umityanの日記
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2008年06月29日(日) 六月最後の日曜日。

今日は見事に天気予報が外れて、雨に至らなかった。曇り空ながらも時折、お天道様が顔を出した。僕は午前中の仕事を片つけて、午後はまさしくフリータイムとあいなった。このフリータイムがくせ者である。いざ、忙しいときは、自由な時間が欲しいと思えど、手に入れてみると、なす術を思案しなければならない。生来の貧乏性。何かをしていないと落ち着かないのだ。

昼寝でもしようかと思ったが、六月最後の日曜日。六月との別れが僕の心を揺さぶっているのか、今ひとつ睡魔が襲ってこない。こういう時は、肉体労働をして、一汗流すのが一番良い。もってこいの労働があった。雑草刈りというボランティア活動である。日頃より、いつ取りかかろうかと思っていた。

我が家へ伸びている直線の道路がある。我が家の前を境に左折している。もちろん我が所有ではない。多分、市有道路だろう。道の両端にガードレールが施してあり、道路下の河川地から葛や雑草が我が物顔でガードレールに巻き付き、道路の視界を妨げている。車で右折左折するとき、この雑草たちが結構、邪魔なのだ。

年に数回は近隣部落の住人達が共同で雑草刈りをする。もちろん僕もそのメンバーではあるが、いつ作業が行われるのか未定だ。「これじゃあー、あばかん(方言)ばい」ということで、急遽、僕オンリーでボランティア雑草刈りに及ぶことにした。

ほぼ、二時間の労働だ。例によって「ランボー」スタイルで、草刈り機械を振り回す。これが結構、いい運動になるんだよなあーーー。時折、車や人が、僕を避けるように通り過ぎていく。「ちらっ」と一瞥を投げると、一瞬、怪訝そうな顔をされるが、すぐ、ひきつった表情ながらも笑顔に変わり、挨拶らしきことをする。

面白いこともある。たまに、絶世の美女と遭遇することがあるのだ。相手は僕を承知しているらしく、怖がる様子もない。ただ、僕は相手が誰か分からない。「へーーー、あんな美女が近辺に住んでいたっけなあーーー?」と、思わず機械の動力をゆるめて、呆然と後ろ姿を見送る。

まあ、こんな調子で、葛や雑草の大軍を一網打尽にした。道路には切り刻んだ雑草たちが無造作に散らばる。ほうきで掃き寄せておくと、最高の仕上がりとなるが、僕の脳裏はそこまでの労働を要求していない。とうのも、自然と刈り取られた雑草達は淘汰されて、いつの間にか道路はきれいになっているからだ。

労働の後、シャワーを浴び、深海水でのどを潤した。そうこうするうちに夕食と相成った。「今日も健康。夕食がうまい」。腹が減っているから当然といえば 当然か。夕食後パソコンのスイッチを入れた。あちこち探索していると、体が睡眠を要求してきた。体は正直だぜ。

行儀が悪いが机の上に足を投げだし、一時間ばかり仮眠したようだ。かくして、目がすっきりくっきりで、今、備忘録をしたためている。

そうそう、今日は絶世の美女ではないが、もう一つ不思議なことに出くわした。何かと言えば、ブログのサークルの一つに僕がメンバーとなっていたことだ。若干、思い当たる節もある。これは面白いと思って、確かあるサークルに加入したが、どうも不活発だったので退会というか、削除したが、その残骸が残っていたのだろうか?。違う名称に変わり、僕がメンバーに成っていた。「ええーーつ」と一瞬面食らった。

絵本や童話を子供達や同伴の親たちに読み聞かせるというボランティア的サークルだ。僕に絵本や童話をよみきかせる趣味はないが、良いボランティアだと思う。ひょっとすれば、酔いどれの状態でボタンを「ポン」と押したのかも知れない。いずれにしても心当たりがない。まだ主催者に挨拶もしていないが、この備忘録をしたためてから、挨拶くらいはしておくべきだろうと思っている。

