「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年02月28日(火)

 午後から公園でキャッチボールをしました。
練習の途中で、「遠くへ投げる時には少し後ろから反動を付けて投げると、遠くまで投げられる」と聞いてやってみると、なるほど、飛んでいく球のスピードが増しました。それから、投げる時も捕る時も無駄な動きをしないようにする事が大切だそうです。ボールは待っていればやってくるのだから、「ボールちゃんおいでおいで」で待っていればいい。心が慌てていると動きも慌てるから、心を落ち着けてボールを待ちます。
 キャッチボールの後バッティングセンターへ行きました。今日はバントの練習をたくさんしました。バントの構えをして待っていれば、球を当てる事は出来るようになったので今度は普通に打つ構えからバントができるように練習です。何もかも、コツコツやっていると繋がるようになっているはず。小さな点を繋げていこう。


 長い休みが終わり、明日から仕事が始まります。今度は保母さん。
親とは、子ども達の心の動きに気が付いても、その子自身の動きを大切にしながら、そっと見守っているのですね。
そして子どもは、家庭の中がどんな状況であっても、いつも自分の心を基準にして、時には親に助けを求めてもいいのですね。
私は、自分自身の親として、自分を見守っていきます。

明日はどんな新しい事が待っているかな。楽しみです。


2006年02月26日(日)

 雨振りで外に出辛いから、HPを修正したり過去に書いたものを読み返したりして過ごしました。過去に書いたものは、書いた当時は「出来た出来た」と思って喜んでいたけれど、時を経て読み返してみると下手っぷりが恥ずかしい。でも、今の自分を思えば懐かしくもあるのですョ。
 実は一年くらい前から、これまでの偏った書き方を変えていこうと試行錯誤していたのですが、この頃は楽しかった事を楽しんで書いているから、少しは上達したみたい。これでもう文法をもう少し正しく知っていくといいのかな。
ということで、夕方、本屋へ行ってきました。
小学生の文章問題を読んでみたら、難しい文法の参考書よりも楽に頭に入りました。日本語にも文法はありますが、この、小学生の文章問題のような読みやすさがあるといいのだなあ。
それに、話し言葉で伝える時も、書いて表現する時も、大切なのは心。
私は文法を知っていて、そして、やさしい日本語が使えるように、自分を大切にします。


2006年02月25日(土)

 出かけた先で胡桃を拾いながら、拾っても拾っても拾いたい気持ちがなくならない自分が居るのを感じました。子どもの頃にはいつもいつもひもじかったり抱いて欲しかったり、ハングリーな状態で生きていたみたい。過去にブランド物を集めていたのも「やりたい」だけで動いていたのも、生きるための欲求を否定されていた中の動きだったのだなぁと改めて思いました。
子どもはストロークを貰わなければ生きていかれないのだから、私が子どもの頃に持っていた感情はすべて当然あるべきものだったのにね。

 夕方からHちゃんがGobamcanにいらして、一緒に文章の校正を楽しみました。私の場合、自分の文章を校正していただく時には、「私の思いを残したい」と思っているのに、他者の文章の校正をお手伝いする時には「こっちがいいんじゃない?」になっているから、矛盾している自分ですよ。でも、他者である私に纏められないところは筆者の心に尋ねてみると、すっきりと収まるのだから、校正も心でするものなのですね。

 夜、新聞を見ていたら、かわいい子どもとお父さんの写真が載っていて、「かわいいなぁ」と心で呟いてクスッと笑いました。
その時の私は、自分に語りかけている自分を自分の背中から見ていて、「これこれ、この感覚でいいんだ」と思いました。
私の心に素敵なものを感じる気持ちが沸いてきたら、一番最初に自分に向けてあげれば、今よりももっと、自分を楽しめるようになるのだなぁ。・・・新発見した気分。


2006年02月24日(金) Xin nhu

 ベトナム語教室へ行ってきました。
私と友人はこの頃、2人でユニークな勉強法を探しています。今日は発音を覚える時に、顔・特に口の絵を描いて遊んできました。
 友人は「Mamoさんのベトナム語も随分きれいになりましたよ」と言って下さいます。認められると嬉しいです。でも時には違う言葉を言っているのに同じように聞こえるものがあります。これ、実は友人に言っていただいても同じように聞こえてしまうのです。聴解力の問題だと思うから、私が言えるようになった単語は、聞き取れるようになっている、と・・・言えるかな?

