umityanの日記
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2013年07月30日(火) のび太君の富士山登山。

友人、のび太君が富士山へ登った。彼の健脚ぶりは、いかがなものかと案じていたが、事故もなく踏破したようだ。きつかったらしいが、まずはおめでとう。雲の上に輝くご来光の写真を見せてもらった。まさに、未来に希望を抱かせるような美しい光が、雲の波間に反射していた。

そういえば、ここ1〜2ヶ月の間、彼は休日を利用して、当地の1000メートル級の山に、何度も登っていた。転ばぬ先の杖である。「ジャイアンも一緒に行かないか?」と、何度か誘われたが、「いやああーー、僕は時間がなくてね」と、その都度、断っていた。実のところ数十年、山登りをしたことがない。つまるところ、自信がなかったのだ。

三浦雄一郎さんは言うに及ばず、彼のバイタリティーと行動力には、いつも脱帽している。記憶に新しい事と言えば、7〜8年前だったか?、カンボジアに学校を建てるプロジェクトに参加し、現地まで行った。その数年後、再び現地を訪れたらしいが、まだ、屋根がかぶさっていなかったらしい。それでも、一歩、一歩前進しており、今では学校も完成し、子供達が楽しく勉強している由。すばらしいことだ。他には、モンゴルの砂漠地帯の緑化事業に参加したり、つい最近では当地の偉人を描いた演劇を主催した。素人ながら彼も演劇に登場した。迫力ある彼の演技に思わず見入った事を思い出す。

個人的にも彼は多才である。ハングライダーをして空中を舞ったり、空手を習ったり、写真、絵はプロ級。おまけと言ってはなんだが、書道にも親しんでいる。「のび太ちゃんよ、あなたの本職は何?」と言いたいところだ。

二人して、酒を酌み交わすと、のび太君は決まって、「ジャイアンがうらやましい」という。「ええつ、なぜ?」と聞くと、「あんたみたいに、のほほんと、笑って生きられたらいい」と言う。「それ、褒めてんの、けなしてんの」と言いたいが、何をやるにせよ、彼にもそれなりの、しがらみやストレスがあるのだろう。彼の頑張りがそれらを克服してきた。その点、脳天気に生きているように見える僕が、ましに見えるのかも知れない。僕だって、悩みの一つや二つはありまっせえーー。

ともあれ、人は十人十色。それぞれの性分で生きることが一番だ。「芸は人を助ける」と言うから、彼のますますの発展が期待される。今宵は、のび太君の富士山登山の完遂を祝してペンを置こう。


2013年07月27日(土) 自然の摂理。

昨日は久しぶりに雨が降った。「火は熱し、風は動揺、水は潤い、地は堅固、眼は色、耳は音声、鼻は香、舌はかんそ。然も一一の法において、根に依って葉分布す」。まさに自然の摂理だ。摂理は摂理でも、異常になると、摂理も困りもの。ともあれ 数日前に蒔いておいた除草剤が、いよいよ効き目を発揮するか。やれやれだ。許してよ。雑草君。

昨日の雨は雷様が余計だった。裏庭へ出ていた僕は、そうそうに、家の中へ退散。稲光がする度に耳を押さえた。雷鳴が治まるまで、電気を消して、ソファーでごろ寝した。怖いもの三つ。雷、蛇、台風。更に付け加えれば、地震、火事、津波。まあ、これらは世間様にも共通した恐怖の定番ってやつだろう。

これはたいして怖くはないが、先日、泥蜂に左腕を射された。椿に蔓が巻き付いていたので、剪定ばさみで、ちょんきろうとした時、怒りの一射しを味わったのだ。とりもなおさず、一目散に退散。恐らく、巣が近くにあったのだろう。彼らも必死で生きているからなあーー。腕を見ると赤く腫れていた。この程度なら数日で腫れも引くだろうと放っておいた。今はすっかり全快だ。

