星 間 旅 行
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2003年10月31日(金) 夢の中の夢

目が覚めて、時計を見るとAM3:00だった。まだまだ眠れると思い、夢の続きを見ることにした。
 小学校の前から、バスに乗った。いつもここのバス停にはたくさんのバスがくるが、わたしの最寄りのバス停にはたいがい止まる。なので、行き先を見ずに乗ったら、それは、わたしの最寄りのバス停には止まらない「湯布院」行きだった。見知らぬ曲り角を曲がって、だんだん山の中に入っていく。運転手に、間違えた旨を告げると、次ぎの停留所で乗り換えるように言われた。内心、乗った時に、「〜行きです」とアナウンスしなかった運転手のせいだと思った。今度乗る時は、電源タップ2つを持って乗ったほうがいいと言われた。
 停留所を降りると、近くの住宅に向かった。ここで、タップを探すつもりだった。窓を開けると山の斜面が見えた。この建物は、窪地に建っているらしい。部屋を回っていくと、窓が一つなかったり、ドアがなくなっていたりして廃屋のようだ。しかし、突然、水の音がして、風呂に水が溜まりはじめた。この家は人がいなくても自動装置だけは作動して、毎日動いているようだった。気味の悪さを感じながらも、部屋を見て回る。洗濯機も動いていたが、ホースから水が漏れて、壁に吹き付けていた。それも、止めた。いろいろなコンセントを見て回るが、電気製品はみんな壁と直につながって、コードを使用していなかったので、タップが見つからない。
 そして目が覚めると寝坊していた。

PS;
夢の中で夢を見ていました。AM3:00といっても、もう部屋は明るかったので、明らかに現実とは違ったと思います。でも、夢だと疑問を持つべき所で疑問が生まれないのですよね。よく、明晰夢かどうかを確かめるために、つじつまが合って無いか、手があるかどうかをチェックする、などと本には書いてありますが、そんな能動的な気持ちにならないものだと思うのですが。
 太陽の嵐の影響、結構あります。イライラしたり、胸騒ぎみたいな動悸がしたり、通販カタログを異常な集中力で見たり、普段欲しくないものが欲しくなったりで、しんどいです。いつ、終わるんだろう。情緒不安定ぎみで、いつも大声でどなっている上の階の住人が、ここのところまた症状が悪化しています。(うるさくてたまらんです)ハーモニック・コンコーダンスはまだだと思うのですが、助走期間?のようで、体は反応しているのでしょうか?この太陽の明るさと季節にそぐわない暖かさ、やっぱりそうなのかな?


2003年10月30日(木) 急いで住所録を書き換え

 住所録を新しいものに数人がかりで書き換えている。上司がチェックにくる時刻が刻々と迫っており、みんな必死でペンを動かしているのだがなかなか進まない。
嵐とともにびしょ濡れになった上司が全裸で入ってきた。長髪を振り乱し、カニ腹をもつ筋肉質の体は白くて少し透けていた。みんなの仕事が進んでいないのを見ると鬼の形相となって、また来ると言い残して出ていった。
 住所録の書き換えメンバーの中にH君がいたが、私は彼に思いを寄せていると同時に仕事では競争していた。どうやら、彼の方がすこし、作業が速かったらしい。



イラストレーターのSさんが、この銀行のヨコ位置看板を作ってくれた。「SCSIはここ!BANKはここ!」というコピーで、(意味不明)少女が横向きで走っており、そのまわりは光りのシールドで、他のものをよせつけないというようなマンガちっくなイラストだった。その隣には社員らしき人の実写の笑顔が印刷されていた。
 H君はこの看板に対して、言葉にはしなかったが感謝の念を抱いていたようだった。