「今思うこと」
 自分の考えと心がピタッと合わさると、ホッとします。
そして、ぴったり合わさるまで考えたり本を読んだり、やってこれた自分を褒めてあげたくなります。
私はよく、辛かった自分に気付いたときには「よくやってきたよね。もういいよね」と、そして新しい事が出来た自分には「やれたね。良かったね」と言葉をかけてあげます。
そして自分にストロークを与えられる感覚に、更に安心します。

 プラスを探して行くことは自分を楽にしてあげることだなと改めて思います。
これからも行く先々で自分を遊ばせ、心を基準にして動いていくと、私の世界は自然に広がっていくのだと思っています。

Mamoの世界は「心遊」の世界・・・いいかなぁ。
ちょっと固いから、「Xin nhu」と言っておこうかしら・・・。


2006年02月21日(火)

 今日は中日新聞の方がGobamcanの野球チームとファシリテイターの事に付いて取材に来て下さいました。私もGobamcanで暮らしている理由と野球を始めることになったきっかけから、久しぶりに、過去の事や子ども達の事を語りましたが、本当にいろいろな事があって、今此処に居るのだなぁとしみじみ思います。私の人生は、これまでは「楽になるため」にあるように思えていましたが、今は「私を遊ばせ自分を実現させていく為にある」のではないかと思えています。

 夜、ある女性から電話を頂きました。
女性はご自分の罹っている病院のメンタルデイケアに通われているそうですが、デイケアへ行く事で傷付けられ苦しんでいらっしゃいました。
私は電話口から聞こえてくる心の叫びと今にも消えてしまいそうな空気に、今苦しんでいる「彼女に何を伝えればいいのだろう」と思いながら、浮んでくるままに私の経験した中の事を語り、新しい世界があるよと語り、後は静かに電話を握り続けるのみでした。

 心を楽にする場所としてあるはずのケア施設へ行った為に心を傷付けられてしまったり、心の負担が軽減されるようにあるはずの施設で、施設の側の規則が重視されるのはおかしいことですョ。

 今はまだ、間違いの多い世の中だから、いつも自分の心を一番大切にしていこう。そこから、間違いを「間違いですよ」と伝えていける自分になれるから。


2006年02月20日(月)

 随分久しぶりに、肩の力を抜いて過ごしました。
心を見て生きているつもりでいたのに、いつの間にか、違うところを見ていたみたい。
ずれてしまった原因をしっかり見据えて、これからへ繋げていきます。
 いつも自分の心を見て、一つ一つ問いかけながら動いていると、何をしていても安心していられます。
私の心を基準にして過ごしていると、何をやっていてもゆったりとしていて、一日が12時間でも24時間でも、どちらもいいみたい。

 雨がいっぱいの中で木々が薄ピンク色になっているのがぼんやり見えて・・・春はすぐそこなのですね。 
 


2006年02月19日(日)

 午前中に戸笠グランドで自主トレをしました。
何処かのチームが練習試合をしていて、しばらく見ていたら、私もやりたくなってきました。3月5日の開幕が楽しみです。
先日ユニフォームの左肩にベトナム文字を入れました。ユニフォームと仲良くできるよう練習しておくのです。
今日は壁投げをしました。背中に廻した肘を前に出す時には後ろ頭を通ることができると球はまっすぐに飛んでいくので、原点が肌に馴染むように練習をしています。

「独り言」

心の事は、教科書や本の中の知識とはかけ離れた大切な部分だから、より丁寧に私自身を見つめて、不安定な自分をさらに纏めていく為に、自分の心を一番大切にします。
何があっても何かがなくても、いつも同じ自分で居られるよう意識します。
ニュートラルが一番です。


