umityanの日記
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2004年05月31日(月) 月末の電話はどきっつとするぜ。それも朝から。

月末の電話はどきっつとするぜ。それも朝から。
at 2004 05/31 10:27 編集

いよいよ月末だ。そのせいでもないだろうが、早朝より、けたましく電話が。「一体何事ぞ?。何か不幸ごとでもあったかしら?」と出てみると、友人からだった。ほっとすると同時に、用件の内容は即、ピーンときた。

彼は最近、サイドビジネスとして、ある商品の販売を扱っている。その商品の効果を試すべくモデルとして僕が選ばれたわけだ。既に装着して数週間になる。今のところ、顕著な効果があるという実感はない。日ごろ、その効果について意識していないからかもしれない。正直にそう告げると、今日、サンプルを引き取りに来ると言う。ま、これは仕方がないことだ。まずは、継続は力なりで、良いものならば、積極的に、緻密に売り込んでいくしかないだろう。

そもそも、画期的な発明・発見などは、簡単に道端に転がっているものでもない。やはり、それなりの世間の評価が物も言うわけだ。検証に検証を重ね、やっと日の目を見る。友人もそのことは分かっているようだが、生活のためならば、背に腹は代えられぬということで、頑張っているわけだろう。

よくよく考えてみると、最近の商売は懸賞やら、景品でつった商品広告があまりにも多すぎるようだ。ネット商売が普及し、僕も当初は、懸賞に目がくらんで、几帳面に応募だけはしていた。最近は、「もうみるのもうんざり」ということで、ほとんど、ゴミ箱行きである。

これから先、ネットを利用した商品売買はもっと、もっと増えていくだろう。居ながらにして、商品が買えると言うメリットは大きいが、同時にリスクもあるということを考えなければならない。手に触れられず、期待していたものと、大きく違っていたとか、代金決済がおりあわないとか、欠陥品が届いたりとか、あげれば暇がない。

要は、自分が納得のいくものを、あらゆる角度から調査研究して、行為に及ぶべきだろう。

そうこうしているうちに、今度は携帯のベルが・・・。「またまた何ごとぞ、朝早くから」と出てみると、今度は別の友人からであった。彼は僕と同業者であり、なかなかの好人物である。彼も、先程の友人と同様、違った職種に今、手を出している。
最初、その仕事を聞いて、びっくりこいたが、「保育所」をやり始めたとの事。素人の又素人が、「一体大丈夫なの?」と聞くと、いたって平然としている。既に資格者を二人ばかり雇用し、社会保険も労働保険も加入済み。「偉い・・・・」と僕は叫んだが、まあ、これは事業主として、当然といえば当然か。

その彼が、事業を始めたに当たって、帳簿のつけ方等を聞いてきたわけである。
「今は、パソコンに会計ソフトを入れたら、たちどころに、目的が達せられるよ」といったが、パソコン導入には、もうしばらくかかるらしい。しからばということで、手作業による記帳を先日来、伝授したわけだが、どうも今ひとつ、理解していなかったようで、今朝の電話と相成ったわけである。

かといって、僕もその道のプロではない。僕の説明不足もあったのだろう。よし、奥の手だということで、長年、僕が愛用していた本を一冊、貸してあげることにした。
最初からそうしておけば、なんのことはなかったわけだ。まあ、僕としても、犬も食わないプライドがあった。まずは、自らの口で説明してと、思ったわけだが、どうも、舌足らずだったようだ。

この本は、僕にとって財産といって良いくらいの名著。山ノ神に言わせれば、「そんなきたない本、早く処分して」と言わせしめている輩の一つである。

彼はテルの後、車を飛ばして、その本を借りにきた。人様のお役に立って、その本も本望だろう。僕も嬉しかった。彼はなお、嬉しそうに顔をほころばせて、いざ、保育所へ出陣といって去っていった。「一体誰が保育されているのかな?ーーー、まさか、彼じゃあ、あるまいな」と、思わず、笑いがこみ上げてきた。

さあ、僕も人様にかまっている暇はない。例の五穀米いりのお粥を食べて、がんばらなくちゃああ・・・・。
なんか、朝からせわしかったが、すがすがしい気がしている。






雨は生命の源だ。
at 2004 05/30 09:44 編集

いよいよ、入梅したようだ。「今年も、忘れずに、几帳面にやって来てくれた。入梅・・・万歳」。こう叫ぶのは僕だけなんだろうか?。豪雨地帯の人たちには悪いが、本来、雨は好きである。小ぬか雨、霧雨、しとしと雨。じゃあじゃあ雨。色んな雨の表現がある。ただ、台風に伴う雨だけは歓迎しない。これは当然と言えば当然か。

雨はなんといっても、生命の源である。雨に打たれた、植物達が、その姿を輝かしている。青葉、若葉が、際立った美しさをかもしだすのも、この雨のせいかもしれない。カタツムリは、のそりのそりと、雨にぬれた葉っぱの上を這い回る。自然が生み出す芸術。脈々と命が息吹く。日本ではこの季節が梅雨なのだ。

小さい頃は雨に打たれても平気だった。雨で顔をぐしゃぐしゃにして、家に帰ると、母がよく言ったものだ。「どうしたん。誰かに泣かされたんかい?」と。まあ、そういう時もあったかもしれないが、僕は決まって、「ちがうわい。雨がふっとんや」と、弁解したものだ。

人はよく、「備えあれば憂いなし」で、雨が降りそうなときは、傘を持ってでかけるようだが、僕はいまだに、その準備はなしだ。まず、荷物になる。必ず、どこかへ忘れる。天気予報が外れたとき、傘を持って出たことを後悔する。頭には、「笑うセールスマン」タイプのハットをかぶっているから、ぬれても心配ない。ざっと、以上のような理由から、大人になった今でも、傘を持ち歩くことはない。

強がりなことばかり書いたが、今は車社会。ちゃんと、トランクの中には、傘が一本放り込んである。ほとんど、使うこともない。あえて、弁解すれば、自分のためではなくて、人のためである。自分は濡れても、まさか、レディーをぬらすわけにはいかないからだ。マメな僕の計らいである。
雨のことばかり書きすぎた。

今、イラクや、世界のあちこちでは、大変なことになっている。日本人ジャーナリスト二人が、襲撃を受け殺害された模様。放映された車の残骸はあまりにも、ひどすぎた。非戦闘員を攻撃するなんて、あってはならぬこと。その前に、戦争そのものがあってはならないことだ。幾多の人の血が流れたことか。

「血の雨は、流す涙の、意味さえも、知って知らずか、大地を染める」。

なんという悲しい現実だろう。あい争う人間の姿を神は想定されていたのだろうか?。否であろう。時々思うことがある。その、大昔、生命は何度か死に絶えた。消滅プログラムが実行されたわけだ。かろうじて生き残ったもの達が、ここまで復活を遂げた。そして再び、神は考えているのかもしれない。そろそろ、生命体消滅プログラムを実行すべき時期ではないかと?。

一瞬にして、すべてが消滅するならば、それもいいだろう。そこから、新たなる生命が誕生していけばいいわけだ。荒涼とした砂漠に美しい一輪の花が咲いて欲しいものだ。
降り注ぐ雨を見ながら、ただただ、平和が早く来たらんことを願っている。消滅プログラムが実行される前に、世界平和を取り戻したいものだ・・・・。







