umityanの日記
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2004年07月31日(土) 蝉が鳴きいそいでいる。

蝉が鳴きいそいでいる。

台風が近ずいている。今の季節なら、そう、珍しくもないが、今度の台風はいつものやつとは、ちょっと違うようだ。本来、南方で発生し、北上するケースが多かったように思うが、今度は北上ではなく、真西の方向へ進んでいる。日本列島を縦断ではなくて、横断しようというわけだ。

今まで、当地は、直撃を、ことごとく交わし、「よっしゃーーー」と、安堵の息を吸ってきたが、今度はそうも行かない様子。困ったぜ。

やはり、まれに見る異常気象のせいなんだろうか?。書斎からみえる庭では、例年より早く、「蝉」が、何事もないかのように、合唱をやっている。

嵐の前に、蝉も鳴き急いでいるのだろうか?。

世間では、政界が揺れ、健康食品、ダイエット関連の商戦で揺れている。スポーツ界は、オリンピックという祭典の到来をやきもきしながら待っている。いつもと変わらない風景といえば風景だ。

ただ、どことなく、平和ボケした国民が、右往左往しているように見える今日この頃、これでいいのだろうか?と、自問自答している。僕も同じ穴のむじなであることに変わりはないのだが・・・・。







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2004年07月25日(日) もう僕にはない夏休み。

もう僕にはない夏休み。
at 2004 07/25 09:51 編集

海の日がおわり、学校は夏休みに突入した。少子化のなかで、子ども達は何をして、夏休みを消化するるのだろうか?。とんと、見えない。恐らくは、塾通い、補習、インターネット、ゲーム、時たまの外出等で、せわしく過ごしていることだろう?。父親のわずかな休暇を利用した、盆等の里帰りに同行することもあるだろう。昔ながらに変わらぬ風景といいたいが、実態はかなり変化しているように見える。

僕の場合は、夏休みのほとんどが、外での遊びだった。家にいても、何もする事がなかったからだ。草野球、海水浴、ちゃんばら、缶けり、野山の散策。肝試し等、日々が遊びの連続。合間に、ちょっくらと、嫌な勉強。なんとか、乗り切れてきた。
まず、変わったのは、遊びの種類かもしれない。

時代の変化と共に、いろいろと変わっていくことは仕方がない。
ただ、ゲームセンターやパソコンを使って高度なゲームに興じるのは、僕にいわせれば遊びの範疇に入らない。むしろ、勉強の連続みたいで、かえって、ストレスがたまる。本人は気ずいていないかもしれないが。

やはり、野や山を駆けてこそ、ストレスのない遊びといえる。都会のコンクリートジャングルにあっては、まず、土がない。思いっきり遊べる野山がない。コンクリートには温かみがないが、土や森には、それがたっぷりあるのだ。
ここが一番大きな問題だろう。

最近、都会の喧騒を離れて、田舎に移り住む家族や人が増えているという。空気も旨いが、なによりも、土や森があるのだ。きれいな小川もある。土をちょっと、ほじると、色んな生物がごそごそとうごめいている。新しい発見と同時に、小さな虫達の生命力に驚かざるを得ない。知らず、生命の尊さを学ぶわけだ。これこそ、本当の生きた勉強ということになる。

生きた勉強を教えるのは、学校の先生のみならず、親の努めである。そつなく、子どもを育てたつもりが、子どもは頭でっかちの遊びを知らない子ども達。親も遊びを知らず、子ども時代をすごしたのだろう。その反動かどうか分からないが、中高年の皆様は、今はヨン様に夢中。結構なことである。

自分のことを棚にあげて、批判的なことを書くことをよしとしない。ただ、僕が一番言いたいことは、「子ども達よ大いに遊びなはれ」ということである。もう、二度と同じ日々は戻ってこないのだから・・・・。
かくて、よき社会の牽引者となるのは、この遊びを充分に満喫してきた人であるような気がする。