2006年02月17日(金)

私って何だろう。
私は私
誰かと共に居る「私」
ある集団の中の「私」
全体の中の「私」
いつも私の色があるといい
私の色は何色かな。
私の色は「私色」

日進市のコーナンのセメントに出来ていた「七色の虹」


2006年02月15日(水)

 心友Hちゃんと滋賀県湖北の野鳥観察センターへ行って来ました。一日のんびりと過ごして、心の事を語ったりおかしな事を言って笑いあったり、普段味わえないほんのりとしたあたたかさを感じ続けた一日でした。
2人でうどんをすすりながら、私の姉の話をしました。
 去年の夏姉に当てて出した手紙の中で、「私は傷を抱えて辛かったから、今は心の傷を癒やしながら生きています」と語りました。1ヵ月後に来た姉からの返事には、「私も楽に生きたい。ごめんね」という言葉。そして私が姉の「ごめんね」を心から理解したのは手紙の返事が届いてから何ヶ月か後の事でした。
今は再び連絡が途絶えていますが、将来どこかで、今日のHちゃんとの会話のように姉とうどんをすすりながら、心を語ることもあればいいなと思いました。
 ところで、マンホールの蓋が丸いのはなぜかを、皆さん知っていますか?これは今日の私の宿題なのですョ。


「今思うこと」
今持っているものを、これまでとは違う形で言葉に出来たらと思う。
心に何があっても次の事をしていけばいい。
今日も又、昨日より動いている。明日も次の事をすればいい。


2006年02月14日(火)

 今日はスライディングの練習をしました。スライディングとは、ベースまで足が追いつかない時に滑り込んでベースにタッチすることですが、片方の足をベースに付けて、ベースに付かない方の足は内側に折り曲げるそうです。初めは怖かったけれど、でもでも、実はやってみたかったことのうちの1つだから、嬉しかったですよ。ちなみにスライディングしたり球を追いかけてひっくり返ったりすると、着ている服が砂色になるのです。実は服に砂を付けて見たかったのです。まるで野球をしたみたいネ・・・。
 練習の後、ピッチャーマウンドにトンボをかけました。これが又面白い・・。トンボはどうして「トンボ」というのだろうと思っていたけれど、トンボの形がトンボに似ているからですね。ようやく気が付きました。重たいトンボを引きずって地面を平らにして、最後に地面を足で固めます。そのうちに私も此処に立って球を投げるんだと思うと、こちらも又またうっれしっいなぁ〜の私なのでした。
それから今日は口元に球が直撃してびっくりしました。でも、やりたい気持ちがあるせいか、痛みはすぐに何処かへ行ってしまいましたョ。球が当たるのは嬉しくないですが、球が当たっても続ける事が出来て良かったなぁと思いました。

 夕方ベトナム人の心友Hさんとドライブしました。
Hさんは私に「私は自分がどんな人なのかを知りたい。Mamoさんは他の人に、自分が誰かを説明できますか?」と言いました。私が「私はわたし」と答えると、「それで終わっちゃうのねぇ・・・」と。それから私が「私はこんな小さいものではなく中くらいでもなく、こ〜んなに大きくて宇宙のように無限大だよ」と言うと、「へぇ〜」と驚いていました。私たちはその後も心の話しをして、心を持った私たちがベトナム語と日本語の本を書けばやさしい本が生まれるに違いないと語り合いました。
 Hさんはベトナム生まれの27歳。彼女が私に心を語ってくださる事を嬉しいと思いました。


2006年02月13日(月)

 気温が高くてあたたかいので、戸笠グランドで運動。
今日はダッシュ(と、自分では思っているもの)を3回やりました。前回よりは長く走れるようになったように思います。
 それから、壁投げをしていたら右肩がツンと痛んだので、ナイターで見かけた選手さんのようにフェンスにぶら下がって腕を伸ばしてみたら、肩の関節がツンと収まって痛みがすっかりなくなりました。腕の回転を間違えて関節を少しずらしてしまったのですね。
これまでにも時々同じ痛みを感じていたので、次回からは今日のように“瞬間治療”をすればいいみたい。まるで、看護婦さんですョ。

