留学先での独り言

2002年10月31日(木) 今日一日のこと

朝8時半について、荷降ろししたあとトレーニングルームへ。
毎週火曜木曜は9時半から12時15分まではトレーニングルーム
にいて選手のケアをするよう割り当てられているからだ。

9時半まで少し時間があったので、外で昨日あまった試合後
の食事、KFCのチキンストリップを食べる。(日本語だと
何ていうんだろう?鶏の唐揚げ?)朝から揚げ物はきついが
仕方なく食べる。ないよりははるかにまし。

で9時半前にトレーニングルームに戻ると、ATCのスタッフの
人に今日はそれほど来る選手がいないから家に帰って休んで
いいよ、と言われる。確かに疲れていたが、目はさえていた
(丁度気分的にハイな時間帯だったのかも)ので一度は断った
が、結局好意に甘えることに。

ただ家に帰って寝ようとしても別に眠くなかったので結局
11時にトレーニングルームに戻り仕事をした。なんか日本
のサラリーマン抜けてなくて、こういうときに黙って休め
ないんだよねぇ。

で昼ご飯を食べた後、2時からいつもの高校に行きまた
フットボール選手の世話をする。ただ今日は試合前(明日
が試合)なので早めに終わり、助かった。4時半には家に
戻る。

で今早く飯食って寝ればいいのにPCの前に。まだ眠くない
ので日記書いて、ちょっとネットサーフィンでもしようと
考えていた。すると、誰かが家にきてブザーを鳴らし
「Trick or Treat!」って言って来た。最初「はぁ?」と
思ったが今日はハロウィーンだったのだ。相手を確認すると
子供だった。ごめん、何もお菓子買ってない。本当にあげる
ものがない。ちょっと心が痛む。「ごめん、お菓子ない」って
いうと「じゃ、いいよ」って言って去っていった。

こっちに来てハロウィーンで子供が尋ねてきたのは初めての
体験だった。なので全く用意をしてなかった。来年はもしも
のことを考えて、ちゃんと用意しておこうと思った。もっとも
来年この時期にアメリカにいるかどうかはわからないけれど。



2002年10月30日(水) @TCU 2日目

試合は午後6時半なので、ゆっくりと起床。さらに時間が
あったので、ホテルの周りを散歩してみた。目の前には
Six Flagsという遊園地がある。車がないので行けなかった
が、もう少し行けばテキサスレンジャーズのスタジアム
があるようなところだ。場所はダラスとフォートワース
のちょうど真中くらいにあるアーリントン(Arlington)と
言う街。日本人も来るらしく、ホテルでハウスキーピング
に起こさないで下さい、という札に日本語表記があった。

急にテーピングをすることになったので3時過ぎまで
ホテルにいた。そこからバスに乗り、30分かけてスタジアム
に移動。ここでも白バイ部隊、及びパトカーが先導して
渋滞、赤信号もなんのその。ハイウェイでもどんどん
他の車をブロックして、バスが遅れることなくスタジアム
に到着するようあらゆる手段を講じてくれた。周りの人は
迷惑そうだったけど。

で到着。すぐさま準備に入る。先に到着した部隊がよく
仕事をしてくれて、ぼくはほとんどやることがなく。仕方
なく、カメラもってスタジアムの写真をいくつかとった。
(HPにて後に公開)

で6時半に試合開始。結果、全米に恥をさらす。オフェンス
が全くでない。ディフェンスもそれにつられるようにして
切れる。7−37、惨敗、ピリオド。

それより僕的には観客の野次がうざかった。

このスタジアムはベンチと観客の距離が非常に近い。しかも
僕の位置は学生席の目の前だったので最悪だった。去年、
ペン州立行ったとき、歓声がすごかったのは覚えている
けど、野次は聞こえてこなかった。ぼくの英語力が少し
上がったのか、それともペン州立の観客が紳士淑女だった
のかわからないが、今回どんどん耳に入ってきて、何度も
切れそうになった。奴らは選手、トレーナー関係ない。あり
とあらゆる手段を使って選手、コーチ、トレーナーなどの
コミュニケーションを邪魔して仕事をさせないようにする。
10歳若かったら絶対に切れて、中指を○○して、殴りかか
っていたと思う。

でもこれがAwayなのだろう。逆にうちがホームのときは
ここまでうざく相手を追い詰めるほどの熱狂的な応援が
出来ているか?と心配になった。最低限のマナーを守る
必要はあるが、こういう雰囲気を作ることはチームを
サポートする上で重要だろう。

こんなゲームをしたので、帰りのバンの中は荒れた。
中に乗っていたのは2人のトレーナーと数人のマネージャ
達だったが、自虐的なチームの悪口の言いあいとなった。
出発は夜11時でH'burgについたのが木曜日の朝8時半。
肉体的にも精神的にも疲れて帰ってきたのは言うまでも
ない。



2002年10月29日(火) @TCU 1日目

昨日夜7時半に学校を出発して、それから約10時間。時間を
あわせたのか、それとも休み休み行ったせいなのか、朝の
5時半にTCUについた。途中のガススタンドで気づいたこと
だが、テキサスは寒い。半そで短パンでミシシッピを出た
のは失敗だった。

向こうにつくとすでに門が開いてあり、中に入いるとTCUの
マネージャ−さんがお出迎え。この時間によくもまぁ、と
思ったが、考えてみればうちのストリングスコーチも
朝5時に来て5時15分から選手を迎え入れてウェイトをさせる。
こっちの朝はやっぱり早いと実感。

で早速休みも取らずに荷を降ろして、ロッカールーム及び
トレーニングルームの準備をした。テープを取り出し、
パワーレードの入ったクーラーに氷を入れ、その他もろもろ
のものがきちんと来ているか確認。マネージャに比べて
早く終わったので、その後マネージャの仕事を手伝った。

その後TCUのマネージャの粋な計らいで、ウェイトルーム、
イクイップメントルーム、そしてアスレティックトレーニング
ルームを見学。ウェイトルームはうちより立派、イクイップ
メンとルームは?、アスレティックトレーニングルームは
いい所、悪いところ半々ぐらい。治療の機械がちょっと
古いのが気にかかった。

そのほか目に付いたのが、ロッカールームでの今までの選手
の個人能力のMax値。40ydsダッシュとかベンチプレスとか。
種目別、ポジション別に書いてあった。その中で今NFLで
最も活躍しているRBの一人ラダニアントムリンソンの名前を
見つけたが、彼の垂直飛びは44インチ(110cm)だそうな。
すごいバネだこと。

その後泊まる宿舎に到着。着いてびっくりヒルトンだった。
さすがフットボール、安宿には泊まらない。部屋も広い。
うーん、さすがフットボール、お金持ち。前夜ほとんど
寝てなかったので、夕方まで爆睡した。