かくして今日に至り、朝から昨日の雨が嘘だったかのように晴れ渡った。気温もみるみる、うなぎ登り。ゴッドの仕打ちに腹が立つが、ゴッドは「すべて、あなたたち人間が、自ら招いたものよ」と言う。「ごもっともです」。それ以上、返す言葉がない。

ところで、今日は夕方から友人T君と会食をすることになっている。会食と言っても、一杯やりながらである。どちらかと言えばそれがメインだ。「話を聞いて欲しい」と彼が言う。彼は国際結婚をしている。恐らく女房の兄弟が、来日するので、その対応について相談したいのだろう。彼の実家には80歳を過ぎた老夫婦がいる。言葉が分からないなら、接待も大変だ。三人来るとあらば、宿泊も、食事にも気を使う。三ヶ月のビザがおりての親族訪問らしい。今のところ、何日滞在するのか不明。当地は灼熱の地獄だ。こんな時期に、「どうすべか?」と、彼は悩んでいる由。

うんん、これは難しい問題だ。女房の兄弟だから、そう無碍にも出来まい。要は精一杯、接待し気持ちよく帰ってもらえば、それが一番。女房のメンツも立つわけだ。とにもかくも、今宵、話を聞いてみなければ、何とも言えないが。

それはそうと、娑婆世界では昨今、痛ましい事故や事件が起きている。人間のちょっとした不注意が大惨事を招き、又、社会の中での孤独感が人心をあらぬ方向へ駆り立てる。「ちょっと待て」というゴッドの声が聞こえれば良いが、この狂乱した社会の中では、その声も届かない。

誰だったか忘れたが、ある詩人が書いていた。「幾山川超え去りゆかば、寂しさの果てなん国ぞ、今日も旅行く」。人生はまさに寂しさのない所を求めていく旅だ。そろそろ旅に出たいなあーー。「酒よ、今夜も僕の悲しみを晴らして・・・」。これは大袈裟だあーーーー。酒で悲しみは晴れない。



2013年07月24日(水) 歴史は物語る。

最近、雨降らず気温だけが、うなぎ登り。暑中見舞いのハガキは来ないが、メールで「夏ばてしないように」と励ましの言葉が。僕の返信は「既に夏ばてしています」である。こう暑いと、仕事も手につかず、ちょっとやっては、すぐ一休憩。なまけものになる。仕事の効率は悪いが、実はこの一休憩が大いに役立っている。なんとなれば、「さあ、やるか」と、書類を見直した時、間違いに気付くことが多いからだ。集中しすぎると、脳細胞までいかれてしまい、間違いに気が付かない。そういう意味では、のらりくらりも良いものだ。

今日も、そんな具合で、うつろな眼で、ため息ついていると、大学時代からの友人、本間君がやってきた。プロジェクターを借りに来たのだ。今年の4月、本間君に我が家での講演を頼んだ折、そのプロジェクターを使ったのだ。じっちゃん、ばっちゃん達が目を白黒させながら、スクリーンに映しだされた画像に見入っていた。

今度は別の講演でプロジェクターを使うらしい。最近、彼はあちこちから講演が引っ張りだこだ。というのも、彼は、一年ばかりの歳月をかけて、100枚以上の論文を書き上げた。その内容をわかりやすく、講演で披露するわけだ。

論文のタイトルは「筑後川 デ・レイケ導流堤の謎」。いかにも、サスペンスドラマのタイトルみたいだが、そうではない。実はまだ、誰も書いていない、発掘していない明治、大正、昭和に至る先人達(超有名人達)が、当地区一体の産業復興に向けて貢献した姿を、いろんな資料を紐解いて、持論も含め解説したものだ。

今まで、ほとんどの人が知らなかった歴史的事実や人間関係が、氷が融解するがごとく、表面に具現した。僕はあらかじめ、一杯飲みながら話を聞いていたが、あらためて論文を読むと、「なるほど、なるほど」と、実に面白く、今日の当地域発展の礎を築いた先人達の卓越した能力と行動力に感服した。産業復興と言えば、まさに人・物・金の三位一体がそろってこそ実現する。それを動かすのは人の先見の目と行動力。当時の先人達にはそれがあった。