PS;
最近、初恋のH君を実名で検索にかけてみたところ、以前は引っ掛からなかったのに1件だけ引っ掛かりました。化学系の発表会に同姓同名の名前があったのですが、所属している組織とその所在地から、もしかしたら本人かも・・・と思っています。そしたら、無性に会ってみたくなったのですが、もう15年以上前の事なので、あまりにもギャップがありすぎるような気がします。せめて、夢の中で会えたらと思ったら会えました。でも実際、彼はどんな暮らしをしているんだろうと思うと、想像するだけでも楽しいです。私は・・・あれから高校入学して、浪人して、大学へ行って、就職して、結婚して、子供がいます。きっと、今の私になんて、彼は興味がないだろうなあ〜。でも、どうして、こんなに気になるんだろう。私が気になっているってことは、彼も時々、私のことを思い出しているのだろうか?夢の世界では、繋がっていると思うので、きっと思いは届いているのかもしれません。
「元気ですか?あれからどうしてる?今度会いたいね。」


2003年10月28日(火) 家具の見本市

 家具の見本市に、親のやっている会社が出品しているというので、見に行った。外国の都市でマイナーな地下鉄の駅近く。親のブースは他の人たちと離れた、別のビルの1Fで広めだった。メイン会場と少し離れているということもあり、人もまばらで、手伝いにきた親戚の人などがいて、客よりスタッフの方が多いようだった。
 作品は、日本趣味なテイストを入れていて、部屋全体も、日本文化がちりばめられたようなものだった。仏壇や掛け軸がかかっていて、私の目からはセンスがいいとは言えなかった。でも、この国では日本趣味が人気を得ており、その国から見たアレンジをしているのだと思った。
 父に場所が悪い事を言うと、クレームを入れに行ってくるというのでついて行った。見本市の事務局はそのビルの上にある。エレベーターに乗った。エレベーターは近未来的なデザインのわりには、うすっぺらで、隙間風がビュービュー入ってきて、振動がものすごく、恐怖を覚えた。同乗したこの国らしき人がアドバイスをしてくれるが、どうにも要領を得なかった。
 ビルの上階のほうには、他の知り合いもブースを出していた。
 ミカさんは、やり手の若手家具デザイナーだ。高卒で、いろんな仕事をしながら、ここまでやるようになってきた。父を見るとミカさんは、懐かしそうにハグしてきた。とてもセンスがよい空間を作り上げていた。
 ミカさんの隣は、お座敷きのセットアップをいかに速くするかという商品の展示で、貧相なおばさんがやっていた。ボタンを押すと壁の下の方が開いて、敷物が飛び出し、あっという間に部屋の準備が整うというもの。よくみるとほころびたところなどがあり、展示としてはイマイチ。
 向こうのほうで、宴会らしきものが始まった。日本舞踊を踊っている人たちがいて、遠巻きにミカさんたちとそれを眺めていた。

PS:
夢を思い出せる時と、そうでない時がありますが、ある一つのキービジュアルが引き金になって、すべてではないにせよ、ストーリーを引き出せる時があります。今回は「日本舞踊」でした。
夢シンボルのエレベーターが出てきましたが、上昇しているので、いい方にとっておきます。夢判断て、確証が持てないので、どうも苦手です。


2003年10月25日(土) コバルトブルーの生き物

 ひとつの部屋の壁を装飾するという課題があった。私がどうしようかと思っていると、スキンヘッドの相棒がイゴを「連れてこい」と言った。わたしの(夢の中の)記憶では、イゴはカメレオンのような動物で、色に関連しており、見かけはイグアナのようなものだと思った。探すのに時間がかかっていると、相棒がイゴを抱きかかえて戻ってきた。記憶に反して、それはコバルトブルーの体色をしており、小さな草食恐竜のようだった。イゴを部屋に放つと、色が広がり始めた。イゴが絵の具のチューブを踏みつぶすことによって、抽象絵画ができあがるのだ。イゴのパワーはすさまじく、部屋が揺れるほどだ。わたしのペットの犬がそれにまきこまれて吹っ飛んだ。
 相棒が部屋の装飾の方法のお手本を見せてくれることになった。相棒はスプレーと筆を使って、絵を描き始めた。彼の腕が流れるようにスプレーを噴く。そして、筆でその輪郭をとる。それらささいな筆やスプレーのタッチが生かされて、ひとつの形として定着される。気がつくとそれらは精巧な風景画になっていた。まるでリアリズムの油絵のようだ。すこし霧がかったようなタッチで、湿った森の中が表現されていた。大木の根元を見るとそこに集まる昆虫までもが描かれている。しかし、わたしは、はっと気がついた。そこには、生命力が無かったのだ。
 相棒は自分の技術力を自認しながらも、やはり至らない点も認めていて、それを越えて欲しくて、私に見本を見せているのだった。