ちなみにさらにフットボールの太っ腹なところを言うと、
今回の遠征で食事代として80ドルくれた。一回あたり15ドル。
他では考えられない。なので夜は豪華にステーキ、チーズ
が入ったサンドイッチを食べた。これにポテトやら
ちょっとした野菜がついて12ドル。あとの食事はほとんど
ファーストフードか、選手のおこぼれをもらうから
50ドルぐらいお小遣いが出来そう。

正直うれしい。。。

夜はフォートワースにいる友達に連絡するも電話来ず
会えずじまい、出かけずじまい。仕方ないので適当な
時間にまた寝た。

明日に続く。



2002年10月28日(月) 遠征へ出発

今日の朝に聞いたのだが、ぼくは飛行機ではなく車での
移動のため、今日の晩に出発という。(選手らは明日
の午後に移動)だったら早くいえよ。こっちだって用意が
ある。

午前中に来年5月に卒業する書類を出して、先生に
サインをもらい提出。そして授業にでて、ご飯を15分
くらいで済ませて、午後頭にトレーニングルームで
試合の役割の打ち合わせ。その後、すぐに家に帰って
車を使ってPetal Highへ。2時間ほどばたばた仕事
をして、準備のために早めに帰らせてもらう。で
今こうしてメールのチェック。この後は5時から授業、
6時15分に授業が終わり、家に戻って夕食と荷物詰め。
で7時にトレーニングルーム再集合で、フォートワース
に出発。

いやー久しぶりにばたばたしてる。

2日間日記はお休みになりますが、ご承知おきください。
PCを持っていっても時間がないのは明らかなので。
その後TCU戦のレポートをします。



2002年10月27日(日) 病院で選手のお母さんとの会話

昨日からの雨が今日も続く。結構な量の雨が降ったと思う。
ここForrest Countyに洪水警報がテレビで出てる。お金
がない町だけに災害対策にも乏しく、道に水がたまっても
なかなか排水されない場所も多い。天気予報を見ると
明日も雨らしいけど、本当に大丈夫だろうか?

雨なのでお外で遊ぶことが出来ず、今日はぐうたらの1日
となった。テレビでフットボールを見ては昼寝。途中
図書館で勉強しようと行ったけど、集中できずに撤退。
そういえばいつのまにか冬時間になっていて、1時間遅く
なった。感覚的には今日は1日25時間となる。

で題名に書いた話だけど、昨日病院に生徒の付き添いで
行ったとき、生徒がX線や診察している間、彼のお母さん
とおしゃべりをした。来年5月に卒業する、というとその
後はどうするの?という話しになった。正直にお金の
問題があること、USMではアシスタントシップをとっても
生活していけないので、アメリカに残るにしてもここを
離れること、理想は職を見つけてお金を貯めたいが、
去年の9月11日以降、職があっても留学生に労働ビザが
なかなか下りないため現実はかなり厳しいこと、などを
話した。すると「あら、まぁ、どうにかならないの?」
ということになった。

で話しをしていくうちにこのお母さんはOle Miss出身で
多少Ole Missのmedical schoolの人にコネがあることが
わかった。「大学院で理論化学をやってたのなら研究に
興味ない?」という話しになり、もちろんやってみたいし、
そっちのが労働ビザも取りやすいだろうと話すと「じゃ聞いて
みるわ」とのこと。ほんまかいな、と思うも感謝の意を
伝える。結局ここで検査から選手が戻り、医師と選手と
お母さんとぼく4人で今後の予定を話しあい、診察終了。
その後病院受付で別れた。

正直このお母さんがどこまで話しをつけてくれるかは
はなはだ疑問。もっとも期待するのにも無理があるだろう。
でもそろそろ本当に卒業後どうしようか、少し考えよっと。



2002年10月26日(土) 昨晩の選手の怪我について

朝9時にいつものSouthern Bone & Joint Specialistという病院
に行った。昨日の試合で怪我した選手がX線写真などをとり、あらた
めて医師から診断を受けるためだ。ぼくはその付き添いプラス
自分の勉強プラス今後のリハビリの方針を聞くために行っている。

しかし肝心の子が来ない。昨日肋骨にまともにヘルメットでヒットを
受けて息が出来ずにうーうー言ってて倒れてたくせに。結局彼は
病院に現れなかった。心配性のぼくちゃんにX線写真であらためて
異常がないことを見せて、痛かろうと月曜から練習させようと思った
のに。

いつも思うけどたいしたことないのならさっさと起き上がれよって思う。
こっちの子は痛みに対する我慢が出来ない。誰もが大袈裟。この子の
場合、確かに当たった所が少しは腫れてるけど、どうみてもたいした
ことなかった。少なくともうずくまって動けなくなるほどとは思えない。
周り(GF?)の同情でも買いたいのだろうか?

そもそも肋骨は折れ易く、折れても肺に突き刺さる危険がなければ
コルセットをつけて次の日からでもプレー可能なのは経験上知っている。
さらに試合中折っても我慢してプレーを続行することの方が多い。
そもそも何でこの子はQBのくせにrib padつけてなかったんだ?

考えたら腹がたってきた。奴がどんなに月曜に痛いと泣きを入れて
来ても、絶対に練習やらせてやる。



2002年10月25日(金) vs Meridian High School

高校に配属されてから、金曜日はお決まりのフットボールの
試合。今日はMeridianというところまで遠征。車でI-59を
北1時間半ぐらいのところで、遠いためスクールバスでなく、
きちんとしたでかいチャーターバスを利用した。(運転手
つき)

まず着いてびっくり。スタジアムがでかい。今まで見た中
で一番でかいのはHattiesburg Highのものだが、それより
でかい。満員になれば2万人は入るというぐらい立派なもの
だった。聞くとこの辺はお金持ちが多く、また学校が大きい
らしい。

雨が降った中の試合で最悪だった。びしょぬれにはなるは
怪我人は出るわ。こういうと想像できるが順当に負けた。
今日も相手のが明らかに上だった。なのにうちは肝心な
ところでミスを重ねた。あれじゃ勝てない。

行きも帰りも高校生と同じバスにのったが、負けたくせに
うるさい、うるさい。時間つぶしのゲームにもつきあわさ
れ、寝させてもらえず疲れた。アメリカにも日本のような
ゲーム(ピンポンパンみたいなもの)があり、このあたり
の文化は全く同じだ。日本でもいまだに合コンではこんな
ゲームをやって女の子に酒を飲ましているのだろうか?



