umityanの日記
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2002年09月30日(月) つつがなく過ぎた僕の誕生日


つつがなく過ぎた僕の誕生日
at 2002 09/30 09:50 編集

僕の誕生日もつつがなく過ぎ去った。たくさんの人に祝福の言葉をいただいた。嬉しいことだ。ある人から、「ところで、あなたはいくつになったの?」という質問をうけた。そんなに僕って、魅力があり、興味深く見えるのだろうか?。「うっしししーーー」。これまた嬉しいことである。しからば、答えなくてはいけないだろう。僕の答えはこうだ。「そうですね。あなたより一つ若いかなあ」ってね。答えになっていなしかなあああ?。こういうと、「あなた随分じゃない。いつも自分だけ若くするんだから」と笑われる。十代の頃は早く歳をとりたかった。大人の姿を見て、「大人って、制約がなくてなんでも出来るからいいなああ」と思った。「制約がない」と思うところが子供の未熟さである。娑婆にでてみると、はちゃめちゃ、世間やら同類の仲間達から言葉やらで、きつうううく、たたかれる。そんな時、「あの頃がよかったなああ・・・・」と思う。矛盾に気がつくわけだ。娑婆世界での対応に疲れたとき、無知だった昔を懐かしがるのかもしれない。ただ、いつも思うことだが、人間の一生って不思議だ。すくなくとも男と女の愛をとおして、偶然この世に生を受け、何回となく、誕生日を迎えて、いろんな経験をつんでいく。その経験をまた子孫に伝えていく。そうしながら循環を繰り返す。僕達はやはり、進化を担う旅人なのだ。死とはその役目を終えることである。あの「しゃけ」のように。こう考えたとき、僕の進化した遺伝子(本当にそうなのかどうかは分からない)が、誰かに何かの役に立てば、僕の役目は終ったと言ってよいだろう。後は、神のみぞ知る僕の余生をまっとうするだけだ。
おおおおおおっつ、話が大きくなった。また出かけなくてはならない。月末だ。仕方がないか?。


2002年09月24日(火) うひゃああ、素晴らしい天気だ

うひゃあ、素晴らしい天気だ
at 2002 09/24 11:34 編集

うひゃああ、すばらしい天気だ。秋晴れ、秋晴れ、雲ひとつない。つい先日までの猛暑が嘘のようだ。それにしても、ここ十日ばかり、あまりにいろんなことがあって、天高く馬、肥える、この秋をめでる気にもならなかった。そんな気持ちを吹き飛ばすかのような今日。今、世界は動こうとしている。混沌から安定へ。無秩序から秩序へ。そんな中で実現した日朝国交正常化への道。もっと早く門戸が開いて欲しかった。そして知らされた。何人もの日本人が拉致されたという事実。痛ましい、悲しい事実。「近くて遠い国」がぴったりだった国交のない近隣国、北朝鮮。五十年もこの状態が続いていたなんて信じがたい。まさに戦争がもたらした悲劇である。人の不本意な死はいかなる補償をもってしても償いきれるものではないが、ここで、中断することなく、北朝鮮との正常化への道を進まねばならない。未来に生きる子孫のために、是が非でも国交を回復し、安寧秩序を構築しなければならない。これは今、生きている我々の義務であろう。
誰の作だったか忘れたが、「秋の日の、ヴィヨロンのため息の、ひたぶるにうら悲し」。
こんなに美しい秋の日に、悲しい話は止めよう。さああ、前を向いて進むだけだ。