2004年05月30日(日) 雨は生命の源だ

雨は生命の源だ。
at 2004 05/30 09:44 編集

いよいよ、入梅したようだ。「今年も、忘れずに、几帳面にやって来てくれた。入梅・・・万歳」。こう叫ぶのは僕だけなんだろうか?。豪雨地帯の人たちには悪いが、本来、雨は好きである。小ぬか雨、霧雨、しとしと雨。じゃあじゃあ雨。色んな雨の表現がある。ただ、台風に伴う雨だけは歓迎しない。これは当然と言えば当然か。

雨はなんといっても、生命の源である。雨に打たれた、植物達が、その姿を輝かしている。青葉、若葉が、際立った美しさをかもしだすのも、この雨のせいかもしれない。カタツムリは、のそりのそりと、雨にぬれた葉っぱの上を這い回る。自然が生み出す芸術。脈々と命が息吹く。日本ではこの季節が梅雨なのだ。

小さい頃は雨に打たれても平気だった。雨で顔をぐしゃぐしゃにして、家に帰ると、母がよく言ったものだ。「どうしたん。誰かに泣かされたんかい?」と。まあ、そういう時もあったかもしれないが、僕は決まって、「ちがうわい。雨がふっとんや」と、弁解したものだ。

人はよく、「備えあれば憂いなし」で、雨が降りそうなときは、傘を持ってでかけるようだが、僕はいまだに、その準備はなしだ。まず、荷物になる。必ず、どこかへ忘れる。天気予報が外れたとき、傘を持って出たことを後悔する。頭には、「笑うセールスマン」タイプのハットをかぶっているから、ぬれても心配ない。ざっと、以上のような理由から、大人になった今でも、傘を持ち歩くことはない。

強がりなことばかり書いたが、今は車社会。ちゃんと、トランクの中には、傘が一本放り込んである。ほとんど、使うこともない。あえて、弁解すれば、自分のためではなくて、人のためである。自分は濡れても、まさか、レディーをぬらすわけにはいかないからだ。マメな僕の計らいである。
雨のことばかり書きすぎた。

今、イラクや、世界のあちこちでは、大変なことになっている。日本人ジャーナリスト二人が、襲撃を受け殺害された模様。放映された車の残骸はあまりにも、ひどすぎた。非戦闘員を攻撃するなんて、あってはならぬこと。その前に、戦争そのものがあってはならないことだ。幾多の人の血が流れたことか。

「血の雨は、流す涙の、意味さえも、知って知らずか、大地を染める」。

なんという悲しい現実だろう。あい争う人間の姿を神は想定されていたのだろうか?。否であろう。時々思うことがある。その、大昔、生命は何度か死に絶えた。消滅プログラムが実行されたわけだ。かろうじて生き残ったもの達が、ここまで復活を遂げた。そして再び、神は考えているのかもしれない。そろそろ、生命体消滅プログラムを実行すべき時期ではないかと?。

一瞬にして、すべてが消滅するならば、それもいいだろう。そこから、新たなる生命が誕生していけばいいわけだ。荒涼とした砂漠に美しい一輪の花が咲いて欲しいものだ。
降り注ぐ雨を見ながら、ただただ、平和が早く来たらんことを願っている。消滅プログラムが実行される前に、世界平和を取り戻したいものだ・・・・。









仕事の失敗。
at 2004 05/28 14:29 編集

いやあ、今日も、またまた暑い。空はどんよりとした曇り空。今にも泣きそうにしているが、僕の心とは裏腹だ。
昨夜は寝付かれなく、寝起きがわるかった僕は、朝から、やる気満々で元気である。

その理由は如何?。至って単純だ。仕事で、たて続けに、失敗したからだ。電話が鳴り、予測もしていなかった事態が生じた。これは、クライアント側の責任でもあるが、プロたる僕が、そこまで、頭を働かせなかったことにも、原因がある。「眼光紙背に徹す」という言葉がある。やはり、仕事は紙面の裏側まで読み取るかのごとく、慎重になすべきなのだ。わかってはいるのだが・・・・・とほほ。

そういえば、最近は金融機関へ出向いても、本人確認やら、提出書類、書面記載の面などで、細かく要求される。昔はこういうことが、なかったなーーーと思えど、いた仕方がない。最近は、世の中の方針が、コンプライアンスに徹するということに向かっているわけだ。コンプライアンスとは、いわゆる、法令遵守、基本に忠実ということになるのだろう。

不良債権をあまたと抱えた金融機関や企業を野放しにしてきた国としては、コンプライアンスを実践させ、健全な企業として再構築させることを狙っている。それが実践できないならば、破綻や倒産、やむなしと言うことだろう。冷たいぜーーー。

従って、公共機関をはじめ、金融機関や企業も、やたらと規制を強めている。
まああ、これは悪いことではない。基本に忠実であることは、いかなる分野においても、当たり前のことだからだ。ただ、度が過ぎるとサービスの低下を免れず、利用する消費者や、顧客にとっては、はなはだ迷惑と言うか、不便と言うか、不満なことも多々ある。

基本に忠実なあまり、蛇足的なことが多々ある。分かっているのか、いないのか、平気でそれを要求されるから腹が立つ。「もっと、勉強せい・・・。」と言ってやりたい。基本に忠実なことが、二重にも、三重にも、重複する書類を出させることだと、履き違えているんだよなーーーー。

おっと、僕は吠えすぎたようだ。仕事の失敗を棚に上げて、他人を批判する資格は僕になかった。何事もコンプライアンスだ。それに尽きる。

と言うわけで、事態収拾に奔走した結果、なんとか、落ち着きそうな気配。よかった。よかった。僕も、基本を忘れずに、さらなる飛躍を求めて奔走しよう。グッドラック!!。


2004年05月28日(金) 仕事の失敗。

仕事の失敗。
at 2004 05/28 14:29 編集

いやあ、今日も、またまた暑い。空はどんよりとした曇り空。今にも泣きそうにしているが、僕の心とは裏腹だ。
昨夜は寝付かれなく、寝起きがわるかった僕は、朝から、やる気満々で元気である。

その理由は如何?。至って単純だ。仕事で、たて続けに、失敗したからだ。電話が鳴り、予測もしていなかった事態が生じた。これは、クライアント側の責任でもあるが、プロたる僕が、そこまで、頭を働かせなかったことにも、原因がある。「眼光紙背に徹す」という言葉がある。やはり、仕事は紙面の裏側まで読み取るかのごとく、慎重になすべきなのだ。わかってはいるのだが・・・・・とほほ。

そういえば、最近は金融機関へ出向いても、本人確認やら、提出書類、書面記載の面などで、細かく要求される。昔はこういうことが、なかったなーーーと思えど、いた仕方がない。最近は、世の中の方針が、コンプライアンスに徹するということに向かっているわけだ。コンプライアンスとは、いわゆる、法令遵守、基本に忠実ということになるのだろう。

不良債権をあまたと抱えた金融機関や企業を野放しにしてきた国としては、コンプライアンスを実践させ、健全な企業として再構築させることを狙っている。それが実践できないならば、破綻や倒産、やむなしと言うことだろう。冷たいぜーーー。

従って、公共機関をはじめ、金融機関や企業も、やたらと規制を強めている。
まああ、これは悪いことではない。基本に忠実であることは、いかなる分野においても、当たり前のことだからだ。ただ、度が過ぎるとサービスの低下を免れず、利用する消費者や、顧客にとっては、はなはだ迷惑と言うか、不便と言うか、不満なことも多々ある。