遊ぼうにも、すでに、僕には夏休みがないが。悲しいぜ・・・・・・・。


2004年07月23日(金) ヨンさまにあやかって、僕も○○様と言ってもらいたぜ。

ヨンさまにあやかって、僕も○○様と言ってもらいたぜ。
at 2004 07/23 18:23 編集

連日の猛暑。本当に嫌になってしまう。やはり、大規模な異常気象なんだろう。先日、興味深い天気解説をやっていた。何でも、西日本で局地的に発生した、竜巻や大雨、台風が治まり、西日本は猛暑に突入。北と南の高気圧にはさまれた、梅雨前線は、身動きがとれず、東日本や東北地方が大雨にさらされた。やがて、西日本の猛暑が解消するころに、今度は東日本や、東北地方に猛暑がやってくるという。何だかよく分からないが、一体、地球の気象はどうなっているのか?。ただただ、お天気様のご機嫌を伺うしか術がないようだ。

○○様といえば、最近、ヨン様という、韓国の俳優さんが、すこぶるもてもてのようだ。「冬のそなた」か。一度も見たことがないが、純愛を描いたものらしい。その主役となれば、あこがれのシンボルとなるのも、うなずける。小泉首相もヨン様にあやかって、純様と言ってもらいたいそうな。いやはや、天気のみならず、人間様の熱狂振りも異常みたいだ。

そういえば、僕も若い頃、「24の瞳」、「愛と死をみつめて」とか、「ラブストーリー」なんかの、映画を見て、少なからず感動の涙を流したものだ。はたまた、同世代の女性シンガーや、女優さんにあこがれたものだ。
まあ、尻を追っかけるほどのマニアではなかったが。

おっと、のりちゃんからの電話だ。またもや、僕たちは異常接近することになtるのか?。それにしても、僕たちは気が合うものよ。








2004年07月22日(木) 女性の露出度


女性の露出度
at 2004 07/22 13:22 編集

最近、妙に気になることがある。何かといえば、女性の肌の露出度である。テレビを見ても、町を歩いても、下着か上着か分からないような服装で、若い女性が登場し、かっ歩している。時代の変化、世の中の流れといって、片つけてしまうのは簡単だが、どうも、僕にとっては不思議で仕方がない。隠せば、もっと、美しく見えるのにとか、思ってしまう。

「女性の奥ゆかしさ、つつましさはどこへ行った」と、声を荒げると、返ってくる言葉はこうだ。「おっちゃんよ、あんた昔の遺物かあ?。よけいなこと気にすんなよ。本当は、目の保養になってうれしんと違うか?」。ご・も・っ・と・も・で・すーーー・・・・・。

うんんんん、ここで、同意ばかりはしておられない。若い女性ならまだしも、すっかり中高年の女性まで、二の腕をぶらぶらさせながら、ブランドに身をつつみ、自慢げな表情で、町を歩いている様は、なんともいただけない。

綾小路君麻呂さんが、中高年の男女をターゲットに漫談をやっているが、ただ、笑い転げるばかりで、誰一人、自分のことではなくて、他人のことだと思い込んでいるようだ。いやはや日本人は幸せな国民だ。

そういう僕も車の中で、綾小路さんのCDを聞きながら、笑い転げて、目を閉じてしまうから、横に座っていた、のりちゃん先生に、「危ない」といって、何度もとがめられた。僕も同じ穴のむじなかもしれない。が、少なからず、胸にぐさりときていることもあるのだ。

確かに、この暑さでは、誰もが、裸になり、涼を求めたくなる。若い女性は、特に、自分のピチピチした肌と、豊満な胸を露出して、「私はこんなに美しいのよ」と、自信アピールをしたいのだろう。ただ、周りが皆、露出を強調した女性ばかりだと、なんとなく、飽きちゃうというか、同じ物体に見えて、色気どころか、もう、鏡餅はおなか一杯いう気持ちになる。