2002年10月24日(木) 最近のテレビ番組と自分

以前ケーブル会社の陰謀でESPNが見れなくなったのは
報告した。正確に言えば今の状態が、契約に見合った
ものであるが。そのおかげでTVを見る時間は確実に
減った。その代わりインターネットに接続している時間
が増えた。結局は勉強に時間は割かれていない。

その少ないテレビ視聴時間内で多くはニュースを見てる。
理由は簡単、英語がわかりやすいから。ドラマもコメディ
も今いちよくわからん。あっ、Cosbyショーは見たい。

で最近のこっちのニュースはワシントンで起きている
スナイパーによる無差別殺人の話。CNNではロシアで
起きているチェチェン勢力による劇場立てこもりも
やっているかな。そういえばブッシュ大統領がイラク
攻撃を正当化する演説の中でこんなことを言っていた。
「イラクへの攻撃はアメリカの平和だけでなく、世界
の平和のためである。」本当にそうかな?攻撃が、戦争
が平和をもらたすとは絶対に思えないけど。いまだに
アルカイダだって捕まってないし、お金と時間の無駄
だよ。ただいい経済対策だけどね。

それともう一つ、ほとんど毎日欠かさず見てる番組が
ある。それは「セサミストリート」。昼の12時半すぎ
からやってるんだけど、俺の英語力にちょうどいい。
エルモの声は甲高くて聞き取りづらいけど、いい勉強
になる。自分が小さい頃ピンポンパンやポンキッキ
(これはまだ続いているのだろうか?)を見ていたよう
に、セサミストリートを見ることはアメリカの教育を
知る上でヒントになるだろうから。

でも幼稚園レベルでは日米同じ内容だと思うけど、
高校、大学で開くのは何故???



2002年10月23日(水) 筋肉疲労?

まずお知らせ。

すでに報告済みかも知れないけど、来週10月30日、vsTCUの
フットボールの試合に帯同することになりました。こないだの
USFに行けなかったけど、ヘッドトレーナーの計らいで今回の
遠征に入れてもらえました。

当日ESPN2にて6:30p.m.から放映予定ですので、在米の方で
お時間がある方はチャンネルをあわせて見て下さい。一瞬でも
ぼくの姿が映るかどうか、探してくれるとうれしいのですが。

さて今日の話。実習先の高校で今日はずいぶんと怪我の評価
をした。その中の一人に左肩からひじにかけてのしびれを
訴える男の子がいた。彼は野球をしていてピッチャー。今
は秋の練習中だという。話を聞くと投げているとだんだん
力が入らなくなり、痛みが発生するという。また氷をあてても
次の日まで痛みが残ることもあれば、残らないこともあると
言う。去年も同様なことが起きたが、今年も練習シーズンに
入ると悪くなったという。コーチは「疲れ」だというが、
一応トレーニングルームに来たとのこと。

まず患部を見た。とりたてて腫れがあるわけでもないし、
しこりもない。普通だ。首から肩、ひじにかけて触ってみても
どこが痛いというのはない。次にROM(可動範囲)を調べた。
ROMは問題ないが、動かそうとすると痛みを訴えた。次に
筋力のテストをした。驚くことに左側の筋力が右側より
はるかに弱い。特に上腕裏表、それと手の指を曲げたり伸ばし
たりする筋力が明らかに右に比べて左が弱い。

いやーな予感がした。

これは疲れでもなければ、筋肉や靭帯、筋力不足の問題
ではない。恐らく脊椎のC6、C7あたり(首の部分)の問題だ。
本人の話によれば今まで首をいためたことはないというが。

すぐに高校のヘッドトレーナ−に報告した。彼はぼくの話
を聞き、本人にも追加の質問をし、その後いくつかの確認
のテストをした。そしてぼくと目を合わせ、うなずいた。
どうやらぼくの怪我の評価は正しかったようだ。

ヘッドトレーナーはその場でチームドクターに連絡を入れ、
明日の診察の予約をとるとともに、生徒には今晩両親から
ヘッドトレーナーに連絡入れるように伝えた。また診察
には必ず親が付き添うようにとも伝えていた。

わかり易いと言えばわかり易い怪我の評価だったと思う。
それでもそういった経験のないコーチは、彼の肩からひじに
かけてのしびれを「疲れ」からと判断し、練習を続行させよう
としていた。まだ医師の判断がないので何ともいえないが、
練習を続けても、筋トレをしても治るものではなく、むしろ
悪化する一方だっただろう。

アスレティックトレーナーってこういうときは必要だなって
思いなおした。役目はあるものだと。



2002年10月22日(火) アメリカ南部の混血事情

これは今日の話でないが、いつか書こう書こうと思っていた
ネタである。

言葉は非常に悪いが犬に例えればアメリカ人は「雑種」だと
思う。いろんな国から人が来て、いろんな人種がここに定住
している。その後自然の流れでいろんな人種が混じり、人格、
そして文化の融合がなされている。タイガーウッズはそんな
アメリカ人の典型であろう。日本の場合、複数の人種が住んで
いるとはいえ、率的には純粋、もしくは極めて純粋に近い日本人
が多いと思う。今、ここで書きたいのはどっちがいい悪いでは
なく、生物学的に交わるとその子孫はどうなるか?ということだ。

南部はアメリカでももっともいろんな人種がmixされている場所
であると思う。ルイジアナはその昔スペイン領でフランスから
移民を受け入れた場所であるから、ヨーロッパからの移民でも、
イギリスやドイツ、イタリア系だけでなくフランス系もいる。
またソフトボール選手はテキサス出身が多いと言ったが、テキサス
はメキシコやら中南米からの移民が多いことで有名である。

それでは、何がいいたいのかというと、先週ヒューストンに行った
とき多くのソフトボール選手の両親と会った時、両親を見て上の謎
の答えを垣間見たのである。


で結論。「かわいい子が生まれる」


親の人種が様々だった。白人もいればラテン系もいたし、明らかに
その方の祖先はアメリカインディアンという人もいた。しかし
それらの特徴は必ずしもすべて子に遺伝しない(メンデルの法則)。
片方の親が黒髪でももう片方がブロンドならブロンドが生まれうる。
片方の親の鼻が異常に高くて、肌も浅黒くてももう片方がそれほど
でもなければ、ほどほどの鼻の高さの肌のきれいな子が生まれうる。
ただの確率論なんだけど。

どうやら噂で聞いた「ハーフは親のいいとこ取りできるからかわいい」
ことはまんざらうそでないように思える。男の子の例で見たって陸上
の室伏はえらくかっこいい。

うーん、将来の息子、娘のために親(となる人)は努力してあげる
べきなのだろうか?






