「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年07月31日(月) 心のファシリテイターとして育つ会 2017年7月号

心のファシリテイターとして育つ会7月号

みなさんこんにちは。心のファシリテイターとして育つ会のMamoです。いかがお過ごしですか? いつものように毎日の暮らしの中におもしろいことを発見しつつ暮らしている私。今月は二つの話題を書きます。


<失敗を恐れる時の自分>
何か新しいことをする時に失敗したらどうしようと思うことはありませんか?もしあなたが今頷いているのなら、私も例に漏れないうちの一人です。

私は7月からヨガインストラクターとしてフィトネスジムで働き始めたのですが、初日の日にちが遠いうちはなんでもないと思えていたのに、初日の日が近づくにつれ緊張が増してきたんです。このような経験、きっとどなたにもありますよね。初対面の人が集まって自分の自己紹介の順番を待っている間、クラスでプレゼンテーションの順番を待っている間、不思議なことに待ち時間が長ければ長いほど、心臓の鼓動が高まるんです。

だけど、私たちがこんな状況の時いつも不安になるのは何故なんでしょうね。待っている時間にこそ、ああしようこうしようと本番をイメージして楽しむことができたらいいのに。

私にとってその原因は明らかでした。それは、第一に私の中の自発性が育っていないから。第二に、頭の中でマイナスの想像が大活躍するから。

自発性はわたしが1歳を過ぎた頃から育ってくる予定でしたが、わたしは大人の考えに沿って動くことを強いられたために、自分のしたいことが分からない大人になりました。40歳前まで、わたしは誰かの意見に沿って動くには上手ですが、自分からアイデアを発掘したり、自分で何かしなさいと言われるとどうしていいかわかりませんでした。ですから “その時” を待っている間じゅう、相手は何を望んでいるだろうか、私のアイデアは相手の意に沿っているだろうかと不安で仕方がなくなるのです。

二番目に挙げた、マイナスの想像は、多かれ少なかれ未解決のトラウマを持ったまま生きている私には得意な分野です。なぜなら私たちは物事を、過去の経験を基準にして捉えますが、多くの場合私たちの意識は、苦くて悲しい経験の方に向きがちで、新しい経験をする時にもついつい、<前にもこういうことがあったし、あの時はこんな風に失敗した>と思ったようにいかなかった自分を思い出して、また今回も前と同じようになったらどうしようと考えるんです。

マイナスの想像を促進させる原因として、<読心術>というものもあります。
読心術とは、現代用語でいうと<空気を読む>ということでしょう。相手の顔の表情や体の動きから相手の心理を読もうというものです。

もちろん、ホワイトライ(善意の嘘)のように空気を察して相手に心使いをしたい場面が私たちの日常には多々あります。読心術をプラスに利用できるならば、私たちは周囲の人と良い関係を築き社会生活をより楽しむことができるでしょう。例えば日常で、思いついたことをすぐに言葉にせず、その場の雰囲気を読み、今ここで語るには相応しいかどうか吟味した後に伝えることができたら、私たちは本当に言葉を介して人々との関係をより暖かいものにすることができますよね。

しかし逆に、この読心術をマイナスの方法で利用してしまうなら、私たちは常に周囲の視線を気にして身動きの取れない毎日を過ごすことになりますね。例えば目の前で眉間にしわを寄せている彼や彼女、もしかしたら、目の前の彼/彼女はその人自身の問題で苦しんでいて笑顔を忘れているだけかもしれないのに、私たちは自分に何の落ち度があったんだろうと一生懸命考えてしまうのです。

このマイナスの読心術は私たちが子どもの頃に育てられるのです。例えば、わたしは子どもの頃「そんなことすると、○○に笑われるよ」、「○○すると、○○に怒られるよ」という言葉を度々聞かされました。何かに失敗したり、誰かの意にそぐわないことをすると自分は笑われたらバツを受けるのだと長い年月をかけて学び、他者の表情や動きによって自分を評価するという間違った方法を、まるでそれが自分の考えのように取り込んでいたのです。

