なんだかよくわからないけど「恥劣劣」っていうキーワードを口にする浅野ゆう子だった。

イビキに負けて3時半起き。


2009年04月16日(木) 木曜日か

昨日は、若手さんからの依頼の件を腰を据えてやっとこうと思ったら
PCにデータ移行してとか、臨時サーバーにバックアップツールインストールしてスケジュールバックアップ設定しといてとか
廃棄するノートPCに前日中身を消したHD戻しといて(5分で終わる)とか
日次の作業に加え、相変わらずの雑用ぶりだった。
(そのうち犬の散歩とか依頼されるんじゃないかな)

その合間に、北海道の地元の市役所とメールでやり取り。
お兄ちゃんにもメールで事情聴取。
そして歌志内の宿の予約。

定時に退社して最寄り駅で増田さんと合流。
今日も薬飲むのが楽しみだな〜と増田さんがウッカリ口を滑らせる。
イラっとして、増田さんは薬飲んで楽しくなっていいですね、とか言った。
あなただってお酒飲んで楽しいじゃない、って言われたけど
最近飲んでも前ほど発散になってないっていうか、そんなに楽しくなるほど飲まなくなったっていうか。
考えることが増えたので、っていうか。

朝見たとき、けんちょが大量に残ってたから、夕飯の一品はあれでなんとかなるなと踏んでいたのに
「昼に全部食べちゃったよ」って言うのでまたイラっとした。
あと「今日は料理はしてなくて、赤魚(私のわりと好物)の粕漬け買ってあるよ」って言うので
魚焼かなきゃならないのか!(うまく焼けない自覚あり)と更にイライラが募った。

あんまりイライラしたので、今お兄ちゃんにこういうことを振られてて、週末の北海道行きでは片田舎のおばあちゃんのとこにも行かなきゃならなくて
役所のナントカセンターにも行く予定で
と身の上をブツブツとまくし立てた。
大変だね、って言うので「想像もつかないくせに(ついでに理解もできてないくせに)よく言いますよ」と決めゼリフ。
(増田さんは薬飲んで浮かれてオーバードーズになって独身に戻ればいいじゃない、という、そのときの私のテンション)

飲んだのはスーパーブルーロング(OKストアで137円だったかな)と合成清酒。
肴:金目鯛粕漬け、えのきとわかめの炒め物、牛皿、ナスグラタン的なもの

ストック野菜が枯渇してきてる。
今日は日本橋行くけどその前に葉っぱの野菜の安いのをみつけて買っておきたい。

テレビは、TBSの報道のと、日テレの生放送(水曜日はえなり)を見た。
そのあと布団敷いて、増田さんは株の本を読み始め、私はパソコンのアンケートやったりして21時半くらいには退屈になって寝た。

夢では、大型犬くらいはある生挽肉のかたまり。中がまだ凍ってるらしい。
それを、刀かなにかの切れ味を試すショーみたいなので男の人がスパっと切ってる。
おおー、っていうムードだったけど、それほどか?と思ってる私。
あとは忘れた。
起きたら4時半とかだった。


2009年04月15日(水) やってやろうじゃないの

昨日は、Tさんからドヤドヤ依頼があった。
近日中にまた日本橋に行かなきゃならないらしい。
若手さんの依頼のほうも不安顔してるからとっととやっておかないと。
定時までいっぱいいっぱい仕事。

いつものように自宅最寄り駅で増田さんに荷物持ってもらう。
話題は「けんちょ作ったよ」「ベランダに野菜保存しておくのもう厳しいね」みたいな。

帰宅して確認すると、たしかに里芋と蓮根にカビがはえていた。
(切り落として調理したり酢水につけたりしてたら支度が遅くなる)

飲んだのは金麦ロング1と合成清酒。
肴:増田さん作けんちょ、まだ三杯酢につかってたコハダ、柳田のアジ刺、同じく刺身盛り合わせ、里芋煮転がし、ハムでえのき巻いて焼いたやつにマヨ胡椒

増田さんはゴハン。
食べ終わったらエビオスとかデパスとか飲む。
デパスは酩酊感があるけどお酒飲んだときみたいに心臓がドキドキしないと言っていた。
とりあえず夜1錠飲む体制で落ち着いてる。

テレビは日テレのウエンツ出てる生放送と、その流れでさんま御殿と。
さんま御殿は大沢あかねとか朝岡雪路とか安藤カヅとか和泉モトヤの嫁とか原日出子とか出てて面白かった。
矢沢心と元モ娘のあの人も出てたけどダンナが薄いせいかあんまり活躍してなかった。
原日出子んとこがやっぱり一番異色。マンガみたい。

パソコン前で多少飲酒した。肴は会社から持ってきたおかき。
22時前就寝。増田さんは寝てたかな。

夢は見た。
マツマエ(人の名前)日記(WEBサイト)
放置
睡眠

これしかおぼえてない。
なぜなら起きて(4時ジャスト)から携帯見たら、お兄ちゃんから3通連続でメールが来てたから。
依頼内容が4つか5つか。
とりあえず脳内では算段つけた。


2009年04月14日(火) ヒノキ花粉なのかハウスダストなのか鼻水が出るここんとこの朝

昨日は、月曜日だしやる気失せモード。
と思ったら、午後に若手さんからプログラム3つについて調査&表作成の依頼。
何時からやったんだっけ。WEB更新が14時40分に終わって、ちょっとタラタラ始めて15時くらいか。
やり始めたら、気がついたら終業のベルがなってた。
そのちょっと前に若手さんが来て「どうですか?」って言うので、サブルーチン絡みのとこに「?」って入れて、とりあえず提出。
間違ってなきゃいいな。

いつもの地下鉄に乗って自宅最寄り駅で増田さんと合流。
焼き豚を作った話を聞きながら帰宅。

飲んだのは麦とホップショート缶と合成清酒。増田さんはゴハン。
肴:増田さん作の焼き豚大根卵、増田さん〆のコハダ、ヤムウンセン的なもの、ニラ御浸し

ニラが青臭かった。てか、むしろほのかにカビ臭かった。
気付いてるだろうけど不安をかきたてないように、食いついてきそうな話題で増田さんの意識をニラから反らす努力をした。
量的にそんなになかったからまあ大丈夫だったんじゃないかな。
食べた瞬間からお腹がグルグル鳴ってたのが気になるけど、まさかいくら敏感な増田さんといえどもそれはないよね。

テレビはTBSの報道(ヅラ偽医者)と川島芳子もの。
銃殺刑は実は空砲で、その後ひっそり暮らしていたとき可愛がられたという幼い中国人の子が
すっかりセミ熟女になり、川島芳子に託されたレコードを李香蘭(もう美しくないからあまり映さないでくれと)に渡しに来るという内容。

中国では悪く言われっぱなしだけど、実態はこういうせつない事情だったんだよ的な話を李香蘭から聞いて帰った彼女。
おばあちゃんが「これを李香蘭に渡してくれれば何もかもわかる」と言っていた意味がわかった、という内容の手紙がテレビ局に送られてくる。

