umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2012年02月21日(火) 快気祝い。

夜泣き爺さんが目の手術を終え、退院してから三週間近くになる。そろそろ、アルコールが恋しいようだ。てなわけで、ドラえもん君の要請があり、爺さんの快気お祝いをすることに決定。困ったときの、「のび太君頼み」だ。彼は則、さる居酒屋に予約を入れた。

この居酒屋は、1月の新年会で利用した所だ。一人二千五百円で飲み放題食い放題。僕たちは「何とか放題」と言う言葉に弱いんだよなあーー。「だぼはぜ」みたいにすぐ食らいつく。ただし、条件が一つあった。時間制限である。二時間という制限の中で、どれほど捌けるかだ。胃に悪いぜーーー。

「捌ける」とは、従業員の対応次第と我々の胃袋具合が問題になる。胃袋がいくら要求していても、従業員の態度がのらりくらりでは、時間のみが、どんどん過ぎて、胃袋は満足しない。対応が良すぎて(まあ、こういうことは滅多に無いが)も料理が余ってしまう。

一月の新年会は六名で乗り込んだ。紙に注文する料理を書き込み、僕たちはワインオンリーで舌鼓を。後半の頃になると、何本飲んだか知らないが、「ワインはこれで在庫がなくなりました」と従業員が言う。「ええっ」と思ったが、正月だ。ハッピーにハッピーに・・・。まあ、満足のいく居酒屋だった。今回も、そこを使うようだ。のび太君のおすすめの店だ。

快気祝いもさることながら、今、のび太君も、僕、ジャイアンも少々気が立っている。というのも、のび太君主催の演劇の公演が4月に迫っているからだ。チケット販売が大変だ。まだ十数枚しか捌いていない。あちこちに10枚ずつ渡し、売ってくれるように頼んではいるのだが。人任せでは、なかなかうまくいかないようだ。のび太君は主催者だ。すでに300枚以上は捌いたそうな。僕のも頼むぜ・・・。

また、団員さん達の演劇の練習が毎週2回程度行われているが、その練習場所の確保も大変とのこと。のび太君が責任を持って手配しなくてはならない。今までは公民館等を利用していたが、行事等が交錯し利用もままならない。そこで、のび太君より、今月の25日に我が家を利用させて欲しい旨の要請があった。まあ、当日、利用する予定もないので快諾した。20名程度が来るそうだ。

ドラえもん君に、「練習風景を見ないか?」と誘ったところ、当日は仕事が入っているとのこと。代わりに、「夜泣き爺さんをやるよ」という。「そうか。夜泣き爺さんねえーー」。ドラえもん君によると、爺さんは目の手術も大成功で、「最近は見えすぎて困っている」そうな。見えすぎるのも善し悪しだぜ。

まあ、そんなわけで、あたふたと二月を過ごしている。11時から仕事だ。そろそろ身支度をしよう。



2012年02月18日(土) 不思議な偶然

二月、第三週目の土曜日。何の変哲も無く時間が過ぎていく。天気は晴れ。時折小雪が空を舞う。外は寒いのだ。今日は6時から仕事がある。今4時だから2時間の余裕あり。取り急ぎ備忘録をしたためよう。

一昨日の金曜日は、70数名が一同に会して、さる会の懇親会があった。僕も久しぶりに、白っぽいワイシャツに、スーツを着て出かけた。窮屈だぜーーーー。だが、決まったぜーー。この決まりがこ・わ・い。自信過剰もここまでくると、手に負えないぜ。やはり普段着が一番良い。

丸テーブルに9人ずつ腰掛けられるよう椅子が配置されていた。くじを引くと、僕は「宝」というネームのテーブルだった。入り口を入ると、一番左の奥まったところに配置されていた。テーブルを設営した人の心遣いが読み取れた。「場所は悪いところですが、ここに坐った人たちは、皆さん宝なんですよ」。まあ、そういうことだろう。泣けるぜーーー。

定刻に会が始まり、ひとしきり挨拶等があり、乾杯の音頭で、飲み方スタートだ。僕たちは隣に座った人たちや近隣のひとたちと、グラスをぶつけ合いながら、雑談タイムに突入。