2002年10月21日(月) 英語でプレゼンテーション

今日はType I型の糖尿病についてプレゼンをした。
もともとこのプレゼンは1週間前に予定されていたけど、
あれよあれよという間に今日まで延期されていた。

実は今日であることも昨日まで知らなかった。もっとも
以前からほとんど用意してあったので、自分自身はそれほど
あせる必要はなかったが、パートナーの子が昨日まで全く手に
つけてなかったのが気がかりだった。文献も用意してあげて
さらにここだけをまとめてくれればいいよ、と言っておいた
のにである。

それでも昨日の夜会ったとき、ちゃんとやってきてくれた。
当たり前なんだけど、妙にうれしかった。今までのグループ
スタディできちんとやってきた子は非常にまれだからである。
お互いのファイルを交換し、一つのプレゼンファイルにして
今日に備えた。

ただプレゼンの後の簡単な復習問題を用意してなかった。
実はどうせ彼はやりたくないだろうと思ったので、この部分
はぼくが全部やるといってしまったのだった。明日までに
用意しなくちゃいけないので久しぶりに集中して問題を
作った。

結果はまぁまぁだろうか。2人の聴講者から「いいプレゼン
だった」と言われた。アメリカでもお世辞があるんだろう、
と思っていて「そう?ありがとう」と軽く流すと、「本当
わかりやすかったし、復習になったよ」と言ってくれた。

どこまで本当かわからないが、言われて悪い気はしない。
英語も通じてるんだろう。

たまには勉強してみるのもいいかな、と少し思った。



2002年10月20日(日) アメリカでのご近所づきあい

今のアパートに引っ越してきてから1年以上がすぎた。
予算的に家賃は決して安くないが、広さ、大家の
管理のよさ。そして環境に対し概ね満足してる。

ここは1人部屋が多いアパート群だが、ぼくの棟は
端っこで、2人部屋と面している。それでも普段
あまり人に会うことはない。同じ学科の友人が
はす向かいに住んでいるが、ここで顔を合わせたの
は過去2回ぐらいのものだ。

なので知ってる人はおろか、誰もが無関係のように
思っていた。

ところが、最近びっくりしたことを聞いた。まず友人
から。「女の子が遊びにきてるんじゃん?」なんで
知ってんだ?確かに愛しのち○さが試験前に数学やら
化学を教えてといって勉強しに来たが、あれは夕方から
夜にかけて。見てたのかと不思議に思う。

さらに昨日、フットボール試合前のテールゲートで
留学生向けのテントにただ飯を食べようと立ち寄った。
でそこにいる女の子から話し掛けられる。「ねぇ、
私と同じアパートに住んでない?日本人の子みかける
んだけど」「たぶん違うけど」「アパートどこ?」
「West 7th St.」「やっぱり一緒だ」「えっ?」
「普段自転車で学校行ってるでしょ、で車は緑のピック
アップだよね?」「間違いない、おれだけど何で
知ってるの?」「だって私あなたの部屋の斜め前に住んで
るわよ」

びっくり。ぼくは全然気づいていなかった。モデルデビュー
を果たしたKなんとかWatcherの作者さんだったら、ここにも
俺のことを気にしている女の子がいたかと思うに違いないが、
ぼくはそれほどめでたくない。それよりこれほど自分の存在
を知られている方が怖かった。知らぬふりして、人の私生活
を覗く、さすがど田舎。やーねー。

ただ単にアジア人が目立つだけか?でも何で中国人や韓国人
でなく日本人ってわかったんだ?自転車に乗ってるのを見かける
のはわかるけど、何で車の色やら車種まで知っているんだ?さら
になんで部屋の番号まで覚えてるんだ?

気のせいかも知れないけど、見られるところでは見られている
ようだ。行動には気をつけよう。



2002年10月19日(土) vs Cincinnati

今日はホームカミングデーで、学校はたくさんの人で賑わって
いました。その様子は自分のHPにて紹介してますのでお時間が
ある方はそちらをご覧下さい。

さてフットボールの試合。一言感想。「勝ててよかった」

今年のシンシナチは結果こそよくないものの内容は悪くない。
現にTop10に入るオハイオ州立戦では、4Qぎりぎりまで勝って
いた。きっとこの試合の統計を観ても向こうのがはるかに
いい数字を残しているだろう。

いつも辛口でチームをけなしてばかりいるので、今日は
よかったことだけを書く。(本音は全部書いている時間がない)

オフェンスはミスが多かったものの取れるときに点を取っていた。
相手がいいフィールドポジションから再三攻め込んでフィールド
ゴールに終わっていたのとは対照的だった。1年生QB#9は初先発で
決して出来はよくなかったが、結果が出たのでよしとしよう。
ただ明らかにフリーのレシーバーに何度もパスをヒット出来な
かったのでもっと正確性を増して欲しい。

オフェンスといえば一つ疑問。何故今年はTE#10にボールを集め
ないのだろうか?ぼくの目では今年のレシーバー陣の中で一番実績
があり、体格が大きい割にGood Handを持っててQBとしては投げや
すいはずなのにである。昨年では苦しい時には必ず彼にボールを
投げ、今日だってしっかりフリーになっている場面を何度も
観た。今年は彼を使い切れてないとみるか、それとも後半戦の
秘密兵器なのか?

ディフェンスは正直やられていた。ただかばうとするとシンシナチは
うちのディフェンスをよく研究していた。ランにおいてうちのダウン
ラインが3人の時はゾーンブロックを利用してオフガード、オフタックル
をつき、4人に増やすとフェイクをいれてブーツレッグからのTEもしくは
SBへのパスが面白いように決まっていた。(これだとフェイクにひっか
かったOLBとTE or SBのかけっこになる)パスではうちの作戦、特に
ブリッツがことごとくはずれていた。特にうちがDBブリッツを入れる
体系、そしてその方向をわかっているようだった。

では何故勝てたかというと、出されていたけど通称「きも」の場面で
止めていたから。ゴール前ではいくつもの場面でFGを蹴らしていた。
また#28EPがインターセプトTDを決めたプレ−はやられまくっていた
のを修正した結果。このときは右トリップスに対しCB、Rover、FSを
配し、一番内側のFSにflat、CBは右deep1/3、Rに中deep1/3を守らせる
ようゾーンをローテーションさせ、最も内側のWRの10yds outを
見事FSのEPがぎったのだった。指示を出したコーチはしてやったり
だっただろう。

それと試合を決めたSafetyの時のサイン。最初の2つのダウンでは
ゾーンブリッツとみせかけおいて普通の4メンラッシュで緩めの
ゾーン守備を引いていたが、勝負どころの3rd DownでLB3枚加えた
7メンラッシュをかけタイトなマンツーマン守備を引き、見事
QBをエンドゾーン内でサックした。これはディフェンス
コーディネータの作戦勝ち。今日ほとんどサインをはずされ
まくって苦虫をつぶしてただろうだけに、最後はようやくほっと
出来たことだろう。