というような丸く収まった番組だった。
最近めっきり酒量が減ってる。老化か。

前夜、なんとなく小麦粉に水入れて生地を練って冷蔵庫に入れていた。
ずーっと前に作って冷凍しといた挽肉とかの具を入れてシャオピン的なものを焼いた。
それを肴にちょっと飲んで、22時前には床に入ったと思われる。
増田さんも同じくらいに寝たんじゃないかな。

夢は、不眠症かうつ病か、何かそういう神経的な病気について、アカデミックな感じで、かつ自分で体験してみて、納得してるような内容だった。
起きる前までクッキリ見てたんだけど、やっぱり起きたら忘れてる。

起きたのは4時前だった。たぶん尿意で起きた感じ。
トイレ行って、寝るにも4時寸前で中途半端だったので、増田さんの昼寝椅子に寝転がってみたけど、
どうもちょっと角度がついてるのが良くない。(むしろ反り返りたい)
しょうがないから諦めて活動開始した。(強烈に退屈を意識した)


2009年04月13日(月) 増田さんの鼾が止んでる時間が長かった(ときどき起きてたらしい)

昨日は家から一歩も出なかったな。
日光浴したほうがいいかなと思ったんだけど、夕方増田さんが図書館に行ったときも
ついて行かないで入浴したりしてた。

増田さんは図書館から帰って来たら、酢蓮?を作ってくれた。
それからお風呂入ってた。あがったら浴衣着てた。

笑点の途中の時間から晩酌。(増田さんはごはん)
麦とホップショート1と合成清酒。
肴:酢蓮、鮭にカレー粉とかパン粉とかついてる既製のやつを焼いたもの、三つ葉おろしネギ鶏フレークポン酢、きゅうり長芋はんぺんサイコロサラダみたいなの

増田さんは食後に布団敷いたら株の本読んでた。
私はパソコン前で焼酎お湯割りとか。
追加肴:かまぼことわさび、ごはんに木の芽塩昆布

寝たのは22時くらいなんだろうなあ。うたばんやってたな。
増田さんがまだ起きてて、同時に寝た。

夢では、松ちゃんと一緒にいた。
何故か靴を買ってもらって嬉しかった。
札幌のすすきのから中島公園に向かう西のはずれあたりのヤミ市跡っぽいところを抜けて広めの児童公園みたいなところに行った。
撮影がらみなのか、何か始まったっぽかったけどついて行けない気分だった。

死にそうな老紳士が寝てる布団の周りに何人もの男女が集まっていた。
私が口に1mmくらいの厚さの3センチ四方の薬(ロゴみたいな英語が印字されてる)を入れた。
促されて良かれと思ってやったことだったけど、どうやらそれって毒だったみたいで、
周囲の男女が、よしこれでOKよって顔してた。
その老紳士の遺産が問題みたいだった。

何人かの若い学者っぽい人がいて、その足元?で私はコドモと顔に何か描いて遊んでいた。
最初は口紅で唇を塗って喜んでた。
そのうち口紅で顔に唇マークとかを落書きしてキャッキャしてた。
さらに絵の具で顔に落書きを続けた。
拭くとすぐ取れるから水性なのかなと思った。
一人が、その絵の具はどういうの?って真剣に聞いてきた。
私はチューブを見せた。
何か体に悪いのかなあと心配になった。

起きたら5時ちょっと前だった。


2009年04月12日(日) さてハガキ書こう

昨日は、増田さんが午前中ヨドバシにプリンターのインクだかトナーだかを買いに行った。
私も掃除してから薬局行って、ヴィックスベポラップとか粘着クリーナーとか買って元我が家へ。
暖房つけて二人とも寝てた。夜間に寝られなかったってことかと思い、物置いて帰った。

八百屋に寄ったら立派なイチゴが150円だった。
八百屋のおじさんも「こんなのはそうそうないよ!」と誇らしげだった。
買って帰ったらさっそく、後から帰宅した増田さんに目をつけられ、お昼に食べた。
私の分を八割残して、夕方また元我が家へ持ってった。
その前にまた別のドラッグストアに寄ったらグロンサンが10本498円だったので買った。
今度は二人とも不在だった。
(相変わらず電気もパソコンもつっけっぱなし)
冷蔵庫にイチゴを収めて帰った。(グロンサンは元ダンナさん喘息のため室内放置)

ブラブラ酒価格なんかをあちこち見てまわって、18時くらいに帰宅して、
飲んだのはコープで買った麦とホップ(ショート4本)。

肴:豆乳鍋、茄子煮びたし、前日の残りのフキと筍とこんにゃく煮物

増田さんは薬飲みたいからゴハンだった。
ほんとによく眠れるらしい。
もともと普段薬飲んでないし、そもそも敏感だから反応しやすい。

めちゃイケつけたら中居くんが全国まわるやつだった。
半分くらい見て、パソコン前に移動。
(目の前でずーっと飲食してると増田さんに目の毒だから、移動しなきゃならない)

北の侯爵お湯割り飲んで、私が寝たのはたぶん22時。
しかしビール的なものを飲むと胃が限界を迎えるのがすごい早くなった。

増田さんの鼾をBGMに、夢はいっぱい見た。
増田さんとタンケンくんが北海道の真ん中らへんの小地方繁華街?のDJイベントに呼ばれていた。
夜景がきれいに見えるビルの上のほうで、地元の30前後の女の子が企画してやってる「大人のイベントです」ってことだった。
おしゃれ寿司とかが用意されてて、キタザワさんが真っ先に手を出していた。
カジムラくんもいて、ナンパしたいけどなかなかできず居心地悪そうにしつつ
別盛の寿司ネタ(特殊な押寿司の形状に合わせてネタが長い)をくるっと丸め取っていろいろ自分の皿に載せて戻ってきて食べてた。
私はカーボイハット?みたいなのを被っていた。平素と違ってイケてる装いをしていた気がする。
私と増田さんの部屋がとってあった。いい部屋だった。
でもイベント参加者が勝手に使っちゃってて、ベッドで休もうとしても足元に人が座り込んでたりとかして窮屈だった。
外人男二人がどうやら立ち去ったので、私はギリギリ足が伸ばせる状態になったけど
隣の増田さんは体を曲げていたので眠ることはできなかった。
朝になり、電車が動き出してる時間のはずなので帰ることになった。
窓際にある箱の中にマンガの古本がぎっしり詰まってて、増田さんが売れそうな本を持って帰ろうとした。
ガラスの仮面を十冊とか以上。
でもそれは私の元同級生のワタナベさんだかフジカワさんだかの私物だった。
増田さんから取り返してもとにもどしてる間に、増田さんたちがどこかへ見えなくなってしまっていた。
ともあれ翌日は会社だし、帰らなきゃならないのでとりあえず外へ出た。
パラパラと住居がある町並み。
古いトタンぽい家の二階を見上げたら、ちゃんと耳元の髪をカールして身づくろいしたインド人の女性が見えた。
よく見ると、インド料理屋とかが多い町だった。
北海道はいまインド人が多いのか、と思った。
そうこうしているうちに、人が多いエリアに到達した。
歩いてる女性に「すみません駅はどっちでしょう?」と聞いてみると
「あのビルの向こうです」とのことだった。
そっちを見ると、不二家のロゴの大きな電飾看板。
言われたとおりに行ってみると、JRの駅っぽい緑の案内板が出てる。
ちゃんと近代的な駅で、千歳船橋って名前だった。
窓口にて、千歳線で札幌経由で東京へ行く切符は1万いくらか。
でも乗ってみたら、高速道路上を走ってたので、JRじゃなくて高速バスなんだなと思った。
バスガイドというか車掌の女の人が「東京まで1時間20分の地点に到着しました」と言っていた。