基本に忠実なあまり、蛇足的なことが多々ある。分かっているのか、いないのか、平気でそれを要求されるから腹が立つ。「もっと、勉強せい・・・。」と言ってやりたい。基本に忠実なことが、二重にも、三重にも、重複する書類を出させることだと、履き違えているんだよなーーーー。

おっと、僕は吠えすぎたようだ。仕事の失敗を棚に上げて、他人を批判する資格は僕になかった。何事もコンプライアンスだ。それに尽きる。

と言うわけで、事態収拾に奔走した結果、なんとか、落ち着きそうな気配。よかった。よかった。僕も、基本を忘れずに、さらなる飛躍を求めて奔走しよう。グッドラック!!。


2004年05月27日(木) 大往生とは何か?。

大往生とは何か?。
at 2004 05/27 13:43 編集

ここ数日、日中はすこぶる暑い。何でも、今年の夏は、例年以上に暑くなりそうとのこと。ああ、早く秋になって欲しいものだ。人間って、本当に現金なものかもしれない。秋になれば、冬を通り越して、春を恋しがる。そう、都合よく運ばないところが、人生である。山あり谷ありで、歯を食いしばって、暑さ、寒さも何のそので、克服していかねばならない。これぞ人間ですたい。

朝があり、昼が来て夜が来る。夜になると、睡眠をとって、鋭気を養う。生きていれば、また朝を迎えるわけだ。僕は時々、不思議に思うことがある。眠っているとき、夢を見ていないとならは、それは、死んでいる状態と一緒ではないのかと?。意識がないからだ。朝、目覚めなければ、もう永遠に、僕という存在は消滅してしまうわけだ。起きて、顔を洗うこともなく、飯を食べることもない。苦しまず、静かに眠って逝ってしまう。これが大往生というのかもしれない。僕も、そういう死に方がしたいと思えど、こればかりは、神のみぞ知るということになるのか。

先日、以前から仕事を依頼されていた社長さんが急逝した。なんでも、前夜は友人たちと焼き鳥を食べていたのだそうだ。急に気分が悪くなり、そのまま、病院で急逝。
血圧が高いとは聞いていたが、あまりにあっけない死。まだ、60歳だった。たとえ苦しまなくても、大往生とはいえないだろう。

まだ、若くして未亡人となった妻は、後始末で大童。本当に大変である。僕も、後始末の仕事を依頼されたが、ただただ、言葉もない。突然の死とはあまりにも残酷でむなしいではないか。

かくなれば、やはり、人間は残った人が苦労しないように、日々、身辺の整理をやっておく必要があるだろう。人のことばかり言っている僕はどうかといえば、からっきし、駄目。なにがどこにあって、どこになにがあるか、てんで、分からない。野となれ、山となれで、書類も本もごった返している。早くに僕が逝けば、おそらく、残った者が大変であることに変わりはない。

ただ、僕の救いといえば、借金がないことだろう。もちろん、財産もない。あえて、財産と言えば、僕の体と、いくばくかの本である。山ノ神がよく言っている。「あんた、役にも立たない、本は早く処分して」と。僕は言ってやるね。「ななななんんと言うことを。僕の唯一の財産なんだ。それを、処分しろとは、よく言えたものだ。それよりか、亡くなったばあ様の、遺品の整理の方が先じゃあないか」と。ばあさまの、古着やら、新聞紙やら、ガラクタの山を見ていると、もううんざりしてくる。

まあ、この程度で、今は済んでいるが、僕が病気で寝込みでもすると、様は変わっているだろう。めでたく退院して、我が家に戻ると、「あれ、いやに部屋がひろいなーーー。あっつ、俺の本はどこへ行った」と大騒ぎするに違いない。まあ、それでも、大喧嘩に至ることもないだろう。形あるものは無限ではないのだ。僕の体だって同じだ。責めることは止めよう。

要は、100年という、短い人生を、いかに楽しく生き、死ぬときに大往生であればいいわけだ。今はそう、思うことにしている。






2004年05月25日(火) 僕の平凡な日常

僕の平凡な日常
at 2004 05/25 13:06 編集

五月も、はや終盤。月日のたつのは本当に早いものだ。毎日、毎日、平凡に暮らしている。特に身の回りに変わったことはない。「平凡が一番だよ」と、誰かが言っていたが、そうかもしれない。

僕の日常と言えば、朝起きてカーテンをひとしきり開けて、茶を沸かす。モーニングコーヒーは、最近、飲まなくなった。特に理由はない。茶がおいしくなったのは、歳をとったせいなのか、よく分からない。そういえば、ばあ様が毎朝、お茶をすすっていた光景を思い出す。なんとなく、茶をすする音に嫌気を感じていた。「ああはなりたくないぜ」と思っていたその僕も、ばあ様に似てきたのかなあーーーと思わず苦笑だ。ひとしきり、茶を飲んで、次に米をとぐ。朝食の準備ってわけだ。早く起きたときは、朝粥を炊くのが僕の日課となった。なれたせいか、結構、うまく炊き上がるようになった。米に古代米をちょっぴり混ぜると、炊き上がったときに、きれいな紫色に変化している。なんだか物珍しく、最初の頃は、早く食べたいという衝動に駆られたものだ。古代米に、何かの色素が混じっているのだろう。これが実にうまいんだよなーーーー。

以前は、水が沸騰して、釜から流れ落ち、周りを、のりだらけにしたものだ。山の神からよく怒られた。「あんた、スイッチをいれるだけではだめよ。よくみとかなくちゃ・・・。」と。なるほどと思い、最近は、テレビを見ながら、釜のふたを微調整している。思わず失敗したときは、痕跡を残さないように、ふき取っている。

昔は「男子、厨房にはいらず」とかなんとか言っていたが、今はさにあらず。「どんどんいらっしゃい。はい、茶碗を洗ってーーーー。何を持ってきてーー。」とか、急に山の神の人使いが荒くなった。これも仕方がないことだ。ばあ様が死んで、山ノ神もさぞかし、気落ちしているだろうと思って、厨房にはいるようになったのが運のつき。今では、僕が主婦がわりだ。

炊き上がった粥に、エサといってはなんだが、昨夜の残り物やら、昆布、納豆、味噌汁、野菜等で一膳、食する。山ノ神も、なにやら、ぶつぶつ言いながら、一緒に食べている。昼間になると、結構お腹がグーグーする。これが健康の証みたいなものだろう。
かくて、朝の奮闘が終わり、僕は仕事に邁進するわけだ。

夜は夜で、僕に交友がないときは、もち僕が米を電気がまに仕込む。もちろん古代米を少々混ぜることは、朝とかわらない。さすがに、朝晩、粥では、山ノ神も不満なのだろう。夕食は普通どおりのご飯だ。おかずの作成は、まだ僕の領分ではない。これはこれでいいわけだ。テレビを見ながら、飯をつつく。かわらない風景だ。





2004年05月24日(月) 嬉しいニュースと我々の使命

嬉しいニュースと我々の使命
at 2004 05/24 10:10 編集

今日もすこぶる良い天気。暑くもなく、寒くもない。こんな日が長く続いてほしいと思う。やがて、じとじととした、梅雨がやって来る。後に、じりじりと焼きつく真夏を経て、木の葉落ちる秋を迎えるわけだ。自然の営みは変化があって実に面白い。と同時に神秘的でさえある。歌の文句ではないが、時の流れに身を任せて、ただひたすら生きるのみだ。

