umityanの日記
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2002年12月31日(火) 大晦日に思う


大晦日に思う
at 2002 12/31 10:04 編集

いよいよ、2002年最後の日、大晦日を迎えた。待ちに待ったお正月は明日。もう、お年玉も、もらえないのに子供みたいに、はしゃいでいる僕が自分でもおかしい。そういえば、子供のころは父母や、じちゃん、ばあちゃんや親戚のおじさん、おばさん達から、お年玉をもらうのが嬉しかった。兄と若干、金額に差をつけられたときは、悔しかったが、まあ、仕方がないかと自分を慰めたものだ。家族が皆、健在で、ささやかではあるが、テーブルを囲んで、「おめでとうございます」と言って、母の手造くりの料理に舌鼓を打つのが最高だった。父が亡くなり、母も老いた。今では、子供の頃の団欒は思い出であり、これからは、自らが自らの団欒を作っていかねばならなくなった。そうは思っても、皆がそれぞれに忙しく、とても昔みたいに行かないのが現実だ。嘆くつもりはない。所詮、人生は自らが切り開いていくもの。時が流れ、家族のあり方、社会のあり方も変わってきた。それはそれで、仕方がないのかもしれない。
それにしても、最近、三夜連続で見た「壬生義士伝」のドラマは良かった。激動の社会の中で、我が身を犠牲にして、家族を支えた一武士の生き様があまりに印象的だった。その深い愛。今時、そんな愛があるのだろうか?。今は一人一台のテレビ。人知れず涙を流してしまった。ふっと、我が身のことを考えてみた。「おおおっつ、情けない」。わがことのみしか考えていない日和見主義者がそこにいた。・・・・・まあ、晦日から、自分のことを悪く言うまい。もう懺悔は終わったはずだ。昨日も書いたように、来年の目標は健康的にダイエットだ。「スリムになって、娑婆世界を闊歩しよう。」これが目標だ。そのためには、もっと、もっと、勉学に励み、夜の社交を、すこし慎む。まずはこれを実行だ。
2002年よ。さらばだ。


2002年12月30日(月) 来年への誓い

来年への誓い
at 2002 12/30 19:10 編集

いよいよ、今年も明日までとなった。何はともあれ、2002年も個人的には、つつがなく過ぎて何よりだった。999のメーテルに感謝を。そして僕を愛してくれた諸々の人々に心からお礼を言わせていただきたい。「本当に今年一年、有難うございました。来年もよろしく」。なんだか、一足早い年賀状になってしまった。さて、今年も来年の誓いをたててみるか?。来年こそは、もっと健康に注意してスリムになりたーーーーい。タバコをやめたは良かったが、腰周りが大きくなって、今まで着ていた洋服やらが台無しになってしまった。「もう一度、スマートな僕に戻って、娑婆を闊歩してみたーーーい」と言うと、返ってきたばあやの返事がにくいではないか。「いまさらもう無理じゃありませんか。夜遊びを大概にしなくちゃね。口でいくら言っても元の木阿弥ですたい」ときた。確かに一理はある。口だけではなく実行だ。タバコを何の苦もなくやめて、丸二年になる。いよいよ三年目の正直ということだが、もう大丈夫。さて、次はスリムになること。ちょっと用事ができた。この続は明日にしよう。


