umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2013年09月27日(金) 今日の心境。

九月も終わり近くになった。奇しくも今日は僕の誕生日。「誕生日は冥土への暦塚。嬉しくもあり嬉しくもなし」。まあ、そんな心境だ。少なくとも、52歳で亡くなった父より長く生きていることに感謝だ。まだ、痴呆はないようだが、母が僕の誕生日を覚えているか否かは不明。あえて、連絡する必要も無い。僕としては、淡々と過ぎていく時に身を任せるだけ。ローソクを立て、ケーキを食うこともない。ちなみに、今日の夕飯はカレーライスだった。僕の大好物なので、まあ、それが誕生日祝いと言うところか。

今、僕の関心事は10月1日に開催される講演会のことである。10数件いる同業者が持ち回りで毎年行なっているが、今年は僕の担当。都会から講師の先生を招いて、精鋭の40名程度が聴講する。今日もその準備で大童だった。

一応、予算が組まれている。千円程度の弁当代や茶菓子代、講師の宿泊料、講師への謝礼、賄い人の日当等を含めると、ぎりぎりの予算だ。まあ、費用面はそれで良いが、会場主としては、手落ちがないかと色々と気を使う。

そうそう、僕の所に演台はあるが、水差しがなかった。やはり講師の先生には水差しと、おしぼりぐらいは置いとかなくちゃと思い、数千円で購入した。どらえもん君も、それを持っていなかったようで、講演が終わったら、「僕に貸して」と言う。僕は快く了承。困った時は相身互いだ。

そんな状況で、最近、どらえもん君がちょくちょく我が家へ立ち寄っている。実は彼も、10月4日に、彼が会場主となり、新たに講演会を催すことになっている。お互いに情報を交換しながら、至らないところを補っているわけだ。僕としては大助かり。

今日も、昼過ぎに彼はぶらりとやって来た。来るそうそう、「はい、これ、今度行く旅行費用二人分」と言って、彼と夜泣き爺さんの旅費を持参した。本来なら、のび太君へ渡さねばならないが、僕もまだ払っていないので、一応預かることにした。そうだ。ネズミ男君もまだ支払っていなかったっけ。

11月になると、総勢6名の「とっちゃん坊や達」の旅が始まる。いつものことながら、珍道中となることは間違いない。今から楽しみではあるが、僕としては10月1日の行事が終わらないと、旅気分にもなれない。

どらえもん君は僕の準備状況をひとしきり確認し、「準備万端じゃないか」と言って、オロナミンCをゴクゴク飲んだ。「また来るでえー」と彼は、我が家を後にした。その後、僕は掃除機とぞうきんで、埃のある場所を丁寧に清掃した。意外と人は、隅々を観察するからなあーーー。やんなっちゃうぜ。とりあえず今日の労働終了。

てなわけで、先ほど携帯電話のメールを確認すると、小料理屋「梓」の、ひろこさん、スナック「ラマン」のフランダースの犬を連れたようなママさん、画家が経営する店に勤める、のび太君の恋人もどき「シズカちゃん」から誕生祝いのメッセージが。泣けるぜえーーーー。落ち着いたら足を運ばねばなるまいて。

話しは変わるが、今日のニュースで火星に水があることが発見された。いよいよ生命体の発見が現実のものとなるか?。期待は膨らむばかり。「早く出ておいで、微生物ちゃん」。




2013年09月19日(木) 仲秋の名月かあーー。

今日はすこぶる良い天気。気温はやや高いが、まさに秋だ。人生の黄昏に一抹の寂しさを覚える秋。ボール・ヴエルレーヌの詩を思いだす。「秋の日のヴイオロンの ためいきの身にしみて ひたぶるに うら悲し」。ここで、「およよーー、うえーーーん」と涙の一滴でも出れば、赴きもあるが、その兆候、全くなし。まだ、「秋深し」とまでは行かないからなあーー。「秋深し、となりは何するひとぞ?」。ここに至って初めて、秋の実感があるというもの。

おっと、今宵は仲秋の名月が観照できる。いつも満月とは限らないらしいが今年は満月とのこと。まだ見てはいないが、さぞかし美しいだろう。「ネズミ男君に、月見て一杯といこうぜ」と、誘いたいところだが、このせちがない世の中。彼も僕も、そんな風流な趣向はない。

