留学先での独り言

2003年04月30日(水) アメリカで交通事故に遭う その5

なんかこの話題でひっぱっているみたいで、申しわけない
気がしてきました。今日でひとまず完結させるつもりですが。

指示された通りにER(ちなみにEmergency Roomの略です)に
行くと、受付をすませてすぐに奥に通してくれた。しかし
おれが血一滴も流していないのをみてか、その後呼ばれない、
呼ばれない。こんなんでどこがER?と思ってしまう。やっと
こさ部屋に呼ばれて、看護婦や医師に事情を説明、首の骨の
X線をとるかと思いきや、尿と血液の検査を受けた。どうやら
骨には異常ないことを問診で悟ったようだ。で最終的な診断は
異常なし。とりあえずよかった、よかっただった。

で今日アポをとった弁護士にアドバイスをもらうべく、学校の
リーガルサービスへ。ところが10時になっても誰もいない。
10分後お留守番の学生が着たが、先生はいないという。あれれ、
ちょっと待ってということでごそごそやったあと、メモを一枚
くれる。「ここに電話して、ここの電話使っていいから。」
なんでも有難いことにやらせてもらえるのが、アメリカである。
結局その弁護士は自分の事務所にも不在で、どこにいるか不明。
なのであらためて明日出直すことに。事務所なら携帯に連絡し
て居所をすぐつかんでもよさそうなものだが、わからないの
一本調子。このあたりもアメリカ、南部である。

とにかく相手の保険会社から連絡がなく、車が使えないけど
かといって修理に出しても相手が全額払うかどうかわからない
状態なので、八方塞り。このことでいろいろなアメリカ人に
こういうときどうする?って聞いてみた。がまたもや時間の
無駄だった。誰もが違うことをもっともらしく言うが、どうも
信用ならない。結局明日弁護士に会った時の助言を採用する
ことに決めた。気長でなければ、この国ではやっていけない。

以上、事故に関する一部始終を報告してみました。
今後のことは進展があり次第お伝えし、明日ぐらいはちょっと
明るい話を提供できたらと思ってます。



2003年04月29日(火) アメリカで交通事故に遭う その4

忙しく過ごした土曜日に比べ、日曜日は試合のみで何も
しなかった。というのは相手方の保険会社が休みだとの
こと。これが実はやっかいなやりとりの始まりである。

週が明けた月曜日、まずInternational Student Office
に行く。彼らが役立たずであることは承知しているが、こ
ういうときはせめて知らせた方が後々いいこともあるかと
思って行ってみた。でもやっぱり無駄足だった。彼らに
いろいろな質問をしても「私は経験ないからわからない」
で一蹴された。先のイラク戦争で人権侵害から留学生を
守る、何かあったら相談して下さい、といった文書を
留学生にメイルで配信したが、じゃ何をしてくれたかは
実に怪しい。今回だって留学生が心配なら事故処理の様子
をトラッキングして、余りにも外国人に不利な裁定が下り
そうなら助けてくれてもよさそうなのに。

ま、USM、そしてミシシッピ州にそんなこと期待するのが
馬鹿な話か。

ただ前に僕がStudent Printzで見て覚えていた法的な
サービスを提供してくれる所を、聞いたら教えてくれた。
(もし聞かなかったら教えてくれなかったのは言うまでも
ない。さらに場所も間違っていた。)なのでこの事故に
対する法的処理の不備がないようにアドバイスを求めに
そこに行った。

結果、弁護士さんがいなくて水曜日にアポをとっただけ。
これは仕方ないか。出直しです。

最後になんとなく頭が重いのが続いていたのと、やっぱり
孤独のアメリカ生活、今後何かあると嫌なので学校の
クリニックに行った。もし異常があれば、車の修理だけで
なく、これも相手方に伝えて補償してもらう必要あると
考えたからだ。ただちょっとびっくり、倦怠感と軽い頭痛
を訴えただけだったが、症状はどうであれいかなる交通事故
の被害者は大きな病院のERにまず行けとのこと。保険の関係
上Forrest General病院に行くことになった。えっ、ER?
大袈裟な、と思ったが、これは彼らのポリシーらしいので
仕方がない。

これ以降の話はまた明日に。



2003年04月28日(月) アメリカで交通事故に遭う その3

まず報告。今日病院に行って念のため精密検査を受けたけど
異常は見つかりませんでした。もし後で痛くなったら又来て
下さい、と言われたけどその必要はないでしょう。

さて続き。彼の策略は、警察を呼ばなかったことにより
現場検証を免れ、彼は自分でなく筆者が突っ込んできたと
主張出来ること。その場で修理代を払うといっても口約束の
ため何の確証がないこと、つまりやろうと思えばそのまま逃げ
られた状況だった。自分としては大人の行動として恥ずかしい
限りである。

その後ソフトボール場に行き、ボスであるGAにそのことを
話すと、まずは彼の電話番号が正しいか、実際電話をかけて
くれた。実際奥さんが出て、彼の電話番号が正しいか確認。
少しほっとする。ただその後、奥さんが夫に電話したのだろう、
GAに折り返しの電話が入り、また無茶苦茶な状況説明をする。
GAいわく「全然違うこと言ってたよ」とのこと。それでも
このGAはぼくを信じてくれ、むしろぼくが日本人だからと
言って不利にならないよう、あとでいろいろと対策を練って、
実際彼も動いてくれた。これには感謝、感謝。

その後もいろんな人に話しを聞き、試合後すべきことを
確認。しかし家に帰ると向こうから電話がかかってきた。

向こうもボスと連絡したらしく、ボスの命令で会社の保険会社
を通せとのこと。実はあのとき保険を使いたくなかったのは
この保険を知らなかったから、といったが事故がばれたくな
かったとっさの判断であろう。また、妙に身体のことや、
車について説明して「大丈夫だろう?」「そんなにお金かから
ないよな。走れるよな?」と聞いてくる。奴が実はびびってい
るのがひしひしと伝わってくる。ここではもう冷静になってる
自分。「そんなのは専門家でないからわからん」「何故貴方に
そんなことがわかる」と不安を掻き立てる。