ちょっと話が逸れましたが、そんなわけで、ヨガクラスの初日本番を迎える前の私はそんな自分に気づくまで、これまで一度も会ったことのない人々の意に沿わなかったらどうしようかとドキドキしていたのでありました。大変なエネルギーの消費量ですよ。このエネルギーのマイナス消費のおかげで数日間便秘になりました。


そこで私のしたことは、二つ。
一つ目は、スキルリスト(これまでに達成できたことや長く進めてきたこと)を自分に浸透させること。二つ目に、自分に安全な人々を探して彼らに多くの質問をする、ということです。「私はうまくいくと思う?」「このポーズはどう?」「私の英語はどう?」。不安の材料になっていることを次から次へと、自分にとって安全な人々に尋ねて歩くんです。実際には二つか三つも説明すれば、自分の周りには新しいことをしようとしている自分を脅かす人はいないんだと気付くのですが。笑。そして、「あー私ってお馬鹿ちゃんだったなー」と自分を笑ってそれから、今の自分に必要な言葉をかけてあげるのです。

<恥中毒症>

人間に失敗はつきもの。この、人として当たり前のことを、誰が笑ったり非難したりするのでしょう。確かに世の中には完璧主義に囚われた心ない人がいるのも確かですが、そのような人がいつも自分の周りにいるとは限らないですよね。しかしわたし達は本当にこの苦しい魔術の世界にとらわれてしまうのです。

このような状態が長く続いていることを、心の専門家たちは恥中毒症と読んでいます。「自分は自らの行動のせいでよく恥ずかしい目にあう」という固定観念を持っていて、例えば実際にたまたまなにかミスをして恥ずかしい思いをした時に、ほらやっぱり。。と思うのです。正確には、個の時の恥ずかしい思いも自分自身の中から湧いている場合が多いでしょう。米国心理療法家でインナーチャイルドワークの一人者と言われている John Bradshow は彼の著書 Home Coming の中でこれを中毒性の恥と呼んでいます。

恥中毒症の固定観念はいろいろな場面で自分の行動力を狭め自分に限界を設定し、一度しかない人生をつまらないものにしてしまうんです。もったいないですよね。それに、そんなヘンテコな恥を感じなければ、いつだって新しいことを試すのが楽しいはずなのに。この恥中毒症の固定観念がどこからやってきたのかは、前述したように私たちの子ども時代の経験を思い返すことで答えを見つけられるでしょう。もしあなたに何か思い当たることがあるならば、その糸口をたどってみるのも楽しいかも知れません。

自身のマイナスの面にきつくことは悲しいことではありません。わたし達は変わろうと意識することでいつでも自分を変えていくとが出来るからです。例えば、いつもマイナスの想像の中で生きてるなと思ったら、朝起きた時に「今日1日マイナスの想像をしない自分でいる!」と意識することで、それだけでも違うでしょう?言い方を変えて ("ない" を使わない表現にして)「今日1日、プラスの想像をする自分でいる」と決めると、もっと効果的な気がします。だって、そう言葉にした時点ですでに私たちは、昨日までのマイナス発想の自分とは違う自分になっているんです。そうした、プラスの自分が、新しいことに取り組む自分を応援するのです。素敵なことだと思いませんか?


ご意見ご感想をお待ちしています。

この会の名前になっている、"心のファシリテーターとして育つ会" には、人々が心の育ちを促進し合うという意味が含まれています。(ファシリテーター=促進する。日本でNPO Gobamcan を立ち上げ不登校の子どもと親ごさんを対象にしカウンセラーをされていた Haydo の立ち上げたものの、名前をお借りして継続させてもらっています) とかく経済主流の社会に巻き込まれがちな現代社会ではありますが、感じていることを少しでも言葉にし、さらに人々と語り合うことで心の勉強がより深いものになると信じています。

(生きてくる中でトラウマがひとつもない人はいません。私が実際に取り組んだ/取り組んでいるインナーチャイルドワークについて知りたい方はPMにてお尋ねください)