本間君の論文を読みながら、ふと思った。僕の先祖も当地区の近くで、江戸時代から、造り酒屋を営んでいたらしい。ひょっとしたら、彼が書いた論文の片隅にでも、先祖が貢献してはいないかと?、期待を持ったが、全くその兆候なし。残念だあーーー。いや、まてよ、と僕はあらためて、わが先祖の足跡を追った。

ネットで調べたが、僕の姓は全国に100件程度あるのみで、結構珍しい苗字だ。もう随分前になるが、曾祖父の出身地まで行き、我が姓のルート探しをやったことがある。同じ姓なら、大昔は親戚だっただろう。だが、いかんせん。手土産なしで赴くと、「今更、親戚ずらして、金でも借りに来たのか?」と、怪訝な顔をされる始末。これには参ったぜ。それでも、話を聞いてくれた所もあった。

ただ、昔を知っていた人達がほとんど亡くなっていた。もう少し早く調査に乗り出していれば、新たな事実が判明したかも知れない。かえすがえすも残念だった。結論を言えば、僕の先祖は「造り酒屋」をやっていたが、いつしか商売も傾き、いまでは、めいめいが違った職業で、それぞれに生きているということになるか?。僕もその端くれの一人だ。

本間君の論文に関する深い内容には言及すまい。著作権の問題がある。また、近々、本として出版されるらしい。今から、楽しみだ。


2013年07月18日(木) 労働の後の一杯はうまい。

梅雨時には、当地はたいして雨が降らなかった。全国的には大雨が降っているところもあるようだが。異常気象さまさまである。雨が降らなきゃ、雨が欲しくなるし、降りすぎては、うっとうしく感じる。人間の心って現金なものよ。

そんなことはいざ知らず、雑草君達は元気が良い。我が物顔で背を伸ばしている。見かねた僕は、一昨日、ネズミ男君を雑草刈りにかり出した。いつも快く彼は引き受けてくれる。有りがたや、有りがたやである。彼はフル装備。もち、僕もそうだ。(写真掲載)

二手に分かれて、挟み撃ちで格闘すること3時間。胸のポケットには水のボトル500ミリリットルを忍ばせていた。あっという間に空に。汗は滝のように流れてくる。これも快感だ。なんとなれば労働したという実感を体が覚えるからだ。

快感と言えば、その後の楽しみがある。シャワーで体を清め、「いざ、行かん。夜の町へ」と、二人して出かけるのだ。アルバイト賃がわりに、僕がネズミ男君へ、おごることになる。いつものパターン。

ところが、その日は折もよく、のび太君からの誘いもあった。三つどもえで、その夜は盃を交わした次第である。どうも、のび太君は、今度行く旅の打ち合わせをしたかったようだ、わんさと旅のカタログを用意していた。本来なら、どらえもん君と夜泣き爺さんがいれば、最高なんだが、その日は予定がつかずで、とりあえず三人での打ち合わせとなった。残念ながらまだ行き先の確定までには至っていない。

のび太君、行きつけの「お魚やさん」という割烹店で、飲み放題の設定で注文。いやあああ、ビールの旨かったことよ。まずはジョッキでのどを潤し、つまみはイカの刺し身、ゴーヤチャンプル、その他、魚色々。腹が空いていたので、旨いこと、この上なし。

たらふくまんまとなり、二次会に駒を進めた。若い頃のソフィアローレンに似た画家のママさんがいるスナックもどきラウンジへ。ここには、のび太君の恋人とも称せる「シズカちゃん」がアルバイトをしている。「今日、行きますよ」と電話をいれたら、シズカちゃんが車で迎えに来てくれた。タクシー代が助かったぜ。

