「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年04月30日(土) 触れ合った 「心」 ・・餃子パーティー

 今日この家で「餃子パーティー」を開催しました。参加してくださった方は心の勉強をされている9名と中学生の男の子少年と・そして5歳の少年と男の子でした。私は今回「餃子パーティー」を企画した時、「楽な自分・プラスの空間」を想定しました。そしてその為に必要なことは「私が自分を大切し、自分を意識し、他者と関わり何かを語る自分を知っていること」だと考えていました。私は数日前から「プラスの想像」の中で小さなゲームを作り「イベントの準備」を「楽しみ」ました。「プラスの私」が「思いついたプラスのこと」を全て実行しておきたかったのです。そして当日の今日、私たちは一日を通して時にお腹を抱えて笑いあい、時に「社会の事・心の事」を語り合いました。参加してくださった方の一人の女性は「心を語る中」で「涙」を流しておられました。私は女性の「涙」を見ていて、「本当は皆苦しくて・泣きたくて仕方が無いのではないか」と思いました。そして女性に「悪いのはお母さん一人ではないと思うよ」と言いながら、「過去に子どもを虐待してしまった自分」を思い出しました。私は過去「自分を責めることしか知らなくて苦しかった」から、その結果として「子どもを虐待してしまった」のです。もしも「女性を含めた社会の殆どの人」が過去の私と同じように苦しんでいるのだとしたら・・。今、「社会」を変えていく必要があるのです。そして私自身は「過去」に「自分を責め続けたこと」で「現実から眼を逸らしてきた」事を知っているのだから、今よりも更に強く「自分を責める事を止めていく」必要があるのだと実感しました。
 参加してくださった皆様へ。
 2ヶ月くらい前のある日、私は自分が住んでいる「心を語る空間」・「ぬくもりのある空間」を、「状況の流れの中」からではなく「意図的」に広げてみたいと考えました。そしてそれが今回の「企画」の始まりでした。
今日は、皆様が「私の提案」を受け入れ参加してくださった事で、私自身も「笑いあい触れ合い」ながら「心」を語って過ごせた事を心から嬉しく思います。
狭い場所に大人がたくさん集まって、すれ違い際に触れ合ったのは「肌」と称する「心」であったと思います。 そして触れ合った「心」は今の社会には無い「ぬくもり」を持っていたとも思います。参加してくださった皆様ありがとうございました。そして突然遊びに来ていただいたお二人の少年にも、今此処で「ありがとう」と言わせてください。これからも「ぬくもりのある場所」へいつでも遊びにいらしてくださいね。Mamo


2005年04月28日(木) 近道

 職場の待合室は連休前の混雑で、座る席の無い患者さんどうしの肩が触れ合うほどでした。患者さんを診察する医師は私たち看護士に対して更なる 「早さ」 を要求しました。その中で私は常に 「自分の心」 を意識しました。混雑の続く診察室で 「自分の心」 を意識したことは、結果的に 「労力の無駄」 を省き 「効率のよさ」 を生んだように思えました。
 仕事を終えた9時半過ぎ、家に戻った私にあったのは「心地よい体の疲れ」のみでした。


2005年04月27日(水) 「認めること」

 休日の午後、私はルームメイトに「これまで心を見つめる事を続けてきたのは何故なの?」と尋ねられました。私は「過去はいつも混乱し苦しくて仕方がなかったこと・子どもを虐待し自分も傷つけ、さらに自分を含めた誰かを死に追いやるような生き方をしていたこと」を語りました。そして、「過去」を語っている自分を見ながら「これでいいのだ」という安堵感を感じていました。それは「過去」を「嘆き悲しんで生きていた自分」を卒業し「今を楽しんで生きている自分」に対する「確信」のようなものでした。さらに私が持っている「確信」は、少し前よりも更に「大きなもの」として在るような気もしました。
 夜にはルームメイトの青年と野球を見ました。青年は「野球の知識の少ない私」が理解できるよう丁寧に伝えてくれましたので、私は「自分がすればいいこと」を新しく発見したように思えて嬉しくなりました。青年は語りの中で「Mamoちゃんは “こんなところ” は出来てるよ」と伝えてくれました。私は青年の言葉を聞きながら「今・私に出来ている事」を自分自身で認めていこうと決めました。
私が「私の出来ている部分」を認めることは、 私が「自分に残されている傷」を見つめることに繋がるのだと思います。私は今日から「自分に出来ている部分」を認める事を更に強く意識してみます。22:00


