umityanの日記
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2009年04月22日(水) 「寝るか?映画を見るか?」。それが問題だ。

疲れたときは寝るか、ぼけーっとして映画を見るかに限る。昨夜の僕はまさにその二者択一の選択を迫られた。選んだのは映画を見ることだった。何となく面白そうな予感がしたので、思わずスイッチをオンにしてしまった。

見始めは、「なんだ単なるゲームの映画か?」と思ったが、映画が進行するにつれて、僕の目は釘付けに・・・。かいつまんで、内容を話せば、五人家族(父・母・長男・長女・次女)がいて、親戚から贈られたゲームを否応なく始める。何故って、外出しようにも車のドアが鍵で開かない。外は大雨。仕方なく部屋へ駆け込むとドアや窓が自動的にロックされ、ゲーム盤が置かれた丸テーブルの回りに監禁されてしまう。

家族五人は、あたかも生きているかのような 不思議なゲーム盤に誘導された。順番にさいころを振ることになる。出た目の数だけ進む。双六みたいな物だ。ただ違うのは進んで止まった場所によって、課題が与えられる。その課題をクリアしなければ、死という罰が待っているのだ。

単なる課題なら容易にクリアできるのだが、ある位置に止まると、ゲーム盤上に、蜃気楼みたいな人物が現れ、「三つの質問をするので正直に応えなさい」と言う。三問中、二問は正直に応えても差し障りがない質問だが、残りの一問が、辛辣で厳しい内容だ。最初は皆、嘘をついてしまう。嘘が一回なら、死だけは免れ、別に設けられた罰ゲームをクリアすれば救われる。

その罰ゲームも、恐怖に満ちたものだ。円筒形の壁に五人がばらばらに置かれる。足を乗せる板だけが飛び出している。下を見やると底なし沼がぶくぶくと泡を立てて待っている。この罰ゲームをクリアするには五人が力を合わせて脱出しなければならない。一人が反抗したり、行動を拒否すると、家族全員が沼へ落ちて死を招く。いやああ、怖いゲームだ。

なんとか脱出すると、いつの間にか元の部屋へ戻っている。かくしてまたゲームが進行するわけだ。ここで、家族の誰かが言う。「皆、なんでも正直に話そうではないか」と。そんな家族の決意をあざ笑うが如く、蜃気楼男が辛辣な質問を浴びせかける。ちなみに、こんな質問だ。父親に対しては、「だれか人を殺したいと計画を練ったことがあるか?」と。父親は正直に「ある」と応えた。家族は驚く。また、長女には「最近、セックスをしたことがあるか?」と。長女はためらいながらも「あります」と応えた。母親はまたまた驚きの顔を。長男には「妹をストーカーしたことがあるか?」とか、次女には「姉の品物を盗んだことがあるか?」とか、三つの質問の内、必ず一問は家族に知られたくないことばかりだ。

ゲームは明け方まで続いた。皆、正直になんでも応えるようになり、見事、家族の一人がゲームをクリアした。かくして、ゲームは終了。

いやああーーー、なかなか良い映画だった。この映画の言わんとするところは、家族は何でも隠し事をせずに正直に話し合うことが、家族の絆を深めるということだろう。「正直ものの頭に福宿る」という諺もある。また、「金の斧、銀の斧」と言う童話もある。「花咲かじいさん」もその類だろう。

そうは言うものの、娑婆世界には「嘘も方便」という言葉がある。嘘をつくことによって誰かが救われるならば、その嘘は許されることもあるだろう。ただ、私利私欲のための嘘ならば、それは別問題だ。

ところで、「おまえはどうなんだ?」と、問われれば、「そりゃあーーー嘘はいっぱいありますよ」と言うしかない。あえて、弁解すれば、「私利私欲の為の嘘は、極力避けていますけどネーー」ってところか。






2009年04月21日(火) 最近あった身の回りのこと。

最近、僕の身の回りであったこと。忘れないうちに書いておこう。ネットオークションで電卓を二個買った。一個、100円で落札。締めて200円だ。「うっしっしーーー」と喜びたいところだが、なんと送料が2000円近くかかっている。手数料を入れると1個あたり1200円くらいだ。まああ、それでも大きな数字で12桁まで表示できるから充分使えそうだ。安いと言うべきか?、言わざるべきか?。それが問題だ。

どらえもん君(本業仲間)がこのごろ、週1〜2回は我が家へやってくる。今日もやってきた。早速、電卓を見せたところ、「まああ、いいんじゃない」と意味深長に言う。「1000円で一個売ろうか?」と言ったところ、しばらく考えて見るとのこと。何を考えるのか知らないが、恐らく僕の使い勝手を見た上で判断したいのだろう。「たかが、電卓なのに」と言いたいところだが、その気持ち大いに分かるぜ。正解か不正解かは時が教えてくれるだろう。

そうそう、もう一つ。個人的には滅多に使わない品物を購入した。僕の行事に必要なので、やむなく購入した。何かと言えば、よく和風の料亭などで、仲居さんが料理をのせて運んでいる、「お盆」である。あの、木製箱形で長方形になっている大きな盆。左右の両手で持って運ぶ。どらえもん君に名称を聞いたら、「なんとかというんじゃない?」と言う。どうもあやふやだ。やはり、その道のプロに聞いたがはやいかと、行きつけの小料理屋のママさんに聞いてみた。