ただ、小さかった頃、母が縁側にススキと団子を供え、月を眺めた事を覚えている。小林一茶の俳句に「名月を 取ってくれろと、泣く子かな」とある。そんなにかしこい子ならよいが、当時の僕は早く団子を食べたい気持ちで一杯だった。月に「うさぎ」がいないことを知ってから、月を眺める興味も薄れた。

以来、今日まで娑婆の埃にまみれ、ついぞ、名月を見ることもなかった。僕の関心事は、むしろ地球の衛星としての「月」、そのものにある。今では月の表面も裏側も、正確に地図が描かれている。残念ながら生命体は存在していないようだ。いつぞや、月の土地を分譲するとかいう広告を見たことがある。「月の所有権は一体誰にあるの?」と、我が目を疑った。そりゃあー、地球に住めなくなるならば、手っ取り早く、月に移住することも不可能ではないだろう。そうなるまで、生きていればの話しだが。

もう一つ、僕の関心事は火星探査機、キュリオシティーの事である。地球からの指令に基づいて、せっせと働いている。見事である。今のところ、赤茶けた大地に生命体の存在は確認できていない。そこで、地面にドリルで穴を開け、地中を探ったところ、なんと、灰色の土が出てきたようだ。学者達は、「地中なら生命体が存在可能かも」と、大いに期待した。なんと、有機物の一つが発見された。画期的なことだ。だが、生命体を構成するには至らない弱い有機物だったようだ。

生命体の存在には、水とエネルギーと有機物が必要とのこと。中でも、有機物は強い有機物でなければ、生命誕生には至らないとのこと。そこで、キュリオシティーは、今、山の斜面に向かって動いているそうだ。山の斜面なら、有機物が破壊されず、生命誕生に必要な強い有機物が存在している可能性があるという。

地球の兄弟星とも言われる火星に、生命体が存在していたという証拠を早く見つけて欲しいと願っている。僕に永遠の命があるならば、月より火星に移住したいものよ。

夢物語はこのくらいにして、明日の、おまんまのことを考えよう。まずは「お月さんこんばんは」と挨拶だ。




2013年09月17日(火) 今、一番元気なのは、じっちゃん、ばっちゃん達だ。

9月も中旬を過ぎた。敬老の日は全国各地でお祝いがなされた由。めでたし。めでたしだ。それにしても、最近のじっちゃん、ばっちゃん達は元気だ。水泳やダイビングする人いれば、かけっこする人もいる。またまた、絵を描いたり川柳を詠むことにたけた人もいる。まさにこの世は、じっちゃん、ばっちゃんで花盛りだ。

なんでも、日本一長寿の県は長野県だそうな。なんでそうなのか?。テレビで見たが、行政が食事等について減塩運動を推進し、県民が皆、それを実行しているのが大きな理由の一つである。確かに塩分の摂り過ぎは体に良くないことは分かっている。結構、気ををつけてはいるんだが、いちいち測定して摂取しているわけではない。知らず過剰摂取になっていることが多いだろう。長野県では味噌汁の塩分量を測定してくれるらしい。もちろん機械を所有し、自分でも測定できる。こんな試みは習慣になれば苦にもならなく、健康増進に役立つというもの。

いやはや、長生きにもそれなりの努力が必要というわけだ。よく言われていることだが、食事は減塩に努め、腹八分で収める。適当な運動。くよくよ考えない。未来志向。エトセトラ。まあ、こんな生活が出来れば、病も寄りつかないだろう。

しからば、この僕はどうだ?。自ら料理をこしらえるわけではないが、あつらえられた物を一応気を遣いながら食べてはいる。一日二食で、その都度、腹八分で収めている。性格が能天気だから、くよくよ考えることはあまりない。運動は雑草刈り程度だが、じっとしているのが苦手なので、人よりは歩いているだろう。となると、僕も長生きか?。だが、しかし、ばっと、油断は禁物だ。