2005年04月26日(火) 「突然の死」

 昨夜ルームメイトと一緒に 「JR福知山線の脱線事故」 のニュースを見ていました。ルームメイトは私に 「こうやって自分の意思とは関係なく死んでいく人っているんだ・・」 と言いました。私はその言葉を聞いて 「自分の意思で死のうとしていた過去」 を思い出しました。そして次に 「死ぬことは生きることよりもエネルギーが必要なのだ」 ・だから 「人が自殺して死んでいく」 ということは 「その人は究極の辛さを持っていた」ということなのだと思いました。さらに私は過去、 「死ねなかった」 のではなく 「死なずに生きること」 を選んだのだと実感しました。
 その後、テレビに流れ続ける映像を見つめながら、 「私が今此処で死んでいくとしたら・・・」 と想像してみました。そして 「大丈夫だ」 と思いました。私は 「今」 を 「自分のため」 に生きているから、「突然死ぬこと」 があっても 「死んでいく自分」 を受け入れられるのではないかと思ったのです。これからも 「突然死ぬ・その時」 まで、しっかりと 「自分」 を生きる感覚を持って生きていこうと改めて決心した出来事でした。21:00


2005年04月25日(月) 「自分の中心」 にいる 「自分」

 私は今日、これまでに無いほど 「丁寧な自分」 を意識することが出来たように思いました。少しおかしな表現ですが、自分の 「中心」 に 「自分がいる」 ことの 「心地よさ」 さえ感じられたように思いました。さらに、「自分の中心を意識できる私」 は 「丁寧に他者と関わることが出来る」 ような 「気」 がしました。「気がした」 と言ったことの 「理由」 は、私は自分の知る範囲で「私」を見ていて、私が見ている 「私」 は「私の一部分」であるように思うからです。 そして、だからこそいつも 「自分を丁寧に見つめること」を意識することが 「自分に優しく生きること」 に繋がるのだと思えます。
これからは、「自分の中心」 に 「自分がいる」 事の 「感覚」 を身に付け 「私の心」 に定着するよう 「意識」 してみます。22:00


2005年04月24日(日) Baseball 7  「こつこつ」

「野球」9番バッター・ライト
 今日も又ライトの位置で球の流れ具合を見ながら、一塁とライトの間を走っている私でした。そして時々空を見上げ 「太陽の位置」 を確かめては、こっちに来たらこのようにして・・こっちに来たらこのようにして・・」 と自分の中で 「太陽のまぶしさがあっても球を受ける方法」 をイメージしていました。そうしているうちに一度だけボールがライト方面に飛んできました。私は球の上がり具合を見ながら走り始め、球が落ちるまでには間に合ったのですが、グローブを下からすくい上げることが出来ず、惜しくも球を落としてしまいました。それでも球の落ちる位置まではスムーズに走ることができたから、又新たな 「課題」 を持てた私なのです。

 ところで私は今日の野球でとても大切な事を学びました。それは自分にある 「丁寧さ」 を引き出すということです。私が 「今やっていることを自分のものにする」 には 「その事をやっていこうとする自分」・「その事を意識している自分」 を大切にし、その事の為に 「時間を作り」、「丁寧」 に動いていく必要があるのです。私はもう一度肩の力を抜いて、「自分がしている事」 を 「1つずつ丁寧に」 やっていく事にします。
私は更に強くこの事を意識して動いていれば、3ヵ月後にはあの 「バッターボックス」に立ち、自分を意識し、腰から体を回転させ、球と仲良くしながら 「ヒット」 を打つことが出来ているかもしれません。それもいいですね・・。

 「こつこつこつこつ」 と、ひたすら 「ていねい」 に取り組んでいくのです。


2005年04月22日(金) 「心」  優先したいこと

 昨晩「衝突事故」の相手の方が謝罪に来てくれた後から、「私は人身事故扱い」を取り消していただこうと考えていました。昼休み早速警察にその旨を伝え、そして相手の保険会社の方に連絡すると、保険会社の方は「本当にいいんですか?」と私に尋ねました。いいのです。私は事故の後、いつもと同じ生活を送ることが出来ているのですから、「当然の事」 であり 「心のある謝罪」 を受けた私が 「優先すること」 でもあるのです。
 夜になって彼女から連絡があり、「病院の診察料金を支払いたい」 と言われるので 私の自宅まで来ていただきました。しばらく話をしているうちに彼女は私よりも1つ年上であることが分かり、「小さな一致」に喜んでいる私たちでした。彼女は昨日に続けて私の事を「しっかりして落ち着いて見えますね」と言いました。私はどの部分が「落ち着いて見える」のか、自分では分かりませんから、「不思議だなぁ」 と思ったり 「確かに野球を始めてから “ふしぶし” はしっかりしてきたなぁ」 と思ったり。
 話の最後、彼女は私に 「今日もあの交差点を通ったの?」 と聞きました。もちろんです。今の職場で働く限り「毎日通る交差点」・そして今のところ何処に行くにも 「車を利用する私」 。これからは 「外の景色を楽しめる自分」 を意識して、車を運転していこうと 「心に決めた私」 です。

