umityanの日記
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2008年02月29日(金) パーティーの結末。

今日で2月も終わり。あっという間のひと月だった。今日、仕事仲間の先輩が、携帯電話のディスプレーを見ながら、日付がちゃんと、29日になっていると言った。機械が閏年を掌握しているわけだ。「最新兵器ですねーー」と笑ったことだ。ところで、僕の携帯電話はどうかな?と画面をのぞき込んだ。残念ながら、日付は出ていない。まさか?。僕の携帯も薄型の新兵器のはずだが?と、カレンダーを表示してみると、29日がある。別の色彩でポイントしてあった。ほっと、胸をなで下ろす。よく考えてみると、閏年はちゃんとその年としてプログラミングされているわけだ。じゃあないと、カレンダー表示の意味がない。

たわいもないことを書いたのは、最近は文明の利器に毒されていて、ちょっとしたことに気がつかないまま、日々をすごしている自分に気がついたからである。五欲(金銭欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲)だけが、僕の関心事になってしまったのか?と、やや気が引けた。何にでも興味と疑問を持つ子供達のような心を、いつまでも持ちたいものである。

ところで、先般、「パーティーの行方」という備忘録を書いたが、その結末を記していなかった。結論から言えば、「事もなく楽しい時が流れた」と言うことになるか。会場には40名近くの招待客が来ていた。友人の「いーちゃん」は30分ばかり遅れるという。受付をするには時間が早かったので、ロビーの椅子に腰掛けていると、顔見知りの一見客がやってきた。

いろいろと話しをしていると、その彼が僕に聞いてきた。「こんなパーティーの場合、いくらぐらい包むんですかネー」と。僕もよくは分からない。付き合いの程度にもよるだろう。表現が良くないが、僕は「まああーーー最低でも片手ぐらいでしょうね?」と言った。片手とは指一本を千円とすれば、5千円のことである。僕はその片手分を包んでいた。彼は、別の友人からもそう聞いたという。ただ、この立派な会場と料理の事を考えると、五本では少ないかなーーと、両手にしたと彼は言う。

僕も「そう言われればそうかなーーー」と、そく、封筒の中味を両手に切りかえた。「いーちゃん」には片手と言ってある。それはそれでいいわけだ。
ほどよい頃、受付に向かった。和服姿のママと、着飾ったカウンターレディー達の挨拶を受けた。なるほど、「孫にも衣装か?」と、僕の目は十円玉みたいにまん丸になった。ママは美容院へ行ったらしく、ヘアーを結い、フランダースの犬を連れた貴婦人から、マダムへと変身していた。

五・六人掛けの適当な丸テーブルに坐った。顔見知りや知らない人たちが同席になった。各テーブルにサービス係として、カウンターレディー達が一人ずつ、配置されていた。な・なんと、僕のテーブルには、以前、和服の着こなしが悪いと言って、こてんぱにけなしたレディーが着任した。その日も和服姿だった。僕は、どぎまぎしながら、話しかけた。「今日はきれいですよーー」と。彼女はにっこりと笑って、「そうですか」と言い。乾杯のビールをコップに注いでくれた。当然、僕は注ぎ返した。カンニング帳を見ながら、ママの挨拶があり、その後にVIPらしき招待客の挨拶が続いた。乾杯にいたるまでの時間も15分程度で、スムーズな開宴となった。

僕の禊ぎもこれで終わったんだと、後はピーチクパーチクと、ダベリあかした。頃もよく、「いーちゃん」がやってきた。駆けつけ三杯で、彼はビールを飲み干した。その後はお互いに芋焼酎で数杯のお代わりだ。料理はそこそこ、おいしかった。余興として、カウンターレディー達が、羽を広げた天使の姿に仮装し、コーラスを披露した。照れがあった為か、歌はばらばらだったが、素人ぽさが、結構うけた。2時間ばかりが過ぎて、終宴間近な頃、急に僕の名前が呼ばれた。何事かと思えば、一言挨拶して欲しいとの要請。原稿の用意もなく、僕は辞退したかったが、やむにやまれず、演台へ・・・・。