 夕方にはバッティングセンターへ行きました。
今日も最初の3球くらいはバントの練習です。この頃はバットを持って構えても以前ほど力が入らなくなり、「球を見る」ことに集中する事が出来るようになり、球が見れる分だけは大きく当たる確立が増えました。
私の後に男の子が一人。年齢は6歳くらいでしょうか。バットを少し短めに持ち力いっぱい振って上手に球を当てていました。心友が「バットをいっぱいに持っても大丈夫だよ」と言うと嬉しそうにバットをいっぱいに持って、上手に球を当て、満足そうな顔をして帰って行き、少年の嬉しそうな顔をみていた私も一緒に嬉しくなりました。

 夜はベランダへ出て望遠鏡で満月を見ようとしたのですが、今日はピント合わせに時間がかかって体が冷えてしまったので次回まで持ち越しとなりました。残念・・・。でも、月はいつもあるから次のチャンスを楽しみにします。 昼間の間に古本屋で星の本を買いました。本によるとオリオン座の真ん中にあるミツボシの下に、もう一箇所小さなミツボシがあるのですね。肉眼で見えると書かれていますが、乱視の私には無理なのかしら。双眼鏡なら見えるかなぁ。

「独り言」
地球上には、私以外にもたくさんの人が住んでいて、皆が自分を生きていて、皆が自分を伝えているのだなぁ。
皆それぞれにその人の基準の中で動いていて、その人の基準で自分を伝えているのだなぁ。私という人間は宇宙に一人で、他の皆さんもそれぞれ宇宙に一人なのだから、私の意図と他者の意図が違っていて当然なのだなぁ。
だから私は、ありのままの自分を伝えていけばいいのだなぁ。

「ありのまま」という言葉・やさしく流れて心に伝わる今夜の私


2006年02月12日(日)

 昨日はベトナムへ帰国する研修生達を見送りに行ってきました。皆さんは日本で3年間働いた後に帰っていかれるのですが、帰国を喜んでいる方や寂しいと言って私に抱き付いてこられる女性や、中には目を赤くして泣いている女性も居ました。
私も、一緒に笑ったりはしゃいだりして遊んでもらったお友達が帰っていかれるので、「ちょっと寂しいなぁ」と思いました。そしてでも、ベトナムへ行けば会えるのだから、「お友達が祖国で待っている」という感じもしています。
中には、滞在中に恋愛をされて結婚を望んでいた方もいらっしゃったのですが、企業の都合により、残念ながらこちらで結婚するための条件の全てを揃える事が出来なかったそうです。
一度帰ってしまうと、こちらに来るまでには半年ほど要するそうで、お相手の日本人男性が私たちに「よろしく御願いします」と頭を下げられた時の真剣な表情が私の脳裏に焼き付きました。私には、このお二人の問題も今の社会のあり方に問題があるのだと思えます。出発ロビーのこちらと向こうで手を振り合っているお2人の姿に、「何よりも国境がなければ、条件に関わらず自分たちの思いを大切にして動いていけるのに」と心から思いました。
 1つの地球にみなが一緒に住んでいて、たまたま日本人として生まれた私。地球上の国がぐるっと1つになるには時間がかかるでしょうけれど、まずは「アジアという国が1つの家族になればいいなぁ」と思います。
でも、大丈夫ですよ。何しろ昨日、たくさんの妹たちがベトナムへ帰って行きましたから。