店へ着くと、今日はママがいなくて、オリーブちゃんと金魚ちゃんがいて、三人での接待だ。夫婦ずれらしい先客が一組いた。僕たちは、のび太君をカウンターの真ん中に、右手にネズミ男君、左手に僕、ジャイアンが陣取った。焼酎であらためて乾杯。オリーブちゃんが珍しく焼酎を飲んだ。シズカちゃんと金魚ちゃんはウーロン茶だ。

「この店へ来たからには歌わなくちゃあーー」と、まず、ネズミ男が先陣を切った。曲目は中村雅俊さんの「ふれあい」だ。「悲しみに出会うたび、あの人を思い出す。こんな時そばにいて・・・・・」。うんん、泣かせるぜーー。昔。振られた彼女のことを思い出しているのだろう。余韻を残しながら歌い終わり、採点が始まった。音程、しゃっくり、ビブラート、なんだかよく分からない採点方式。な、な、なんと、初っぱなから66点のぞろ目。景品ゲットだ。大きな紙袋が出された。その中にある好きな景品を一つ選ぶわけだ。覗いてみると、これといった品はない。カップラーメンやら、ハンカチ、お菓子等。ネズミ男君は、おもむろに石けんを手にした。ネズミだから、まさか、夜食代わりにかじるつもりなのか?。皆、笑った事よ。

その日は、ネズミ男君の勢いが止まらなかった。三回もぞろ目をだしたのだ。後の二回は77点。低い点数ながら、彼は大満足。のび太君も僕ジャイアンも負けじと熱唱したが、ぞろ目には至らず。それでも、のび太君は、昔取った杵柄か?。さすがに上手である。どの曲も80点代だ。それに引き替え、僕、ジャイアンはいずれの歌も60点代。自信喪失だ。「僕、どこがいけないの?」と、ネズミ男君へ問うと、返ってってきた言葉が憎らしい。「あんた、音程が悪いんだよ。見て、がたがただぜ」という。あまけにしゃっくりは0点だ。これには参ったぜ。

まあ、そんなわけで、ネズミ男君へ花を持たせた一夜となった。お勘定は僕持ち。不公平だあーーーと思えど仕方がない。そんな日があってもいいだろう。そうそう、滅多に歌わないオリーブちゃんが「名残雪」を歌った。なんと、91点。泣かせるぜ−。いい曲である。興奮した僕、ジャイアンは同じ曲で果敢に挑戦した。あああああーーーーつ、これ以上、筆が進まない。こう書くと既に結果が見えている。男らしく述べよう。65点。「さもありなん」という皆の拍手が。「ぞろ目にも届かず、不愉快だあーーー」と思ったが、それが僕の実力なのだ。

労働の疲れが出てきたところで、お開きとなった。


2013年07月12日(金) のび太君受賞おめでとう。

最近、友人、のび太君が総務大臣賞を受けた。副賞に美しい銀盃がついていた。「ええつ、なんで彼が?。どうして僕、ジャイアンではないのか?」。僕も何かにつけて貢献しているはずなんだが?。「うんんん」と、我が目と耳を疑った。

荒れた手をじっと見た。手までが酒焼けしている。これじゃあーーーあばかんでー。「酒とカラオケ賞」なら、もらえそうだが、大臣賞はむりか。まずは、のび太君へ「心から、おめでとう」である。身を粉にして走り回っている彼のバイタリティーには、常日頃から頭が下がっていた。また、人の相談にもよく応じてくれている。苦しい時の、のび太君頼みである。

他の、とっちゃん坊や達もそうだが、のび太君との付き合いも古い。幾度となく、とっちゃん坊や5人衆(のび太君、どらえもん君、夜泣き爺さん、ネズミ男君、そして僕、ジャイアン)で旅をしてきた。いつの場合でも、のび太君は紳士である。三人、川の字になって寝ても微動だにせず。生きているのか?死んでいるのか分からない。いびきもかかない。両端の、ネズミ男君とジャイアンが雷鳴のごときいびきをかいても、小言一つ言わない。まさに紳士。見上げたものだ。