結局長くなった。でもうちとしては本当に勝ててよかった試合だった。
次のTCUも今日ルイビルに勝ち、決して弱い相手ではないが勝って
欲しいと思う。



2002年10月18日(金) 高校フットボールの現場で起きたこと

今週からまたPetal High Schoolを担当している。この季節は
もちろんフットボールがメインだ。で、今日は金曜日、高校
フットボールの日である。

しかしあえて試合のことは書かない。0-27で負け。相手は
Brandonという高校だったが、ラインがでかくてびっくりした。

トレーナーとしては、一人脳震盪を起こした子がいてその
評価をした。左の首から肩にかけて痛みとしびれを感じ、横を
向いたり、首をかしげたりすると非常に頭が重く感じるという。
trapを触ると確かに左側が腫れている。うでにしびれはなく、
痛いほうと逆のほうに首をもたげても痛みがないため、どう
やらバーナーではない。またどうやって当たったかはっきり
覚えていなかったものの、その他の記憶、テスト、そして
cranial nerveに異常は見られなかった。ただ心配だったのは
少し反応が遅く、何より眠くて仕方がないという発言。ぼく
はmild concussionと評価したが、授業にて後になって
頭痛がしたり、吐き気を催して悪化することも多いと習ったので、
ヘッドトレーナーに連絡、その場で医者に診てもらった。

医者によれば大丈夫だろうが、念のため病院に行ってきちんと
診察を受けた方がいいという。なので彼の両親を探し、自分
の保険が利く病院に試合の途中ながら行ってもらった。

たまたま前日に下級生向けクラスの怪我の評価の口頭試験
(首から肩にかけて)でモデルをやったので、手順について
大きな間違いはなかったと思うが、果たしてあれで本当に
よかったんだろうか?という疑問は絶えない。脈や血圧も
測っておくべきだったのでは?と後から気が付いた。

まだまだ未熟なことを痛感した日だった。



2002年10月17日(木) 留学生同士の会話

まず、ミシシッピの気候から。

最近はまさにクレージーです。最低47F、最高77F。華氏で30度
一日で温度が変わることを意味します。摂氏に直しましょう。
30*5/9=約16℃です。つまり摂氏だと朝は気温が一桁になり、
昼は25℃ぐらいまであがるということです。なので朝早く学校
に行くときはスウェット上下、なのに昼間はTシャツ短パンに
なります。変でしょ?

さて昨日の話ですが、韓国人のソンギルと久しぶりに図書館で
会いました。春セメは一緒にゴルフをよくしてたんだけど、
夏に彼は帰国してしまったので、それ以降やらずじまいでした。

久しぶりに会ったせいか、ずいぶんと話がはずんだ。
かれこれ2時間ぐらい図書館のロビーにいたかも知れない。内容は
サッカーW杯(彼は韓国に帰っていて、状況を知っている。)から
最近の留学生事情まで。野郎同士というのによくしゃべった。

彼とぼくは卒業時期が来年5月で同じなので、必然的に将来どう
するかも話をした。彼もやっぱりここを出たいという。ISAに
ついて、そして学校の質、生徒の質についてかなり彼も頭にきて
いるらしい。近頃のアメリカ(政府)の考え方に対する意見に
関しても恐ろしいぐらいに一致した。

ちなみにヨハンも同じ意見だった。つまりこれはアジア人だか
ら抱く、といった不満、不平じゃなくて一般的な留学生が感じ
とれるそれといってもいいような気がする。

友達が自分の大学、そして環境を好きになりつつある、という
話を聞いてうらやましい限りだ。次はそんな大学に行きたい
ものだ。



2002年10月16日(水) 学科のホームページ作成

夏の学期からうちの学科の教授に頼まれて学科のホームページ
を作っているのは以前に触れた。ただ学科の公式ページだけに
規則が非常にうるさい。また教授がそのことを全く知らなくて、
あとからあとから御願いやら訂正を言ってきて、正直いらだった。
これは明らかにボランティアの範囲を超えている。

こういうやりとりをしていると昔の仕事を思い出した。ソフト
の開発で散々話し合ったはずなのに、実際出来上がると、あぁ
ではない、こうではない、と言い合いなかなか納入させてもらえ
ない。で今度こそはこんなことないように、と次回は一生懸命
設計の段階でしきりを入れるも、あとからやっぱりほころびが
出てくる。

今回はもともとボランティアのつもりだったので、軽い気持ちで
引き受けた。その分簡単で何の面白味もない、べたに学科紹介を
するだけのページをイメージしていて、口先だけは教授もそれで
OKだった。ところが蓋を開ければ、実に注文が多い。何度も提出
しては訂正を言われ、しかもいっぺんにすべてを言わないから
非常に腹が立つ。また元々は時間のあるときに、って言ってたの
に最近は向こうがいつまでに、それも2日後、3日後とせかす。
おい全然話が違うじゃないか。

さらに最後にwebの管轄であるOTRに提出したら(何故か申請には
ハードコピーを渡すのです)原稿が真っ赤になって帰ってきた。
でもその内容って英語の細かい文法が間違っているというもの。
でもwebの内容って元々教授が書いた資料をweb用にちょっと手直し
しただけなんだけどなぁ。つまり教授の文法ミスなんだよね。それを
何でおれが直さなきゃいけないの?

昔散々痛い目にあったのに、その教訓を生かしていない自分に
少々腹がたった。次回はボランティアとはいえスケジュールを
たてて、どこまでやるかを明確に文章化して、サインをもらうこと
にしよう。でないとやってられん。

P.S.
ちなみに学校のサーバー上に試験的にデータをアップしました。
web上のQ&Aに書いてない制約も後から見つかり、多少の手直しが
必要ですが外観は見れます。また本来のurlからこのデータが
見れないので、明日質問を投げてみる予定ですが、日記を読んで
下さっている皆さんに先行公開します。

http://www-dept.usm.edu/~atep01/



2002年10月15日(火) ミシシッピの秋

先週の木曜日までは、コンスタントに85Fを超えていた。
つまり日本でいう30度である。ところがヒューストン
から帰ってきてみたら、いきなり涼しくなっていた。

今や最高は70Fちょっと。最低は50度ぐらいまで落ちて
来ている。明日の晩は40度台に突入するという。これは
日本でいう3,4度の世界。もう冬じゃん。

涼しくなると冷房を入れなくてすむから、電気代はうく。
気持ち的にもやる気がでる。もともとぼくは秋が一番
好きな季節だ。日本だとしとしとと雨が降るけど、また
それが雑音を消して、夜には好きなことに没頭できる。

