風の行方...深真珠

 

 

ひさびさに泳いで疲れました。 - 2002年10月31日(木)

「朝の一言」
で検索にひっかかってました。
一体、何を調べたかったんだろう・・・。
で、どこでどうして僕の日記を見たのかっ!

ひさびさ、近くのプールに泳ぎに行きました。
気持ちよかった♪
やっぱり温水プールだな。
海って、パンツのゴムのところに砂がたまってイライラするからキライです。
プールを始めたのは3歳の時で、やっぱりその影響か
プールが一番落ち着く。

でも、顔が濡れるのは好きじゃないんだなぁ。
お風呂も余り好きじゃないです。
いや、ちゃんと入りますけど(苦笑)
水の中で目が開けられない人なんです。
ゴーグル(水中めがね)があれば平気なんだけど。

そういえば、今、髪が長くて、後ろ髪をどうするのかものすごく迷った!
キャップからはみでるんだよなぁ。
どうやったらいいんだろう・・・。
切りたくはないしな・・・。

とりあえず、軽く200mくらい泳いだ後に、
クロール1km
平泳ぎ1km
泳ぎました。もちろん、ゆっっくりですけどね。
きつすぎた・・・。いきなりハードトレーニングはまずかった。
いきなり筋肉痛だわさ(何?)
その後、500mくらい流すくらいの力で泳いであがりました。
それにても楽しかったな。

週1くらい泳ぎに行けたらいいな。
競泳はもうやる気は無いけど、
趣味として泳ぐなら、水は怖くない。
今夜は熟睡できそうです♪


あ〜、なぜか脇が痛い(謎)



...

とてもショックです。 - 2002年10月28日(月)

ケンウッドが、携帯事業から撤退するらしいです。
がび〜ん・・・。
なんでよ〜。
黒字だったんでしょっ!!
いろいろ文句いってたけど、気に入ってたのに!!
ケンウッドと心中する気だったのに!!
音にこだわる機種がなくなるじゃんか!!
「ちょっと画質は落ちますねぇ」
って店員さんに言われたけど、全然気にしてないのに!!
むしろ、ツインスピーカーの音の良さにびびったのに!!
11月になったら、機種変する気だったのに!!
あ〜、残念。
もう5,6年ケンウッドユーザーなんですけどねぇ。
J-PHONEに社名が変わる前からのケンウッドユーザーなのにっ!!

J-PHONEがボーダフォンに変わっても、別にど〜でもいい。
前に変わったときも、何事もなかったし、
むしろ海外で使いやすくなったりしたらいいかも?
それに写メール輸出すれば、もっと安くなるかも?
ベッカムが広告塔だしっ!!(笑)

あは〜ん♪

思わずベッカムが表紙のJ-PHONEのカタログもってきちゃったよ(笑)

デジタルツーカー(ローカル)

J-PHONE(全国区)

ボーダフォン(世界規模)

僕、何もしてないのに、会社が勝手に大きくなっていくぅ〜。

説明書が英語になったりしなければいいし、
窓口のお姉さんが金髪になったり(それはちょっとうれしいかも)しなければよいです。

やっぱり、「もしもし」じゃなくて「ヘロー?」って言わなきゃダメかな・・・(違)


...

昔話が長くなっておりますが・・・ - 2002年10月26日(土)

ひざびざこのことについて振り返っています。
今の僕にとってものすごく重要なことだと思うし、
今、日記として総括することは悪くないと思う。

公園で話をした次の日、僕は帰らなければならなかった。
僕自身の気持ちの整理は出来ていたし、
その時の僕が東京にいる必要も無かった。

しばらくして、ネットで「元」彼女と話すことがあった。

「実は、空港まで見送りに行こうと思っていたんだけどね。」
と言われた。ちょっと意外だった。
「そこで、改めてこっちから告白しようと思った。つきあってくれない?」
まぁ、そういう会話だったかどうかはさておき、
そんな風な感じでした。

僕は断った。
もちろん、彼女への想いを経ったつもりでいたし、
ここでつきあっても、また会えない状況が二人の仲を裂くだろうと思った。
気持ちが多少変わっても、
飛行機では1時間半かかって、新幹線では5時間かかるのだ。

「わかった。あなたの考えが正しいと思う。」
彼女は確か、そんなことを言ったような気がする。

この会話以降は、数えるくらいしか話をしないまま、
今もう連絡をとっていない。
僕の決定は間違ってなかったと思ってる。

これで、この女性に関する総括は終わったわけで、
振り返れば、それなりにいろいろあったし、
ネット上での「擬似」恋愛のようなものだったけど、
それなりに精神的に充実した日々を過ごせていたんじゃないかと思う。

もうこの女性に触れることはそうないと思います。
でも、日記でこういう風にまとめられたことはよかった。
まぁ、すべてを書いているわけじゃないんですが・・・。

明日は、高校の同窓会の総会があります。
きっと20代の人なんて数人しかいない(だろう)と思うけど、
顔出してきます。

おやすみなさい。素敵な夢を・・・


...