最近の良かったニュース。拉致家族五人が見事、北朝鮮から帰国を果たした。一年八ヶ月ぶりの再会。「本当に良かったですね」と心から言いたい。ただ、いまだに消息がわからない10名以上の人たちの安否が気がかりだ。再調査の上、全員帰国の早い実現を望みたい。

本来、あってはならない拉致という非人道的行為が、海を越えてなされた。長年の時を経て、今やっと、解決への糸口が見えてきた。複雑な国際情勢の中で、国が威信をかけて、交渉に臨んだ訳である。結果は全面解決には至らず、拉致家族会にとっては、不満が残っただろう。ただ、国交のない相手との交渉がいかに難しいかということを如実に物語っている。今は、一歩一歩、前進を積み上げていくしかないだろう。

一つ残念に思うことは、こういう交渉ごとがいつも、政治的に利用されてしまうことだ。政治的解決しか方法がないとはいえ、何かの見返りを要求されて、それを呑まなければいけないところに何か、ギクシャクしたものを感じる。非人道的なことは、無条件に元に戻すべきであり、見返り云々は、その後の人道的支援であり、決して交渉の材料ではないはずだ。今回の拉致家族の帰還がどうだったのかはよく分からない。
いずれにしても、北朝鮮との国交正常化への糸口が見つかったと言うことは喜ばしいことには違いないが。

100年経てば、今、存在している人間は、ほぼ、皆入れ替わっている。新しい百年を生きる世代が、よりよい国際環境で生きていける道筋をつけることが、今を生きる我々の使命である。






2004年05月22日(土) 一歩引いて二歩前進。

一歩引いて二歩前進。
at 2004 05/22 11:45 編集

台風が事もなく去り、穏やかな五月の空が戻った。自然は時には驚異を振るうが、ちゃんと、お返しに刹那の安らぎを与えてくれる。生あるものが命を支えることが出来るのも、自然との共存共栄が成り立っているからなのだろう。

朝顔がつるを伸ばした。今、懸命に竹ざおに巻きついている。日々、その成長を眺めるのが好きだ。誰の俳句だったか、忘れたが、「朝顔につるべとられて、もらい水」。なんだか、古きよき時代の、平和な家庭の一こまを見ているようだ。頭に白いタオルを乗っけて、腕まくりした着物姿。エプロンを着け下駄を履いた若い女性。井戸で、水を汲もうとしたら、朝顔のつるが・・・・。「あっつ」と驚いて、たじろいでいる女性の姿。僕は垣根の上越しに、その姿を垣間見る。ひかれるんだよなーーーー、そんな光景に。僕はまだ、角帽をかぶった書生だったりして・・?。いやはや、夢想ををここまで働かせるとは、僕もおめでたい人間だぜ。今なら、「のぞき」の現行犯ということで、豚箱の片隅で膝を抱えてうずくまっていることだろう。

最近、景気が回復してきたような、国内環境。個人消費も、企業の設備投資も伸びているそうな。確かに。閑古鳥が鳴いていた僕の仕事も、あたふたと、忙しくなった。必ずしも、景気回復の影響ばかりではないと思うが、世の中が少しばかり、積極的に動き出したと言う感はある。世の中が活動的で豊かになることはいいことだ。

ただ、豊かさの反動かどうかは分からないが、相変わらず、犯罪がらみの事件が多い。よく考えてみると、物事はすべて、相対立する構造からなりたっているように見える。愛があるから憎しみもあり、得する人がいるから損する人もいるわけだ。豊かさがあれば貧困もある。あげればいとまがない。

世の中の相対立する構造ーーーこれは、物質面と精神面の二つに集約されると言ってもいい。物質が精神を支配するのか?、精神が物質を支配するのか?。犯罪がらみの事件は、物質が精神に勝ったことの帰結かもしれない。「人間は考える葦」。かの、パスカルは言った。何かの行動をする前に、ちょっと、一歩引いて、考えると良いのだが。それが出来うる人と、苦手な人もいるわけだ。

卑近な例だが、駅なんかの、男性トイレに入ると、壁に張り紙がしてある。「もう一歩前進を」と。まだ、小生意気な頃の僕は、「なんだーーこりゃあ。失礼なは張り紙だぜ・・」と思ったものだ。最近はそう思わなくなった。ちょっと、ここで、弁解をしておかねばならないが、決して僕の一物から放たれるものが、勢いがないと言うことではない。現役バリバリである・・・・・・・?。

張り紙を見ながら、思わず、「そうだなーーー」と思い、右足一歩、左足一歩前進だ。後の人のことを考え、不愉快な想いをさせたくないと思えば、当然のことだろう。今にも爆発しそうで、あわてているときは、粗相も、しかたがないとは思うが、まあ、こういうことは常識の範囲。その常識にさえ気ずかず、わが道を行く事にのみ、固執するから、精神が置き去りになるわけだ。例が悪かったかもしれないが、いろんな事件も、一歩引いて考えると、防げたことが多々あったに違いない。

一歩引いて考えることは、決して遅れを取っているわけではない。慎重というわけでもない。一種の思いやりかもしれなし。自然との協調、人間との協調。人生百年を楽しく生きるには、思いやり、協調・・・・これしかないだろう。
一歩引いて、二歩前進するなら言うことなしだ。





2004年05月16日(日) 緑の地球と朝顔に万歳だ。

緑の地球と朝顔に万歳だ。
at 2004 05/16 21:28 編集

今日も終日、雨だ。昨日と打って変わって、誰も来ない。今日はゆっくり出来た。たまには、こういう日があってよい。

雨にうたれて、朝顔のつるが、懸命に竹ざおに巻きついている。心なしか、つるが細いみたいだ。「エサがまずいぜ」と、朝顔から、にらまれているようだ。「水はかかさずやっているのに、贅沢だぜ」と、睨み返してやりたいが、そういえば、水以外のご馳走はほとんどやっていなかった。細くなるのも当たり前か。僕の怠慢と言えば怠慢だ。それでも、力強く、成長しているから、たいしたものだ。ほめてやりたい。

朝顔の成長で思い出したが、つい先日、テレビで、地球に酸素が大量に発生した原因は何か?というようなことをやっていた。かなりの酩酊状態でテレビをみていたためか、定かには思い出せない。なんでも、地球が全球氷結とかなんとか言ったっけ。氷に覆われていたとき、海面深くでは、豊富な栄養分が、閉じ込められ、蓄積され続けた。地球温度が次第に上昇し、氷が溶け出した。そのとき、水面近くまで、一気にその豊富な栄養分がばら撒かれた。そのおかげで、生命体が生きながらえ、大量の植物達が、いっせいに光合成を行ったらしい。いわずもがな、その結果として、酸素が大量に地球に発生したというわけだ。なんという神秘的なドラマだろうか?。僕達人間はまさに、光合成の産物かもしれない。ありがたや、ありがたや光合成様である。おかげで、朝顔もすくすくと成長しているわけだ。