これが大正解だった。なんでも、ママさんの高校時代の同級生が、そういった台所関係の器具等の製造販売をしているとのこと。ママさんが小料理屋を開店したときに、たいそう世話になったらしい。幸いカタログを持っていた。見せてもらったら、あったぜ、それらしきものが。「脇取盆」と言うらしい。「なるほどねーー」と僕も納得。35%引きで交渉してくれた。即、4個注文。

昨夜、品物を取りにママさんの店へ赴いた。市場値10,000円はするという触れ込みにあやかって購入していた高級ワイン?を一本お礼に持参した。60センチ×40センチの脇取盆は、まあまあのでかさだ。車に乗せた。このまま帰るのはママに失礼と思い、雨宿りすることに。まさにその夜は雨が降っていた。グッドタイミングだ。お礼に持ち込んだワインは開封せず。さもありなん。お礼を自ら味わったら。お礼にならないからなああーーーー。てなわけで焼酎で乾杯したことだ。

電卓のみならず、脇取盆を、どらえもん君へ披露。彼は目を白黒にして絶賛した。何を隠そう。その盆は、どらえもん君が僕の行事の為に使用する物だ。気に入ってもらって幸いである。

あと、どんなことがあったっけ?。特になしか?。あえて、書くとすれば、ボランティアの雑草刈りにいそしんだことか。まあ、これも趣味でやっている運動みたいなものだ。人助けでもあり、我が身にとっては、ボディーがスリムになり、おまけに顔までが細くなった感じがして一石二鳥だ。

書きたいことは山ほどあるが、個人情報をオープンにするのも、ほどほどにせにゃなるまいて。この辺で今日の日記はお開きにしよう。









2009年04月14日(火) 仕事に邁進した一日。

今日は風が強かった。窓の外を見やると、キンモクセイの葉っぱが風に舞って庭に散らばっている。「こりゃーー大変だ」と思ったが、自然の現象は要したものだ。葉っぱは風で渦を巻いて、ひととこに集まる。集まった葉っぱがあちこちの隅っこに散在している。僕は思わずほくそ笑んだ。なんとなれば、葉っぱを掃き寄せる手間が省ける。「一網打尽にしてやる」と僕の心は愉快になった。作業に取りかかるのは風が収まった時にしよう。

天気はあいにくの曇り空だ。こんな日はどこにも出かけたくない。机上の仕事に専念することにした。午前中、来客有り。仕事の依頼だ。得意の分野だった。あれこれと、相手が背中に手が届くように僕はまくし立てた。

昼になった。カタログで文具を注文した。それにしても、ありとあらゆる文具があることよ。ただ、僕が頭に描いている、お気に入りの品はなかった。仕方なく代用品を注文。まあ、これで目的が達成できれば、「よし」としなくてはなるまい。

時折、外を眺めながら、相変わらず仕事に熱中した。おかげで、二件の案件を片つけた。やるときはやらなくちゃあーーー。

夕方になった。風もずいぶんと収まってきた。「さああて、夕飯まで何をしようか」と思案した。結論は、葉っぱの掃きとりではない。草刈り機械での雑草刈りが僕を誘った。ちょっくら腹を空かしておいたが、夕飯もおいしかろうという単純な発想が、そうさせた。

かくして、先ほど、手を抜いたのか抜かないのか判別しがたい山の神製作の鍋物をついばんだ。風呂が僕を呼んでいる。今宵は夜のネオン街を闊歩することもなく、静かに我が家で時を過ごそう。さああ、風呂だぜ・・・。「湯が沸きました」という、アナウンスが聞こえた。「チャポン」と行ってきます。


2009年04月13日(月) 激減したミツバチ。

最近、ミツバチが激減しているそうだ。なんでも、女王蜂が不足しているらしい。オス蜂は働く場を失い右往左往。目的を見いだせなくなったオス蜂は、逃亡するか、さもなくば寂しく死んでいくのだろうか?。

昆虫の世界だと言って、笑ってすまされることではない。人間の世界も同じような気がしないでもない。経済不安により、行き場を失った働き蜂・・・人間。

このゆゆしい現実をいかに打開するか。それが問題だ。銀河鉄道999の鉄郎が、かって求めた機械の体。心や感情をすてて、機械と同じように生きる。それが出来れば苦もなく悲しみもない。

だが、それは宇宙からあたえられた貴い命に対して失礼である。やはり、苦や悲しみがあっても、しぶとく、がむしゃらに、たくましく、人間は生きて行かなくてはならない。そう思う。

おっと、出かけなくてはならない。続きは、あ・と・で。


2009年04月08日(水) 去る者は日々に疎しか?。

久しぶりに訪れた日記帳。空白の時間が長い。僕は一体何をしていたのだろう?。まだ、生きていることだけは確かだ。娑婆世界のあれこれに翻弄されている自分が見えた。今年になってあらぬ仕事が増えた。一方を減らせば他方が増える。両方とも減らないから、まああやっていけるわけだ。

とりもなおさず、今年は僕にとって激動の年になりそうだ。来年の事をいうのは早いが、今年のことを忘れて、来年はゆっくりと他国の地を歩んでみたい。
まだ見ぬメーテルを求めて・・・・。


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