話をしていると、世の中には不思議な偶然ってあるものだ。僕の隣に座った人の苗字を見ると、どこかで聞いたことのある苗字。まさかと思い、「娘さんの職業はオペラ歌手ですか?」と尋ねると、見事そうだった。その娘さんと先月会ったばかりだ。とあるホールで彼女の見事なソプラノを聴いた。感動した。その夜の食事会で彼女へ申し入れをした。もち、結婚の申し入れではない。僕が主催するイベントで、歌を歌って欲しいとのお願いだ。

まだ、時期は先のこと。「売れっ子の彼女には迷惑な話だったかなあー」と、最近、僕の心が揺らいでいたが、その心を打ち消すがごとく、彼女の父親に遭遇してしまった。当然、「彼女に歌って欲しい旨の要請をした」と、父親に話した。これで、僕の揺らいだ心もたち消えた。

問題は、聴く人たちかもしれない。「じっちゃん、ばっちゃん」達である。あまりに美しい歌声に、口をポカーンとあけて、そのまま成仏してしまったら、大変だ。と言うことは事前にすこしばかり、宣伝をしておく必要があるだろう。

2時間半の宴会が終わった。僕は知り合いの4〜5名の先輩。新人諸氏と、画廊のあるスナックへと誘った。ママを筆頭に、オリーブちゃん、金魚ちゃんがいた。めいめい、ビール、酒、焼酎を所望し、カラオケタイムへ突入。同じ苗字を持ち、住まいが隣保班という先輩と新人の二人が、狩人さんが歌っていたっけ?。「東海道新幹線?いやいや、私鉄沿線?だったかなあ?、題名を忘れてしまった。見事に歌い上げた。久しぶりに酔いが覚めたぜ。点数を出していれば90点以上は固かっただろう。

おっと、まだ先があるが、仕事の準備にかかろう。






2012年02月16日(木) バレンタインデーの夜(2)

忘れないうちに、続きを書いておこう。僕たちは小料理屋「梓」を後にして、次の店へ向かった。画廊を経営しているママさんの店だ。入り口にはイルミネーションが施してあり、一階が画廊。二階がスナックになっている。ここに通い出したのは、ママさんが同郷と言うこともあり、気楽に足を運べるからだ。

ねずみ男君と僕は足取り軽く、二階の門をくぐった。ここでは靴を脱いで、中に入る。いつぞや、誰かが靴を間違えて帰り、とんだ災難に遭った。その経験から、出来るだけ古い靴を履くようにした。

部屋に入ると、時間が早いせいか、ママはまだ未到来。しずかちゃんと金魚ちゃんがいた。来るのを予想していたかのごとく、にっこり笑顔、目玉パチパチで迎えてくれた。

僕たちは、そく、「梓」でもらった焼酎の小瓶を取り出し開封した。お湯がそそがれ、小瓶から焼酎が、とくとくと流れた。乾杯して、グラスに口を当て、「ぐぐっ」と飲み込む。旨い。「もらい物は何でも旨いぜ」とは、ねずみ男君の弁。そうこうしていると、奥まった部屋から、しずかちゃんが、丁寧に包装してある四角い箱を持って現れた。「はい、チョコレートよ」と言って、僕たちに差し出した。ねずみ男君は、幾分か緊張したような面持ち。

僕はその時、「ちらっ」とねずみ男君の箱を見た。「まさか、僕のもらった物より大きくはないだろうなあーー?」と、いやしい根性が頭をもたげたからだ。悲しい性だぜ。でも大丈夫。寸部違わない箱がそこにあった。ほっと胸をなで下ろす。

まだ、誰も客は来ていない。僕たちは点数制のカラオケを所望。この店のは結構点数がからい。90点がでるのは滅多にない。いや、点数がからいと言うより、僕たちが下手なだけだろう。僕たちの目的は別にあった。88点、77点、66点等のぞろ目を出せば景品がもらえるのだ。

チョコレートをもらった上に、景品まで手に入れようとは、まさしく、さもしい根性だぜ。ねずみ男君が口火を切った。「時代遅れ」という曲。「一日二杯の酒を飲み・・・・」。彼の十八番の歌だ。な、な、な、なんと、85点。最初にしては、やるじゃん。僕も負けじと時節に相応しい「春なのに」を熱唱。「記念にください、ボタンを一つ・・」。僕はボタンを青空に向かって投げる様を左手で演じた。見事、71点。ワイ?何故?。77点にも届かじ。ねずみ男君の勝ち誇ったような目が、なんとも憎らしいが、まあこれが僕の実力なんだろう。