2002年12月27日(金) いよいよ御用納め

いよいよ御用納め
at 2002 12/27 10:56 編集

いよいよ今日は御用納め。本当に一年って早かった。「終わりよければすべて良し」というが、ここ近年に限って言えば、そうもいえないような気がする。どちらかと言えば、世界は破滅への道をまっしぐら突き進んでいるようだ。その一つの例として、今朝、ラジオで言っていたが、キリマンジャロの万年雪や氷河の80パーセントがすでに消失しているのだそうだ。あと、15年もすればまったく雪がなくなると言っていた。地球温暖化によることは言うまでもないが、こういう状況が続くと、いずれ、自然の生態系が大きく変化し、由々しい事態を招くことは目に見えている。人間の飽くなき欲求がなくならない限り、この現象はやまないだろう。一体、人間は、自然破壊や生態系の変化など、「我、感知せず。知らぬ、存ぜず。」で、身勝手なことばかりをやってきたようだ。ちょっとした英知と、分かち合う気持ちがあれば、人間はもっと幸せでいられると思うが。如何せん。欲望の塊と化した人間は、地球上でもっとも罪深き存在なのかもしれない?。
なにも、年末にこういう暗い話題を言う必要もないか。そういえば、今朝の新聞に、今年を象徴する創作四字熟語のことが書いてあった。信用金庫をもじって、「瀋陽緊慌」、必勝祈願が「必生帰願」、疑心暗鬼が「疑心安否」、当選確実が「答鮮核実」、ノーベル賞のダブル受賞で、「双賞効果」、株価低迷で「凍傷株価」などなどである。あにはからんや、若い人の応募が多かったそうだ。漢字離れが叫ばれる昨今、いい傾向に違いない。ただ、僕は思ったが、遊びとしての熟語は分かるが、世界の由々しい事件と言うか問題を熟語にして茶化すことは、いかがなものかと思う。良いことならいくらでも歓迎するが、第三者的に、笑って済まされることと、そうでないこともあるわけだ。ちらと、そういうことを感じた。まああ、これも今年を振り返っての自分に対する反省でもある。
とりもなおさず、来年はよい年であってほしい。これも第三者的な言葉か。「よし、来年は良い年にしてやるぞーーーっつ」。これは、張り切りすぎか?。しからば、来年は良い年でありたいものだ。これが一番無難かなーーーーーー?。


2002年12月26日(木) 忘年パーティーが終わって湿っぽくなりました。

忘年パーティーが終わって湿っぽくなりました。
at 2002 12/26 12:37 編集

昨夜、今年最後の忘年パーティーがあった。いやああ実に楽しかった。歌えや踊れのドンちゃん騒ぎ。ボス、兄、弟、のりちゃん、それに親戚らしき一同が、一堂に会して、それぞれにわがままし放題。酒、焼酎、ワイン、ビール、リキュール、ウーロン茶、何でもござれである。あきれ返ってしまう。おっとっとー、他人のことばかりは言えない。そういう僕だって、はちゃめちゃじゃなかったか。ただ一つ調和がとれていたことがある。これは実に不思議だ。何かと言えば、カラオケである。これだけは、さすがに皆、譲り合いの精神で、一曲歌ったら、順送りで、次に自分の番がくるまで待っている。ふっと、犬の調教を思い出した。飼い主が「血もしたたるようなビーフステーキを犬の目の前において、「待て」と言うと、犬はよだれを流しながら従順に待っている姿のようなものである。変な協調心ってところか。確かに、マイクを一人締めされたら、他の客は面白くないものだ。ただ、そうは言いながらも困ったやからもいる。マイクは一つではないので、人が歌っているとき、その歌を別のマイクで一緒に追いかけて歌う人がいるのだ。自分の持ち歌を他人が歌うと、歌いたくて仕方がなくて、悪気はないが、いつの間にか横取りして、自分が歌っているのである。最初に歌った人が気の優しい人なら、笑って「兄弟演歌で、ええんじゃないの」と、その場は笑いで終わってしまうが、気難しい人なら怒って喧嘩になることもある。そういう光景を過去、何度か見たことがあるが、その後の酒が、まずいことは言うまでもない。幸い、昨夜は喧嘩に至ることはなかった。ただ、知らないうちに客の数が減っていた。「ありゃ、人がすくなくなったにゃー」と聞くと、歌を横取りされて、不愉快で帰られたという。「ええっつ、そうだったの」と、そのことも知らずに我々は平気で歌っているから始末におえない。ただ、歌を横取りはしても、マイクの順送りの調和は乱れることがなかった。まあ、大人だから当然と言えば当然だ。それにしても、年末近くになると、なんとなく、月日の流れの早さにたじろぎ、神妙な気持ちになる。ああああ、僕たちはこうやって齢を重ねて、やがては宇宙の塵となって、消滅するのか。そう思うと、ちょっぴり悲しい気分になる。いけないいけない。新しい2003年を迎えようというのに、今から湿っぽくなってどうする。さあああああ、気を取り直して、「がんばるぜーーーーー、わおーーーーーー」と気合を入れて、今から仕事に出かけよう。