そうそう、寝ると言えばサンフランシスコへ旅をした時の思い出がある。山の中のコッテージで、シングル一つしかないベッドで、のび太と寝た。くじ引きでそうなってしまったのだ。どらえもん君と一緒じゃなくてよかった。彼は一人でベッド一台が相応。細い体の夜泣き爺さんをはべらせて寝れば、丁度良い。夜な夜な、女のすすり泣くような声が聞こえても、彼なら知らぬ存ぜずでお構いなしだろう。

僕たちは掛け布団の一つをベッドの真ん中に置いて、仕切りを作った。お互いに「怖いぜ」と思いながら背中合わせに寝たわけだ。僕、ジャイアンは見かけによらず小心者。のび太君の、つるつるの大根足が僕のお腹に侵入してこないかと、その夜は一睡も出来なかった。彼も同様だったらしい。まあ、いろんな思い出を積み重ねて今日に至っている。

のび太君へのお祝いメッセージの中に、「僕、ジャイアンも賞がほしいなあーーー」と書いていたら、「ジャイアンも頑張って、賞をもらってよ」との励ましの言葉が。涙がチョチョ切れるような有り難い言葉だが、僕には無理だろう。残念賞だけは頂くことにしよう。

そうだ。今年も、とっちゃん坊や達の旅が計画されている。のび太君の受賞お祝いも兼ねれば、一石二鳥。場が盛り上がること間違いなし。今度、僕、ジャイアンが提案しようと思っている。






2013年07月10日(水) オニユリの花が咲いた。

今朝、植物たちに、ご飯をあげようと庭に出ると、大輪の百合の花が咲いていた。名前はよく知らない。多分、オニユリというのだろう。

即、辞典でオニユリを調べてみた。「山野に自生するユリの一種。夏、暗紫色の斑点をもつ径約10僂瑠色の花を下向きに咲く。鱗茎は食用。花は観賞用」とある。

間違いない。確かにオニユリだ。なぜ「オニ」というのか分からない。鬼のように不気味な姿を呈しているからなのか?。斑点があるから、いかにもグロテスクだ。おまけに下向きに咲いている。思わず思った事よ。「暗い過去を背負っているから、顔を見せられないのか?」って。これは考えすぎか?。

そうそう、思えば、我が家のばあさんが、めっぽう、花が好きだった。天気の良い時は毎日のように花の世話をしていた。オニユリも、ばあさんの産物だろう。僕はよく言われたものだ。「今日は花に水をやったかい」って。当時は、「うるさいなあーーー」と思っていたが、今では、花の世話は僕の役目だ。

「オニ」は嫌いだが、ユリは好きである。なんでも60種はあるそうだ。僕が思いつくのは、オニユリとテッポウユリくらいだ。

テッポウユリねーーーー。これは可憐できれいだ。スナックへ行くと「ユリちゃん」という名前のカウンターレディーが多い。皆まさに、テッポウユリを彷彿とさせる人達ばかりだ。それぞれに、かわいいが、なにせ元気が良い。元気が一番だぜ。「はい、おかわり」と、何度も空になったグラスが差し出される。我らのみ飲んで、彼女らに注がないわけにもいかない。

ネズミ男君には彼女たちのその元気が、「気の強い人」に思えるらしい。今時、幽霊みたいな、冷たい、ひんやりした、おしとやかな女性なんているはずもない。僕がそう言うけど、ネズミ男君は聞く耳をもたない。気長に幽霊みたいな女性が登場するのを待つしか、手立てはなさそうだ。

まあ、それは良いとして、オニユリの花をデジカメに収めた。いやああ、気持ち悪いが見事な花だ。背丈は1メートル以上になっている。花が下を向いているので、僕はかがみ込んで写真に収めた。

オニユリも自然に任せて、自分の生を精一杯、輝かせている。僕は、自分の生を輝かせているんだろうか?。のんべんだらりーと安易に流されて生きている僕の姿が見える。だが、しかし、ばっと、そういう事に気が付くだけでも、まだましか。反省する余地がある。