姉に 「手紙の返事」 を出しました。「何時でも遊びに来て下さい」と・・・。21:30


2005年04月21日(木) 「心」 衝突事故

 朝、職場へ向かって運転中の交差点で左側から衝突されました。相手の方は医療機関に勤める若い女性。そして彼女の走っていた道には 「止まれ」 の文字が書かれてありました。車のぶつかった部分はへこみましたが、私には車のことよりも体のほうが心配でした。今は問題ないかもしれないけれど衝撃があったことは確かですから日にちが経ってから不調を感じることになるかもしれません。 「首は痛いような気がするけど、この痛みはいつもあるような気がする。それとも状況疲れかな。このまま様子を見るべきか、病院へ行っておくべきか」 ・・・私が病院へ行けば 「事故の相手の方」 にも負担が増す。職場にも迷惑がかかる。けれど 「首が痛いと思っている自分を大切にしたい」 。
私はしばらく考えた後相手の方と警察官に今回の事を 「人身事故」 扱いにしていただけるようお願いし職場へは 「午前中の休暇届」 を出しました。警察官は現場検証の中で 「一旦停止じゃないから暴走していいということではない」 と言いました。仰るとおりです。私は 「事故は相手があってのこと。ぶつけられた私に問題があった事も確かだ」 と考えていましたから、「そうですよね。ごめんなさいね」 と相手の方に謝罪しました。
 事故処理は思ったよりも時間がかかり、私は途中から気分が悪くなりました。けれど病院でのレントゲンの結果は特に問題なく家で体と心を休めているうちに吐き気も治まりましたので、午後は仕事へ出かけました。 「体の不調」 は寝ているうちに取れていったのですから、実際には突然の出来事に 「心が驚いた」 だけのことだったのです。
 
 そして夜9時半ごろ、家のベルが鳴り外に出てみると、事故の相手であった彼女が「菓子折り」を持って立っていました。彼女は「突然の彼女の訪問」に驚いている私に 「今日は本当にごめんなさい。体の具合は大丈夫ですか?私はあの時 “ごめんなさい” と言ってもらったのに何も言わなくて、ごめんなさい。体は大丈夫ですか?」 と言いました。私は一瞬 「私の前で涙を浮かべて謝罪している彼女」 に何を言ってよいのかが分かりませんでした。そして 「どうして良いかが分からない」 から 「どうしよう。私こそごめんね」 と言って彼女を抱きしめてしまいました。私は彼女の目からこぼれている涙を見ながら、 「自分のした事は良かったのか」 を自問自答していました。・・「彼女は “私の動きの結果” 此処に居て、私に “謝罪している” のだから、私は “自分のその後の動き” を正確に伝える必要がある」・・私は彼女に 「“その時の自分”を大切にしたかったこと・体の具合は問題なく午後には仕事に出かけたこと・後になって、“体の異変” は “心が驚いたからだ” と気付いたこと」を伝えました。彼女は私に、 「とても落ち着いているのですね」 と言いました。

 私たちは少しの間星空を見ながら話をしました。私は彼女に 「私はこの家で心の勉強をしている」 事を伝え、「遊びに来てね」 と付け加えました。彼女は 「あのままあそこで分かれたままになってしまうのは・・・と考えていて・・。こんな遅くにごめんなさい。本当に遊びに来れたら嬉しいです」 と言い、そして私たちは握手をしてお別れしました。夜の道、彼女を乗せて車を走らせてくれた彼女のご主人様は車の窓から頭を下げて、車を走らせて行きました。又いつかどこかで出会うことがあれば、私たちはこの出来事に付いて「心のある」語りが出来るのかもしれません。23:00


2005年04月19日(火) 「姉」 からの手紙

 姉から 「手紙の返事」 が届きました。文章の中には 「変わらない親」 への 「悔しさ」 と 「そこに生きる自分自身の心」 の 「葛藤」 が短く綴られてありました。私には、姉の 「心」 が語られた「15行の短い文章」が とても「重みのあるもの」 に思えました。
 
 そして今は、手紙の中で 「あなたに会いたい」 と語っている姉の 「心」 を思いながら、 「自分がこれまでしてきたこと」 を振り返り、そして 「私がこれからしていくこと」 を再確認しています。時に 「過去の日記」 を読み返し、時に 「過去の雑記帳」 をめくり返し、私は 「次」 に 「何を語れば」 いいのだろうと、 「私」 としての 「思い」 をめぐらせているのです。23:00
 