というのも、アルコールを飲む回数は人よりも多いか?。家では夏でも冬でも一滴も飲まない。飲むのは緑茶か水である。外では、付き合いで焼酎を飲んでいるが、酩酊することはない。なんとなれば、焼酎も7対3で薄くして飲み、酔いそうな気配の時は、カラオケで発散すると、自然と酔いが覚める。おまけに、カラオケでゾロ目でも出ると、ご褒美に預かり、気分は最高潮だ。まあ、これはいい酒と言うべきか?。

丁度その頃、帰宅の時間が迫っている。代行車をたのみ、友と共に帰る。合い鍵で玄関の扉を開け、真っ暗な部屋へ戻る。昔は愛犬のエル君が僕を迎えてくれ、クンクンとほっぺをなめてくれたが、いまでは思い出だ。エル君の死を経験してから、他の犬を飼う気になれないでいる。

まあ、こんな具合だ。おっと、今日も友人のタカ君が車で迎えに来る。色々と相談があるらしい。なかなか人生は思うようにはいかないものだ。彼も外国人の妻を持ち、それなりの苦労があるらしい。既に、惚れた、はれたの時期は終わったのか?。要は愛情と忍耐で、難を乗り切っていくしか術はないだろう。

とにもかくも、じっちゃん、ばっちゃんたち。敬老の日、おめでとう。これからも、さらなる長生きに努めてくんなまっせ。


2013年09月11日(水) 「風立ちぬ」とは?。

朝夕は涼しくなったが、昼間はまだ暑い。クーラーが必要だ。そんな中、昨日と一昨日の二日間は、草刈りに精出した。あっという間に草が膝上まで伸びていた。「草立ちぬ」か。やんなっちゃうぜ。

折もよく、草刈り男君が、「草を刈らして欲しい」とやって来た。彼は年に数回やってくる。定職もなく、家庭もなく、生活保護を受けながら暮らしているようだ。真面目に労働してくれるので助かってはいる。僕としては友人のネズミ男君に頼みたかったのだが、彼は近々、病院で検査を受ける。尿が変に濁っていると言うのだ。石か何かが内臓にあるのだろう。あちこち動き回って悪さをしているのかも知れない。

僕が冗談に、「ネズちゃんよ。あんたも、とうとうくたばるか?」と笑いながら言うと、「やめてよーーー。結果が悪けりゃ、旅にもいかれないぜ」と、悲しそうな顔をする。その割には日々、ゲートボールにいそしみ、じっちゃん、ばっちゃん達と酒を飲んでいるから始末に負えない。じっちゃん、ばっちゃん達は皆、彼より年上の人ばかりで元気だそうな。従って、ゲームで彼がミスをすると、その都度文句ばかり言われるらしい。「はがいかーー。ぐらいするぜ」と彼は言う。じっちゃん、ばっちゃんたちはミスしても知らぬ存ぜず。ちゃっかりしたものよ。「あんた、ゲートボールを止めればいいじゃん」と僕が言うと、そうもいかないらしい。メンバーが足りなくなるそうだ。まああ、親孝行のつもりで付き合いしかないだろう。

話しは変わるが、「風立ちぬ」という言葉を最近よく聞く。「風が立った」という意味らしい。美しい日本語だ。この言葉の背景は幾重にも想像が働き、幾重にも解釈できる。宮駿さんの長編アニメ「風立ちぬ」がまだ記憶に新しい。主題歌は荒井由実さん作詞作曲の「ひこうき雲」。これは僕の大好きな歌だ。又、随分昔になるが、山口百恵さんと三浦友和さんの共演で映画化もされた。残念ながらアニメも映画も見てはいない。

なぜ、「風立ちぬ」について触れたかったかというと、先日ラジオの朗読番組で、堀辰雄氏の小説「風立ちぬ」を聞いたからだ。美しい自然に囲まれたサナトリウムで、結核に冒された婚約者に主人公が付き添い、二人で残された時間を支え合いながら共に生きていく物語。

この物語を聞いて僕は痛く感動した。今も二人の会話や情景が頭にこびりついて離れない。堀辰雄氏の実体験談とのこと。こんなに美しい愛が全うできれば、生と死を超越して人生はきっと幸せに違いない。「僕だったらどうしただろう?」と、ふと思った。