予想外の出来事で、僕は一瞬、何をしゃべろうかと迷ったが、お目でとうございますの後、ママと、カウンターレディー達の純粋な人柄について述べたように思う。とっちゃん坊や達は、「純粋」という言葉に弱いんだよなーー。僕も名前の一字が純でありますが、あにはからんや、今はすっかり「不純」でありますと言った言葉が、挨拶の落ちとなった。幾ばくかの笑いを誘えたから、それで良かったのだろう。二次会、三次会は、「いーちゃん」と、どこを彷徨ったのか、定かには覚えていない。

取りも直さず、僕の禊ぎは終わった。僕はそう言い聞かせているが、TPO
と言うこともある。パーティーの席だ。彼女もそれを意識していたのかも知れない。女心は秋の空と言うから、これからS先の事は分からない。以後、僕は言動注意、品行方正で行かなくてはなるまい。







2008年02月22日(金) パーティーの行方。

今日は花の金曜日。朝はやや寒かったが、今の時間は暖房なしでも大丈夫だ。先ほど一仕事を終え、朝食兼昼食を済ませた。午後からちょっくら外出だ。仕事をいくつか抱えているので、のんびりは出来ない。早々に帰還し、机に向かわなくてはならない。

そう言いながらも、明日は夕方6時からパーティーがある。相棒の「いーちゃん」と行く予定になっている。パーティーとは、さるスナック店のママさんの店舗開店15周年記念のお祝いごとである。とりあえず、一区切りというところか?さらなる発展を那賀って、一言、おめでとうございます。

僕がつけたママさんのニックネーは「フランダースの犬を連れたご婦人」である。時々、「フランダースの犬」と呼び捨てにすることがあるが、是も愛嬌だ。頭の毛は、ふわふわとした茶髪系で、やや丸顔。あたかもスイスの牧歌的な貴婦人を思わせるような・・・・・?。ちょっと、ほめすぎか?。そんなイメージから、フランダースの犬を連想したわけだが、この連想もはちゃめちゃかもしれない。

このスナックの人気の秘密は、ママの人柄とそこに勤めるカウンターレディーの個性豊かな美しさにあるのだろう。カウンターレディー達は皆、大学の美術専攻の女性ばかりで、数名が日替わりで勤務している。油絵、水彩、彫塑、日本画、染色等、バリエーション豊だ。

人間は自分に無いものを求めたがるというが、僕もその一人。美術には興味があっても、みずから手を染めたのは、高校時代のみ。成績も悪かった。おのずと離れていった。ただ、高校時代のクラスメートに画家がいる。あまりにも、親しく、いつも彼の作品をけなしているが、それでもようしたものだ。彼の作品を数点購入している。彼は水彩が専門だ。いやがおうでも、壁に掲げられた彼の絵を毎日見る。見るたびに彼の事を思い出すから、これも友だからこそである。

カウンターレディー達と話していて思うことは、彼女たちが皆、すこぶる「純粋」なことであることだ。おまけと言ってはなんだが、皆、かわいく、目が輝いている。純粋であると同時に、この目の輝きが一番大事なのかもしれない。はからずも、僕の名前の一部にも「純」という字が入っている。父は僕が純粋に育つようにこの名前をつけてくれたのだろう。なのに、今の僕は「不純」という字が相応しいかもしれない。目がどんよりと濁っている。最悪だぜ。

そんな最悪な自分を払拭すべく、僕はこの店へ、思い出したように通っているのかも知れない。又、僕は結構、「おねだり上手」だ。彼女たちに、卒業までに僕に作品を一品、ちょうだいと拝み倒している。彼女たちは困ったような顔をしていたが、どうやら、その願いは聞き届けられそうだ。ま、もらってみないと分からないが・・・・。こんな図々しさが、僕の目を濁らせているのかも知れない。

それはそうと、正月過ぎた頃、僕は大失態をしてしまった。彫塑を専攻し、卒業後は高校の非常勤講師をしている女性がカウンターに入った。その彼女が正月の頃、和服姿で登場した。過去、数回、和服姿を見たことがあったが、お世辞でも着こなしがうまくない。ほろ酔い加減だった僕は、そんな彼女の着こなしをけなしてしまった。言わなければいいものを、思わず口が滑ってしまった。彼女は怒る様子もなく、「どんどん言って」という。僕は調子に乗って、更に、かなりきついことを言ったようだ。一度、メールで謝りの言葉を述べたが、返事は返ってこない。当然と言えば当然か?。彼女のカウンター友達が僕に曰く。「仕返しが怖いわよ・・・・・」と、忠告された。今のところ、その仕返しを受けていないが、ひょっとしたら、明日のお祝いパーティーで、逆襲を受けるかも知れない。あるいはその反対かも・・・・?。かえって、感謝されたりして・・・。うんんん、そのくらい彼女の度量が大きければいいのだが。でたとこ勝負だ。