結局はお互いの保険会社に連絡し、保険会社同士で連絡をとり
あってもらうことに。

なので自分の保険会社に電話し、状況説明。彼らいわく、今から
でもいいから今すぐ警察を呼び、事故証明をとれとのこと。そし
て相手側の保険会社に文句をいえと言われた。それに従う為すぐ
に警察呼び、事故証明を発行してもらう。もちろん相手がいない
ので供述はぼくが言うまま。彼は嘘をつくだろうが、ぼくは絶対
に正しい、というと警察は「はいはい」といった感じでうなづく。
あくまでも事務処理だ。ただこの供述が通り、これを元に保険会社
がやりとりをするなら、100%彼の責任となりお金を払ってもらう
ことになろう。当然だけど。

以上土曜日に起きた出来事すべてです。正直えらく疲れた。

まだまだ続く。



2003年04月27日(日) アメリカで交通事故に遭う その2

これは昨日の続き。

相手が下りてきて一言「どうした、何かあった?」一気に
きれた。「おまえが急にバックしてきてぶつかっただろ?」
「えっ、ぶつかった?」奴は首をかしげる。同乗者の子が
ぼくの車をみて「ほらこことここ、へこんでるよ」「あぁ、
それは前からあった傷だよ。」てめぇ、人の車みたこと
ないくせによくそんなこといえるな。

知りうる限りの汚い英語でまくしたてた。

「てめぇがいきなり停まって、今度は後ろも確認せずに
バックしてきたんだろう。しかもホーンならしたのに
ブレーキもかけずにつっこみやがって?」

「何で君はうしろにいたんだ」「あほかおまえは、この
敷地内から出ようと思って、徐行して前にいるおまえの
車の後を走ってただけだ。でおまえがとまったら、同じ
ように後ろにとまってただけだ。」

そこで奴は自分の車を見てぶつかったのを確認する。

「でも鏡では君の車は見えなかった。」見なかったんだろ
ぼけ、と思うも「そんなのは知らない。」と答える。で
彼は言う「俺はギアをリバース(バック)に入れてない。
君がつっこんできたのか?」

完全に切れた。また汚い言葉を使いまくる。

そうはいっても周りに誰もいないので、仕方なしに保険
会社を呼ぼうとすると、奴は使いたくない、困るという
しぐさをみせた。で急に譲歩する。「3つの修理屋にいって
見積もりをもらってきてくれ。そしたらそれをぼくが払う。」
そう言って彼は電話番号を渡してきた。名前を確認。

幸いその時点で自分に怪我はないし、車も前と横がへこんだ
程度なのでそれでとりあえず了解した。そもそも試合に行か
ないといけないし。(この点が日本人ぽくて、あとですごく
反省した。)

ただあとで、これも彼の策略だったことがわかって怒りが
こみあげてくるとともに、自分が冷静さを失っていたこと、
まずは警察を呼ばなかったこと、保険会社を呼ばなかった
こと、など反省だらけとなった。少なくともこういうとき
は相手に情けを与えては絶対いけない。

この後の話はまた明日。



2003年04月26日(土) アメリカで交通事故に遭う

初めて交通事故の当事者となった。もちろんぼくは被害者で
ぼくの車をぶつけれらたのだ。いろいろなことを書きたいが、
今日はまず記憶が確かなうちに事実のみを書く。英語での
やりとりでうまくことを言えず、また相手がぶつけておきな
がら嘘の発言で逃れようとしていて、えらくストレスが
たまったからだ。このことは明日に書きたい。

4月26日、朝10時15分、ソフトボール場に向かうべく、家を
車に乗って出た。最初の角を曲がると(まだアパート敷地内)
前方にBluebellという会社の車(トラック)がいたので、
その後ろを走ることに。(このときのスピードは10mile/h以下)
一つめのバンプを越えた後、なぜかその車はそこで停車した。
仕方なくぼくもその後ろでとまって、人が降りてくるのか、
それとも最発進するのか見守った。しばらく動かない。何を
してるんだ?と思って、左からじゃ迂回して前に出ようと
左を見た瞬間、目を疑うことが起きた。

いきなりバックしてきたのだ。自分の目に後ろの白いランプが
光ったのを確認した。あわててホーンを鳴らした。自分の車を
後ろにバックさせる時間はなかった。ガーンという音とともに
自分の車がぶつけられた。自分の車は止まったままだったが、
それでもかなりの衝撃を受けた。シートベルトはしていた。

ぼくは車を動かさず、彼らが降りてくるのを確認して、自分も
外に出た。

これが事実である。この後のやり取りは明日。ここでアメリカ人
らしいおとぼけ発言を聞き、自分は激昂した。



2003年04月25日(金) うれしかった一言

最近晴れたり、急に雨が降ったりし始めた。5月も近く
なり気温も80F越えることもしばしば。学期の終了を
目前にし、ここにも夏がやっているのかと思う。
5月に夏休み?という言葉は不思議に思うかも知れない
が、ここハティスバーグでは5月はもう夏なのだ。

さて今日学校に行くと、一人だけNATABOCの試験を
すべて通った人がいた。おめでとうとは言ったが
何故自分が1科目とはいえ落ちたか、まだ納得が
出来ない。受かったのが2科目でも忙しい中よくやった、
中にはご苦労さんじゃなく「Congratulation」という
人間までいたが、全くそんな気分になれない。

午後はいつも通りソフトボールの練習へ。チームとしては
カンファレンストーナメント出場に向け、実に重要な時期
であるが、自分は卒業が決まっていること、テストが落ちた
ことによりモチベーションはあがるはずもない。早く学期が
終わってくれることを祈るのみだ。

そんな中、練習が終わったあと一人の選手の子が話し掛けて
来てくれた。「話聞いたよ、テスト残念だったね。落ちこん
でる?」「ちょっとね。」「でも今度は大丈夫だよ」と言っ
てくれた。こういわれた方が今の自分の心境にあってて、
心が和らいだ。