その後、「津軽海峡冬景色、いちご白書をもう一度」等を彼が熱唱。ほとんどが80点台。僕もあせり顔をみせながら、「風の盆恋歌、哀愁のカサブランカ」等を披露。相変わらず60点、70点台が続く。業を煮やした僕は、これが最後だぜとの思いで。英語バージョン「メリジェーン」を歌った。電光採点盤を食い入るように見つめると、77点がみえまーす。やったぜ^^。僕の顔がおもわずほころんだ。

しずかちゃんが、大きなかごに入った景品を持ってきた。僕は、すかさずねずみ男君に言ってやった。「君にあげるから、好きな物を選び給え」と。彼はにんまり笑いながら、Lサイズの黒のトランクスをゲットした。

気分を良くして、飲み直しているとき、ママと、十数名の団体客がやってきた。「こりゃあーー引き上げた方がよさそうだぜ」と、僕たちは店を後にした。

話はまだ続くが、ちょっと小休憩だ。



2012年02月15日(水) バレンタインデーの夜。

昨夜は、ねずみ男君と久しぶりにネオン街を放浪した。彼は2月に入って、一週間ばかり近県で建設作業員としてアルバイトをしていたが、その仕事も終わり、家でゴロゴロしていたようだ。グッドタイミングで僕、ジャイアンが彼に電話したわけだ。彼は「待ってました」と快諾。

折りもよし、昨日はバレンタインデー。義理チョコに預かれると、僕たちは「にんまり顔」で、まず、行きつけの小料理屋「梓」へ行くことに決定。

彼は町から遠隔地に住んでいるので、僕が迎えに行った。靜かな住宅地の一角に、二階建ての家がおごそかに建っていた。築十数年になるという。嫁なし、子供なしで、二階の数部屋は開かずの間。もったいない。当初は母親と同居を考えていたようだが、家が建つと、直、母親が亡くなったそうな。人生とは皮肉なものだ。

随分と嫁さん探しをしていたが、見つからない。それもそうだろう。至ってわがままなねずみ男君だ。既に武田鉄矢さんの101回のプロポーズを追い越して、130回も見合いをしたという。以前にも書いたが、彼は「めっぽう優しい女性。めちゃくちゃ優しい女性」でないと、駄目だという。「今時、そんな女性が、どこにいるべえーー。少々気が強い方がいいんだべーーー」と、彼に説得するが聞く耳を持たない。僕たち仲間は既にさじを投げた。

とは言うものの、優しそうな女性を見かけると、相変わらず、彼に「つきあってみたら」と勧めている。最近もそういうことがあった。昼間は事務の仕事をしていて、夜は週2〜3回、スナックでアルバイトをしている女性がいた。なかなかの、かわい子ちゃんだ。背は小さいが、八千草薫さんを彷彿とさせるような美女。椅子に正座すると、まるでおひな様。少々、歳は食っているようだが、美貌がそれを感じさせない。僕はそく、ニックネームを考えた。「しずかちゃん」だ。漫画では、のび太君の恋人だが、ねずみ男君でも、そう引けは取らないだろう。

最初、彼女と対面させたとき、ねずみ男君は彼女を気に入っている様子だった。どこで覚えたのか知らないが、得意のマッサージで、鋼鉄のように凝った彼女の肩をもみほぐしていた。また、腕を上げて、彼女の脇の下のリンパ節なんかも押さえていたようだ。これが痛いのなんのって。彼女は「痛い・・痛いーーー」と黄色い声を上げた。その様が実におかしい。

「これは、脈がありそうだ」と思い、その後、彼に意向をを打診したが、いまだ首を立てに振らない。どうしたもんか?。彼女にそれとなく聞いてみると、「ねずみ男さんは、結婚する気はなさそうですよ」と言う。うんんんんーーーもったいないぜ。何をを考えているのやら?。

話がとんだ方向へ行ってしまった。元に戻そう。「梓」の暖簾をくぐると、にっこり笑顔のママさんが、「はいこれチョコレートの代わり」と言って、リボンが結んである焼酎の小瓶を二本、カウンターに置いた。僕たちは目を白黒させながら、ママから紙袋をもらい、そく納めた。僕はそっと彼に耳打ちした。「次の店は持ち込みオッケーだから、そこで、この焼酎を飲もうや」と。彼はにっこり笑った。「梓」で舌鼓を打つこと1時間。僕たちは流れて次の店へ足を運ぶことになる。