ビルの最上階には、球のモニュメントが配置されていて、それを何人かが取り巻いていた。みんなが、何かに合意した。すると、眼下に広がる地上にいる人間の中に危険なものが埋め込まれたようだった。
 そこにいるみんなは予想外の結果に、困惑したようだった。それは、あの背の低い、邪悪な人物の意図によるものだったようだ。
 邪悪な人物に私達の中から決闘を申し込んだ人がいた。それは、邪悪な人物の血縁関係がある一族の人々だった。
 私達はその決闘を見守ることになった。見学者もその弾丸を受けかねない危険なものだった。
 弾丸の衝撃を感じながらも、決闘を見守る私達。頭をかすったりした人がいたが、死人は出なかった。


2003年10月23日(木) タンゴの練習

タンゴの練習は大変だ。かかとが高い靴に慣れていない上に回転したりするからだ。


PS:
子の夜泣きと寝相の悪さで、目覚めがイマイチです。首がいたいよう。


2003年10月22日(水) 自動車に関すること

 自動車メーカーのデザイン部に中途採用される。1日遅れで、クラスメイトだった留mちゃんも、別の車のプロジェクトに採用されていた。通りがかりに他のプロジェクトの様子も分かるので観察していると、留美ちゃんはなかなかやり手らしく、採用2日目で、意見が採用され、広告デザインにいろいろと注文をつけているところだった。ここをこうしてと言うと、その道に熟達した技術者がきてフォルムを整えていく。それがもう見事で羨ましかった。
 会社の帰り、まだ道がよくわからない私は、会社の中で迷ってしまった。会社のなかには様々な工場があり、自動車は、できあがりは華やかだが、それまではいろいろな行程があることを思い知らされた。あるエリアでは、仕事の合間に店を出している社員もいた。それが、スラムのようにごちゃごちゃした感じで、ちょっと入りにくい感じで、恐かった。雨が降り出してきてしまい、困っているとだれかが、出口への道を教えてくれた。出口の方では、部の上司が自慢の愛車で帰宅するところだった。



 自動車ディーラーにつとめている先輩のところへ行く。それはSG会の打ち合わせのためだった。また今度セミナーをやるんだろう。お決まりのことだからしょうがない、かったるいけど出ようという気持ちだった。でも、私はもうSG会は退会していた。それを、先輩たちは知らない。知らないけど、誘ってくるので行くが、先輩たちにとっては、入会していようが退会していようが、慈悲の行動に照らしてみればどっちでもいいのだろう。
 ディーラーは人がたくさん勤めていて、どんな客でも場所を提供してくれるので、こういう宗教の会合もできるというわけである。
 事務所は雑然としていて、みんな忙しそうに働いていた。目のまえにいた営業マンの思念が伝わってきた。「お客さんの希望に合った買物にしてみせる。絶対、払うお金以上の良さをわかってもらう」彼の思っている事は、自分の提供するサービスのことであろうか?とりあえずは共感が持てた。


2003年10月21日(火) 推理の授業

 教室で、授業を受けていた。その授業は、推理しながら答えを出すことを訓練する授業だった。先生がすべてを教える前から、問題を解いて、全部の答えを畳み掛けるように発表した人がいた。問題は、数式なども含まれた算数のようなもので、長いストーリーと組み合わさっていた。
 私は、とてもじゃないけど真似できないなあと思った。推理だから、「答えが違う場合だってある」という可能性も含んで、問題を解かなければならない。一体どのように解いていけばいいのかわからなかった。

PS:
私は、この現実そのものを、そう捕らえているってことでしょうか?困惑?困惑しようがどうしようが、現実は現実だからしょうがないですよね。でも、その困惑を押さえ付けることも違うことなので、どうしたらいいんだろう。ってやっぱ困惑?