「別に、あんたに見せているわけではない。見なければ見ないでいいじゃない」と、言われそう。ごもっともですーーーーーー。

使いふるされた言葉でいうと、要するに価値観の相違。価値観の多様化ということに尽きるのだろう。かまわないでほしいということだろう。

僕はやはり、袖つきの清潔なシャツに、スカートなりをはいた、シンプルでオーソドックスな服装が一番、好感が持てる。

またまた、「あんたの求めているのは、麦畑という歌に出てくる、およねさんタイプじゃなかっぺ」と言われそう。
僕は言ってやるね。「そうだっぺよ」とね。

おっと、午後の労働タイムに突入した。
こんもまま書いていると、際限がない。ここいらでお開きにしよう。
ところで、僕は何を言いたいんだったっけ?。



2004年07月21日(水) これ、ラブレターかなああ?

これ、ラブレターかなああ?
at 2004 07/21 23:49 編集

猛暑の今日この頃、いかがお過ごしですか?お見舞い申し上げます。
きっと、東奔西走して、ご活躍のことと存じます。

書の展示会、無事に終えられまして、お疲れさまでした。
美術館の、四階。ここは、僕の友人が絵の個展をやった場所と同じでした。横に喫茶ルームがあり、コーヒーを飲んだことを、
思い出しました。車は、美術館の横のタバコ販売株式会社の駐車場に入れさせてもらいました。友人の時も同様。
何だか、同じ場所に二度、訪れたことが、とても不思議に感じられます。これも、何かの縁なのでしょうか?。

御地は、僕にとっても故郷。いつ行っても愛着を感じます。ほんによかとこですばい。
思い出せば、高校を卒業後、御地にあった
予備校に汽車(電車)と路面電車に乗り通っていました。
あの頃は、まさに灰色。目に飛び込む風景は、いつも悲しそうでした。
それでも、僕を優しくつつんでくれた町ーーー。

今は、すっかり、図々しくなって、大きな顔をして、この地に身を置いていますが、ここも、第二の故郷。故郷は必ずしも一つではなくて、行く先々が、故郷みたいに思えます。

最近、感動したこと。なんと言っても、曽我さん夫婦の再会。子ども達との再会。
夫が飛行機のタラップから降りてきたとき、曽我さんと抱擁し、激しく交わした
キスのシーンが、あまりにも印象的でした。本当の愛の姿を見たような気がします。
早く、故郷の地へ帰って、皆、一緒に生活できるようになって欲しいものです。

最近の僕は、事務仕事と、野良仕事と、夜の社交に、いそしんでいます。
同い年の教授、のりちゃん先生が、ノンベーでね。(これは僕も同様)。
先週は、月・水・金と三回もあいまみれて、小料理屋を徘徊しました。
さらには、昨日も会って、一献傾けました。
言いたい放題のことを言える仲って、いいものです。
あまりに、頻繁に会うものですから、周りから、「あんたたち、おかしいのでは?○○では???」と、怪訝な目でみられることも・・・・・。
まああ、僕は誘われれば、断らない主義。楽しければ、それが最高。人が何言おう
と、関係ありませんけどね。彼は単身赴任。これといった、親しい友人も居ない様子。僕が今のところ、唯一の友人ということになるのでしょう。どうせ、食べる夕食なら、僕と一緒にということで、誘われるのだと思います。

まあ、こういった、今日この頃です。
○○さんも、お元気で、お過ごしください。
この、猛暑がはたして、いつまで続くのやら。
まずは、健康に留意されませんことを。
更なる飛躍を祈願いたしております。

何だか、ラブレターみたいになってしまった。たまには、こういう手紙も書いてみたくなる。


2004年07月20日(火) あぁーあっつ、涼がほしいぜ・・・。

あぁーあっつ、涼がほしいぜ・・・。
at 2004 07/20 14:05 編集

いやはや、この暑さは一体、何だろう?。東北では、大雨が、こちらでは猛暑が。「地球はどうなってんの?」といいたい。
いくら、叫んでも、自然は何も応えてはくれない。まるで、人間の愚かさをあざ笑うが如く、縦横に猛威を振るっているって感じだ。いい加減にしてもらいたいぜ。