普段自分の話をまわりに余りしないので誰も自分の状況を
知らないと思ったが、心配してくれてた選手がいたかと思う
と非常にうれしかった。



2003年04月24日(木) 試験の結果について

NATABOC試験は3科目中、2科目しか受かりませんでした。

周りには言ってなかったものの受かったと思っていたので
ちょっとショックです。落ちた1科目でどの程度点が足り
なかったかまだわからないけど、このテストを1回で受か
らなかった自分に腹が立ちます。遠征続きで忙しかった
ともいえるけど、そんなのは理由になりません。

敗軍の将は兵を語らず、謙虚に事実を受け入れます。
次回必ず受かるまでに、あと40数日をどう過ごすかです。



2003年04月23日(水) Antihistamine

予告どおり抗ヒスタミンの話をしようと思ったけど、今日
知ったちょっとうれしいニュースをその前に。

日本の理化学研究所の研究員がどうやら新しいビタミンを
確認したらしい。もともと発見はされていたけど、その
機能などが不明だったのが、解明されたとのこと。ビタミン
なんて身近でとうの昔からその内容がわかっていそうなも
のなのに、いまだ新種発見なんてちょっとびっくりして
しまった。ちなみに、自分の記憶が正しければ人類最初の
ビタミン発見も確か日本人だと思ったけど、確かかな。
調べてみよ。

さて前にも日記に書いたかも知れないが、今生物系の
薬理学の授業を聴講している。看護系の薬理学をとった時
は薬の効能ばかりに注目してあまり面白くなかったが、
こっちのはどうやって身体に効くか、薬によって効き方が
違うのはなぜか、などを学べて本当に面白い。

で毎年花粉症に悩む自分として、抗ヒスタミンの話はなん
とも興味深かった。抗ヒスタミン剤は第1世代と第2世代が
あるらしく、第1世代はいわゆる眠くなってしまう奴。
典型的なのがdiphen系でこっちだとBenadrylという薬名
が有名。で化学構造式を見ると上下対照のわかり易い
構造をしていた。これが化学的にどのように身体の器官と
反応して、ある効用を発揮するといったところまでは
話が及ばなかったが、それは次回にやるでしょう。次回は
この話と眠くならない第2世代(AllegraとかClaritinとか)
の話のはず。珍しく授業が楽しみ(?)だ。

P.S. 今年は花粉症のために医師から薦められたClarinexと
いう薬を服用したが、Allegraよりはるかによく効いた。
しかし以前の日記に書いたように高い。30錠で65.25ドルだった。

ちなみに日本でいくら(リンク)かというと、100錠で35,000円。
こうみるとアメリカで処方してもらった方が少し安いみたい。



2003年04月22日(火) 豊かな老後を考える

今日はトレーニングルームに行っても、自分に割り当てられた
選手がいなくて、暇。春学期も残り実質2週間で、活動をして
いる部も野球とソフトボールしかないから、それに伴って
午前中のトリートメント予約表も閑散とする。選手が怪我し
ないことはいいことなんだけど。

さて本題、まだ日本で4年しか働いておらず、こっちで就職も
してないというのに老後を考えてみた。(早すぎ?)やって
みたいことはあるが、出来ることなら大学に戻って今度は
理論物理学、特に素粒子論をやりたいなぁと思う。言って
おくけどこれは勉強ではない、趣味なのだ。じゃ、今勉強
すればいいじゃんって言われるけど、今は出来ない。これを
専門にしたら気が狂ってしまうし、何よりこの専門をばりばり
やるには脳みそがちょっと足りなさ過ぎる。のんびり構えて
頭がいい人の業績を理解することが出来るようになればいい
のだ。

大昔の話になるけど、ぼくは星が好きで、昔は夜空をよく
眺めていた。当時はギリシャ神話、ローマ神話を読む程度
だった。今は物理法則の根本となる4つの力が統一出来る
のかどうかに興味がある。もっと細かく言えば、その根拠
となる理論の美しさと優雅さにのんびり浸って、宇宙がどう
やって誕生しこの世界が作られてきたかを垣間見てみたい。

うーん、老後にやることにしてはテーマが大きすぎるかも。



2003年04月21日(月) アメリカにサービスという言葉は存在しない

題名の通り、大学院出願に関して今トラブルだらけ。どこの
大学に出していても、必ず一つや二つのトラブルが起きている。
あぁアメリカだなぁと思いつつ、I-20があと3週間で切れる
差し迫った状況でかなりあせってきた。

まず主役はETS。これはGREのスコアを各大学に送る機関だ。
送ったという確認の手紙をもらったので、てっきり出願した
大学にはすべてスコアが届いていると思ったら、全てに
届いてない。電話して確認すると、「こちらでは大学側が
受け取ったという確認をもらってますが、念のためもう一度
送りましょう」とのこと。これで大丈夫だろうと思ったら、
約束の期間が過ぎてもやっぱり大学側は届いてないという。
一体どうなってるんだ?ETSもしくは大学側のシステムの
問題なのに何故おれがこんな無駄な時間を使うんだ、全く。

次にある大学。GAの募集をしながら、予算凍結をくらって
やっぱりとれるかどうかわからない、待って、とのこと。
そんだったら無責任な募集するな。全く。

またある大学では、手書きで希望学科を書いたにも関わらず
間違ってタイプしたのか、謎の学科出願確認書をもらった。
であわててコンタクトを取りつづけていた教授から「あれ、
うちの学科を希望してるんだよね?うちの方に書類回して
いいんだよね?」その通りです。誰がどのように間違えた
のか全く。