紙面が長くなった。続きは後にしよう。


2012年02月13日(月) 雨が僕を過去・現在・未来へと誘う。

今日は終日雨になった。久しぶりに降る雨も新鮮で良い。一歩も外へ出ず、仕事に集中した。珍しいことだ。「雨、雨、降れ降れ、もーっと降れ・・・」。思わず歌い出したくなるような・・・。

午後、ドラえもん君がひょっこりやってきた。お互いに「にんまり」笑いながら椅子に腰掛けた。何か新しい情報でもあるかと思ったら、さにあらず。むしろ、ジャイアンへの表敬訪問といったところか?。手土産はない。まああ、いいか。たまには、でっかいお腹から、宝物でも出してくれたら、かわいげもあるのだが、「へそのごま」を出すのが精一杯か?。それじゃあーーー、あばかんでえーーーー。茶を飲み、そそくさと帰っていった。

そう言えば一昨日の土曜日には、これまた突然、高校時代の同級生がやってきた。「来るときは連絡して」と、いつも言っていたのだが、突然の訪問だ。従兄弟がこちらにいて、毎年、仕事を手伝っているとのこと。仕事を終え、我が家へ立ち寄ったわけだ。彼が一泊するなら、一献傾けようと思っていたが、その日、帰らねばならないとのこと。残念だぜえーー。

彼とは高校2年、3年の時、同じクラスだった。くしくも名前が同じで、漢字も一緒だ。一緒に酒を酌み交わしたとき、「僕たちはダブル○○だぜ」と、周りに吹聴すること常のごとし。かわい子ちゃんから、「○○さん」と名前で呼ばれると、同時に「はい、はい」と応える。僕が呼ばれたのか?彼が呼ばれたのか?、分からない。まいったぜ。名前が同じなのも善し悪しだ。

もう、昔の事を振り返っても仕方が無い。そこで、僕は考えた。今後、彼と行動を共にする機会があったら、僕を「ジャイアン1号」、彼を「ジャイアン2号」と呼ぶこととにしよう。決まりだ。

高校時代は同クラスの親しい友人を、ニックネームで呼びあったものだ。「だのみ、きさわい、かおつま、いわか、みるた、みがちふ」等々。なんのことはない。苗字を逆さに読んだだけだ。今では同窓会等での、笑い話になっている。

さて、僕たちは、過去、現在、未来に何を残せるか?。過去は「苦い思い出だけ」、現在は「苦しい生活のみ」、未来は、「わかんなあーーい」。これじゃあーーいけないぜ。過去に残したものは「ひたすら歩んできた幸せの足跡」、現在残しているものは、「未来に向かって刻んでいる希望の足跡」。かくして、未来に残すものは、希望が実現された足跡」だ。いやああ、いいぜえーーー。

いやはや、そんな理想的な人生が歩めれば、言うことなしなんだがーーーー。





2012年02月11日(土) 白昼夢。

久しぶりに、晴天に恵まれた。寒さは幾分やわらいだものの、外気はまだ冷たい。午前中2件の仕事をこなす。鼻水流しながら全力投球。効果あり。おまんま代を稼いだ。

午後からは机上の仕事だと思えど、明日が日曜日だ。とりあえず、日延べしよう。しからば何をするか?。南側の窓からは、心地良い日差しが射し込んでいる。こんな日は外に出て野良仕事に精出すのもいいか。

てなわけで、庭に勢力を伸ばしつつある小さな雑草を手長カマで、一網打尽にした。その後、ほうきで掃くと、きれいな平地に早変わり。フェンス周りの雑草も刈ろうかと思ったが、昨年の労が功を奏し、まだ草刈り機械を使用する段には至っていない。3月過ぎた頃からが勝負になるだろう。今、机に坐って、この備忘録をしたためている。「さて、何を書こうか?」。

そうそう、興味深い記事をネットでみた。なんでも、身近な銀河系にある巨大ブラックホールが、小惑星をどんどん食べているそうな。貪欲なやつだぜ。食っても食っても食い足りないらしい。そんなに旨いのか?