ここ2日間の日記は、まるで小説だ。 - 2002年10月25日(金)

読み返してみて、そう思った。
そして、今から「小説」の続きを書こうとしている。

僕の別れ話に彼女はあっさりと同意した。
「やっと言ってくれたのね。ありがとう!」
という気分だったのかもしれない。

それから2ヵ月後、僕は関東へ行くことにした。
表向きは違う理由だったが、これが彼女に会う最初で最後のチャンスだろうと思った。
なぜなら、彼女は就職しようとしていたからだ。
その前に会っておきたいと思った。
会っておくべきだと思った。

東京に行くと告げて、予定を合わせて会うことが出来た。
彼女は聞いていたよりもずっと細かった。
小さすぎたかなぁと思った(おもちゃの)指輪もスカスカだった。
何か欲しいと言われ、露天で指輪を買った。
中学生の女の子がつけるような安っぽく(本当に安いが)軽い指輪だった。
それを彼女は喜んでくれたし、
別れて2ヵ月後に初めて会ったときに持ってきてくれたのだ。
僕には理解しがたいことだった。

映画を見て、食事をして、公園で話をした。
とても寒かった。
白くて細すぎる彼女の手を握ると驚くくらい冷たかった。
そして、僕は汗ばんでいた。
汗ばんでいるのがバレないようにと思うたびに、汗は吹き出してきた。
もう暗かったが、親子連れの子供が遊んでいて、少し恥ずかしくて、
僕がしていたマフラーでその手を隠した。
「寒いでしょ」
というのは言い訳で、本当に恥ずかしかった。
そして、僕の手は余計に汗ばんだ。

あのときの、あの手の白さと細さと冷たさを今でも覚えている。
鮮明に感じることができる。
手を繋ぎながら、未だに僕は彼女のことが好きなんだと思った。
でも、今日で忘れるべきだと思った。
「これ以上ひっぱるべきじゃない。」

彼女が改札を抜けて歩いていくところを、僕はずっと見ていた。
彼女の姿が見えなくなった時、僕の中でひとつのことが終わったのだった。

冬の東京で、彼女と交わした会話のほんの少しも僕は覚えていない。


...

昨日の続き。 - 2002年10月24日(木)

「付き合う」という形をとって、
僕の心は今までに無く充実していたと思う。
反面、彼女は日ごとに不安が増していっていたと思う。
そして僕は、その不安を取り除いてあげる術を知らなかった。
今の僕が、その術を分かっているとは言わないが、当時よりもかけてあげられる言葉の種類や、
行動パターンは確実に増えていると思う。

現実的に「付き合う」という経験がなかったので、
どういう風に接すればいいのかわからなくて、最初の方は少しぎこちなかった気がする。

僕が電話をすれば、「電話代がかかるから、そろそろ切るね。」と言われ、
向こうから電話がかかってくれば、僕も同じ理由で早く切ろうとした。
少し、相手のことを考えすぎたのかもしれないし、
あるいは、自分のことしか考えていなかったのかもしれない。
僕は、未だに何もわかっちゃいない。

毎晩のように、ネットを繋いで彼女があがってくるのを待っていた。
待っている間は、むしろ楽しんでいた気がする。
あれを話そう。これを話そう。
僕は、(当時)本当に彼女を信頼していたし、求めていた。
それは、具体的に手を繋ぎたいとかSEXをしたいといったことではなくて、
精神的に彼女とどういう風につながっているか?ということだった。
どっちにしても、僕らの関係は始めから破綻していたような気もする。

彼女がネットにあがる回数が減った。
週に一度あがるかあがらないかといったところだ。

3ヶ月を過ぎたあたりから、もうこの関係は長くないだろうと思い始めた。
どういうきっかけでそう思ったのかは覚えていない。
もうそのときは「どっちが話を切り出すか?」というのが、
問題になっているんだと気づいた。
それは気づくには遅すぎた問題だった。
僕が思っていたよりも、関東と福岡というのは遠いのだ。
それは、飛行機で1時間半かかって、
新幹線で5時間かかるような距離なのだ。

「付き合い」だして、僕は早く会うべきだと思い続けていた。
そして、問題が深刻化して、より強く会うことを望んだがそれは叶わない内に、
別れることになった。
話を切り出したのは僕だった。
「きっと、これは避けられなかったことなんだ。」
そう思おうとしたし、自分にやれることはやったつもりだったが、
結局、僕は彼女を傷つけたのだと思った。

彼女は、ラルクの「Sell my Soul」が好きだと言っていた。
ライブのときに一緒に聞きたいと言っていた。
「Sell my Soul」を聞くと、たまに彼女のことを思い出すことがある。


I always see you in my dream
迷宮でいつものように
透明な翼をはばたかせて
切ない瞳は君を探す
つかの間の夢に漂う

I always see you in my dream
自由に縛られてる
透明な翼をはばたかせて
果てない世界で君と出会う
そう 絵空事だと知っても

I always see you in my dream
僕は逆さに堕ちて
儚い眠りからさめても
あの日のように
君がそばにいてくれたら

〜pieces of 「Sell my Soul」〜


...