まずは、灼熱の地獄と闘い、見事打ち勝って、前を向いて歩こう。


2013年07月08日(月) 昨夜、ラジオで聴いた講演会。

こちらも梅雨が上がったみたいだ。さあ、これから灼熱の地獄がやってくる。地獄は年々拡大しているようだ。温暖化、温暖化と言われて久しいが、一体いつになったら、温暖化に終止符が打たれるのだろう。恐らく、地球滅亡の時かも知れない。既に、我、存在せずか?。ただ、我慢しながら日々を生きていくしかないか。

ところで、昨夜は、7時半に寝床に入った。暑い夜は早く寝に就いたが良い。昔、父がよく言っていた。「寝るが一番、死ぬが二番」って。その当時は、「そんなものかなーーー?」と思っていたが、寝ても支障がない時は早く寝るに限る。やっと、そう思えるようになってきた。

朝早く目が覚めて、まだ、涼しい内に一仕事出来るのもその一つ。今朝の一仕事は、たまった古新聞と雑誌、それに空き缶等を所定の置き場まで、荷車で運ぶ。一番乗りだ。これも気持ちが良い。ゴミ処理係は僕にお似合いの仕事だ。かくして、冷たい水を「ごくっ」とのどに流し込む。これも快感だ。

もう一つ、早く寝たには理由がある。テレビを見ないかわりに、寝ながらラジオを聞きたかったからである。昨夜は、青木奈緒さんという、エッセイスト兼作家の講演を聞いた。青木奈緒さんて人を、今まで知らなかったが、なんと、幸田露伴が曾祖父で、祖母が幸田文さん、母親が青木玉さん、その子供が青木奈緒さんになる。四代にわたっての作家だ。これにはびっくりした。

話の内容はうつらうつらしながら聞いたので、定かには覚えていないが、「しつけ」に関するような話だった。母親までは結構厳しく、しつけがなされたらしいが、奈緒さんは皆無というわけではないが、結構、自由に育てられたらしい。

印象に残った話がある。奈緒さんは食事に時間がかかったそうだ。あっち、こっち、よそ見しながら食事をするので、時間がかかるわけだ。そこで、中国古典の名言がある。「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味をしらず」。こう、たしなめられた。いやああ、なかなかの名言である。

もう一つ、なるほどと思ったことがある。「残すなら、何時までも思い出に残る、思い出させる物を残したがいい」と奈緒さんは言っていた。彼女にとっての思い出の物は着物だった。小さい頃から着付けを祖母に手ほどきを受け、着物の見立ても祖母がしたらしい。その思い出の物が残り、いつまでも祖母とつながり、昔の出来事がまざまざと蘇るわけだ。

なるほどねーーー。記憶をたどっても、思い出の物がなければ、記憶がだんだん薄れていく。そうならないためにも物を残すということは大切である。僕にとって、父の思い出の物とはなんだろう?。悲しいかな、即、思いつかない。記憶だけでしかない。

なんでも、講演に赴いた青木奈緒さんの姿は着物姿だったようだ。一体、どんな人なんだろうか?と興味があったので、ネットで調べてみた。あった。あった。和服姿の顔写真が。凜々しさを備えた美しい人だった。

実は、どういう人なのかと知りたかった、もう一つの理由がある。それはラジオから聞こえてきた彼女の声である。小鳥が唄っているような、いや、泣いているような優しい声だった。きっと、まだ若いお嬢さんに違いないと思ったわけである。失礼ながら、若いお嬢さんではなかったが、すてきな女性に思えた。

残念ながら、彼女の作品はまだ読んだことがない。いつかチャンスがあれば、紐解いてみようと思う。

さあ、今宵は早寝とは行かないが、そろそろベッドインしよう。


2013年07月06日(土) 「けだるさ」で僕は吠えた。

早、7月になった。うっとうしい毎日が続いている。今日も雨が降ったりやんだり。そんな中、僕は、けだるさと格闘しながら、のらりくらりの毎日だ。なんでも関東地方は梅雨が明けたそうな。これも善し悪しだ。なんとなれば、未曾有の極暑が待ち構えているからだ。地球環境はすっかり変わってしまった。