でも、いきなり冬はちょっと。まだTシャツしか出して
ないし。今日高校に行って、半そで短パンでいたら
高校生に「頭おかしいの?」って聞かれるし。確かに
寒かった。あれで夜のソフトボール(これは実習先の
高校のもの)試合があったら寒くて凍えていた。

もしこちらに来る予定がある方、こっちは急に寒く
なりました。また季節はずれで暑くなることはあるけど
も、夜は涼しくなります。一枚上着を多めにお持ちください。



2002年10月14日(月) ノーベル賞について

今日夜に多少時間があったので、図書館にいって衛星版の朝日新聞
を読んだ。しばらくそのコーナーに立ち寄っていなかったので、
うれしいほど読んでいない新聞がたまっていた。もっとも毎日
インターネットでニュースはチェックしているから、メインな
ニュースはほとんど知っているんだけど。

案の定、日本人のノーベル賞は大きく紙面が割かれていた。その
人のおいたち、研究と業績、そして仲間の声と何面も使って紹介
されていた。そのぐらい価値のあることだから、これについては
何も言うことはない。めでたい、と思うぐらいだ。それにしても
こういうときだけは、普段理系の人間に対する形容詞である、
「変わっている」「頑固」というのが美辞麗句に聞こえてくるから
面白い。

ではアメリカはどうか?というとアメリカ人が受賞しても日本ほど
テレビや新聞で大騒ぎしていないと思う。もちろん名誉なことに
は違いないが、それほど珍しくもないということか。

一つ興味深かったのが、韓国メディアの記事(インターネット版)。
日本と韓国を比較した上で、韓国の基礎研究に関する投資の少なさ
を嘆いていた。日本の9%程度だという。また若者の理科系離れと、
暗記中心の教育体系を嘆いていた。でもこれってどこかで聞いた
ことあるでしょ?

ただ韓国という国はよくも悪くもこのようなことでも日本と比較
するんだなぁ、とちょっとびっくりした。スポーツでも技術でも
好き嫌いは別としてライバルなのかと。



2002年10月13日(日) アメリカ人にみる親子の愛

今日は昨日に引き続きヒューストンにて2試合した。相手が
弱かったこともあり、両方とも勝った。特に審判のレベルが
低かったようで、ピッチャーの子は「あの審判、目が見えない
わよ」とベンチに帰るなりぼくに話しかけた。確かにこっち
から見ても「あれ?」って思うことはあった。しかしそれ以上
に、特にピッチャーをやる女の子は気が強い。個人的には
嫌いじゃないけど。

さて本題。テキサスはうちのヘッドコーチの地元ということ
もあり、ミシシッピの大学なのにうちのソフトボールの選手
は半分近くがテキサス出身だ。なので今回の遠征は彼らに
とって半ば里帰りで、新人にとってはソフトボールでの成長
ぶりを披露するとともに、2ヶ月ぶりに家族と再会する場所で
ある。事実、2日とも夕食は選手の家で、他のチームメート
の家族と一緒に再会を祝うようなパーティだった。

さて問題は帰るときである。2試合後、最後の晩餐ならぬ
昼食をレストランでとった。相変わらず家族同伴だ。こういう
時家族が来ていない少数の選手、スタッフはただただ食べるのみ
でさめている。早くミシシッピに帰りたいがために、食事後
さっさとバスにのる。ぼくも例外でない。しかし、何分たって
も家族と一緒の人間が来ない。みんな食べ終わったのを確認
してバスに乗り込んだのに。

待つこと30分。まだ来ない。待つ。約1時間ぐらいしてやっと
出てきた。目はみんな真っ赤である。そう別れ惜しくてわー
わー、ぴーぴーやっていたようだ。バスの中でもまだ泣いて
いる子もいる。今度会えるのはサンクスギビングだとか、
クリスマスとか行ってるけど、それってたかだか1ヶ月か2ヶ月
先のことじゃんねぇ。そんなものすぐだ。しかも車で7,8時間
なら気合入れれば週末帰れるじゃん。何がそんなに悲しいの
だろう。彼らは最低で18、上は22にもなる人間である。

また親も親でばかだ。食事中、ほとんど娘を抱きかかえては
ほっぺたや額にちゅーしてた。少しはいいけど、あまりにも
やってると疑問符をつけたくなる。彼らはいつまで(何歳
まで)こうやっているのだろうか?

確かに家族は大事であるが、ここまでいくとアメリカ文化に
慣れた、と思っても気色悪い。日本だったら親離れしてない
子供、もしくは子離れ出来ない親というレッテルを貼られる
だろう。

この辺りの家族愛は理解しようにも、受け入れられない。
気色悪い。おぇ。



2002年10月12日(土) ヒューストン遠征 2日目

日記を当日読みに来てくれた人、すみません。この日は忙しくて
インターネットに接続する時間すらとれませんでした。なので
後日談ながら、試合結果報告を。

まず結果から。3試合とも勝ちました。1,3試合目はどうみても
格下の相手でうちも戦力を落として戦ったけど、2試合目の
テキサスA&Mはどうみても格上。実際、試合が始まったとき
わかったけど、守備はいいし、よく打つ。

うちがエースを出さずに1年生を先発させたこともあるけど
毎回ランナーを相手に許す苦しい展開。うちはというと三振の
山。外野にボールが飛ばない。

ただうちは粘った。守備では普段の練習では見られなかった
好守備を連発して失点を防いだ。2回ぐらい捕殺があったと思う。
相手にいらいら感を与えるのには十分だった。攻撃はたった
1度のチャンスを生かした。2本の二塁打で1点。この他で2塁
を踏んだことはなかったと思う。でも俗に言う「虎の子の1点」
を守り抜いた。

久しぶりに観たいい試合で、普段あまり誉めることのないコーチ
が興奮気味だった。仕方がない。去年Top25と20数試合組んで
一度も勝てなかったんだから。

今シーズンはかなりいい予感?まだまだこれからだろうけど。



2002年10月11日(金) Houston 1日目

アメリカで珍しく道路が混んで、朝8時に出たのに
こっちについたのはきっと6時ごろでした。疲れた。

かなり困難を極めたものの、どうにかインターネット
にも接続できました。でも4人部屋なのでちょっとしか
つなげることが出来ません。

明日は3試合あるようです。天気も穏やかでうまく
勝てるといいけど。

短いけど、今日はこの辺で。



2002年10月10日(木) We're the Champion!