2005年04月17日(日) 「意識」 の問題

 今日はバッティングセンターで初めて 「飛んできた球を全て打ち飛ばすこと」 が出来ました。ちなみにこれを 「ノーミス」 と言うそうです。きっと 「練習してきた結果」 の1つなのですね。そしてまだまだこれから 「もっと凄いこと」 が起こるであろうと想像しては再び 「ワクワク」 している私です。
バッターボックスに立った私の頭の中にあったのは1つの文字・ 「腰」 です。 「腰」 を意識する事で 「他の部分に余分な力がかかる事を防げるだろう」 と思えたのです。実際に今日の私はこれまでよりもうんと楽に 「力の抜けた自分」 を感じていて、どちらかというと 「打ちたい」 というよりも 「遊びたい」 と考えていました。これからは 「腰」 の感触が体に染み付いていくように練習していくのです。楽しみ・楽しみ。

 職場に行くと「タイムカード」というものがありますが、私は「タイムカードを打刻し忘れる」事がよくあります。「意識している」のですが「タイムカードの空間」だけがすっぽりと抜けてしまうのです。「すっぽりと抜けてしまって」いて「打刻漏れ」に「気が付けない私」ですから、その度「打刻漏れを申告しなかった事」も先生にしかられるのです。ちなみに「打刻漏れ」には「ペナルティー」が付き、「打刻し忘れた事を先生に報告し忘れる」と更に「ペナルティー」が上乗せされ、タイムカードには「打刻し忘れ・再打刻前に医師に報告し忘れ!」という記入が加えられます。そして先生は私達職員に「打刻漏れがないようにペナルティーを付けてるんだよ。その為に初めからその分の時給を高くしてあるんだよ」と言います。私にはこの言葉は「あめと鞭」のように思えたり「疑いをかけられている」と思えたり。どちらにしても「おかしいなぁ」と思います。一方「押し忘れる私」に問題があることも確かです。これは「ペナルティー」以前の「意識」の問題であることと、「空白になる」には「空白になる理由」がある事はわかります。そして私はこの現実を「自分の問題として変えていかなければなりません。思いついたのは・・・タイムカードを押すことが「出来た」日には「出来た自分を認めていく」という事でした。「小さな事」だと思います。そして私は明日からこの「小さな事」をやってみる事に決めました。
「自分で自分を認めていく」取り組みを「意識的に取り入れていく」ことに「面白さ」を感じています。「プラスに流れること」は間違いないですよね。明日からの出勤時間を「楽しみ」にしています。いつも「楽しみ」です。


2005年04月16日(土) 「アイデア」

 4月に入ってから、職場では 「個人情報保護法案」 に基づいて 「小さな改良」 が繰り返されています。そして今日は 「診察室を改良後」 の 「初めての取り組み」 が行われました。この 「改良」 は 「患者さんの情報の保護」 を基礎にし私たち職員の 「業務の効率」 なども踏まえた上で考えられた 「アイデア」 ですから、「自分のアイデア」 が現実に活用されている光景は、「大きな喜び」へと変わります。
 そして 「新しいこと」 に 「小さな戸惑い」 が伴う事も確かです。パートの看護士・Nさんは 「何回聞いても忘れちゃうし患者さんがウワーッと来たらばたばたしてパニックになっちゃう。Mamoちゃんに聞くからね」と私に伝えてくれました。私は 「改良」 に関わった人間でもありますし、Nさんが伝えてくれたことへの 「嬉しさ」 も感じながら、 「何回でも聞いてね。ゆっくり伝えるから」 と返事をしました。Nさんは「良かった・・」と言いながら冗談を交えて私の肩に体をすり寄せてきました。 
 結果としては 「プラスとマイナス」 の両方が上げられ、「今日の結果」 を元に新たに加えられる「何か」を想像する事を思うと自然に心が躍ります。23:00


2005年04月15日(金) 「命」

 4月9日の夕方。庄内川の川沿いの「桜並木」通りを3人の心友と散歩していた時のことでした。私達は桜の花びらが川に流されていく様子を眺めながらゆっくりと川上へ向かって歩いていました。小さな花びらがくるくると回りながら流れていく様子は「可憐」に映り、ある人は流れていく花びらを見て「可愛いねぇ。こういうのはたまんないねぇ」と呟きました。その様子は本当に可愛らしくて、その日から私の頭の片隅に「花びら」と「小さな呟き」が残ったままになっていました。そして今朝再び「小さな呟き」を思い出していたら「赤ちゃんの頃の自分」が頭に浮かびました。「花びらの素朴さ」と「赤ちゃんであった私の素朴さ」がぴったりと重なりあったのです。その時私は「私の父親」は「小さな声を上げて可愛らしく泣いていたであろう私を愛そうとはしなかったのだ」と改めて思いました。この気づきの後、私の心は更に「楽さ」を感じていました。他者の小さな呟きがこんな形で「癒やし」のきっかけになるとは、本当に不思議な話でした。そして仕事へ出かけると「生まれて2ヶ月の赤ちゃん」が診察にやってきました。「やさしい声で泣いている赤ちゃん」を見ているうちに自分の産んだ子ども達の事を思い出しました。「あーそうだった。私の子ども達も小さな赤ちゃんの頃にはこんな風に可愛らしい声をして泣いていたのだ」。過去にはこの可愛い泣き声に怯え、自分から子どもを遠ざけていた私です。そして私は過去、子どもを育てなかったのではなく「子どもを育てる能力を持っていなかった」のですから、全く仕方の無いことですよね。
職場では、2ヶ月の赤ちゃんがお母さんの顔に自分の顔を擦り付けていました。私はその様子を見ながら、 いつも「自分の過去にあった出来事」の「根底」を見据えていこうと改めて意識しました。