おっと、一時になった。今から外出。今日は仕事に専念しよう。



2008年02月20日(水) 結婚の6条件。

二月は逃げる月。早、20日になった。今年は閏年だから一日だけ得か?。
世の中を見回すと、なぜか閉塞感だけがただよっている。目に見えぬ増税の嵐がひしひしと迫っている。国会は何をやっているのか先が見えない。環境の変化についていけない人々は、皆、神経がピリピリしている。今は良い世の中なんだろうか?。

ただ、ちょっとほほえましいニュースがあった。あのミッキー・カーチスさんが、33才年下の女性と結婚するそうな。まさに、親と子。親と娘。率直な感想は「いいじゃあなーーい」である。昔は人生50年。今は人生80年。人生が長くなればなるほど、恋する時間、愛する時間も長くなって当然。年齢の差なんて問題ではない。要するに子孫を残したければ、若いときに結婚すればよいし、人生を楽しみたければ、どんな遅くに結婚しようと関係ない。

そう言えば昔、扇谷正造さんという人が「朝のこない夜はない」という本で、結婚の6条件というのを書いていた。一にピカピカ、二に健康、三に料理、四、五がなくて、六に十人並み。これを読んだ時、「なるほど」と思った。一のピカピカは、何か感じあうもの、お互いに通じ合うものということらしい。要するに、相性や縁みたいなものだろう。健康は体のみならず、心も同じである。料理・・・・。これは意外と大事なことかも。料理の下手な女性をもらった男は一生の不幸とまで言われたことがある。

四と五がないところが味噌。適当に考えれば良いのだろう。六番目の十人並み。十人並みかどうかの判断は個々の判断である。「田で食う虫も好きずき」と言うから、一概には言えない。要するに平均的な人と言うべきか?。最近の女性は皆、きれいになった。十人並みの判断がしがたい。これも、「しわ防止器」や、「美容整形」のたまものなのか?。美しいことは罪ではないが、皆が皆、「のっぺらぼうや能面」みたいな顔に見え、思わずたじろぐことがある。あんまり書くと「自分を何様と思っているの?」と言われそうなので、止めておこう。

今、述べたことは男性から見た女性像である。女性から見た男性像は、一番、二番は同じで、三番目に男らしさ、四・五がなくて、六番目には、「まァまァ」と言うことらしい。「男らしさ」の定義と「まァまァ」の定義は難しいところだ。それぞれの判断に任せるしかない。昔の侍のように、「何はなくとも爪楊枝」というわけにもいくまい。

また、ひところ、「三高」という言葉がはやった。「高学歴、給料が高い、背が高い」ということらしい。女性の結婚相手としては、表向きは理想的だろう。これに、「思いやり、優しさ」が伴っていれば、超最高って事だろうが、世の中はそんなに甘くはない。欲もほどほどにせにゃあなるまいて・・・。

「ほどほど」で思い出したが、時々「枯れた夫婦」という言葉を耳にする。確かに年老いてくると、お互いに枯れてはくる。そんな夫婦像とはどんなものだろう?。僕はまだ枯れていないので、定かには分からないが、「ほどほどの夫婦」ということか?。別の言葉で言えば、「つかず離れずの夫婦」。いわば宗教みたいなものだ。深く埋没もせず、かといって信仰からはなれずもせず。いい加減なやつと思われそうだが、「つかず離れず」の状態が、自己を顧み、自己を検索するにはお互いに一番良い。「男よ書斎を持て」というのも、その範疇にはいるだろう。女性はおこたで毛糸編み。ちょっと、発想が古いか?。「スープの冷めない距離」という言葉もあるが、夫婦もそのくらいの距離を置いても良いのではないか?。「枯れた夫婦」とは、互いに深く干渉はしないが、心がどこかでつながっている夫婦ということなのかもしれない。