 そして、今日も又また国際交流モードです。
今日は稲武にある研修生達の寮へ遊びに行き、日本語勉強のお手伝いをさせて頂きました。皆さんは会話の中で自然に覚えていくから面白いです。一人の女性とは「ゆびきりげんまん」を、一つ一つのひらがなを丁寧に発音しながら、歌っていきました。一通り歌えるようになるまでの所要時間は25分で、うまく歌えた時の嬉しそうな表情を見て、私も一緒に嬉しくなりました。
別の女性は勉強する為に買ったばかりだという電子辞書を見せてくださったので、説明書を見ながら一緒に進めて行きました。私もひとつずつ説明していける事が嬉しくて、女性も自分でボタンを押しながら「これで・だいじょうぶ・ね」と言って心から嬉しそうでした。結んだ髪の後れ毛がほっぺたに張り付いたまま嬉しそうに笑う彼女の表情が素朴で素敵に見えて、私もいつも素朴な自分を大切にして、自分の可能性を延ばしながら生きていこうと心に思いました。

 少しの間、現実に振り回されていて、素朴なやさしさを忘れていた私。
私自身を大切にすることから、彼女達の素朴さを大切にし続けられる私に繋がっていくのだなと改めて実感しています。


2006年02月09日(木)

 内容証明は今夜こそ最終チェックを終え、明日にはポストへ向うことと思います。それにしても、法律は知れば知るほど面白いものだと知りました。今回知り得た法律を、これからはのんびりと働くだけでなく、自分の働く職場の環境がよりやさしくなるように利用していければいいなと思っています。(まだ始まったばかりなのにね)

 ところで、リサイクルショップでたこ焼き焼き機をGetしましたョ。お値段300円なり。Yちゃん親子に報告しなくっちゃ・・・。明日は一人でたこ焼きパーティーです。楽しみ楽しみ。


「今思うこと」
人は簡単に死ねるだろうか。
生きる事を前提にして在る人間が、死ぬという事をするという事は、
生きるよりもエネルギーがいる事だろう。

命って、何かな。私って何かな。
生きているから生きている。生きているから生きる。
理屈じゃないって事でいいかな。

自分に愛を注いでいれば、いつも楽しい。
今を生きていればいい。
今のところはこれでいいよね。


2006年02月08日(水)

「内容証明」
 朝、労働基準監督所へ行きました。毎日にように通っているので、お馴染みさんのようになってきました。初めて監督署の椅子に座ったときには泣きそうな顔をしていたのに、訪れる回数が重なるたびに楽しみが増している自分を嬉しく思います。何事も1つずつ丁寧にやっていると自然に進んでいくみたい。

 午後からは千種区のYちゃんのお宅へ伺ったところ、高校生の娘さんのリクエストでたこ焼きを作ると言われ、思わぬところで「たこ焼きつくり」のお手伝いをさせていただく事が出来ました。
たこ焼きは丸い穴が16個開いた「たこやき焼き機」にベースの液を流しいれ、次に赤しょうがやねぎ、それからメインのタコなどを入れていくようで、見ていると材料を入れた分だけ液が溢れてきました。でも、大丈夫。たこ焼きの場合は穴の周りにはみ出た液も後から穴に丸め込んで、上手に丸められた分だけ大きくてまん丸のたこ焼きになるのです。それから、程よく焼けたタコ焼きをひっくり返す時には千枚通しのようなものでくるくると廻してから返していましたが、気長にくるくる廻した分だけまん丸のたこ焼きが出来ました。YちゃんとYちゃんの息子さんのK君がまるで屋台のたこやきやさんのようにくるくると廻しておられて、余りのも面白そうなので、お願いして3回ほどくるくるさせていただいたのですが、流し込みも待ち時間もくるくる廻し時間も、どれも面白くてたまりませんでした。高校生の娘さんも「お昼ご飯とおやつと兼用」と言いながら食べておられました。
 