時として、人は存在しているだけで、人を傷つけることがある。 - 2002年10月23日(水)

こればかりはどうしようもない。
誰しも、人を傷つけようと思って生きているわけではないし、
傷つきたいと思っているわけでもないと思う。
ただ、自分がここにいるというだけで、人を傷つけることがあったとしても、
それは仕方の無いことだ。

自分が消えてしまえばいいんじゃないか?

僕がいなくなるということは、ラルクが聞けなくなるということだし、
こうして日記を書くこともできないし、
女性と楽しく食事することも出来なくなるし、
車で深夜ドライブをすることもできなくなるし、
好きな人と一緒にいられなくなる。
それは嫌だと思う。
自分が人間として未熟で不完全で失敗作で欠陥だらけだったとしても、
僕はラルクを聞き続けたいし、日記を書きたいし、
女性と食事したいし、深夜ドライブしたいし、好きな人と一緒にいたい。
それは例え、野蛮で愚かで下品な願望だとしても、
僕はそう思うのだ。仕方ない。

人を傷つけるということは、他人と関係しているということだし、
生きているということは、他人と関係しているということなのだ。

僕自身はなんだかんだ言っても、生きたいと願っている。



ネットを始めて4年以上経つが、
ネットを始めて数ヶ月経った時に「付き合った」彼女のことを最近よく思い出す。
「付き合った」と言ってみても、実際のところは「擬似恋愛」に変わりなく、
結局、別れるまで一度も会うことができなかった。
一度だけ会ったのは、別れて2ヶ月くらいしたときだった。
その当時、「恋」をしていたかと言われると、(現時点で)はっきりと答えることは出来ない。
「恋」をしていたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「信頼できる人」ではあった。
僕は本当に純粋に彼女のことを信頼していた。
彼女は年上だったし、僕の悩みなんかも真剣に聞いてくれた。
向こうも、同じように僕のことを信頼してくれていたみたいだった。
不思議とそういう確信はあった。
向こうは僕の顔を知っている。僕は向こうの顔を知らない。という状況の時に、
ネット上で僕から「付き合ってください」「こちらこそ」という会話が交わされて、
僕らは「恋人」同士になった。
お互い初めての「恋人」だった。
そのときには、会ったことも、声を聞いたことも、僕は顔すら知らなかった。
今、考えたらすべてのことが意味不明だし、ありえないことなのだけど、
僕はそれでもよかった。本当に嬉しかった。
当時は、そういう一種の「勢い」のようなものがまだ僕の中にあったのだ。

彼女は関東圏に住んでいて、学生だったし、
僕は福岡で、イヤイヤながら予備校に行っていたせいで、
簡単に会うことなんてできるわけもなかった。
「あなたはかっこいいからすぐに福岡で彼女が出来るよ。
 そのときは、私が身を引くから言ってね。」
と何度も何度も繰り返し僕に言った。
「そんなことないよ。考えすぎ。」
だと僕は言われる度にそう言い返していた。

そういう風に思っておかないと、ショックが大きい。
そのために今から守っている。みたいな感じにいつも言っていた気がする。
その言葉が痛くて、僕はこの人を悲しませたくないと思うようになった。


ちょっと昔話しちゃいました。
長くなりそうなので、続きは明日以降へ。




...

時として、想い出は邪魔になる。 - 2002年10月22日(火)

2時半からのサッカー中継見るために起きてます。
中継が終わるのは4時半。
僕という男は物好きらしい。

まだ今日のアブトロニック(偽物)やってません。
アブトロニック(偽物)で筋肉収縮させながら、
ボディーブレード(偽物)でグイングイン動かし、
サッカー中継を見ようと思います。
大忙しだな(汗)


あなたの今、見ている景色は幻想かもしれない。
それを否定している、その感情は意図的に造られたものかもしれない。

何かを守りたいと思って行動したとしても、
結果的に守れないことがある。
おそらく多くの場合そうだと思う。
本当に純粋にただそれだけを願ったとしても、
手の中に何も残っていないことすらある。
自分の意思で、この手につかもうとしたはずだし、
確かにつかんだはずなのに、
ゆっくり手のひらを開いたときには後悔ばかり襲ってくる。

こうなるはずじゃなかった・・・。

そういう後悔の念を僕は何度も感じてきた。
もちろん、これからも感じ続けていくのだろうけど、
減らしていきたいと思うし、
衝動的な言動はろくなことがないことも経験上わかってる。
僕は、大人にはなりきれていないけど、子供じゃない(と思ってる)。

まだまだ自分のことで精一杯。
自分の進路のこと。自分の過去のこと。入院中の親のこと。
時折、ものすごい孤独感を感じて、
肉眼では確認できないくらいの高い壁に囲われて、
自分は身動きすらとれないんじゃないかと思うことがある。

今日は、ここらへんにしておこう。


それでも、地球は回る。


...