2002年12月25日(水) 年末だ。言わせてほしい。


年末だ。言わせてほしい。
at 2002 12/25 10:13 編集

はや25日。余すところ今年も一週間だ。この時期になると、どうしても一年を振り返りたくなる。世界を見ても、日本を見ても、自分の身の回りを見ても、どうも良い年だったとは言い難い。世界的不景気、デフレ、失業、戦争、テロ、拉致、核。いずれも人間の生存を危うくするものばかりが目立った。僕はいつも思うことだが、「何故、人間は、協調と歩み寄りで、平和を構築することに万進できないのだろうか」と。うんんん、やはり如何せん。人間が歩んできた歴史は戦争、侵略といった血なまぐさい歴史であったがゆえに、そう簡単に、歴史を払拭して、「仲良く生きましょう」とはいかないのだろう。それでも、人間は考える葦。大方の人間は、共存共栄で、平和に生きることを願っている。そう生きること以外に、21世紀を生きる子孫の未来はないと、誰もが知っているからだ。おやおや、「たまには僕もいいことを言うなあーーー」と自らに感心。
それはそうと、この沈んだ日本経済を立て直す手立てはあるのだろうか。アメリカでは個人消費の動向が景気判断のバロメーターであるように、日本でもそうだと思う。しからば、消費を促すにはどうしたらいいのだろう。僕の大それた意見を言えば、貯蓄に毎年、税金をかけたらいいかもしれない。「あなたの今年の預金残高および、たんす預金残高。占めて百円。はい。税金として40パーセント、40円をいただきます」。「わおーーーーっつ、これじゃたまりませんぜ」と言うことになる。人間、死んだらおしまい。生きているときに、どんどん使いなはれ。貯蓄して、税金かけられた上、さらに相続税がかかる相続財産を残すなんて、愚の骨頂。葬儀代くらいあればよい。お金が貯蓄に回らず、消費に回れば経済は活発になるし、失業も改善する。されば、健全な社会が築けるというもの。「貯蓄は悪なり」。僕がこう叫ぶと、「それじゃああ、お前の貯蓄を全部吐き出して、世の中にばらまいてみろ」と言われそう。確かに貯蓄が消費に回ることは、景気回復の一端を担うとは思うが、やはり、老後の不安がある限り、人はあくなくき貯蓄を続けるのかもしれない。一体、不安のない老後ってあるのだろうか。お金のみが頼りだったら、ちょっと悲しい気がする。うんんんん、こういうことを考え出したら、眠れなくなってしまいそう。さああ、今日は今年最後の忘年パーティーだ。スカッと行こうぜ。愚痴はまた明日。


2002年12月24日(火) クリスマス前前夜祭

クリスマス前前夜祭
at 2002 12/24 12:16 編集

いやはや、昨夜は飲みすぎてしまった。友人主催のクリスマス前々夜祭に出席。総勢で12名。女性陣は料理、男性陣は飲み物をそれぞれ持っていくことになっていた。僕はワインとプレゼント交換用に携帯電話のストラップを買っていった。いやああ、新潟の酒だったか、ある友人が持ってきたが、実にうまかった。僕たちはコップでぐいぐい。小一時間もすると、もうぐてんぐてん。「ありゃ、ここはどこ?」と、頭がぐるぐる回った。酒が空になると、次は焼酎あんどワインに移行。チーズやら、スライスしたトマトにハムの薄いやつをかぶせたやつ、これ、なんと言うのだったっけ?。あとは刺身やら、果物やら、なんやかんやで盛りだくさんだ。たらふく食して、もうお腹一杯。ここいらで、プレゼント交換だーーーということで、あみだくじの結果が発表された。「わおーーーーーつ。自爆だーーーー」。見事ストラップが僕の手に。自爆者がもう一人いたので、その人とプレゼントを交換。なななんと、彼が持参していた物はイチゴの詰め合わせ一箱だった。他人の白い視線がイチゴに。まさか、持って帰るわけにも行かず、「皆で食べようぜ」ということになった。というわけで、僕には持ち帰りのプレゼントはなしだ。僕って、よくよく、くじ運が悪いみたい。さああっつ、気を取り直して、次は唇に歌だ。ということで、近所のスナックへ直行。僕もうたったねええ。「きよしこの夜」。今日は一番から三番まで歌詞がすべてイングリッシュ・バージョンだ。一番なら歌いこんでいるが、二番、三番の歌詞は不慣れ。幸いなことに歌詞にルビがふられていた。これなら、少々発音がおぼつかなくても、酔った勢いですまされるぜ。うっしししーーー。と喜んで歌ったのでした。大成功。僕もまだまだいけるぜ。最近好きになった歌に、藤谷美和子さんだったっけ、誰かと歌っている、「愛が生まれた日」だったか、これっていい歌だよなあ。僕もこの歌が歌えたらどんなに素敵だろうと思ったことでした。帰宅は午前一時。当然、家の鍵は閉まっていましたとさ。
後はすっかり覚えていない。ここいらでやめておこう。