2005年04月12日(火) 「知」と「心」

 病院には時々「知的障害者」と言われている方が診察にいらっしゃいます。そのうちの一人の女性は32歳。彼女はいつも「カラスの歌」を「歌って」診察時間を過ごしています。けれど今日は様子が違っていました。女性は診察室の床に座りこみ、「いたいよ。いたいよ。ごめんなさい。たたいた。」と大きな声で叫ぶのでした。私は始め彼女の言葉に驚きましたが、その言葉の「意味」は容易に想像できました。そして私は女性の「声」のひとつひとつに丁寧に答えていきました。女性が「いたいよ」と言ったときは「いたかったね」。「ごめんなさい」と言ったときは「いいよ・だいじょうぶ」。「たたいたよ・ぶった」と言ったときは「いたいね・ごめんね」と繰り返しながら、私の「単調な言葉」が「今の同僚」に伝わるといいのだけどと考えていました。そうしているうちに同僚は「たたいたよ。たたいたよ。ごめんなさい」と言って自分の頭を床にぶつけ始めました。私は「小さな声」で「あたまがいたいね。ぶたれるといたいね」と言い続けました。女性は更に自分の拳骨で頭やほっぺたをたたいたり、自分で書き壊して傷になった腕を引っ掻きながら「いたいよ。たたいたよ。ごめんね」と言い続けました。女性の吐く息が私の頬にかかりました。私は女性の開いたままの唇と目を交互に見つめました。その視線は最後まで「遠くを見つめたまま」でした。
施設の付き添いさんは「いつもこうだから仕方が無いんです」と言い、彼女の動きを止めようとしました。医師は女性の混乱に困っているように見えました。
私は女性のそばで「知的障害者」という言葉の意味を考えていました。全く視線が定まらず一人では生きていかれない彼女が「いたいよ。たたいたよ。ごめんなさい」という言葉を繰り返しているのは何故なのか。女性に「知的障害者」という言葉を付けたのは誰なのか。仮に女性が「知的な障害」を持っているとするのなら、その女性の「知」に「障害」を与えたのは誰なのか。そしてもっと原点に返るのなら、女性の「人として」の「心」を「壊した」のは誰なのか。「社会」の中には「弱い」と言われている人々を更に「弱くする」要素が普段に組み込まれているのではないかとか、この「社会」こそが、人にあるほんの「小さな点」を「大きなマイナス」にしているのではないかとか。私は、今の「社会」は「間違っている」と「心」から思います。私はいつも「根底」を見つめ「一般社会」とは「違う生き方」をしていこうと強く思った出来事でした。


2005年04月11日(月) 「高台」

 この頃の私は、自分が何処かの高台にいて 「社会」 を眺めているような気がしています。そして 「自分」 に 「心」 を持ち 「社会を眺める私」 として 「感じた事」 を「書き記している」 のです。「私」 が 「プラス」 の場所にいてそこから世間を眺める時には、私はいつも 「新しいこと」 を書き続けていけるのです。いつもいつも高台に居て 「心」 を持って生きる 「自分」 を眺めていこう。22:00


2005年04月10日(日) 「死」

 朝 「献体登録の申込書」 をポストの投函しました。「死の準備」 が一段落するまでにはもう少し時間がかかりそうですが、現実を生きながらゆっくりと進んでいけば良いと考えています。そして 「待ちの時間」 にも私の 「心」 はより濃いものへと成長しているのですから、もしかすると 「必要な期間」 なのだと言えるかもしれません。
 2005年2月下旬、公園で素振りをしていたときの事です。手に握ったバットの表面の冷たさを私自身の皮膚で感じた時、「今・この一瞬生きている私のこの手で・バットの冷たさを感じている私も、何時かは必ず死ぬのだな。今・此処で素振りをしている私もいつか必ず死ぬのだな」 という思いがじんわりと沸き起こってきたのです。
「私」 という人間はどこかで途切れて 「切れ目の向こう」 で死ぬのではなく、「今の続き」 として 「死んでいく」・「今の自分の延長線上」 に 「自分の死」 があるのだと実感していたのです。そしてこの事を私は 「仮説」 や 「空想」 の世界ではなく、いつもと同じ景色をいつもと同じように見ながら考えていた ・ 「今生きている自分」 が 「死んでいく存在である」 という事実を考えていたのです。
 今思えばこの体験は私が 「私自身」 として 「自分の死」 を実感した 「瞬間」 であったのかもしれません。22:00
 