僕は最近、ツイている? - 2002年10月21日(月)

どもども。
どしゃぶりの雨の中、運転していて、信号で停車しているときに、
ワイパーをとめて、、雨をフロントガラスにいっぱい溜めて、
発進の時に一気にどば〜っとやっちゃうのが大好きな深真珠です。


先日、たこ焼き屋でたこ焼きを買ったら、小さいたいやきを一個もらいました。
黒いグラサンかけてて全身黒ずくめだったらから、
怖くてもう来ないでくれという印だとは思いたくないです。
僕は、危害を加えない善良な金髪です。
たこ焼きもたいやきもおいしゅ〜ございました。


この前、CD等を買ったときにMDケースをもらっちゃいました。
1万2千使う客って相当いないらしいです。
もらえるもんはもらっときます。
おまけに1万2千円すべてラルクだったしな。
きっとラルクがひさびさ売れたんで、びっくりしたんだろう。
決して、こんなに買ったから何か付けろと言ったわけではございません。
ちなみにそこでCD買ったのは5年ぶりくらいじゃないかな(笑)


病院の売店の閉店間際に行った時に、
売れ残ったパンを好きなだけ持っていっていいと言われ、
3つもただでいただきました。
毎日のように買い物してるし、たまにはいいやろ。
10ヶ月も買いに来る客なんて滅多にいないだろう。
僕を大事にしなっ!(ちょっと偉そう)>売店のおばちゃん


最近、ちょっとツイてるかも?と思うことがあり。
ポジティブ思考?
あれ?僕ってネガティブ思考じゃなかったっけ?
それがウリなのに(謎)


ツ〜いてるねぇ、ノッてるねぇ♪

あ〜、中山美穂好きだったなぁ(意味不明)



...

僕の買い物記録。 - 2002年10月18日(金)

昨日から今日にかけて、かなり買い物しました。
まさに衝動買い!
あは〜ん♪
2万5千円ほど使いました・・・

・アブトロニックの偽物(笑)
・ボディーブレードの偽物(笑2)
  痩せます!
  絶対やせてみせます!
  めざせ標準体重!!
  ただ、ボディーブレードをうまくゆらゆらできません。
  リズム感ナッシングらしい(号泣)
 
・REAL(ラルク:アルバム)
  実は持ってませんでした(汗)
  カセットにダビングしてもらって聞いてました。

・Sprite dreams inside(ラルク:シングル)
  これももってませんでした(汗2)
  でも、聴いてました(笑)
  ラルクは全部集めたいんで。

・Clicked singles Best 13(ラルク:アルバム)
  ここまでもってないとなると、ダメファンですな・・・。
  アネモネを聴いたのはライブ以来です(笑)

・クロニクル2(ラルク:DVD)
  以前から買おうと思っていたやつ。
  1は持ってます。
  やっぱりDVDはいいなぁ・・・。
  ところで、アネモネで出てくるダンサーは何者だ?(汗)

・クラブサーキット(ラルク:DVD)
  これ見たら、さらに惚れてしまった。
  かっちょえ〜。
  カラオケ行きたくなった!
  やっぱラルク最高だな。
  カメラワークがおもしろかった。

・レントゲン(ハイド:アルバム)
  おもわず買ってしまった・・・。
  しかも限定版。
  シングルの限定版も数多くありました。
  やっぱりTETSU69みたいに枚数限定すべきかな。

・and She Said(ラルク:ビデオ)
  これ、失くしてました。
  いつか買ってやろうと思ってました。
  やっと買えた!!
  やっぱラルクっていいわぁ・・・。

・クロスファイア上・下(宮部みゆき:文庫)
  前々から、目をつけてました。
  文庫化と聞いて飛びつきました。
  楽しみです♪

・神の子はみな踊る(村上春樹:文庫)
  これも購入予定リストに入ってました。
  時間があまりないけど、早めに読みたい。

・国境の南、太陽の西(村上春樹:文庫)
  これこそまさに衝動買い!
  村上春樹なので買いました(笑)

村上春樹の新刊の「海辺のカフカ」があったんですけど、
上・下合わせて3200円。
ちょっとためらいました。
文庫化待ちます。待ち続けます!!

あと、ラルクのGXCのやつを欲しいんだけど、
DVDで出てますよね?
中古のビデオはあったんだけど、それはやめました。
DVDがいいな。
クラブサーキットのDVDが良すぎた・・・。

これでもかっ!ってくらい買い物しました。
別にすっきりとかそういうことはないです。
でも、最近のラルク関係を買えていなかったんで、安心はしました。
てっちゃんのアルバムがでたら買うかも?

たまにはこんなお金の使い方もいいもんです。


...

3時過ぎの重役出勤。 - 2002年10月16日(水)

今日、病院にいったのは3時過ぎでした。
いや〜、情けない。
起きたのも1時回ってたしな。

前の日の夜は、朝方までいろいろやってました(謎)

こんなことじゃいか〜ん!!