「風立ちぬ。いざ生きめやも」という詩句はポール・ヴアレリーの詩を作家、堀辰雄氏が訳したものらしい。「風が立った。さあ生きようじゃないか」という意味。その裏に隠された本当の意味は、「過去から吹いてきた風が、今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安が生まれた瞬間をとらえている」と、解説してある。いやああ、言葉の真の意味をとらえることはなかなかに難しい。

なんだか、今日は僕の汚れた心がすっかり洗われるようだ。おまんま獲得に日々追われて、目先のことしか考えない自分だが、時折、こんなすばらしい小説を聞いたり、本を紐解くのも良い。たまには心の浄化が必要だ。


2013年09月08日(日) 秋、浅し。僕は何を思う。

九月になって一週間が過ぎた。大雨もどうやら去ったようだ。八月の猛暑が嘘だったかのように収まった。いよいよ秋、人恋しい秋だ。身も心も淋しく、寒くなった。てなわけで、つい最近、押し入れから掛け布団1枚を出し、毛布の上に重ねたが、朝起きてみると、掛け布団がベッドの下に落ちている。どうも足で蹴飛ばしたようだ。体はまだ暑さを覚えているのだろう。

娑婆世界では平成20年のオリンピックが東京開催に決定し、浮き足だっている。連日報道されているが、オリンピック誘致に尽力された方々の苦労は並大抵ではなかっただろう。頭が下がる。この混沌とした社会に一筋の夢と希望がもたらされた。子供達にとっては待ち遠しい日になるだろう。ただし、開催は今から7年先のことだ。

この不確定性の時代。一寸先は闇だ。明日、あさって、一年先に何が起こるか分からない時代にあって、喜んでばかりもいられないだろう。原発の後処理は国が保証したとしても、地震や竜巻や台風、その他の自然災害には、人間の力はもろいものだ。「勝って兜の緒を締めよ」という格言もある。日本は、オリンピックが生み出す経済効果のみに浮かてはならない。異常気象もさながら、災害に対する危機管理を更に徹底することが肝要だ。自然を甘く見てはいけない、もっと謙虚になるべきだ。くれぐれも、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」であってはならない。

奇しくも昭和39年の東京オリンピックの年は、僕の父が他界した年である。小さかった僕にとってはオリンピックどころではなかった。そこから母の苦労が始まったわけだ。存命であれば二回目の東京オリンピックを迎える母の心境は、いかがなものか?。きっと、当時の事を思い出すに違いない。小さかったとは言え僕とて同じ事だ。

おっと、今日は堅い話になりすぎた。ちと、柔らかい話しをしよう。年内に、とっちゃん坊や達6名の旅が実現しそうな気配。今回の行き先は国内で京都方面、二泊三日だ。のび太君の知り合いがいて、その方の紹介で、一日目の夜は京都の舞妓さん、もしくは芸子さんのお酌を受けて、踊りでも鑑賞しようという段取り。

ちなみに生まれてこのかた、その方面の経験は皆、一度もない。メンバーは、のび太君がリーダーで、どらえもん君、夜泣き爺さん、ネズミ男君、ジャイアン、そして、のび太君の親戚筋の新メンバー、キツツキ君である。

ネズミ男君は大層意気込んでいる。「ネズさん、一杯いかがどっせ」と、お酌されると、彼は赤ネズミに変身し、手を震わしながら、「お、お、おおきに」と、どもりながら、注がれた酒をこぼすに違いない。想像するだけで笑いが止まらないぜ。まああ、他のメンバーも似たり寄ったりだろう。どらえもん君は興奮のあまりタケコプターで宙を舞い、夜泣き爺さんは、しくしくと舞妓さんのヒザに頭を乗せて泣くやも。紳士のび太君は微動だにせず一点をみつめたまま。キツツキ君は、「おかわり、おかわり」と何度も何度も盃をつつくだろう。ところで、僕ジャイアンは、小心者。真っ白いお化粧と、たらこのような真っ赤な唇が近づいてくると、「わおーーーつ、怖いーー」と、思わず身を引いてしまうだろう。とはいえ、手を伸ばして盃だけは差し出しているに違いない。

まあ、これは僕の独断と偏見で記したものだが、実際は蓋を開けてみなければ分からない。いずれ、旅が実現した暁には、真実を報告することにしよう。ことし二回咲いたサボテンの花を掲載しよう。


umityan |MAILHomePage

My追加