ふと、思った。今の子供達は「おじいさん、おばあさん」達と同居することも少なく、昔話や童話を語ってくれる人が身近にいなくなった。僕は小さい頃、母やばあさんから、怖い話しを聞かされ、子供心に身をすくめたものだ。大人となっても、その色んな話しの思い出は消えることがない。やはり、誰かが読み聞かせ、子供達の情操教育の一端を担ってやる事が必要かも知れない。

そう言えば、NHKのラジオ深夜便で「民話を語る」というコーナーがあった。眠れず、悶々としているとき、イヤホンで何度も聞いたことがある。全国の民話を「語りべ」と称する人たちが、独特の口調で民話を語る。これが結構面白かった。僕はただ、聞いて一人でほくそ笑むのが関の山。人に語って聞かせるほどの趣味も教養も無い。ただ、いつの間にか加入したらしいこのサークルは、健康的で健全な香りがする。しばらく様子を見ることにしよう。

六月最後の日曜日。今日もつつがなく一日が終わろうとしている。めでたくもあり、めでたくもなしか?。いや、やはりめでたいか。




2008年06月25日(水) 梅雨空を眺めて思ったこと。

やっと、今日の仕事をかたづけた。と言うより、打ち切ったという方が正しいか。天気は相変わらずぐずついている。最近、ギンギラと輝く太陽にお目にかかっていない。一日中、黒い雲が空を埋め尽くしている。梅雨だから仕方がないと言えばそれまでだが・・・。

それでも、僕は梅雨時が好きである。なんとなれば、結構、娑婆世界が暇だからである。僕ものんびりと出来る。忙しいのは農家の人たちだろう。梅雨の恵みを受け田んぼには既に水が貼られている。早朝より機械の音がとどろく。ワンマンカーの田植機が、行ったり来たりしながら苗を植えていく。たった一人での作業である。昔の田植えの風景は今いずこ?。

僕も昔、故郷の近くで、いぐさ(畳表の材料)刈りのアルバイトをしたことがある。一家総出で、腰をかがめて、鎌でいぐさを刈り取る。そりゃあーーーきついの、なんのって。刈り取った後は、薬品か何かにつけ込み、足で踏む。その後、道ばたに並べて乾燥させていた。今は乾燥機械があるので、道ばたに干すことはない。くたくたになりながら、毎日アルバイトを終えた。「あーーーあ、労働は辛いぜ」と思ったことよ。

そんな中、楽しみもあった。昼食時に食べた、にぎりめしやスイカの美味しかったこと。労働の後の一杯のビールみたいなものだ。最後に残った一個のスイカに誰も手を出さなかった。すかさず、僕が頂戴した。その時、雇い主のおじさんから、「えらい」と言ってほめられたが、何故ほめられたのか、未だに分からない。確かに最後に残った一個に手も出すのは勇気のいることだろう。皆、遠慮するからだ。思えば当時の僕に遠慮と言う言葉はなかった。むしろ、誰も食べないのなら、僕が頂こうと、単純にに手をつけたまでだ。それが「えらい」とかこれいかに?。

いぐさの後は田植えである。そこまで手伝わないか?と声をかけられたが、さすがの僕も丁重に断った。農家の大変さが身にしみた経験であった。

今、農家は大規模農業としてやっていかないと、個人の零細農業では、とうていやっていけない状況にあると聞いた。高価な農業機械、肥料の高騰、作物のできすぎによる価格の暴落。若い人たちの農業離れ。良い材料は見あたらない。

僕の友人にも農業をやっている者がいる。なんでも、年間に労働するのは三分の一程度という。「えええーーーっ」と僕は目を丸くしたが、それほど機械化が進み、農業も合理的になったわけだ。と同時に、農業だけでは生計の維持が難しくなった。空いた時間を外貨稼ぎと言うことで、パートやらの外の仕事に赴くわけだ。

こういう世の中の仕組みが良いのか悪いのか分からない。ただ、どうであれ、日本は食料自給率が今、40%を割っている。ほとんどを輸入に頼っているわけだ。輸入に依存する体質は良いとは言えないだろう。「親亀こけたら、皆こけた」と言うことに成りかねない。