でも、今夜2時半から4時半までサッカー中継あるんで見ます(即死)

あは〜ん♪


今日から、勉強はじめました。
とりあえず数学です。
数学A(涙)

基本からやりなおそうと思いまして・・・。
物理も化学も高校のときの教科書の一ページ目から読もうと思ってます。

なんで高校のときって、教科書を適当に扱ってきたかなぁ。
全然勉強やる気なかったもんな。

来年の受験のときは、学習指導要領が変わった世代が受験するんじゃなかったかな。
今年の受験には間に合いません。
ど〜しよ〜(涙&焦)

まっ、しゃ〜ない。
今、自分がやるべきことをやっているつもりだから。
やりたいことをやってるつもりだから。

なんとかするっきゃない。ぐはっ!(吐血)


...

深真珠、講演会へ行く。 - 2002年10月15日(火)

ひさびさ(?)普通の題名になった気がする。

my町の50周年記念行事かなにかで、田原総一郎氏の講演が行われました。
田原総一郎氏と言えば、テレ朝の政治系の番組の司会をしている方です。
月に一度、朝までしゃべってたりします。

僕は、前から2列目の端っこに座りました。
席はほぼ満席で、やはり名前のある人だなぁと思いました。
講演は時間通り始まって、
北朝鮮の話(←タイムリー)だとか、景気の話とか聞きました。

ウチの選挙区は、自民党の幹事長もしたことのある人がいるんで、
どうやらその人の一声で来ることになったらしいです。
田原氏はその政治家のことをずいぶん誉めてました。

一時間くらい話をしたところで、質問タイム。
質問しちゃいました。
内容は、ノーベル賞とか青色発光ダイオードとか、人材はいますねぇってことで。
↑質問じゃねぇ
なんかいきなりこっちの話を途中で切られて、一人で話はじめちゃいました。
TVとかわんねぇ〜(笑)

講演会のあと、サイン会をやってたので思わず買っちゃいました。
「○○(苗字)様 田原総一郎」
って書いてくれたんで。
とりあえず記念に。


前に柳川に筑紫哲也氏が来たときに聞きにいきました。
こっちは3人でディスカッションしてたんですが、
ごちゃごちゃのまま終わってしまいました。
それに比べたら、ずいぶん中身も濃かったし、
無料で聞けたのはすごいお得だったと思う。

僕は、田原氏を出待ちしました(笑)
僕以外には誰もいなかった・・・。
なんか町長とか役場の職員なんかがぞろぞろでてきて見送ってました。
そっちの方がおもしろかった(爆)

まっ、貴重な体験をさせてもらったと思います。

僕は知識のある人間になりたい。
(今のところは)広く浅くでいいと思ってる。
僕は、22歳の脳をしているのだろうかと思うことがある。
ここ数年まともに動かしたことがない。
こんなんじゃダメだと思う。
別に学者とか研究者とか賢者になりたいわけじゃない。
ただ、もっと多くのことを知識として身につけたいと日々思っております。

僕の中で、数学、物理、化学の勉強をはじめられそうな感じです。
それに向かって、ゆっくりだけど確実に進んでいます。
病院から帰ってきて、無気力でなにもする気がおこらなかったことは、
反省していると同時に、
あのときの僕にはどうにもならなかったことも知っている。

もう22歳なのか、まだ22歳なのか、
決めるのは僕だと思う。


...

ラルクグッズ2 - 2002年10月14日(月)

昨日の題名が長すぎてちょっと気にしてます(謎)

ラルクのREALツアーの福岡で、hydeのMCの時に、
「なんじゃそりゃ〜」と叫んだのは僕です。
あは〜ん♪

またまたいろいろラルクグッズがでてきたんで、ご紹介を。

まずはラル缶。
僕がもっているのは、ハートに火をつけろとGXCのときのやつです。
REALのときは、アネモネの球根が入っていて、
枯らしそうなので買うのはやめました(笑)
どっちの中身をかなり使い切ってます(汗)
使えるもんは使います!!

GXCのときの、フィギア付のストラップ。
メンバー全員ご健在です。
しばらく本当に携帯につけていたけど、
ゆっきーのフィギアがとれちゃって、なくしそうになったんで、
それ以降はつけるのやめました。

おもしろいところでは、GXCで売ってあったドリンク入れ(?)
確か、rayヴァージョンとarkヴァージョンがあって、
rayヴァージョンです。
ちなみに首からぶら下げるヤツもついてます。
家でそのボトルに飲み物入れて飲んだこともありました。

ray、ark発売前に天神で配られた穴あきうちわ。
2枚もってたけど、一枚はGXCのライブのときに、
4人組の女の子から「頂戴」と言われ、あげちゃいました。
中学生みたいだったけど、電話番号くらい聞いとけばよかった!(悔)

STAY AWAYの時についていたフィギアを入れた袋(謎)
僕はクリアhydeでした。
それにしても、袋って・・・(汗)

ハートに火をつけろの時のシステム手帳。
多少の日記と、プリクラ帳になってました(過去形)
表紙についていたコンドームは使っちゃいました(いつ?)
袋の裏には「Congratulations!from L'Arc〜en〜Ciel」と書かれています。
↑ずっと裏が気になっていた僕

僕ってラルクグッズもってるなぁ・・・。
かなりミーハーかも?
まだ書いてないのがあるのが怖い(汗)

あの頃は若かった・・・。


...