恐らく、その大昔は火星も地球以上に生命体にとって、住みやすい環境だったに違いない。ちらっと、何かの記事で読んだが、地球の生命体の祖先は火星からもたらされたと言っている科学者もいるそうな。ありえない事ではない。いまや、兄弟星火星は赤茶けた死の星と化しているが、宇宙の進化は、何かの原因で、その進化の方向が狂ってしまうのだろう。緑の地球はまさに、奇蹟的とも言うべき、生命体維持に適した環境を得たわけだ。緑の地球万歳。そして、静かに力強く成長を続けている、朝顔君に万歳だ。

暇なときは、のんびらーと、こういうことを考えられる。やはり、暇は大切だぜ。


2004年05月15日(土) たまの放蕩もいいか?。

たまの放蕩もいいか?。
at 2004 05/15 19:12 編集

今日は朝から小雨がぱらついた。久々に誰も来ない土曜日かと思っていたが、さにあらず。次から次に人が来て、その応対に大童。おまけに、電話はなるし。まああ、これも、サービス業で、生計を立てている者の、宿命というところか。誰からも声がかからないことほど、淋しいことはない。犬や猫の鳴き声を聞くだけでも、気がホット、落ち着くこともあるしなああ。

それはそうと、昨夜は久しぶりに、ボスと弟(親しい仕事仲間)と、三人で、異業種交流会へ参加。中ジョッキで、ビールを四杯も飲んでしまった。常連のメンバーたちと、雑談に花を咲かせるのもいいものだ。

ところで、三人寄ればなんとかと言うが、交流会を無事に済ませ、早々に二次会へ。
今日は、しゃなりのママの店へ行くことに意見が合致。事前に予約を入れておいたので、なななんんと、ビップルームを貸切りと相成った。この部屋はカラオケがあり、存分に歌える。さる店で94点の高得点を出したボスも、にんまり顔だ。おまけに、ピチピチのギャルちゃんたちが、そばにはべっていると、思わず力もはいってしまう。ボスが得意の歌を披露した。にやっと、ニヒルな笑みをうかべながら、点数の画面に見入った。ななななんんと・・・・、びっくりこっくり。47点だ。ええええええつ、と我が目を疑ったが間違いない。これはなんとしたことか。うんんん、どうも、マシーーーンが激辛に設定されているようだ。そういえば、94点が出た、あの店ではまだ、マシンが導入されたばかりだった。恐らく、激甘に設定されていたのだろう。この、僕だって、93点を出したからだ。

ボスの点数に疑問を感じながら、僕が挑戦。美声がとどろいたが、いかんせん、リズムと音程がめたはずれ。結果は散々だ。40点台に甘んじた。弟も負けじと、気負いながら、のぞんだが敗退だ。皆、自信喪失。それでも、ボスは負けじとさらに挑戦が続いた。僕達は、歌をよそに、席を割って座ったピチピチちゃんたちと会話にいそしんだ。僕の魔法の手が思わず左の女性の膝頭付近にタッチ。それを見ていた右の女性が僕の手を払いのけた。「駄目よ、セクハラよ」。「ええっつ・・・・そう」と、僕はとぼけ眼。うんん、ここが中年男のいやらしさか?。弟を見ると、お気に入りのギャルちゃんと、あいむつまじく、ねんごろにだべっている様子。ボスは知らぬ存ぜずで歌に夢中。いやはや、それぞれが我が道をいくだ。セクハラと言われて、僕の魔法の手は女性の肩もみへ。これは気持ちが良かったらしく、右の女性も左の女性も、「もっと、もっと」とおねだりされる始末。うんん、女性の心理がよく読めないぜ・・・・。てなわけで、8時頃から、11時半ちかくまで、ビップルームに陣取ったわけだ。後からしゃなりのママが登場し、場面はクライマックスへ。もうすでに、僕たちは酩酊状態。さあ、帰るかと言うことで、ごわさんで願いましては、4万5千円なり。一人当たり1万5千円の、大出費だ。

ここで、おさまらないところが僕達の愚かさ。タクシーに乗って、ボスが94点を出した店へ直行。ここに、僕の車もとめてあったので、結局は行くことになっていたわけだ。もう時間も遅かったと見えて、客はボスと僕の二人。わがまま弟君は、「眠い、眠い」を連発して帰宅。
さあ、再び挑戦だ・・・・・ということで、僕たちは二曲ずつ、歌った。ななななんんと、ボスも僕も70点台。これはいかがしたことか?。不満だった僕は酔いの勢いで、「ママちゃん?マシンを操作して中辛にしたのでは?」と言ってしまった。結局はママに、「そんなことがあるもんね」と一笑されてしまった。僕達の過去の栄光は今いずこ?。ボスと僕は信じられない顔を引きずって、代行で帰還したようだ。
正直なところ、帰還に至った経過を僕は覚えていない。今朝ボスに電話して、事の次第が判明したわけだ。
自分で自分を許すわけではないが、たまの放蕩もいいか。これこそ、人間ですたい。


2004年05月10日(月) 久々に苦言をはいた。

久々に苦言をはいた。
at 2004 05/10 17:12 編集

今日もぼちぼち忙しかった。まああ、無事に、過ごせたことに感謝だ。幾分かは景気が良くなりつつある気配を感じるが、将来の見通しが必ずしも明るいわけではない。
景気は常に何かの要因で変動するわけだ。楽観視は禁物である。

世間では、政治家の年金未納問題で、頭首やら、未納政治家が辞任する、しないで、揺れている。国民皆保険をスローガンに、強制加入をしてきた国民にとっては、法案を作る立場の人間が未加入とは、あまりにお粗末である。年金の制度を充分に知った上での法案つくりかと疑いたくなる。

確かに、制度自体、分かりにくいところが多々ある。そのことが必ずしも、未納の根本原因ではないだろう。要するに意識の差である。職が変われば、当然のこととして切り替えが生ずる。これは常識である。今は一人一人が基礎年金番号をもっている。この番号で調べれば、いつから未納になっているとか、何年かけているかとかは、コンピューターが即時に教えてくれる。政治家は10年も勤めると、自動的に、年金がつくというから、支給額が少ない国民年金なんかは、納めなくてもよいと、高をくくっていたのではないか?。そういう意識しかもっていなかったのではないか?。
あえて、政治家を擁護するとすれば、「カッパの川流れ」、「医者の不養生」、「猿も木から落ちる」ということになるか?。

政治家だって、すべてに堪能というわけではない。すべてにプロと言うわけではないのだ。
知らないことがたくさんあり、ミスも犯す。したがって、国民は冷静な目で、国会の論議などに、注意深く耳を傾ける必要があるだろう。法で規制されるのは国民であっても、政治家を規制するのは国民でなければならない。

今日はこういうことを書くつもりはなかった。ただ、次から次へと未納者が出てくるので、「どうなってんの?」と、苦言をはきたくなったわけだ。

最近、僕が気になっていることは、もっと、違った分野にある。このごろ、火星探査機の動向が、ほとんど、ニュースで流れない。ただ、僕が知らないだけなんだろうか?。火星には太古の昔、水があった。この発見は天文ファンには、ぞくぞくするほど興味深かった。地球の兄弟星、火星にも、その昔、生物がいただろう。しからば、何故、今いないのか?。地球と火星の進化の違いは、何だったのだろうか?。地球より火星が、ちょっとばかり太陽から遠いため、地球の様にはならなかったのかもしれない。いやあ、距離って大切なもんだ。こういうことを考えると、夜も眠れなくなりそう。この辺で、頭を仕事に戻そう。まだ、退社時間には早すぎる。
さあ、がんばりましょう・・・・・。