ブラックホールと言えば、とらえた獲物を逃さない。なんでもかんでも吸い込んでしまう怖い存在だ。ひところ、「ブラックホールは別の宇宙への通り道だ」と、言った人がいる。そうであって欲しいものだ。まだ未解明とは言え、今の宇宙だけではつまらない。宇宙人もいそうにないし。地球はまさに高度な生命体を育んだ孤独星だ。孤独は寂しい。

僕は眠れないとき、よく宇宙の事を考える。「宇宙人さんよ。もしいたら僕はここにいる。早く迎えに来て」と懇願している。夢の中で、美女なのか?醜女なのか?、はたまたタコの親分なのか?、判別がつかない生命体が僕の手を引いて宇宙船に連れ込む。「VIP待遇なのか?労役人なのか?」。分からない。僕は不安な面持ちで成り行きを見守る。程なくブラックホールを抜けて別の宇宙に運ばれた。

たどり着いた星は地球によく似た美しい星。そこで僕は「ああっ」と驚く。僕と同じ顔をした人間らしき生命体がそこにいたのだ。「君は誰?。ここは何処?」と尋ねると、その生命体が「僕はあなたです。ここは別宇宙の地球です」と応える。「そ、そ、そんな、馬鹿なあーーー」。ここで僕は目が覚めるわけだ。ありえない話ではないだろう。

僕は高度に進化した望遠鏡で地球を見る。蟻のように這いつくばって生きている人間の姿が見える。70億人が住んでいる。いずれ100億人に達するだろう。現地球での生活は平穏無事ではない。至るところで、紛争があっている。武器を使った戦争、はたまた、金融戦争。生き残るための生存競争とは言え、悲しい現実である。

神が人間を創りたもうた。神は人間のこんな現状を見て、おもしろがっているのだろうか?。そんなことはあるまい。むしろ、悲しがっているかもしれない。いずれ、地球も太陽に飲み込まれ、築き上げた人間の文明も跡形無く消えてしまう。神はその時まで、耐え忍んでいるのかもしれない。

僕はその時、どうなっているのだろう。いわずもがな、現地球では、とっくの昔に、宇宙塵となって、空間をさまよっているだろう。とは言え、ブラックホールを抜けた第二の地球では、相変わらず能天気な僕が存在しているかも知れない。くだらない冗談ばかり良いながら・・・・・。

いやはや、これは土曜日の午後の白昼夢だ。暇な人間しか、こういうことは考えまい。さあ、現実に戻ろう。明日の糧を稼ぐ準備をしよう。







2012年02月08日(水) 持つべきは友達だ。

幾分か寒さが柔らいだかと思っていたら、この寒さだ。三寒四温とはよく言ったものだ。粉雪が降っている。今日は午後から外で数時間の仕事。外と言っても暖房のきいた部屋での仕事。ありがたや。ありがたや。

それまでの間、何をしようかと思案した。机上の仕事はあるが、今ひとつ気が乗らない。というわけで、この日記帳をしたためることにした。本来、貧乏性の僕。まだ暖房を入れていない。とりあえず、震える手でこの日記帳をしたためることにした。

一昨日は、生牡蠣をくれた本間氏と小料理屋「梓」で再会。店は午後6時開店。僕は足早に店へ赴いた。既に彼はカウンター席に着座していた。早い。それもそうだろう。彼はこの店の隣保班だからなあーーーー。程なくして、二階の階段から「コトコト」と足音が・・。和服姿のママが登場。いつもどおり、にっこり笑顔で「あらーー、いらっしゃい」の挨拶。この笑顔が曲者なんだよなーーー。つい、アルコールが弾んでしまう。ママ曰く。「私も、小生でいただこうかしら?」と。「ど、どうぞ」と勧める。

そう言えば、夜11時頃、タイからの留学生三人が、駅に到着するとのこと。飲んだ後、駅まで迎えに行かねばならないとのこと。彼はボランティアで宿泊を提供している。三人は翌朝、大学での講義に参加するそうな。友人の「のりちゃん」先生からの頼みと言うこともあり、彼は気軽に応じたわけだ。困ったときの本間頼みである。

僕も一月初め頃だったか?。彼の世話になった、別の友人が事務机をくれるという。事務机といっても、長さ1メートル80センチの、木製両袖引出つき、プレシデント・デスクだ。僕は同じようなデスクを今、使っている。ちょっと古いので、入れ替えるのに幸いと思った。本間氏に話すと、その当日、彼が軽トラックを借りてきて、デスクを我が家まで運んでくれたのだ。もつべきは友達だぜ。