細かいこと言えば、これだけではない。メイルは1回じゃ
なかなか返事こないし、来たと思ったら内容を全く読んで
ないでとんちんかんな答え。いい加減切れる。

アメリカに顧客サービスという言葉はやっぱりない。



2003年04月20日(日) イースターの休日の過ごし方

今日午前中はごろごろして終わった。どうも長旅の疲れ
はバスの中で寝ても癒されないようだ。確かにベッドの
中での睡眠は心地よい。

午後髪の毛を切ろうといつものモールに行ったが、なん
とあのモールに数台しか車が止まっていない。そうだ、
今日はイースターの休日で、ここはお休みなんだと
気づく。

それでも学校なら夜から空いているだろう、と郵便物と
図書館をチェックするも、どちらも完全休業日。Hubの
建物そのものに鍵がかかっていたのにはびっくりした。
図書館前ではトレーナー仲間に会い、彼女でも図書館
が完全に閉まるのにはびっくり。「学期末が近いという
のになんで終日休みなの?」とはアメリカ人らしくない
発言。いや、自分の都合の悪くなることを怒るのは
アメリカ人らしいか。きっとイースターの休日に働か
されたらそれはそれで怒っただろうし。

仕方ないので、家に帰ってトリプルXという映画を観た。
たまたま友達から借りていたDVDがあったからだ。こう
いうアクションものは会話がわからなくても楽しめる
ので楽だ。ちなみに準主役の恐らくチェコ人の女の子
の英語はえらく聞き取りづらかった。アメリカ人にとって
自分の英語はあぁなのかもと思ったら、悲しくなった。



2003年04月19日(土) 高校野球並の投手酷使

30分ほど前にセントルイスから帰ってきました。今季10時間
を越えるバス旅はこれで最後。残りはバトンルージュと
バーミンハムでせいぜい3-4時間で近い、近い(って感覚が
恐ろしい)。それにしても帰ってくるとハティスバーグは
いつも暑くて、じめじめしていると感じる。

3連戦3戦目はまたもや1点差で負けた。(0-1)うちの投手が
相手に許したヒットは1本。それも6回まではパーフェクト
だった。負けた理由?味方のエラーとパスボールのみ。
あまりにもピッチャーには可哀想な結果。

相手は3戦連続で同じ投手が投げた。2日で23イニング。
日本の高校野球並に酷使されてる。メジャーでは当たり前の
ようにローテーションが確立、役割分担もしっかり、と
言われているがソフトボールでは必ずしもそうでないらしい。
それでもうちは今日も1本しかヒットが出なかった。それに
対して奪われた三振は3日で14+8+6=28個。何を工夫するわけ
でもなく見てるほうは寒い限り。試合後いろいろとコーチが
話しているけど、選手を叱るより、自分の指導法を責めたほう
がいいんじゃないの?って心から思う。そもそもうちの選手は
シーズンを通してうまくなってない。

P.S.
セントルイス滞在中、日記を訪れてくれた方、更新出来ずに
すみません。いいホテルに泊まりすぎてローカルコールが
1回につき1ドルでインターネットに接続出来ませんでした。



2003年04月18日(金) チームとしてのモラルの欠如

今日はセントルイス大学と2試合を行った。試合について
は特に触れることない。両校の貧打により、つまらない
1点差ゲームを両ゲームで展開した。決して投手がいいの
ではない。打てないだけ。

それより残念というか、失望したことがあった。これは
もうチームに対する帰属意識を根本的に失わせるものだ
った。

実は相手投手は1年生の時にうちの大学にいた。彼女自身
将来を嘱望されたいい投手だったが、当時うちにはもっと
すごい投手がいて、1年目の彼女に陽は当たらなかった。
不幸にも足を骨折し、いろいろと事情も重なって現在の
大学に転校したらしい。ただ決して当時のコーチや選手
といざこざがあったわけではなく、非常に円満な転校だっ
たというのが、知る人の話だ。

ところが今回、某コーチが自らその彼女に醜い発言をし、
彼女を侮辱したらしい。さらに情けないことに、調子に
乗った一部の選手達がそれに便乗して相手チーム選手に
汚い言葉をかけた。

試合中、相手選手がこっちを向いて何か言ってたのは
わかったが、こういうことがあったのは試合後に別な人
から知らされた。どう考えてもうちが悪い。明らかに
品位に欠ける行為で同じダグアウトにいたこと自体が
恥ずかしく思えた。同感したスタッフ、父母がいたこと
が救いだったが、それにしても情けないなかった。

現在のうちのチームは弱いだけでなく、品位、道徳観
に欠け、カンファレンストーナメントに出場するのに
ふさわしくないチームだ。そう断言する。これは明らか
にコーチが悪い。



2003年04月17日(木) 自分の進歩

今日からセントルイスへ。朝6時に学校を出発して約10時間
のバス移動。途中朝食、昼食と2回停まった以外はひたすら
車上の人。寝たり起きたりを繰り返す。

実はある大学院から入学内定をもらったが、ひとつケチが
ついた。TOEFLを受けろと言うのだ。通常アメリカで大学
を卒業した場合TOEFLの点は求められないが、ここでは
ミシシッピの大学卒業は大学卒業にならないらしい。もち
ろん言うまでもなくこれは北部の大学。

これに従うのもしゃくで、説明を求めて大学院側にメール
を出したが、1週間たっても返事なし。この大学は学科、
大学院、アドミッションオフィスとすべて応対が悪いので
勉強できる中身は非常に興味深いけど、このままでは消去
の対象まっしぐら。

ただTOEFLを受けたのは約4年前。お金はかかるけど1度ぐらい
受けてもいいかな、という気になってきた。友人の日記に
よれば今後また制度も変わるようだし、一般的に言われる
留学の成果(ただし本質ではない)を試してみるのは
結果が良きにつけ、悪きにつけ面白いかも?と思ってきた。

で実は今回の旅に、これまた友人から譲りうけたTOEFLの
英単語の本を試しに持っていき、バスの中で開いたのであった。

自慢したくて書くつもりじゃないけど、、、(もし気に障る
方がいたらごめんなさい。)えらく簡単だった。800語とか
いうもので最初の半分をさらっと見たけど、ほとんど知ってた。
わからない単語も例文を見れば十分に把握でき、日本語の
意味を見たのは数個あったかないかだった。留学前はこんなの
知るかいな、と思ったがやっぱり教科書では使うらしい。

GREではこんなことなかっただけに、喜びもひとしお。
この3年ちょっとで少しは語彙が増えたんでしょう。

NATABOCの試験受かってたら、TOEFL受けてみようかな。
って少しは点があがるといいけど。



2003年04月16日(水) ソフトボール、ソフトボール

今日のソフトボール部はLSUと1試合あったが、気持ちが
いいくらいに負けた。よく打たれること。そしてうちが
全くといって打てないこと。エラーっぽいヒット1本が
なければノーヒットノーランだった。2塁も踏ませても
らえなかった。試合後、ミーティングが長いこと、長い
こと。それが終わるまで帰れないトレーナーは非常につらい。

同じトレーナーの仕事でも、強いチームで仕事した方が
精神的にいいなぁ、と心から思う。

でその後夜11時から、学内ソフトボール大会。こちらも
粘ったけど、トレーナーチームは1点差のさよなら負け。
おまけに自分は左大腿部をちょっといためてしまった。
若いと思っても、歳には勝てないのか?それともただ単に
運動不足?

