「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2010年11月30日(火) 言葉を使う仕事

夜勤明け。
私は最近、寝る前の薬を飲まないで捨ててしまう患者さんのことで思案していました。それで今日、責任者と相談した後「夕食の薬と一緒に飲んでも大丈夫ですよ」と説明に行きました。するとその方は怒りの表情になって「今まで黙って飲んでたけど寝る前に薬を飲むなんて聞いたことがない。先生を呼んでこい。話をする」とおっしゃいました。私は自分の提案がいけなかったと思いました。夜勤帯に主治医は居ないので私は薬の本をその方と一緒に読みながら一つずつ説明し、明日になればドクターから説明できると伝えました。怒りが静まるように願いました。その方は処方箋をもらっていくと仰ったので私はコピーを準備しました。
ところがその方はコピーが出来た後に「そうか、胃の薬か…。飲むからええわ」とニコニコ笑顔になったのです。そしてコピーした処方箋も「ええわええわ」と受け取らないと言うのです。そしてニコニコしたまま帰って行かれたのです。どこで気持ちが変化されたのか分かりません。私はしばらくキツネに包まれたような気持ち。けれども私が提案する以前よりもいい状態になったような気がしてよかったなぁと思いました。

その後、呼吸器を付けてベッド上生活の方からコールが鳴りました。その女性は今日面会に来たご家族に対して怒っていて「家族に電話をして、危篤だからすぐに来てと伝えて」と筆談でおっしゃいました。私はご家族に電話をかけましたが連絡は取れませんでした。ご家族は遠い所に住んでいらっしゃるので夜の面会は無理だと思いました。しばらく筆談で話をしました。私の方がなかなか読み取れなくてイライラさせてしまう場面もありました。しばらく後、その方はあきらめたように「もういいよ。行って」と言い私達の会話は終わりました。
朝が来た時、女性が私の手をなでて「大丈夫?昨日はごめんね」と言いました。
私は大丈夫なのです。しかし私は言葉に注意して丁寧に働こうと思っていました。それは私が看護師としてする仕事の一つなのです。


2010年11月28日(日) ゆったり

休日。昨晩は朝寝坊しようと布団に入ったけれど寒さで目が覚めてしまい眠れませんでした。身体は疲れているのに寝付けないのは何故かなぁと探っていくと、夜勤中の頭の回転が残っているからだなぁというところにたどりつきました。でも、この仕事も後1ヵ月と少しなので自分を大切に出来る方法を探して健康を維持しましょう。

昼間ホームページを少し修正しました。心のファシリテイターとして育つ会が必要だなぁと改めて思います。
将来私が外国で暮らすことになっても、今はパソコンがありますから遠隔地同士でテレビ会議が出来ると思います。そんなことをしていたら、将来いくつかの国の人が参加して国際会議になるのでは??国と国との架け橋がもっと広がると思います。

夜はゆったりお風呂に入りました。この季節は暖かい湯船が本当に気持ちいいです。今夜はその余韻の中で布団に入ります。


2010年11月27日(土) 喜び

夜勤明け。
昨晩は2人の男性ケアさんと私との3人で夜勤をしました。
休憩時間に先日公認となった仮眠時間確保の話題になりました。私は、自分の人生を通して社会がよく変わることの一端になりたい。それは先に生まれた者の責任だと思うと語りました。一人のケアさんが「皆がそう思っているといいのになぁ」と言いました。私もそう思います。
そして私は、心を基準にした私を大切にしています。同僚とも患者さんともどなたとも、いつも一対一なのです。
ということで、今日は久しぶりに「架け橋」という言葉を使いました。さらにこれからは国と国との架け橋を…。赤ちゃんの時によい架け橋を学べなかったのに、今ではこんなに成長したのだなぁと心もホクホク。
職場が心地よいことは私の喜びの一つです。


2010年11月23日(火) 次世代へ

夜勤明け。昨日病院へ着くとすぐに、先日私の本に興味を持って下さって少し読まれた方が「実は私の母も丙午でその母の母も丙午で・・・」と言いました。人格のことについては「びっくりした」と。私が「誰もみな、3人くらい入ると思うよ」と言うと「そんなこと考えたこともない」と言いました。人々の反応は私のものと違っていて面白いです。

夜には、若い女の子のスタッフから“母”の話を聞きました。「子どもの頃母に、私はお母さんみたいになりたくないと言ったらしいけれど自分は覚えていない」と。
私も長い間、そして今も彼女と同じ気持ちを持っていますし、子どもからも彼女の言葉に似た言葉を言われたことがあります。自分がそう言われた時はショックでしたが、子どもがそう感じる原因として心当たりがありましたし、その言葉がきっかけで私は成長できたので伝えてもらってよかったなぁと思っています。

