留学先での独り言

2002年05月30日(木) アメリカ人の特性

アメリカに戻ってきて「やっぱりアメリカ(というか南部)だよ」
ということに遭遇して、かなり気持ちが滅入っている。日本に
戻っていたせいもあるんだろうけど、そうでなくても今まで何度
となく体験した非効率性というか、人に無駄な時間を平気で使わせる
風習にいらだちを隠せない。

日本から戻ってきていまいち体調がすぐれなく、授業も始まった
ばかりでばたばたしているため、このことを日記に記せていないが
バックデートして順番に書いていくつもりなので、時間がある方
はおつきあいいただきたい。もちろん、日付は今日より前の日付
になるので要注意。



2002年05月29日(水) アメリカにおける顧客サービス、その2

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余談だがこの日記帳は同じ日にいくつもの日記を書けないことを
今回初めて知った。。。
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結局、残高証明は間に合わないので、日本に帰国の際取得
することにし、I−20は大学の時ので再入国することで話が
まとまった。しかしながら自費留学中、しかも留学終了まで
1年を切ろうとしている学生に18,000ドル以上という
まとまったお金をすぐに用意せいという彼らの感覚は絶対に
おかしい。

で5月中旬の日本帰国中、また登録期間があったのでWeb上で
登録しようとした。しかし何度やっても登録できない。エラー
の内容はぼくの学生としての記録が留められているからという。
日本にいてはこれは解決しようがない。ただこの時期に登録出来
ないとLate Registration feeとして50ドル余計とられるのが頭
をよぎった。

5月下旬にまたアメリカに戻り、登録出来なかったことを
登録の事務局に伝えると、原因はISAであることがわかる。
彼らがぼくの学生記録を留めてるのだと。それでまたISA
に出向いて文句をいう。彼らは思い出したようにI-20がまだ
だったからというが、合格通知をもらっている以上授業登録
はできるはずでI-20とは関係がない、というと「そうね」
という。さらに「遅れでも今日登録出来るから登録して」
というので、「でも今日の登録ではLate Registration fee
がかかるのでは」というと平気で「仕方ないから払って」と言う。

ここまで読んだ読者は容易に想像できると思うが、ぼくはここで
切れた。そもそも大学院に出願したは1月なのに、ISAで延々と
プロセスを留められたせいで結果が出たのが4月になったこと、
I-20がぼくの帰国前に出なかったのもISA側の不手際によること、
50ドルはぼくらにとって決して小さい額ではないこと、などなど。
しかし彼らは理解を示しながらもよく言われるアメリカの習慣な
のか絶対に謝らない。挙句「ここじゃ対処できないし、誰に相談
していいかわからないから登録の事務局言って聞いてもらえる?」
あきれたの一言。明らかに責任はおまえなんだから、おまえが
電話して担当者が誰だか聞け、と思ったがこれ以上使えない人間
と話して疲れるのも嫌だったのでやめた。

ISAの人間は本当に動かない、仕事しない。彼らは人に無駄な時間
を過ごさせることに関して、全く気にとめる様子もない。その顧客
サービスのひどさは日本のお役所、もしくはそれ以下である。彼ら
に自分らの給料を払ってるのは学生(しかも留学生は多大な貢献を
してる)という意識がまるでない。一般にアメリカにおける顧客へ
のサービス意識は日本とそれと比べ低いが、ISAはその中でも最悪
である。



2002年05月28日(火) アメリカにおける顧客サービス、その1

USMでは新入生でない限り授業の登録はWeb上で出来る。
夏の登録は通常4月のある期間に出来るが、自分の場合
大学院入学の審査中だったため、その時期には出来なかった。

そもそもこの大学院のための出願からISA(留学生担当の
オフィス)の仕事ぶりにはいらつかされる。まずメール
で問い合わせても一切無視、オフィスに出向いてせかさ
ないと動かない。人によって必要とする書類が違う。
GREだって電子的に結果が出た後は、他大学ならそれで次に
どんどんプロセスを進めていくのにUSMは度々なる指摘も
無視して、紙による結果(コンピュータの結果より1ヶ月
ほどかかる)が来るまで何もしなかった。さらに大学院側
から先生を通じて私自身に合格の話を受けたのが4月始めで、
もう書類をISAに戻してあるよと言われたのに、ISA側から
紙一枚の合格通知が来たのは4月末だった。

しかも今になって新たな銀行の残高通知書がないから、I-20を
出せないと言う。ぼくのメイン銀行は日本のだし、残高証明は
すぐには発行出来ないし、ましてやすぐにこっちに送れるわけも
ない。そもそも1月にすべての書類を提出して、手続完了通知を
もらったのに、何で今になってこんなことを言うのか。しかも
5月頭に帰国する事は前々から伝えていたにも関わらずである。
(注:I-20がないと再入国出来ない)なんでもっと早く準備
するよう前もって言わなかったんだと文句を言うと、平気
で「わからなかった」とぬかす。一体おまえらは何年仕事
してるんだ。しかしさらにこのことが登録に影響する。

5/29に続く。



2002年05月25日(土) Hattiesburgに戻った日

やっぱり居心地がいい東京を離れる日が来て、アメリカにまた
戻ることになった。お金さえあれば、日本は本当にいい所だ
と思う。(どこもそうだろうけど。)アメリカ生活2年目以降、
アメリカのいい所より嫌なところばかりが目につき、その思い
は一層強くなっている自分に気づく。飛行機に乗ってる長さも
手伝い、かったるくて仕方ない。