いずれ、世界的食料附則の時代がやってくると、いろんな 学者が警告している。僕は友人にいつも言っているが、「決して農地を手放してはいけないよ」って。なぜなら、最後に生き残る者は土地を所有している者に違いないと思うからだ。


工業立国日本だが、再び農業立国日本に戻ってもいいのではないかと、時々思うことがある。



2008年06月23日(月) やっと、目覚めた僕。

久々の日記だ。やっと、旅の呪縛から解放された。ここ、数日仕事が手につかないでいた。よくあることだ。特に旅が楽しかったという訳でもない。飲んで寝て、あっちこっち歩き回る。その繰り返しだ。

名所旧跡の地では、どこからやってきたのか観光バスのオンパレード。バスから降りてくるのは、老若男女の老ばかり。さすが、長寿大国の日本。皆、元気だぜ。僕たちが負けそう。

旅先で勉強になることと言えば、学校では教えてくれなかった、その地の歴史を知ることかも知れない。お城の中を見学した。殿様の食事のメニュー。湯殿や、トイレ。女官達の待機場所。台所。なかなか合理的に出来ていて、感心した。昔も今も人間の営みは基本的には同じだから、当然と言えば当然だ。

門前には、その地の名物と称した諸々の土産品が所狭しと置いてある。「買おうか?。買うまいか?。いややはり買おう」と言うことで、店員さんの口車に乗せられて、つい買ってしまう。この辺が義理人情にもろい日本人、他人が買えば自分も欲しくなると言う日本人の特性か?。

というと、僕は外国人みたいに聞こえるが、何を隠そう。僕は先祖がれっきとしたモンゴリアンである。頭の毛が天然パーマだったので、学生時代は嫌だったが、いまはそうではない。天然も結構、かっこいいものだ。

話しが飛んでしまった。ホテルは山の中にあった。宴会ではコンパニオンさんを二名呼んで、踊れや歌えやのどんちゃん騒ぎ。御膳も日頃食べたことのないものばかり。次から次へと運ばれてくる。さすがに全部を平らげるには至らなかった。二時間半ばかりの宴会。長老の閉会の言葉で宴会の幕を閉じた。

仲間達は三々五々と散っていく。祭りの後の寂しさとはこういう状態を言うのだろう。僕ら数名は部屋に戻り飲み直すか、街へ繰り出すか思案した。結局、街へ繰り出すには遠すぎると言うことで、早めの就寝とあいなった。僕は時間が出来たので、当ホテル内のエステを予約した。即オッケーで、いくつかのコースの中から、「インドネシア式マッサージ」を所望した。

揉み手は外国人かな?と思ったが、さにあらず。頑丈な体格の日本人女性だった。一瞬びびった。「はい。全部脱いで、特製のパンツとスカートに着替えて」という。「えええつ、スカート?」と思ったが素直に従った。ベッドにうつぶせになり、ベッドの先端近くに開けられたホールの中に顔を埋めた。アゴがつかえて、やや苦しかったが、我慢、我慢。ホールの薄暗がりの中には、くつろぎを与えるかのごとく、色とりどりの造花があしらえてあった。

魔法の指ならぬ、分厚い指が首、肩、腰と這っていった。なかなか気持ちが良かった。BGMはインドネシアの音楽みたいだった。さもありなん。インドネシア風マッサージだから。足のふくらはぎあたりに指が這った。「痛い」と思えど、我慢。我慢。ほぼ、一時間のコース。大枚をはたいて、ふらふらしながら部屋へ戻った。三人部屋で、既に一人が寝ていて、もう一人はテレビを見ていた。茶を飲みながら二人で話しに興じた。しばらくして寝に着いたが、かえるの合掌ならぬいびきの合掌に、悶々ともだえながら、いつの間にか僕も船をこいだようだ。