なーんて、最後はスーパーまじめな締めとなりましたが、来月も乞うご期待。。。して頂けたなら幸いです❤

まも


2017年07月10日(月) インナーチャイルドヒーリングワーク

今日は興味深い体験をしました。ヨガクラスのミィーティングでのこと。普段から、グループの中では黙って聞き役に回る私。今日もまたそのようにして座っていました。ところが不意に発言したくなって、手を挙げて質問したのです。すると、先生を始めクラス中のほぼ全員(と思った)が私に耳を傾け、私の質問に対するいろいろなアイデアを投げかけてくれました。クラスは私の話題でしばらく盛り上がりました。その間私は、緊張しているが故にさらに支離滅裂な英語を使って、しかし一生懸命返答しようとしている自分自身をその背中から見ていました。私は、話題を提供し人々の会話の中に入って空間をシェアし楽しんでいる自分も見ました。

興味深いことが起きたのはその後のことです。ミィーティングが終わって車に乗った途端に、私はなんとも嗚咽を漏らして泣きたくなったのです。でも私には、泣きたいのは自分ではなく、私の中のインナーチャイルドが泣き出したのだとすぐにわかりました。その時は車を運転する必要があったので一旦気持ちを切り替えて自宅に戻り、戻るとすぐに、心の状態を確かめようと一人の空間を作りました。

それから泣きたい自分をもう一度呼び起こすように意識を集中させると、泣きたい自分に巻き込まれそうになる自分と、その奥で激しい声で泣き叫んでいる子どもの頃の私がいました。誰にも構ってもらえる誰も居ない家の中に放置されている自分とライス畑の広がる田んぼの真ん中で大きな声でおいおいといつまでもいつまでも泣いている小学生の自分。傷ついたインナーチャイルドです。

私はしばらくの間、彼女を少し離れたところから眺めていました。そして、「出てきてくれて本当に良かった」と思いました。大きな気づきを得たからです。ヨガのグループミィーティングでいつも静かに座ってただみんなを眺めているのは、単に英語のミスを恐れる自分ばかりではなかったのです。もう一つのもっとも奥深くに潜む根本的な原因は、子どもの頃に声を上げても気に留めてもらえなかった当時の傷ついたチャイルドが、「私は静かにしているべきなんだ」と大人の私に暗示をかけていたからなのです。

ということで今夜は、私はそのチャイルドのそばに座り、話を聴き、出会えて良かったと言葉にしました。その時間は約10分くらいだったでしょうか。彼女はしばらくするとすーっと消えていきました。今夜のところ、彼女はまだ私の中にいますが、私が楽であるのと同じくらいに彼女も今、少し楽なのがわかります。どういう風にわかるかというと、私自身が今とても楽だからです。

私はこれからしばらくの間、おそらく何十回何百回に渡ってこの傷ついたインナーチャイルドのヒーリングワークをすることになります。私は彼女を大人の私の中で育てません。彼女は当時したかったことをしなおす必要があるからです。私はイメージの中で、彼女がそのことができるように手伝ってあげます。これが、私が折に触れて、その機会を得るたびに真摯に取り組んでいるインナーチャイルドのヒーリングワークです。このような経験はありますか?あったら、もし良かったらあなたの体験を聞かせてくださいい。





2017年07月03日(月) 心のファシリテイターとして育つ会6月号ニュースレター

心のファシリテイターとして育つ会 2017年6月号


みなさんこんにちは。心のファシリテイターとして育つ会主催のMamoです。今月もまた、日々の出来事を通して心の探究を続けている私、今月のテーマは、感情と思考を切り離す、ということです。


感情とは<私たちが日々感じていること>でいいと思います。よく観察してみると、いつも何かを感じている私たちがここにいるはず。思考とは、<考え> なのですから、持っている価値観や自分なりの哲学と言えると思います。加えて、思考は多くの場合、感情をもとに起こるものだと思います。つまり、こちらもいつも変化するものと言えるでしょう。

目覚ましに起こされて起きたんだけど、昨晩寝付けなくて、眠いのに起きなくちゃいけない。
起きたはいいけど、頭がいたい。
今日は午後から友達と約束があったんだ。疲れてるし面倒だな。月曜日までの課題本もまだ読み終わってないのに。
でも断れないし。
あー雨が降ってきた。ますます憂鬱。
待ち合わせ場所に着いたところで友達がドタキャン。残業が終わらないって。せっかく頑張って来たのに、もうこの世の中どうなってるのよ。。

こんな風に何もかもがうまくいかない日を誰でも一度は経験していると思います。全部うまくいかないことを、こんな日もあるさって片付けることもできますが、ちょっと紐解いてみると。。。

朝の出だしがうまくいっていないですよね。1日の始まりがこんな風だと、その時点で、マイナスのムードを抱え込んだまま活動を開始してしまうことがありませんか?