2002年12月20日(金) 忘年会も残り四つで打ち止めだ。

忘年会も残り四つで打ち止めだ。
at 2002 12/20 16:16 編集

今年の忘年会も残り四つだ。一つは今日、後は明日、23日、25日になる。こんなに押し迫って、皆とわいわい、一年を反省しあうのも楽しいではないか。明日は個人的な会で、歯医者をやっている友人が、小料理屋のママさんに頼んでいたエプロンを取りにやってくる。それにかこつけて飲もうと言うわけだ。歯医者をやっていると、粉が胸に飛び散るのだそうだ。それをうまく防御するエプロンがないかなああと彼は、探していたらしい。たまたま、小料理屋のママさんが着ていたエプロンがかっこよく、見事にしゃれていたので、「男物のエプロンでママさんが着ているようなものないかな・・・」と言ったところ、ママさん曰く。「わたし探しとくわ。」と、えらく意気込んだ返事が返ってきた。で、結局、素敵なエプロンが二枚見つかったってわけだ。僕がモデルとなり身に着けてみたが、いやあああご立派。モデルがいいのか、エプロンがいいのか判別つきがたし。それにしても、エプロンにしておくにはもったいないような、ファッショナブルな物だ。僕は言ってやったね。「うんんん、そのくらい派手なやつを身に着けていないと、お客さんも歯科衛生士さんもそっぽをむいて来なくなってしまうからね。奥方と別居中ならなお更だ。」とね。僕もやきもちを焼いたのか、電話でそう言ったところ、彼はえらく神妙に、「そうだよなああ・・・・」と、あいずちを打ったのが印象的だった。23日と25日はクリスマスのパーティーだ。個人的にはもてない僕たちは集団お見合いみたいに、パーティーで寄り集まって、わいわいやろうと言うわけだ。ママさん曰く。「カラオケもワインもあるでえーー・・・。今夜はぶれいこうよ」ときた。僕たちは、「おおおおお、後が怖いぜ」と顔を見合わせることになるだろう。かくして、僕の今年の打ち上げは26日に設定した。二つの仕事の一つはほぼ、めどがついた。要は、もう一つの仕事を年内中に完成させなければならない。既に僕の心は来年に飛んでいるが、来年も素敵な一年になるように、キリストさんと、お釈迦さんにお願いしておこう。まずは、アーメン、そして南無・・・・合掌礼拝だ。


2002年12月19日(木) ひさびさに弟が登場

ひさびさに弟が登場
at 2002 12/19 12:42 編集

昨日、弟のことを書いたので、今日は弟のことについて、ちょっと言及しておこう。彼は、ぼくと同様、マメな男である。ただ、まめさの種類が僕と若干異なるので、競合することはない。彼を尊敬する第一の理由は、思いやりがとても深いということである。彼は小さいころ苦労して育ってきたので、苦労しながら頑張っている人を見ると放って置けなくて、面倒を見てあげたくなるのだそうだ。
そういえば、今年六月ごろだったか、カンボジアに行って、自分たちが寄付したお金で建った学校を見に行ったそうだ。悲しいかな、まだ、屋根が葺かれていなかったらしい。それでも、現地の子供たちの輝いたまなざしに触れたとき涙があふれたそうな。僕へのお土産は竹で作った、10円程度の竹笛。嬉しかったねえーーーー。笛がぴゅん、ぴゅん泣いたねえ。彼らしい。また、来年は、カンボジアの少女を日本に呼んで、自分の家で家族と一緒に住んでもらい、日本や、世界のことをいろいろと教えてあげたいと言っていた。すばらしいことだ。僕もチャンスがあれば同じようなことをしてみたいと思うが、なかなかである。
彼のちょっとしたエピソードはこれくらいにして、先日は彼と、この町にできた見事なショウ酒場へ行ったわけである。僕は二回目で、少しはなれていたが、彼は初めて。そう大きくもない目玉を白黒させながら、顔はにんまり。彼もこの店が気に入ったようだ。そく、カードの申し込みへサインした。なんでも一年有効で、いろんな特典があるのだそうだ。願いましては千円なり。僕たちは焼酎のお湯割を飲みながら、宝塚歌劇団のような、ショウを堪能した。また、僕のとなりに座ったかわいこちゃんは、僕と同じ場所にほくろがあるのだ。僕は言ったね。「あおーーーっつ、僕たちはイボ兄弟」ってね。これがうけたね。彼女はすっかり僕のとりこに。いや、逆だ。ぼくは すっかり彼女のとりこに。かたや、隣を見ると、弟は完全に鼻の下を伸ばして、すてきな女性と手を絡ませながら会話に夢中。いやはや、マメなこと。90分を堪能し、ぼくたちはほっかほっかのこころで、店を後にした。ここでおさまらないのがわれわれの常。しゃなりしゃなりのママさんに会いに行くことに決定。うんんん・・・・、もうこれ以上書いても、今まで述べたことの繰り返しになってしまう、ここいらでお開きにしよう。