2004年05月09日(日) 玄米が僕に幸運を与えてくれた。

玄米が僕に幸運を与えてくれた。
at 2004 05/09 23:57 編集

最近の天気予報の的中率はすこぶる高い。予報どおり、今日は午後から雨が降った。久々にゆっくり出来る日曜日。朝飯をついばみながら、テレビを見ていたところ、ガン細胞をやっつける、一番効果のある食べ物を、回答者に選択させていた。その選択肢は、納豆、海藻類、玄米、きのこ類、バナナである。

僕は、当然、海藻だろうと予測した。何故なら、われらは海の子。海から陸にあがって、進化した生物だからと思ったわけだ。
ところがさにあらず。海藻は三番目。何と、一番は玄米だった。玄米がいいことは分かっていたが、ガン予防に一番効果を発揮する食べ物だとは驚きだ。

そういえば、昨日、買出しに行った山のもっと奥に有名な店がある。その店で、玄米を販売していたことを思い出した。僕はすかさず、山ノ神に言った。「よし、今から行こうぜ。買出しに」と。山ノ神も手持ち無沙汰だったようす。そう丸くもない目をさらに丸くして驚きながら言ったせりふが憎いじゃあないか。「あんたの気まぐれには、ほとほと、あいそがつきるわ」と。その割には目が笑っていたから、そく、実行することに可決確定した。可決確定といえば、株主総会に似ているなあーーーー。
変なことに感心している場合ではなかった。

小雨の中を、ほぼ一時間のドライブだ。日曜日は、やはり、都会の喧騒をはなれて、癒しを求めにきている人で一杯だった。雨はかなりの土砂降りになった。これくらいは何のそのだ。山奥の店へ着くと、今日はいつもと様子が違っていた。

なななんと、5−6人の、南米の音楽家たちが、アンデス地方の曲を演奏していた。
雨とは言え、いい日に出くわしたものだ。
ギターと笛と太鼓と、アンデス地方特有の吹奏楽器で、僕の大好きな、「コンドルは飛んでいく」や、「花祭り」、「太陽の乙女たち」などを演奏してくれた。僕は思ったね。やはり、海外旅行は南米のアンデス地方に限るぜ・・・・とかなんとか。
単細胞の僕はすぐ、そう考えてしまう。

アンデスの歌や曲は、どれも壮大なロマンを感じさせてくれる。陽気で、つい踊りたくなるような、そんな曲ばかりだ。かといって、ただ賑やかなばかりではない。なんとなく、胸にキューンとくる深い想いを感じるのだ。人間の生と死を悲しむかの如く、また賛美するかのような味わいがあるのだ。

年に数回、この店へやってくるのだそうだ。この店の女性オーナーは、テレビにもよく、出演している有名な人。たまたま僕の近くにいて、いろいろと、話しかけてくれた。いやああ、無料で、こういう素晴らしい演奏が聴けるとは、今日の僕はラッキーだぜ。

僕は3000円の縦笛と、2500円のCDを購入。これは予定外の出費だが、まああ、夜の界隈で飲むアルコールを一回か、二回我慢すればすむことだ。あっと、忘れていた。カラフルな毛糸で編んだ、縦笛ケースが1000円だった。山ノ神がいうことが、またいい。「あんた、どうせ吹けないんだから、ケースに入れておかなくちゃ、汚れるでしょう」。「さもありなん」と、僕も思ったので、素直に従うことにした。

かくて、ハプニングの音楽祭が終わり、目的の玄米を、とりあえず1キログラム購入した。僕は5キログラム位、買ってもいいのにと言ったが、玄米だけで、食してもおいしくないとのこと。米に混ぜて食べたがグッドらしい。そういうことは何もしらなかった。とりあえず1キログラムで様子見だ。

てなわけで、ホクホク顔で下山した次第である。もちろん、今日の夕飯は玄米入りお粥に、山菜をつまみに一膳食した。
確かに、よだれが出るほどには、うまくはなかった。後は、いかに継続して、この習慣を維持するかが問題だ。頑張るでーーー。




2004年05月08日(土) 能天気で過ごした一日。

能天気で過ごした一日。
at 2004 05/08 20:39 編集

今日は午後から仕事が暇となったので、山間の農産物売り場まで買出しに行った。大きな駐車場があり、どこから集まったのか、人、人でごったがえしていた。新鮮で安い食材を求めていた。皆、健康に気を使っているんだあなあーーーと、わがことを棚に置き、感心してしまった。

目にいいとか言うお茶、いちじくを加工したお菓子、米に混ぜて食する、なんというんだったけ。そうそう、餅きび一袋。今日は早速、お粥炊飯器で、その「餅きび」とかを入れて炊いた次第。もちろん、製作者はこの僕である。うまかったぜ。他に、枝豆、おから、トマト、柚子胡椒、レタス、花、四束。お粥を食べない山の神は、山菜弁当か何かを買っていたようだ。毎日、お粥ばかりでは、ほとほと飽きたのだろう。僕は年から年中、お粥でいい。あとは何だったっけ?。忘れてしまった。

買い物を済ませたので、ちょっくら一休みだ。すぐ横の売店で、ソフトクリームを売っていた。面白いことに、イチゴ入りだ。
「とよのか」にします?、「ほのか」にします?と、店員さんが聞いた。へーーー、どういう風にちがうのだろう?・味比べということで、両方を買った。正直、どう、味が違うのか判別しがたし。僕の味覚がまひしているのやも。

やはり、五月の山あいはいいものだ。青葉が美しく、川面に影を落として、絶妙な雰囲気をかもしだしている。恋人達が寄り添って、ソフトクリームを食べている姿は、こういう場所では、まさに絵になる。僕も昔はそういう時代があったかと、山ノ神のほうへ、ちらっと視線をむけれど、知らぬ存ぜずで、クリームをなめている。時が流れたのだ・・・・・・。

綾小路君麻呂さんの漫談ではないが、夫婦茶碗も、今では妻が大きい方・・・。家に帰って一番喜ぶのは、犬のポチ。今日は何食べる?何食べると聞きながら、出てくるのはいつもと同じおかず。ううんんん・・・、こうはなりたくないものだ。

娑婆世界では、福田官房長官の辞任やらで、波紋が広がっている。年金問題で、引責辞任したのだろうが、見事と言えば見事。情けないといえば情けない。いろんな受け止め方があるだろう。
片や、アメリカ人によるイラク人捕虜の虐待事件。これは、まさに、非人道的な行為。ふと、思ったことだが、戦争のさなかにあって、人は常に生と死のハザマにおかれている。ことが長引けば長引くほど、人の意識というか、判断力は動物的になるのかもしれない。戦争はやはり、人を狂わしてしまうものなのだ。

「汝の敵を愛せよ」という言葉もある。本来なら、捕虜とか、人質は手厚く保護するのが人道的というものだろう。ただただ、アメリカの行為は残念だとしかいいようがない。

能天気で過ごした今日一日。こういう悲惨な話は止めておこう。明日に向かって邁進するのみだ。






2004年05月07日(金) 方言はいいものだ。

方言はいいものだ。
at 2004 05/07 21:15 編集

僕もこの地に住んで十余年になるが、知らない方言がたくさんあったことに驚いた。昨夜、のりちゃん先生と行った小料理屋で、あるお客さんが、「この、ひいたれがーー」とか、「ほんに徒然(とぜん)なかーーー」とか、「そうがなたーー」とか話していた。

