徒然日記
モクジミライ


2006年12月30日(土) さあ!戦が始まるぞ!!って気分。

さぁ、今日からお仕事が戦いの場となります(笑)
次のお休みは、1月7日。

一昨日は、仕事が終わらず、結局23時まで居残り届けだして仕事してみたり
それでも終わりそうにないので、家に持って帰って作業してみたり。
それでも、まだおいついてないけど・・・(涙)

福袋と同時に私の担当している防寒が初売りからバーゲンに入るので
31日は、手袋、ホームソックス(3社分)全部在庫とって、
さらに手袋マフラーひざかけに黄札(バーゲン用)つけて、伝票きって・・・
イベントの準備して、さらに平行して販売もして・・・

・・・終わるんでしょうか・・・大丈夫なんでしょうか・・・

不安で不安でたまりません・・・


どうかどうか・・・お客さんが多くありませんように・・・(笑)←こんなん社長に見られたら怒られる(笑)


とりあえず、めいいっぱいがんばります!!
この年末年始さえ乗り切れば、1月は2連休が2回もあるし♪
・・・でも休み多いと仕事が回らなくなったりもするから休み多いのも嫌なんだけど(笑)


でも、とにかくがんばる!!!


2006年12月26日(火) ハードな一日。

本日の私の一日。

8時半出社→12時まで仕事
12時帰宅→13時半までご飯と葬式準備
14時葬儀スタート→15時半まで。
16時半出社→21時まで仕事

あぁ、なんてハードな一日・・・
年末でお客様も多くて、平日なのに40万円売りました。
さらに裏の仕事も盛りだくさん・・・
本当、こんな時に葬儀なんて、時間の無駄だわ・・・

と、思いつつ、父親の葬儀に出席してきました。

行く前から、なんとなく緊張。
昨夜は、なぜか感情が高ぶって眠れなかったし・・・

葬儀会場につくと、なぜか親族席の一番前に座らされる私と妹・・・。
お客のつもりで来たのにびっくり。
・・・当たり前といえば、当たり前。


臨済宗だったらしく、なんだか騒がしいい葬儀。
伯父の葬儀は、禅宗で、私は禅宗の葬儀とか各種行事(?)に慣れているせいか、
なんだか胡散臭く感じてしまった・・・

シンバルみたいなものを、ものすごい大きな音で鳴らすから、妹が抱いていた蓮君が一瞬泣いてしまった。
でも、凛ちゃんも蓮君も、葬儀の間ずっとちゃんといい子にしてくれていました。
なぜか蓮君は、私の肩をバンバンと叩き続けていましたが・・・

そしてお焼香。
なぜか喪主である父の兄の次に焼香をさせられる私。
お客のつもりで来たのにさらにびっくり。
・・・当たり前といえば、当たり前。
妹は、もしかすると・・・と思ったものの
「ま、私は次女だし2番目だし大丈夫♪」とか思っていたらしい。
私が、考えが浅すぎるんですね・・・
どうせ私は、父の第一子ですよ・・・長女ですよ・・・


そんな感じで終始、親族側と来客側との間で、どっちつかずで、なんとも微妙な感じでした。

最後に、棺で眠る父にお花を添えて・・・
司会の人(?)が、「どうぞ触ってお声をかけてあげてください」と。
・・・え。触るの?
たとえ生きている父が目の前にいたとしても、触る勇気なんてないのに
死んでいる人に触るなんて、さらに、できない・・・
と思ったけど、実父の死体に触ることも、人生の経験だろうと思って(笑)
もう二度とできない経験。
とりあえず、おでこに触りました。
そして、なんとか力を振り絞って「安らかにお眠りください」と声をかけました。
軽く書いているけど、実は、涙があふれてやばい状態デシタ。
別に悲しかったわけじゃないけど・・・

そんな私の横で声もかけず、涙も流さない妹。
妹の方がお父さん子だったのにね。
妹は、離婚後、一度父の家に遊びにいったものの、泣きながら帰ってきて
それ以来、父のところには行きませんでした。
泣いた理由も、私にも母にもいまだに教えてくれません。
きっと、何か酷いことを言われたのでしょう。
父が妹に一度送ってきたイヤリングも(私の叔母の家宛に送ってきた)送り返したし・・・


そして、火葬場へ向かう車を見送りました。
あちらの親族は、火葬場まで私たちも行くものだと思っていたみたいですが
母がそこまでしなくていいというし、行きたくなさそうだったので、
やめときました。・・・仕事も忙しいし。