昔の人が言った。「心頭滅却すれば火もまたすずし」、「動かざること山の如し」とか。うんんん、凡人の僕には、そのどちらもできないようだ。動かなければ飯が食えない。かつ、心頭を滅却しようにも、暑くて滅却どころではない。仕方がないではないか。

てなわけで、今も、がんがんクーラーをたきながら、額に汗している。仕事もはかどっていない。数字を見る気がしない。ましてや、固い文章など一瞥をなげる勇気とてない。しからばということで、久しぶりに日記らしきものをしたためている。これなら、気楽にかけそうだ。

そういえば、こんな状況のなかで、すかっと、さわやかな出来事があった。
何といっても、曽我夫婦、子どもの再会の出来事だ。テレビはその成り行きをあまねく報道していた。何はともあれ、家族の再会に万歳だ。こころから、おめでとうと伝えたい。

それにしても、曽我さんという女性は立派な人である。じっと、悲しみをこらえながら、再会の日を待った。やっと、実現の運びとなり、夫が飛行機のタラップを降りてきた。二人は喜びの抱擁とキスを交わした。見ていて、こちらが熱くなった。複雑な事情はあれども、やはり、「愛」の絆は誰も、引き裂くことはできないんだとあらためて感じた。曽我さんは、日本女性がうしないつつある、母、妻、女性という三つの要素を、しっかと持った、素晴らしい人という印象を受けた。

こういう家族が離れ離れになるという状況を産んだのも、やはり、戦争に、その原因がある。僕はよく思うのだが、何故、「人間と人間は、戦争をしなければならないのか」と。確かに、肌の色や、宗教や、考えの相違はあるが、皆、生きていくことにおいては共通である。助け合いながら生きていくことを、もっと、もっと、模索すべきである。共存共栄こそが、人類の求めるべき最良の姿ではないか。でなければ、人類、すべてが滅んでしまうぜ。

おっと、いつの間にか評論家になってしまった。ひょっとすれば、今、僕は心頭滅却していたのかもしれない。いかに、表現するかのことばかり考えていて、暑さのことを忘れていた。そう、思ったとたん、また、暑さがぶり返したぜ。人間の心って、本当に現金だ。心の動きって、刹那刹那で変わっていくもんだ。ああああ、涼がほしいぜ・・・・・。「どなたか、僕に涼をくださいな」。

幽霊さんと、蛇だけはお断りだが----・・・・。




2004年07月14日(水) 当たり前のことを当たり前に。

当たり前のことを当たり前に。
at 2004 07/14 12:38 編集

新潟、福島県では、集中豪雨により、たいそうな被害がでている様子。心からお見舞い申し上げます。

片や、当方では、連日30度を超す猛暑。一体、日本列島はどうなっているのか?。異常気象、異常気象と叫ばれて、もう何十年が経ったのだろう。農耕民族たる日本人は、相変わらず、とろろんとした目で現実を眺めている。まるで無頓着。自然現象とあらば、仕方がないか?と、あきらめムードなんだろうか?。

確かに、自然と闘っても勝ち目はない。自然は、巨大な宇宙プログラムによって制御されているからだ。
少々、自然を制御したところで、自然はびくともしないし、むしろ、そのしっぺ返しが怖い。巨大地震も、巨大竜巻も、豪雨も、自然のしっぺ返しである。

科学は目覚しい発展を遂げているが、まだ自然を制御できない。自然を制御するには、宇宙のプログラムシステムを解明し、新しい、システムを構築しなければならない。恐らくは遠くない将来に、その目的が果たされるだろう。その前に、人類が消滅しているかもしれないが・・・・・。

悲観的なことを書いてしまった。そう言うこの僕も、なんら術もなく、今日も文明の機器たるクーラーのスイッチをオンにして、ポカーンと口を開けて、外を眺めている。困ったものだ。情けない。