1回起きたら4時過ぎくらいで、また寝なおして続きをみたような感じだった。
最終的には6時半起きだったのかな。


2009年04月11日(土) 元ダンナさんの喘息が心配

昨日もボチボチ。
でも開発環境がサーバー入れ替えとかしてて使えなかったので
午後からは暇つぶしの仕様書作成すらできず、キリキリしながら定時を待った。

地下鉄の中では「男道」に没頭し、無事自宅最寄り駅で増田さんと合流。
帰宅して、飲んだのは金麦ロング2。増田さんはゴハン。
肴:柳田の初鰹とアジ刺、ふきと細竹とひねりこんにゃくと油揚げに玉子落としたやつを煮たやつに木の芽、ちくわきゅうり、そんなもんだったかな

テレビ見た。なんだったかなー
ぐるナイやってなくて、TBSの報道番組見たんだったかな。
あとなんか野球とか。

そのあと増田さんが薬飲んで寝て、私もパソコン前で一杯二杯飲んでチーズ鱈食べて寝た。

夢は、新しいサーバーがあることに気がついて、何か欠かせない設定みたいなのをしてた。
あとは、アパートに住んでた。
部屋はそこそこ広いけど共同トイレだった。
引越しは2回目だったけど、都合でまた引っ越すことになった。
そしたら男二人に荷物を運び終わった部屋に閉じ込められた。
西日がさしてた。
二人はピストル持ってた。
私はとんがった棒みたいなのをどっちかから奪った。
それで応戦してたらピストルもゲットできた。
一人を思い切って撃った。何も考えてなくて、心臓付近に当たった。
もう一人と対等に揉みあった。
おなかかどっか撃たれたみたいで、そこらへんが熱くなった。
横たわる私の横に、もう一人撃たれた女の人が隣に寝てた。
救急部隊みたいなのがやってきて、まずはその人の体から弾を抜く作業。
次に私も抜かれるようだった。
服をめくられ、「あれ?」って言われた。
赤くなってるけど量が少ない。
見ると、私のわき腹には煮たイチゴみたいなのがめりこんでるだけだった。

朝日を感じて起き上がったら6時くらい。


2009年04月10日(金) 金曜日!

昨日は職場ではお父さんと増田さんの薬調べたり
私がアスペルガーかもしれないっていう指摘が気になってそれも調べたり(おさらいだけど)
一応画面開いてはいたけど、午後はほとんど働いてない。
週次ミーティングパスして帰宅。
途中で出かける増田さんと遭遇。なんか握手された。手を振って見送り。

コドモは19時過ぎに来た。
飲んだのは金麦ロングと焼酎お湯割り。
肴:ニラもやしナムル、増田さん作ポテサラ、ツナはんぺん、うるい御浸し

コドモにはハヤシライスと苺をつけて、うるいは出さなかった。
ニラもやしナムルは薄味だったから残された。

食べたら塾の宿題した。数学の確率とか超頭痛い。なんたら図っていうのを書いて何分の何、とかやってた。
あと国語の読みが異常に難しいのかいくつか。受験問題だから?
それから英語。こう憶えたほうがいいかな、それともこっちを憶えたほうがいい?とか聞かれた。
それから暗記に付き合う。棒読みだと憶えるのが辛いので、意味ごとに区切りを囲んだりした。

22時12分のバスに間に合うように、促して家を出て見送った。
前日は24時まで友達と短距離走の練習をしていたそうなんだけど
まごっち(孫くん)というその友達のお母さんが窓から中国語で怒っていたので、あんまり遅くなるとまごっち怒られるから、なんて言っていた。
眠いのもあって、今日はパス、と、まごっちにメールを送っていた。

私は帰宅してから独酌。あらびきウインナー4本ケチャップとマスタードつけて食べた。
そのうち増田さん帰宅。ねむーいって言ってた。
ハミガキしてすぐ寝た。
私も寝坊を懸念して23時半前に寝た。

夢では、大家族の家みたいなところの朝の様子を見ていた。
すごいたくさんの子供がわらわらいるけど、カバンなどは機能的にコンパクトなロッカーみたいなところのカバンかけからめいめいが取ってた。
みんながワーっと取って行った後のフックが一斉にユラユラしてるのがすごい。
場面は変わって丘の広場みたいなところにいた。
のんびりした辻音楽の演奏が聞こえるのはクラウンだかジャグラーだかみたいなのを目指してる大人がやってるようだった。
大家族の子が大きな二枚貝をまわりに散らばった人(家族とか私とか参加者)に向かって放っていた。
キャッチした人は中を確かめる。
私が最初に受け取ったのは空っぽだった。
二回目にまわってきたときキャッチしたのは中身が入ってて、あたりだよ〜!と叫ぶと皆が飛び跳ねて喜んで盛り上がった。
貝を焼くんだか食べられるようにする担当の人のところにそれを持ってくと、結構たくさんあった。これなら私も食べられるかも?と思った。
クラウン(素顔)の人が、十円玉を板みたいなところに並べて缶底で擦ったりして楽しい音を出すやつを首から下げてて、私に見せてくれた。
飽きたところで、別のクラウンの人がやってたゴムオルガンみたいなのを譲り受けて首から提げて演奏しながら皆と同じ方向にワイワイしながら駆け出した。
クラウンの人はちゃんと普通に音を出してたけど、私がやると、音が出たり出なかったりして、これなんかやり方あるんだな〜と思った。駆け回って楽しかった。

夢から醒めてないのに明るさでブチっと起きた。
慌てて時計見たら5時10分くらい。一瞬夢を忘れたけど思い出した。


2009年04月09日(木) もう半分夜が明けてる5時

昨日は朝一番でWEB更新依頼があったので、慎重にやった。
なぜなら、ここ10日くらいの間に、朝イチ作業で2回ヒヤリハットがあったから。
公開中のデータを間違って消しちゃったり(圧縮ファイルがあったから助かった)
メインフレームの若手さんのメッセージ行列全消ししちゃったり(確認したいメッセージが他の人のメッセージ行列にもあったからなんとかなった)

それ以外は特に依頼もなかったので、タラタラと仕様書作成。
合間にお兄ちゃんとメール(今日帰るけど聞いとくことある?)。
あとひかりONEの人からも電話があった。

それから増田さんの「大人のADHD専門病院行き」を気にしてた。
そこのクリニックでどんな検査がされるのか、ググってもほとんど出てこない。
唯一これかなあと思ったやつには、自己診断テストと問診、てなことが書いてあった。

帰宅して、ゴハン支度。
と言っても、増田さんが柳田で色々買っといてくれたので、ちょこちょこっと。
テーブルに全部並べ終わったところで増田さん帰宅。19時20分?