明日は朝6時集合で、今年最後の長旅遠征。今回はミズーリ
州のセントルイスというところに行ってきます。前回
ルイビルからアーカンソーに行く時に通ったけど、夜だった
ので、町並みを覚えていない。おいしいものが食べられて、
チームが勝つといいんだけど。



2003年04月15日(火) 身の回りで起きた2つの訴訟

今日は身の回りで起きた2つの訴訟の話。

1つ目は自分自身が原告団に入った、アパートの前のガソリン
漏れ事件に関して搬送会社に対する集団訴訟。(2002/06/08
の日記参照)何度か弁護士が会社と交渉を重ねている、という
手紙を受け取ったが、結果は「これが原因で病院に通ったもの
もいなければ、自然環境への被害も認められなかった。」
つまりチャレンジするも訴えはすべて棄却され、迷惑料のみ
の交渉のために会社と弁護士がハティスバーグに近々来訪する
とのこと。だったら去年のうちに会社からの慰謝料$50ドルを
とっとともらっておくべきだった。この額より少なかったら
もっとがっかり。

2つ目はDerrick Nixの話。2003/2/16付けの日記にもある
ように彼は腎臓の機能障害を起こしていて、現在腎臓の
移植手術を待つ日々だが、彼が(もしくは家族が)薬会社
を相手取り訴訟を起こしました。これは彼が腎臓障害を
起こした過程を説明しなくてはいけません。

2000年のシーズンに彼は足首を捻挫し、チームドクター
は消炎剤を処方しました。これまで彼は腎臓になんら問題
なかったのですが、この消炎剤の副作用で腎臓に影響を与え
始めました(membranous glomerulonephritis、記事に
よると体内のプロテインを劇的に失わせる病気で、症状と
してむくみとエネルギーの損失だそうです)。このため
に彼は2000年のほとんど、2001年のシーズンをすべて棒に振り、
2002年に復活したもののシーズン後に病状が悪化している
ことが判明(focal segmental glomerulosclerosis,要は
腎臓の機能障害を起こし、現在腎臓の片方は全く、もう片方は
10%程度しか機能してないそうです。)。このためにその年の
ボウルゲームに出られなかったのです。その薬とはCelebrexと
Vioxxで訴えられた会社はファーマシア、ファイザー、そして
メルクのようです。

本来この手の訴訟には薬を処方した医師、普段彼の面倒を見る
アスレティックトレーナー、そして彼らを採用した学校が含ま
れるのが通常ですが、お兄さん自身もUSM出身で現在フット
ボールのコーチをやっているためか、訴訟の対象になって
いません。学校側はきっと胸をなでおろしていることでしょう。

新聞記事に訴訟額は記載されていませんでしたが、通院費、
入院費などすべての医療費、失った賃金(lost wagesって
書いてあったけど、実は意味不明)、この病気が無ければ
将来プロとして稼いだであろう相当額、そして訴訟費用が
含まれるようです。医療費、そして将来稼いだであろう
お金を考えると、莫大なお金を要求する裁判になるはずです。

このニュースはAPにより配信され、各スポーツサイトで
記事を確認出来ます。例えばスポーツイラストレイティッドは
こちら(リンク先)。ただ将来アスレティックトレーナーを目指す
自分にとって他山の火事とは思えません。



2003年04月14日(月) Tax return

昨日夜更かししたわけではないものの、朝寝坊してトレーニング
ルームに行く時間に遅れてしまった。でこんなときに限って
担当する選手が割り当てられていて、行った時に感じの悪いこと
悪いこと。一応その時間帯で5つあるグループのグループリーダー
なのですが、ぼくがいなかったため下級生がその選手をケアして
くれてました。面目ないっていったらありゃしない。いくらテスト
が終わって気が抜けたからってだれすぎはだめですね。すごく反省
した午前中でした。

午後はいつも通り授業を出て、その後ソフトボールの練習。
夜の授業は何故か先生がいなくてキャンセルで、その代わりに
久しぶりにジムに行ってバイクこいできました。40分でしかも
強度を以前の半分でやったのに、疲れること疲れること。運動
も継続しないとだめみたいです。

そういえば今日Tax returnのフォームを郵送しました。日本では
確定申告するほどお給料をもらっていませんでしたが、アメリカ
では各個人がいかなる収入でも(0でも)確定申告をします。ぼく
の場合、夏に働いた部分のみの申告なので非常に楽なんですが、
今後GAとして働いた場合、そして本格的に職を得た場合、どの
ように複雑になるのか見当もつきません。CPAによる代行をお願い
するのもわかる気がします。ちなみに明日15日消印まで有効です。
出してない人、出して下さい。



2003年04月13日(日) 休日の過ごし方

久しぶりの休日完全オフ。昨晩も遅くまで起きていたのに
舞い上がったためか比較的朝早くに目覚めてしまった。
何をやろうと思って周りを見渡すと、テストがあるから
整理は後でといって山積みになった衣類や、本等がたくさん
目に付いた。これでは人も呼べないと思い、部屋の掃除を
することに決定。

実は掃除機が壊れてしまっていたので友人から借りることに。
部屋を片して、借りた掃除機でカーペットをこする。なんか
綺麗になった感じ。あとでごみがたまったどうかフィルター
を見ると、見事ごみの山。こんなに部屋が汚かったのかと
びっくりする。やっぱり掃除機での掃除は必須みたい。

午後はマスターズを見た。応援していたPhilはまた勝て
なかった。それでも彼はメジャーでいつも最終日に崩れるの
に今日は4つスコアを残しての3位だった。インタビューでも
「ぼくが(優勝できると思って)目指していた68が出せた
のに勝てなかったのだから今回は仕方が無い。自分は今週末
オーガスタでいいゴルフをして満足している」と爽快感に
溢れていた。ま、次がんばってくださいな。

夜は校内ソフトボール大会に参加。トレーナーチームは
初勝利を飾った。よかった、よかった。



2003年04月12日(土) 神経は使わないと後退する?

