DIARY独り言

 

 

- 2003年12月31日(水)

佳那と年を越した。「行く年来る年」を見ていて浅草寺で年が明けた。「あけましておめでとう。」ってお互いに。家で風呂を暖めたり、料理を準備したり、洗濯したり、朝起してくれるので、今日は帰りぎわに感謝のショートケーキを二つ勝って帰った。(やす!)明日食べるそうだ。

ありがと。女の子はやっぱりかわいい。今、僕の隣のベットで眠っているよ。



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- 2003年12月30日(火)

後一日で今年も終わる。やっと一年を振り返ろうという気になってきた。夜の街も電車の中も、人影が少なくなってきた。ちょうど良いくらいの人口密度です。

僕が子供の頃は、お正月は駅前の商店街も店を閉めていて、街がひっそりと休んでいた。車もさほど通らない。静かで北風だけが通りを吹き抜けていた。コンビにもスーパーもない時代。お年玉をもらってTVのかくし芸大会などを見て喜んでいたな。

あんなお正月をもうずーっと過ごしていないな。



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- 2003年12月29日(月)

昨日はお風呂に入ろうと戸を開けたら、娘が入っていた。びっくりしたのは、僕だけで、娘は平然としているんだな。

毎日新聞の日曜日連載の、「オバさんの逆襲」というコラムで娘が父親をどう思っているかが28日の朝刊に載っていた。たまたま、読んでいなかったのだが、郁さんがこれ読んだ?って見せてくれた。WEBでも、まだ掲載されていないようですが、いずれ載るでしょう。場所はこちらです。です。

今日は天気もよく暖かかった。ツーリング日和ではありますが、どこへも出かけない。宮本輝著「朝の歓び」と読み終わった。



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- 2003年12月27日(土)

今年もいよいよ、秒読みにはいりました。この時期一年を振り返ると言うのも良いものですね。大掃除、これも一年を振り返りながら掃除をするんでしょう。

僕はだらしない性格で、時間を区切る意識があまりなくて、誰かが、恣意的決めた区切りにとらわれることなどないではないかと、かってに思うときもあります。

時間はいつもつながっている。区切りはないんだ。なんて自己中心的に子供のように駄々をこねたくなる今日この頃です。



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- 2003年12月26日(金)

昨日の夕刊に「圏央道収容認める 東京地裁決定覆す」と報道されていた。かつて東京地裁は都知事の収容の執行停止を命じていたのだ。昨日、この逆転判決を読んで然りと思った。

公共の福祉を無視して数十軒の地権者達が権利を主張することが果たして正義なのかと常々疑問に思っていた。圏央道が中央道とつながれば、環状線16号の渋滞が緩和されて経済効果も大きいだろうと僕は思っていた。東京地裁の判決を知った時に何かおかしいと思っていた。

かつての成田空港の問題にしても、収容される少数の人々の意見がクローズアップされて、収容する行政側の意見は非難される傾向にある。でもその影ではきっと成田空港も早く拡張して欲しいと望んでいた一般市民もいたことだろう。行政が全て正しいとは、決して思わないが個人の権利を主張するように国民も公共の福祉を主張してもよいだろうと僕は思う。

もう一つの判決。桶川のストーカー事件の判決にさいたま地裁は無期懲役を言い渡した。交際を断られた弟(指名手配中に自殺)の仕返しで殺人を犯した犯人を僕は個人的に許すことはできない。人を殺すという重大な行為に対しその動機があまりにもくだらなく情けなく誰も同情する事ができないからだ。

無期懲役といえども、現実は数十年服役すると出所することができると聞いている。この曖昧な現実が死刑論議の複線にあると思う。無期懲役=死ぬまで罪を償う というならば、被害者家族も少しは納得できると思うのだが。

今日は御用納めの為か深夜の電車も満員電車のように混雑した。あいも変わらず酔っ払いが多い。若い人が酔っ払ってしまっているのは若気のいたりで許せるが、年配の人が酔っ払って千鳥足で歩いているのを見ると情けなく思う。一年に一度酔っ払っているのかも知れないが、それでも見苦しい。今日初めてお酒を飲んだわけではないだろうに、自分の酔いを管理できない大人はとても恥ずかしく見苦しい。

ふー。心の中で言いたいことを全て吐き出してしまったよ。



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- 2003年12月25日(木)

小田さんのライブをTVで放映していた。久しぶりに見る小田さんはそれなりに年をとっていたけれど、その歌声は昔のままだ。僕は途中から見たのだけれど、次々と出てくるゲストとの会話が面白い。
櫻井さんは、結構いい味出していたし、歌う姿が絵になる人ですね。誰もが平等に限られた時間の中のゴンドラに乗っているんだなと思いました。