運ぶときデスクの状態を見た。古さは「僕のとあまり変わらないなーーー」と思ったが、「まあいいか。くれる物ならなんでもいただこう」と、にこにこ顔でいただいた。運び入れるとき、助っ人が必要と言うことで、ドラえもん君と夜泣き爺さんに頼んでいた。

あらかじめ、事務所のフロアーを掃除していたが、助っ人がなかな来ない。仕方なく本間氏と二人で、デスクを入れ替えることにした。「わおーーーーつ。すばらしい」と言いたいところだが、据え付けた途端、山の神が「あんた、前の机の方が良かったじゃない。すぐ入れ替えなさい」と言う。僕も内心はそう思った。僕はすかさず、「は、はい。そうします」と言って、友人達が帰った後、一人で元に戻す羽目に。「およよーー、ご養子様はつらいぜ」。

もらってきたデスクを如何せんと思い、ドラえもん君に勧めたら、彼も首をたてに振らない。誰も引き取り手がないなら、「リサイクルショップへ持ち込んだら」と、ドラえもん君が言う。それも一つの案だ。とりあえず、電話をしてみたら、木製で、そんなに大きいやつは引き取らないという。とりあえず庭の片隅にホローをかぶせて置いておいた。

その後、ブルガリアから来ている友人にその話をすると、「僕、欲しい」という。「えええつ、こんなに古くてもいいの?」と、聞くと、「前からデスクが欲しかったんだ」という。渡りに船とはこのことだ。今は、新たに塗装を施し立派に蘇り、彼の書斎に据え付けられたと言う。めでたし。めでたしだ。天はまだ、僕を見放していなかったぜ。大げさか?。

僕は相変わらず元のデスクをなでなで、机上の仕事にいそしんでいるって次第。





2012年02月05日(日) 生牡蠣の味。

いやああ、今日は友人の本間君が生牡蠣を持ってきてくれた。生牡蠣かあーーー。感謝感激だ。ついぞ食べたことがなかった。本間君は大学時代からの友人。当時はそれほど親しくなかったが、娑婆に出てから、行きつけの小料理屋が同じだったこともあり、意気投合して今日に至っている。

彼は若かりし頃、「夜の暴走族」と言われていた。なにせ、知らない店がないくらい夜の店を知っていた。今、僕の行きつけとなっている小料理屋「梓」も彼の紹介によるものだ。最近は僕の方が足を運ぶ回数が多い。時折、「今日は梓日より」と言って、彼から電話がかかる。「待ってました」と、僕はそそくさと出かける。

海のものと言えば、昔は、海岸沿いにこしらえられた小屋で、三個入り一皿500円のサザエを食したことがあった。さすがに、焼きたては旨かった。不器用な手で、身を取り出し口の中に放り込む。海と塩の香りがして、「こんなに旨いものがあったんだ」と、いたく感動。500円玉が千円になり、千円が・・・・。きりがないぜ。

ただ、殻つきの生牡蠣はまだ食したことがなかった。小料理屋へ行けば、酢牡蠣と称する、ママさんあつらえの小鉢を「旨い。旨い」と、食することはあるが、我が家で殻つき生牡蠣を調理するのは初めてだ。バーベキューセットも持っていない。結局、コンロの上に金網を置いて、牡蠣のふたが開くまで熱することにした。「蓋が開いたらひっくり返せばいい」と本間君が言う。何故、そうするのかは分からない。恐らく牡蠣から出たエキスを女性のおっぱいみたいな、膨らんだところや全身に振りかける為だろう。おいしさが増すというものだ。

コンロと言えば、数年前、行事で使ったものが10個くらいある。ガスボンベも大量に残っている。倉庫にしまったままだ。僕は恐る恐る、その一個を取り出し食卓テーブルに設置した。憶病者の僕は、「まさか爆発はしまい?」と、不安げな、ぎこちない手で点火した。成功だ。ほっと胸をなで下ろす。

牡蠣を置いて数分。熱しすぎたのか、牡蠣の破片が飛び散った。「わおーーーつ!!!」。危ない。あわば、僕の目に刺さるところだったぜ。山の神は「ニヤニヤ」笑いながら鍋の蓋を持ってきた。「早く出せばいいのに」と、僕はぷんぷん。気の弱い僕は、蓋を抑えながら、行方をじっと見守った。