例えば、起きるの嫌だな。。。の感情に巻き込まれてしまうと、その自分をどうするかという発想の転換ができないですが、眠くて起きるのが嫌ならば、あと10分でも5分でも3分でも、寝てあげればいいでしょう?

痛いという感情に巻き込まれると、これもうまくいかないでしょうけれど、頭がいないのならば、薬や何か他のものを利用して頭痛が軽減するようにしてみるといいんですよね。

約束を断れない理由を作って自分に無理をさせたり億劫と思う自分を責めたりるとますますネガティブになりますが、本当に疲れていて、または気が乗らないとかその他の理由でも、正直に断ればいいですよね。

ネガティブな感情の中にいると、何の害もない雨ですら恨めしく思えてきますが、雨が降ってるなら傘を使えばいいでですよね。

そして最後に、友達が残業でドタキャン。もう、世の中全てが間違つているような感覚にさえなってきますが、残業という現実的な理由がそこにあるのですから仕方がないですよね。

こうして考えてみると、日常の出来事は単に、今そこで起きている、または起きた出来事であって、私たちはその出来事に沿って自分を動かせばいいという、とってもシンプルなものだと思うのです。本当にシンプルでしょう?それはまるで、トカゲやアリんこが壁や石や何かの障害物にぶつかって、迷いもためらいもなく即座に道を変えて進み続けるくらいの単純なものだと思うのです。(何だか、トカゲとかありとか、おかしいですねぇ。笑)



ということで、このようにとっても単純な <出来事> に速やかに対応出来るように練習してみませんか?きっと、物事って自分が思っているほど複雑でも難しいものでもなかった、ということに気づく日があると思います。

感情と思考を分ける技術を高めるものの一つが、瞑想です。瞑想というとなんだか、例えば座禅を組んでじっと座っているお坊さんのイメージが浮かんだり、普通の世界とは違うことをするようなハードルの高さを感じたりするかもしれませんが、瞑想とは、呼吸を整え、心を穏やかにし、脳を休めることで、ストレスやストレスを感じる度合いが減少し、自分の小さな感情に気付きやすくなったり、切り替えが上手にできるようになる、便利な道具なのです。(一文がちょっと長かったですか?笑)きになる方はリサーチ結果を探してみると、瞑想後の脳細胞や内臓機能の変化など、科学的な根拠も確認することができますよ^^。

実は、私はこの二ヶ月、座って行う2分瞑想1日6回という瞑想法を楽しんでいるんです。
方法は簡単。2分間の瞑想を1日6回するのです。どんなに忙しい方でも、2分という時間を作るのはそんなに難しくないでしょう? 私の場合はまず朝起きた時と寝る前。その二つを挟んで日中に4回、例えば車の中やシャワールームなど。場所はどこでも構わないですし、2分なんて本当にあっという間ですよ!時には姿勢を整えているだけでも過ぎてしまうんです。それでは瞑想したことにならないじゃないかという方もいるかもしれませんが、まずは瞑想しようと姿勢を整えてみた自分がまず素晴らしいではないですか。それに、せっかく姿勢を整えたのだから、続きをしてみたくなるのも自然なことです。

さらに、世の中には音楽を利用したり日記を書いたりと、いろいろな種類の瞑想がありますから自分の気に入ったものを利用して、取り組んでみることをお勧めします。そして、必ずメモを残すこと。私の場合、それは日々成長している自分を体感する大切な道具になっています。読んでくださったみなさんも、一度試してみませんか?そして何か感じられたことがあったらぜひ私にも聞かせてください。

この時期、カリフォルニアは気候が安定せず、とっても暑い日の日が沈むと、とっても寒くなったりします。日本のこの時期も同じですよね。皆様、お身体大切に^^
Mamo


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