2003年10月19日(日) 引越し

 駅前の古めのマンションに引越しした。
10階くらいの高さで、窓からは駅前のビルが並んでいるのが見えた。ドアも手垢が付いていたので、洗剤をつけてゴシゴシこすった。この部屋は前にはカルチャーセンターの一室に使われていたようだった。講師名とコース名などが書かれていたのでそれも消した。
 部屋を見渡すと、わりと広かった。ふすまの向こうには和室があって・・・。タオルケットや靴下の片方などが落ちていた。え?もしかして、これって夜逃げした部屋なのかしら?と思った。ずっと奥の方に目をやると布団が敷かれていた。夜逃げではない。人が住んでいるようだった。隣との境はふすまだったのだ。古いといっても隣人とふすまで仕切られた部屋なんて、明治時代の書生のようだなあと思った。
 良く見ると隣のふすまの向こうは高校生の兄弟2人が暮らしているようだった。狭い所に机が2つならんでいて、コタツの上には黄色のiマックが置かれていた。夜2人が帰ってきた。縞々の野球ユニフォームを着てバットを担いでいた。彼等のイビキはうるさく、体臭が臭くてたまらなかった。
 あっちのふすまの向こうには3人の家族がいるようだった。私達が夜、眠ろうとしたら、その部屋はその家族の部屋だったらしく、気が付いて、部屋を変えた。
 私たち以外の部屋は南を向いていて布団が干せるが、うちは北側で、西向きの窓が一ケ所あるだけだった。これでは洗濯物もかわかない。いつか彼等に場所を貸してもらわなくてはと考えていた。東のほうにいくとテラスと出口のようになっていて、そこから外のビルとエレベータが見えた。私はそこのくもりガラスを半分だけ手前に引いた。

PS:
他にもうひとつ見たのだけど、忘れました。


2003年10月18日(土) 牛乳でバケツリレー 他

文化祭のショーで、T(元彼)とカラオケで出る事になった。彼は企画しながら、私の裏方でいろいろとやる役目だった。当日は、ドレスなど、衣装も用意した。出番を客席で待っていて、リハーサルかな?と思っていると彼が曲を流して歌いだしてしまった。ヤバい。私があそこに立っているハズなのだ。焦って舞台スソに走っていくが、ドレスが重くて走れない。恥ずかしかった。
 友達夫婦は、奥さんが同じように歌で出場することになっていて、ワイヤーで中吊りのアクションもやるようで、イロイロと用意をしていた。
 他の出し物は、ペナルティーグループの女子たちが、体操着で出てきて、牛乳リレーをするというものだった。それは牛乳の入ったバケツを順に送って速さを競うというものだった。白い液体がバシャバシャ辺りに飛び散った。



家に帰ると、誰もいないはずなのに3つのコンロすべてに火が着いていて、とても危険だった。じつは、留守だと思っていたのは思い込みで、妹のダンナがたまたま帰ってきていたのだった。妹のダンナは中田ヒデだった。彼は世界中を飛び回っていて、多忙だ。だから、家にふらっと帰ってきてもおかしくはなかった。私は、中田ヒデが義弟だということに誇りを感じつつも、多忙のあまり、会った事はなく、彼が家族だということに気持ちはすっきりしていなかった。