飲んだのは金麦ロング2と日本酒。
肴:柳田のしめさば、同じく刺盛、同じくホタルイカ沖漬け、魚の油漬け缶の油でフキを炒めたやつ、がめ煮の残り

検査でヘトヘトになって帰ってくるんだろうなあと思った増田さんは、案の定、声に力がなかった。
でも実はそれってリラックス状態ってことなのかもしれない。
なぜならお医者さんと話してADHDだと診断されたんだけど、長い会話の内容が非常に前向きだったというか。

あなたは今の仕事に就いてラッキー、だとか、奥さんはアスペルガーかもしれず貴方とは正反対のところにいるいい組み合わせ、だとか、もう既に治りかけてる、だとか、ADHD的なところはその職業的には有利だから生かすといい、だとか。
先生もたくさん本を出してる人なので、ADHD以外の人にも伝わる表現が難しくて、とかそんな会話もあったらしい。

噂に名高い知能検査とか、CPT検査?とか、PET?とかMRIとかそういうのはなかったらしい。
血液検査はあったけど、薬の処方の関係かなんかみたいだったと。
でも検査結果まだなのにデパス0.5処方されて持って帰って来た。
今日はお酒飲んだから飲まない。ってことだけど。
昼と夜寝る前に飲みなさいってなことらしい。
0.5だから大丈夫だと思うけど、依存になりませんように。

たぶん、テレビとか見てない。
いや見たかな、忘れちゃったな。
とにかく増田さんはスッキリ安らかに寝た。
私も22時前くらいには寝たと思う。
(なんだか昼間心配してたせいかプチ虚脱)

夢では、春休み前の中学生か高校生の女の子(昔の広末的な)が、何かを企てていた。
その子の学校での人間関係や評判は、先生も含め良好みたいだった。
先生のロッカー(ダイヤル式)からパウチした何かが書いてある紙?を盗み出した。
右上にNO.3207って書いてあって、それ以下の内容が全く違うダミーをあらかじめ用意してあり、それを重ねて持って歩けば校内のほかの人間にも怪しまれることはなかった。
女の子と企てを共有してる松ケンみたいな男の子がいた。
どっちかっていうとその男の子がプランをリードしてるみたいな感じだった。
盗んで来たのは地図的なものだったらしい。
ほかの生徒がガヤガヤしてる教室以外の部屋で、それを解析?しようとした(神社の縁日の賑わい)とき、男の子が罠に気付いた。
地図の持ち主の先生は、信頼している先生だったけれど、「騙された」と男の子は言っていた。
男の子はどこかに行った。
残った女の子と、もう一人多少関わりのある男の子。
そこにあったモニターをつけるかなにかした。
黒い画面にタバコの先か何かで火をつけたように焼けて穴が広がってゆき
そこにはこちらを見ている立ち去った男の子の不適な表情。
いままでの場面のプレイバック。
そこには、女の子が知らなかった場面も織り込まれてる。
男の子が仕掛けたトラップだった。

気がついたら4時ちょっと前。
増田さんの鼾がすごくて、手に触れてみたら少し収まって、でもまた再開。
早いけどいいやと思って起きた。


2009年04月08日(水) 水曜か

昨日は急ぎじゃない仕様書をやったり、やってるふりしてお祖母ちゃんの保険についてググったり。
定時に会社出たらお兄ちゃんから電話がかかってきた。

いまお祖母ちゃんの所に見舞いに来てて、通帳と印鑑預かったんだけどケイコにも確認しとこうと思って。
とのことだったので、なんか大げさだなと思って金額聞いたら三百何十万かってことで
これでお父さんがあてにしてるほど、お祖母ちゃんはヘソクリしてないことが判明。
電話代わってお祖母ちゃんと話したら、声は変わってたけど、声量がデカいし言ってることもまともだった。
今のお父さんより遥かにしっかりしてると思い、お兄ちゃんにそう言ったら、
うん、お祖母ちゃんはしっかりしてるよ、とのこと。

ついでに、暴れたっていうのは何だったのかと聞いたら、肺ガンだけど老人だから手術しないと決まったのに、
何かと処置があるのが嫌だった的なことに聞き取れた。(電話が雑音で聞き取りづらかった)
お祖母ちゃんは痛いこととかをもともと非常に怖がるから、針系の処置かなという気がした。

話した感じだと、もうお祖母ちゃんは死ぬ覚悟がほぼ決まってるようだった。
死ぬから、って言ってたけど哀れんでくれとかいう感じじゃなかった。
(前はあった>哀れんでくれ)

どうしようかな、来週末、遠い(歌志内)から非常に時間がかかるんだけど、
おばあちゃんのとこまで足を伸ばすべきかな…
正子さんが退院して家にいるということで、掃除とか洗濯とかしようと思ってたのは消えたわけだしなあ。

とかなんとか考えつつ、更に、お祖母ちゃんの保険のこと調べてて、
元ダンナさんの保険のことも思い出したので、地下鉄の中でメールのやりとり。
元ダンナさんは、前回私が指摘した、メールに点丸が入ってない(入れられない?)ことをコンプレックスにしたようで
一行しか打ってこないようになっていた。
どんな携帯でも「まる」って打って変換すれば出てくるよって教えたんだけど、読点句読点の概念自体が意味不明なのかもしれない。

自宅最寄り駅で増田さんと合流。
職安通りの魚屋にコハダのしめかたを教えてもらった話とかしながら帰宅。
飲んだのは金麦ロング3。増田さんはコップに一杯とゴハン。
そのあとAYAさんからもらった酒群の最後の砦、北の侯爵をお湯割りで。
肴:コハダ、ししゃも、がめ煮(練り物追加)、三つ葉ネギ鶏ポン酢

テレビはウエンツと山瀬まみが出てる新番組で、笑点メンバーと行く浅草巡り、みたいなやつを見た。
増田さんが行ったことある蕎麦屋が出て来て、おそばが美味しそうだった。
その次はなんだったかな。
踊るさんま御殿だ。
芸能人とその二世タレントとか、お笑い芸人とそのオカンオトン、みたいな単位だった。