とりあえず、行ってよかったかなと。
葬儀中は、自分でも意外なことに「お父さんごめんなさい」という言葉が
なんどか浮かびました。「さびしい思いをさせてごめんなさい」って。
いや、謝って欲しいのは、こっちなんですけどね。
あの人のせいで、確かにいろいろ大変だったんですから。
でも、もう、骨になってしまう人間に何を言ったってどうしようもならない。


そんな感じ。

お葬式が終わって、私は、自分の気持ちをなんとか言葉にしたくて、いろいろ考えて妹にこう言いました。

「なんていうか、長年闘ってきた見えない敵が倒れた感じ。ものすごい喪失感」


妹は、


「うん。分かる。そんな感じ。胸の中にあった”しこり”というか、見えない異物が落ちていった感じ」

と言いました。


私たち姉妹にとって、父の死は、そんな感じのものでした。

夜は、母と二人でワインで乾杯(笑)まごまご嵐を見ながら。




そして27日の朝刊のおくやみ欄に父の名前と63歳という年齢が載っていました。


どこか、他人事。
多分、今日限りで、私が父を想っていろいろ感じることは、ないかと・・・
・・・多分。

少なくとも、父を想って泣くのは昨日が最後。

そしてまた、なんら変わりない毎日が始まります。
幸せな毎日が。

ってか激務な毎日が・・・(涙)


2006年12月25日(月) 父の死に際して

父が亡くなりました。
63歳でした。もう、18年近く会っていませんでした。
18年ぶりの顔が死に顔でした。

なんだか眠れないので気持ちを書きました。
無駄に長いのでお暇な方だけどうぞ・・・

そして、今日知った嬉しい事実。
父方のいとこは、まだ全員未婚!!(私より年上も)
母方のいとこ(大学生の一人除く)は、ほとんど結婚してしまって肩身が
狭かったので、ちょっと嬉しい(笑)







私は、父にとても似ている。
日焼けをしていない箇所の皮膚の色は、おぞましくなるほど父親そっくりで白い。
時々、自分の皮膚を見ては、父親を思い出していた。

お酒が入ると、自分の中に父がいるように感じた。
お金もないのに、おごってみたり。
普段いえないことをお酒の力を借りて口にしてみたり。
暴れに暴れて、「暴走特急」とあだ名をつけられてみたり。
酔っている自分をどこかで冷静に見ている自分が、感覚的に思った、
おそらく父が酔っていた時も、同じ気持ちだったのだろうと。

血は水よりも濃いとは、よく言ったものだと思う。

14の時に両親が離婚してから、一度も会っていないのに
私は歳を重ねるごとにどんどん父に似てきていた。

私の父は、酷い父親だった。
よくテレビドラマに出てくる「酷い父親」の典型のような人で、
アル中で、ほとんど働かず、そのくせ「女は外で働くな」と母が外で働くことを許さなかった。
あっちこっちで借金してきては、母が内職や、新聞配りをしては、返済をしていた。
それだけでは足りるはずもなく、母は、自分の妹にも借金をして返済をしていた。
酔うと人格的にも、ありえないほどに酷い人だった。
父が母を、怒鳴り散らしている風景が、今でも忘れられない。

でも、私の父は、決して悪い人ではなかったと思う。
お酒さえ飲まなければ、普段は優しい人だったような気がする。
ただ、酔っている姿が強烈に記憶されているがために、普段の姿をあまり覚えていないので
断言はできない。
とにかく、私は、父が怖かった。
いつ怒り出すのか予測がつかない。
どのタイミングで怒り出すのか、分からない。
家の中は、つねに緊張感が充満していた。
私は、そのために、小学生の頃は、自殺をしたくてたまらなかった。
何度か、やりかけたこともあった。


それでも、お酒さえ入らなければ
もう少し、強い精神力を持っていさえすれば
社会生活を営めるだけの精神力だけでも持っていてくれれば、
悪い人では、なかったと思う。
ただ少し、弱くて、・・・弱い人だったように思う。

そして私は、誰よりも父の愛情を欲していたように思う。
けれど父は、妹の方を可愛がっていた。
離婚の時にも、妹だけでも残ってくれないかと懇願していた。


・・・ワタシハイラナインダ・・・


今でも、自分の中で、このときのやり取りが忘れられない。

だけれども、今、この歳になって分かるような気がする。
父と私は似すぎていて、父はきっと、私に近親憎悪を抱いていたんだと思う。
私もきっと、もし私と同じような子と妹とで選べと言われたら妹を選ぶ。
私は私が嫌いだから。
おそらく父も自分のことが嫌いだったのではないかと思う。