昨日今日とソフトボール部は3つすべてとった。といっても
相手が弱すぎるだけだが、以前にも指摘した弱い相手に
大勝するのが好きなアメリカ人はこれで大喜び。特に反省会
をすることもなく、明日は非常に有難い完全休日オフ。

さて試合後やることもなく、またピアノを弾きに行った。
実を言うとぼくはまともにピアノで弾ける曲が無い。いつも
楽譜を買って来ては知っているさびと最初が弾けるようになる
と弾けた気になって、全部弾ける前にその曲を弾くのを止めて
しまう。なので人前でまともに披露できる曲がないのだ。

今好き好んで練習している「東風」も典型的なもの。これは
YMOの頃盛んにライブで演奏され、後に坂本龍一がピアノ版を
出して、そっちの楽譜を手に入れた。本来は連弾で4つの手で
弾くものだが、自分はかっこいい部分だけを練習し、なぜか
2つの手でそれなりに雰囲気を楽しんでいる。で一つ今とま
どっているのが、左手でベースライン(といってもこの曲の
テーマを連想させるものなんだけど)を引き、右手でそれを
飾るブロック奏をするんだけど、シンコペーションが入って
る部分で右手と左手が独立してリズムを刻めず、そこでリズム
が崩れてしまう。片手だったら両方とも問題なく弾けるのに、
一緒にやるとおかしくなってしまう。まるで度素人だ。

実は昔、きちんとヤマハエレクトーン教室で習っていた時は
こう演奏形態が得意だったのに、今では手が引きつるように
なってしまった。これって神経系が後退したってことだろう
か?またもとのように両手別々に、意識しながら弾けるよう
になるには、ものすごく練習をしなくてはいけないんだろうか?

Exercise physを習っている自分にとって、神経の発達という
意味でこれは面白いテーマかも知れない。



2003年04月11日(金) ガンダムのDVD

最近年齢がばれるネタばかりを書いてますが、ガンダムといえ
ば一番初期のものしか知りません。「燃え上がれ、燃え上がれ、
燃え上がれ、ガンダムー」で始まる奴です。アメリカに来て、
テレビでガンダムウイングというのを放映していましたが、
特に観る気になりませんでした。

もちろん一番最初の放映は見てなかったと思うけど、夕方の
再放送はくどいくらいに見ました。ガンプラも作りました。
ガンプラ欲しさに朝早くに並んだり、他のダサいプラモデル
との抱き合わせ販売も当時は利用しました。(これは最近
になって違法なのでは?と感じるようになりましたが。)

試験が終わり余裕が出たせいか、たまたまこのDVDを持っている
友人宅にお邪魔し、映画版の1作目、2作目を観ました。いやぁ
何度観ても面白い。時間があるときにこの1年戦争の歴史を
語るホームページを観たりするのですが、今になって知ること
がかなりあります。当時はモビルスーツばかりを見ていて、
いかにこの戦争の背景を理解してなかったを痛感します。
人間関係もかなり興味深いです。(これってオタク?)

バンダイが今だにこれで儲けてる理由もうなづける気がしました。
映画版観ちゃったから、TV版買っちゃおうかな。

P.S. 「ガルマは何故死んだか?彼はぼうやだからさ」
シャアってかっこいいー。



2003年04月10日(木) greatの訳し方

これって以前書いたかも知れないけど、最近ボケが激しくなって
覚えていないことが多い。なので、書いてしまおう。

野球などを含めて日本人選手の活躍がこちらでも報道される
ことは珍しくなくなってきた。自分が留学している身分で
あるので、英語、日本語両方で記事を聞いたり読んだり
するが、どうも腑に落ちないことが一つある。

それはgreatの訳し方。インタビューなどで「He's great.」
もしくは「He is a great baseball player.」といっただけ
で、日本語では「偉大な」と訳すことである。これは語感的
に絶対に違う。ただ「うまいよ、すごいよ」と言っているだけで
「偉大」という日本語にはほど遠い。

辞書を調べてみた。2番目に「偉大な、(技術的に)卓越した」
という言葉が出てきた。せめて2つ目の意味であり、それでも
ニュアンス的にどうかな、と思う。

英語では事を大袈裟にいうことが多い。アメリカ人の気質なの
かも知れない。greatという言葉が頻繁に出てくる。でもそこ
に過去もしくは現在の多くの事柄と比較して日本語のような
意味でgreatとは使っていない。もっと実際は軽い意味だと
思う。

英語のインタビューで使われたgreatを「偉大な」と何も考え
ないで訳す新聞、マスコミが減ることを祈る。それを信じて
しまう日本の読者、視聴者がたくさんいるだろうから。



2003年04月09日(水) Miyazaki's Spirited Away

今日ウォールマートに行って買い物をすませ、出口から
帰ろうとするとあるポスターが目に入りました。

Miyazaki's Spirited AwayのDVD発売、4/15

ミシシッピでは映画館でやっていないのにDVDが出て
観れるんだと思い、感激してしまいました。日本の
映画館で放映されたときには、自分自身がアメリカに
いたので、なんとしても見たい映画でした。

日本のアニメが各国で各賞を総なめにしたんだから
いい映画に違いないでしょう。もっとも日本のアニメ
への懐かしさもあるけど。

この他にも機動戦士ガンダムの映画版やらテレビ版
とかもすでにアメリカ発売されているらしい。ガンダム
好きとしては是非欲しいところだけど、お金が。。。



2003年04月08日(火) YMOを見直す私

きっと日本の方が大々的に報道されているかと思うけど、
松井が打ちました。さっきMLB.comに行ってみたら、一番
上で紹介されてました。やっぱり同じ日本人として
うれしいもんです。これで彼も少しはほっとできた
ことでしょうが、まだまだ打って欲しいものです。
敬遠されてる場合じゃない。

今日は朝から雨。ソフトボールは練習があるのかない
のかわからない。2時ごろGAに電話。連絡がくるはず
になっているのに来てない、あったら連絡するとの
こと。仕方ないので、家でぼっとしていたが4時になって
も連絡ないので、外に出かけた。何故アメリカ人は
ないならないで連絡をしないのだろうか?