そんな夜を二晩も経験すれば、もう充分。やはり、独り寝の子守歌が最高だぜ。どうも、僕は枕が変わると寝付きが悪くなる。てなわけで、つつがなく二泊三日の旅を終えて、無事に帰還したのでありました。僕の為に買ったお土産は一個。わざわざ旅先で買わなくても良かったが、滅多に自分で買い物をしないので良いチャンスだった。買った物は折りたたみ式ハシ。布製の収納袋が付いていて、細ひもでとじる。上着のポケットにポンと収まる。二個持つ携帯電話も男のステータスなら、自分のハシを料理屋やスナックへ持って行き、そのハシを利用するのも男のステータスだ。

昨今、環境問題がクローズアップされている。料理屋の割り箸を使わないのも、環境問題改善へのささやかな行動である。皆が皆、そうすれば、割り箸は将来、死語になるだろう。早くそうなってもいいのではと思う。

とりもなおさず、幾日も「グータラ」としていてはいけない。やっと、今日あたり目覚めた僕でした。





2008年06月15日(日) 旅での予感。

雨の日曜日。僕はなすすべもなく、だらだらと仕事をしている。午後4時から仲間同士の会議。明後日から行く予定になっている国内旅行の最終打ち合わせだ。あまり乗り気ではない。が、いかなくちゃーーーなるまいて。リヤカー^にひかれて、善光寺参りではないが、チャーターしたマイクロバスで行くので世話なしだ。

こんな団体旅行と違って、一人や二人で行く旅も楽しい。旅に出て初めて分かることがある。それは故郷や今住んでいる所の良さをあらためて思い出すことだ。「故郷は遠きにありて思うもの。そして悲しくうたうもの」。まさにしかりである。思わず「おつかさーーーーーん」と叫びたくなる。こういう心境になるのは僕ばかりではないだろう。今回の団体旅行は、故郷を思い出すにはちょっと場所が近すぎるか?。

宴会で歌う歌は、決まって「名残雪」や「コスモス」。調子がよいときは「哀愁のカサブランカ」。「メリジェーン」などがある。後は、野となれ山となれで、何でもオッケー。時季外れだが「きよしこの夜」なんかが飛び出しそう。

宴会の前にちょっと一風呂。神経痛、リュウマチとかに効能があると銘打った名湯につかることになる。大浴場で人がいなければ平泳ぎを披露。とどのように重くなった体はぶくぶくと沈む。必死でかえる泳ぎだ。

一泳ぎの後、ホテル専用のタオルに石けんを付け、鏡とにらめっこしながら体を洗う。時々顔を変形させながら・・・。次に、風前の灯火となった頭髪に、シャンプーをふりかけ、頭を洗おうと思えど、どこまでが顔で、どこからが頭かよく分からない。そんな状態ではシャンプーも泡が立たないから、一旦、洗面器で泡を立て、リサイクルシャンプーで頑張っております。これはかの有名な漫談家、綾小路君麻呂さんの、十八番の弁である。まだ、僕の場合はそこまではいかないが・・・・。

宴が終われば、二次会三次会と外へ出て飲む者もおれば、部屋で談をとる者もいる。僕ら中堅層は、その時に応じて行動している。時間が許せば、僕はマッサージを頼むことが多い。マッサージは旅での最高のご馳走だ。フロントへ予約をしておく。さて、今日の「もみ手はどんな人かしら?」と期待に胸を弾ませて待っていると、ドアを「コンコン」とノックする音が。「はい、どうぞ」と招き入れると、な・な・な・んと、ピチピチギャルのお姉様が。

「どこが一番、凝っていますか」と聞いてくる。「僕は全身です」と応える。「はい。うつぶせになって」と促され、魔法のような、いや、カモシカのような、いやいや、白魚のような指がぐいぐいと、筋肉に食い込む。おっと筋肉ばかりではなかった。脂肪兼筋肉だ。井上陽水さんの「夢の中へ」という歌が脳裏をかすめる。「捜し物は何ですか?。見つけにくいものですか?夢の中へ夢の中へ・・・・・」。思わず睡魔に襲われそうになる頃、「はい。お時間です」と、ウグイスのような声が。僕は「延長だあーーーーー」と、つい、言葉を滑べらせてしまう。