ネットチェックして寝たのは22時になってない時間だったよな、確か。

夢は色々見た。

アパートに引っ越したんだか、とにかく住んでて、あるとき隣の部屋との境目に引き戸があって、それがずっと開けっ放しなことに気付いた。
隣ずっと人はいってないね、とか同居人(増田さん?元ダンナさん?)と話した。
噂によると、隣は自殺者が出た部屋だからしょうがないんだそうだ。
でもほどなくフリフリ付きのベッドが搬入され、ワンルーム(こっちとその向こうの部屋は二間)はいっぱいになった。
新住人はスレてない女子大生で、ブルーグレーのパーカで黒髪くせ毛で濃い顔。吹石なんとかを素人にしたような。
なぜかパンパース的なものをいっぱい抱えてるなあと思ったら、部屋がほの臭い。
よく見たらベッドの頭のほうにベビーベッドがあるようだった。
赤ちゃん持ちの女子大生かあ、と思った。
とりあえずニオイ対策で、境目の引き戸を閉めようと思った。
開けられないようにつっかえ棒をしておこうと長い棒を探した。
私はつっかえ棒の使い方をよく知らない。
そうこうしているうちに、小劇団の演劇会場にいた。
私は空中遊泳をするみたいだった。
いくつかある選択肢のうち、それが一番マシと思って自分で決めたんだった。
蛍光緑色の文字の形を胴体にまとって、何かを言いながら上空をスイーっと行くのだった。

次の夢では、母とその母にお土産を持っていかなきゃっていうことで、アケミちゃんと地下から三越に入った。
アケミちゃんは「うすまん」のセットを買ったけど、私はもっと吟味して本当に喜ばれるものを選びたいと思っていたので
上の階に行こうと提案した。
提案しつつ、頭の中で商品セレクトしていた。

起きてトイレ行って時計見たら4時20分。


2009年04月07日(火) コドモは昨日から中3

昨日は、金曜の帰り際にCさんが疲労困憊顔で「仕様書急ぎでお願いしたいんですが」って言ってきてたやつを。
ざっとみたところ行数少ないから大丈夫だなと思ったけど、始めてみないとわからないところもあるので、ガーっとやっちゃおう。
と思いきや、同じく監査対応系の固定資産管理的なドキュメント更新依頼が若手さんから。
お昼休みの買い物を比較的急ぎめに済ませて集中してやって13時半くらいにはそれ提出して
そのあと件の仕様書3本をダーっとやって16時。
いい具合に時間が残ったから株価とロイターと外為とmixi見た。
あと北海道にお父さんの様子見に行ってるお兄ちゃんから着信あったので電話。

お兄ちゃんは、私の短いメールでしか様子を知らなかったと思うので当たり前なんだけど、衝撃受けてたっぽい。
でも私の妄想のほうが激しかったみたいで、お父さんはとりあえずお兄ちゃんを認識して
スラスラじゃないけど会話ができるらしい。
金くれって言われたとかでビビってた。
そういう情報は覚悟が決まるから、第二弾の私としては非常に有難い。

正子さんも数ヶ月前に電話で話したときよりは、相当キテるみたいだ。
偶然昨日退院させられた日だったそうだ。
正子さん的には「追い出された」という印象なのらしい。
そして帰宅したら、おばあちゃんが病院で暴れて付き添いさんがもう無理と言っているという手紙と、カード支払い遅延の手紙が来てたとかって。
カード持ってたとは。年金なのに作れるのか。

とりあえず定時に退社して自宅最寄り駅で増田さんと合流して荷物持ってもらって帰宅。
フキが安かったので買ったんだけど、それをとりあえず水煮にするのに手間取った。
二品しか作ってないのに晩酌開始が30分近く遅れる。
飲んだのは金麦ショート缶と元禄美人ていう合成清酒。増田さんはゴハン。
肴:増田さん作がめ煮、温奴オクラ鶏ニラだれゴマ油、たたき長芋酢醤油わさび海苔

テレビはTBSの報道のを見た。北朝鮮とか半島問題とか。
後片付けは増田さんがやってくれて、私はがめ煮おかわりで元禄美人飲んだ。
で22時くらいに寝た。増田さんは既に寝てたみたい。

夢は、二つ憶えてたんだけど一つは朝方忘れて、憶えてるのは、知り合いの阿部寛一家のサロンみたいなところにいる夢。増田さんと一緒だったと思う。
リビングは5人くらいが適度な人口なので、人が1階と2階で適当に循環するという暗黙のルールを守ってた。
さっきも何かご馳走食べてたと思うんだけど、阿部ちゃんの奥さんがみんなにデザートか飲み物を出そうとしてる。
誰かに「りんごにも氷入れる?」と聞いてたので、りんごにも氷を入れるんだ〜と思った。
そのあとみんなで外の店に行ったりしてた。アップルパイとかありそうなウッディな店だった。
阿部ちゃんは客人全員に目配りしてて、私達がちょっとマイペースにはずれで行動していたら、
さつまいもパンみたいなのを持って半分に割ってカウンターで待っていた。

起きたら4時35分。


2009年04月06日(月) 今週は8・9・10のイベントを心の支えに乗り切ろう

昨日は家から一歩も出ないで過ごした。
増田さんが久々にパイ投げ売れたから秋葉原に納品に行ったけど、付き合わなかった。
その間、本読んだりとか入浴したりとかしてた。

昼はナス豆カレー、夜は笑点見ながら晩酌始める予定が、気がついたらバンキシャの時間だった。
飲んだのは金麦ショート缶3本と焼酎お湯割り。増田さんは前日のハシゴ酒(+家飲み)が残ってるとかでゴハン食べてた。
肴:牛葉にんにく青梗菜戻し椎茸オイスター炒め、水菜と油揚げ煮浸し、細切りきゅうりと鶏とネギのポン酢味、チーズ、増田さんがくれたベビースター

昼も見たけど北朝鮮ニュースとかが主だったかな。
番組改変期で、いつもの番組がぜんぜんやっておらず、B級グルメがどうのっていうスタ誕みたいなのを見た。
各地の色んなB級グルメをコンビニとかファミレスの企画の人が試食して、良ければ商品化するみたいなやつ。
意外と面白くないこともなかった。
私の方が先に眠くなって、22時に寝たのかなあ。

夢では、コドモが小さい頃かわいがってたお人形の目じりがお乳みたいなもので汚れていた。
私の服の袖でぬぐってみたけど、顔もちょっと黒く薄汚れていた。
コドモも傍にいて、こっちもなんだか同じような汚れ方してた。
お湯を絞ったタオルみたいなのを用意して両方の顔をぬぐった。
一階で母もいて、明日は平日だった。それぞれ仕事や学校がある。
コドモに、もう寝なきゃ1時半だよ、って言ったら、えーもうそんな時間なの!って驚いてた。
2階で布団敷いて寝る準備してた。
頭はどっち側がいいかな、朝うるさいから台所と反対側がいいか。とか考えたり意見求めたりしながら。
母も2階に上がって来て、空いてるところに布団を敷いた。
私もこっちで寝ていいかい、ということで、そうだねそれがいいね、と返事した。
朝方になったのか、なんか重たい気がしたりして目が覚めたら、コドモが私の上に腹ばいになってた。
面白い顔をしたりしてて、あ目がパパに似てるなやっぱり、と思った。
おなかすいたラーメン食べたい、とコドモが言った。
おなかすいてあんまり寝られなかったんだうち、とも言った。
甘えに応えられるのが嬉しくて、なんか弾んだ気持ちで、はいはいじゃあ作るわ、と私が言った。