2002年09月23日(月) 彼岸の中日だ。ゆっくりしたいぜ。

彼岸の中日だ。ゆっくりしたいぜ。
at 2002 09/23 11:47 編集

今日は彼岸の中日。お天道様が真東から出て真西にしずむ。まさに一直線だ。やはり「ストレートはいいなあああ」と思う。回り道がないからだ。僕の性格によく似ていると思う。ただ、ストレートに物を言ったり、受け取ったりするから、嫌われることも、結構多い。時々、「何故?」って思う。人に言わせると、ストレート過ぎると、冗談もいえないし、結構人を傷つけることがあるのだそうだ。鈍い僕は、「そうかなああ?」と、いつまでも、人を傷つけていることに気がつかないでいるようだ。僕にカーブが打てるわけもないし、相手の心をおしはかる術が下手なので、いかんともしがたい。時々、「あなた本当に正直ね?」といわれる。「そうかなああ。当たり前のことを言っているのに」と思う。ところが、そこが僕のあんぽんたんなところ。必ずしも褒められているばかりではないのだ。僕はいつも良い意味で受け取ってしまう。「あなた正直ね」という言葉の奥には、意外と、「あなたお馬鹿さんね。本当にじれったいんだから」とか、もっと複雑な意味が隠されていることもあるらしい。僕はほとんど、そこに気がつかない。最近思うのだが、女性が遠まわしに言う誘いの言葉にも、多々、チャンスを逃がしてきたかもわからない。僕が友人にそう言うと、「ええつ??、そんなにもてたっけ」と、知る人は疑いの眼で僕をみる。そんなことを意に介しないところが僕のいいところで、単細胞この上なしだ。まあ、これも性格だからしかたがない。話が思わぬ方向へ行ってしまった。軌道修正だ。
今日はあいにくの曇り空。それでも、最高に気持良い三連休の最終日。世間様は皆、家族連れ立ってお墓参りなどしていることだろう。僕は相変わらず雑用にいそしんでいる。「とほほ、因果だのう。貧乏暇なしだぜ」と言いたい。今、ようやく時間が出来た。小さい頃は、母や兄弟と一緒に、山の頂上付近にある墓によく参っていた。娑婆にでて、故郷を離れてからは、めっきり墓参りをしなくなった。もちろん、故郷に帰ったら山までは行かなくても、仏壇にだけは参るようにしている。以前も書いたかもしれないが、僕の語りかける言葉はいつも一緒。「父さん、ただいま帰りました。元気にしています。安心ください」。これだけである。よくテレビで仏壇に向かって話しかけているシーンがあるが、どうも僕は照れ屋で、心の中でつぶやいていても、気恥ずかしく感じる。「お前は信仰心がないのか?」と言われると、「うんん、よく分からない」というのが、真実のことろだ。いずれにせよ、世の中が平和で、彼岸には、ぼたもちなんかを先祖様と一緒に食べて、のんびり過ごすのもいいだろう。今の僕は、それが出来ないでいる。心の中で、母親がこしらえた、ぼたもちを、たらふく食べて、「いあやあああ、もうお腹一杯」と、強がるのが関の山だ。さああ、明日からまた、あたふたと生きる日々が始まる。くれぐれも、女性からの遠まわしの誘いを見落とさないようにしなくちゃ、と思う。ただし、「けつ毛」まで、抜かれないように注意しなくちゃね。なんのこっちゃ・・・・。


2002年09月16日(月) 久々の雨

久々の雨。
at 2002 09/16 18:56 編集

今日は久々に雨が降った。まだ蒸し暑いが、一雨ごとに秋が深くなり、涼しくなっていくことだろう。毎年のことながら、深まり行く秋に色んな思いを馳せるのが好きである。三連休最後の今日。僕は朝から仕事だった。休みであれ、休みでなかろうと、僕の仕事は、ただただ走るしかない。後戻りは出来ないのだ。これは、自分のためでもあり、人のためでもある.午後から自分の時間が出来た。こんな雨の日の午後は、若い頃、そうだったように、ベッドでゴロゴロしているのが一番と思い、昼寝としゃれこんだ。おっと、昼ねで見た夢は思い出さないので、自分のことはこれくらいでいいだろう。
さあ、明日は、いよいよ小泉首相が、北朝鮮、金正日総書記と会談する。まさに画期的なこと。戦後五十年以上続いてきた北朝鮮との不正常な関係を打破して、国交正常化が実現できれば、これは二十一世紀最大の喜ばしい出来事に違いない。ただ、日本人から見れば,罪もなき多数の日本人の拉致問題解決への展望というか、もっと踏み込んだ解決の糸口が見えなければ、北朝鮮との国交正常化を語ることはできないだろう。一方、北朝鮮から見れば、日本の植民地支配による過去の清算,(謝罪と補償)が終っていないことへの強い不満がある。ましてや、彼ら国民には拉致問題等、一切知らされていないだろうし、日本人のでっち上げだと思っている。これも不幸なことだ。もちろん、日本人も反省すべき点はある。
色んな面で、歩み寄ることは可能かも知れないが、やはり、譲れない一歩を安易に譲ってしまってはいけないかもしれない。交渉ごとの難しいところである。
今はただ、平和裏に交渉が進んで欲しいと願うだけである。
雨は相変わらずしとしとと降っている。カラカラと乾燥した大地に潤いが戻ってきた。さあ、僕も潤いを持って、ばりばり、頑張って生きなくちゃ。