私は女の子に「子どもがそう思うのは自然だと思うよ」と言いました。心のことを語り始めるとき、私の中にはそのことを語れる材料が詰まっていることを感じます。もっと多くの若い人に私を語り、未来は身近な大人が語っているよりももっと明るく果てしなく広がっていることを感じて自由に羽ばたいてもらいたいです。


2010年11月22日(月) 特技

 今日は夜勤入り。
“激勤務”の中なので身体はしんどいですが職場の変化を感じたり人々と語り合うのは楽しいです。
私は時々忘れ物をしたり時間を間違えたりします。それなのに、その私が夜勤に入るのを待っていて下さる方も居るので、そのことも仕事へ行く楽しみの一つです。特に先日、私の言葉遣いと笑顔に安心すると言って下さった方が居て、私は本当にうれしいと思いました。言葉づかいは今も練習の途中ですが、私の笑顔は私の心から自然に発せられているからです。つまり、私の笑顔は私が仕事を心から楽しんでいる証拠だと思うのです。そして、その私の存在がそこに居る方の心の安定につながっているなんて”看護師冥利に尽きる”と思いました。

”いい働き方をしているなぁ・この仕事に就いてよかったなぁ”と心から感じています。これは私の特技の一つです。


2010年11月21日(日) 20年後

 夜勤明け。今日から4日間は「激勤」の中です…。

 昨日は休憩中に「65歳に何をしているか?」という話題になりました。私は自分の20年後がすぐに思い浮かびませんでした。しかししばらくして「大学へ行ってる!」と思いました。二人の男性ケアさんが私の未来予想図にびっくりしていました。私は英語で自分を語れるようになりたいこと・世界のどこであっても生きられるようになりたいことを語りました。本当にそうなりたいです。
それから年金の話になりました。私は年金がなくても生活できるように生きていたいと思っていますが、ベトナムのことが浮かんで「私は年金の代わりに、路上で何か売って歩いて生活費にしようっと」と言ったらケアさんが「本当にそうしそうだなぁ」と言いました。本当に出来ると思います。私の考え方は変わっていて面白いです。
 


2010年11月18日(木) きっかけは心から

昨日。病院へ着くとすぐに責任者から仮眠していることについて質問され責められました。私達は患者さん達が座るソファーで仮眠をしていたからです。「他の部署の人から ”うちは忙しいのに!…”とクレームが来て調査している」と。
私は「それなら寝る場所を作らなくちゃいけません」と言いました。ところが責任者は「休憩はいいけれど仮眠は駄目です」と言い、私は「仮眠をとることは法律で決まっています」。「そんな規則はありません」と責任者。私は、法律のことは数ヶ月前に確認したのですが責任者がそう言うのだからその後に法律が変わったのかなぁと思いました。最近日本の新聞を読むことをおろそかにしているので心配になりました。それで、「あの…詳細をご存知ですか?それとも知らないけれど語っていますか?」と尋ねました。責任者は「それは私の管轄じゃないので今調べてもらっています」と言いました。私は、私の情報の方が正しいのかもしれないとか、仮眠ができないのなら本当につらいし1月まで働けないかもしれないと思いました。
それから、私が居ない間に若い人が責任者から責められたとすぐにわかりましたので、彼らの心に負担をかけてしまったことに対して何ができるかを浮かべました。

ところが、その後変化が起こりました。責任者が「他のフロアにあるソファーを私達の休憩室に運べるけど、してみる?」と私に尋ねたのです。そして私に「一緒にソファーを見に行こう」と言いました。私達は二人でソファーを見に行きそのことについて話をしました。責任者の言葉はもうソファーを入れて仮眠ができるように整える方向へ向かっていました。
しかし私は少し懸念していました。その理由は、このことが私と責任者二人の間で決まったように感じたからです。私は全体で話し合って皆が納得してからする必要があると思ったのです。
日勤の人達が帰って夜勤者だけになった後、ケアさんの一人が「ソファーを入れてみよう」と私に言ったので、私は自分の気持ちを伝えました。しかしケアさんは「みんな楽だと思うよ」と言いました。そして私達は休憩室にソファーを入れ、夜中に少しずつゆったり気分を味わったのです。私の仮眠時間にはコールがたくさんなったので眠ることは出来ませんでした。しかしそれはいいのです。”寝てもいい時間がある”ということ・それが公に認められているということが心の休息になるのです。

私は今回、この変化を心から喜んでいます。以前「仮眠なんてありえない…と言っていた方がゆったり気分を味わっているのを見るのも心地よいです。
もしかしたら、自分を大切にしたいという私の心の叫びが、社会が少し良く変わることのきっかけになったのかなぁ〜なんて…。私は、私の声に賛同して下さった方にありがとうと言います。


2010年11月16日(火)