時計見たら4時45分だったので起きた。
一ヶ月会ってないからコドモ切れなんだな。
今日からコドモは新学期だ。
春休み中会えなかったけど、結構みっちり友達と過ごしてたみたいな気配。
私がメールしても(前からそうだったけど)あっさりしてる。
もうすぐ15歳になるんだもんな。
私は15歳のころ、処女を捨てるのが目標だったよなあ…


2009年04月05日(日) いつになったら当たり前になるんだろう

昨日は、10時に出発してどこ行くのかと思ったら、駒込で下りてミッシリした庶民的な住宅街をウロウロウロウロして
染井霊園というところを散歩した。

駒込に行くのに市谷から地下鉄に乗ったんだけど
外堀の桜の花を見たら、二年前の同じ頃、コドモと私と亡くなったバアバと散歩して
ここで写真撮ったんだよなあ、なんてことを思い出した。
コドモとバアバの2ショットで、コドモはいつものように笑顔全開、バアバは控えめながらも幸せ絶好調な表情だった気がする。
ちょっと泣いた。てか今また思い出したら鼻がツーンとしてきた。

そんな経緯があったりして、満開近い桜を見てると色々思い出した。
東京はこの時期、毎年ほんとに桜だらけで、桜といえば東京なイメージがあるんだけど
そういう東京にも最初は疎外感とか敵意しか覚えなくて、それがここまで親和的になれたのは
なにもかも、元ダンナさんの存在のおかげだったなあとか。

そういえば堕胎直後に雑司が谷のお寺へ元ダンナさんと水子参りに行ったとき、
あのときも桜満開だったなあ、いやむしろ花びらがたくさんヒラヒラしてたかなあ。

あのとき、なにやらやたら無表情で、涙とかはとっくに枯れて、ポッカリした脳のどこかに
どうにもならないことがある、ってなことを刻んだんだよな。

コドモが生まれた翌年かな、花見に行こうよって誘っても
元ダンナさんにとってはあんまりそういうことが意味なくて、あっさり拒否られて
一人で神田川沿いをベビーカー押して歩いたよなあ。
あ、一人じゃないか。
でもまだ意志の疎通が図れなかった頃だから。

成長したコドモもまた、ダンナさんと同じようなタイプだったんだよなあ。
あんまりそういうのに盛り上がらない人だった。
子供はみんなそうか。

そんな感じで何年かは桜といえば寂しい感じだったけど、近年、離婚する数年前くらいからは
上野の夜桜見ながら焼き鳥食べたり、同じく夜桜の飛鳥山でシート広げて焼き鳥食べたり
どんどんビール買って来てくれたり、なんでかな、変わって来てたんだよな。

そうか、一時期3年くらい私とダンナさん口きいてなかったもんな。
私が自分の浮気をバラしちゃって以降だから30歳から33歳くらいまでか。
その後も1年か2年くらいはそんなに慣れ慣れしい口はきいてなかったんだっけ。
やっと平和になってしばらくしていきなり私が勝手に終わらせたんだな。

今年は桜見ても昨年の半分くらいしか罪悪感が湧いてこないなーと思ってたけど
すっかり思い出してしまった今、昨年の7割くらいは蘇っちゃったな。

歩き疲れもあったけど、脳内がそんな展開だったので
散歩中けっこうムッツリボンヤリだったと思う。
でも増田さんはオールアバウト用の写真撮りまくりだったから、差し支えなかったはず。

飛鳥山まで歩いて外側から写真撮って、都電(巣鴨地蔵参りと花見客で満員)に乗って町屋へ。
駅ビル地下の「ときわ食堂」でコロッケとかメンチカツとか茄子しぎ焼きとか○○(忘れた)揚焼きとか味噌ぬたとかでビール。
(すっかり平常心回復)

そこから京成線で上野へ。
やばいな、家族でお花見したところじゃん、と思った。
でも昼桜なせいか、大丈夫だった。
それに写真撮ったらわりとすぐに移動。
銀座線で浅草。

浅草は隅田川沿いで桜を撮った。
公園はお花見宴会でミッチリ。
人数少なくてもビニールシートはデカいほうがいいんだなということを学んだ。
なんか普通のレジャーシートの人たちは全員眉間に皺が寄っていたから。
やっぱり人がずんずん歩いてく足元至近距離で飲食するのはストレス溜まるよね。

増田さんが行こうと言うのでホッピー通りへ。
「もう限界〜ってなっちゃいますよ?」って何度も言ってみたんだけど
「ぜんぜん大丈夫だよ!」といつものハッタリをかますので
だったら見せてみろよということだった。

そしてアルコール度数が何を意味するのか未だに理解しようとしていないため
増田さんは電気ブランを注文。
でも結局私が飲むことに。甘い酒好きじゃないんだけど。

ちなみに入った店は幸司で、煮込みがおいしかった。
ゆでこぼしを何度もしてある感じで味付けが濃くなくてスジ肉を楽しめる感じの。

地下鉄の中で、案の定増田さんは寝ていた。
(これまた「寝ていいですよ」と許可を出されないと寝ないというめんどくさいルールあり)

駅からフラフラ歩いて帰宅して、布団を敷いたら増田さん本格的に就寝。
私はなんか、おなかも空いてないし、そんなに飲む気もしなくって、ただ退屈持て余し。

19時くらいに増田さんが起きてる気配だったので、一緒にテレビを見て暇をつぶした。
アド街とか。
終わる頃には増田さんが追加酒でヘロヘロになっててすぐ寝た。
(ていうかアド街が柳橋だったので、眠いんだけどガマンして見てた)

私はまだ寝られなくて、本とかちょっと読んで、ためしに寝てみるかって感じで寝た。
ほんとに外に行かなくなった。
軽く億劫でさえある。
衝動みたいなので動けなくなった気がする。
微妙に自分が心配だ。

夢は見た。
高速バスに乗ってた。
なんかの撮影が終わって皆で乗ってたんだと思う。
出演者のアケミちゃんの家(豪邸)に行ったら、いつのまにかアケミちゃんと仲良くなってたみたいでキクネちゃんがいた。
製作会社の持ち物のエアコンの修理をアケミちゃんちが引き受けて業者呼んだりしてた。
難航するみたいだったけど、とりたてて急いでもなかった。
私は帰るんだけど、何かの成り行きででっかい渋い花瓶をもらうことになった。
出ようとしたら製作会社のADみたいな人が、打ち上げか何かで「撮影のときは安いとこに泊まったから、いいホテルに泊まろうってことになって」
と打ち上げに参加表明していたアケミちゃんとキクネちゃんを迎えに来た。
なんか白いやわらかいお菓子も差し入れに持って来てた。
なんか家を優先するあまり損しちゃってるかなと思いつつ、地下鉄に乗って東新宿駅を目指す。
でも本読んでたら西早稲田まで行っちゃった。
幸いすぐ気付いたのでそこで降りて向かいのホームから逆方向の地下鉄に乗って戻る。