自販機で「冷たい」オレンジジュースを買ったら「ぬるかった」 あと、持っているラルクグッズについて(字余り) - 2002年10月13日(日)

まだ熱いほうが笑えます。
ぬるいって一体・・・。
なんか悲しい。

部屋の片づけが結構進んで、寝る場所が倍くらいの広さになりました。
まだやるところは残っているけど、
終わったときにはかなり機能的な部屋になっていること間違いなし!!
あは〜ん♪(マイブーム)

小説、3作目の製作にとりかかりました。

本気で、数学、物理、化学をやりたいと思う今日この頃。
やりだしたら「やりたくねぇ」って思うだろうけど(笑)

片付けの時に、ラルクグッズが相当でてきました。
まず、らるくっち!!
赤いヤツじゃなくて黒いヤツです。

んで、ラルクリーム(アホくさっ!)
荒れたお肌によいらしいです。

Lies and Truthの宣伝ポスター。
お〜!忘れてた。かなり貴重かと思われる。

1998年版の3人のカレンダー。
yukihiroが正式に加盟する前にオフィシャルで発売されたヤツです。

3人で表紙を飾ってるワッツイン。
雑誌は買わない僕ですが、こればっかりは買っちゃいました。
あは〜ん♪
あとユッキーがリミックスアルバムについて語ってるワッツインも買いました。
その2冊だけ。

馬鹿でかいLIGHT MY FIRE。
開ける気にもならなかった(笑)
熊本で、「火の国!!」としか叫ばなかったhyちゃんを思い出しました。


未開封シリーズ

未開封の「REAL」ツアーのストラップ。
携帯につけたら、携帯が傷つきそうで怖かったんで(笑)

未開封の「ハートに火をつけろ」ツアー前半のパンフ。
前半の開封したやつもあるし、後半のパンフもありまする。
でも、前半のパンフの方が絶対にいいね。
知らない人が(笑)メンバー一人一人に寄せられたコメントがよいですなぁ。
REALのパンフなんて・・・(以下自粛)

まぁ、今回はこれくらいにしときます。


...

ただ長いだけの緩やかな下り坂を、なんとなく歩いている。 - 2002年10月12日(土)

ひさびさの更新。
更新しない間にも見てくれている人がいるみたいで、
なんだかちょっと嬉しかったです。
ものすごくカウンターまわってます。
あは〜ん♪(謎)

最近、自己嫌悪の日々が続いています。
特に何かがあったわけでもなく、何かを望んでいるわけでもなく。
無性に、自分のことを責め立てていたりします。
というわけで、ここ数日の疲れ方は異常。
それでも眠れず、夜中までプレステやってたりします。
堕不健康不良児やっとります。

凹み中というのは、意味不明なもので、
高校時代の過ちであるとか、昔のことをあれこれ持ち出して、
再び自分の愚かさや青かった時のことを攻め続けてしまうのです。
それはもう何年にも渡って、数え切れないくらい何度もやってきて、
そのたびにさらに落ち込んでるし、
答えは出ないし、そのときの言動を変更できるわけもなく、
・・・そう思っているくせに、思い出というヤツはしつこく僕の中に居続けるのです。

もう思い出にすがるのはやめたほうがいいに決まっている。
小学生の時の、友達の一言を思い出して、
「自分はやっぱり最低な人間なんだ。」
と思う時期ではないはずなのに。

親がなんとか持ち直して、体調が安定してきて、
部屋の掃除を始めました。
入院前や入院中に「片付ける」ということは、あまり好きじゃない。
縁起を担ぐ人間ではないし、なんだか気が引けたが、
来月から収入が減るんだから仕方ない。
親の会社から、社長さんと課長さんがお見舞いに来られて、
「来月から会社から給料はでません。」
と言われた。これからはなんか保障の方からもらってくれとのことだった。
僕はてっきり「解雇」かと思っていたからずっとドキドキしていたのだけど、
まぁ、いちお籍は会社にあるとのことなので、それは安心した。

というわけで、自炊をがんばろうかと思いまして(照)
台所は掃除しなきゃ使えません。
それに便乗して、部屋ごと掃除しまくっています。
まだ終わる予定がたちません(涙)


小説、2作目書き終わりました。
ただ、まだ公開するには作者自体が不安です。
あと何度か読み返してみて、公開するか決めます。
そういえば、まだ題名決めていないし(汗)


下り坂の先に何があるのか、僕にはなにも見えない。



...