2002年12月18日(水) 祝賀会の後、ぼくたちは別天地へ。

祝賀会の後、ぼくたちは別天地へ。
at 2002 12/18 12:37 編集

昨日は久しぶりに抜歯したと言う弟と一献傾けた。おっと、その前に先日の祝賀会の帰りに仲間四人で立ち寄った店のことをかかねばならない。いやあああ、これほど男にとって贅沢冥利に尽きる店はないだろう。田舎の当町に、ショーを見ながら酒が飲めるって店がオープンした。いわゆるショウ酒場ってやつだ。相撲の桟敷席みたいなところに座って、ステージに目をやると、そこでは、八頭身はあろうかという見事に美形の外国芸能人が、間断なく、歌やダンスを披露している。普通の店と違うところは、ショウタイムの時間だけショウをするのではなく、間断なく、フルタイムでショウをやっていることである。要するに常に何かをやっているってわけだ。
我々は鼻の下を長ーーーーーーーーく伸ばして、食い入るように眺めては酒を飲み、はたまた、隣に、ちょこんと座っている、日本人のかわいこちゃんたちと、たわいもないおしゃべりする。まさに一石四鳥とはこのことだ。正面はダンス、テーブルにはボトル、左右にはかわいこちゃん。わおーーーーっつ。どこを見ても、うっしししーーーなことばかり。日ごろは眠ったようにしているボスの目も、この日ばかりは、ぎんぎらぎんと輝いていた。もちろん他の仲間も同様。いわずもがな、僕もである。僕たちは久々に、宝塚歌劇を見ているような錯覚にとらわれて、ほぼ90分の時間をたらふく食べた。その後、名残惜しそうに散会した。となれば、普通のパターンだが、そうならないところが、男たちの性。一名が帰り、残りの三名は、ちょっとカラオケで口直しをしたわけだ。なんと、面白い点数をつけるカラオケがあるものだ。最初に歌った僕の「きよしこの夜」の歌で95点が出た。「いやはや、俺ってそんなに歌がうまかったっけ」と思うや否や、点数がだんだん下がり始めた。94、93、92、91、90でやっととまった。うんん、まああ上出来だ。それにしても、この機械は甘すぎると思った。なんと、ボスの70点代の点数が、逆に85点まではね上がった。ボスの喜ぶことこの上なしだ。
そうこうしながら、祝賀会の一日を過ごしたわけである。
さて、ここからが、弟の話になる。弟に祝賀会のことを話したら、飲んでいる小料理屋をそく、退散して、その店へはやく行こうということになった。さすがに、兵は決断が早い。僕ももう一度、行って見たい衝動に駆られていた。さあ、ここから、話が佳境にはいるが、長くなるので、ここいらで、一締めだ。