何のことか僕ものりちゃんも、ちんぷんかんぷん。よくよく聞いてみると、「ひいたれ」と言うのは、弱虫のこと。「徒然なかー」の「徒然」というのは、吉田兼好著の「徒然草」にもあるように、退屈で淋しいことを言うらしい。まあ、それが日常会話の中で「とぜんなかー」と、淋しいことをあらわす方言みたいにになったのだろう。

僕ものりちゃんも「ただ、へーーー、面白いですねえ」と相鎚をおくるばかり。「そうがなたー」とは、読んでの如く、「そうですねー」ということ。僕ものりちゃんも、焼酎がまわったせいか、面白半分に、「そうがなたーーー」を連発。ママさん曰く。「なたーは、もっと優しく言わんとだめよ」と。「優しくねー・・・?そうがなたーーー」と言って、僕ものりちゃんも大笑いだ。
あああーーああ、今日の僕達は徒然なかぜーー。言葉の意味がわからん、わからんと、これまた大笑い。

今日の会話は方言ずくしで、すっかり気を良くした僕達は、しからば、違う場所で試してみようということになり、のりちゃん所望の「しゃなりのママ」の店へ行くことにした。幸い、早い時間とあって、店内は充分にすいていた。

僕達はソファーの一角に案内され、今や遅しと、ピチピチギャルちゃんの登場をまっていると、顔見知りのA子ちゃんとB子ちゃんがやって来た。「おひさしぶりね」と声をかけられたので、僕達は思わず言ってしまったね。「そうがなたーーー」と。皆、大笑いしたことだ。ちなみに、こちらの若い女性は、方言なんて知っているのだろうかと」、先程の、「ひいたれとか、徒然なかー」を聞いたところ、なんと、ちゃんと、知っているではないか。じいさん、ばあさんたちが、よく使っていたそうだ。

いやああ、方言っていいものだ。なんだか本質をもののずばり言い当てているような気がする。そのほかにも、いろいろとある。ものを買いにいったところ、店の人が、「なーーーい」というので、品物はここにあるのに何故?と思ったことがある。「なーーい」とは、「はーい」のことだと分かって安心した。

僕も田舎育ちじゃけん、小さい頃は方言まるだしだったばい。それがいつの頃か、都会のセンスにもまれ、すっかり、方言を使わなくなり、また忘れてしまったようだ。
田舎に帰っても、今では方言らしき言葉を使う人も少なくなっている。「ほんに悲しかばい」と思っても、仕方なかばい。

僕の方言も正しいのやら、間違っているのやら、それさえ分からなくなっている。
やはり全国津々浦々、テレビやら新聞やら、マスメディアが浸透したために、標準語らしきものに、方言が食われてしまった感がある。時代の流れとはいえ、やはり、良い方言はずーーーっと残したいものだ。

「しゃなりのママ」の店の話が頓挫してしまったが、これ以上語る必要もないだろう。
大もてにもてて、ごわさんで願いましては
金18,000円なり。笑顔で一文字になっていた目玉が急に大きくなった。ただ、すべて、のりちゃん持ちで、お開きとなった故、僕にとって不足はない。過去、僕が彼の分を含めて散財したことへの、お返しだろう。持つべきは、やはり、気のおける友である。気持ちよく受け止めた次第である。

さあ、早く帰らなければ、固く閉ざされた鋼鉄の門は、「開けゴマーーー」といっても、通用すまい。ほんに徒然なかたい。ーーーー。




2004年05月06日(木) 仕事の初日


仕事の初日
at 2004 05/06 12:22 編集

長かったようで、短かった連休も終わり、眠っていた社会がやっと、動き出した。僕もその例外に漏れず、今日は朝から仕事の原稿作成で大童。いくばくかの緊張を覚えている。

連休中は、脱日本した人も多かったとか。又、正月みたいに、故郷へ帰り、ひと時の癒しを味わった人もいただろう。日本は平和で結構なことだ。これは遠出できなかった僕のひがみかもしれない。

とは言いながら、僕もちゃっかり、さる陶器市へ半日を利用して出かけた。これと言って買いたいものがあったわけではない。所狭しとこずまれた、陶器のあれこれを眺めて、時には触って歩くのも楽しいものだ。手に取った、さる陶器が値段を見てびっくり。やはりいいものは高価で、値引きもあまりない。落として割ったら弁償が大変と、恐る恐るもとの位置へ返却するのが関の山。

値引き交渉は僕の得意の分野だった。今年はどうも、以前ほどには神通力がなくなったようだ。不景気のせいだろう。「この値段ではどう?」と、僕のほうから持ちかけても、「オー・・ノー・・」と、返事が、はかばかしくない。「肝っ玉が小さいぜ」といってやりたいが、相手も、「これくらいが払えないか?」と、逆に懐具合を推し量っているようだ。まあ、これが駆け引きというものだろう。最終的には、どこかで、妥協点を見出して、めでたくサインとなる。

結局、山ノ神ご趣味のキッチン用品の小物を数点、購入して、はいさよならと言うことに相成った。まあ、こんなものだろう。

僕にとっては、買い物はいざ知らず、品物をあさる人々の、生き生きとした表情を見ながら歩くことが楽しく、「ああああっつ、やはり日本って平和だなーーーー」と、つくずく、感じ入ってしまった。

連休明けの初日、こんな、能天気なことにいつまでも、浸っている暇はなかった。仕事、仕事だ。明日のおまんまの為に粉骨砕身、働かなければならない。

今、イラクでは人質虐待で、反米感情が強くなっているし、又、年金問題、北朝鮮問題で日本国内も揺れている。より良い解決が一日を早く来たらんことを切に願って、仕事に邁進だ。



2004年05月05日(水) 思いがけない、いいこと。

思いがけない、いいこと。
at 2004 05/05 11:56 編集

いやああ、思いがけないことってあるものだ。嫌なことならあって欲しくないが、いいことなら大歓迎だ。今朝はまさに、そのいいことがあった。

早朝より眠気眼で仕事。なんとか無事に済ませた。眠くても、プロに失敗は許されない。いかに、クライアントのニーズを満足させるか大事である。

てなわけで、重くもない報酬を片手に帰宅。道すがら、小さなお店へ寄った。駐車場がなかったので、すぐ近くの空き地に止めたところ、おばさんが畑仕事をしていた。まずは、ご挨拶だ。「すみません。ちょっと店に寄りますので、車を少しだけ置かせてください」といったところ、一発返事でオッケー。買い物を済ませて車に戻ると、先程のおばさんから呼び止められた。

「な、なにごとかなーー?」と思ったら、以前、どこかで僕の顔を見たことがあるらしく、「どこどこの方でしょう?」と聞いてきた。「はい」と答えると、ななななんと、今、もいだばかりの「キューリ」を、袋一杯くれたのだ。ラッキーだぜ。そそくさと、お礼を述べて、すがすがしい気持ちで帰宅だ。

車の中で思ったね。「この俺の顔もまんざらではないなーーーー。知らない人に顔を覚えてもらえるなんて・・・・。男冥利に尽きるぜ。出来れば、かわい娘ちゃんなら、まだよかったなーーーー」と。