それでも一度自分で言い出したことをたまにはやりとげるため
アメリカへの帰途につく。東京からヒューストン。行きより
早いといってもやっぱり11時間の旅は長い。そしてヒューストン
の入国審査では、審査官の仕事の遅さにいらいら。おかげで
乗り継ぎ便乗り遅れた。代わりの便をとるため、ターミナルの
端から端まで歩いてサービスセンターに到着。それでも今日の
残りの便はすべて満員で、乗れる保障はないという。それでも
仕方ないので、スタンバイのチケットをもらい、またターミナル
の端から端まで歩いて搭乗口にて順番を待つ。それにしても
ここまで一切の謝罪や気遣いの言葉がないのはやっぱりアメリカ、
といらだちを超えてあきらめの境地に立つ。

どうにか乗れてニューオリンズにつくも、迎えに来てくれた人が
途中の渋滞でいらいらしてる。今度はこっちが心配。無事に車
を預けたその人の家につけてほっとする。泊まっていけばと
言っていただけたが人との約束もあり、間髪いれずにそこから
家への約200kmのドライブを敢行する。眠かったせいか、途中
間違えるはずのないところで道を間違え、何故かI-59ではなく
Highway49で遠回りしながら家につく。ここでも時間のロス。

結局予定では7時には家につくはずが、11時を回ってしまって
いた。やっぱりアメリカはこういうところだと、あらためて
痛感してしまった。



2002年05月08日(水) いよいよ帰国

今こっちの時間で夜の8時半。まだ夕食もとってなく
また帰る際の荷物も何もつめてない状態。おみやげ
もまだ。ガソリンも入れないと。

今日は午前中トレーニングルームで今学期最後の
奉公をし(といっても一人しか選手はこなかった)
午後は陸上のお供をし(といっても試合前で軽い
アップで終わった)その後ペインで軽く身体を
動かして今にいたる。久しぶりに平凡な一日だ。

そういえば、昔いた会社がまた合併することに。
ぼくがいた3年半だけで2回経験したのに、またかと。
まだ残っている人たちは大変だろうな。文化が
違いすぎるでしょ。5年間で4社が一つになるって
コンピュータの業界ってすごいよね。淘汰が激しい
なと実感。今思えばおれはいい時期にいて、いい時期
にやめた気がする。



2002年05月07日(火) ゴルフ有料化へ

朝8時からのテスト(生化学)が一つあった。でもそれが
終わった瞬間、春学期の終わりが来た。今年の春は去年
のそれと比べ、それほど暇ではなく充実してた。学年が
あがったためか、試合を一人で任されたことも何度かあり、
大変だったけど自信につながった。

担当中の陸上は今日も練習があり、試験中だというのに
借り出されている。今日はクロスカントリー担当で
一人陸上トラックを離れTatam Parkに行ったが、運が
悪いことにそこでハチに刺された。刺された瞬間、
何故かゴルフ場で同じ目に遭った圭介氏を思い出した。
彼はそれでその日のゴルフをやめたのだった。

でもここでくじけてはいけないと思い、練習後、ゴルフ
をしに行った。試験後の開放感の中でやるゴルフは、
スコアはともあれ楽しめる。ただショッキングなこと
に出くわした。なんとVan Hookが受付にコンピュータ
を導入し、会員かどうか名前と電話番号からチェック
するシステムを導入したのだ。もちろん僕の名前は
見つからなかったものの、「今日はいいわ」と言って
やらしてくれた。ただ今後が非常に心配で強敵現るで
ある。ゴルフはただでやるから楽しいのに。



2002年05月05日(日) 帰国まであと4日

帰国まであと4日になった。別に恋焦がれて帰るわけ
ではないからあまり実感がなく、特別何をしたい
わけでもないんだけど、それでも何をしようかと
考え始めた。うーん、おいしいラーメンを食べること
以外思いつかない。結局は浦島太郎にならない程度に
TVを見て、情報をつかむことぐらいかな。

自分のHPを見てると、今年まだ6回しかゴルフして
ないことに気づいた。あれ、これじゃ日本にいたとき
とほとんどかわらない。うまくならないわけだと
実感。これじゃ日本に帰ってゴルフする機会があっても
みんなとかわらないじゃん。これじゃアメリカにいる
意味がない。今年の夏は積極的にしよう。

今日は日曜日。夕方6時から怪我の評価の試験(口頭)
でモデルになるようGAから連絡が入った。自分の勉強
になるからいいけどね。ただ明日から期末試験始まるし
自分の勉強もしないと。そうそう何故か陸上は来週末に
C-USAのトーナメントがあって、ファイナルウィークと
いうのに練習があるんだよね。迷惑な話だ。やれやれ。



2002年05月03日(金) 練習に遅刻しました

今日は陸上の練習が朝6時からあったんだけど
遅刻してしまった。アラーム5時半にセットした
んだけど、なったのかなぁ?

結局行ったのは6時半、みんなからちょっと嫌味
を言われる。でも朝寝ぼけているときの脳みそは
正直で、英語で何を言われてもよくわからない。
これは都合いい。

でも何で今日だけ朝練なの???



2002年05月01日(水) ゴルフトーナメント

今日はUSM出身のOB、OG会を兼ねたゴルフトーナメント
があった。すごいことに授業を休講にし、普段の
ローテーションすらお役御免になってしまうところが
すごい。たまにはトレーナーも休ませようということか。

パートナーを組み、いい方のスコアを選んでいくんだ
けど、結局はほとんどのホールでぼくのスコアを選び、
二人のスコアといってもぼくのスコアに近かった。

ま、それでも楽しんだということでしょう。その後は
恒例の先生の家で野外パーティが行われ、交流を深める
ことが出来ました。ぼくも一人また違う大学のプログラム
ディレクターと話が出来て、いいコネクションが出来た
ように思う。


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