2002年12月16日(月) 久々の雑草刈と、先輩の祝賀会

久々の雑草刈と、先輩の祝賀会
at 2002 12/16 18:23 編集

昨日は(日曜日)、夕方から大先輩の祝賀会がはいっていた。久しぶりにボスともども参加することになった。弟のやつは、抜歯したとかで、まだ歯茎が腫れていて、酒を飲むどころではないと言う。「なななんと、情けないやつだ」と思ったが仕方がないか。ボスが車で僕を迎えに来るというので、今日は車の運転がいらない。日中は珍しく客もなく、仕事が暇だった。「よおおし、しからば、夜の酒をおいしくするには、今、野良仕事をするしかないか」と思いたち、家の周囲の枯れた雑草をさらに一網打尽にすることに決定。最近、仕事が忙しかったので、雑草君たちと親しく会話することもなく、なんとなく心に引っかかるものを感じていた。やがて正月だ。きれいに大掃除しなくちゃ。今年はやや、取り掛かりが遅いような気がして、そのことが心に引っかかっていたのだろう。僕は早速、草刈機を持ち出し、歯をあたらしいのに交換して、「わおーーーーつ」と現地へ乗り込んだ。気合を入れてやらないと、まさかではないが、冬眠前の蛇君ににらまれて、足でもかまれたらたいへんだからである。僕は、前後左右に機械を振りまわしながら、恐る恐る進んだ。薬師丸博子さんではないが、「快感」って感じだ。農家の人たちは、遠巻きに僕の姿を見ながら、足早に去っていった。
小二時間で、目的の三分の一をやり遂げた。あとは、これから、ぼちぼちやって行こうと思っている。
五時半頃、ボスが来た。僕は既に、見事なスーツに身を固め、しなれない、ネクタイで首を絞めていた。最近めったにネクタイをしない。まああこれは自由業だからだろう。僕は、ほとんど、シャツでも、スタンドカラーである。笑うセールスマンと同じように、首が短いと、ネクタイが似合わないのだ。やはりスタンドカラーのシャツに限るぜ。首もそこそこ人並みに見える。わおーーつ、僕に似合うシャツもあるんだぜ。良かった良かった。ということで、今日は我慢して、首を振り振り、我々は大先輩の祝賀会へ赴いたのでありました。なんと、来客は全部で六百人以上。ほとんど知らない人たちばかり。仲間数人と同じテーブルに座って挨拶後の祝宴に満喫したのでありました。結婚式で食べるような、おいしい料理だった。満腹、満腹。ここで、収まらないのが、われわれ男たちの悲しい性。日曜日だが、「どこか開いている。軽く行こうぜ」と言うことで、四人の意見が一致。とりあえずタクシーで繰り出すことになった。いやはや、この続を語るには紙面がたりなさそう。続はネクストにしよう。長くなってしまった。


2002年12月13日(金) のりちゃんとの今年最後の懇親会


のりちゃんとの今年最後の懇親会
at 2002 12/13 10:52 編集

昨夜は、のりちゃんから、7時ごろ電話があった。「ええっつ、一昨日も会ったのに、何だろう」と思って、出てみると、今日が本年最後の懇親になるということだった。そういえば、来週から彼は洋行するし、その後は、ふるさとへ帰還し、来年の一月初めしか戻ってこない。なんでも、いろいろと不義理をしたから、そのお詫びと、今年世話になった店へ挨拶に行きたいと言う。「「へーーーー、珍しい」と」思ったが、彼の真剣なまなざしに、僕も一発返事でオーケーした。僕は既に夕飯を済ませ、一風呂浴びたあとだったので、もうアルコールはよしとしなかったが、まああ、ウーロン茶で乾杯しようというこっとで、そそくさと出かけた次第。行き先は、最近ほとんど行っていなかったが、五人程度しか座れない小料理屋である。笑顔のきれいな美人ママが一人で経営している。小柄なひとだが、和服が似合い、料理が抜群にうまいとくれば、もう、のりちゃんは目がない。それはs僕も同様だ。ここで、のりちゃんと競い合っても仕方がない。彼女は既に他人の妻。彼は食べに食べまくった。今、思い出してみると、ロールキャベツ一皿、こんにゃくのぶつ切りを煮たもの。刺身一皿、野菜とエビを絡めて炒めた特製かき揚げ二皿、鯨の刺身、魚の煮付け。後は忘れてしまった。僕はと言えば、なまこ一皿でおしまい。飲み物はウーロン茶、酒、焼酎のお湯割り。極めつけは、なんといっても黒酢ということになろうか。体に良いということで、少し飲んでみたが、「わおーーーーーーーっつ」。いっぺんで気持ちが悪くなった。何かが腐ったような味。においがぷんぷん。僕たちはすぐ、お茶を数杯飲んで、においを消した。バックグランドミュージックは、のりちゃんリクエストの、山口百恵さんの歌。うんんん、百恵ちゃんでも、僕たちは競合してしまったが、彼女はくもの上の人。コスモスの歌が流れ、僕たちは絶好調。楽しい会話に包まれ、時はあっという間に僕たちを置き去りにした。11時を回った。僕たちは名残を惜しみながら店を後にした。彼の住まいの近くまで、代行車を走らせ、僕たちは来年の再会を誓った。こういう書き方をすると、なんだか、メルヘンの世界みたいで、うさんくさいにおいがぷんぷんする。とはいえ、これが大人の男同士の友情なんだろうか。別れ際、僕たちの手は固い握手で結ばれていた。来年が今から楽しみだ。