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- 2003年12月24日(水)

真っ赤なコートを着ていたり、電車の中で妙に盛り上がっていたり、どうも気持悪い一日。隣の二人の会話もくだらないのでポータブルステレオをのイアーホーンを耳に突っ込み音を流す。

冷静に見ると、やっぱり日本人にはクリスマスは似合わない。もともとクリスマスが似合う顔のつくりをしていない。除夜の鐘を聞きながらお寺の石段をマフラー巻いて登って行くのは似合うよ。日本人は。



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- 2003年12月23日(火)

朝起きてから茉由に、「昭和記念公園に行こうよ。」と言ったら、「今日はおじいちゃん達とご飯食べるんだよ。」って言うから、「昼間行けばいいじゃん。」って言うと「茉由はイルミネーションが見たいから行こうといったんだよ。昼間は行きたくない。」だって。「わかったよ。」と家でうだうだしていたら、郁さんは大掃除で照明をはずして洗ったり、忙しそう。佳那もいつのまにかTVの周りを掃除し始めて、なんだか居心地が悪い。

そうだ久しぶりにVFRを洗車しようと外に出た。

午後まったりした後に、夕ご飯の食材を買いに出かけた。今晩は手巻き寿司。キリンのクラシックラガーは美味しいよ。

今日は郁さんはどうも機嫌が悪い。こたつでPC見てたら、チョコレートをいくつもいくつも投げつけられた。「マイペースなんだから。」佳那が「お父さんは掃除手伝わないんだからだよ。」って言われた。

毎年この季節はこんな争いが恒例行事のようにあるんだ。



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- 2003年12月22日(月)

帰りの電車を一本を乗り過ごすと、帰りは1時くらいになる。青梅線のこの時間はなぜか、武蔵五日市へ向かう電車と拝島駅止まりが続くのでそれをやり過ごしてからになってしまう。拝島から一瞬タクシーで帰ろうかと思ったが、タクシー乗り場にも行列ができている。

今日は忘年会の一次ピークだろうか、こんな時間なのに電車は、とても混雑。危うく人の流れに押し流されそうになるくらい。

そして今日は冬至。柚子を浮かべてお風呂に入るのが慣わしの日。今日を堺に徐々に太陽が照らす時間が少しずつ延びてゆく。でもこれからが気温が下がって雪もたくさん降る。シーツの下に電気毛布が敷かれたのは昨日からです。



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- 2003年12月21日(日)

家に帰ると12時30分なんてかなり異常な生活をしている。郁さんにはもう寝ていてね、と言って寝てもらっている。部屋に入ると、「お帰り。」と言った。MDを聞いていたので返事をしなかったら、もう一度言った。こういうところが僕は好きなんだ。

隣の部屋で作ってある、春巻きと、大根の煮物をレンジで温めて食べながらニュースなどを見る。発泡酒なども飲みます。

今日は茉由はこの部屋にはいない。高校生は冬休みに入って貴重で楽しい時間を過ごしているんだろうな。



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- 2003年12月20日(土)

寒い! 朝のニュースで雪が降って高速道路もチェーン規制が出ているって言っていた。多治見とか名古屋とか小牧とか白馬とか言っていて。なんとなく走った記憶が蘇って楽しい。

雪が降ると人も出歩かず、車も走らなくなるので、日が暮れると街の音がなくなる。静かな静かな夜に音もなく降り続く雪を見るのも楽しいものだ。深夜に降り続く雪を見ながら飲む酒は美味しいんだよ。



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- 2003年12月18日(木)

暮れ時、池袋の西口をなぜか仕事で歩いた。クリスマスのイルミネーションがキラキラしていて、道行く人もなぜか楽しげで。

僕はどちらかと言うと中央線族なので、池袋はほとんど行った事がない。駅前ではイラクの自衛隊派遣問題を糾弾する演説がうるさいが、師走を感じる夕暮れは楽しい。


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- 2003年12月16日(火)

最近パワーダウン状態なのかな。何かを書く気が起きなかったりする。サダムが捕まったりのビックなニュースが駆け巡っているのだけれど。

それでも、昨日15日(月)はひょんな事から、長野県小諸の懐古園を散策してきました。先日TVで小諸が舞台の「男はつらいよ」が放映されていたのもきっかけでして。

懐古園よりも、園内の藤村記念館と隣接している小山敬三美術館が、良かった。

藤村は7人くらいの子供をもうけたが、上の三人は病気で亡くなっているんだ。小諸には4年間くらいしかいなかったんだ。小諸義塾という学校の教師に招かれてこの地で生活していたんだ。なんてことを知った。