とにもかくも、僕はミッキーさんではないが、80才までは恋に生きる男でありたいと、日々研鑽に勤めている今日この頃でございます。おっと、仕事に行かなくちゃ。あぐらをかいている場合ではなかった。






2008年02月16日(土) 同窓会続編。

同窓会の続編を書こうと思っていたが、どんどん日延べになってしまった。今更という気持ちもあるが、やはり少し書いておこう。友人の車が僕をホテルの玄関まで運んだ。ここで友人としばしの別れだ。時間の都合がつけば帰りも送ってくれることになっている。、僕は会場の扉をたたいた。まだ十分に人が集まっていないため、10分程度始まりが遅れた。既に予約済みのテーブルへ足を運ぶと、毎年顔を合わせる同級生達が数名、陣取っていた。女房と別れた歯医者の○○君もいた。彼はまさに同級生。女房と別れた後に、つきあい始めた彼女の話を聞いてみた。まだつながっている由。すでに、仕込み済みとあらば、それもうなずける。ただ、結婚に至るかどうかは分からないとの事だ。

どうも、テーブルは卒業年度ごとに分けてあるようだ。先輩諸氏が多いため、僕たちは末席近くのテーブル。例によって、たわいもない話しに興じていると、司会から開始の弁があった。なんと、司会は僕たちの同級生で、さる放送局に勤めている○○君だ。さすがに話術はたくみだ。高校時代はクラスが一緒になることはなかったが、なかなかの美男子で、女性にもてた。僕は指をくわえながら、嫉妬の炎をめらめらと燃やしていたような・・・・そんな気がする。

100名ちょっとの出席があったようだ。僕たちは「乾杯の音頭」を今や遅しと待っていた。その期待とは裏腹に、同窓会会長の話し、かけつけた現校長の話来賓の話が延々と続く。結婚式でも、せいぜい30分が限度だ。こともあろうに、乾杯に至るまで1時間ちょっとの長丁場だった。よほど皆、スピーチが好きと見える。乾杯の音頭で指名された先輩女史は、グラスを持ったまま、またまた話し出す。しびれをきらした同窓生が、「話しはもういいよ」と、怒ったように声をかけた。決まり悪そうに先輩女史は「乾杯」と告げた。気の毒だったが、やれやれだ。

思えば、毎年する同窓会って、結構マンネリ化する。何か、際だったも催しでもすれば、たくさん人があつまるのだが、先立つものは金だ。少ない予算ではそれも叶わじ。近年は出席者が減っているという。又、毎年顔を合わせると、懐かしみも薄らいでいく。どうしてもマンネリ化は否めない。

それでも、思わぬ発見というか、出会いがあるものだ。なんと、なんと、小・中・癲β腓泙如一緒の先輩がいた。年は4つばかり上なので、ほとんど知らなかったが、僕の名簿を見て、テーブルへやってきた。話しを聞いてみると。家も僕の実家からさほど遠くはない。母に電話したら、さすがに母は知っていた。名刺を交換した。僕の住む地へ来たときは電話するとのこと。機会があれば一献傾けたいと思っている。

司会の○○君も大役を終え、僕たちのテーブルへやってきた。慰労の弁を述べ、僕たちはめいめいに飲み始めた。焼酎を数杯おかわりした。この程度では、酔うに至らず。だべりに夢中になっていると、回転式丸テーブルの料理がことごとく無くなっていた。ほとんど食べずじまいだったが、まああいいか。

2時間ばかりの懇談の後、閉会となった。閉会の弁は、なんと、級友で、歯科医の○○君が告げることになっていた。僕も同じ穴の狢だが、人は皆、現金な者だ。だあれも、閉会の弁を聞いていない。わいわいがやがやで、何を言っているのか全く聞き取れなかった。万歳だけは勢いで皆、手をあげていたが・・。

僕たち同級生5名は二次会、三次会、四次会まで足を運んだ。意外にも、僕は酩酊していなかった。焼酎を薄く飲んだのが良かったのだろう。久しぶりに来た都会の夜は、人・人でごった返していた。さすがに眠らない町だ。道行く若い女性達は皆、きれいだった。「田舎とはファッションが違うぜーーー」と思わず見とれてしまう。もちろん、大山姥、中山姥、小山姥みたいな人たちもいたが、総じて洗練されているように見えた。