私は普段から新聞のお悔やみ欄を見るのが日課になっている。
14の時に離婚してから、ほとんど父とは連絡を取っていない。
正直、報復を恐れて居場所すら教えていなかった。
だから、きっと、父が死んだことを知るのは、新聞であろうと思っていた。
早ければ、母の親戚の家経由で伝わってくるかもしれないとも思っていた。

 

そしてその日は突然やってきた。

仕事を終えて、携帯を見ると不在着信が入っていた。
見ると妹からの留守電。
普段は用事があればメールをくれる妹なので、何かあったんだろうと思って聞いてみた。

「昨日お父さんがなくなったらしいよ」

父の死は、生まれ育った家の近所に住んでいた妹の幼馴染の家から、幼馴染に連絡がいき、
そこから妹へと伝えられ、私の元に届いた。

父親の死を聞いた時、自分はどんな風に思うのだろうと時々思っていた。

突然来たそれは、今まで味わったことのない感情。
悲しいわけではない、つらいわけでもない。でも、何かがこみ上げてくる感じ。
多分、この気持ちを共有できるのは、妹くらいだろう。
普通にお父さんがなくなった人に比べたら、私達は、それほど、大きな感情が生まれているわけではない。
でも、何かがこみ上げてくる。

父が死んでも通夜も葬式も行くつもりはなかった。
私は、父親の愛情が欲しかった分、父を憎んでいた。
今となっては、私の人生に父など存在しないから、憎むというほどでもないものの、
やはり、どこかで憎んでいた。

もし、私のお父さんが、普通のお父さんみたいに、ちゃんと働くお父さんだったら・・・
もし、私のお父さんが、尊敬すべき、お父さんだったら・・・
もし、私のお父さんが、まっすぐに私を愛してくれていたら・・・

私は、「自分を肯定する」という人生において、一番大切なことを苦労せずにできていたのかもしれないと
時々思っていた。
私が私を嫌いである理由のひとつに父親との関係が大きく影響しているように思う。

それでも・・・
妹も母も行くというので、私も行くことにした。
愛情と憎しみは表裏一体。


私は時々、離婚後、父が置かれている状況をうわさに聞いては、父の孤独を思って切なくなっていた。
父は、離婚後、結局、精神的に立ち直ることなく、10年前には糖尿病を患い、精神的にも鬱にも悩まされ
さびしい毎日を送っていた。
もう、アルコールで頭が少しおかしくなっている、というニュアンスも聞いたことがあるように思う。

私と母と妹は、紆余曲折ありながらも、今現在は、親子仲良く、凛や蓮にも恵まれて、本当に
幸せに暮らしている。
私は両親が離婚してから、幸せな暮らしを送れるようになった。
父の経済力では、大学に行くことなんてできなかったと思う。
それより前に、中卒の父は、女が大学に行くことを許してくれなかったかもしれない。
父がいなくなった、「家庭」では、安らぐことができた。
家に帰ることを怖がらなくてよくなった。

離婚は、私達に幸福をもたらした。

その反面で、父の孤独を思うと、時々会いに行こうかとも思った。
実際、家の前まで行ったこともある。

でも、怖かった。
お酒を飲んでいたら・・・と思うと怖かった。

そうこうしているうちに、18年近い歳月が過ぎてしまった。

そして父は、平成18年12月24日15時頃、心臓発作で他界した。
父と一緒に住んでいる父のお兄さんが外出先から帰宅したのが16時過ぎ。
すでに、帰らぬ人となっていた。


父は、一人で旅立った。
階段のところに、うつぶせに倒れて亡くなっていたのだと、叔父さんから教えられた。
脳内に14年住んだ家の階段が浮かんできて脳みそから離れない。

父の死に顔は、むくれていた。
私の父は、スリムな人だった。
男前だった。・・・18年の歳月と病気が、父の顔を変えていた。

それでも、涙は出なかった。
いまだに、まだ涙ぐんでも、涙はこぼれてはこない。

父は、私と妹の幼かった頃の写真をテレビの上に飾っていたという。
父は、無類のテレビ好きだった。
毎日見るテレビの上に、私達の写真をおいて、どんな気持ちで眺めていたのだろう。
そして時々、幼かった頃の私達のビデオを見ていたという。