2002年09月13日(金) 秋は結構、せわしいいぜ。

秋は結構、せわしいいぜ。
at 2002 09/13 16:17 編集

いよいよ秋へ突入した。秋は気長にのんびりと過ごしたいと思っていたが、どうも周りがそうさせてくれないようだ。あれこれと雑用が入ってくるし、貧乏暇なしって感じだ。何故か気ぜわしい。僕は本来、まめなたち。どんなことでも、痒いところに手が届かないと、満足しないから,お客さんにとっては、「ありがたや」と喜ばれるが、僕自身は、「どっぷり」と、疲れてしまう。「あーーあ、貧乏性で、まめっていやだなああ」と思うが性格みたいでどうしようもない。おっと、そんなことを言っている場合ではなかった。今日は久しぶりに、ボスともども、異業種交流会へ参加し、生ビールで奇声、気勢を上げることになっている。そういえばボスとは今週の火曜日に偶然、行きつけの小料理屋で、でくわした。お互いに忙しくて、夜の付き合いは、ここしばらく遠のいていたが、やっと、時間が持てたようで、カラオケでおらびたかったのだろう。僕も付き合うか、ということで、歌に便乗。軍歌や山川豊さんの歌など歌い、ボスはすっかり御機嫌。「いえいーーつ、いえいーっつ」という掛け声が特徴のボスは七十を過ぎたと言うのに、相変わらず元気だ。僕は「わ0−−−っつ」といいながら、中村正俊さんの、「ふれあい」という曲をうたった。「寂しさに悩む日は、あの人を思い出す。・・・そんな時、側にいて、肩を抱いて・・・」。いやあああ、良い歌だ。店の「愛ちゃん」のリクエストとあらば仕方があるまい。昔、好きだった歌である。どたばたしながらも、僕達は真面目に午後十一時には帰還した。というのも、花金である今日の飲み方があり、週に何回も午前様と言うわけにも行かないからだ。本当は弟とも、今日、会いたかったが、何でも来週から洋行するとのことで、準備で忙しいらしい。洋行といっても、すぐお隣の国。笑っちゃうぜ。僕も行きたかったが、仕事優先だ。仕方がない。
いずれにしても、この秋を元気に乗り切りたい。今、そんな気持ちである。