要は残る人間が納得するかどうかだ。 - 2002年10月03日(木)

僕は他人の生死の選択をすることになった。
まぁ、他人といっても親のことなわけだけど。

道は二つに一つ。

「最後は、お前が決めなさい。」

夜、集まった親戚から言われたのは結局それだけだったような気がする。


一昨日、主治医から「大変危険な状態です。」と言われ、
その後二日間、病院に泊まった。

今日になって様態は持ち直したおかげで、今夜は家でゆっくり眠れそうだ。

ここ二日、いろんなことが頭をよぎった。
不安感とか孤独感とか絶望感のようなものにも襲われた。
それは、今がどうこうというわけではなくて、
もっと将来的な予想の中で生まれたものだった。


自分の選択が相手のことを考えた末の決断であったとしても、
実はそうでもないことも多い(と思う)。
それは仕方ないことだ。
その決断が本当によかったかは、ある程度結果が分からない限り判断することは難しい。

一日でも石にしがみついて生き続けるのか。
ある程度のところまで必死に生きて、潔く死ぬのか。
つまりは死に方の問題だ。
自分がどう死にたいのか選ぶということだ。

ふと思った。
「死に方を選べるということは幸せなことじゃないだろうか。」

僕は結局、二つのうちの一つの道を選んだ。
それは、僕が親の死に様を決めたということでもあるし、
同時に、僕がその死に方で納得したということでもある。
決定を下した今でも、悩み続けている。
そして、きっとかなりの間、迷い続けるだろうと思う。

要は残る人間が納得するかどうかだ。


...

音の記憶(全8回) <8> 肉じゃが - 2002年10月02日(水)

都内の僕の部屋は今も音に溢れている。
友達と話しながらの食事もいいし、鳥の声で目覚める朝も気持ちいい。
時には友達と邦楽をガンガンかけながら酒盛りをして、隣の人に怒られたこともある。
友達が少しずつ増えている気がする。悪くない傾向だった。
今夜はお客さんがくることになっている。
僕はそのお客さんのために夕飯の準備をはじめた。
待ち合わせの時間の5分前にこの部屋のドアをノックした彼女を、
僕は笑顔で招き入れた。
「あれ?いつもみたいに音楽かけてないんだ?」
「うん。今はいいんだ。こたつに座ってて、すぐできるから。何か飲む?」
「何があるの?」
「緑茶とコーヒーと、お湯?」ととぼけたように言うと、
「お湯なんていらない。」と少し笑いながら言った。
「音楽がないこの部屋も素敵だと思うわ。そう思わない?」
「う〜ん、まだ慣れていないけど、悪くはないよ。」
「私、結構好きかも。」
彼女は炊き上がったばかりのごはんのいい匂いと、
サラダ用のキャベツを切る包丁の音をJAZZのCDを見ながら味わっているみたいだった。
気にしているみたいだったので「聞いてみる?」と尋ねたが、
顔だけをこっちにむけて「ううん」というように少し横に振ってみせた。
いつもと違って肉じゃがのいい匂いが部屋に充満している。
これまで、こういう風に匂いを味わったことすらなかったかもしれない。
包丁が食材を刻む音も、調理器具が擦れ合う音も、
フライパンの上で油がはじける音も、水が沸騰する時の音でさえも、
気にも留めず受け流していた音だったのだ。
今では、すべての音が音として存在している。
当たり前のことだったが、それは不思議なくらい新しい発見だった。
出来上がった食事をこたつの上に並べてみると、かなり豪華な感じになってしまった。
ふたりで食べるには少し多すぎたかもしれない。
「うわ〜、おいしそう。」
僕たちは実に楽しい食事をした。
芸能人のことだとか最近のJ-POPについて、あることないこと話をした。
おもしろい友達の話だとか、高校のときの話だとか、笑いが絶えることはなかったし、
彼女と二人でこういう時間を過ごせたことが何より嬉しかった。
少し大きく切りすぎた肉じゃがのにんじんも気にならなかった。
二人で少し多く作りすぎた夕食を全部たいらげると、
「これを聞きたい。」と一枚のJAZZのCDを持ってきた。
トラック1が流れ始めると、部屋の雰囲気が変わったのがわかった。
以前、音楽を流していたときのような張り詰めた緊張感も、妙な強迫観念もない。
ただ、そこに音楽が流れているだけだった。
そして僕は彼女をはじめて抱いた。今までで最高のセックスだった。
夏真っ盛りのせいでかなりの汗をかきながらも、お互いを強く抱き締め合っていた。
今まで彼女を抱くことに抵抗があったことが嘘みたいで、
自分でも僕が彼女を心の底から求めているのが分かった。
JAZZのCDが3週目に入った頃、
彼女は僕の腕の中で「食事おいしかったわ。ごちそうさま。」と言って、
脇の下あたりに軽くキスをした。
「本当はね、あなたってどこにいるのかよくわからなかったの。
 つかみ所がないっていうか、すごく存在があやふやだった。
 話をしていても、どこか違うところにいるみたいだったし、
 私のこと見えてないのかと思ったこともあったわ。
 でも、今は違う。こうして隣に居てくれるのがわかるの。
 なんだかよくわからないけど、私にはそう思うことができるの。」
「今度、僕の両親に会ってくれない?紹介したいんだけど。」
「えっ?」
「もちろん、君のご両親にもあいさつにいくよ。」
「きっとあなたなら大丈夫だと思うわ。」
「君とは楽しい食卓を囲めそうな気がする。」
「それってプロポーズ?」少し照れ笑いしているようだった。
「君と一緒に行きたい場所があるんだ。あの景色を君にも見せてあげたい。」



...