ところで私たちは、1つのたこやき焼き機で焼かれるたこ焼きの環境に付いて語り合いました。

「16個の穴に入れられたたこ焼き。同じ鉄板で焼かれていても鉄板の真ん中と端っこでは焼けていく速度もこげ加減の違うものが出来上がるのだ。同じ鉄板で焼かれるたこ焼きも微妙な環境の違いによって育ち具合も違うのだ・早く育つものや遅く育つものがあり、みなそれぞれでいいのだ。
16個の穴に入れられたたこ焼き。同じ鉄板で焼かれいてもクルクル廻し具合で丸まり方が違うのだ。急いで廻すと形が崩れ、ゆっくり丁寧に廻すと真ん丸い大きなたこ焼きが出来上がるのだから、慌てず急がず本でも片手に丁寧に丸めていけばいいのだ。同じ丸でも大きな丸と小さな丸があってもいいのだ。
ほっくり焼けたたこ焼き。お皿に入れた途端にタコが飛び出した。真ん丸い器に居られているのが嫌な時は自分で飛び出していいのだ。」とね・・。

明日はリサイクルやさんへ行ってたこ焼きや機器を探してこようっと。


2006年02月07日(火) 30

 最近は自主トレモードから離れ気味なのですが、今日は夕方リビングでストレッチをしました。開脚して体を前に落としていくと、だんだん体が前のめりになります。後ろから少し押していただいて、少しするとアゴはじゅうたんに着いてきて、もう少しでお臍がじゅうたんに着きそうでした。野球開幕まで1ヶ月を切った事だし、仕事の事も少し余裕が出来てきたので、明日は走れるといいなあと思っています。


 ところで今日は、本屋さんへ出かけて『内容証明の書き方』の本を読み、それから簡易裁判所へ出かけて、民事調停や裁判の事を尋ねてきました。
裁判所の方は「もともと弁護士とは、その人が出来ないところを手伝う人です。どちらにも言い分というものはありますが、あなたはあなたの確固たる情報を元に、自分を主張していかれたらいいですよ。持っている情報を大切に保管していてね」と伝えて下さったので、安心しました。
いろいろな発見があって、面白いのです。

 「30円のぬくもり」
 新しい動きをするときには、動く分だけお金が必要です。でも、今のところは実際の出費を除いて30円くらい。そしてこれからも30円くらい。心の事はお金とは違う部分だから、30円くらい頂けるよう、ぬくもりながら動いています。


2006年02月06日(月)

 一組の母娘さんと語り合いました。娘さんにあたる女性は、「自分を大切にしてと言うけれど、その“自分”が分からないから」と語りました。彼女の話を聞いているうちに、現代の女性の殆どは愛を知らずに大人になり、生きながらえているのではないかと思いました。もしもお母さんと娘さんのお2人が自分の心を見つめて生きていかれるとしたら・・。私は親から謝罪されることはありませんでしたし、私自身も子ども達と向き合って謝罪できるのはもっと先の事でしょう。そう考えると、お二人の関係は素敵に思えます。そして私はこれからも娘さんと心の事を語り合っていければ嬉しいなと思いました。
「今思うこと」
 私は今、世の中はこれから何十年かをかけて変わっていくのではないかと思えています。団塊の世代と言われている方々が定年を迎えられ、これからは、今不登校引きこもりをされている方々や、自分を見つめ心の傷を癒やし、社会の生き辛さを知る私たちが日本の国の中心となって動き始めるからです。私たちが心を大切にして動いていれば、日本という国が心のある国に育っていくのではないかと思うのです。私はひたすら自分を大切にしていきます。そのうちに、社会に出てもいつも自然に自分を大切に出来るようになれるから。


2006年02月04日(土)

 育成会。 
 ICの本では10章の中で「自分にかけていて物を子どもに与えようとする」という部分に付いて語り合いました。私は過去、同年齢のお子様を育てておられるお母さん方の集まりの中で「自分が子どもの頃にしてもらえなかったから」という声をよく聞きました。学歴や大学などもその1つですが、それが子どもの頃の自分に与えられていても居なくても、社会の価値観を基準にして生きていると、子どもが必要としているかを知る前に、子どもに与えようとしてしまうのだと思いました。
私自身は子どもと関わっていた頃、「自分のような人間を作らないように育てよう」と考えていましたから、本当にひどいものでした。そして傷つけられた私のまま子ども達と関わり続けていたら、親として更にマイナスを植えつけていたのだと考えると、2年半前より少しでも成長できている自分で良かったなぁと思います。