2002年09月12日(木) あの大惨事から一年

あの大惨事から一年。
at 2002 09/12 11:33 編集

昨年の九月十一日、忘れようにも、忘れることの出来ない大惨事が起きた。テロリストによってハイジャックされた飛行機が世界貿易センタービルに激突した。、世界の象徴として権威を誇っていたビルが、砂上の楼閣のように、あれよ、あれよと崩れ落ちた。なんと言うことだ。何故だ?。定かには信じられない光景。映画を見ているのかとわが目を疑ったが、これは真実だった。何千人という人が亡くなった。昨夜、ビルの内部に潜入していたカメラがとらえた映像が独占放映されていた。消防士たちの姿を追った映像だった。あまりにも無残。見るに耐えなかった。どんな大義名分をもってしても、人が無差別に善意の第三者を殺りくすることなんて許されないことだ。宗教の違い、人種の違い。それが一体何だと言うのか。「あなたには分からない奥深いものがある」と言われれば、それまでだが。何十億年も前に、生命がこの地上に降りたったときは、皆、同類ではなかったか。発展に違いがあろうと、貧困があろうと、人類は助け合って生きてこそ、地球に生存している意味があるというもの。昨夜、テレビでアンケートをとっていた。その質問の一つに、「アメリカはアフガンより価値があるか?」というようなことを聞いていた。質問の真意がよく分からなかったが、価値がある?価値がない?。何という、おろかなくだらない質問かと思った。
今、いろんな意味で、正義が問われている。テロリストにはテロリストの正義があり、アメリカにはアメリカの正義がある。どちらの正義も正しいことのように見える。だからと言って、正義という名の下で、テロも戦争も許されていいのだろうか?。どちらも「否」である。しからばどうすれば、世界に平和と秩序をとりもどすことができるのだろうか?。分からない。国連という機構があるが、これも、大国主義の思惑で左右されたら、何の意味ももたない。日本の総理が、今北朝鮮へ赴き対話を試みようとしている。画期的なことだ。面と向かえば、いくばくかでも心を通い合わせることは出来るだろう。固く手を握り合うこともできるはずだ。やはり、対話しかないのかもしれない。アメリカのブッシュさんも、テロリストとの対話を徹底的に試みることは出来ないものだろうか。今はもう、その道は残されていないのだろうか?。ただ、ひたすら思っている。地球が滅びていく姿だけは見たくないと。そう強く願うだけだ。


2002年09月09日(月) ちょっくら物悲しい今日か。

ちょっくら、物悲しい今日か。
at 2002 09/09 17:48 編集

「今はもう秋、誰もいない海・・・」。ふっとこの歌を思い出した。やはり秋は人恋しくて物悲しくなる。なんやかんやと、仕事が忙しくて、やっとこさ終えて、誰もいない事務所に戻ると、秋なんですねエーーー。歌の文句と同じだ。メールを開いてみた。おやっつ、母さんみたいな人からの受信があった。まだよく、お顔はしらないが、きっと、「とっちゃん坊や」じゃなくて、「かあちゃんお嬢さん」みたいな人なのだろう。いつも、僕の健康を心配してくれるから、ありがたく感謝している。その反面、僕は相変わらず子供って感じだ。本当は、もうすっかり「とっちゃん坊や」なんだけどね。うんんん、どう言っていいのだろう。母さんの前では、僕はいくつになっても子供みたいで、おりこうさんだ。母さんの手紙に、「そろそろ秋刀魚がおいしいわよ」と、書いてあった。まさにしかり。なんだか急に、秋刀魚が食べたくなった。ちょっくらしてから、「ぶらっつ」と、娑婆世界へ散歩に行ってくるか。「秋刀魚さん、秋刀魚さんはいますか?。食べに参りました・・・」って、おらびながらね。
さあ、これからどんどん過ごしやすくなる。夏ごもりから完璧に脱皮して、人生を謳歌しなくちゃ。一度きりの人生と思えば、少々、恥をかいても、へっちゃらだ。
「わおーーーー」。雄たけびがおわった。外出だ・・・・・・。
そうそう、忘れていた。今日は重陽の節句だ。何か、ご馳走でも食べたいな!!。