音の記憶(全8回) <7> ペンギン - 2002年10月01日(火)

家につくと母親が飛び出てきて安心したような顔を見せた。
「夕飯まだでしょ?すぐ準備するから」
父親も弟も起きていて居間にいて、
父親はゴルフクラブを磨いていたし、弟はTVゲームをやっていた。
時計を見ると、針は秒針の音を鳴らしながら夜中の3時を少し回ったところを指していた。
僕の予想に反して、食卓はいつもどおりだった。
いつもより7〜8時間程遅いことを除けば、TVの音もなく、会話もなく、
4人の食物を噛み砕く音と時を刻む秒針の音だけが虚しく響いていた。
みんな下を向いてもくもくと食べている。
お互いの顔を見る余裕すらないようだった。
「ここはやはり何も変わらなかった。何かを期待した僕が馬鹿だったんだ。
 でも、この人たちは一体なにを抱えて生きてるんだろう。」
僕には何もわからなかった。
もう考えることがいやになって、TVをつけ、チャンネルを回した。
どの局もすでに放送を終えていたが、
一局だけペンギン生態を追った番組を流していた。
ペンギンが餌を食べたり、泳いでいる姿は妙にかわいかった。
場所はアラスカらしい。
僕はアラスカの夜を想像してみた。
寒さは到底想像することができなかったが、空一面に広がる星たちと、
ペンギンが海に飛び込む時の音は、なんとなく思い描くことが出来た。
そういえば、ペンギンは鳴くのだろうか。鳴くとしたらどういう声なのだろうか。
僕には何もわからなかった。
「いつかアラスカ行ってみたいな。」と思いながらTVを消して、
また食事をはじめようとした時に、ふと人の視線を感じた。
顔を上げると両親がびっくりした表情で僕を見ていた。
顔に何かついているのかと頬のあたりに触れてみたが、何もついていなかった。
「二人してどうしたの?」
「い、いや・・・、て、テレビつけても、大丈夫、なのか?」と父親がきまずそうに言った。
「はぁ?いいに決まってるじゃん。」よく意味がわからなかった。
「だって、食事中は静かにって言ったのはお前じゃないか。」
「いつ?」
「お前が小学校6年の時だよ。忘れたのかい?」
と母親は今にも泣きそうな顔をしている。
弟は下を向いたまま顔をあげようとしない。
状況がまったく飲み込めない。
3人して僕をだまそうとしているのだろうか?
本当に僕がテレビを消せと言ったのか。
消えていたパズルのピースがゆっくりと、それでも確実に見つかっていく気がした。
そうだった。僕の前で笑うなと言ったのも、食事中話をするなと言ったのも、
TVを消せと言ったのも僕だった。
言うことを聞かない時には手を上げたり物を投げたりしていると、
次第に誰も僕の言うことに反抗しなくなった。
こうして僕は無音の世界を作りだしていたのだ。そして、その世界を心底嫌った。
小学6年生の時、半ば強引に中学受験をさせようとした親に対して、
こっちも無音の世界を強要した。
殴り返せない親を馬鹿にして、家族の思い出の品を破壊しまくった。
中学受験は失敗し、公立の中学に入るとそれをネタにいじめられた。
「調子に乗るな。このバカが。」それは、理不尽極まりない理由だった。
僕はすべてを親のせいにした。そして、無音の世界のことも親になすりつけた。
「すべては親が悪い。」
結局、家族を力ずくでねじ伏せ、あの食卓を作り出していたのは僕自身だった。
親のせいにした瞬間から、僕はすべてを忘れていた。
いや、忘れていたというより故意に隠してしまっていたのだ。
自分の非を棚に上げて、悲劇のヒロインを演じていた。
「なんて僕は家族に恵まれてないんだろう。」
すべてを受け入れた今、本当の事実に愕然とした。
そして、家族に申し訳ない気持ちで一杯になった。
勝手に涙が溢れてきたが、もうこらえることはないんだと思った。
4人とも泣いていた。
顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いていた。
3人の僕への憎しみを感じ取ることはできなかった。
それぞれがそれぞれの思いを秘めて、
それぞれがそれぞれの痛みを長い間持ち続けていた。
今、この食卓を囲んでいるのはまさに家族という絆だった。

一週間の帰郷の予定は一ヶ月にまで延びた。
食卓にはTVの音が聞こえるようになったし、
まだぎこちないながらもとりとめもない話や笑い声も戻ってきた。
この一ヶ月の内に家族4人で、2度外食した。回転寿司と焼肉だった。
回転寿司では4人で68皿たいらげたし、
焼肉では4人で1万2千円分食べつくした。
僕はタン塩ばかり食べたし、弟は甘エビばかり食べていた。
父親はビールをおいしそうに飲んだし、母親は3人をうれしそうに見ていた。
7,8年ぶりの外食だった。
今はまだ未熟で不安定な関係だけど、これからは確実に良いほうに進めるだろう。
きっと・・・。



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