しばらくして、殻が開いたように見えるやつを取り出した。開くと、乳白色のおっぱいが現れた。僕はそしらぬ顔で、口に放り込んだ。旨い。ワイナリーツアーで買ってきた赤ワインをゴクリ。まさに至福の時だ。かたや、山の神の方を見やると、にんまりとしている。めっぽう、牡蠣が好きなようだ。僕の取り分の一部を山の神へ差し入れた。「おいしい、おいしい」と言いながら完食。もっと、欲しそうなそぶりだったが、世の中はそんなに甘くはないぜ。

僕の取り分を山の神へ差し入れたには訳がある。本来、用心深い僕は万が一の事を考え、食するのを控えめにした。と言うのも、昔の痛い思い出が頭をよぎったからだ。タクシーの中で、お漏らしをしたのだ。運転手さんが知っていたか否かは知らないが、僕は素知らぬ顔で車を降りた。家に帰ると、山の神からこっぴどくしかられた。「あんた、背広が台無しじゃない。運転手さんも、相当臭かったに違いないわ」と。今では笑い話だが、翌日、クライアントのところで、「ゲリークーパー」となっては、身も蓋もない。新鮮な生牡蠣だ。その心配はないと思うが。

てなわけで、少々酔っ払い気味の中で、この備忘録をしたためた。今の所、お腹はすこぶる快調。明日も元気で頑張るでえーーーーーー。


2012年02月04日(土) 「時」。この厄介なるもの。

早、二月。ここ数日寒い日が続いた。今日はようやく、お天道様が顔を出した。平地に積もった雪がすっかり溶けた。寒さは幾分か和らいだが、まだ寒だ。そんなことにお構いなく「時」だけはどんどん刻まれていく。

一体、この「時」は誰が考え出したのか?。古代文明の中にも時を刻んだ暦がある。人間が考える能力を持ったとき、その英知が「時」を生み出したに違いない。宇宙という大自然が醸し出す、様々な現象に、畏敬の念をもち、それを記録することによって、生活の防衛としたのだ。

僕は時々思うのだが、この「時」を刻むという概念がなかったら、人間の生活は、どんなに変わっていただろうかって。まさに原始生活だ。お天道様が昇って明るくなったら、食料を求めてさまよい、暗くなったら、洞穴で寝をとる。自分が何歳なのかと言う年齢の概念もない。ただ、生まれてから死ぬまで、自然と共にひたすら生きる。

こういう生活にあこがれもする。しかし、これは「時」という概念に、すっぽり埋もれてしまった現代人の考えることだ。我々は、いままさに、「時」に支配されている。「時」を支配することは出来ない。だからこそ、「時」からの解放に思いを馳せるのだろう。

最近、光よりも早い粒子が存在すれば、時間が止まるというような記事を読んだような気がする。時間が止まる?。一体どういうことなのかよく分からない。時間が止まれば僕は永遠に紅顔の美青年なのか?。そんなことはあり得ないだろう。「すっかり老けたあなたの顔が見えまあーーす」というのが真実の姿だ。そう言えば、歌謡曲の詩のなかにも、時を歌ったものがあったっけ。「時間よ止まれーー」。「時の流れに身を任せーーーー」。人間の偽わざる願望だ。いやはや、「時」とはやっかいなものだ。

「時」という束縛から、逃れて生きるにはどうすればよいのか?。答えは簡単だ。「考えないこと」である。「考えないこと」とは、ポカーンとして生きることではない。余計なことを考えない。要するに、歌にもあるように、流れに身を任せて生きることだ。

今日は何日だったっけ?。デートの約束は何時だったかなあーー?。クライアントとの約束は?。いちいち考えていてはきりがない。流れに身を任せて、淡々とこなしていく。それが、「時」を超越することになるのだろう。
「言うは易く、行うは難し」。ただ、「時」に追っかけられる生き方だけはしたくないものだ。

そう言えば、最近、有人月旅行が計画され、既に申し込みがあっているそうな。100億円はくだらない費用がかかる。人間の飽くなき欲望は宇宙旅行を実現しようとしている。すばらしいことだ。宇宙に行ったとき、「時間」はどう流れるのだろうか?。地球時間が通用するのか?。「わかんなーーーーい」である。宇宙旅行から帰ったとき、知り合いが誰もいなかったりして。
「ここはどこ?。あなたは誰?」かの世界かも知れない。

考えればきりがない。考えることは止めよう。ところで、今、何時だったっけ?。おっと、時間を気にすることはない。腹が減ったら昼飯を食おう。それで良いではないか。



umityan |MAILHomePage

My追加