その話を聞いた時だけは、涙がこぼれそうになった。






父がどれだけ孤独だったのかを思って、胸が苦しくなった。






18年ぶりに会う父方の伯父さんや叔父さん、叔母さん達に、いとこ達。
口々に「苦労させたね、申し訳なかったね。来てくれて本当にありがとう。
これで、火葬しても、悔いが残らない。お父さんも喜んでいるよ」と、私達に労いの言葉をかける。

そして今日、おばあちゃんが、6年ほど前に亡くなっていることも知った。
父方の一番上の伯母さんも。

私は、まだ悲しくない。
悲しいというのなら、今日、楽しみにしていたドラマの最終回が見れなかったことの方が悲しい。


明日のお葬式の後、私は何を思うのだろう。
きっと私の生活は何も変わらない。


14の時から私には父がいないのだから、何も変わらない。

 

ただ、ほんの少しの後悔が、私の中に生まれている。
会いに行けばよかった、と。

私が最後に父と話したのは、阪神大震災のとき、どこからか、私が被災したことを聞いた父が
10万円振り込んでくれて、そのお礼の電話をした時。

「お父さん、お金ありがとう」と言った私に対して「おぉ、よっちゃん、大丈夫か?」みたいなことを
言っていたような気がする。
でも、電話のリアクションが、少し、(頭が)おかしいのかな?というような雰囲気だったように思う。
あれが最後。
19歳の冬のあの会話が最後だ。
最後に、もう一度、会いに行けばよかった。
凛と蓮をつれて。

 

この後悔が、父を失ったという証拠なんだろう。



明日最後に父の死に顔を見る。

今の私は、父の顔を見たくて見たくてたまらない。
死に顔すら、写真に撮りたい、そんな気持ちすらあったりする。

 

言葉が次々に浮かんできてとまらない。
今夜眠れるかどうか分からない。
でも明日、仕事に午前中行って、葬儀に行って、また仕事に戻ろうと思う。
年末は本当に忙しいからね。

こんな忙しい時期に死ぬなんて、最後まで、本当に困った人だと思う。
そして、なにより、クリスマスイブに死ぬなんて、命日を忘れられないようになってしまった。
私は、これから毎年、相葉さんの誕生日を祝うと同時に父の命日だと思い出さないといけないんだな。
本当に、迷惑な人だ。



お父さん、もう寂しくないから。
先に逝ったあなたの大好きなあなたの義兄(母の兄)もあの世にはいるだろうから、
二人で思いっきりお酒飲んでください。
もう誰にも迷惑かけずに飲めるね。よかったね。

 

安らかにお眠りください。


2006年12月22日(金) 復帰!

今度は、右の太ももが痛くなりました・・・
筋肉痛のようなそうでないような・・・
うえーん。週末が怖いよぉ・・・どれだけ忙しいかなぁ・・・(涙)

ところで、ニュースを見ていたら、とある事件の容疑者の名前が出ていました。
どっかで聞いたことあるような名前で、誰だっけ?ネットの友達だっけ?
大学の時の友達だっけ?
と考えること5分。

・・・14歳までのワタクシ自身の名前でした・・・

前の姓名で14年。今の姓名で17年生きてきたので、今の方が確かに長いんだけど
5分も思い出せなかった自分にびっくり。
うちの母は、すぐ分かって笑ったらしい。

でも嫌だなぁ。漢字は違ってたけど同姓同名の人が殺人なんて。
名は体を現すっていうでしょ?

いややわ・・・





昨日、1週間ぶりに仕事に行きました。
1週間ずっとご飯を食べる時以外は寝ていたので、腰がどんな反応を示すか
かなり不安でした。
お母さんから借りた腰パッドをつけては行きましたが、2時間くらいで腰に痛みが・・・(涙)
最後の方はかなりつらかったです。
でも、がんばらなくては・・・・

1週間ぶりに売り場に行ったらソックスがらがら、ブランケットぐしゃぐしゃがらがら・・・
泣きそうになりました・・・でも、他の文具とかも、見てみたらそんな感じ。
もう、ものすごく忙しかったらしく、伝票もほとんどできず、一昨日は、10時まで残って仕事したらしいです。