今述べたようなケースはごく、ごく、まれ。普通はそうではない。ドアを開くと、山姥を思わせるような白衣の老女がドアの前に立っている。僕は「あーーーっ」と驚きながら、「どうぞどうぞ」と招き入れる。「ど・こ・が・凝って・い・ま・す・か?」と老女が聞く。「は、はいーー。肩と腰です」と言うと、「う・つ・ぶ・せ・になってください」と言う。「随分凝っていますねーー」。「そ、そ、そうですか?」と、僕はどぎまぎしながら応える。ここまでは、先ほどのパターンとほぼ一緒だ。

もみ慣れた枯れ木のような手が、はずさずツボを押す。「つ・よ・い・で・す・か?」と老女は僕に聞く。「僕は、いいえ、いえ、丁度良いです」と応える。本当はもっと強くがいいのだが、それが言えない。なんだか、ばあやみたいな人に揉んでもらうのに気が引けるのだ。僕の脳細胞は千々に乱れて、一睡も出来ない。「はい。おわりましたよ」と老女が僕に告げる。僕は「ぱっ」と飛び起きて、感謝の念を述べ、送り出す。疲れがどおおおおおつと出てくる。いやはや。だから旅はおもしろいのだ。

今度の旅がどういう状況に出くわすかは分からない。知るは神・仏のみである。









2008年06月14日(土) 地震の脅威。

「地震、雷、火事、親父」とは昔から言われた怖い物の代名詞である。既に僕には親父がいないので親父を怖がる必要はない。ただ、火事は別として、地震と雷、それに台風を加えれば、まさに自然が生み出す三大脅威である。日頃より、これらの予知について、研究がなされているが、まだまだ人間の英知が届かない領域にあるようだ。

先頃の中国での大地震を始め、今日は同じような地震が日本で起きた。ただただ、被災された方々にお見舞いを申し上げます。思えば我が住む地域でも、5〜6年前になるか?、中程度の地震を経験した。生まれてこのかたほとんど経験したことがない地震だったので、その怖かったことは言うまでもない。今日の地震はそれをはるかにしのぐだろう。被害が少なければ良いのだが。

今日はとても、ちゃらんぽらんな日記を書ける状態ではない。静かにペンを置こうと思っている。二時間ばかり考えていた仕事上の問題が先ほど解決した。集中力に欠けると、簡単なことを見落としている。分かってみると、「なああーーーんだそうだったのか」と、苦笑しながら納得だ。

ただ、突如とやってくる天災には、考える時間とてない。一瞬の出来事である。どう対処すべきかがよく分からないが、どんな地域にいても、出来うる備えが肝心かも知れない。

明日がきっと良い日であらんことを願って、今日の幕を下ろそう。





2008年06月12日(木) 現実と夢の狭間。

僕の風邪も風とともに去った。色んな人たちが心配してくれて、幸せだ。たとえ、バーチャルの世界であっても、この画面の向こうには、脈々と息ついて、心臓を鼓動させている人達がいるのだ。ある哲学者が言っていた言葉が面白い。子供がテレビを見ていて、「こちらからは向こうが見えるのに、向こうからはこちらが見えないんだね。可哀想だね」と、言ったそうだ。この言葉の意味するところはとても深いと思う。webの世界はその両極面だ。

僕たちはこの仮想現実感(virtual reality)の中に、どっぷりとつかっている。現実と仮想現実の区別がつかなくなると、事故やトラブルや事件に結びつくこともあるようだ。良しにつけ悪しきにつけ。

とは言え、ある生命学者の方が書いておられた。現実だと思って眺めていている世界でさえ、本当にそれが現実の世界なのかは分からないと。なぜなら、物はすべて原子から出来ていて、形があるように見えてはいるが、それは単に原子の濃淡の違いにしか過ぎないのでは。その濃淡の違いをただ、網膜が物としてとらえているだけだと。こうなってくると、現実と思っているこの現実さえ、バーチャルの世界と同じなのか?。まさに「色即是空、空即是色」、般若心経の世界だ。僕に分かるすべもない。