PS;
朝おきると、カーテンのかかってない窓にプラーナが見えました。半年前くらいにも見た現象なのですが、それよりももっと細かくてぎっしりしたプラーナでした。目覚めて、目はあけているのに、アストラル体が肉体に戻るのが遅れるとこういう現象が起るような気がします。なんだか、頭痛と耳鳴りがここ2日ほどあります。電磁波を感じ過ぎでしょうか?11/8にハーモニックコンコーダンスがあるとのことなので、それまでちょっと注意して夢日記を付けたいと思います。


2003年10月16日(木) ビルの中で暮らす王族

 高層ビルのある何フロアーかがその王族の暮らしている場所だ。外から見れば単なるビルだが、内装は王族らしく重厚に作られていた。わたしは、使用人として勤めていた。王は60代くらいで背の高い痩せた男で、王妃は30代くらいの若い女だ。何かの理由で、国から亡命してきたらしい。
 王は一風変わった人らしく、徘徊癖があり、あまり家にいない。王妃は最近妊娠したらしく、床に臥せってばかりだ。
 エレベータを降りると2人のインド人ぽい客の泊まっている部屋だった。起きたばかりらしく、機嫌が悪かった。そこへ、王妃が一人でやってきて、客の接待を始めた。王妃は彼等とどんな関係があるのだろう。私には知るすべもない。
 またエレベータを降りるとそこは王と王妃の部屋だった。(このエレベーターは私の意志とは無関係のところで止まるのだ。)王は不在だった。王妃は、奥の方にいるようだった。



パソコン画面の文章を読んでいる。

あつしです。
今日わかったのですが、色がかわりましたね。
またその色についての詳しくはあとで。
それぞれにという感じですが。

地球全体が変わったらしい。わたしには顕著にはわからなかったが、自分の中で微々たるシフトが進んでいるのは感じていた。



船で渦潮を見に行った。次の日は、その船着き場で、売り子のバイトだった。襟につけるオレンジの縞模様の蝶ネクタイがたくさんあったが、どれもボロボロで付けるのに一苦労だった。


2003年10月15日(水) アイドルをつくる

 文化祭で、稲G君、留mちゃん、私が一つのグループをつくり、ショーを企画した。稲G君をモデルに仕立て上げたファッションショーのようなものだった。稲G君は、サッカー推薦で有名高校に入れる位のスポーツマンで、カッコよかった。ファッションを見せたいわけではなく、どちらかといえば稲G君を全面に押し出したショーだった。
 しかし、終わってみると、大幅な赤字だった。私は稲G君に、足りなくなったお金をどうにかしろと責めたりしたが、彼も頑固なのでゆずらない。留mちゃんは、稲G君がわりと好きなので、愚痴は言っていなかったが、内心は不満そうだった。少なくとも、私の前で、稲G君をなじってはいなかった。2人の間には、特別な感情があるらしかった。


2003年10月13日(月) 文集で告白

 有志のメンバーで、高校卒業の文集をつくることになった。私は、「中学の時から好きだったH君と、高校3年の時、一緒のクラスになれてうれしかった。あまりしゃべったことはないけど、いつもみつめていました。好きな人が一緒のクラスにいると、毎日が楽しい。」などど原稿用紙に書いていた。この文集によって「公開告白」みたいな効果もねらっているつもりだった。
 文集に載せたい人はエレベータの前で順番待ちをすることになっており、私の前には諏Wさんがいた。彼女は、S君に思いを寄せていたそうだ。諏Wさんは丸顔のかわいい女の子で、S君は粘着質なゴリラ顔の男子だ。私は、人は見かけにはよらないなあと思った。しかも、諏WさんとS君は中学時代、こっそりつきあっていたという。

PS
入眠時に数を数えたり、絵しりとりをすると、体外離脱や明晰夢を見やすいということが書かれていて、試してみました。3回くらいやったことを覚えているのですが、いつのまにか眠ってしまいました。あまり数にこだわると、目がさめてしまいます。しめった2枚の紙を2つに分けようとして失敗した感じです。とてもデリケートに扱わないと、うまくいきませんねぇ。


2003年10月12日(日) 剣道。。。

 剣道の稽古、、、をするんだけど、男女一緒の更衣室で着替えている。見えないように着替えることはできるんだけど、これはどうなんだろ。真田さんは、スタントなしでも剣道シーンを自分自身で演じている。(そりゃそーだよね、もとJACだものね...)