2002年12月11日(水) 階段を叩く音

階段を叩く音
at 2002 12/11 12:22 編集

いやああ、今日も寒かった。朝、四時に目が覚めて、ベッドの中で、ラジオを聴いていた。NHKの「心の時代」という番組で、86歳まで、医療の場で活躍している医者とアナウンサーが対談していた。それにしても、世の中には立派な人がいるものだと感動した。たらふく、おまんまを食べて、ぐうたらやっていられる自分はなんと、幸せものかと思いつつ、いつの間にか、また寝込んでしまった。これがいけない。目が覚めたときに、思い切って起きあがらなくちや、かえって深寝してしまう。鼻ちょうちんを膨らませて、「ぐーぐー」やっていると、夢枕で、「バシッ、バシッ、バシッ」と何かを叩くような音が。「わおーーーーっつ」と、僕の体が一瞬、緊張。時々あることなので、今は慣れっこになっているが、早く目が覚めて、ひとしきり働き、元気はつらつの、ばあやが、一階から、杖で階段を、「バシッ、バシッ」とたたくのだ。「早く起きな。このぐうたら坊ちゃんよ。もうお天道様が高く上っておりますたい。ほんに情けなか。」と言っているのだ。僕もここで、たじろいではいけない。もう一時間はベッドの中にいてちょうどよい。何故って、そく飛び起きても、洗面所が使えないのだ。僕にとっては「いやみ」としか思えないが、階段を叩いた後、先に、ばあやが、洗面所を占領し、ほぼ一時間は使っているからだ。早く起きたなら、済ませておけばいいのに、僕が起きるときに限って、その時間に利用している。僕は文句が言えず、ただ、「うんんんんん」とうなっているだけ。特に帰宅が午前様のときや、仕事で遅くまで起きていると、どうしても朝早くおきれないときがある。そのことを、ばあやに理解してほしいと思うが、そんなことはお構いなしだ。まあ、僕も常習犯だから、強いことはいえないが。
それでも、時々、まだ暗いうちから起きて、先に洗面所を使い、何食わぬ顔をしていると、一日中、爽快な気分になる。「今日は勝ったか」と心が躍るのだ。もちろん昼間は、「こっくり」やってはいるが。
くだらない。くだらない。いまさら、ばあやと競って何になる。我はわが道を、ただ行くのみだ。南無・・・・・・・・・。


2002年12月10日(火) もち」がぷーーーっつとふくれた。

「もち」がぷーーーっつとふくれた。
at 2002 12/10 12:19 編集

今日は、久しぶりに寒いと感じた。今にも雪が降りそうな気配だ。こうやって、ぬくぬくと、あったかい部屋の中にいられるって本当に幸せなことだ。文明の利器さまさまである。「エアコンちゃん、もう、あなたなしでは生きられない」と心が叫んでいる。人間って、豊かさや便利さに触れてしまうと、もう過去にはもどれないんだなああと、つくずく思う。ふと、我が家の暖房の歴史をたどってみたくなった。、今はエアコン、その前はコタツ、またその前は、火鉢だった。そういえば火鉢には色んな思い出がある。正月になると、火鉢の炭火の上に網をすいて、家族皆で、手を暖めながら、もちを焼いたものだ。父がよく言っていた。「もちは、いやしんぼに焼かせたが、一番良く焼けるぞ」と。その意味がよく分からなかったので、「どうしてなの?」とたずねると、「いやしんぼ」は、はやく食べたい衝動が強いので、「もち」をよくさわり、こなすのだそうだ。そうすれば、きれいに、早く、「もち」が焼けるって寸法。な・る・ほ・ど・と思った。いやしんぼの僕は金属製の「ひばし」を器用に操りながら、「もち」を何度も何度も、ひっくり返しながら焼いたものだ。時々、金属のひばしが熱くて、もちを灰の中に「ぽとり」と。家族の顰蹙をかうことはもちろん。兄から、「それみろ。貸してみい」と、ひばしを取り上げられたこともたびたび。僕は苦虫をつぶしながら、しぶしぶ従ったものだ。そうこうしていると、もちのお腹が「ぷーーーーっつ」とふくれて、ふぐのおなかみたいになる。ひばしでつつくと、お腹がぺちゃんこになる。その格好がおかしくて、家族皆で笑った。もう今は、そんな風景も見られないだろう。最近よく思う。「文明の利器が家族の団欒を奪ってしまった」と。家族の団欒は、やはり、一つのものや、一つのことを分け合うことの中にあるように思える。今はエアコンだって、テレビだって、部屋だって各人ひとつずつだ。分け合うことも少なくなった。まあ、これを嘆いても仕方がないが、今日の寒さに触れたとき、ぬくぬくと暖房に浸って仕事をしている自分が、幸せでもあり、ちょっぴり悲しくもある。正月近くなると、今は亡き、父や家族との団欒の思い出が頭をよぎるからだ。正月までは、まだ三週間。センチメンタルにひたるのは早すぎるようだ。ささあああ仕事だ仕事だ。