で気分を紛らわしにピアノを弾いた。先日友人から
YMOの音楽ファイルをもらい聞いているが、今聞いても
まったく古くない。確かに音源はいかにも昔のもので
ちゃちいが(またこれがいいんだけど)、音楽そのもの
はポップで心地よい。YMOの全盛は自分が小学生の頃で、
全く聞こうともしなかったが、音楽的に自分が成熟した
のか今聞くと、20年以上も前にこんなテクノポップ
があったのかと驚かされる。今の電子音楽はノリという
かリズムばかりで聞いてて眠くなる。やたらめったら
いろんな音源を使い、返って耳障りなことが多い。

そんなんで、今日はたくさんYMOをピアノで弾いてみま
した。ピアノで弾くと多少違和感あるけど、それでも
うーん、かっちょいい。



2003年04月07日(月) 試験が終わって

やっぱり疲れたのか、今日は一日中眠くて仕方が無かった。

午前中はいつも通りトレーニングルームに行き、午後は
授業に出たあと、Hattiesburgで開催されているゴルフ
の大会の手伝い(大学間のもの)のためにゴルフ場へ。
夜からナイトクラスなのでまた学校に行き、先ほど帰って
来た。

今は男子バスケのNCAAトーナメント決勝を見ながら、この
日記を書いているところ。

さっきウェブでNYには雪が降り、ヤンキースの開幕戦が
延期になったというが、ここ南部はもう蒸し暑くて仕方が
ない。外は今ストームが来ているためか、湿度がすごく
不快感全開。今日も冷房つけちゃおかな。

試験が終わって少しゆっくりしようかと思ってるけど、
ただ指をくわえて卒業まで時間がたつのを待つのもあほ
くさいので、何しようかと考えてみた。

なんか脱力感ばかりで、いい案が思いつかない。
試験受かってないかなぁと思いつつも、今日友達の話を
聞くと、いくつも自分の間違いが浮かんできた。ちょっと
やばいかな、こりゃ。

去年の12月からGAのポジションについて、相手の学校に
連絡して応募してきたのに、まだ何も決まらないどころか
大学院からの返事さえないのが、やりきれなさを倍増
させる。何がそんなに時間をかけさせるんだろう?

たまにはぼーっとしようかな、と思う。すごい贅沢だと
思うけどね。



2003年04月06日(日) NATABOC試験

今日は朝6時すぎに起き、近くのI-HOPで朝食をとり、試験
に備えた。試験前とはいえ、普通に寝られたのはよかった。

会場の高校に行き、試験場に入ると本当にただのカフェテリア
だった。席順が決まっているわけでもなければ、バッグや
衣類のチェックをするわけでもない。試験中のトイレに行くの
も一人で勝手に行かせてくれ、やろうと思えばいくらでも
カンニングが出来るルーズな環境にびっくりした。

午前中にWritten examとPractical exam、午後にSimulation
だった。午前中は出来不出来は別として、時間的には余裕が
あった。ぼくのイニシャルはSなのでなかなかPractical exam
に呼ばれず、Written examを終えて提出してからも、かなり
待たされた。

Practicalでは一つ、単純しかし致命的なケアレスミスをした。
問題を勘違いして、違うことをやってしまったのだ。自分の
おっちょこちょいなところはここでも出てしまったのが、非常
に悔やまれる。

午後は正直時間ぎりぎりだった。今まで似たような問題を練習
してきたけど、本番のがはるかに難しく感じた。しかも普段
あいまいになっている部分が出題されるし、自分が担当した
ことない選手や症例ばかりだったし。

みんなが口をそろえていっていたが、聞いていた話より少し
難しくなっているように感じた。前回が易しすぎて大量の合格者
を出し、NATABOCも少しやばいと思ったんじゃないか?なんて
悪口も出た。

それでも試験が終わってひと段落。あとは少しでもいい結果が
来ることを祈ることにします。



2003年04月05日(土) Houstonに行くまでの出来事

明日の試験に備えて、今朝早くHattiesburgを出た。
うちの大学からは総勢7人がHoustonで試験を受ける
ので、2台の車に分乗してHoustonに向かった。ぼく
は友人の大きなピックアップトラックの助手席に乗れた
ので非常に快適であった。

自分はYahooから拾った地図を持っていったが、ほかの
人間が違うサイトから拾った地図をすでに持っていたの
であえて自分のを出さす、先導する車に乗るナビ係り
にすべてを任せた。

テキサスに入るまではすべて順調。今回の車はどちらも
でかく、比較的新しい車なので馬力があって速いこと、
速いこと。ガスもたくさん食べるんだけど。

でヒューストンに入った途端、わけのわからない方向
の高速に入っていった。泊まるところはヒューストン
の西側なのに何故南側に向かうのか?と素朴な疑問を
感じたか、ま、ナビの持ってる地図がそういうのなら
そうなんだろう、と軽い気持ちで事の成り行きを見た。

30分後、見事道に迷う。ナビ係は全く地図の指示を理解
してなかった。また地図で現在地の把握も出来ていなか
った。でみんなであーだ、こーだ、とどうしたら目的地
にいけるか話し合う。でも俺にしてみると、「彼ら全く
わかってない。。。」