時が流れたのだ。都会は僕が住む場所ではないと思った。僕には田んぼに囲まれた一軒家がお似合いである。同級生達と別れて、僕は友人が送ってくれるか笋燃稜АMЭ佑魯優奪肇フェーで遊んでいたらしい。友人の妻を迎えに行き、雪もふりそうな山道を走り、午前3時頃、我が家へ到着。固く閉ざされた門を合い鍵でこじ開け、見事ベッドイン。朝はさすがに、早く起きれじ。お天道様がまぶしかった。かくして、僕の同窓会は終わった。


2008年02月11日(月) 今年初めての同窓会(1)

日記を書くのも久しぶりだ。今、ひとりぼっちでくつろいでいる。こんな日もたまにある。誰からも邪魔されず、僕だけに与えられた時間。寂しくもあるが嬉しい。「有効に使わなくちゃ」と思えど、いつも頭の中が混乱する。何かをやり出したら、他のことが気になり、そちらに手を染める。かくして、次から次へとやることが移っていく。どれもこれも中途半端に終わる。結局はまた振り出しへ戻る。「有効に時間を使おう」という焦りが、この結果を生み出しているのかもしれない。自己反省するだけの心のゆとりがあるから、まああいいか?。

先週の土曜日は、高校の同窓生があった。近郊都市に住む仲間達が集まって、飲みながら歓談するといおう定番の催し。同級の友人から誘われていたので、赴くことにした。夕方4時からの集まり。午前中に仕事を二件片つけた。思わぬ小遣いが出来て、僕の顔はにんまり。主を失って寂しそうにしていたスーツに手を通した。ぴったりだ。決まった姿を鏡に映して、「にこっ」と笑ってみた。「うんんん、まだ十分いけるぜ」。誰も言ってくれないので自ら納得だ。どうも、僕にはナルシストの傾向があるようだ。

乗り慣れていない電車で行こうと思っていたら、別の友人が送ってくれることになった。その友人の妻は今から行く都会で仕事をしている。週に1〜2回、友人は送り迎えをしているとのこと。今や妻が稼ぎ手だ。というのも、その友人は一年前、交通事故に遭い、未だ、完全に治癒せず。農業の傍ら、ぶらぶらしている。暇をもてあましているわけだ。

妻は中国上海生まれ。日本に来て7年。なかなかの美人である。このたび永住許可が下りた。となれば、友人がアッシーとなるのもうなずける。うだつのあがらない亭主は、いつ、離婚されて、置いてきぼりを食らうかも分からない。それを危惧しているわけだ。

他人の僕からみると、その心配はなさそうだ。と言うのも、気は強いが、優しい心の持ち主で働き者。中国の大河歴史ドラマに出てくる女性を彷彿とさせる。身持ちが堅く、愛した男の為ならば、少々うだつが上がらなくても、支えとなって一生を添い遂げる。僕も女性とはそうであって欲しいと、日頃から思っている。これは男の論理かも知れない。男にもやはり、そうされるだけの美点というものが必要だろう。

話しが脱線するが、僕は中国の大河歴史ドラマが、すこぶる好きである。それにはいくつか理由がある。舞台は権謀術数渦巻く戦乱の世の中。権力闘争に翻弄されながらも、愛を培っていこうとする男と女。僕は男だから男には興味がない。ヒロインとなる女性達に目が釘付けとなる。あまりにも美しい。「美しいことは罪なのか?」と、思わず問いたくなる。

幾重にも羽織った色とりどりのシルクのレース???。じゃああ−−なかった。シルクの衣。頭は美しく結われており、高価そうなかんざしで止めてある。ロングの耳飾り。ロングドレスが地面をはう。時折、拳法を繰り出しながら、悪人達と戦う姿はまさに天女。いかでか興味を持たざらん。

日本人的発想から、あえて美女達の欠点を述べれば、めっぽう気が強いことだ。物事をはっきりと述べる。気に入らないと「ふん」と言って顔を背ける。どうも、僕の苦手とする側面である。小心者の僕はただ、たじたじとして、後ずさりをするのがおちだ。とは言え、「あばたもえくぼ」という。惚れた男にはこれも美点と思えるに違いない。

脱線話が長すぎた。いまだ、同窓会場にたどり着かない。僕も心は今、ティータイムを要求している。同窓会の話しは後日に回そう。






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