2002年12月08日(日) いやはや、先が思いやられるぜ。

いやはや、先が思いやられるぜ。
at 2002 12/08 20:11 編集

どうしてなんだろう?最近、日記らしきものが書けなくなった。はや、12月になって8日目。今日、初めて、このページを開いた。書けないのはスランプのせいなんだろうか?。正直に、その原因らしきものを探ってみると、単なるスランプのせいではないようだ。どうも、「心のどきどき」を、どこかに置き忘れて来たことが原因のようだ。「心のどきどき」は、昔はたくさんあったように思う。そのころは、血気盛んで、眼は獲物を追い求める野獣の目。当然ながら、どきどきは日常茶飯事だった。それが、今ときたら、どんよりとした、まあるい百円玉みたいな目に変わってしまった。「百円玉ってどんな目?」。知りたい?。カラオケが一曲歌えるので、うれしくて、にんまりした目なんだよ。つまり、穏やかな、優しい目に変わってしまったってこと。いつも優しい目をしているので、どきどきが無くなったってしまったんだ。やはり、歳なんだろうか?。この画面に向かっている僕の顔は、「いえいえ、そうではありません。かめさんよ」と言っている。確かにそうだ。ここ一週間は、昼夜をとわず、多忙を極めた。どちらかと言えば、仕事と夜の社交に僕の関心は向かっていたようだ。とても、日記を書くまでのエネルギーを持ち合わせてはいなかった。言い訳といえば言い訳になるので、やめておこう。
今、静かに、ここ一週間を振り返ってみると、いろんな出会いがあった。新しいクライアントとの出会い。来年、しょっぱなの仕事がこれで決まった。嬉しい。ということで、料金を大幅値引き。まあ、これも愛嬌。仕方なかんべ。他に、最近、携帯を買った奈美ちゃんからの初メールが届いた。奈美ちゃんは最近、小料理屋に勤め始めた、滝川裕美さんみたいに、美人の未亡人。ありゃ、だんなと別れた人のことを未亡人というのだったっけ?。まああ、それはいいとして、美奈ちゃんは僕と、のりちゃんが、初めて競合したマドンナさんということになる。。その、奈美ちゃんからのメールに、「あまり飲みすぎはだめよ。お店で会いましょう」と書いてあった。僕はこれで勝ったと思った。いやはや、そこが単細胞の僕。よく読んでみると、最後の一言がきいているねええーーー。「お食事でもしたいわ!!」ではなくて、「お店で会いましょう」と、ぴしゃりと釘を刺されていることだ。うんん、なるほど。固い。これで、のりちゃんとは振り出しの互角に戻った。「あーーーーん」と泣いている暇はなかった。ただひたすら、追い込みの仕事で、てんやわんやだった。夜は「のりちゃん先生」と、いくたびか舌鼓み。もちろん競合のないところでね。
そうこうしながら、今日という日を迎えてしまった。はてはて、僕は一体何を言いたかったのか?。自分でも分からなくなった。いずれにしても、のりちゃんに遅れをとるまじ。いやはや、僕は一体、どういう神経の持ち主なんだろうね。先がおもいやられるようなので、ここいらで、幕引きとしよう。


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