2005年04月08日(金) 「参加すること」 の面白さ

 「個人情報法律法案」 が施行されたことで病院でも 「患者さんの情報」 や 「他の病院への紹介状」 に書かれる 「名前の保護の仕方」が問題になっています。私は受付さんと 「情報を守る方法とその事によるミスが起こりにくい方法」 を話し合ってみました。私たちは 「ゆっくりとやればミスは起こらない事」 を知っていました。問題は 「時間のなさ」 なのです。受付さんは 「ばたばたしている時に限って情報がほしいと言う人が来るんだよね」 と困り顔でした。受付で患者さんの対応をしながら 「どれだけのことが可能か」 ということなのです。私は「ひとつずつやっていけるといいなぁ」と思ったり、 「その時一番必要な事を優先していく事」 が 「大切」 なのだなぁと考えたり。そして「今」は、私たちがそれぞれの立場から考えて 「できた案」 をやってみることが良いのだと思いました。先生もまたひとつの考えを持っていましたので、これからしばらくの間「三つの視点」 で考えられた案を寄せ集めて、「試験的な取り組み」 が行われます。
 私はこれまでの職場では 「決められたことに従っていく」 事ばかりでしたので、今回のように 「当事者として関わっていること」 を 「楽しい」 と感じています。今後の発展を楽しみにしています。22:00


2005年04月07日(木) 「謝罪する」ということ

 職場でミスをしました。それは病院という場所であってはならないことでした。ミスを犯したのは私です。私は患者さんに電話をして謝罪し、その事に関して患者さんの 「意向に沿う」 事を伝えました。その日家に帰ってからの私は、体に 「鉛のような重たさ」 を感じました。「おかしい」。悪かったのは私。だから謝罪した。後の 「対応」 も考えた。動きとしては全て「プラス」。「なのにどうして疲れるのだろう」。

 実際には 「言い訳をしたい自分」 がどこかにいて、自分の気持ちを隠す為に 「必要以上」 に 「丁寧な自分」 を 「演じている自分」 が居たのです。
「電話の応対」・「きれいな言葉」・「笑顔」・「あなたの意に沿わせて頂きます」という「受身の言葉」。どれもが 「優しい」・けれどそれは私のどこかで 「作られたもの」 だったのです。だから家に戻った私は 「鉛のように疲れていた」 のです。
 そして久々に感じた 「鉛の重たさ」 は、過去 「良い妻・良い母」 をしていた頃の 「疲れ」 と類似していました。「偽りの優しさ」 は 「疲れる」 のです。「嘘」 は 「続けられない」 のです。そして私はそんな自分に気が付いたから、又変えていくことができますね。

「謝罪」 は何の為にあるのでしょうか。1つは相手に迷惑をかけたことへの 「お詫び」 の為に・そしてもう1つは 「私自身の次のステップ」 の為にあるのだと思います。「謝罪すること」 は、「自分を許してもらう為」 にするのではなくて、「自分の行動」 に 「責任」 を取る為にすることなのですね。22:00


2005年04月06日(水) トレーニング 「好奇心」

 休日 「野球の練習」 。まず初めに 「ダッシュ」 の練習をしました。先日4月3日に行なわれた 「6回目の試合」 の時に感じたのですが、「ダッシュ」 とは子どもがかけっこをするような 「用意ドン!」 とは違うのですよね。ピッチャーが 「球を何処に投げるか」 で私の走る方向が変わってくるのだから、「判断力」 と 「瞬発力」 が勝負なのですね。私は今はまだ 「野球の知識」 も少ないですが、これも何度かやっていくうちに 「私の力」 になっていくのでしょう。そして 「走るとき」 には 「つま先」 を意識していると、より早く軽く前へ進む事が出来るのですね。私は今日地面を蹴りながら、細くて長い足で軽快に走る「カモシカ」のように走りたいと考えてました。
 次に 「球」 をとる練習をしました。しかし・・・これがなかなか思うようには上達しません。過去にやっていた 「スポーツ」 や 「生活様式で馴染んでいる習慣」 が 「技術の向上」 の妨げになっているのです。おそらくこのような部分でも、「過去のものを全て捨てる」 事が出来ると 「私の野球能力」 がより早くUPするはずですね。またまた面白い事になりそうですね。
「バッティング」 の方は、何とか 「形になってきたかなぁ」 と思えるようになりました。あとは 「バットに球を当てる事」 を目標にして、そして毎日の素振りを大切にしていきます。