PS
10ヶ月の娘の夜泣きがひどくて、毎晩2〜3回は起こされます。明晰夢を見ようと思って気合い入れて床についたのに〜。(泣)


2003年10月11日(土) 海辺の観光地

 海岸近くにドラマのために作られた海の家が、そのまま残された場所に行った。軒を連ねる海の家の中で、それは比較的海に近いので、波が中まで入りこんでしまっていた。

 旅行1日目だったので、そろそろ海水浴を切り上げて、ホテルへ向かった。相棒は、そのホテルは道が狭くて見つけにくいから、屋根の上を歩いていこうと提案した。たくさんのホテルがひしめきあって立っている。そこは温泉街のようなところだった。屋根の上はたしかに人がいないし、見通しは良い。だが、いつ屋根の弱い部分を踏んで落ち込むかわからない恐れがあった。

 ついに、中庭の塀の上を歩いている時に、そのホテルの女将に止められた。私達のホテルに連絡してあげるから道を歩いていきなさいと言われた。

 ホテルに着いたが、こちらは予約していたはずなのに、予約されてないと言われた。一時的に小さな部屋に荷物などを置かせてもらい、食事をとることになった。 コースの中で選択できるものは、タコヤキ、フランスのお茶、ハンバーグだった。そこには、母や祖母もいて、みんなが同じメニューにならないように迷っていた。

 この街では相撲の取組があって、観戦した。観客には外国人も混じっていた。

 海の近くに、噴水や宝石がちりばめられた、きらびやかな時計塔があった。(今は離婚している)祖父母が写真に撮ってほしいと言ったので、その時計塔をバックに、写真に収めた。


2003年10月10日(金) TK氏との不倫

 コンサート関係の仕事をするようになった。私は、軽だが車を所有し、いろいろな事を処理していた。時々、助手席に男性をのせて走っていることもある。
 最近仲良くなったのは、TK氏だった。私の中にほのかな恋心も芽生えてきた。
 問題はTK氏は妻帯者だということだ。TK氏も私のことを気づかってくれる事があり、心苦しい。私は、「K子さんがいるのに、いいの?」と言おうとするが、いつも自分の中で、わかりきった事は聞かないようにしようと思い、口に出すのはやめるのだ。
 しかも、彼は妻と11月22日(いい夫婦の日)に挙式をしている。たとえ、妻への愛情がなくなったとしても、彼にはそういう契約があるのだ。






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<わたしの安眠法>
昨日、眠る前にミルクいっぱいのココアをつくって、飲みました。ハズバンにもつくってあげたのですが、顕著だったのはハズバンです。床につくなり、ゴーっと寝てました。わたしも、すぐに寝付けました。夢は、短かめでした。


2003年10月09日(木) 監禁、解放

 地階の物置きだった部屋が割り当てられ、私は監禁に近い状態だった。高次からのメッセージを受け取れる身でありながら、ある人たちには迫害される扱いを受けていた。一応、自分に必要な気に入った物品は持ち込むことができた。部屋は4畳くらいで天井が低く、閉塞感がある。いったいいつまでここにいるのだろか?まさか永遠ではあるまい。私にとって、この現実だけがすべてではないという思いだけが、生きる事を支えているようだった。友人の長谷川君(心あたりがないけれどそういう名前)が車椅子を使う身なのにわざわざ面会にきてくれた。彼が部屋に入っただけでもう身動きがとれなくなってしまう。小さな電気暖房機が回っていた。
 隣の部屋では、Nさん(水泳クラブ)が監禁されていた。しかし、そこは広めの和室でベランダもあった。(つじつまは合っていません)そこへいろんな人が集まってきて、「博物館をチェックしよう」ということになり、地図をひろげて、書き込んでいった。私は、なかなかいい博物館が思い付かなくて、まずは、江戸東京博物館と思い、書き込んだ。