面白いことに彼らは地図に慣れていないらしい。また
田舎者の集まりのためか、都会に入ると方向感がなく
なってしまうようだ。自分は去年の暮れに一度ここに
来たことがあるので土地勘があったせいもあるが、
それ以上に彼らの見当はお粗末だった。こういうとき
は多少遠回りしても大きな道路に戻って、地図の指示
通りに行った方が結果早いことが多いのに、彼らは
ねこのように戻ろうとしない。また、お互いが間違って
いるにも関わらず譲らないので、拉致があかない。

しまいにお互いいらいらして、険悪なムードに。

ついに見かねて、ぼくが提案。「一度来たことあるから
俺が知ってる道を使おう。それで着かなかったら、今後
一切道については口を挟まないから。」

珍しくぼくが相手を押さえ込むように発言したので、
まわりはびっくりするように従ってくれた。(たまには
やらんといかんね。)結果、ホテルに着くまでの細かい道
で最後多少迷ったものの、無事ホテルに着くことに。
ほっ、よかった。

ヒューストンに向かう途中、アメリカ人の気質をあらためて
見た気がした。何か押さえ込む強い力がないと、彼らは
全くまとまらない。もちろん話に飛躍があるのは承知だ
けど、これが宗教だったり、国への忠誠なんだろうなぁ
と理解した。



2003年04月04日(金) またまた薬代、高っ

いよいよNATABOC試験まで2日となった。みんなは今ごろ
ばたばたしても仕方ないというが、おれは逆。どんなに
醜くても最後まであがいた方がいいと思うタイプ。なの
で金曜で週末というのに勉強をする予定。

今日からソフトボール部はシカゴ遠征で、週末の試験の
ため地元に残ったぼくはオフ。午前中トレーニングルーム
に行って午後1つの授業を出た後、学校のクリニックに
行った。何故かというと鼻水は止まってきたけど、今度
はのどをやられて咳が止まらない。ただのどが荒れている
だけかなぁと思っていたけど、先生いわくこれもアレルギー
から、とのこと。で新しい薬をもらったが、またこれが
100ドルを越えていた。ひぇー、高すぎる。

試験から帰ってきたら保険会社に申請して、お金返して
もらおう。そうだ、確定申告の締め切りも4月15日だから
早く申請しないと。

さてさて勉強しようっと。



2003年04月03日(木) アメリカのうざいところ

戦争が始まってから不思議に思うことがある。戦争のさなか
にアメリカがイラクを批判していることだ。「捕虜になる
ふりして米軍を攻撃したり、捕虜を虐殺したり本当にうん
ざりする」と。

戦争ってルールがあるんだって思った。アメリカは国連の同意
なしで戦争始めたのに、始まると相手側にルールの遵守を求め
るんだ。なんか不思議。だったら使う武器だって、値段の総額
のキャップをつけて、この武器は高いから禁止とか、これを
使うとイラクが圧倒的に不利になるから3回までとか決め事を
すればいいのに。

確かに化学、生物兵器は非人道的といえるけど、じゃ他なら
なんでもいいのかな、と思ってしまう。アメリカ人の特性と
して、弱い相手に大勝ちするのが好きなのは知ってるけどね。

ちなみにソフトボールについていると試合前に毎回フィールド
に入らされ、国歌斉唱に付き合わされる。うちのコーチの方針
として、みんな胸に手をやり、後ろではピースサインをするよ
うに通達されたが、ぼくは一切無視してる。アメリカ人でない
ことで散々差別や嫌な思いをしてるのに、忠誠なんか誓える
わけない。もっともアメリカ人になりたいとも思わないが。
国旗の方には一応向いているが、国歌なんか絶対に歌わない。
歌詞を覚えてないのも理由だけど、歌詞の内容を思い出すと
うんざりするし。

それと試合前、試合後円陣を組んで神にお祈りをする機会が
あるがこれもなるべく避けてる。仕方なく入らざるを得ない
雰囲気のときはただその中に入り、違うことを考えてる。

アメリカは多人種多国籍多宗教国家なはずなのに、こういう
ところでは少数に配慮せず、当たり前のように多数がやること
を強制をする。

はっきり言ってうざい。



2003年04月02日(水) 眠い、眠すぎる

5日間で30時間のバス移動は、年齢のためか非常にきつい。
バスの中でも寝たけど、それでもあまり熟睡はしてない
らしい。窮屈な姿勢だったしね。ちなみにチームはその間
5試合を消化。

それでもいつも通り9時にトレーニングルームに行き、
ちょっと家に戻ったあともう一度選手のケアで12時に
トレーニングルーム戻る。で1時から授業で2時過ぎに
ようやく家に。

爆睡しました。。。

起きたのは6時過ぎ、夕飯作るのが面倒くさかったので
久しぶりで学食でご飯を食べた後、7時半からNATABOC
テストの口頭試験の練習のためにHPRビルディングへ。

30分ほどの模擬テストを受けたが、意外に簡単だった。
本番がこのレベルぐらい簡単だといいのだが。

今日テレビをつけると、女性の兵士が打たれて脚を2箇所
骨折してドイツの病院に運ばれたとのこと。で家族やら
友達やらが出演してインタビューを受けていた。女性
だからこんなに露出するのだろうか?戦争だからこんな
こといくらでもありうるし、それ以上に死んでいる人が
いる、それなのにこんなこと放送する必要があるの?と
思ってしまった。

P.S. 遠征中(3月28、29日)の日記をアップしました。
見たい方はどうぞ。



2003年04月01日(火) エイプリルフール

ってアメリカであるんでしょうか?ラジオなどではある
と聞いたことがありますが、身の回りで日本みたいに
化かしあいというのを耳にしたことがないのです。

さておき、U of Arkansasと2試合した後、軽い食事を
とり、無事アーカンソーからハティスバーグへ帰ってきました。
帰路も約9時間半の旅。1日の夜9時ごろ現地を出て、地元に
ついたのは2日の朝6時半。さすがに疲れました。バスじゃ
あまり寝られないし。

なので今日はこれでおしまい。


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