 ところでこの頃ルームメイトのY君と一緒に練習をするたびに感じる事があります。女性と男性では 「体の構造」 が違うのですね。私は今日、走り去るY君の身体を見て、そして自分の身体を見て、「女である私」 は 「男性であるY君」 に比べると 「筋肉」 も 「骨格」 も 「走る能力」 や 「持っている力」 が 「小さい事」 を実感しました。では 「女である私」 が 「野球をすること」 にはいずれ限界がやってくるのかな・・・。
そうかもしれません。そしてそうではないかもしれません。

 たいていの事は 「好奇心」 の問題ではないかなと思います。21:50


2005年04月05日(火) 「私」の深さ

 社会の人は早口です。そういう私も過去には「沈黙を作らないようにしゃべり続ける人」でした。そして今は「孤独を楽しみ」、自分に付いては「丁寧」に語る事を意識していられます。時には「社会の早さ」に巻き込まれ「乱暴」になっている自分に気が付きます。「ユーモア」も「ギャグ」も現実を楽しむためには「あってもいい」ものだと思います。
社会の人は「私」に付いてさまざまな想像をします。他者から見た「私」への想像がある程度自分と一致している時には構いませんが、逆に真実の「私」とは違う事を語られているときには「No」を伝えることが大切だそうです。もしかすると「黙って聞いている」時には「Yes」と言っているのと同じことなのかもしれませんね。だとするならば、私は「自分」の事に関してもっと丁寧に「No」を伝えていく事が必要あるのです。そして最も大切な「私の心」の事に関しては肯定される場所でのみ語っていけばよいのですよね。最も私は「私の事」・「私の心の事」について、簡単に語ることは出来ないほどの濃くて深い「中身」が詰まっていると思っています。おそらく誰にとっても「同じ事」が言えるのではないかと思います。そして私は「深くて濃い人生を歩いている自分」の事を大切に思って生きています。


2005年04月04日(月) 「ごめんね」 の 「根底」

 これまで何度も口にした「ごめんね」という言葉に、どれだけ私の心が入っていただろうか。「ごめんね」と謝罪しつつ「同じ事を繰り返していた」ということは、初めから「その事と対峙した」のではなく、その事を「嘆いてきただけ」なのではないだろうか。「明確な理由」が無いまま「ごめんね」ということで「自分を正当化してきた感があったのではないだろうか。
 この頃ようやく自分を責めなくなった。「時には“失敗”もする・完璧ではない自分」が「好き」だと思えるようになってきた。そんな私は今も時々「表面だけ」を片付けようとする。それは「世間一般」の生き方と同じ。そして今私は「過去とは違う生き方」をしているはずだから・私が見ているところはもっと「深い部分」のはずだから、私はいつも物事の「根底」を見ていこう。自分の「心」の「根底」を見続けて生きていこう。「ごめんね」はまず「自分」の心に伝えよう。


2005年04月03日(日) Baseball 6  自分 の 「課題」

 野球6試合目。今日は 「ライトに飛んできたボールをキャッチしました!」
 相手チームは 「2アウト」。 私は 「ライト」 の位置に立ち「思考」を集中させて 「いつでも駆け出せる姿勢」 で持ちながら、何時ものようにイメージを膨らませていました。
「バッターは体が大きいから球はライトまで飛んでくるかもしれないなぁ」 (実は何時もそう思っているのです。例えば 「右打ち」 だから球がライトまで飛んで来るかも・・とか、 「左打ち」 だから球の向きはライトだな・・とか)
そして今日はついに 「イメージ」 は 「現実のもの」 となりました。 大きな体のバッターが打った「球」 は何処にも寄り道せずにまっすぐに私の方へ向かって近づいてきます。 「来た!どこらへん? ここらへん?? に、来る? かも?」 時間にすれば僅かなものだと思います。その間私の耳に 「ライト!」 という声が聞こえてきましたが答えている 「時間と余裕」 はありません。「球」 は私の 「計算」 にほぼ近い角度 「落ちてくる!」 。 「来た! 取れるかどうか・・多分取れ・る・・だ・ろう!」 ・・・ 「やった!」