「地球環境に異変あり。猛暑の大群が押し寄せていまーす。皆さーーーん、いち早く冷暗所、もしくは地下へ逃げてください」とアナウンスが聞こえるようだ。冷暗所であれ、地下であれ、いまやそこも危ない。地震や津波なら、なおさら危ない。一体どうすればよかっぺ。運を天に任せるか?。それでは助かる命も助からないだろう。

最近、日本列島各所で、防災訓練がなされている。確かに、いざという時に役立つだろう。ただ、防災訓練でも、正しい指導をしなければ意味がないだろう。正しい指導とはいかなるものか?。決めてあるとおりに行動することなのか?。それも大事なことだ。ただ、それでも、間に合わないことがあるだろう。

最近、ある先生の講演を聴いた。「地震にせよ津波にせよ、まず大事なことは、日頃より、逃げる場所、安全な場所を、大人にも子供達にも脳裏に、徹底的に認識させておく事が肝要だ」と。一般的に、子供達は「父さん、母さんが迎えに来る」と、家にとどまっていることが多い。それでは遅すぎる事がある。まずは急いで逃げることが大事だ。そうするためには、父さん母さんに、災害等が発生したら、「僕はまず、逃げるよ」と、常日頃から伝えておく。しかして、子供達も、父さん、母さんも助かるわけだ。

「なるほど」と思った。もちろん、他にも大事なことはたくさんあるだろう。ただ、なにはともあれ、如何に命を守るかが一番大事だ。「はい、集合場所に集まりください。一列に並んで。今から、避難しますよ」と、先生が引率して、てくてく歩いているようでは間に合わない。まずは、日頃から言ってあるように「早く一目散に逃げること」。これが大事だろう。もちろん、元気な子供や大人は、体が不自由な人達や幼児に手をさしのべ、一緒に逃げることも必要だ。今や少なくなったが、リヤカーなど、運搬具のあり場所も知っておくべきだ。最終的には、日頃の認識と時間との勝負が運命を決める。そういう教育をすべきだろう。

地球環境もさながら、経済も人心もすっかり変貌してしまったかに思える。アメリカこけたら日本こけた。為替レートの上下で、物価も株価も大きく揺れる。人はそのことで一喜一憂する。死活にかかわることならなおさらだ。他国に依存せず、自給自足でまかなえる日本社会の構築が理想なんだが、いまさらそれも出来ない。貧しかったが、のんびりと過ごせた昔が懐かしく思える。「原始時代の戻ろう」と叫んでも、返ってくる言葉は「あんた、一人でどうぞ」である。出来っこないと分かっていても、悲しいぜ・・・・。

はたまた世界中のいたるところで、暴動が起きている。なぜ、人類皆が平和に暮らせないのだろうか?。こちらが立てば、あちらが立たず。話し合いが物別れに終わり、争いとなる。なんとも致しがたい世界の現実。これは考える能力を持ってしまった人類の宿命か?。その根底には、やはり欲が巣くっているのだろう。金銭、権力、名誉、地位、食欲、睡眠、性欲、どんな欲も求めれば際限がない。ただし、ちょっと抑えれば、抑えられるものばかりだ。

世界中が、欲を抑えることを覚えれば、住みやすい世の中が出来るはずなんだが。偉そうなことを言っているこの僕こそが、まさに欲の権化かもしれない。まずは、自分自身を律することに徹しなくちゃなるまい。「シズカちゃん、ひろこさん、これからは酒を、避けて通りまっせ」と、僕が言えば、「umityannさん、同じ言葉は何度も聞き飽きたわ」という声が聞こえてきた。くわばら、くわばら。これ以上の言及はすまい。この辺で7月最初の日記を閉じよう。




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