これは贅沢である。短足で、黒いハットをかぶり、黒いかばんを持って歩いていたら、まさに「笑うセールスマン」。にやっとニヒルに笑えば泣く子も黙り、人は皆、避けて通るというに!!。

幸い今日は、そのいでたちではなかった。
優しいハンサムの青年に見えたのだろう。
思いがけない、プレゼントを持参し、山の神は、「どうしたの。こんないたくさんのキューリ。」と、いぶかし顔。料理するのを億劫がっているのだろう?。とはいいながら、朝の朝食にちゃっかり、キューりの即席、かつおまぶしが出てきた。僕達はバクバク食べた。

最近、僕の朝食は「おかゆ」である。一合炊きの、おかゆ製造機でいとも簡単に、粥ができる。粥に、昆布やら、梅干やらラッキョウやら、朝鮮漬やらをエサに食べるわけだ。今日は、一品、「キューリの即席もの」が加わった。いやああ、じつにおいしかったぜ。山の神は無言のまま、粥をすすり、キューリをつまんでいた次第である。

朝から思いがけずいいことがあると、なんか気持ちがいい。さあ、今日は連休最後の日だ。明日からは、地獄の特訓が待っている。午後からは、気持ちよく、どこかへ車で散策だ。


2004年05月04日(火) 明日は子供の日だ。僕にはあまり関係ないが。

明日は子供の日だ。僕にはあまり関係ないが。
at 2004 05/04 19:31 編集

五月四日もあっつと言う間に日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る。おっと、これは秋のことだったか。今日もあいにくの曇り空。時折、小雨がぱらつく。なんとか心と五月の空とか言ったなあーーーと思わず苦笑。

それにしても、昨夜の雨足は強かった。夜中の何時ごろだったろうか?。大きなサイレンが二度、鳴り響いた。うつらうつらと船をこいでいた僕は思わず緊張した。まさか、地球に大異変でも起きたか?と、ベッドから飛び起きたが、外は何の気配もなし。ただ、雨が異様にふるだけ。

あのサイレンは何だったのか分からないまま、再び横になった。朝、訪問客に聞いたところ、川の水位が警戒ラインまで上昇したとのこと。なるほど、警戒情報だったわけか。滅多にないことなので驚いてしまった。なんだか、もう梅雨がやってきたみたいな気分である。ただ、明日のこどもの日は天気が良くなるらしい。よかった。数少ない男の子らが、すくすくと成長することを願って鯉のぼりが翻るだろう。

思えば僕が子供の頃は、今みたいに高価な鯉のぼりなんて、到底買ってもらえる状態ではなかった。お子様ランチに突き立ててある日の丸の旗や、雑誌の付録についていた紙製の鯉のぼりを手に入れることくらいが関の山だ。箸に結んで、部屋の中を走り回ったことを覚えている。いやあああ、昔は貧しかったぜ・・・・。

いまさら昔を嘆いても仕方がないが、今の子供達と違って、楽しいこともたくさんあった。学校から帰ると、かばんを放り出して、近所のガキ大将らと、近くの神社へ行って、ちゃんばらごっこや、缶けりや、ビー玉遊びや、カッパなどして日が暮れるまで遊んだものだ。母上(昔はかあちゃん)が、目を三角どころか、丸くして、「早く手と足を洗いんしゃい」と、優しく迎えてくれた。

ある意味では、今の子供達は幸せとは言えないだろう。物質的には豊かになっても、自然と触れ合う機会が少なくなった。部屋にこもり、塾に通い、習い事に専念することは悪いことではないが、頭でっかちな子供になりすぎているようだ。やはり、子供は海の子、山の子、畑の子が一番似合っているのではないだろうか。

僕が吠えても、現状が変わるわけではない。現状を打破しようにも、もう、後戻りは出来ないのだ。再び原始社会、農耕社会に戻るには、あまりに時がたちすぎた。今はただ、じっと、現状を見据え、次期世代を担う子供らのたくましい成長を願うだけだ。

何はともあれ、明日がよき日とならんことを切に祈ってペンを置こう。僕の子供の日はとっくの昔におわってしまったが・・・・・。



2004年05月03日(月) 僕の五月初日と二日

僕の五月初日と二日
at 2004 05/03 13:22 編集

いよいよ五月も三日とあいなった。しとしとと雨が降っている。五月の雨はなんとなく好きである。温かくもなく寒くもない。木々の緑がきれいだ。生きているという実感を覚える。

一昨日は故郷の友人が突然やってきた。びっくりさせようと思って、電話もしなかったということだ。人が悪いぜ。亡きばあ様の仏壇に線香を立ててくれた。そういえば、友人の父親がなくなったとき、香典をやっていたので、そのお返しもしたかったのだろう。義理堅いことである。細君も連れてきていた。しからばとうことで、我が山の神も連れ立って、日ごろ行ったこともない料亭へ、山ノ神が導いてくれた。
山ノ神も僕の知らないところで、友人たちとうまい料理をくっているんだなーーーと、変に感心してしまった。

僕はどちらかというと、こういう、かしこまったところで会食をするのは苦手であるが、まああ、山ノ神がスポンサーとなれば、いたし方がない。後は野となれ山となれだ。

畳の部屋で、正座したり、足を崩したりして飲む焼酎も又、変化があって悪いことはないが、どうも、小料理屋の雰囲気とは勝手が違う。フルコースの一品料理が次から次へと運ばれてくる。「ほーーーつ、なるほどねーー」と、あいずちを打ちながら、あっという間に平らげていく。「もう少し、落ち着いてゆっくり食べなさいよ」と、山ノ神にたしなめられたが、僕は言ってやったね。「どうせ、僕はがさつ者ですよ。はい。」とか何とかね。
友人夫婦も久しぶりのご馳走に、「うまあい」といいながら舌鼓を打っていた。
まあああ、これはこれで良しである。

友人とは高校卒業以来、今日まで兄弟みたいに付き合っている。互いに、言いたい放題のことを言いながら、妙に気があう。喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。困っているとき、親身になって相談に乗ってくれたのも彼である。もちろん当然ながら、その逆もまた真なりである。持つべきものは友である。友、遠方より来る。また楽しからずや。

友人夫婦は、我が家に一泊して、帰路の旅に出た。我々も途中まで送って行くことにした。道すがら、観光名所の庭園へ立ち寄った。小雨のなか、川くだりなんかして、しゃれ込んでいる観光客がいた。雨合羽なんかかぶっている。「カッパの川流れ」という言葉を思い出しておかしくなった。今でも、花嫁がこの川船に乗って、式場までおもむくのだそうだ。なかなか風流なことよ。願わくば、末永く沈没しないで欲しいものだ。これは余計なお世話か?。

友人とここで別れて、我々も帰路を急いだ。途中、朝顔の苗を仕入れた。山の神が、「今時、朝顔ははやらないわよ」といったが、朝顔は僕の好きな花の一つである。朝、目覚めると、涼しそうな顔をして、僕に微笑みかけてくれる。山の神の苦虫つぶした朝の顔より、はるかに、新鮮で美しいじゃあないか。面と向かってこういうことはいえないが・・・・。

てなわけで、僕の五月の初日、二日が過ぎたわけである。そして、今日は雨。五月五日は端午の節句。願わくば晴天となって、鯉のぼりよ、天高く空を舞ってほしい。少子化の波にさらされている子供たちの未来に夢を託して。




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