小山敬三という画家の名前も初めて知ったのだが、その絵は色彩も輪郭も構図のどれをとっても、見る人を幸せな気分にさせる絵だった。特に浅間山を好んで描いているようだった。女性の絵も描いているが悪く言うと漫画のようでもあるが、僕はただ単に楽しくて好きな絵だと思った。難しいことは解らないけれど、人を幸せな気分にさせてくれると言うことはとても大切で重要なことだと思うな。



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- 2003年12月13日(土)

どうも、冬の雨は気分を鬱にしていけない。昨日12日(金)は一日中どんよりとしていて時折霧のような雨が落ちてきていた。それでなくても日照時間がとても短くなっているのだから、せめてお日さまは出て欲しいと思う。

単純な人間には、青空や夕焼けを見るだけで幸せな気分に浸れてしまうのに、反面暗く冷たい雨が降り続くとあらゆるものが、ダルに見えてしまう。

晴れたら久しぶりにバイクで…。って思っていたがあの天気じゃ。羽村の「豚満記」という四川料理店でチャーハンと棒餃子を食べて買い物に行ったら真っ暗になってしまった。



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- 2003年12月11日(木)

だいたい、朝の7時に郁さんは起してくれる。「今日はもう起きるの?」って。深い眠りの中から意識が戻ってきてまず思うのは、「休みじゃなかったっけ。」って事。「残念ながら今日はONだ。」その後5分ほどまどろんでから歯を磨く。

仕事の日は、朝しかまともに顔をあわせないからか、僕がトーストを食べてると珍しく、唐突に姉とけんかしたことを話してきた。きっと誰かに聞いて欲しくてしょうがないんだと思う。本当は、ゆっくり聞いてあげたいんだけれど時間がない。郁さんも一通り話したら気がすんだようで洗濯機にむかっていた。

何気ない朝だけど、電車に乗りながら色々考える。人は結局寂しい存在なのかもしれないなぁ。だから人は色々と紛らわしたりするけれど、それでも、心から満たされることはない。

老人が寂しそうに見えるのはきっと、人生そのものがそこに収束して行くからなんだろうか…。



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- 2003年12月10日(水)

どうやら昨日(9日)のニュースは自衛隊のイラク派遣の基本計画が閣議決定されたことらしい。10日の朝刊を斜め読みしてわかった。なんだか外国で時差のある生活をしているようだ。小泉首相の記者会見の映像もまだ見ていないし…。結構ズレまくってやさぐれた生活を送っている。

誰も自衛隊派遣を積極的に喜ぶ人などいない。派遣される自衛隊の人にしてみれば不幸な話し。一般的にはかわいそう、ってことになる。もともと戦地に赴く可能性があると知っていたら自衛隊には入隊しなかった人も大勢いるだろうし、色々な自動車免許が取れるしと思って入隊した人も多いだろう。

もともとの出発点がアメリカとは違うから、議論がすれ違う。自衛隊などとあいまいな言葉は捨てて、はっきりと日本軍と言えばよい。日本軍と言って入隊したのなら国民も納得するのではないか。どこの国でも自国の主権を守るために軍隊は持っている。近隣諸国に対しても日本は政治的に外交的にもしっかりと自国の権利を主張すべきだ。やはり憲法九条の問題、つまり太平洋戦争の敗戦後の日本の問題に全ては行き着くような気がする。



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- 2003年12月09日(火)

家に帰って、風呂に入ってビール?(実は発泡酒)のプルリングを明けると、時計は12時30分を回っている。TVをつけても夜のニュースも終わってしまっている為に見る番組がないのが一番つらい。郁さんが作っておいてくれたおかずをレンジで温め食べる。

深夜TVもずーと見ていないので、なじめないし。明日のことを考えると楽しんで見てもいられない。

夕刊を読むと小津安二郎や金子みすずの生誕100周年の記事が多い。両人ともコメントを記すほど読んでもないし見てもない。それでも興味のある二人。東京物語は見たけど映画と言うより文学に近いという印象。金子みすずは有名ないわしの弔いの詞は知っている。郁さんが詩集を数冊持っているので今度読んでみよう。



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- 2003年12月08日(月)

朝起きてネットで検索したら、ラストサムライが立川のシネマシティーで10時10分より上映するとわかったので、郁さんに「見に行こうよ。」と誘った。
立ち見は嫌なので、郁さんは急いで洗濯物を干して出発したら、映画館には1時間くらい前に着いてしまった。

ラストサムライ。先週の土曜日から日米同時上映らしい。明治初期、近代的な軍隊を育成する為に日本に招かれたトムクルーズが逆に渡辺兼、真田広之等の日本の侍魂に魅せられて、官軍と命を掛けて戦うというストーリー。息つく間もなく展開するテンポの良さはもちろん、トムクルーズと真田広之が木刀で雨の中戦うシーンは圧巻だった。