分からないことを考えるのは止めにしよう。
今日は梅雨の合間に太陽がちらりと顔を覗かせた。良い機会だったので書棚の整理をした。そこで、一冊のファイルに目がとまる。中をめくると、あな、恥ずかしや。10年以上も前に書いた僕のいくつかの詩編がが出てきた。口汚しと備忘のために一遍だけ載せておこう。

   銀河鉄道999によせて。

まだ見ぬ黒髪の少女よ。
君の目にはこの物語がどう映るだろうか?。
僕にはまだ進行形のこの物語が・・・・。
時代遅れのセンチメンタリズムだと、君の瞳は
告げるかも知れない。

テツロウとメーテルよ。
君たちは永遠の命を保証された機械の体を得るための
売買契約を締結したんだね。

メーテルは機械星の王女の娘兼営業担当重役だ。
テツロウよ、君は最初そのことを知らなかっただろう。

メーテルは旅を続けるうちに、君の勇気と正義感。
喜びや悲しみ。愛と涙。友情と別れ。それら人間の持つ
色んな感情について勉強していくんだ。

本来、機械の星には感情なんてないだろうからね。
でも、驚くなかれ。
メーテルは、君と同じ、生身の体を持っていたんだよ。

ただ、機械星の女王である母親の命には絶対服従で
人間らしい感情が心の奥底に閉じこめられていたんだ。
やがてテツロウとメーテルは機械の体に疑問を持つ。
そこから母親との闘いの旅が新たに始まるんだよ。

まだ見ぬ黒髪の少女よ。
この物語が終わったとき、
君の瞳には何が映っているだろうか・・・・?。、
きっと、とめどもなく流す君の涙が僕の脳裏に見えるだろう。

その時、僕は夢から覚めるだろう。
僕の体も生身の体だったんだと、あらためて気付くだろう。
新しい夢を求めて僕は再び旅に出るだろう。


何かよく分からない駄作でした。そろそろ、外出の時間だ。
準備に取りかかろう。








2008年06月09日(月) ドラえもん君の夢。

久しぶりに風邪をひいた。多分、雨に打たれて作業をしたことが影響しているのだろう。蒸し暑いせいもあるが体がホットになっている。ホット、一息つければ良いのだが、貧乏暇なしの体がそれを許さない。熱はなさそうだ。冷や汗が熱を冷ましているのだろう。

こんな 体調不調のなか、ドラえもん君(仕事仲間)が、ひょっこりやってきた。何かと思えば、今秋行く予定になっているベトナム行きの計画書を持参していた。四泊五日の旅である。今のところ、4人ぐらいのメンバーが集まりそうだ。のび太君(仕事仲間)、ドラえもん君(仕事仲間)そして、僕(ジャイアン)、新たにメンバーとなりつつある、ますお君(仕事仲間)の四人である。前回の旅で一緒だった、スネ夫君は何をすねているのか分からないが、一人旅が好きらしい。参加するかどうかは不明である。

誰がベトナムへ行こうと言い出したのか定かではない。何人か寄ったときに旅の話しをしていて、知らず、そうなってしまったようだ。僕がベトナムに興味を持ったことの一つは、「アオザイ」というベトナムの民族衣装、しかも純白の衣装を着た女性をじかに見てみたいと思うからだ。編み笠をかぶっていればなお最高だ。

なんでも、最近は、親子ずれの日本人女性が、この「アオザイ」を求めて旅するツアーも盛んだとか?。残念ながら、むちむちと太り、短足の女性にはこの服は似合わないだろう。やはり、細身の八頭身女性にこそ、この服は相応しい。一度仕立てた「アオザイ」は、太ると着られなくなるそうだ。てなわけで、ほっそりした体格をもつことがベトナム女性の風潮となっているそうな。