めでたい話です。

本日、校内フラッグフットボール大会Division IIIの決勝戦
が行われ、わが学生アスレティックトレーナーチームは優勝
しました。

USMに来て2年半、フラッグフットボールに参加して3度目と
なりますが、ついに優勝という栄冠とチャンピオンTシャツ
をもらえることが出来ました。

大人気なく、うれしいです。

それとどうやらスポンサーとしてNFLが入っているようで
プレーステーション2で遊べるGame Day NFL 2003という
ゲームソフトが副賞の一つでした。

でもプレーステーション持ってない人はどうやって遊ぶの?

明日からはヒューストンです。一応PCは持っていくけど、
うまくアクセスポイントに繋がるかな?ちなみに帰宅は
日曜日の夜遅くになりそう。



2002年10月09日(水) ノーベル賞とお給料

日本経済に元気がなく、あざらしのたまちゃん意外明るい話題
が入ってこない海外居住者にとって、日本人のノーベル賞受賞
という話はとてもうれしい。自分が理系出身だったこともある
だろうけど、日本の科学技術が世界的にあらためて評価される
というのは、ちょっと鼻高々である。

もちろん誰もがノーベル賞を狙って研究しているわけではない
だろうが、地道で時間とお金ばかりがかかり、なかなか大学、
会社に貢献しない、しかも一般社会から見れば変わった人が
多い、というレッテルを貼られがちの研究者、技術者にとって
はこういう名誉というのはうれしいことだろう。

ただちょっと疑問に思ったのは、これほどの研究をしていくら
ほど彼がお給料をもらっているかだ。彼に入るノーベル賞の
賞金は約1億3000万の4分の1だから3200万。安い。これじゃ
都心で家も変えない。これぐらいの年収をもらっている日本
国内のプロ選手はくさるほどいる。報奨金があるにせよ、世界
に貢献し、そして会社の売上に貢献しているのにいくらもらって
いるんだろうか?

研究者に商売っ気がある人があるとは思えないが、研究が出来る
環境をもらっていればそれで幸せ、と言ってしまうのもやめて
欲しい。学生が理系離れするのはきつい、わからないだけでなく
投資の割に儲からないからだ。

魅力ある人材を発掘し、育て上げられるよう研究者への報奨制度
の充実も日本の技術立国に課された宿題ではなかろうか?



2002年10月08日(火) ファンタジーフットボールその後

今日はあまりいい日でなかったので、そのことを書かずに
主宰しているファンタジーフットボールのことを。

日本人ばかり集めてファンタジーフットボールという
ものをやってる。個人で選手をドラフトしてチームを
つくり、各選手のパフォーマンスを得点化して、対戦
相手と総得点を争うものだ。

今年の特徴はなんといってもラムズの大不振。去年は
嫌というほど得点を稼いだマーシャルフォーク、トーリー
ホルツ、アイザックブルースが全くだめだ。また去年
記録上上位にいた選手がこけていることが多い。

結果、なんと最初のドラフトにほとんど参加できなかった
2チームがなんとトップを走っている。これは正直言って
意外。

で質問が出たので僕なりの感想を書こう。ただどうやって
勝つのではなくどうやってぼくがスタメンを決めている
かである。

まず怪我の具合。出れそうか、出れないかは重要。そして
対戦相手。対戦相手がシンシナチやヒューストンの選手
を優先して使う。(このチームは攻撃力もなく、守備も
もろい。)相手にも攻撃力があって乱戦になりそうな
試合に出る選手を使う。(これはバッファローやKCなど
があたる。)そして迷ったときは地元で試合がある選手、
もしくは全米の注目が集まるマンデーナイトに試合が
ある選手を使う。

ぼくはこんな基準でものを決めてます。もちろん信頼
している選手はきつい相手でも先発させますが。

あるチームは得点力あるのに不運にも勝ててませんが
選手力に問題はないと思うよ。必要ならどんどん
フリーエージェントからとったり、トレードを申しこん
で下さい。



2002年10月07日(月) 葛藤

葛藤といっても今回は贅沢な葛藤である。

現在ATプログラムのSeniorとして、ソフトボールを一年担当
させられている。先週末は地元でトーナメントがあり、そして
今週末はヒューストンでトーナメントがある。それでもこれは
シーズンオフ中の練習ゲームであり、カンファレンスやら
ランキングやらとはなんの関係もない。

さて問題はこれから。突然ながら今週末のフットボール遠征
(vs South Florida@Tampa, FL)メンバーに選ばれたことで
ある。基本的にはフットボール担当ではないので、普段はそこ
で仕事をしないのだが、夏のTwo-a-day practicesを手伝った
生徒の中からご褒美にヘッドトレーナーが数名指名してくれ、
その中にぼくの名前があったのである。

ただこれを知らされたのが夜7時半。いきなりソフトボールの
GAから電話がかかってきて「どっちに行く?」寝耳に水で
びっくり。てっきり今週末はヒューストンに行くものだと
思っていた。GAいわく「君次第」だという。ちょっと待てよ。
そんなすぐには決められん。

どっちのスポーツが好きといえば迷いようがない。自分の人生
で本格的に一番長くやったスポーツはフットボールであり、
それへの愛着は一晩じゃ語れない。一方でフットボールを
希望したもののソフトボールに配属され、当初はやるせない
気持ちでいっぱいだったものの、すでにその気持ちを吹っ切って
どうやってうちのソフトボールにいいシーズンを送らせること
が出来るか、自分なりに思案も始めていた。

場所的にもどちらも行ったことがないが、思い入れはある。
タンパにはまず会社の元同僚がいて、行けば会うことが出来る。
またタンパは営業としての取引先のあったソフトウェア会社があり、
大きなプロジェクトを共同でやっていた関係上、電話もすれば
人も送り込み、また向こうから来させたりして交流があった。
一方ヒューストンは自分の会社のヘッドオフィスがあったところ
で、すべての意思決定はそこから発信されていたので何かと
気にかけていた場所である。

いろんなことが巡り巡ったが、結局ヒューストンに行くことに
した。理由はものすごく日本社会的発想で、まさに営業経験から
来るものだけど、自分なりに感じるプロフェッショナリズム。
平たく言えばお客である選手、コーチの視点でどっちが自分を
必要性を感じてくれるか、で決めた。好き嫌いに関わらず
来期はずっと帯同しなくちゃいけないし、どうせやるのなら
チームの中で自分というものを確立させて、来年ここを去るとき
に選手やコーチからお世辞でも「残って欲しい」と言わせたいから。

ということで、後ろ髪を引かれつつも今週末はヒューストンです。



2002年10月06日(日) いとことの長電話

先週、そして今週と南部にハリケーンやらストームが来たのを
心配してか、NYに住むいとこから電話があった。ここのところ
忙しくて電話もしてなかったので、久しぶりに電話してみた。