なんかもうひとつクッキリ見た気がするんだけど、起き上がったらすっかり忘れてた。
増田さんが「がっちりマンデー」つけてくれた。


2009年04月04日(土) 10時から出かける

昨日も暇だったので仕様書やってたけど、飽きちゃってググったりロイター見たり外為天気予報みたり。
あと久しぶりに占いも見まくった。迷いがあるときか超暇なときなんだな、見るのは。

定時に退社して自宅最寄り駅で増田さんに荷物持ってもらって帰宅。
キムチ鍋ができてて、柳田のお刺身を盛り付けて、コップとか酒とか出したら18時半てとこ。

飲んだのは金麦ショート缶2本と合成清酒。
肴:キムチ鍋、まぐろ刺にオクラと納豆添え、イカタコ尼エビ鯛貝トロとかの刺身盛り合わせ

キムチ鍋には鱈とか蛤とか豚とか白菜とかニラとかシメジとか入ってた。
最後に増田さんが辛ラーメン入れた。
それ食べながらダラダラ飲み飲み見てたのは、TBSの小林マヤ?の報道番組。
その人が出てくるとなんかバラエティっぽくなる感じだった。
あとはベッキーの素顔を明かすみたいな金曜日のスマたちへ。
面白かったんだけど増田さんが寝たから消した。
それからアンケートとか少しやって寝たんだな。
日本酒残して。

夢は、誰か若い男(髪型がモサい)のPCにAPI的なものをインストールしてあげてた。
「テストするまでもない」と判断してすんなり終わった。

あと、なんのことかわからないけど「あいちゃん ゆうちゃん ○○ちゃん」

それから、なんかのイベントに行ってた。
インド人か誰かの屋敷みたいな場所だった。
受付(3階?)みたいなところを出ると、灯りがオレンジの部屋っていうか通路っていうかロビーみたいなとこで
キャビネットがあって、そこの下からカサヤさんが袋菓子を幾つも取り出した。
何を持ってっても平気なので、全部持って行こうよということだった。
全部外国製みたいだった。私はドライフルーツがいい!と言おうと思った。

旅館だかホテルだかで何かアダルトなイベントやってるみたいだった。
3階の宴会広間みたいなところの入り口でホリエくんと会った。
会社のなんかなんだろうか。
法律で何時以降はやっちゃダメってなってるので、深夜になると出入り口は閉ざされた。門とかにも鍵かけて。
でも夜が明けて、近所の小学生が登校姿でおじいさんと寄りに来たので、
ほんとはいけないんだけど、なじみの従業員男性がこっそり門ていうか柵?の鍵を開けた。

起きたら意外と5時半とかだった。


2009年04月03日(金) いやな夢だったなあ…

昨日はTさんの顔を1回も見てない。
メールも1回カーボンコピーで来ただけ。
どうやらサーバーのメモリ増強の任務に夢中のようだ。
たしかにスペック的に足りないと思う。(しかもどんどん逼迫してきてる)

することないときは仕様書。
そしてたまにmixi。(自分の中では喫煙する人のタバコ&雑談時間と同じと捕らえてる)
あと振り込みとか、外為の返金とかもやってたな。
昼休みには口座から口座へお金を移して、ちょっと計算してみたりとかもした。
目標的なものも立てたりして。(細かい計算とかできないのでかなり大雑把に)

まだ働き続けるとして、今年はボーナスが減るだろうから、その分なにかで補填したいなあ。
外貨とか株とかは、いつか上がるだろうけど、動かさないで金利とか配当とかで生活費の足しとするには
とにかく資本が足りなすぎなんだよな。
何か考えよう。

待ってましたと定時に退社して、増田さんに自宅最寄り駅で荷物バトンタッチ。
鍋スープ(豆乳鍋×2、キムチ鍋×1、各71円)が入ってるから重い。
でも鍋だと作るの難しくないし、増田さんの夕飯作成の負担が軽くなるだろう。
あ、買い物は大変かな?

飲んだのは、懸賞であたった金城アニキの発泡酒だか第三のビールだかのショート缶2本と日本酒を二人で。
肴:増田さん作肉豆腐、同じくポテトサラダ、オクラ納豆、水菜ナムル、カクテキ

肉豆腐、私的にはかなり美味しかった。
でも増田さんは牛の脂身がキツかったみたい。
ポテサラはもう定番化。
(あと「けんちょ」と「がめ煮」と「角煮」)

今日テレビ見ないの?って言われて思い出したようにテレビつけた。
何やってたんだっけ。あ、キーパーソンみたいな人がたくさん出てるやつ。
篤姫の脚本家とか、アルパカを起用したCMのディレクター?とか。
あとデコ携帯とかデコパソコンとかのデコを最初にやったとかいう神戸の人とか。
一般人だから、やっぱり画面に出ると輝きが違うよね、芸能人とは。
とか思った。内容はある程度興味深かったけど。

そのあと焼酎お茶割りとか飲みながらパソコン。
(鍋いっぱいだった肉豆腐は一人で全部たいらげた)
トイレ(出なかった)で「イグアナの嫁」を読んだりとかもした。
そして22時前に増田さんのイビキを聞きながら寝た。

夢では、親戚?のところにいるみたいだった。
似てないけど、母方のおばあちゃんなのかな?
おばあちゃんが自分のとこで作ってるトマトを畑から抜いてきて鉢に入れたのがいくつかあった。
私は枯らしてしまった何かの作物の茎みたいなのを、意味もなく、台に敷いてある土に挿し込んでた。
そして誰かの発言から思いついて、トマトを譲ってもらってうちで育てたいと思った。
トマトって高いし、このトマトはものすごく美味しいし、けっこうたくさんあるし。
ただ育て方には自信がなかった。でもかなりずうずうしく、くれないかくれないかと意思表明していた。
でも権利者であるおばあちゃんはそのときその場にいなかった。
私は興奮気味だった。

次の夢では、信頼できる身内(一人は増田さんだと思う)と3人連れでイベントに行ってた。
たぶんロフトプラスワン。(でも広い)
食べ物付きだった。いろんなプレートランチ?的なものがあって、ぐるっとなってるカウンターみたいなところで並んで
好きなのを1個選んで取ってくるシステムのようだった。
3人のうち、私は最後に遅れてテーブル席を立った。
テーブル下の棚?に置いた荷物が心配だった。
最初左側から並んだけど、実は右側に列の最後尾があるように見えて、自分の順番(プレートを取れる)が来てるような状況だったけど、並びなおした。
よく考えると、右と左は別の行列だったような気がしないでもなかった。
列が消化してようやくプレートがならんでるカウンターに届いた。
うーんどれにしようかなー(みんなのってるものがバラバラ)決められないけど、なんとなくこのアボガドソース的なステーキみたいなのでいいかな…
と思ってつかんだら、後ろから伸びてきた手が私が取ったプレートに触る。
後ろに並んでる米倉涼子の手だった。
じゃあいいや、今カウンターからきれいな寿司が出てきたし、とそっちを手にするとまた米倉涼子がそれをつかもうとしてくる。
今度は揉みあいっぽくなって、お寿司はひっくり返ってぐちゃぐちゃに。
さっきから何すんのよ!?ってことで、私は憤った。
もういいよ!と席に戻ろうとしたけど米倉涼子がまだ挑み顔だったので上腹部を押し戻すように小突いた。
そしたら、なんか予感はしてて怖かったんだけど、案の定、米倉涼子は妊婦で、「ウッ!」ってなって流産するっぽかった。