 私は先週の試合の後すぐ、自分の心に 「球を待てる自分になる」 という 「課題」 を持っていました。「球が怖い」 という感情があっては 「次の動き」 を考える時に差し支えるからです。そしてこの一週間は 「球と仲良くする方法」 を探しながら 「練習」 をしていました。余談ですが 「途中経過」 としては、朝から 「民家の庭にボールを投げ込んでしまった」 とか 「練習開始の第一球」 をいきなり「高いフェンスの向こうに飛ばしてしまった」事もあり、その球を何とか取り戻そうとしている自分がおかしかったりして その都度 「小さなハプニング」 を楽しんでいる私でした。そしてその時自分のしていることが 「自分のものになっている」 という実感はとても 「小さなもの」 でした。 ですから今日 「自分が持っていた一つの課題」 を 「クリアしたこと」 が嬉しくて仕方がないのです。さらに後で知ったことなのですが 「私が球をキャッチしたこと」 で 「試合が3アウトとなりその回が終了した」 ようなのです。という事は 「私の動き」 は 「チーム全体」 が 「プラスに動く」 力の 「1つ」 となったのですね。「凄いなぁ 」と思います。今はまだ 「個人のレベルで喜んでいる私」 も 「試合の流れ」 が読めるようになるともっと楽しむ事が出来るのですね。
一方 「攻撃」 の方では 「フォアーボール」 で 「一塁ベース」 まで出る事が出来ました。私も 「ヒット」 を打ちたいから更に 「頭」 と 「心」 を使って練習しておくのです。 
 どんなスポーツも 「心」 を通して取り組んでいられれば 「どこまでも成長していける」 のではないかと思います。素敵なことですね。21:00


2005年04月01日(金) 自分にしてあげられること

 午前中職場で 「働く自分」 を見ていました。「楽しんでいる自分」 と「つまんないと思っている自分」 が居ました。同じ空間に居て同じような事をしている私に 「両極端な感情」 が行き来している事の 「理由」 は 「何だろう」 と考えてみると 「現実が受け入れられる時」 には 「楽しんで」 いて 「現実が自分の考えと反する時」 には 「つまんない」 と感じている自分が居るからでした。本来私は 「どんな事」 も楽しんでいけるはずなのに、おかしいですね。さらに考えていて気が付いたのですが、「社会に自分の気持ちに反する現象は往々にしてある」のですよね。そして私は 「さまざまな現実」 の中で、 「自分をより楽しませてあげられるよう」 に 「自分の気持ち」 を切り替えていけばいいのですね。今日は仕事中にこんな 「小さな気付き」 を得て、何だか嬉しくなりました。私がその後一日を通して 「仕事を楽しんだ」 事は言うまでもありません。

 午後 「姉への手紙」 をポストに投函しました。二日後には 「九州」 に暮らしているはずの 「姉」 の元へ手紙が届けられることでしょう。私はこの一週間 「手紙」 を書きながら実にたくさんの事を思い出していました。そしてそれらの殆どは 「傷を癒やすきっかけ」 となりました。
 子どもの頃 「父に殴られうずくまっている母親」 を庇うように父の前で両腕を広げ、父親に向かって 「弱いものいじめをしたらいけん!」 と叫んでいた 「姉」 ・ 大人になってからいつもいつも父を嫌い続けた 「姉」。 そして逆に 「母が一番悪いのだ」 と母を嫌い、父に関しては 「たった一度の肩車された記憶」 にしがみつき、大人になってからも 「空想の中の父」 を追い続けた 「私」。 ある時 「姉」 は、「母親と同じ宗教」 に依存していた 「私」 に、 「どんな親でも尊敬せんと幸せになれんの?」 と聞いたことがありました。私はその頃 「自分の苦しさに気が付いていなかった」 から、「そうだよ」 とはっきりと答えていたのです。本来 「自分の価値」 を知っている私たちなら 「姉の疑問」 も 「私の答え」 もあるはずの無いことでした。私の育った環境に 「父親・母親」 は存在していなかったのですね。「姉」 は私の手紙を読んで何を思うでしょう。わかりません。そして私は 「私のしてきたこと」 を整理し確認することが出来たから、これでいいですね。

 夜には 「プロ野球」 を観戦しました。私は「野球」を観戦するのは「初めて」なのです。驚いた事は選手達の 「下半身の筋肉の大きさ」 です。バッターボックスに立って構えた姿はかっこいいですね。大きく突き出たヒップに太ももが続いている「安定した身体」で「軽がる」とバットを振っていて、「無駄な動き」 は1つも無いように見えました。「シンプル」 ですね。そして 「リプレイ」 で流れる映像では、選手たちは 「バットが球に当たる」 瞬間を見ている 「視線」 がよく分かりました。こちらも凄いですね。私ももっともっと 「飛んでくる球を見つめられる」 になりたいですね。
それからそれから・・・。今私は 「私にどこまで野球が出来るのか」 を想像して楽しんでいます。「楽しい想像」 は何時かは実現するような気さえしています。そして私もこのまま 「野球」 を続けていると、あの選手達と同じような体つきに変わってくるのかなとも考えます。とするとやはり 「マッチョな世界」 が待っています。私は 「マッチョな自分」 もイメージして遊んでいるのです。

面白いですね。生きることは「楽の大小」なのです。そして私は何時も「自分にしてあげられること」を考えているのです。23:00


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