真田広之は「たそがれ清兵衛」でも下級武士の悲哀を静かに演じていたが、今回は血気みなぎる迫力ある演技が冴えわたっていた。映画が終わっても最後まで席を立つ人がいなかったのはこの映画の迫力が見る人の心を打ったからだろうか。

昼ご飯に和光でとんかつとランチビールを飲んだ後、ルミネなど歩き回って家に帰った。今日は夕焼けが美しい。

日も落ちて、茉由を駅まで迎えに行って車に乗せたら、強烈なニンニクの匂い。「くっせー!何食べたの?」「調理実習で餃子作って食べた。」電車の中でなんだこの女子高生、オヤジくせーっておもわれたことは間違いないだろう。



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- 2003年12月06日(土)

暦の上では、大雪というらしい。大雪が降る季節になったらしい。こちらでは、今銀杏の葉がとてもきれい。

伊勢正三という人がずいぶん昔に「風」というデュオグループで活動していた。その頃の何枚目かのアルバムに、「冬京」(とうきょう)という唄がある。都会での日々の暮らしの中での小さな幸せを歌った唄。「2センチ足らずの雪が 科学の街 東京を 一日でぬりかえる…」そんなフレーズがあった。まさに「冬京」これからの季節です。


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- 2003年12月05日(金)

一日中どんよりしていた。気温が上がらず寒い。

カーラジオでJ-WAVEというFMラジオを聞いていたら、トムクルーズ主演のラスト・サムライという映画の紹介をずっとしていた。渡辺兼が良いらしい。真田広之も出ているし。これはぜひとも見てみたい。

武蔵村山で夕飯のおかずを買った後、地元の本屋さんで来年の手帳とカレンダーを買って帰った。手帳を買うと今年も終わるんだなと実感するよね。

数日前のDIARYに写真を貼りつけてみました。散歩中のこの街の風景です。冬の晴れた日は、素晴らしく美しい。



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- 2003年12月04日(木)

めっきり寒くなった。深夜のNHKで宇宙についての番組を放送していた。ガリレオは木星を観察していて数個の衛星が木星の周りをまわっていることに気づいた。それで、地球も太陽の周りをまわっていることを確信したらしい。
銀河も宇宙には無数にあって互いにぶつかり合って成長衰退しているらしい。数億万光年の時間の話しを聞いていると、いつものように自分の命が塵のようにはかないことに気づく。

夜空には星が輝いて、月までも明るく地上を照らしている。その下でマフラーを巻いて歩いている自分とはいかなる存在なのだろう。



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- 2003年12月03日(水)

家に帰ると深夜12時30分と言う日がこれから続きそうだ。やさぐれて、いじけたサラリーマンになってしまいそうだ。駅のホームで缶ビールを飲む人の気持も少しわかる。でもそんなことはきっとしない。

郁さんには、もう寝ていてくれといったら、素直に寝てた。秋刀魚を電子レンジであっためたら中で爆発した。豚汁を火に掛けて温まった。さあもう寝よ。



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- 2003年12月02日(火)

きれいな青空が広がった。一日中空を見ていてもあきない。空を見ながら16号を歩いて、隣の駅の図書館まで行った。久しぶりだ、図書館に来るなんて。書棚を眺めてやっぱり図書館は商業ベースの本ばかりではなく、本の博物館なんだなと思う。つげ義春の温泉の本を椅子に座って読んだ。有名な温泉の古い写真と彼の漫画が掲載されている。彼の漫画は「無能の人」竹中直人監督でも有名。


携帯の時計が2時を回った。佳那の三者面談で、3時に郁さんを高校まで車で送って行く約束をしていた。わらつけ街道を急ぎ足で家に帰る。それにしてもこの街は散歩していても楽しい街。あちらこちらに美しい建物や看板がある。

佳那の高校はI市の博物館の前にある。僕は面談中に、博物館で展示中の「カラダ万華鏡」という絵画展を見る。人はなぜ裸の女を描くのだろう…。

外に出ると4時。早くも冬の太陽は富士山の向こうに沈もうとしている。一輪車に乗って楽しそうな娘さんの家族や、凧を上げる父親と息子達が前の芝生の広場で遊んでいる。今日は朝から一度も雲を見ない。美しい空と太陽が地上を照らし続けた。



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- 2003年12月01日(月)

寒くなったなぁ。今年も静かに終わろうとしている。イラクでは日本人がとうとう犠牲になってしまった。戦争は自分が死ぬか、相手を殺すかの勝負、だとしたら…。
自衛隊といっても、イラクの人々はその制服を見て単純に日本軍が侵攻してきたっておもうだろうなぁ。



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