もう一つ、ベトナムのことを語るとき、ベトナム戦争のことを忘れてはならないだろう。つい先日ラジオで、偶然、ベトナムに従軍したアメリカ人兵士と結婚された日本人女性の話しを聞いた。その女性は団塊世代の人で、今は、作家活動の傍ら、初めての映画を製作されたそうだ。なんでも、夫であるアメリカ人男性を病気で亡くされた。原因は「枯れ葉剤」を大量に浴びたことが一つの要因らしい。アメリカ人のみならず、ベトナムでも今なお、枯れ葉剤の後遺症に悩まされている人々がたくさんいると言っていた。何度もベトナムへ取材に行き、戦争の悲惨さ、人間の尊厳とは何なのか?と言ったことをモチーフにドキュメンタリーの映画を作られたようだ。チャンスがあればその映画を見てみたいと思う。

ドラえもん君と旅の話しをひとしきり行い、次なる話題は「古民家」の話しになった。ドラえもん君は古民家を手に入れたいと思っているようだ。つい先日、売りに出ている古民家をのび太君が紹介した。建屋は良かったが敷地が狭く、いまいちだったようだ。何でも建屋の背後には10,000平方メートルの山林があり、それも建屋と共に売却したいと所有者は考えているらしい。まずは値段が折り合わないこと、敷地がこれ以上広げられそうにないこと、山林の管理が大変なこと等、条件が整わなかった。僕は冷やかしに「山林からタケノコを掘り出し、捌いたら結構な軍資金になるぜ」と言ったが、どうもそれは絵に描いた餅のようらしい。

ドラえもん君が「古民家」を欲しいと思ったには理由がある。要するに、生きているうちに、何か社会貢献をと考えているようだ。具体的には分からないが、たとえば、不登校の子や、人生に夢を抱けない子らや、身体が不自由な子らや、そんな諸々の子らが、生きることに価値を見いだし、大人になって再び社会貢献できるような人材を育てたいと思っているようだ。そのために「古民家」を施設というか、メイン本拠地とすることが一番良いと考えているわけだ。確かに、僕も同感である。人間は、私利私欲のみで生きるのではなく、何かしら社会に貢献して生きてこそ、生き甲斐感もあり、人生本望のような気がする。

思えば僕も以前の日記に書いたことがある。ドラえもん君の考えるような社会貢献ではない。全くの私利私欲から出た発想である。古民家ではないが、人里離れた山奥に丸太小屋をこしらえる。「あなたとならどこまでも」というような女性と二人で生涯をそこで過ごす。欲を言えば999のメーテルを彷彿とさせるような女性と一緒だ。小屋の前には川があり、晴耕雨読、つり等で生活を支える。世間の束縛や、しがらみから逃れた隠遁生活みたいだが、昔はそういう生活もいいものに違いないと思っていた。ただ、山奥での一人暮らしとなったら、三日も持たないだろう。一目散に山を駆け下りて、「ネオン街」にたどり着く。そして思うだろう。ここが 俺の生きる娑婆世界なのかも知れないって。

今考えると、「この、あほんだらが。ふーけもんが。あんぽんたんが」ということになるか?。叶わぬ夢は「バク」に食べさせておこう。今は、実現可能かも知れないドラえもん君の夢に、出来る協力を惜しまないつもりでいる。僕も何か社会に貢献できる道を模索しなくてはなるまいて。





2008年06月06日(金) 六月の空が始まった。

六月の空は悲しくもあり、楽しくもあり。悲しいことと言えば、先日、隣家で火事があったことだ。隣家といっても、川向こうの一軒家で距離がはなれている。我が家にも近隣にも被害はなかった。ただ、燃えさかる炎には、さながらにして恐怖を覚えた。以前にもそれらしきことを述べたが、天災であれ、人災であれ、人間の営みは、この大自然の中では、いかにちっぽけな存在なのかと、あらためて思った。どう、もがいても個人の力ではなすすべもない。抵抗できないのだ。5〜6台の消防車が駆けつけ、数時間後に鎮火した。怪我等無かったことが幸いである。