うわー最悪…と思って目が覚めたので時計見たら、4時45分くらいだった。


2009年04月02日(木) 後ろモレはしてなかったけど横モレしかかってた

昨日は4月1日ということで、朝礼があったり新しい人が来たりした。
私が担当の課にも一人来て、その人のPCセッティングした。
旧PCにプリキュアファイブの小さいシールが4つランダムに貼られていた。
他にも色々と小さな娘がいる形跡があったりして、いいお父さんなんだろうなとホノボノした。

午後はノーツの設定しに日本橋。
上長さんに何か言われたらしくて、Tさんは今度は事前にテストしてくれていた。
なので4台とも、ものすごくスッキリスンナリいった。
時間が30分くらい余って、ダンボール捨てたりパインジュース飲んだり手帳に会社の休日書き込んだりした。

17時になるとTさんらは会議に消えた。
なのでフライング気味に帰れた。
だから柳屋の行列に参戦して鯛焼き購入。
浜町から地下鉄。
それでも自宅最寄り駅には10分くらい早く着いたので、八百屋に行ってみたらもう?閉まってた。

交番の前あたりで増田さんと遭遇。

飲んだのは日本酒と一番搾りの見本缶。
肴:増田さん作豆乳鍋、柳田のしめさば、柳田のスルメイカに納豆と刻み海苔

豆乳鍋(市販スープ)って初めて食べた。
煮え煮えになって味が染みてくるまでは結構薄味かなって感じだった。
増田さんが、美味しいねえって気に入ってた。
71円ショップにまだあったら買って来よう。

テレビは毎日かあさんを見た。案の定、声が気に喰わなかった。
「部屋やっぱりいっぱいあるんですねえ」とか「庭があるんだねえ」とかコメントしながら見た。
既存の高須クリニックCMに母さんがハメコミ編集で2ショットほど出てた。
それが二回ほど流れた。物凄い「したり」顔で二回とも面白かった。

アニメ半分、芸能人と幼稚園児が出てくるバラエティ部分半分の1時間番組だった。
サンスケ先生が母さんとも父さんとも知り合いだったそうで
父さんが亡くなったときショックを受けていた、とかって増田さんが言ってた。

パソコン前で金麦ロング飲んだ。
会社付近のつるかめランドで145円(うちの近所のカクヤスだと50円アップ)で買ったやつ。

やっぱりビール的なものを飲むと心が安らぐと思う。
重いけど、平日のうちに買いだめしておかなければ。

理由は定かじゃないけど、することがなくなったか何かで21時台に寝た。
増田さんはとっくに電気つけっぱなしで熟睡してた。

夢では、サーバー上にある特別なツール?を共有する設定か何かをしていて
クライアントPCそれぞれにショートカット的なものを作ったりしていたんだったか。
そのあと?なにか黒っぽいプラスチック製品の形を見てて
ここ(まんなかにスーっと浅いくぼみ的なラインがつけてある)が気になる、と私が大竹しのぶに言った。
どれ?って言うので、ほらこれみたい、と大竹しのぶの人中を指さしたら
勢い余って軽く爪がひっかかっちゃったみたいで「いたっ」と小さく言われた。
でもたいしたことはなかったので、笑ってごまかしつつ話にもどった。
私はまだそのくぼみに興味しんしんだった。

なんだかキッパリ覚醒したので時計見たら3時53分とかそのへん。
ちょっと早いかと1回布団にもぐったけど、後ろモレが気になって起き上がった。


2009年04月01日(水) 今日は曇りかな

昨日は、退屈だなあと思って仕様書作ってたら、Tさんがやってきて
ノーツの設定しに日本橋に行けって。
なんかTさん、ノーツの設定方法忘れちゃったらしい。
ていうか、私だってマニュアル持って行くんだけど。
Tさんがマニュアル見てやってもいいんじゃないかって気がしてならないんだけど。
Tさんはどうせ日本橋行くわけだし。

Tさんがサーバー側にID登録してIDファイルが発行されるの待ってたら、出発が30分遅れたため
日本橋へは普通に地下鉄乗り継いで行った。

なんか知らないけど同じことやってもうまく行ったりいかなかったりするノーツの謎。
どうにか3台はできたけど、最後の4台目がどうしてもエラーになる。
サーバー側の登録とかサーバーの建て方とかがおかしいみたいだった。
そんなこんなで巻き込まれて1時間ほど残業。
最終日なのでフライングで作業報告してあるけどそれには定時で帰ったことになってる。
まあいいんだけどさ、あの場面で私が残っててなにがどうってことないのにTさんテンパってるから。
イライラするとものすごい態度に出るし。(電話の出方とかもひどい。上司とかだったらどうするんだろう)
こっちが正論言ったりムッとした声出したりすると収まるけど。

遅くなったから帰りも普通に地下鉄乗り継いだ。
家では増田さんが雑誌のコメント電話してた。
熊田洋子のくびれがどうので死ぬほど圧迫されたいですよねとかなんとか。

飲んだのは赤ワイン。
肴:増田さん作ビーフシチュー、ツナサラダ、スナップえんどうにサウザンアイランド、チーズ、黒オリーブ

昨日も朝、夕飯何食べたい?って聞かれたんだけど、
朝ごはん食べておなかいっぱいのタイミングで聞かれてもなかなか思いつかないと言ったら
自主的に考えて作ってくれたのがビーフシチューだった。
フランスパンも買ってきていたので食べるのかとおもいきや、意外とゴハン食べてたな。

テレビはビューコロの芸能人スペシャルみたいなの。
杉田かおると、女お笑い芸人二人と、なんとか直美(ビヨンセ)と、渡辺絵美が、名のあるダイエットをしていて
だいたいみんな10キロづつ減ってた。
あ、一番パフォーマンス良かったのは浜田ブリトニーだった。
食前にキャベツを食べるダイエット。42キロとかになってた。
小さいからそんなにガリガリじゃないけど。

テレビを最後まで見たせいか、寝る時間が遅くなった。23時。
夢では、なにか物語の続きで大人の三姉妹のところに行ってた。
二人はハーフみたいな感じでカタカナの名前だった。
ちがいます、私は○○。
とかって名前を言われたような。
他にも見たんだけどなんだったか忘れたな。設定の夢だったかな。

時計見たら5時10分。