まずは元気らしい。そしてそこそこMLBのプレーオフを楽しん
でいるみたい。それとやっぱりNYっていいなぁって話を聞かさ
れた。今度はやっぱり都会に行きたい。

彼女と話しているとNYとミシシッピが別世界であることを
痛感する。彼女にとってもミシシッピの話は新鮮らしい。
彼女自身、今までNYやネブラスカなどアメリカのいろいろ
なところで生活体験があるが、南部はまた違うそうな。

アメリカは広いです。



2002年10月05日(土) ソフトボールの大会

今日は地元で他校3校呼んでソフトボールのトーナメントが
ありました。学生トレーナーは朝7時集合、夜8時半解散の
長い一日となりました。あー、疲れた。

相手はSoutheastern Louisiana、Jackson State、そして
West Alabamaだったんだけど、素人が見ても実力が違い
すぎる。つまりうちが上。まずピッチャ−の球の速さ。
目で見ても全く違った。対戦校の選手は皆振り遅れてて
彼らにとってこれほど速い球を投げるピッチャーと対戦した
の初めてではないか、というスイングだった。

守備も全く違った。普段はミスが多いと思いながら見ている
守りが、他校と比べたら雲泥の差があった。カバーリング
も徹底してる。

今日初めてうちが目指しているソフトボールは高いレベル
にあるんだなぁと実感しました。今まで不適当な発言が
日記にあったかも知れませんが、お詫びして訂正します。
もっともコーチ、マネージャー、関係者、だれもぼくの
HP知らないし、知っていても日本語読めないけどさ。

来週はテキサスはヒューストンへ遠征です。こっちは
今日と違い、かなりレベルの高いところと試合をするようです。
うちがどの程度のレベルにあるか、確認できるのが楽しみ。



2002年10月04日(金) くすりの話

今アスレティックトレーニングセミナーという授業で、トレーナー
が扱う薬についていろいろ講義を受けている。その中で感じたこと
とちょっと。

アメリカ人は他のことは知らないのに薬についてよく知ってるなぁ、
というのが正直な感想。そして日本語で言うドラッグがまた詳しい。
マリファナやスピードなどはやったことある、っていう人間もいる
し、もしかしたら今でもたまに手をつけることがある人間もいる
のかも知れないけど、そうでない人間まで本当に成分、効果まで
よく知っている。そういうのに無縁(というほどお坊ちゃまでは
ないけど)で育ってきた人間にとってはちょっとびっくりである。

ちなみにぼくが小学校、中学校のころは悪がきたちがやるものは
そんな高価なものではなかった。トルエンやシンナーで歯が
溶けたり、らりったりして、なんかアメリカと比べて安っぽくて
危険度が高い。薬というよりただの有機溶媒だ。さらにそれが
純粋なものでないから、さらに性質が悪いんだけど。

本題に戻ると、ドラッグでなくても市販の薬でも本来の薬名
(というかgeneric name)と各会社のブランド名を知ってし、
効果も知っている。おれなんて風邪薬だと、ルルかコンタック、
のどがやられてら小金沢くん、などと覚えているが会社によって
成分の違いや効果の違いなんて彼らが知っているほど知っていない。

きっと保険制度の違いもあるんだろう。日本では気軽に医者に
通えるし、下手に薬局で薬買うより医者で保険利かせて薬もらった
方が早く治ってやすあがりなことが多い。それに対し、アメリカ
では医者にかかると高いし、薬も安くないので必然的に自分で
判断する必要があるのであろう。

市販薬及び禁止の薬の知識だけは(これを強調しておく)彼らに
習うことが多い。



2002年10月03日(木) 今週もハリケーン

先週に引き続き、今週も南から低気圧がきている。
名前はlilyらしい。なんともかわいらしい名前だが
ミシシッピをこのような形でハリケーンが直撃する
のは3年ぶりらしい。

TVを見ていると朝からメキシコ湾沿いの学校が閉鎖
となっている。もしかしてUSMも休講か?と思うも
発表にはいたっていない。ちょっと進路が違うから
であろうか。

それでも昼過ぎになると風と雨が強くなってきた。
ソフトボールの練習も室内となった。ここまで強く
降ると傘さしても意味ないね。

今週末はソフトボールのトーナメントがあるという
のに、どうなることでしょう。そういえば去年も
同じ時期にこうやって雨になって、トーナメント
が1日延期になったなぁ。今は雨の季節なのかも
知れない。



2002年10月02日(水) また奨学金を申し込みました

お金が足りないので何度落ちてもめげずに、奨学金の応募を
繰り返しています。おかげで自分の履歴書、ATになりたい
動機、将来の希望などはかなりこなれてきたような気がします。
昔、会社の面接を受けていた時の志望動機のように、何度も同じ
ことを考えるうちにそれなりに考えがまとまってきたのだと
思うけど、結果奨学金がとれてないからもっとひねる必要が
あったんだろうな。

さて今回はいかに。

ちなみに今回のはNFLアトランタファルコンズの元トレーナー
の人が主宰する組織の奨学金です。金額的にとれれば大万歳
だけど、すごく競争激しいんだよな。こういうときには
「神様、御願い」

今日はexercise physのテストでした。思ってたより簡単で
拍子抜け。勉強不足と思ってたのに、あれなら問題ないでしょう。
でもこれって本当は自分のためによくないよね。



2002年10月01日(火) 喘息とスポーツ

今日から10月に入ったというのに非常に暑い一日だった。
おかげでソフトボールの練習ではめまいやら頭痛を訴える
選手が多かった。

アメリカの傾向なのんか、それともミシシッピの傾向なのか
わからないけど、喘息持ちの選手が意外に多い。2種類の
喘息のタイプがあるけど、小児喘息ならすでに軽くなって
きていいものなのに、ちっともよくなってない。

暑い中ちょっと走っただけで(疲れるのはわかるけど)
すぐ「ぜーぜー」と大きな呼吸になり、一人は呼吸が出来
なくなったと訴えて、練習を途中でアウトした。(後に
復帰)

日本でスポーツをやっていてこれほど喘息がひどい選手は
見当たらなかったんだけど、何故だろうか?喘息持ちは
競技スポーツをさせてもらえないのだろうか?それとも
偶然遭わなかったのか?

彼らの呼吸を聞いていると今まで聞いたことがないような
音で呼吸するし、呼吸が出来ないのを見ると本当にびっくり
してしまう。器官を開けるinhaler(日本でなんていうのだ
だろうか、口からシュッシュッってやる奴だけど)をやって
落ち着くんだけど、これも連発できないし。

理屈は知っているけどどうしていいものか、どこまで
耐えさせて、どこから練習をやめさせるか、判断が非常に
難しい。

この手の情報知っている方、適切なアドバイスを下さい。


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