しかる状態で、偉そうなことは言えないが、情けない僕でも、いつも肝に命じていることがある。これが出来そうでなかなか出来ない。それは「当たり前に生きる」って事である。誰だか忘れたが、偉い坊さんがそう言っていた。トイレが汚れていたら、きれいにし、スリッパが乱れていたら直す。こういう小さなことを自然に、当たり前に行う・・・・。朝が来たら起き、夜になれば眠る。これも同じことだろう。生活の中に一杯転がっている、こういった当たり前のこと。それを当たり前にする。これができないんだよなーーー。

「朝顔に朝顔の花が咲く。なんの不思議はなけれど」。まあ、こういうことかもしれない。禅問答みたいになってしまった。

すっぽりと娑婆世界に埋没し、午前様になるまで酒を食らっている。はたまた、目をすえて、人生の悲哀に、とぐろを巻いているようでは、僕も当たり前に生きていないようだ。反省、反省、大いに反省だ。一年も半分を過ぎた。反省するには丁度良い。

おっと、去年も同じようなことを言っていたような。まあいいか。



2004年07月13日(火) 7月初旬のできごと。

7月初旬のできごと。
at 2004 07/13 17:04 編集

事もなく時は過ぎて、7月も三分の一を超えた。その間、僕は何をしていたのだろう?。定かには思い出せない。ただ、あわただしく、小ぜわしく、ちょろちょろと、田舎のねずみみたいに、動き回ってきたような、そんな気がする。いやあ、田舎のねずみそのものだ。小金がたまればよいが、それどころか、手の垢まで削りながら、ぼろぼろと、汗水流したご褒がこぼれ落ちていく。とほほ・・・・。

7月の初めは、給与所得税の納付。半年分をまとめて納付da。ばあ様が亡くなり、扶養者が減って、納める税金が増えた。日ごろは口うるさい、意地悪ばあさんだと思っていたが、亡くなってしまうと、妙に淋しいものだ。何かにつけて、お目付け役であり、しっかと留守番をしていた人が居なくなり、おまけに、払う税金までふえちゃあ、こりゃあ、ダブルパンチだぜ。「親のありがたみは、親が亡くなって、初めて分かる」と言うが、まさにしかりである。

そうこうしていると、次は社会保険の算定届け。ボーナスにまで当たり前の料率が適用。こりゃあ、たまったものではない。ボーナスが多けりゃ多いほど、負担増だぜ。さらに、料率がころころと改定されている。給与計算が大変。しょっちゅう、プログラムソフトを変更しなければならない。
年金改革というが、改革ではなく改悪だ。
まあ、僕の場合、超零細個人事業。たいした労にはならないので、そう、吠えることもないが。フロッピに打ち込んで、無事、算定届けも完了。

さああ、癒しの旅行だ。と言うことで、仲間内10人程度で、海と山に囲まれた温泉地へ一泊旅行をした。車で、延々5時間の旅だ。大雨に降られ、高速のサービスエリアで一時待機。程なく回復。「なんだきつねの嫁入りか?」と、出発したら、またもや、大雨。「こりゃあ、どうなってんの?」と、最悪のコンディションに、皆、苦笑い。癒されに行くつもりが、疲れ倍増の旅となった。

気を取り直して、途中、特攻隊員を祭った慰霊館へ立ち寄った。青年達の見事な遺書と、顔写真を見た。皆、目が輝き、きりりとしていた。国を思い、親を思い、恋人を思う純朴な青年は、今時いないなーーーと、涙をそそられた。とても、平常心でを見ることはできなかった。館を出たときは、戦争の悲惨さが脳裏に重くのしかかり、皆、顔が硬直していたようだ。