2002年09月08日(日) 静かに過ごした一夜

静かに過ごした一夜
at 2002 09/08 10:54 編集

昨夜は土曜日だというのに、外出もせず、あるテレビ番組に見入ってしまった。(弁解はいらないが、外出がなかったのは、誘いがなかったからである)。内容は、アメリカから、幾多の難事件を解決したというFBI捜査官四名が招待されて、日本での事件解決に協力したというものだった。これだけなら特に驚くこともないが、興味をひいたことは、彼らは皆、心霊というか、特殊な能力によって捜査を行うという。いわゆる、何でもいいが、ちょっとしたヒントを手がかりに、遠隔地からイメージを膨らませ、犯人や居場所を特定したり、似顔絵を作成したり出来るというわけだ。テレビではまず、彼らの成功の実例を示し、次に、日本での難事件への挑戦を放映していた。いや、確かにすごかった。彼らの成功率は皆、八十%近くだった。なんらかの事前リサーチがなければ、到底、不可能と思われることを、彼らは特殊能力によって、いとも簡単に紐解いていく。科学至上主義を信奉している僕にとって、このあまりにも見事な出来事は夢を見ているとしか言えなかった。科学で割り切れない現象は、あまたと、自然界にある。これは、科学がまだ、その現象の解明に追いついていないだけで、いずれは科学が解決するものだと思う。ただ、人間の脳はそのほとんどが、使われていないという。恐らく彼らは、僕達が使っていない脳を使っているのかもしれない。使われていない脳にそんな力があれば、素晴らしいことだ。願わくば、僕も生きているうちに、そんな特殊な脳の発現が欲しいものだ。
僕は悶々としながら、いつか深い眠りについていた。明け方だったか、ラジオの声で、ふっと目が覚めた。教育の問題を論じていた。受験のための教育のみに奔走してきた人間は、今こそ意識改革が必要であると、コメンテーターが叫んでいた。いわゆる、「心の教育」が必要というわけである。人間が今、生きていることの理由はなんなのか?。、何のために生きているのか、何故、生きているのか。そのことを、宇宙の創世から現在に至るまでを踏まえ、もっともっと子供たちと共に考えられるような環境造りと、教育者を含めた意識改革が必要と言うわけだ。寝ぼけ眼で聞いていたが、「ふんふん」とうなずけるところがあった。
どうも、昨夜から今朝にかけて、頭を使いすぎたようだ。今日の日曜日は、何も考えずに、のんびりと過ごそうと思う。
そういえば、今朝、でっかい「蛇」を見た。ここ数年、同じ奴がいる。きっと、我が家の「守り神」に違いない。
「おい、おい」と呼んだら、茂みに隠れてしまった。恥ずかしかったのだろう。草刈は、もう少し寒くなってからにしよう。


2002年09月07日(土) 来るべき秋をいかに乗りこなすか?

来るべき秋をいかに乗りこなすか?
at 2002 09/07 10:31 編集

秋街道を時がまっしぐら進んでいる。汗濃い僕にとっては、今からの季節は大歓迎だ。自然界はそろそろ冬支度を始めようかという季節だが、僕にとっては、夏籠りから脱皮して、勢いよく娑婆世界へ飛び出す最高の季節ってわけだ。酒も食べ物もうまいし、山々が紅葉で染まっていく風景も、見ていて飽きることがない。自然がかもし出す芸術作品は、酒の肴として不足はない。まさに、「早く来い来い秋様」である。「今年の秋は、なにかいいことがあるかな?」と、期待に胸ふくらませているが、まだその兆候なし。そうそう、いいことと言うわけでもないが、八月に集った同窓会を、もう一度、十一月にやることに決まっている。こんどは同窓会ではなくて同級会だったか?。僕達の仲間は、集まって、だべるのが本当に好きなようだ。互いに言葉をかわすこともなく、受験必勝を願って、黙々と、また悶々と、灰色の青春を過ごしてきた。そのことへの後悔の念が今、むらむらと燃え上がっているのだろう?。皆、よくしゃべり笑う。友人達の顔に屈託はない。人生の何たるかを悟ったのだろうか?。もうすっかり大人だ。と言うより、「おじん、おばん」の初老軍団という言葉がふさわしいようだ。ただ、皆、口では言わないが、それぞれに、自分が一番若いと思っているから始末に悪い。もちろん、僕だって例外ではない。まだ、しゃきしゃきの青年を自称している。心は十代後半から二十代前半。やはり、このころが一番いいようだ。社会的には中途半端でも、女性は一番きれいな時期であろうし、男も男として一皮むけるころだ。ただ、悲しむべきは、「光陰矢のごとし」で、あっという間にこの時期が過ぎていくことだ。僕はよく思う。「今の僕の心をもって、あの当時に帰れたらどんなにすてきだろう」って。ただ、そう行かないところが人生である。人生ってうまく出来ているものだ。変に感心することはやめて、さああ、来るべき「秋」を、いかに乗りこなすかに邁進しよう。