遠出していたので約1週間ぶりの日本です。
自分にやさしい旅をしてきた…と思います。


私の人生も、小さな旅の連続です。
私はいつも、旅の中で新しい発見をして成長します。


2010年11月10日(水) 心で・・・

夜勤明け。
昨晩も楽しい夜勤でした。その理由は、私の夜勤は夕食に一品持っていくことと仮眠を取ることが定着してきたからなのです。ちなみに今日はケアスタッフの女の子と二人、給食の残りご飯でおにぎりを作りました。身体にいいと思えていることが広がると嬉しいです。
その彼女と「どんな本に興味がある?」を語り合いました。私が興味を持っているのはもちろん心のことです。そして、私はいつも好奇心いっぱいなので、他の色々なことにも関心があります。
私は時に、若い人たちの心を聞くことも好みます。彼らは今の社会をリアルに伝えてくれるからです。私達大人は彼らの言葉に心から耳を傾ける時、人として成長することができます。お金には変えられない素敵な空間なのです。
話の最後に私が彼女のことを「私の妹」と言ったら笑っていました。心のつながりが増えてきているようで嬉しいです。私はいろんな人々に、私のプラスの部分を利用してもらいたいです。そしてこれからも成長することを望んでいます。

 それから、仕事の帰りには事務の方と、退職に関する話し合いをしました。特に引き止められることもなく話は進みました。私の病院では退職は3か月前に申し出るという規則があります。それが当然という思いはありませんが、看護職に楽しみを感じているせいかのんびり辞めてもいいというくらいに軽く捉えられているのです。ということで来年1月末まで現職を楽しむ予定です。


さて、明日からしばらく連休。少し遠くへ行ってきます。
何のために、何をしに行くのかなぁ?と自分に問います。
私は心を大切にして来た私を確認するために行くのです。しかしそう深く考えず、とりあえず楽しんでこようっと…。


2010年11月08日(月) 心の成長

夜勤明け。
昨晩は、呼吸器をつけた女性の患者さんといつものように手を握り合っている時彼女はぎゅーっとしばらくの間握って目を閉じていらっしゃいました。私は、この方は、今日は私を利用したいのだなぁと思い、それから(眠くて大変な時もあるけれど、ミスをしないように丁寧に働いて、心を大切に出来るように仕事をしよう)と思いました。
申し送りが始まると、時々嵐がやってきます。大人の言葉が私にとって強いからです。それでも大丈夫。ずいぶん切り替え上手になりました…。
それに、私は数ヶ月前から、看護師になってよかったと感じられる出来事に出会うようになっているのです。小さな体験が少しずつ私の能力になっているみたい。何年も前の自分を思い浮かべると、成長したなぁと心から思います。何事も、どこまでできるかやってみよう〜なのです。


2010年11月05日(金) 人生の楽しみ

 夜勤明け。
 仕事を終え家に帰って仮眠をとりましたが数時間で目が覚めました。今月は出勤と休みとが偏った激勤務体制。夜間の眠たさを、自分を緊張させることで覚醒させているせいか仕事が終わっても緊張が取れず疲れすぎて眠れない今日この頃…。カレンダーに付けた夜勤のマークを「あと何回…」となぞりながら通過しています。それでも、途中に楽しみを作ってありますし、余暇には勉強と運動と休息を楽しんでいるうちに時は過ぎていくでしょう。それに明日は休み。午後からの「育つ会」を含めてゆったり過ごす予定です。

ところで、先日私の本のうわさを聞いた年上の同僚から「本を読みたい」と言われました。
私の本は一般の本とは違い、これまで多くの大人が閉じ込めてきた真実をありのままに語った本です。私はまだ彼女に本を渡していませんが、その方が人生を考える財産になればいいなぁと思っています。
 昨日は一緒に仕事をした若い女の子から「菅野さんは前からずっとそんな感じだったんですか?」と尋ねられました。私が「どうして?」と尋ねると「今まだかつて一度も会ったことがないタイプの人だから」と言いました。
私は(たぶん当たってるなぁ)と思いました。私が8年前から取り組んできたことはそれ以前よりも良い結果を構築し、これから先も今よりも悪くなることはないと、私は自分の経験を通して語ることができます。私は今、一般の方とは違う考え方を持っていて、それらはすべてプラスの発想であると信じています。
そして、私は今、私の考え方が人々の考える材料になること、特に私よりも若い方が生きやすい社会になるといいなぁと思っています。私が新しい発想を大切にして生きることは、彼らよりも先に生まれた大人の、人としての責任。そして、私の楽しみでもあります。
私は休憩時間にこのようなことを語りました。最後に言った言葉は「どうか人生を楽しんでね!」。彼女たちはうなずいていました。私の言葉に耳を傾けて下さったことを嬉しく思いました。


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