 シーンは変わり、布団を購入しようと、あれこれカタログを物色しているが、心の中では、たぶん西川のウレタンのを買うのだろうと決めていた。(このへんは過去の現実にもありました)布団を待つうちに、手を浴槽の中につなげて、縛られていた。両手の手首付近にホースくらいの太さの金属が直に繋がっていて、無理に引っ張れば、肉ごとむけてしまいそうで、このまま死ぬのかと思った。けれども、「最後の瞬間まであきらめるな、何が起るかわからない」という思いが湧いてきた。ロードオブザリング2のアラゴルンを思い出していた。とうていかなわない軍勢に攻められても、あきらめずに勇敢に戦うその姿のことを。(余談ですが、2ではアラゴルンのキャラが立っていて、ヴィゴ・モーテンセンという役者さんに興味を持ちました。1の時より断然カッコイイ!)すると、体が霧のように気化し、その呪縛から解放されたのだった。

PS;
今日はじめてバッドエンディングの夢を、自分でコントロールできたような気がしました。夢日記をネットでつけるようになって、ダイレクトに細かいところを書けます。それでもやっぱりすくいきれない部分もあります。本物の夢をそのまま写しとることはできないなあ。ただ、記録することによって、その夢の雰囲気というか波動の記憶を呼び戻すことはできますね。


2003年10月08日(水) アイデアスケッチ

 デパートの各階の階段の踊り場にプールが併設されている。暑い季節だったので泳いだ。室内プールなので湿気があって壁に水滴がついている。どこの階がどんなプールでどのくらいの込み具合か、一緒にいる友達といろいろ話したりした。どんどん階を下っていって1Fには大きめのプールがあり、そこでは、ちょっとした水泳大会みたいなものが行われていた。友達の息子が、どのくらい水中長くがまんしていられるかという部門で優勝していた。

 喉が渇いたので、近くのスタバに行こうとしたら隣にH君(初恋の人)がいた。買うまで一緒にいたけれどいつの間にか、いなくなってしまった。H君はいつもそうだ、ずっといてほしいのにすぐにいなくなってしまう。(H君は私の夢のなかで結構わがままです、本当は分からないけれど。)

 バイクの後ろに乗せられて、高速を走っていく。バイク専用のターンする道路があって、すごくせまくて急角度の登りのチューブ状螺旋だった。アクセルを全開にしてハンドルを切っていかないと落ちてしまう。途中、 サービスエリアでお茶していると、Oちゃんの家具のアイデアが採用になったらしいことを知る。そのスケッチを見せてもらったけれど、コメントが書かれていて、「100(下に=、テストでよくあるやつ)
これはこんなに高級そうに見えなくて安っぽい感じがする方がもっといい」と絶賛されている感じだった。それは全面ミラー張りのタンスみたいなもので、四角が並んでいるだけのようなものだった。私は、「そのくらいなら私にだって描ける」と嫉妬を覚えつつ、結局は社長とOちゃんとの間の何かの深い繋がりがなくては、採用とかそういう共感というものは生まれないんだ、理屈とか抜きの部分で、と感じていた。