2002年09月03日(火) 来年の目標。禁酒ではなくて減酒だあ。

来年の目標。禁酒ではなく減酒だ。
at 2002 09/03 15:14 編集

いやはや、昨日は飲みすぎて、今日は昼ごろまでダウンしていた。まだ、気分がわるい。SOHO の良いところは、寝たいだけ寝ても、誰にも迷惑をかけないことだ。通勤列車に乗って出勤するわけではないので、楽だ。「ベッドを降りると、そこは事務所だった」てな感じだ。ただ、こういうことばかりしていると、自堕落になってしまうから要注意。自分を律する何かを持たなくてはいけない。幸い、パートさんがやってくるので、僕も否応なく起きなくちゃならない。パートさんの存在は自分に鞭打つ一つの材料である。それと、ばあやからのきつーーーーい、いやみがある。「よござんすね。太平楽の人は。皆、汗だくで働いているというのに。どちらかさんは、まだ、屋形船」。ドア越しに、こんな声が聞こえた。僕はよほど、愛されているか、いないかのどちらかだろう。まあ、それはいいとして、昨夜は弟と、仕事の一段落を機に、焼き鳥からはじまり、しゃなりで、打ち止めのはずだったが、何を気迷ったか、僕は行きつけの小料理屋へ足を運んでいた。悪いことに、そこにいたのは親しいクライアント。再び飲んで、前後不覚に。後はよく覚えていない。ただ、見事に家に帰還しているから、帰り際まで、しっかりはしていたのだろう。ちゃんと、代行車で帰ってきたようだ。今日、僕が怖いと思っているもの。それは、「饅頭とお酒」。おうおおおっつ。見るのもいやだ。僕は告げるだろう。「酒よ、きょうから永遠に君を避けよう」と。かっこよく、こう告げて、そく実行したいなあ。タバコも止めたし、来年は禁酒を目標にするか?。おっと、これは失言だ。出来ないことを言うべきではなかった。少しずつ、量を落としていくことは可能だろう。つまり、減酒だ。じゃああ。来年の目標はこれにすべっ。決まりだ。


2002年09月01日(日) 九月早々から反省だああああ。


九月早々から、反省、反省だああ。
at 2002 09/01 16:44 編集


めまぐるしく時が駆けて、九月になった。この月は僕もあらたに、齢を一つ重ねることになる。うれしいやら悲しいやら。以前、よく思ったものだ。この世界のどこかに、不老長寿の特効薬でもあれば、それを求めて、そく、旅にでるのだがと。はかない夢とはしりつつも、いつまでも若くありたいと思うのは人間のエゴなのか?。最近、ニュースで言っていたが、来年には、人ゲノムの暗号がすべて解読されるのだそうだ。何十年もかけて、解読に携わってきた人たちの努力に、感謝とねぎらいの言葉をささげたい。遺伝情報のすべてが解明されるということは、病気の予防はもちろん、百五十歳まで人間が生きることも可能になるだろう。ただし、元気で生きてこそ価値があるわけだが。そうそう、先日、元気で山奥で暮らしている老夫婦のドキュメントをテレビでやっていた。秩父の山奥で、段々畑を耕して山間農業や、炭焼きを営んでいたが、夫婦ともに年をとって、農作業ができなくなってきた。畑をこのまま荒らしてしまうのが忍びなくて、せめて畑に植樹をして花をいっぱい咲かせて自然に返そうと、毎年、せっせと夫婦で苗を植えていた。その姿があまりにも切なくて印象的だった。見事なアジサイの花が所狭しと咲き誇っているシーンが映し出された。いやああすばらしい。まだまだ植え続けるのだそうだ。はたから見るとすばらしい自然があって、いいなああと見えるが、それは、過酷な自然を知らない人間が言うことだ。この村には若者がほとんどいない。高齢化と過疎化が進んでいき、やがて村は消滅するかもしれない。こういう現状は、日本のいたるところで見られるようだ。ただ、何十年もこの村で過ごしてきた人にとっては、今更、都会や町に引っ越して息子たちと暮らすより、住みなれたたこの村にいつまでもいたいと願っているのだ。わかる様な気がした。老夫婦の顔がきれいだった。屈託がなく、まさに自然とともに生きてきたという実感がにじみでていた。なんと言っていいのだろう。人間のあるべき姿を見たような気がした。いつも、酒にひたって、ネオン街でとぐろを巻いている僕にとって、この老夫婦の姿はまぶしい。


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