車は、一路、ホテルを目指した。山と海に囲まれた、とある一角に、ホテルが静かにたたずんでいた。僕たちは、腹ペコ。部屋割りがあり、そく、先輩とつれだって、温泉へ。いやあああ、温泉はやはり良い。僕は温泉町でそだったので、珍しくもないが、それでも、久々の入浴だ。子どもみたいに大浴場を泳いだ。「ぶらちん」で泳ぐのもひさしぶりだぜ。この温泉は、ちょっぴり、塩辛かった。それでも、満足だった。

湯からあがり、そく、宴会場へ。コンパニオンの美女達が入り口で迎えてくれた。「わおーーーーーーつ、楽しくなりそう」。長くなりそうだ。続きはいずれ。









2004年07月02日(金) 友人の苦悩。

友人の苦悩。
at 2004 07/02 17:40 編集

7月になった。相変わらず、天気はギクシャクして、定まりがない。蒸し暑さが、異様に神経を苛立たせる。梅雨時とは、まさにこんな感じだ。いかに、雨が好きな僕でも、風情のない雨は遠慮したいもの。
自然現象に腹を立てても仕方がない。要は心の持ちよう。朝顔は文句の一つも言わないで、今日も可憐な姿で、僕を魅了してくれている。とりあえずは、朝顔に感謝だ。

さてさて、我が超零細事務所の半年の営業成績が判明した。不可である。われながらお粗末。予想していたこことはいえ、心なしか悲しくなる。じっと手を見るのみだ。深く刻まれたしわと、垢しか見えないのだが・・・・。垢でもせんじて飲むか。とほほ・・・。

昨今、世の中は景気感がただよい、見通しが明るいように報道されている。果たしてそうなんだろうかと言いたくなる。巷では倒産も後をたたない。我が通知表との比較をしても意味がないが、我が成績は5点満点で言えば、アヒル君が勢ぞろいである。

おっと、生きとし生けるもの、そう嘆いてばかりではいけない。やはり、前向きに生きなくちゃ。気を取り直して、今、お上へ提出する書類を完成させた。以前は、行き当たりばったりで、時に追われながら、あたふたと仕上げていた。今年は、どうしたわけか、几帳面で、まめな僕の性格が前面に出て、すばやい対応となった。といっても、これには理由がある。7月の前半に小旅行に行くので、心置きなく遊びを満喫せんがための、仕事の前倒しってわけだ。こう書くと身もフタもないか。

話は代わって、昨夜は僕と生業を同じくする友人と小料理屋で会った。彼も僕と同様、二足のわらじをはいている。久しぶりの再会に僕たちは意気投合して、色々と語った。その中で彼が語った悩みに、僕の心は揺れた。

彼は、人事を担当していて、従業員にリストラの宣告をしなければならない立場にある。彼は言う。「僕はいつも辞表を机の中に入れている。やりきれない。僕も会社を辞めたい。女房とも相談した。女房は分かってくれた。僕に二足のわらじははけない。本業に専念したい」と。女房は、「あなたが、朝、出勤していくときの顔が、苦しそうで、見ていられない。貧乏してもいいから、辞めてもいいのよ」と、言ったそうだ。

いやああ、素晴らしい奥さんである。なかなか言える言葉ではない。友人も妻の内諾を得て、嬉しかったのだろう。結論はさておき、僕たちはおそくまで、酒と歌のはしごを繰り返した。帰宅、午前2時。山の神が起きてくる様子はない。僕は合鍵で、こっそりベッドインした。何もなったかのように今朝が明けた。

昨夜の出来事を山の神に話すと、「人のリストラができないようでは、一人前のプロとはいえない」と言う。確かにビジネス社会にあっては、そうかもしれない。ただ、それが出来ない人間だっているわけだ。僕にはそういう経験がないので、なんとも言えない。僕が友人に言えたことは、「女房の内諾が得られたのなら、辞表はいつでも出せる。まずは、リストラを告げられた人の、後の支援に全力を尽くすことではないか。」と。最終的には自ら、決断をくだすしかないだろう。

こういう話はなんともいたたまれない。いまだに、僕の心はくすぶっている。。



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