悲しい話しはこれくらいにして、楽しい話しを書こう。6月1日は、午前中の仕事を終えて、故郷へ飛んだ。10年ぶりの同級会である。行こうか、行くまいかと迷ったが、結局、行くことにした。午後1時開催だったが、僕は1時間遅れでに到着。母の所で、荷物を下ろし、会場へと赴いた。

来賓である5人の先生達の挨拶があったのだろう。会場の同級生達は、まだ、借りてきた猫みたいで、気勢をあげている者はいなかった。大広間に約80名の級友達がお膳を前に坐っていた。

僕は頭をかきかき、末席の方へ着座。一瞬、皆の視線を浴びた。笑いでごまかしながら、周囲を眺めた。知らぬ存ぜずの人たちばかり。見たような顔でも名前が出てこない。それもそうだよなーーーー。何十年ぶりに再会した人たちも多々いたから、当然と言えば当然だ。

僕は例によって、ビールでのどを潤し、焼酎へと切り替えた。口をつけたとたんに各自の自己紹介が始まった。それぞれ立ち上がりマイクを持ってしゃべり始めた。僕は最後から2番目だった。「へえーーーつ、ほうーーー、あははは・・・」とかの言葉が飛びかい、拍手で次の者へバトンタッチ。

皆の挨拶を聞きながら感じたことがある。とにかく、皆、挨拶というか自己紹介が上手である。「あのガキ大将が、あんなに堂々と立派な言葉をしゃべるなんて、これ如何に?」と、我が耳を疑った。「時は人を変える」と言うが。まさに皆、成長し、アリストテレスの言う、「社会的動物」となったわけだ。
社会的動物となれば、子供のままと言うわけにもいくまい。

マイクがどんどん、僕の近くへやってくる。クライアントとの会話には慣れているが、自己紹介となると、僕は不得手である。いつも「三枚目となり笑いを誘わなくちゃと」と気負ってしまう。それで、失敗するわけだ。人には平常心、平常心と豪語している自分が恥ずかしくさえある。まあ、這々の体でその場をしのいだ。

宴も佳境に入り、僕は、デジカメを片手にあちこちの席へと足を運んだ。懐かしき会話をひとしきり行い、デジカメでパチリと記念撮影。おおよそ、70〜80枚くらいは撮っただろう。家へ帰り、パソコンへ 取り込んだ。一人一人の顔をアップにして、びっくり仰天。「おじん、おばん、枯れ男、山姥」のオンパレード。時はかくも人を変えてしまうものかと驚きつつ、級友に撮ってもらったわが写真を拝見。「あっと、驚く為五郎」ではないが、人様のことばかりは言えないものよ。僕の写真は即、消去処分となった。

会場の借り時間は1時から5時まで。佳境を過ぎ、皆、だらりとなった頃、カラオケタイム。ここまで来ると自己顕示欲の強い僕は、戦陣を切って演台に立った。数少ないレパートリーの中から、日頃鍛えた歌を披露した。いわずもがな、かの名曲、柏原芳恵さんの、「春なのに」である。同級会にはまさに相応しい歌だ。幾分か時季外れではあるが・・・・。

皆のお涙頂戴と情感を込めておらんだが、誰あーーーれも聞いている気配がない。しゃべりに興じているのだ。「これじゃーーーBGMだぜ」と、思ったが、娑婆世界というものはそういうものだ。天動説のごとく、僕を中心にして世の中が動いているわけではない。皆がそれぞれに動いているわけだ。幾ばくかの拍手があり、僕は演台を降りた。その後、何人も級友達が歌ったが、確かに僕も聞いていなかった。これはこれでいいわけだ。

紙面が長くなった、この続きは次回に。とりもなおさず、母と再会し翌日の半日を一緒に過ごせたことが良かった。故郷を立つときはいつも後ろ髪を引かれる。ただただ、母に偉大さに頭が下がる思いだ。






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