次に「アイデンティティー」に付いて語り合いました。
「アイデンティティー」とは自分の思う自分と外部から見た自分が連続的に一致していることのようですが、一般的には社会に「私はMamoである」ことを証明する為に免許証が使われていると聞いて、普段何気なく見せているものが「私の証明」だったのだと思うと、免許証や免許証に写る写真の自分がが可愛らしく見えてきました。

「自分とは何だろう」
私は私である事は分かったけれど、では「私」とはどんな私なのか。
自分に愛を注ぐ私を思うと、自然に「私」が明らかになるような気がします。


2006年02月03日(金)

 突然ですが、裁判は一人でも出来るそうなので、少しばかり法律を学んでみることにしました。
私が自分の事実を主張するためには、「周囲に“なるほど”と思わせるだけの話術が必要だ」とのお話。周囲といっても、「つまり裁判官」なのだそうですが・・。
私は事実は持って、確かな裏づけを纏めて理路整然と語る事が出来れば大丈夫なのですね。
 
 もともとは、「心を無視した社会の仕組み」に問題がある事ですが、私は自分の為に自分を伝えてみます。ということで、今夜は弁護士宛に送付する書類案その1を作成してみました。が、まだまだ案練り中ですよ。

 ところで、今日もまた星空がきれいでした。オリオン座から少し南西の位置にある小さな星の集まりは「すばる」だそうです。それから、夜空が丸く見えるというのは事実のようですよ。きれいですねぇ。自然はいいですねぇ。


2006年02月02日(木)

 今日は朝から、「夜は月の観測をするつもり」で活動。久しぶりに望遠鏡を持って滝の水公園へ行きました。
昨日の雨で空気は澄んでいて港の方まできれいに見えて、寒いけれどいい気持ちで、平日のせいか人が少なくて360度の景色を貸しきりで見てるようでした。今日のように空気が澄んだ日は遠くで雪化粧した山がよく見えます。海もいいけど山もいい。自然はいいですねぇ。
そしてこちらも久しぶりですが、相生山緑地へ行ってみました。相生山緑地は地下鉄桜通線野並駅から東海道を東へ向かうと左手に見える低い山ですが、どうやら名古屋で知られる散策コースのひとつのようです。
途中で年配の女性が「一緒に連れて行って下さい」と言われたので、一緒に山登りをしました。相生山の入り口は竹林で、上のほうで竹と竹がこすれあう音が聞こえて何とも神秘的。自然はいいですねぇ。
それからついに、家のベランダから望遠鏡で月を見る事が出来ました。今日は三日月ですが、光りと影の境目から月の凹凸がはっきり分かって、感激・・。インターネットによると、満月の時はクレーターがぼやけるそうですが、私は満月も見てみたいので楽しみにしています。「自然」はいいですねぇ。

 そして戸笠公園で素振りをしたのですが、右っちゃんの素振りがますます体に馴染んできた感じがしています。そして左っちゃんの方は、今はグリップエンドをぶつける事を練習しているところです。影を見ているとへっぴり腰ですが、ゆっくりでいいのです。

 相生山の「竹林」です


2006年02月01日(水)

 今、私は職場の事で、小さな問題を持ち、そのために自分の一日を使っています。
今日は一日中雨が降っていましたが、夕方北の空に虹が出ていました。虹は光りの屈折で起こるそうで、太陽を背中にすると見えるのだそうです。それにインターネットで検索すると外国にも虹はありましたから、虹ってどこにでも出るのですねぇ(当然ですが・・・)。

「今思うこと」

弁護士って何だろうか。免許って何だろうか。

弁護士は、法律の事を私たちよりも少し多く知っている人。
美容師は、人の髪の毛を私たちよりも少し上手に切れる人。
看護師の私は、病気・医療の事が人より少し多くわかる人。

私も法律を勉強すれば、勉強した分だけは自分で出来るはず。
大丈夫。自分の髪の毛を自分で切れた私だもの、法律の事も自分で切り開いていける。


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