そんな時に休んでしまって、本当に申し訳ない・・・

年末年始は、8日連続勤務です。
冬休みで毎日忙しいだろうし、お年玉を貰った子供達がどんな勢いでくるのか・・・
1時間で100万円売るという福袋も怖いし、しかも、元旦は、うちのショッピングセンター休みだから
他のお店の福袋の応援で元旦から1日仕事だし、うちの初売りは通しで仕事だし。
腰がかなり心配・・・


インターネットで検索してみたら椎間板ヘルニアの体験記とかあってですね、
私みたいに最初は「1週間会社休んでください」から始まって、ものすごい重症になっていった人の話とかあったんですよ・・・
それ読んで、まじで怖くなった・・・

保険、もうひとつ増やしておこうかなぁ・・・(今は、医療保険は2つ入ってる。安いけど)


そして今日は休みです。
のんびりしたいけど、洗車行きたいです。
お正月前に車もきれいにしておきたい。
いまだ行ったことないオートバックスも行ってみたい・・・
(車買って1年半でオートバックス行ったことないの?って妹に笑われました・・・)

部屋の掃除もしたい・・・


ちょっとずつがんばろう・・・


2006年12月16日(土) FNS

12月6日には大分では放送がなかったんです、FNS歌謡祭。
でも、ま、いっかと思ってたんです。

で、今朝、義弟が「今から地鶏の刺身持って行きます〜」と電話してきて。
地鶏もらう時に「今日FNSがあるんですけど録画してくれませんか?氷室でるみたいで・・・」と。
(妹宅はビデオ壊れていて録画できない)

それがFNS開始30分前くらい(笑)

諦めていた嵐も見れるし、いいことしたよ!義弟よ!!

凛も一緒に来たんだけど、相変わらず日本語がちょっととんちんかん。

「大丈夫よ。蓮君もママも凛も ふたりとも 調子悪いけど大丈夫よ」


私が思わず「凛ちゃん、それは、ふたりともじゃなくて”三人とも”って言うんだよ」って言ったら
「・・・大丈夫よ」と答えました。自分に都合の悪いことは、スルーするこの性格・・・誰に似たの・・・

でも、りんちゃんも最近、ずいぶんお姉ちゃんっぽくなりました★

>昨日妹に送ってもらった写真


2006年12月14日(木) 椎間板ヘルニア

そんなわけで、椎間板ヘルニアになりました。
昔母親がヘルニアで5時間に及ぶ手術を受けたこともあって、なじみのある病名ですが、
自分がなると切ないもんです・・・


座っていても・・・寝ていても・・・腰が痛い・・・
昨日からかなり痛かったんですけどね・・・
昨日はなんとか会社にいったものの腰は痛く・・・
夜は寝返りすら打つのに苦労し・・・
朝起きたらベッドから動けずにトイレには這っていく有様。

病院に行きまして、生まれてはじめてのMRI検査を体験!
最近の医療はすごいね〜ってかMRIっていくらするの?
私8千円しか持ってきてないよ?
病院で5千円以上使ったことないよ?とか思いつつ 検査後、
先生から出た一言

「椎間板ヘルニアですね。入院してもいいけど自宅療養できるなら、それが一番いいです。」

・・・1週間の自宅療養を命じられました・・・

幸いなことに、小さいらしいので1週間くらいで治るとのこと。

でもね、これから1週間って、クリスマス商戦に向けてのピークなんですよ・・・
土日、全員出勤なんですよ・・・

本当、周りの人に申し訳なくて・・・

はぁ・・・健康だけがとりえだったのになぁ・・・
唯一のとりえすらなくなってしまって・・・年だわ・・・(涙)

1週間休みか・・・

何して遊ぼうかなー<安静に遊べる方法何かないかな?
サイトの整理でもしようかな?

っていうか、どの姿勢もしんどい・・・
寝るのもしんどい、起きてるのもしんどい・・・
早くお薬きかないかな・・・



ちなみに診察代は9千円ちょっとでした・・・
最近の病院は、カードが使えるので、カードで払いました。
頭の中を、阿部寛が通り過ぎて行きました・・・




そして、サイトをいじる私・・・
でも、座っているのもしんどくなってきました。
そしてそして、日記を無料のエンピツに戻しました(笑)
ブログはやっぱり、なんか飽きそうだったので。
さて・・・。

・・・横になってみることにします。
どの姿勢がいいのか分からないけど・・・楽な姿勢がほとんどない・・・
どなたか、いいアドバイスがあれば、教えてください(笑)



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