2003年10月07日(火) 観劇中の失敗

 母、妹、友人たちと野村満斎のハムレットを見に出かけた。観劇まで時間があるのでロフトの商品を凝縮したセレクトショップに寄って時間つぶしをしていると、買物に夢中になってしまい、劇場に付く時間が遅れてしまった。友人のTちゃんがレターセットを購入し、専用に名入れを注文したことや、妹の選んだジャケットを私も欲しいと言ったら、本店からの取り寄せになってしまうことなどがあった。以前ネットで見かけた手作りの素敵な靴も並んでいた。
 劇場に行く前に私は、前売りチケットを忘れたことに気づいた。なんたること!当日券を買わなくては。もしも現実ならこんなミスはしないだろうと思った。前売り券は指定席だったので、一緒に行ったメンバーと離れた席になった。席というより、絨毯のひいてあるスペースで、劇自体は建物全部を使ってやるものだった。
 次のシーンで、私は、ちょっと変わったシェーカーを振ってカクテルをグラスに注いだ。それはしょうゆと納豆がベースのカクテルだった。このハムレットは和風にアレンジした演劇なのでそうなんだろうと妙に納得していた。しかし、次の瞬間、劇場中からブーイングが起った。この劇は観客と出演者が共に作り出すものなので、今のカクテルのタイミングはNGだそうだ。私は、自分の行為が否定されたことにショックを受けた。もう一度、やり直しをさせられたがイヤな気分になってしまった。

(野村満斎のハムレットは実際には見ていません。先月、ハムレットの舞台になったお城を、デンマークで見ていたので、それが影響されたと思います。)


2003年10月06日(月) 出稼ぎの船

 出稼ぎするために、船に乗って、島に向かった。
 そこにある、私の職場は最新の設備で、きれいなビルだ。上司や同僚は、以前と同じ人だった。
 時々、船で本土へ帰った。船が着岸して降りるとき、みんなは3階の高いところから飛び下りていた。わたしもやろうとしたが、恐くてできない。考え直したら、1階まで降りて、岸に降りることもできるとわかって、そうして降りていった。


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右手で右手を掴むことはできない。
目は目自身を見る事はできない。
私は宇宙のことを把握できない。
それ自身だから。


2003年10月05日(日) 街金融を襲撃

ある街金融に不満があり、3人くらいの共謀者で襲撃を企てた。60歳くらいの翁と30代くらいの小柄な女性、そして私。できれば、そこの所長を殺害するがの目的だった。オトリとして私がお金を借りて、そのスキに襲撃をするというものだった。
翁は灯油タンクに羽が付いたような小さな乗り物で、ビルの最上階にあるその金融に侵入した。
私は、140万くらいのお金を引き出した。身元証明や書類を入れるようにATMの向こうから所長と思われる男の声で直に指示があり、エセATMだ。なんとかお金を引き出せた。しかし、計画はどうなんだろう。明日、お金を返す時だろうか?
 次の日、お金を返そうとすると、利子が10万もついていた。翁から借りたお金が足りない。(つじつまあってません)
 足りない分は明日返せばいいのか。計画がうまく進んでいないようで、女性の仲間がまごつきぎみに別のATMを操作している。


2003年10月03日(金) チベットのお寺でヨガ

 それにしても、僧衣?ユニフォームみたいな帯のようなものの着付けがわからなく、更衣室でまごまごしてしまった。広い道場のようなところに出ていくと、もう講話が始まっていた。
 内容は、「極楽寺の勢力はなくなった」というもの。しかしその勢力みたいのは漏れてここにも来ていた。
一瞬手前の物入れがガタガタと揺れたかと思うと私の前あたりを風圧をかけて目に見えない何かが、更衣室の方に消えていった。実際には、まだいるじゃん。
 そのあと、ヨガが始まるらしかった。前の方に正座して座っている人の中には死人もいるらしく、顔が真っ青だった。(コワ)近くにいくと、血が床に付いていて、回りの人が、きれいに拭いていた。恐くないの?この現象?
 そしてまた更衣室で、何かを探している私。道場のほうでは、別の人の発表があって、踊りみたいなヨガみたいなものを披露していた。それは、年上のメンバーの女性の人で、私がお世話になっている人だった。
 更衣室に入る時、引き戸をひく私の手に誰かの手が触れた。反対に回って見てみたが、誰もいない。手しかない何者か。コワい。極楽寺のあれか。


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夢日記のリング「夢記者連盟」
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